92. ニセ勇者と女神様、第四の惑星へ
惑星ウェロペ。
南東星域で最も繁栄し、南方ウェロペ共栄圏の中心地と呼ぶべき星だ。その惑星はアトランテよりも一回り大きく、海よりも大陸の面積が広い。
僕は魔導帆船アルビオン号の船窓から惑星ウェロペを眺めた。今まさに、アトランテからウェロペへと渡っている最中なのだ。
「見てくださいマタタビ君、光がいっぱいあります」
隣で一緒に顔を押し付けていたモモ様が夜の大地を指さす。僕らが向かう先、ノーブレス王国の首都は明かりで埋め尽くされていた。
「他の惑星よりもかなり発展していますね」
背後呟くのはココ。彼はリトッチとチェスらしきゲームをしていた。
「当然だよ。ウェロペは【原初三惑星】に近いし、七つの惑星と頻繁に接触する貿易拠点だからね。世界でも数えるほどしかない『ハブ惑星』さ」
「リトッチは一度来たことがあるんでしたっけ」
彼女は真剣な表情で球状の盤面を睨んでいる。この世界のチェス盤は惑星を模しているのだ。
「……あ? あー、その時はグラティア帝国に滞在していたな。ノーブレス王国はよく知らん」
その二つの国はかつて何百年も戦争を続けていた二大国家だ。南方ウェロペ共栄圏という巨大連合を設立して争いを収め、今でも国交が続いているらしい。
惑星ウェロペには他にも三つの王国、三つの共和国、そして五つの都市国家が存在する。いずれの国もノーブレス王国とグラティア帝国のどちらかに属しているそうだ。
「皆様、紅茶をお入れしました」
ドゥメナが淹れてくれたノーブレス産の紅茶を飲んでいると、ベッドで寝ていたスピカが目を覚まし、寝ぼけ眼でモモ様の頭にかぶりついた。
「……むにゃ……ガブリ……」
「私は桃ではありません、竜の子よ。地上に降りたらマタタビ君がたくさん作ってくれます」
頭から血を流しても気にしないのは素直に凄い。悲しいかな、モモ様は噛まれることに完全に慣れてしまったようだ。
「なんやかんやで惑星ウェロペに渡れたのは幸いですね」
「王女様との『交渉』がうまくいって良かったぜ」
「交渉というかなんというか、あの出来事は一から十まで理解できませんでした」
――惑星ドラゴネスト調査団率いるアシュリア・カットラス。彼女と何があったのかは後で話そう。
結果だけ言うとモモ様の活躍で交渉が成立した。僕は何もしなかった、本当に何も。
「スピカ、アシュリア嫌い」
彼女が頬を膨らませる。親子で誘拐されたから当然か。
「『スピカをノーブレス王国に招待する』。竜族を解放する条件としては破格でしたね」
ココがちっちっちと指を振る。
「マタタビは物の価値が分かってないなあ。スピカは確認されている唯一の竜人族だ。彼女の頭から爪の先まで価値がある。何なら彼女の涎さえ欲しがる人間がいるはずだ」
「えぇ?」
流石に涎は価値ないよね……?
