9. ニセ勇者と魔術士、仲良くなる
日が暮れて夜になった。
僕と魔術士は双毒蠍の毒腺を剥ぎ取ってリュックに詰めた。毒針の片方は獲物を痺れさせる麻痺毒で、もう片方は竜族にも効く猛毒らしい。これらの素材は行商人が高く買い取ってくれるとのこと。
ふたりで剥ぎ取っている間、僕は彼女の名前を聞くことに成功した。
「僕はマタタビと言います。勇者です」
「アタシはリトッチ、魔術士だ」
『私は女神モモです、人の子よ。貴方が望めば私から祝福を――』
「あーはいはい。そういう設定だな」
『ですから設定ではありません』
「確か女神には、《天啓》とかいう魔法があるって聞いたな。空をパーッて明るくして、ありがたいお告げをくれるやつ。知ってるか?」
『もちろん私にもできますよ』
「じゃあやってみて」
『…………』
長い沈黙の後、女神は絞り出すような声で返答した。
『命拾いしましたね、信仰ポイントが足りないようです』
「……信仰ポイントって何だ?」
知らない方が良いよリトッチ。
「ていうか、モモ様は聖剣から出て顔を見せてくださいよ。それが何よりの証拠になるじゃないですか」
『嫌です』
「なんでですか」
『……人の子を見ると緊張してしまって』
「まさかの人見知り!?」
僕に対してはそんな素振りを見せなかったのに。もしかして僕は人として見られていなかったのか? リトッチはにやけ面で僕たちを見ている。完全に舐められていた。
勇者として信じてもらえないのも仕方がない、僕だって信じたくはなかった。女神モモが結構ポンコツであることを。
「大体、女神モモって聞いたことないな。他の姉妹の妹なのか?」
『あの方々の話はしたくありません』
女神は『ふんだっ』とあからさまに不機嫌な態度を見せて、黙ってしまった。リトッチは「付き合うのも大変だな」と僕を慰めつつアドバイスをくれた。
「勇者や女神を名乗るのは、もっと下積みを積んでからにした方がいい。勇者は詐欺に遭いやすいし、女神を冒涜してるって刺しにくる奴もいるからな」
「それは嫌ですね。肝に銘じておきます」
リトッチが箒にまたがり、空いた後部座席を叩く。
「ほら、こっちに早く乗れ。砂漠地帯を抜けよう」
「よ、よろしくお願いします」
一礼してリトッチの後ろに乗る。抱きつくように両腕を彼女のお腹に回す。空を飛ぶ緊張と女性に密着する緊張の両方が襲ってきて、心臓が高鳴る。
女神モモに同じことをしても緊張しないのになあ。
「《飛翔》」
彼女が魔術を発動すると、箒がふわりと浮いてゆっくり前へ進みながら高度を上げる。浮遊感と全身に吹く風が心地よい。見下ろすと、砂上をうろついていたスティンガーがぐんぐん小さくなっていく。
あっという間に百メートルほど高度を上げた後、一定の速度を保ちつつ前進した。
「都市国家ジュラに向かっているんですか?」
「そうだ。……お前、本当に異世界から来たのか?」
「僕の出身は地球で……えっと、あのあたりにある星に住んでました」
夜の闇に浮かぶ星々の一点を指さし、転生したことを簡単に説明する。彼女はとても興味を持ってくれたようで、「星の地形は? どんな国があるんだ? 生活は?」と矢継ぎ早に聞いてきた。
僕は覚えている限り、地球に関することを説明した。
リトッチは興奮していたが、他に人が住める惑星が無いと知ってトーンダウンした。
「作り話じゃなさそうだ。普通ならもっとマシな嘘をつく。しかしお前は勇者じゃない……ってことは漂流者か?」
一気に汗が噴き出す。なぜなら地上の人々は「漂流者」を悪しき存在として認知しているからだ。女神がご丁寧に教義として広めているらしい。僕の緊張を悟ったのか、リトッチはすぐに言葉を続けた。
「心配するな、アタシはどの女神も崇拝してないから漂流者でも気にしない」
ほっと一息。でもここは否定しとこ。
「僕を漂流者だと言う人も確かにいますね。でも僕は勇者マ……」
「アタシは本物の勇者の弟子だったんぜ」
黙る。ぐうの音も出ないほど完全にバレてるようだ。リトッチは僕を小馬鹿にしたように笑いながら話を続ける。
「それにしても、魔術がないっていうのはアタシ達じゃ考えもしないなあ。惑星チキュウか……独りぼっちの惑星は寂しそうだ」
