87. VS嵐王ズムハァ①
「ゴリマー、お父さんやマタタビは?」
ゴリマーはベッドの脇に座り、少女をなだめようとゆっくり話し始めた。
「君のお父さんは船倉にいるよ。大丈夫、今は眠っている」
「皆、お父さんや私に酷い事した。どうして? ゴリマーは良い人じゃなかったの?」
スピカにとって「良い人」と「悪い人」の区別は単純だ。だからこそ「良い人」だったはずの調査団の蛮行が理解できない。
ゴリマーは彼女を出来るだけ傷つけないようにと慎重に言葉を選んだ。
「君とお父さんは保護されたんだよ」
「ほご?」
「この惑星は危険だから、できるだけ多くの竜族を連れて帰るんだ」
しかし彼の稚拙な言い訳は、子供のスピカでも容易に看破できた。少女は自分が騙されていると気づき、悔しさと悲しさをにじませながら叫ぶ。
「嘘つきっ! ゴリマー、嘘をつく時のお母さんと同じ!」
「ウホッ……」
嫌な役目を引き受けてしまったと後悔し、ゴリマーは頬を掻いた。もし船の中で暴れられたら大惨事が起こるのは間違いない。
何か別の言い訳はないかと模索したその時、部屋の壁が音を立てて剥がされた。むき出しの船外から猛烈な風が吹き込んでくる。
そして部屋の中に、六枚翼の鳥人族が降り立った。
ゴリマーは彼を知っている。正しくは、南方ウェロペ共栄圏の人間は誰もが知っている。共栄圏を脅かし続ける恐ろしき魔王の一人。
序列5位、嵐王ズムハァ。
「――逃がさんぞ、カナリア」
死を覚悟したゴリマーだが、猿人族の母性本能が体を動かした。スピカを庇うようにズムハァの前に立つ。
魔王はその剛腕でゴリマーの首を掴み、軽々と持ち上げた。
「邪魔立てするか」
「が……げ……」
魔王の全身に呪いの入れ墨が刻まれている。その一部が動き出し、腕を通じてゴリマーの体に侵入した。彼は苦しみ暴れるが、魔王はビクともせず不動の体勢を崩さない。
「ス、ピカ……逃げ……」
「立ちふさがる者は殺す。全員、殺す」
「やめてー!」
スピカが全身に力を込めて体当たりする。さしもの魔王も、竜人族の渾身の一撃で吹き飛ばされゴリマーを離した。
「ゴリマー、ゴリマー!」
「……触ったら……駄目だよ」
倒れたゴリマーを揺するスピカ。その背後に魔王が迫った時、部屋の扉が開いて勇者カタルが飛び込んできた。
「覚悟だ魔王っ!」
ズムハァは背中の翼を一枚もぎ取り、剣のように振るってカタルの斬撃を防ぐ。
「貴様、別の勇者か」
「そうだ。俺はお前達を倒すために力をつけてきた。ここで証明させてもらう」
「ならば全力を見せてみろ。そして殺す」
「もちろん見せるさ。だけど死ぬのはお前だ!」
鍔迫り合いをしながら二人は船外へ飛び出した。スピカが慌てて穴に駆け寄ると、二人が吹きすさぶ嵐の中へ消えるのを見た。
少女は思いがけず、逃げ出すチャンスを得たと気づく。船から飛び降りれば地底世界へ帰れるかもしれない。しかし父は捕らわれの身だ。
「危険だ、そこから離れなさいスピカ」
声を掛けられて振り返る。そこには長耳族の女性がいた。彼女は凛々しくも笑みを浮かべ、ゆっくりスピカに近づいて来る。
「さあ、私の手を取って」
「……貴方、悪い人。そうでしょ」
「いいや違う、私は君のお母さんの友人だ。君を助けたいんだ」
スピカはその目を見て確信する。この人は悪い人だと。
「嘘つき」
少女は覚悟を決め、船外へその身を投げた。
「待て、行くな!」
スピカは風に煽られながら落ちる。あっという間に雲が視界を覆う。
ごめんなさいお父さん。でもすぐに助けに戻るから。
◆◇◆◇◆◇
吹きすさぶ嵐の渦中で、勇者カタルと嵐王ズムハァは幾度となく刃を交えた。
「この嵐に飛び込むとは愚かな人間だ」
「舐めるなよ魔王!」
魔王を倒せなければ、邪神討伐など夢のまた夢だ。そのために備えは十分すぎるほどしたつもりだ。
