23. VS呪術師ジャジャ婆
僕はエレミーア城塞の中庭でジャジャ婆に追いついた。老婆のくせに結構足が速いな。魔人は振り返って立ち止まり、息を切らせつつもニヤリと笑う。
「その身体能力の高さ、勇者と認めざるをえまいて。100年近く生きてきたが、本物の勇者様に会えるのは初めてじゃ」
「一応、勇者(仮)でお願いします」
中庭に衛兵や盗賊が集まってくる。その数20人。彼らの体には《制約》の刻印があった。
「ひっひっひ。こやつらも儂の護衛じゃよ。さあ、その子供を八つ裂きにせよ!」
《制約》の詳細は女神モモから聞いていた。発動者の命令に背むくと、《制約》が魔核に干渉して強制的に炎魔術を発動させる。そして自身を燃やしてしまうらしい。
彼らも《制約》の恐ろしさを知っているようだ。恐怖や怯えに支配された表情で僕に襲い掛かってくる。
基本の型で構えを取り、盗賊の剣を弾き返しつつ衛兵の槍を捌く。聖剣が震え、女神モモの感情が流れてくる。
「――わかってますよ、モモ様」
彼らを殺すことは簡単だ。とても簡単だ。だけど女神モモはそれを望んでいない。彼らもまた犠牲者なのだから。
だから僕は、敢えて困難な道を選ぼう。目を閉じてノーム先生の教えを思い出す。この一瞬だけ、世界の音が消える。
――訓練は本番のつもりで、本番は訓練のつもりで。
目を開くと全力で地を蹴って攻撃に転じる。魔力を全身に流し、身体能力を爆発的に上昇させた。
盗賊には、僕が一瞬で消えたように見えただろう。背後に回って剣を振り下ろし、彼を袈裟斬りにした。
血しぶきが飛ぶ。
更に次々と迫り来る男たちを斬って捨てる。速さの次元が違うのだ。誰もテンポについてこれず、あっという間に10人が地に伏せた。
「ひっひっひ。馬鹿め……もる もる むえる とてる もると! 死者よ蘇れ!」
ジャジャ婆が怪しげな詠唱を唱える。杖から黒い霧があふれ出し、倒れている男たちを覆う。
『死者を操る上級呪術《屍鬼》です』
「ここからが呪術師たる本領発揮じゃよ」
的外れもいいところだな。よく見たらどうだ? その魔術は無駄に終わるぞ。
「……!? なぜ魔術が効かぬ!?」
「そりゃあ、生きてるからさ」
《治癒》+《大神実》。僕は剣を通して、彼らに魔術と魔法を掛けていた。倒れていた男たちが起き上がり、不思議そうに傷口を確認している。彼らは斬られると同時に《治癒》を掛けられ、傷が癒されていたのだ。
「な……そ、そんな意味の無いことをしてなんになる! 《制約》がある限り戦意は折れぬ!」
「それはどうかな。花を咲せろ《大神実》!」
突如、彼らの癒された傷口から美しい桃の花が咲いた。その花から強烈な香りが放たれる。それは高濃度に圧縮された魔力そのものだ。
「これが女神モモの祝福だ」
その花の香りを嗅いだ男たちが、次々と意識を失って倒れる。
絡繰りはこうだ。彼らは【魔力酔い】を起こしたのだ。魔力酔いとは「魔核が異常をきたした場合に起こる現象」で、しこたま酒を飲んだような感覚に近い。
僕は《大神実》を通じて、彼らの魔核に大量の魔力を流し込んだ。普段コントロールしている魔力の何倍もの量が供給されたため、魔核が処理落ちし【魔力酔い】が発生したのである。
普通の魔術じゃこんな芸当はできない。魔力の流し方で出来栄えが変わる《大神実》だからこそだ。
「《睡眠》の魔術……いいや違う、こんな魔術は知らぬ。一体どんな魔法を使ったのじゃ!?」
「アンタが今言った通りだよ」
『マタタビ君。それは貴方だけの剣技ですから、何か名前でも付けたらどうですか』
「実は牢獄の中で考えてきました」
僕は残りの賊に向かって駆け出し、彼らに剣技を振るう。
「――剣技《大神実・酔狂花》!」
魔核にその名を刻み込む。魔力回路が最適化され、僕だけの技能として記憶された。
さあ、皆を助けるぞ。
――1分もたたない内に、僕は全員を斬り伏せて無力化した。彼らは皆、目を回して倒れている。