「そう、ですね。だから地球の人達は宇宙を目指しています。他の人類に会うために」
そういえば、この世界の人達は他の星へどうやって行くんだ? 宇宙船があるのだろうか。宇宙飛行士になって、色んな星へ行ってみるのもありだな。
リトッチに尋ねると「女神から聞いてないのか?」と返された。女神モモが勿体ぶっていると答えると、彼女は笑って「私でもそうするよ」と言った。
「砂漠地帯は抜けたから、今日は寝よう。星の渡り方は明日話してやる」
箒の高度がゆっくり下がり、地上へ降りた。見渡すとそこは岩だらけの荒野だった。僕たちは岩陰に隠れて風をしのぎつつ、簡易テントを設営する。
少しはゆっくり休めるだろう。
◆◇◆◇◆◇
暗い夜、強い風が吹いている。床に置いたランタンの火が揺れる中、僕らは干し肉を食べていた。 この惑星に生息する二足小竜の肉らしい。固いが塩味がきいている。
バタバタとテントが揺れる中、僕はリトッチの悩みを聞くことにした。
「よければ話してくれませんか。力になれるかもしれません」
「あーそれな。アタシだけの問題だから、首を突っ込まなくてもいいよ」
彼女は協力を断るが、その表情からは明らかに迷っている印象を受けた。
『何らかの呪いをかけられていますね』
「……っ」
壁に立てかけた聖剣の中から、女神モモがズバリ言い当てる。リトッチは観念したように事情を説明し始めた。
「この惑星に来てすぐに、竜から呪いをもらっちまったんだ」
彼女はおもむろにマントと上着を脱いで肌着姿になった。一瞬ドキリとするが、すぐに異常に気付く。露わになった肌の腕や背中、胸には黒いムカデ模様の痣があった。
『百足病ですね』
「よく知っているな」
『百足病は回復魔術では治らない邪神起源の呪いです。最初に呪いを掛けられた対象が宿主となり、周囲に呪いをばらまくのが特徴です』
「邪神起源……厄介そうですね」
「この呪いは宿主が死ねば解ける。アタシに呪いをうつした竜は二次感染したやつだった。呪いをばら撒いている宿主は今も見つかっていない」
「進行を遅らせることはできないのですか?」
「女神に祝福された聖水が必要だ。この惑星では聖水は常に品不足かつ高額。少なくとも竜の素材と交換か、相当の額を積まないと手に入らない」
ムカデの模様が頭部に到達すれば、脳を喰らいつくされて死ぬ。闇医者から告げられた余命は、残り一週間程度らしい。
「ま、何とかなるさ」
冷静に振舞っているが、リトッチの声は少し震えていた。
「モモ様。聖水を作ることはできますか?」
『1日分の信仰ポイントがあれば可能です』
呪いを解くことはできないが、聖水があればしばらくは大丈夫のはずだ。
「だったら魔力を供給しますね」
僕は聖剣の前で跪いて両手を合わせる。
「うおおおおお、信仰ぉ~~!」
今は女神モモへの信仰心が底辺に落ちている。こうして気合を入れて祈らないと魔力を捧げることができないのだ。
『お、お、増えてます増えてます、あとちょっとですマタタビ君!』
「ふんぬ~~!」
僕らのやり取りを見ていたリトッチはポカンとしていたが、すぐに噴き出した。
「ぷっ。あはははははっ!」
「笑いごとじゃありませんよ!」
『笑いごとじゃありませんよ!』
◆◇◆◇◆◇
今日は不思議な一日だった。勇者を名乗る少年。チキュウという未知の惑星。そして女神……を自称する魔剣。
魔力を供給して疲れ果てたのか、マタタビは力尽きて寝てしまった。モモとやらも「聖水は明日作ります」と言って静かになる。意志を持つ魔剣は聞いたことがあるので、モモに対して驚きはない。女神だという戯言は全く信じていないが。
アタシも疲れたので寝よう。周囲に感知魔術をいくつか仕掛けておく。マタタビの隣に横たわって彼の寝顔を見る。
よく見ると、こいつは中性的で美しい顔立ちだ。長耳族を思わせる。しかし長い耳などの特徴は全く見られない。人族のハーフなのは間違いないが……
顔を近づけてジーっと見つめる。びっくりするほど無防備だ。こんなんでよく勇者を名乗れるな。
