3. ニセ勇者と女神様の共同生活
僕が地上へ降り立つには、体が必要だった。
「マタタビ君の器は、フレイヤ姉様に作ってもらいます」
フレイヤは女神八姉妹の六女、転生を担当する女神だ。彼女が数日後にやってくるらしい。
それまで女神モモの塔で居候だ。僕は屋根裏部屋を借りることにした。少女は僕を片手に持ち、梯子を登って屋根裏への扉を開ける。覗いてみるとそこは埃や蜘蛛の巣まみれだった。
「ここが貴方の住まいです。自分で掃除してください」
ポイっと投げ捨てられた僕は床でバウンドし、ぴょこっという音を立てる。人使い……いやぬいぐるみ使いの荒い女神だな。女神ティアマトとは大違いだ。とはいえ居候させてもらうのだから、文句は言えない。女神モモにお辞儀をして礼を述べる。
『ありがとうございます、モモ様』
「あと私の部屋と物置と風呂とトイレの掃除もしてください」
『え、嫌です。トイレの掃除ならいいですが』
居候させてくれるのはありがたいけど、僕は召使いじゃないんだぞ。契約にも含まれてないし。
「なぜトイレの掃除だけ? やっぱり変態の子ですか?」
『違いますよ、僕も使うからです』
「ぬいぐるみにトイレは必要ないです」
そうだった。僕は今ぬいぐるみの姿だから、排泄とかしないのか。……自分の息子を慰める時とかどうしよう。ナニがついてないから興奮しないとかだろうか。
「では妥協点として、風呂とトイレの掃除を任せます」
てっきりごり押ししてくると思ったら、意外にあっさり妥協した。すげーわがままな女神とかじゃなくて助かった。流石は100年生きているだけのことはあるな。引きこもりだけど。
◆◇◆◇◆◇
その後、僕は屋根裏を掃除してなんとか住めるようにした。天窓からアンドロメダ銀河の夜空が見えるので、意外と良い部屋だ。屋根裏は奇麗になったが、逆にぬいぐるみの体が埃だらけなっている。風呂の掃除ついでにシャワーを借りることができるだろうか?
屋根裏から降りると、女神モモの部屋のドアに「お昼寝中」と書かれた札が掛けられていた。ノックしてみるが返事はない。ドアに耳を当てると微かな寝息が聞こえる。起こすのも悪いので勝手に風呂に入ろう。
家の中をうろつくと、浴室と思わしき部屋を見つけたので入ってみる。中は広く、中央に洋風バスタブが設置されている。
不意に、視界の端に走り回る小さな影を捉えた。一瞬だったのでよく分からなかったが、その影がバスタブの後ろに隠れたのだ。
『だ、誰ですか?』
僕は慎重にバスタブの裏を覗き込む。
――そこには水たまりがあった。ゆらゆらと不規則に形を変えている。そして水たまりから声が発せられた。
『ようこそお越しくださいました』
女性の声だ。女神モモでも、女神ティアマトでもない。水たまりが僕の目の前で形を変え、浮き上がって空中で女性の上半身を形作る。彼女の顔は人間というより宇宙人だ。
『初めまして、私は召使いのウンディーネと申します』
『ウンディーネ? もしかして貴方は精霊なのですか?』
彼女は肯定するように頷くと、ばしゃりとバスタブの中に入る。そして見る見るうちに水かさが増して、バスタブになみなみと水が満たされた。
『どうぞお入りくださいマタタビ様。私が貴方の身体を洗浄して差し上げます』
なんだろう。ちょっとエッチな雰囲気がする。
『えっと、こういうのはモモ様にもやってるんですか?』
『もちろんです。モモ様だけでなく、全ての女神の体は我らウンディーネが清めさせていただいております。大変光栄な役目です』
そういうことなら彼女を信じて委ねてみよう。僕はバスタブに登り、慎重に水の中に入る。ぬるくもなく熱くもなく、丁度良い湯加減だ。立ち上がった湯気が浴室全体を覆っていく。僕の全身が浸かると、水面からウンディーネが顔を出した。
『湯加減はいかがでしょうか』
『凄く良いです、最高です』
『私も人間を清めるのは初めてです。聞けば遠い星からやってきた客人だとか』
『は、はい。もっとも今の体はぬいぐるみですが』
『例えぬいぐるみでも、このウンディーネが責任をもって奇麗にして差し上げます』
そう言うとウンディーネの顔が溶けて水の中へ消える。すると僕の体がゴシゴシと擦られているような感覚に襲われた。水の中を見ると、彼女の透明な手が僕の体を撫でている。そして足の先から首まで、満遍なく汚れを落としていく。
『あぁ~~気持ちいですぅ……』
こ、これすげええ! 普通のエッチなお店じゃこんな感覚は味わえないよ!