肝心の魔核が処理落ちしてしまえば《制約》は意味をなさない。これで手下は無力化した。
しかしジャジャ婆も諦めてはいなかった。いつの間にか地面に巨大な魔術式を描き、詠唱を始めている。
「これならどうじゃ! なある なある いん へる なある へれ! 冥府へ堕ちよ! 《地獄の扉》!」
老婆が呪術を発動する。地面に黒い穴が現れ、無数の真っ黒な「死者の手」が這い出てくる。
襲い掛かってくるソレを斬るが、数が多すぎた。いくつもの死者の手が僕の腕や足を掴んで、黒穴に引きずり込もうとする。
『《地獄の扉》は伝説級呪術です、マタタビ君! 黒穴に飲まれれば命はありません!』
「ひっひっひ! 一時はどうなることかと思ったのじゃが、こうなってしまっては……」
「――《衣装》!」
倒れている男たちに意識は無いので、僕は躊躇せずに変身した。女神の衣が、呪いである死者の手を全て浄化させる。輝く《衣装》を見てジャジャ婆が絶句していた。
「な、なんじゃと……若造よ、そこまでするか! 恥を知らんのか!?」
そうだよね、そういう反応だよね。
「なんと破廉恥な格好じゃ。お主、人の道を逸れてまで勇者になりたいと申すか!」
「そこまで申してないよ!?」
『人の道を逸れてるのは貴方です、魔人の子よ』
僕は剣を構えて突進する。覚悟はとうにできていた。それは女神モモも同じだろう。
《地獄の扉》の穴も踏み抜いて、逃げ出そうとするジャジャ婆の背中に剣を突き立てた。
「がぁ……み、見事なり……!」
「アンタは大勢の人を苦しめた。その魂を浄化することで罪を断ずる! 剣技《大神実・満開花》!」
剣にありったけの魔力を注ぎ込んで《大神実》を発動する。ジャジャ婆の全身を貫くように、巨大な桃の木が生えて大地に根を下ろす。そして彼女の罪を赦すが如く、満開の花を咲かせた。
老婆の身体は木の幹に融合していたが、桃の木に生気を吸われやせ細っていく。
「……ひっひ。まさか儂が破れるとは……じゃが、儂も魔人の端くれよ……最後に、お主に一泡吹かせてやろう」
「まだ何かするつもりか」
「儂がお主に二つ名をやる」
「流れが意味不明!」
「見事、魔人を倒したお主は……以後『女装癖のマタタビ』を名乗るがよい」
「嫌がらせじゃねえか!」
「お主はその呪縛から逃げられんぞ……坊ちゃま……申し訳……ありませぬ……」
ジャジャ婆は完全に干からびて息絶えた。この女の罪は、大神実の木が洗い流してくれるだろう。
女神モモが魔石から出てきて、老婆の死体に触れる。
「せめて来世では真っ当に生きなさい。魔人だった子よ」
そして彼女は、僕の震えている手をぎゅっと握った。初めて人を殺したその手を、女神モモが包み込む。
「モモ様、僕は」
「ごめんなさいマタタビ君。辛い役目を背負わせてしまって」
「いいんです、決めたことですから。斬ることで救える命もあります」
「誰かの命を奪う、その意味は決して忘れないでください」
「はい。もちろんです」
これにて初めての魔人戦は、完全勝利に終わった。
◆◇◆◇◆◇
気づけば夜が明けていた。朝日が僕らを照らす。
辛気臭いのは苦手なので、ちょっとでも明るく振る舞おう。
「いやー、魔人を倒せて良かったですねモモ様。これで皆から信仰されることは間違いありません」
「マタタビ君、聞いて下さい。私が感じていた邪悪な気配は彼女ではありません」
「えっ?」
ジャジャ婆は魔人だ。それは間違いない。
「つまり、他にも魔人が?」
「彼女の気配は弱すぎます。恐らく序列90台でしょう。最初に感じた気配はもっと強いです」
思わず息を飲む。本命は別にいたのか。
「気配の場所は分かりますか?」
「昨日まではこの町で感じていましたが、今は……もっと南に感じます」
オッカマンの話だと、ドン・ブラウン伯爵は南の砂漠地帯に向かったそうだ。ということは奴が魔人なのか?
