2. ニセ勇者と女神様、契約する
光り輝く、というのは比喩ではない。
彼女は物理的に全身が光っていて、かろうじてギリシャ神話の女神のような衣装を着ているとわかる。眩しくて顔は見えない。その太陽のような温かい光を浴びて、否応なしに心が落ち着いた。とても不思議な気持ちだ。
『こ、こんにちは。僕の名は木天蓼夢人です。あなたは?』
「私は女神ティアマトです」
僕は特別なにかを信仰しているわけではない。しかし目の前の女性が女神様だとわかり、慌てて片膝をついて祈りを捧げようとする。女神様は僕の手を握って制止した。
「ふふっ。堅苦しいあいさつは抜きにして、少しお話ししましょう」
『は、はい』
今の僕の顔はデレデレに違いない。何せ彼女が醸し出す雰囲気はまさしく聖母だ。いや聖母を超越した聖母、聖母神だ。神って凄い。
ふたりで庭園に設置された長椅子に座る。まずは僕自身の状況をよく知る必要があった。
『あの、僕は転移に成功したんですよね』
「成功とは言い難いと思います。マタタビ君は装置の爆発に巻き込まれて木っ端ミジンコ。研究室だけでなく家がまるごと倒壊しました」
結局爆発オチかよ。家が倒壊したとなると、じっちゃんも……
「貴方の祖父は無事生き残りました。軽傷です」
しぶとい。僕の涙を返せ。
「マタタビ君は瀕死の状態で送信されここに辿り着きました。放っておけば数分で死んでいたでしょう」
生きて転移できなきゃ只の死体送り装置だぞ、じっちゃん。
『僕は日本語を喋っているのですが、女神様は理解できるのですか?』
「正確に言うと、《念話》の魔法を使って脳内に直接話しかけているのです。貴方の言葉を受け取る際も自動的に変換されるので、とても便利ですよ」
魔法ときたか。じっちゃんも「最先端の科学は魔法と変わらない」と言っていた。女神が使えても不思議ではない。《念話》は自動翻訳ソフトのような魔法だった。
もし魔法が常識の世界ならば、本格的に異世界に来たと考えて良いのでは?
『つまり、ここは地球とは違う世界なんですね』
「はい。ようこそ異世界【ティアマト星系】へ」
僕は夜空を見上げる。本当に異世界へ転移したんだ。
星々の輝きを目に焼き付けながら、“遠い昔、遥か彼方の銀河系で”という映画のフレーズを思い出していた。
じっちゃんにも、この光景を見せたかった。
◆◇◆◇◆◇
僕はティアマト星系の簡単な説明を受けた。
ここは主神ティアマトが創造した異世界だ。恒星ティアマトを中心に108の惑星が点在していて、それぞれの星に人が住んでいるらしい。
世界の中心にある星が恒星ティアマト、つまり僕が立っている場所だ。この星は海から無限の光を放つ。その光は女神ティアマトが人々に与える恵みであり、距離に関わらず惑星に降り注ぐ光量は平等あるとのこと。
大地には、女神達の神殿と女神が使役する精霊達が住んでいる。そして目の前の塔と周囲の森は、八姉妹の八女「女神モモ」の敷地らしい。さっき僕を放り投げた少女だ。
つまり目の前の光り輝く女性は、この世界に住む全人類の母と呼ぶべきに相応しい人物だった。あまりに恐れ多すぎる。
「せっかく転移したのに申し訳ありませんが、このままだとマタタビ君は処刑されます」
『僕が処刑!?』
突如、全人類の母から発せられる死刑宣告。稲妻に打たれる感覚を味わう。尊大さを微塵も感じさせない、優しさに溢れた彼女の言葉だけに絶望は大きい。
「女神の許可なく転移してきた者は『漂流者』と呼ばれ、直ちに処刑されるのです。数百年前にできたばかりのルールです」
何も言えず黙っていた僕の頭を、女神様が優しく撫でる。
「ですが助かる方法がひとつだけあります。今日はそれを教えにやってきました」
その発言にどれほど心が救われたか。思わず女神様を見上げて、すがるように尋ねた。
『ぜ、ぜひ教えて下さい! お母様、いやティアマト様!』
やべ、お母様って言っちゃった。彼女は一拍おいて、やや緊張した面持ちで告げる。
「モモちゃんの勇者になるのです」
『……えぇ? あの女神のですか?』
僕をぬいぐるみから追い出して殺そうとした女神だぞ。そんな少女の勇者に?
