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1. ニセ勇者と女神様、出会う


 同時刻。


 とある異世界、【恒星ティアマト】にある女神の神殿。


 この世界では【女神八姉妹】が人々に平和と繁栄をもたらしていた。そしていま、神殿の祭壇に6人の女神が集まっている。


 彼女らはひとりずつ「転移魔法陣」に立って詠唱し、【勇者】を召喚していた。勇者は女神の祝福を受けて地上に降り立ち、【邪神】や【魔王】を倒す使命を背負うのだ。


「こ、ここは何処だ?」

「私は死んだはずじゃあ……?」


 召喚された者はみな、別の世界の住人である。彼らは困惑しつつも、担当の女神から説明を受けた。第二の人生を異世界で歩むと知った時の反応は様々だ。しかし彼らに選択権は無い。


 八姉妹の次女が高らかに叫んだ。


「よし、これで我々の勇者を全員召喚したな!」


 ひとりの勇者につき、ひとりの女神がサポートする決まりだ。しかし女神6人に対し、召喚された勇者は5人しかいなかった。


 三女がハンカチで鼻を塞ぎながら同意する。


「姉様、早く召喚の儀を終えましょう。私、桃の匂いが我慢できません」


 彼女が八女の女神【モモ】を指さした。モモは他の姉妹たちより一回り背が低く、未成熟な身体の幼い女神だ。年齢は100歳を超えているが、女神の中では赤ん坊と言っても過言ではない。白桃色の長い髪に、透明感のある衣装。身体のラインがはっきり見える。


 少女は緊張と恐怖で汗をかいていて、それが桃の香りの発生源であった。三女の嫌悪にまみれた視線を受けた彼女は、ぎゅっと服の裾を握り、下唇を噛んで俯いている。姉達の冷たい視線に必死に耐えているのだ。


 四女が同情的な声を上げる。


「ウチはモモを豆粒程度には認めるっす。引きこもっていた部屋からここまで来たんすよ。ちょっと見直したっす」


 しかしすぐに五女が反論した。


「…………馬鹿に勇者は…………いらない」


 そして七女が止めの一言を放つ。


「そもそも、モモは信者がゼロでしょう? 教義も魔力もない、クソの役にも立たない女神が勇者を召喚できるはずがありません」


 無慈悲な言葉がモモに次々と投げかけられる。


 それでも彼女がこの場から逃げ出さなかったのは理由があった。


 次女が両手を広げて皆を制する。


「モモがここで逃げ出す臆病者だったのなら、本当に見切りをつけていたところだ。『女神は全員、召喚の儀をおこなうべし』……我らの長姉ちょうし、主神ティアマトの命令だ」


 既にこの場にいる5人の女神は儀式を終え、それぞれの勇者を召喚している。欠席している六女は前日に終了していた。まだおこなっていないのは女神モモだけだ。


 次女が転移魔法陣を指さし、モモを睨む。


「たとえ魔力が無く、失敗するとわかっていても……命令ならば試さねばならん。勇者を召喚して、自らの弱さを覆してみろ」


「ガスマスク、つけていいですか?」


「モモちゃん、頑張るっす! 豆粒の意地を見せるっす!」


「…………成功の確率…………0%」


「ふん、さっさと失敗して終わりにしなさい」


 5人の視線を受けながら、モモは恐る恐る転移魔法陣に入った。両足が震えていて、その表情はいまにも泣く寸前である。


 彼女が儀式に失敗することは、誰の目にも明らかだった。


 少女は両手を握り、空っぽの魔力で必死に祈りを捧げる。


「……し、真理の中より真理を超え……われ、我らが人の子となりて、その身に新たな祝福を――」


 モモは健気にも、何度も詠唱を唱えていた。しかし転移魔法陣はうんともすんとも言わず、沈黙を保っている。


 ……彼女ひとりの詠唱が虚しく響き、儀式の祭壇は静まり返っていた。


 諦める様子の無いモモを見て、4人の姉妹が次女を見つめる。もういいだろ、という催促の視線だ。


 次女がため息をついて少女に近づく。


 儀式をやめさせようとしたその時。


 突如、転移魔法陣の中心で大爆発が起こった。



◆◇◆◇◆◇



 僕は装置の爆発に巻き込まれて死んだ。


 いや、正確には死ぬ寸前のようだ。朦朧としながらも意識が戻った。しかし手足の感覚がない。肺が熱い。目も見えず口もきけず、かろうじて生きていた耳だけで周囲の状況が把握できた。


 複数の女性の悲鳴や叫び声が聞こえる。


「おお、まさか転移魔法陣が発動したのか!」


「所詮はモモですね。召喚したのはどう見ても、黒くて大きなエリンギではありませんか」


「エリンギなんかじゃ……ガ、ガスマスク越しでも臭います! 焼けただれたようなこの異臭は人の……!」


「ひ、ひいいいっ! グロいっす! モザイクかけてモザイク!」


 黒くて大きなエリンギって僕のこと!? 今の僕はそんな惨状になっているのか。もう痛みすらないのが不幸中の幸いだ。


 しかし、確かに「転移魔法陣」と聞こえたぞ。……もしかして、実験に成功した? まさかな。きっと研究室の外にいた通行人の声だろう。あるいは天国への入り口で、彼女達は天使に違いない。それとも実は、転移魔法で本当に誘拐されたとか。


「…………違う…………発動していない」


 しかし、ひとりの女性が魔法の発動を否定する。その途端、周囲でざわめきが起こった。


「どういうことっすか? つまりこの人の子は【漂流者】っすか?」


「ふん、そういうことだろうと思いました。ならば即刻、処刑すべきです」


「神殿の空気が淀む前に消毒しましょう」


 物騒な言葉が飛び交い始める。やっぱり異世界転移装置は駄目じゃないかじっちゃん! 不法侵入者っぽい扱いされてるよ!