リトッチが危ない。僕は女神モモに魔石に入るよう促し、城下町に向かって走り出した。
『マタタビ君、どうするのですか?』
「全力で走って追いつきます」
『伯爵らは魔導帆船で移動しているはずです、とても追いつけるとは……』
城塞を出て、城下町の建物の屋根にジャンプ。ショートカットするように屋根の上を走り続ける。
「追いつけなくても、行かなきゃリトッチさんが危険です!」
手遅れになる前に彼女を助けるんだ。
――空から轟音が聞こえる。見上げると、そこには20メートル級の魔導帆船が飛行していた。
「マタタビちゃーん! ロープを握ってー!」
オッカマンが甲板から身を乗り出し、ロープを投げた。僕は屋根から跳躍し、ロープを掴んで登る。
甲板に上がった僕を、オッカマンとその手下達が出迎えた。彼らは一斉に跪く。
「オッカマン盗賊団、女神モモと勇者マタタビの下へ改めて参上よ。何でも命令して頂戴」
「勇者(仮)です。でも助かりました」
願ってもない。有り難く彼らの力を借りよう。
「ジュラ軍はクレイヴさんが止めると信じましょう。僕らはドン・ブラウン伯爵を追跡します。南へ向かって下さい」
「了解よん。面舵いっぱーい!」
オッカマンの命令を操舵士が復唱する。
「おもーかーじ、いっぱーい!」
魔導帆船が船首を南に向けて発進した。
間に合ってくれよ。
◆◇◆◇◆◇
――片眼鏡が震えたことに気づき、ドン・ブラウン伯爵は背後を振り向いた。
オーロシップ号は既に接触地帯を通過した。後方にあった都市国家ジュラはもう見えない。
「どうかしましたか?」
包帯で右目を覆ったレディ・バードが尋ねる。
「……いいや、何でもない」
――ジャジャ婆に何かあったか? いや、彼女は序列92位の魔人だ。伝説級呪術も習得している。問題は自力で解決できるだろう。万が一に備え、リュックモーを護衛につけている。
不安を紛らわすかのように、伯爵はレディ・バードの顔を撫でた。
「リトッチ君が火の精霊の血を引いていたとはねえ。ますます勝算が高まった。もちろん君抜きで地竜アダマは討伐できない。期待しているよ」
「お任せください」
彼女の表情は不満げだ。結局、伯爵はリトッチに何の罰も与えなかった。
「伝説の竜を殺そうという時に仲間割れしている場合じゃない、そうだろ?」
「……はい」
ここで逆らえば伯爵は逆上する。レディ・バードは大人しく引き下がった。
荒野地帯ではラプトルに乗った盗賊団が続々と集まっている。彼らには討伐対象を「極上の獲物」としか話していない。大盤振る舞いと称して、好きなだけ素材を持って行けと通達している。
「野郎どもー! 狩りの時間だぁー!」
「伯爵様、万々歳だぜえ!」
オーロシップ号が降下する。集まった数百人の盗賊団が船を囲み歓声を上げた。
伯爵は船首に立ち、堂々と演説を始める。
「――諸君! 世界で最も『信頼』できるものとは何かね? 女神か? 邪神か? それとも自分自身か? 違う! どれもこれも全く当てにならん! 世界で最も、いいや世界で只一つ『信頼』できるもの! それは金だ!」
「「金だ!!」」
「見ろこの金貨を。魔力も食料も生み出さないただの鉱石だ。このくだらない石ころを、世界中の連中が欲しがる。なぜなら、こんなものに価値があると皆が『信頼』しているからだ! お前達、これが欲しいか?」
「「よこせ!!」」
「ならば出発だ! 大量の金貨を生み出す獲物がこの先にいるぞ! 今日はお前達が好きなだけ持って行け!」
「「うおおおーー!」」
伯爵が両手を上げて盗賊団を鼓舞し、真っ直ぐ南を指さした。
「全員で競争だ! 早い者勝ちだぞ!」
盗賊団は雄たけびを上げながら、我先にと移動を始める。少し遅れてオーロシップ号も航行を再開した。
「……彼らにあのようなことを言って良いのですか?」
レディ・バードの疑問を伯爵は鼻で笑った。
「盗賊団は捨て駒だよ。地竜アダマを適度に弱らせてくれればそれでいい。それに蜥蜴族の横やりが入った場合、彼らが真っ先に動くだろう」
ドン・ブラウン伯爵は舌なめずりをしながら、片眼鏡を拭いた。
 