モモ様が自身の頭についた涎を必死にかき集めていた。思わず叩く。
「あいたっ」
「こらっ。はしたないですよモモ様」
「逆に考えましょうマタタビ君。私が噛みつかれるのはこのためにあるのだと」
「自分で言ってて悲しくならないんです?」
少女は心に傷を負って突っ伏した。
「スピカ、アシュリアと約束した。もうお父さんに手を出させないって。あとたくさんご飯食べさせてくれるって」
「キミ自身が食材になる可能性が高いんだけどなあ」
「ま、罠だと分かればとんずらしようぜ。冒険者ギルドなら他の国にもあるし、滞在する理由はないだろ」
「いいえあります」
モモ様が胸を張って宣言した。
「マタタビ君の肩書をフルに活用して、モモ教の布教を進めます。私を崇める信者をたくさん増やして異教徒を駆逐しますよ」
実は魔王を討伐した僕に、イワト王国の冒険者ギルドから正式な二つ名が送られたんだった。その名も……。
「ああ、女装癖のマタタビか」
「いやそっちじゃないです! 『魔王殺し』の方です!」
「マタタビ凄い。お母さんも『魔王を倒すのは勇者でも難しい』って言ってた」
「ふん。ボクは全然相応しくない二つ名だと思うけどなあ。結局どの魔王も殺せてないじゃないか。欲王も死霊王もお情けで退いただけだし、嵐王は星核に突き落としただけだろう?」
難色を示すココの肩を、モモ様が笑顔で揉んだ。
「魔王の復讐を心配しているのですね、人の子よ。でも安心してください、一度敵対した魔王はすっかり姿を見せていません。きっとマタタビ君に恐れをなしたのでしょう」
モモ様が皆の前で欲王ココペリ戦を解説し始める。明らかに盛りまくった話に喰いつくのはスピカだけであった。
気のせいだろうか、ココの肩がぷるぷる震えている。
ひとしきり欲王をこけおろしたモモ様はテーブルの上に立ち、高らかに宣言した。
「現時点で私の信者は約20万人。惑星ウェロペではその倍の40万人まで増やしてみせます!」
「これまた大きくでましたね」
「やっぱり望みは高く持つべきだと思いませんか、マタタビ君」
モモ様は具体的な策なんてなさそうだし、手伝う契約をした僕が頑張らなきゃいけないんだよな。
とはいえ別にペナルティもないし、大きな目標を持つのは良いことだと思う。
「ゆくゆくは地球のキリスト教に並んでみせます」
「おこがましいぞ恥を知れ」
「マタタビ君!?」
「地球人の三人に一人がキリスト教なんですよ。もう少し謙虚になってください」
「モモの信者がそこまで増えたら世も末って感じだぜ」
「わ、私は諦めてませんよ。マタタビ君をこの世界のキリストにしてみせます」
「それって僕が処刑されるってことですか?」
「大丈夫です、私が復活させます。キリストは三日で復活させられましたが、私なら二日で復活させてみせます」
「変なとこで対抗しないでください」
「むしろマタタビ君は二度転生しているので、既に二キリスト分の箔がついてます。次の処刑で三キリストですよ」
「なにその単位!?」
リトッチが思い出したように手を叩く。
「アタシ聞いたことあるぜ、そのキリスト教とかいうの」
「本当ですか?」
「ああ、だけどあっという間に廃れたなあ。理由は知らないが」
女神に選抜された勇者がキリスト教を布教するはずがないし、きっと地球から流れ着いた漂流者が広めたのかもしれない。女神が漂流者を敵視するのも無理ないか。
ココが鼻で笑いながらその理由を説明する。
「チキュウ人は感性がおかしいんだよ。二千年も姿を見せない神様を信仰するなんてね」
そう、この世界では女神が実際に降臨することもある。その存在が認知されているのだ。いるかもわからない神様を信仰するという感覚がわからないのだろう。
「アタシはむしろ逆だと思うぜ」
リトッチが反論を述べる。
「姿を見せた事が一度もないんだろ? どうせ地球の神様は全能で非の打ちどころが無いって期待してるのさ。もし実物を見りゃがっかりするだろうよ」
「なるほど、立派な前例もありますからね」
一同でモモ様を見つめるが、当の本人は首を傾げてさっぱり理解できていなかった。
崇めていた神様がポンのコツだとは誰も思いたくないもんな。
「まあキリスト教は言い過ぎですが、モモ様の意気込みは伝わりました。僕も頑張りますよ」
「はい、頼りにしていますよマタタビ君。もし40万人まで増えれば、彼らからもらったポイントでパーッとお祝いしましょう」
「絶対信者には聞かせたくない言葉だな」
「スピカ、お肉食べたい!」
「女神ってこんなに欲にまみれていたのか。見返りをくれる邪神教の方がマトモじゃないか?」
「やめてくださいココ君、一瞬でも同意してしまいそうです」
こうして惑星ウェロペにおける目標が決まったわけだ。
幸いなことにノーブレス王国は国教が指定されておらず、食い込むチャンスはある。国民の人柄によっては真面目に布教できるかもしれない。いきなり20万人とは言わずとも、草の根活動で少しずつ増やしていこう。
などと楽観的に構えつつ、僕は眼下の惑星ウェロペを見下ろした。
「アストロノーツ」の新しい旅が始まったのだ。