 そして処刑されるまでもなく、僕の命の灯が消えつつあった。段々と意識が薄れていく。さようなら木天蓼夢人またたびゆうと、来世では真っ当な祖父の下に産まれますように。


 ――誰かが僕を持ちあげる感覚がした。


「ソレをどうするつもりだ、モモ」


「……私の、勇者です」


 ひときわ幼い声が聞こえた。その子が僕を抱いているようだ。


「なんだと?」


「彼は、私が召喚した勇者です」


「出鱈目を言うな、ソレを置け。漂流者は処刑せねばならん」


「いいえ、人の子は私が助けます。彼が召喚したと言ったら、したんです!」


 次の瞬間、周囲から女性達の怒号や罵声が飛び交った。虐めかよ。


 完全に意識がシャットダウンする直前、「勇者」という単語が聞こえたことを思い出す。


 もし……かして……本当に……異世界に……?



◆◇◆◇◆◇



 歌が聞こえる。


 ゆっくりと目を開けると、ピンク色の髪をした少女が映った。


 彼女は片手に紙を持ち、もう片手で僕を抱きかかて歌を口ずさんでいた。心地よくて眠気を誘う。初めて聴いたがきっと子守歌だ。


 ピンク色の天井が視界に入る。ここは少女の部屋らしい。僕の体が小さくなってる? 彼女は誰? 転移じゃなくて実は天国では? 疑問がたくさん浮かんでは消えた。


 少女は目を覚ました僕に気づかない様子で、紙を見ながら一生懸命に歌っている。覗き見すると、知らない言語で歌詞のような文が書かれていた。


 とりあえず、体を動かしてみる。


 左手をあげると、茶色い毛むくじゃらの手が見えた。そして恐ろしい感覚に気づいた。僕の手には指がない。


 ……まさかこの体、僕の体じゃない!?


 想定外のことに驚いて、思わず体がびくっと跳ねる。その拍子に手が少女の胸に当たった。小さなふくらみだ。ちょっと揉んだかも。


 子守歌が止む。見上げると、少女が食い入るように僕を見つめていた。視線が合う。そして彼女の口から発せられたのは……


「――きゃあああっ!?」


『えぇ!?』


 悲鳴だった。なんで驚くの!? 僕をあやしていたよね!?


 混乱をよそに、少女はなんと僕を放り投げた。なすすべもなく壁にぶつかった僕は、ぼよよんと跳ね返って床に転がった。あれ、あまり痛くない。


 僕はぴょこっと立ちあがる。


 ……ぴょこ? 今へんな足音が聞こえたぞ。


 改めて自分の身体を確認すると、全身が茶色い毛糸に包まれていた。壁に掛かっていた鏡を見ると、そこにはぬいぐるみのクマが映っていた。身長は50センチに満たない。僕が右手を上げると、鏡の中のクマが左手を上げる。


 ま、まさか。呆然とする僕に向かって少女が叫ぶ。


「いきなり胸を揉んで、なんて破廉恥な人の子ですか! 変態の子です、変態の子!」


『すす、すみません。いまのは偶然です』


 彼女の声は聞き覚えがある。僕を勇者だと頑なに言い張っていた少女だ。どう考えても出まかせの発言だったことを覚えている。実際、勇者なんかじゃないし。


「もういいです、助けた私が馬鹿でした。早くぬいぐるみから出て行ってください。お気に入りなんですよ」


『えぇ……そもそも、僕はなぜぬいぐるみなんですか?』


「魂を一時的に器に入れただけです!」


『な、なるほど。ちなみに出て行ったら僕はどうなるんですか』


「もちろん死にます、人の子ですから」


『じゃあ嫌ですよ! また死にたくないです!』


 少女は頬をぷくっと膨らませて、怒り心頭の様子で僕を掴んで持ち上げる。手足をバタつかせて抵抗するが、所詮はぬいぐるみの体だ。少女は部屋の窓を開けると、僕を外へ投げ飛ばした。


 部屋の外に放り出されて気づく。ここは塔の上だった。僕はそのまま何百メートルも落下する。


『あぁあぁぁ――!』


 地面がどんどん近づいてくる! 悲鳴をあげるだけで何もできず、僕はそのまま大地に激突した。全身がねじれるような、緩い痛み。そして大きく跳ねた後、何度も地面をバウンドする。


 ……ぬいぐるみの体でよかった。


 とりあえず立ち上がり、怪我を確認。尻やお腹がちょっと破けて綿が飛び出ている。人間の体だったらグロ映像だ。手で綿を押し込んでおく。


 塔の周囲は森で覆われていた。やたらと桃の木が生えていることがわかる。少女は桃が好きなのだろうか。しかし木々に生気がない。空の暗さも相まってかなり怖い雰囲気だ。


「……これからどうしよう」


 ひとり呟いた僕に、背後から声をかける人物がいた。透き通るように美しく、心が安らぐ女性の声だ。


「――こんにちは、人の子よ」


 振り返ると、そこには光り輝く女性がいた。

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