……焦りはあったが、こいつの前では冷静でいるつもりだ。多少は格好つけておきたいという、奇妙な感情を認めなきゃな。
寝息を立てて眠っている少年から目を逸らし、アタシも目を閉じた。
◆◇◆◇◆◇
「……がっ……げっ……」
誰かが苦しんでいる声がして、僕は目を覚ました。顔を横へ向けると、リトッチが首を掻きむしりながらもがいている姿が目に映る。
「――モモ様!」
聖剣に叫ぶと同時に飛び起きて、リトッチの体を揺さぶった。
「リトッチさん、大丈夫ですか!?」
彼女は目を見開いて苦悶の表情を浮かべていた。顔が真っ青だ。掻きむしっている首回りを見ると、ムカデ模様の痣が巻き付いていた。咄嗟に触れようと手を伸ばす。しかしリトッチが僕の手を掴んで阻止する。彼女は必死に首を横に振っていた。
『触れてはいけませんマタタビ君。痣に触れたら感染します。それが狙いです』
女神モモが聖剣から飛び出してくる。
「聖水ができました。マタタビ君は下がって」
ムカデの頭が、僕らを嘲笑うかのように揺れている。嗤っているつもりか。
「ぐっ……ぎぃ……」
リトッチがぐったりと項垂れる。気絶してしまったのか? その隙に、ムカデが首から頭へ移動しようとする。
女神モモの左手が躊躇なく痣に触れて掴まえた。ジュウッという何かが焼け焦げる音がした。彼女は暴れているムカデを離さず、右手に持っていた小瓶の蓋を開ける。
「起きていますか、人の子よ」
「あ……う……」
「聖水です。飲んでください」
瓶の中の液体をリトッチの口に流し込む。彼女がごくんと飲み込むと、ムカデが痙攣したように震えて慌てて逃げ回る。その頭は最終的に左腕に逃げた。リトッチの顔色が良くなる。彼女は目を閉じ、すぅすぅと吐息を漏らした。今度こそ気を失ってしまったようだ。
「これでしばらくは大丈夫です。……っ」
女神モモが歯を食いしばって左手を抑える。僕は慌てて水と包帯を取り出した。
「見せてください、モモ様」
「すみません。お願いします」
掌が火傷を負ったように腫れている。水を掛けて冷やした後、包帯を巻いた。
「今度から回復魔術を覚えるべきですね。桃食べます?」
「いだたきます」
気を紛らわすため、彼女に桃を渡しておく。
「この類の呪いは、たとえ半神族でも触れてしまえば感染します。女神は感染しませんが、魔法防壁を張らないと怪我を負ってしまうのです」
女神モモは桃を食べながら、別の小瓶を僕に渡した。
「残りのポイントを全部使ってもう1個作っておきました。この怪我は自然治癒で治しますから心配いりません」
「無茶しすぎです。自分のための信仰ポイントを残してください」
「今度からそうします」
女神フレイヤがあれだけ心配していたのも納得がいく。魔力がなければ女神といえど無力なのだ。
僕は眠ったリトッチの汗をぬぐいつつ、今後のことを考える。
――呪いの宿主を殺さない限り、解けない。
「モモ様。宿主を探すことはできますか?」
「根気が必要ですよ」
「僕はリトッチさんの呪いを解きたいです」
勇者としての義務じゃない。僕自身が助けたいと思ったからだ。旅は道連れ、夜は情け。人を助けない旅は旅じゃない。
「それがマタタビ君のやりたいことなら、私は止めません」
女神モモが僕の頭を撫でる。やめてくれ、こう見えても僕は大人だぞ。100歳越えだぞ。
「肉体は13歳ですから、精神年齢も引っ張られていますね」
「それはモモ様もです。早くナイスバディな体になってください」
僕は彼女に首を絞められて苦しんだ。
◆◇◆◇◆◇
リトッチが目を覚ますのを待っていると、大地が振動した。何かの衝撃だ。
偵察のためにテントから顔を出す。ここは荒野地帯だ。岩の影に隠れた場所のため、高いところに登らないと辺りを見回せない。
再び振動。そして……爆発音? なにかやばい感じがする。聖剣を手に取ると、リトッチを看病していた女神モモも立ち上がった。
「ひとりでは危ないです。私も行きましょう」
「わかりました。念のため魔石の中に」
彼女は頷いて魔石の中に避難した。聖剣を腰に差して岩を登る。
そして岩の頂上に手を掛けたその時。
――轟音と共に、巨大な竜が僕らの頭上を通過したのだった。




