91. 女神の信者:203,771人
いつの間にか眠っていたようだ。あれから何時間経ったのだろう?
ぼんやりと目を開けると、そこにいるはずのない人物が僕を覗き込んでいた。
「――ティアマト様?」
どうして貴方様がいるんですか?
「お久しぶりですね、人の子よ」
相変わらず笑顔が眩しいです。
僕は惑星ドラゴネストの地上にいた。もう嵐は消えていて、暖かい日差しがうぶ毛を照らす。
これは夢なのだろうか。陽炎のように揺らめき、反射光のように輝く女神様の髪がとても幻想的で、この光景が死ぬ直前の走馬灯にも思えてくる。
「ふふっ。走馬灯ではありませんよ、マタタビ君」
「ど、どうしてティアマト様がここに?」
女神様は唇に人差し指を当てて微笑む。
「皆には内緒ですよ?」
そう言ってウインクする女神様の美しさに見惚れてしまい、顔が熱くなる。これはむしろ死んで良いのでは? 死ぬ前のご褒美と言って差し支えないのでは?
「実はマタタビ君の魔王討伐を祝福しに来たのです。頑張ったで賞です」
「あ、ありがとうございます」
「モモちゃんも自慢の勇者だと喜びますよ」
「……ということはもしかして、僕を勇者だと正式に認めてくれたりするんですか」
「えっ?」
「えっ?」
「そ、それは……ファイトですっ」
「本当に頑張ったで賞だけ!?」
てっきりご褒美をくれるのかと期待してしまった。嬉しい反面、やや残念な気持ちも抱いてしまう。
僕の態度に気づいた女神様がおろおろと困った表情を見せるが、すぐに何かを思いつき、地面に咲く花をひと掴み。よいしょよいよしょと奇麗な花冠を作り、僕の頭に乗せる。
「はい、凄く頑張ったで賞ですっ」
「家宝にします!」
違うそうじゃないけど、もういいや!
気づけば不毛の大地には新たな命、無数の草木が芽吹き始めていた。
「嵐が消え、私の祝福が届くようになりました。この惑星は時と共に回復してゆくでしょう。マタタビ君の勇気がこの星を救ったのです」
勿体ないお言葉です。一面に広がる新芽の野原が穏やかな風に揺れた。
「きっと海竜マギナの一族も喜びます。モモ様にお会いになられますか?」
「いいえ。あの子とはまたいずれ、別の場でお話しします」
どうやらすぐに帰ってしまうらしい。
「これからも女神と勇者に幸がありますように」
女神ティアマトは僕の額にキスをする。瞬きする内に全身の傷が癒えた。まるで痛みという概念すら消えてなくなったように体が軽くなる。
「ありがとうございます。ティアマト様もお元気で」
「繰り返しますが、他の女神には内緒ですよ?」
「もちろんです。……そうだ、ひとつお尋ねして良いでしょうか」
左腕の袖をめくる。女神様に傷を癒してもらったというのに痣が消えていない。リトッチを勝手に突き飛ばした件もある。これがだんだん怖くなってきたのだ。
「この痣なんですけど治せませんか?」
女神様は痣を一瞥し、笑顔のままでこう告げた。
「ふふっ。何も問題はありませんよ」
……そっか。女神ティアマトがそう言うのなら本当に問題ないんだろう。なんだかすっきりしないけど。
女神様は最後に軽く手を振って、《転移》で恒星ティアマトへと帰っていく。
結局、一人取り残されてしまったか。野原に体を預けて惑星アトランテを見上げる。既に星の口づけは終わり星同士が離れていた。
あれだけの数の竜族が星を渡ったのだ。惑星アトランテにも何か変化が無いかと観察してみる。当たり前だが雲の変化くらいしかわからなかった。
あちら側からは、この惑星ドラゴネストはどう映っているのだろう?
海の星を眺めていると、海上の一点がキラリと虹色に輝いた。虹の橋の光だ。この距離でも届くっていいなあ。
「あー、モモ様に凄く叱られそう」
幼き女神様の様子が目に浮かぶ。いっぱい怒られて、いっぱい泣かれるはずだ。
どうやって少女をなだめようかぼんやり考えながら、僕は虹の光が舞い降りるのを待った。
◆◇◆◇◆◇
後日談。
虹の橋で救出され惑星アトランテに帰還した後、当然ながらモモ様にしこたま叱られた。彼女はわんわん泣いたり、ポカポカ頭を叩いてきたりと感情を爆発させていたが、一晩中謝ったら何とか許してくれた。
リトッチは両手に包帯をぐるぐる巻いていた。《事象ノ地平線》を発動した代償として魔力回路が傷ついたらしく、しばらくは治療に専念するそうだ。本人は包帯巻きも格好良いと呑気なものだったが、彼女を妨害した僕のせいでもある。出来るだけ治療は手伝いたい。
ココは嵐王ズムハァの顛末を聞くと神妙な顔をしたが、すぐに悪い笑顔を浮かべて僕を祝福した。「アストロノーツ」には加わっていないものの、今後も僕らについてくるらしい。やっぱり加入したいのかな……?