『お褒めにあずかり光栄です。もっと気持ちよくしてあげますよ』
ウンディーネの手が水面から出て、僕の頭をごしごしマッサージし始める。至れり尽くせりで最高じゃないか。彼女も張り切っているのか、僕に『ここが気持ち良いですか? ここは?』と何度も聞いて全身をほぐし始める。
――ふたりで凄い盛り上がったせいで、彼女が湯気の向こうから現れたことに気づかなかった。
「――は?」
声がしたのでウンディーネと共に振り返ると、バスタブの前に素っ裸の女神モモがいた。彼女は目を点にして僕らの痴態を見つめている。僕の視界に女神モモの胸が、成長していない平坦に近いふくらみが映ってしまう。
一瞬の沈黙。そして悲鳴。
「きゃああああっ!?」
『うわああああっ!?』
『きゃああああっ!?』
三者三様の悲鳴が、浴室に響き渡った。
◆◇◆◇◆◇
僕は廊下で正座して、女神モモの入浴が終わるのを待っていた。
『はぁ……』
自然とため息が出る。またやらかしてしまった。何とお詫びすれば良いだろうか。とりあえず物置と彼女の部屋の掃除をやらせてもらおう。
浴室のドアが開いて、着替えを済ませた女神モモがむすっとした表情で出てくる。下着姿で火照った肌が露わになっていた。
僕は慌てて頭を下げて土下座する。
『こ、この度は大変申し訳ありませんでした!』
「死刑です」
『な、なにとぞご容赦を!』
「冗談です。落ち度はウンディーネにあります。貴方に非はありません」
女神モモの寛大さに、僕は心底ホッとした。契約を破棄されることもちょっとは覚悟していたからだ。でもやっぱり僕にも落ち度があると思うので、掃除を申し出たら「では明日お願いします」と柔らかい答えが返ってきた。
次の日、僕は許可を得て彼女の部屋の掃除を一生懸命やったのだった。
◆◇◆◇◆◇
女神モモの掃除を終えて、いくつか彼女に関して分かったことがあった。
引きこもりの女神と聞いていたので汚部屋も覚悟していたが、部屋は元から奇麗だった。驚くことに、机の上にノートと二言語辞典が置かれていた。勉強の痕跡だ。更に本棚にはぎっりしと本が詰まっていた。初めて見る言語の国語辞典が何種類もあり、動物図鑑や歴史本まであった。
僕は掃除を終えて休憩しながら、居間で本を読んでいる彼女に尋ねてみた。
『モモ様は勉強がお好きなんですか?』
「勉強は嫌いです。ですが人の子が信仰するに相応しい女神になるために、知識をつけることは必要です」
凄く真っ当な答えが返ってくる。てっきり女神というのは全知全能で、なんでも知っているかと思ったが……
「姉様たちは2000年以上も生きているので、博識かつ保有魔力や信者の数も桁違いです。私はまだ100年しか生きていません。魔力の供給元となる信者もいないので、全知全能の足元にも及びません」
そう告げる女神モモは、悔しそうな表情をしていた。
聞きづらい質問だったが、僕は抱いた疑問を彼女にぶつけてみた。
『モモ様は引きこもりだとティアマト様から聞いていたのですが、それは事実ですか?』
あの女神ティアマトが間違っているとは考えにくいが、正しいとも思えない。僕の質問に対して、女神モモは俯いて声を絞り出す。
「事実です。私の居場所はここしかないので」
『……』
「深い意味ではないです。神殿にいると他の姉様に虐められるので、ここに避難しているだけですから」
女神モモは本を閉じ、ぽつりぽつりと女神の事情を話してくれた。
女神の強さは信者から徴収する魔力の保有量によって決まるらしい。光を司る女神ティアマトは、星系に住む全人類から信仰されていると言っても過言ではない。故に保有魔力は異次元の領域で、主神であり長女なのだ。彼女には及ばないものの、他の姉妹も世界中で信仰されているとのこと。
「私は100年前に生まれたばかりで、まだ誰にも信仰されていません。というより、入り込む余地がないのです。人類のほとんどはいずれかの女神を信仰していますから」
『……ティアマト様に助けてもらうことはできないのですか?』
女神モモは首を横に振った。
「ティアマト姉様は、魔力のほぼ全てを恒星ティアマトの核に注いでいます。それに主神ですから、全ての生命に与える愛は平等です」
逆に言うと、誰かを贔屓するつもりもないということか。ある意味残酷だ。だけど、それが主神としての振る舞いなのだろう。
「他の姉様は主神たるティアマト姉様を立派に支え、この世界に平和と繁栄をもたらしています。でも私には、姉様を支えるに足る特別な力はありませんでした」
彼女は自分の髪の毛を弄りながら、自虐めいた口調で話を続ける。
「私に対する姉様の評価は散々です。やれ臆病だの、やれ馬鹿だの。何故か私に憎悪を向ける者や、生理的に嫌いと言う者もいます。引きこもりを軽蔑する者もいます」
僕は彼女に何を言えば良いか分からなかった。彼女は100年間、そうやって罵られ虐められてきたのだ。言葉に迷っていると、女神モモが話を打ち切る。
「人の子には関わりのない話でしたね、忘れてください」
『……』
結局、その日は女神モモに対して何の慰めの言葉もかけられなかった。想像以上に根が深い問題のようだ。
僕にできることは精々、契約通りに信者を増やしてあげることぐらいか……
他にどうしろというんだ?
