126. 女神様、降臨する
大地を飲み込みあらゆる生命体を喰らう存在、アルバストール。雷門という壁一枚の向こう側はその恐るべき魔王に埋め尽くされつつあった。
まずは第七連合艦隊に合流だ。王子が乗船している旗艦は甲板が炎上していて、魔術士部隊が必死の消火活動を行なっている。
「スピカ、燃えてる船に降りて」
『りょーかい!』
「消火は任せてください。ウンディーネ!」
モモ様が水の精霊を召喚する。ウンディーネは甲板を一気に水浸しにして火を消した。あっという間の出来事に魔術士達がざわめく。
「今のは水の精霊か……? それにドラゴンまで引き連れてるぞ。一体どこの所属だ!?」
「皆さん落ち着いて。僕らは『アストロノーツ』、冒険者パーティーです。雷門防衛に加勢しにきました。指揮官はどなたですか?」
兵士の一人が笑顔を取り戻したような表情で敬礼する。
「噂に聞く『魔王殺しのマタタビ』でありましたか! 助力感謝いたします!」
「……みんな今の言葉聞いた!? 聞いたよね!?」
「あーはいはい。嬉しそうだなマタタビ」
そりゃ嬉しいよ、まともな方の二つ名が聞けたんだから。
「当艦隊の指揮官ティッキー王子は負傷により医務室におります。今は副官である私ムートが代理です」
「状況を教えてください」
「……芳しくありません。各艦隊の旗艦が賊の攻撃を受け中破、連合艦隊の総指揮をとっていた旗艦ゴライアス号は大破。いずれも通信が困難な状況にあります」
「ただでさえジリ貧なんだ。連携が取れないと突破されちまうぞ」
「現在は魔術士部隊による《念話》でかろうじて連携を保っていますが、どうしても遅れや混線が生じるので……既に士気が大きく低下しています」
「くすっ。わかりやすいピンチですね。勇者マタタビはどう切り抜けるおつもりですか?」
「……ケイトスさんは存命ですか」
副官ムートは残念そうに首を横に振り「不明です」と告げた。
ただでさえ真上に巨大な魔王がいるのだ。極限の緊張の最中に起きたトラブルで、大勢の兵士がショックを受けたに違いない。彼らの表情は絶望と疲労に飲み込まれている。
誰かが彼らを奮い立たせて指揮をとらなければ。議論や承認の時間すら惜しい状況だ。全兵士に《念話》を送り、この連合艦隊を再び一つにできる力を持った人物……。
僕が知っている限り、その両方をこなせるのは彼女だけ。
「――モモ様」
「何か思いつきましたか、勇者の子よ」
「総司令官をやりましょう」
「はい。――はい!?」
流石のモモ様も両目を見開いて硬直している。リトッチとアニヤがすぐさま異議を唱えた。
「いや流石に無理だろ、そもそもモモは人前で喋れないだろうが。とち狂ったか?」
「笑えない冗談です。控えめに言ってポンコツなこの女神に指揮ができるとは思えません」
二人の懸念もよくわかる。だけど僕には不思議と確信があった。
「やってくれますねモモ様」
「無理、無理ですマタタビ君。この場に何人いると思っているのですか」
「さあ、わかりません。70から80万人くらいですか? それは大した問題じゃありませんよ」
「大した問題です! だって私、私は引きこもりニートの――」
「モモ様はもう引きこもりでもニートでもありません。ずっと僕らと一緒に冒険してきたじゃないですか。それとも違うんですか?」
「ちち、違いません! 私はマタタビ君や皆と一緒にここまで……ここまで来たのです」
「モモ様にカリスマとか威厳とか、そんなのは無用です。ありのままで良いんです。モモ様の願いを届けてください。言ってたじゃないですか、100万人の信者が欲しいと」
「あれはその、実は成り行きで……」
「モモ様。見てください、この景色に映る兵士全てがモモ様の祈りを待っています。モモ様の助けが必要なんです」
少女は何千もの船団を見た後、恥ずかしそうに俯いた。その頭を撫でてリラックスさせる。
「いつも僕にしてくれることを、皆にもしてあげるだけです。何も怖くありません、ずっと僕が一緒です。だからやりましょうモモ様」