女神ティアマトは「勇者召喚の儀」と呼ばれる儀式について説明してくれた。女神は異世界から勇者となり得る人物を召喚する。召喚された勇者は超常的な才能を得る。そして地上へ降り立ち仲間を集め、魔王や邪神と戦う運命にあるらしい。
「モモちゃんは貴方を『自分が召喚した勇者』だと言い張っています。他の姉妹は嘘だと感づいていますが、証拠がありません」
『つまり、僕が勇者にならなければ……』
「これ幸いと、他の姉妹がマタタビ君を跡形もなく消し炭にするでしょう」
『ひえぇ……』
思わず情けない声が漏れる。女神ティアマトはガッツポーズを取って励ました。
「マタタビ君なら大丈夫です。才能は無いですが、ニセ勇者としてなんやかんや生きていけます」
『なんやかんや!?』
そんなお気楽な。バレたら処刑ですよ?
『いやいや僕は勇者なんてがらじゃありません、無理むりカタツムリです』
僕が諦める素振りを見せると、女神ティアマトが焦り始めた。慌てて手を振って僕を応援する。
「ファイトですっ」
『……は、はい』
どうやら女神ティアマトは、僕を女神モモのニセ勇者に仕立て上げたいらしい。そういうオーラがぷんぷん漏れていた。
しかし、他に選択肢はない。
こうなったらやってやろうじゃないか、ニセ勇者。
◆◇◆◇◆◇
ふたりで女神モモの塔の中に入る。
柱の内側は吹き抜けで、らせん階段があった。女神ティアマトの後に続いて登る。
『ちなみにですが、モモ様について教えてもらえますか』
「はい。他の姉妹に虐められて心を閉ざした引きこもりの女神です」
『他の姉妹に虐められて心を閉ざした引きこもりの女神?』
思わずオウム返しに聞き返してしまった。
「私が介入してしまうと、もっと虐めがひどくなるので困っています」
凄い俗っぽい悩みだった。女神同士でも虐めってあるんだ……
「でも根はとっても良い子です。可愛い妹ですよ。貴方をきっと歓迎してくれるでしょう」
『僕さっき塔から落とされたのですが……彼女は何年くらい引きこもっているんですか?』
「100年くらいです」
めちゃくちゃなげえっ! 名誉終身ニートじゃないか! そんな少女にお世話になるなんて、不吉な予感しかないぞ……
てっぺんにつき、ふたりで扉の前に立ちすくんだ。
「モモちゃーん。私ですよー」
女神ティアマトが声を掛けると扉が少しだけ開き、さっきの幼い少女が顔を出した。女神モモだ。
「お母…ティアマト姉様、それは変態の子です」
今、お母様って言おうとしたな。
「モモちゃん、勇者を外に捨てたら駄目ですよ」
すると女神モモは、僕達がひっくり返るような発言をした。
「ごめんなさい姉様、私は嘘をつきました。彼は勇者じゃありません」
「えっ!?」
『えっ!?』
おいぃ! 計画がいきなり破綻したぞ!