◆◇◆◇◆◇
夜になった。
屋根裏からぼーっと夜空を見つめる。僕は女神モモの抱える問題を知ってしまった。彼女には命を救ってもらった恩がある。契約うんぬん以前に、何か力になってやりたい。
しかし答えが出ないまま、時だけが過ぎていく。1時間ほどそうやって夜空を見ていると、梯子を登る音がして女神モモが屋根裏に顔を出した。
「掃除が上手ですね、人の子よ」
『……ええ、まあ。家事全般は僕が担当していましたから』
じっちゃんの研究室を掃除しないと、あっという間に発明品の山ができたからな。しかも大体が意味不明のガジェットだ。
女神モモは僕の隣に体育座りして、一緒に天窓を見上げる
少女はずっと黙り込んでいた。痛い沈黙が流れる。
僕が何か言うべきだろうか? 適当な話題を振ろうとして女神モモを見上げると、予想外の光景に息を飲む。
彼女は涙を流していた。
『……あの、モモ様。なにかお気に障りましたか?』
「悔しいのです、私自身の力の無さと浅ましさが」
女神モモは涙をぬぐう。しかし次から次へと、少女の目から涙が溢れている。
「勇者召喚の儀は、生まれて初めてのチャンスでした。勇者を召喚できれば、きっと全部上手くいく。100年間ずっと、自分に言い聞かせていたのです」
僕が黒くて大きなエリンギだった時の記憶が蘇る。彼女の必死な叫びは、今も忘れていない。
「人の子を勇者だと言ったのは保身です。召喚できなかったと認めたくありませんでした。貴方のためではなく、貴方を勇者だと期待して自分のために助けたのです。……ごめんなさい」
初めて聞く、彼女の謝罪。鼻水をすすりながら、女神モモは顔をうつむける。
「こんな惨めな気持ちになったのは、きっと邪まな考えを抱いた私への罰なのでしょう。私は人の子を祝福する資格がない、弱い女神なのです」
――世の中はなんて不公平なのだろう。彼女は100年間苦しんだのに、何の救いもなかったのだ。
隣に座っている少女は引きこもりじゃない。誰もが想像するような偉大な女神でもない。ただ純粋に使命を果たそうとする少女に見えた。
思い出したことがある。
僕が幼い頃、じっちゃんから色んな国のお土産をたくさんもらった。祖父が冒険した証だ。
それらを本棚に飾っているうちに、僕も冒険したいと思うようになった。それが生まれて初めての夢だ。その夢を告げた時のじっちゃんの顔は今でも覚えている。満面の笑みだった。僕を肯定してくれた瞬間だった。
女神モモには夢が無い。だけど、
『モモ様。冒険は好きですか?』
「……えっ?」
……僕は冒険が好きなのであって、勇者なんてやりたくはない。魔王退治なんて危険極まりないじゃないか。
旅は道連れ、世は情け。そう、旅をするからにはお供が必要だ。
――夜空に浮かぶ広大な銀河を見上げながら、僕は立ち上がった。
『信者を増やすために、僕と一緒に地上へ降りるんです。それで一緒に冒険しましょう!』
女神モモは一瞬呆けた表情を見せたが、すぐにむすっとした表情に戻り……僕を持ち上げて背後から抱きしめる。
『ぐぇっ』
「調子に乗らないでください人の子よ。それができたら苦労はしません。ですが、気持ちは受け取っておきます」
少しばかり嬉しそうな声色だった。
◆◇◆◇◆◇
女神に対して大分思い切ったことを言ったと思う。ただでさえ勇者は面倒そうなのに、女神をお供にするだんて。そう考えると疲れがどっと押し寄せてきた。
とりあえず、これからどうするかは明日考えたい。
女神モモはご機嫌な様子で、僕を寝かしつけるように身体をゆっくり動かして子守歌を歌っている。
僕は揺り籠の中でまどろみながら、眠りに落ちるまで夜空を見上げていた。
――女神モモに祝福がありますように。
ほんのちょっぴり、僕と彼女は仲良くなったようだ。