桃の香りが鼻をくすぐる。顔を上げたモモ様は穏やかな表情をしていた。
「……ええ。マタタビ君がそうしたいのなら。ですが私からもお願いがあります」
「なんですか?」
「手を握っていてください。私がくじけないように」
「もちろんです。僕はモモ様の勇者ですから」
少女の隣に立ち、彼女の小さな手を握り締める。その手はもう震えていない。
二人で船首まで歩く。船団がひしめく壮大な空、惑星ウェロペの風が僕らに吹き付ける。
「まずは兵士のパニックを鎮めましょう。モモ様ならどうします?」
「――私なら」
少女はすうっと息を吸い――
◆◇◆◇◆◇
旗艦ゴライアス号。
朦朧とした意識の中にいたケイトスの耳に優しい歌声が届く。
「――はっはは。ついに幻聴か」
これが走馬灯というやつに違いない。まさか俺にも感傷的な一面があったとはな。
その歌は、例えるならば夜明け前のそよ風。あるいは真夜中に咲く美しい花。あるいは胎内で闇に怯える赤子に捧げる子守歌。
「幻聴ではない……これは」
ケイトスは自分がうつ伏せに倒れている事に気づく。意識を覚醒させて、ここが瓦礫の中だと気づいた。
『人の子らよ、聞こえますか』
「う、うおおおー! 聞こえる、聞こえるぞ!」
その優しい声は自身を導いている気がした。声のする方向、すなわち瓦礫の隙間から暗闇を照らす一筋の光に手を伸ばす。
「俺はここだ! 俺はここにいるぞー!」
声を振り絞って叫ぶと、瓦礫の向こう側から部下が返答した。
「いた、いた! 総司令官だ! 早く助けろ!」
『まだ希望は失われていません』
『苦しく辛い時でも、残酷な運命に打ちのめされた後でも、今まさに魔王に蹂躙されるこの瞬間でさえ、人の子は手と手を取り、お互いを助け合う事ができる素晴らしい力を持っています』
瓦礫が少しずつ取り除かれていく。顔面煤だらけの部下達が手を伸ばしてケイトスの手を握る。
『誰かを助け、誰かに助けられる。そうして人の子は困難を打ち破るのです。今こそ魔王にその力を見せつける時なのです』
ケイトスは無事に部下達に引っ張り出された。甲板は見るも無残に破壊されていたが、部下が懸命に消化活動を続けている。
戦況を把握しようとしてふと気づいた。幼くも美しい少女の声は今もはっきりと耳に届いている。
『――人の子らよ、勇者の下へ集いなさい。そして彼と手を繋ぎ団結するのです』
「聞こえるかお前達。あの声が聞こえるか!」
「は、はい。先ほどからずっと……」
見れば周囲の兵士が一人また一人と祈りを捧げ始めていた。
「そうか。降臨なされたのだな」
世界が絶体絶命の危機に晒された時、女神が人々を導くという伝説はいくつも残されている。惑星級災害『プラネットウォーZ』の際も、最後に女神ティアマトが降臨したと記録に残っているのだ。
『――私は、八姉妹の末妹にして勇者マタタビの女神。人の子は私をこう呼びます。女神モモと』
ケイトスは怪我の痛みも忘れて大笑いした。腹の底から笑い、この戦争の勝利を確信した。それは彼なりに捧げる祈りであった。
◆◇◆◇◆◇
少女は喋り終わると汗を拭い、やり遂げた表情で僕に振り向いた。
「人の子らが落ち着くと良いのですが」
「むしろ戦意高揚で落ち着いてなんかいられませんよ」
お互いに笑って前を向く。何千という船団から歓声が上がったような錯覚に陥った。いやもしかしたら、風に乗って本当に歓声が聞こえたのかもしれない。
もう誰にも、女神でさえもモモ様を否定させない。彼女は女神だ。紛れもなく。
「モモ様は《念話》を維持してください。アニヤさんは防壁が破られる箇所を予知、リトッチは艦隊の配置を決定、僕が指示を出します」
「マタタビ君のためなら」
「人使いが荒いですね。嫌いではありませんが」
「了解だ。盛り上がって来たな」
これで指揮系統を建て直せるはずだ。後は連合艦隊の地力次第だろう。
とんとんと肩を叩かれたので振り返ると、スピカが指を咥えて僕を見つめていた。
「スピカはどうするの?」
「……超暴れてよし!」
「わーい!」
最後は彼女の『憑依覚醒』だ。皆びっくりするぞ。