◆◇◆◇◆◇
塔の最上階、女神モモの部屋。
女神ティアマトが改めて少女の紹介をする。
「この子が女神モモ、私の妹です」
『どうも、木天蓼夢人です』
ぬいぐるみの姿でお辞儀する。例え相手が幼く見えても、100年以上生きている女神だ。最初のやり取りは忘れて敬意を払わなければ。
「……彼が、ティアマト姉様の故郷に住む人の子ですか」
『地球人を見るのは初めてですか?』
「初めて人の子を見ました。女神と精霊以外の生き物は、本でしか知らないので」
ガチで引きこもっていたみたいだ。それでいいのか女神モモ。
「それでモモちゃん。マタタビ君は勇者……」
「勇者なんて知りません」
女神モモは頬を膨らませてぷいっとそっぽを向く。どうやらまだ怒っているようだ。捨てられた事に腹は立ったが、僕にも非があるので謝っておこう。
『さっきはごめんなさい。以後気を付けます』
「モ、モモちゃん? このままだと彼は処刑されてしまいますよ?」
「……人の子よ。事情は聞いていますか?」
『え、ええ。モモ様が僕を庇ってくれたのですよね? 助けてくれてありがとうございます』
彼女のおかげで、こうして命がある。それは確かだ。僕が再びお辞儀すると、女神モモの表情が和らいだ。
少女は咳ばらいをして、女神ティアマトをちらちら見ながら発言した。
「ティアマト姉様の頼みなら、彼を勇者にしてあげてもいいです」
……こいつ、調子に乗ってやがるな? 邪まな気配がするぞ。それに気づかないのか、女神ティアマトが慌てて少女の頭を撫でる。
「流石はモモちゃん、とっても優しい子ね」
彼女に撫でられ、少女が気持ちよさそうな表情になる。猫かよ。最初からそれが目当てで渋っていたな?
女神ティアマトは安心したように立ち上がった。どうやら帰ってしまうようだ。残念、もっといろいろおしゃべりしたかった。
「マタタビ君、貴方の冒険に祝福があることを祈っています」
『ありがとうございました。お母、女神様』
僕は深くお辞儀して、女神ティアマトが退室するのを見届けた。ドアが閉まると、女神モモが僕の首根っこを掴んで持ち上げる。
『わわっ』
「調子に乗らないでください人の子よ。お母様は貴方のお母様ではありません」
『いやでも、貴方もティアマト様の妹では……?』
「8人の女神に血のつながりはありません。要は義理の妹です。つまり誰でもお母様の子供になるチャンスがあるということです」
論理がめっちゃ飛躍してるぞ。気持ちはわかるけど。というか女神ティアマトの母性は他の女神にも通用するのか……凄いな。
不意に女神モモが提案する。
「人の子よ、私と契約しませんか」
『……どんな契約ですか?』
「私は貴方を勇者として公認します。他の女神から精いっぱい庇って、漂流者として処刑されないようにします」
『はあ』
「その代わり、勇者として地上へ降りたら私の信者を増やして欲しいのです」
信者、いないんだろうな。引きこもりだし。深く言及するつもりもない。お互いにメリットのある契約だと思う。
『わかりました。……なにか魔法で契約を?』
「いえ、とくには」
『そうですか。では、「ゆびきりげんまん」でもしましょうか』
「なんですか、それは」
『日本の文化で、約束の誓いを立てる時に使う儀式です』
僕は女神モモの小指に触れる。ぬいぐるみには指が無いけど、この際どうでもいい。彼女にやり方を教えながら、一緒に詠唱した。
ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたら、はーりせんぼんのーます。ゆーびきった!
よし、これでいいか。
少女はしばらくの間、不思議そうに小指を眺めていた。……別に魔法なんてかかってないぞ。
とにかく後ろ盾はできた。僕が生き残るために、頑張って勇者のフリでもしましょうか。
「とりあえずよろしく、人の子よ」
『ええ、よろしくお願いします。モモ様』
◆◇◆◇◆◇
螺旋階段を降りながら、私はふぅと息を吐く。実はとっても緊張していました。モモちゃんのアドリブにびっくりして、危うく未来を変えてしまうところでした。
ふたりの出会いは、お互いにとって重要な人生の転換点になるでしょう。
私の《予知》が正しければ、ですが。
「頑張ってね、モモちゃん。マタタビ君」
ふたりの冒険は始まったばかりです。