海竜マギナの一族は、数ヶ月ほど「海獣王国の跡地」を生息域にすることを決めた。その後は惑星ゴルドーへ移住し、地竜アダマの一族の生き残りと合流するそうだ。惑星ゴルドーは竜族と交流していた都市国家ジュラにギジャ部族連合がいる。彼らなら上手くやってくれるだろう。
全ての問題が解決したわけじゃない。ドラゴネスト調査団に攫われた蒼火竜バザルは今も囚われの身だ。調査団はイワト王国へ寄港し、惑星ウェロペが接触するのを待っている。
というわけで「浮き港」の宿屋で作戦会議だ。僕、モモ様、リトッチ、ココ、ドゥメナ、そしてスピカがテーブルを囲んでいる。スピカは自分の父親が捕らわれているだけに終始落ち着かない様子だ。
「マタタビ君、私から意見があります」
「はいモモ様」
「私の信者を率いて囲みましょう」
「はい却下」
「見てください私の信者の数を、今や20万と3771人です」
モモ様がこれみよがしにポイントカードを掲げた。女神モモ教が布教されているのは喜ばしい限りである。竜族の信者が増えたことで魔力の蓄積量も跳ねあがっているのだが。
「皆で女神モモ教の素晴らしさを彼らに説くのです。所詮は女神フレイヤ教、色狂いの異教徒など簡単に改宗できます」
「余計に却下、信者を何だと思ってるんですか」
「くくくっ、面白そうだからアタシは賛成だ」
「リトッチも煽らないでください、本気にしてしまいます」
「信者に頼るというのならボクも提案がある」
「はいココ君」
「アルビオン号の船夫はモモ教信者の小鬼族だ。あいつらにクーデターを起こさせよう」
「はい却下」
「この方法が一番楽だと思うけどなあ」
確かに船夫の小鬼族に反乱を起こさせ、混乱に乗じて救出する方法はある。けれど間違いなく小鬼族の多くが犠牲になるし、最悪彼ら全員の首が刎ねられるだろう。
「スピカもいい?」
「はいスピカ」
「真っ直ぐどーんして、悪い人ばーんってして、お父さんむぎゅってする」
「はい却下」
つまり正面から突入しようってことだろうけど、割と一番物騒な提案だった。出来れば血は流したくないんだけど。
「だったらマタタビ、お前も何か提案しろよ」
「僕はもちろん、彼らと話し合いの場を」
「却下です」
「却下だ馬鹿」
「やだ!」
三人娘が声を揃えて一蹴した。スピカですらあんまり良い顔をしていない。みんな血気盛んですね、はい。
「女神フレイヤ教の信者と会話するだけ無駄です」
「酷い物言いですね」
「やられっぱなしじゃ癪だろ、あいつらぶん殴ろうぜ」
「暴れたいだけでは?」
「悪い人は食べていい人ってお母さんも言ってた!」
「どんな教育してるの香菜さん!?」
ココがやれやれといった表情でドゥメナの肩を叩く。すると置物のように固まっていた従者がすっと手を挙げた。眼鏡がキラリと光り、やけに自信満々のように見える。
「はいドゥメナさん」
「では今の案を全て試してみたらいかがでしょうか」
「……ええ?」
つまり女神モモ教信者で船を囲み、小鬼族にクーデターを起こさせ、正面から乗り込み、話し合いの場を設ける?
「――確かに、ありですね」
こんな馬鹿な案を受け入れるあたり、僕も大分毒されている気がする。でも実際、有利な状況を作ってから交渉のテーブルにつくのは悪くない。ぶっちゃけ脅迫みたいなものだけど。
「異論のある人はいませんか?」
全員やる気満々な表情だ。となれば後は野となれ山となれである。
「それじゃ、次のミッションは蒼火竜バザル救出作戦です。えい、えい、おー!」
「「「えい、えい、おー!」」」
魔王を一人倒したからといって旅が終わるわけじゃない。
もっと信者を増やし、もっと勇者として名声を高めていこう。
その果てに何が待ち受けていようと、止まるわけにはいかないんだ。
そんなこんなで冒険は続く。