カタルが手に持つ神器は「ダインスレイヴ」と「テイルフィング」である。テイルフィングはかつて惑星【ヴールカー】にあった炭鉱族の王国で鍛えられた魔剣だ。
更に彼は剣技《三極の型》を発動。剣技においてもズムハァを圧倒し、その体に無数の傷を負わせた。
しかしズムハァは意にも介さない。
傷ついた体は《完全耐性》によってすぐさま治癒するため、致命傷に至らないのだ。
そしてズムハァが持つ翼には呪いが染み込んでいる。かすっただけでも対象に呪いをかけることのできる恐ろしい武器だ。
魔王はただの一撃を勇者に当てさえすれば良い。
そして二人の勝敗を分ける決定的な差がひとつ。
「愚かだと言ったはずだ。この嵐は俺の分身だぞ」
「……っ!」
天より稲妻が落ちて勇者を直撃。更に無数の鎌鼬が彼の体を傷つける。そして土砂降りの雨が彼の全身に叩きつけられた。
「がっ!?」
硬直したカタルに魔王の剣が襲い掛かる。間一髪に切り払い、落下しながら体勢を立て直した。
「ま、まだまだ……!」
「俺は貴様なんぞ眼中に無い。この惑星から去れ」
「いいや、ここでお前を倒す」
倒せなければ、数十年の努力と犠牲が報われないのだから。
その時、地上へ向かって飛翔する竜形態のスピカが、二人の間を猛スピードで通り過ぎた。
「スピカ!」
「カナリア!」
ズムハァは翼を広げて少女を追う。カタルは自由落下に身を任せるしかないため出遅れ、そっぽを向いた魔王を睨んで歯ぎしりした。
◆◇◆◇◆◇
深き谷を抜けて地上へ出ると、呪いに侵され狂った小竜の群れが襲ってくる。竜族が僕らの盾となり、火球を放って寄せ付けないようにした。
「地面に降りるぜ」
船を荒れ果てた大地に降ろし、全員で外へ出る。見上げた空は相も変わらず黒い嵐だ。
「早速始めましょう」
「どうぞマタタビ君、打ち直した聖剣です」
モモ様から修復された聖剣タンネリクを受け取る。ドラゴンが捧げた魔力で魔石部屋も直っていた。
「剃刀鯨の鉄鉱石を使いました。以前より軽くて切れ味も抜群です」
「ありがとうございます」
準備を始めた僕らをココが興味深そうに見つめている。
「何をするつもりだい?」
「《事象ノ地平線》で嵐を切り裂くんだよ」
「……気のせいかなあ。《事象ノ地平線》を発動させるって聞こえたけど」
「気のせいじゃないな」
「はあっ!? 《事象ノ地平線》は因果律を歪める禁術だ。未来を変える事もある危険な惑星級魔術なんだぞ」
「薄々気づいてましたが、そこまでヤバイんですね」
「おい女神様もとめなよ。後先考えないで発動したら、女神が黙ってないだろ」
「逆に考えましょう、人の子よ。黙っていれば案外気づかれないものです」
「いや他の女神じゃなくて。お前がとめろってば」
「安心してください、私は目を塞いでおきますから」
「こ、こいつ……まさか本物のポンコツ……!」
「よし、始めるぞ」
ココの心配もわかるけど、今更やめるわけにはいかないんだ。
聖剣を地面に刺し、柄を握って魔力を受け取る。100万ポイント分の魔力を全身で感じながら魔術を発動する。
右手に《聖なる波動》を。左手に《闇なる波動》を。
大地を震わせるほどの波動が僕の両手に宿った。
「いきますよリトッチ」
「任せろ」
向かいに立つリトッチと掌を合わせ、ゆっくりと魔力を彼女に渡していく。
僕も、モモ様も、ココも、ドゥメナも、竜族も。皆が息を飲んでリトッチを見つめていた。
「――心配するな。なんたってアタシは、いずれ大魔導師になる女だからな」
彼女はその手に宿った光と闇のオーラを掲げ、嵐を見上げる。そして大きく息を吸って詠唱を始めた。
「――光と闇に抱かれし特異点。彼方で真理の扉を開く――」
「――穿て、《事象ノ地平線》!」
「駄目だ撃つな!」
ココの叫びと、嵐を抜けて射線上に飛び出したスピカに気づいたのは同時だった。




