110. ニセ勇者と魔王の二人旅
旅行は好きだ。あらゆる景色が新鮮で、世界の広さと未知への探求心を感じることができる。
大自然に足を踏み入れた瞬間の、あの言いようもない感覚。僕はその世界の異物だと実感する。そしてその世界に調和しようとするかの如く、自分の血肉がゆっくりと馴染んでいく。その世界の一部となる。
ガラス張りの窓から眼下に広がる山脈を眺めていると、テーブルの正面に座っていたココが不満を口にした。
「さっきから代り映えの無い景色ばかり見てるじゃないか」
「いや全然違うよ。同じ景色はひとつだってない。あの谷の底に流れる川……ほらっ! ワニの群れだ。楽しいなあ」
「ふんっ! つまりボクとの食事は楽しくないって言いたいんだな」
おっと失礼だった。すぐに謝って食事を再開する。
「ごめんごめん、ココ君お薦めの料理は絶品だよ。それにこのお店、てっきり貴族しか入れないと思ってた」
「ボクは『二つ星』持ちだぞ。VIP待遇を受ける資格がある。キミも冒険者ギルドで申請すればすぐにS級になれるさ。飛び級でボクと同じ二つ星になれるかもね」
S級に興味は無かったけれど、これだけの特典があるのなら申請してみよう。
共栄圏内では議員と王族・貴族・商人・平民・奴隷の順で明らかな階級差がある。冒険者は平民扱いだから、貴族と同じ待遇のS級を誰もが目指すわけだ。
僕らはひときわ豪華な魔道帆船に乗り込み、都市ルカシノを目指していた。明日には到着予定である。
改めて周囲を見回す。船の最後尾区画にあるレストランは、壁一面がガラス張りで外の景色を一望できる高級店だ。入店しているのは貴族ばかり、それ以下の階級は窓の無い酒場に行くしかない。
賞金首探しはそれなりの苦労を覚悟していた。まさかこんな贅沢な旅行になるとは、S級冒険者様々である。
「たまにはこういう旅もいいね。ありがとうココ君」
「べ、別に。キミから感謝の言葉をもらったところで嬉しくないね」
「僕は嬉しいよ。だからありがとう」
彼はお礼に慣れていないのか、目を逸らして髪を弄ったり恥ずかしがったりと挙動不審になる。
「あ、あんまり調子に乗るなよ。目的は観光じゃなくてクエストだ」
「いやー、ぶっちゃけ僕とココ君でなら余裕で捕まえられるんじゃない? 一日で終わったりして」
「……ボクといるのがそんなに嫌か!?」
「えっなんで!?」
何故か急に怒り出すココ君。いまだに彼の沸点がわからない。
「ふんっ! いいよ、さっさと達成して帰りたいんだろ」
「いやそんな意味で言ったつもりじゃないよ。……じゃあ初日はルカシノを観光しながら調査するのはどう?」
彼はやれやれと肩を落すポーズ。大げさな仕草が好きだなあ。
「はぁ~~、仕方ないな。キミがどうしても観光したいなら付き合うけど」
「えっと、じゃあそういうことで」
その時、ココ君が小声で「よしっ」と呟いたのを聞き逃さなかった。どうやら彼も観光したかったらしい。普通に提案してくれればいいのに……。
食後の紅茶を飲みながら、賞金首のオトス兄弟について聞いてみる。
「ココ君は二人をどれくらい知ってるの?」
「それなりに有名だからある程度は。熱狂的な支持者も多いけどボクは嫌いだなあ。こいつらには欲が無い。要は正義感が先行しすぎた狂人だからね」
彼は知る限りの情報を共有させてくれた。
「むかしむかし、周囲から『あまり似ていない兄弟』と評されていた二人組がいた。思いやりがあるが引っ込み思案な兄と、勇敢だが粗暴すぎる弟。二人は互いの欠点を補うように支えあって暮らしていた」
「彼らが活動家へと転身したきっかけは故郷の森林破壊だ。幼い頃暮らしていた森は切り開かれて繁華街に生まれ変わった。その醜さを目の当たりにした二人は、王国の森を守るべく貴族連中にたてついた」
「最初は王族に談判したり平民を説いて支持を増やしたりと、それなりに真面目な活動だった。もちろん貴族にとっちゃ兄弟は目の上のたんこぶさ。盗賊を雇って襲撃させたり、無実の罪を着せて投獄したりと妨害した」
「森林破壊を止められず絶望した二人は、遂にテロ行為に傾倒するようになった。平民の中には彼らを『義賊』と呼ぶ者もいるけれど、何も得ずただ破壊するテロ活動にはとても共感できないよ」
一般的な盗賊は金や食料を奪い女子供を攫う。そのためには他者の命も奪う。もちろん許せる所業ではないが、人間の「欲望」という本能に従った行動だと考えれば理解は出来る。
オトス兄弟は盗賊とは決定的に違うのだ。ただ主張するために奪う。その行為に欲望は伴わず、人間の本能とは決定的にかけ離れているようにも思える。だからココは彼らを理解できないのかもしれない。
「正義感は怖いよマタタビ。兄弟は冒険者を貴族の手先だと断じているから、一切の躊躇なく殺そうとするはずだ。そんな彼らをキミは彼らを殺せるかい?」
ココの問いには答えずに窓の外を眺める。正直な話、兄弟の主張に対して少しだけ共感したからだ。
この美しい大自然を残したいという想い。果たしてそれを否定できるだろうか。
◆◇◆◇◆◇
深夜、都市ルカシノ。
オトス兄弟の弟エピテスは息を切らせながら裏路地を歩いていた。美しい金髪は血で汚れ、その顔には恐怖の表情が刻まれており、見るからに疲労して息も絶え絶えだ。左足のふくらはぎには矢が刺さっていて走ることもできない。
彼は何度も背後を見て追手の影を探す。その場に崩れ落ちそうになる度に自らを鼓舞し、足を引きずりながら必死に前へ進む。
ちくしょう、どうしてこんな事になったんだ。
この怪我は冒険者に負わされたのではない。敬愛していた兄オトスに射抜かれたのである。
彼が向かう先は冒険者ギルドだ。一刻も早く自首して人々に危険を知らせなければ。
失血で意識が朦朧とし始めたエピテスの脳内に若かりし兄の姿が浮かぶ。その笑顔を最後に見たのはいつだろうか。
王国の大自然を守るため、これまで何人もの貴族を殺害した。その行為に一片の後悔もない。しかし弟にとって、兄の新たな企みは決して超えてはならない一線だった。
兄貴はモンスターになってしまった。誰かが止めなければ。
裏路地から大通りに顔を出す。大勢の観光客に娼婦や酔っぱらいが行き来していた。兄の手下は見当たらない。冒険者ギルドは通りの向かいだ。門をくぐって彼らに全てを告白しよう。
エピテスが一歩踏み出したその瞬間、背後から風切り音が聞こえた。
彼の体はぐらりと揺らぎ、ゆっくりとうつぶせに倒れる。その背中には矢が深々と突き刺さっていた。
絶命したエピテスに気づいた娼婦が悲鳴をあげる。次々と集まってくる野次馬の一人が気づく。裏路地の奥で弓を構える長耳族の男。その冷たい瞳は瞬きするうちに闇夜へと消えた。




