8. ニセ勇者と魔術士、出会う
回想。2週目の人生、16歳。
「ティアマト星系は【魔術】が発展した世界です」
「魔術……ですか。《大神実》や《転移》は魔法ですよね。意味が違うんですか?」
「はい。魔法とは世の理を越えた超常的な力を指します。魔法が使えるのは、女神と半神族、邪神や魔王、そして女神に召喚された勇者くらいです。例外はありますが」
黒板には「魔法」「魔術」「才能」「技能」と書かれている。
「対して魔術は人類が知恵で編み出した技術の一つです。当初は女神の魔法を再現することが目的でしたが、次第に文明の発展に応用されるようになります」
「なるほど……」
「例えば《念話》は魔法と魔術の両方が存在します。原理は違いますが、人類が女神の魔法を再現できた数少ない例です」
僕はノートに要点を書きながら、女神モモの話を聞いていた。
「ティアマト星系が誕生して1600年近く経過していますが、この世界の人類は既に空を飛ぶことができます。飛行機ではなく《飛翔》があるからです」
ちなみに女神モモは伊達眼鏡を掛け、教鞭を持っている。
「【才能】は生まれ持った特別な能力、そして【技能】は勉学や修練で開花した特殊能力を指します」
「確か勇者は召喚時に強力な才能を与えられるんですよね。これらの能力が、その人の強さを測る指針になるわけですか」
「そういうことです。魔術・才能・技能はいずれも魔核に記憶されます。一般的に魔核が大きいほど能力が高いです」
「先生、質問です」
「何ですか、生徒マタタビ」
「わざわざ学生服に着替える意味、あります?」
◆◇◆◇◆◇
魔術士リトッチは魔道具の箒にまたがり、砂漠を低空飛行していた。肩まで伸びた金髪に、やや赤みがかった瞳を持つ人族の少女である。防塵マントやゴーグルのおかげで、砂漠での飛行に支障はない。
「ちっ。早く竜を見つけないと」
苛立つ気持ちを抑えきれず、リトッチは舌打ちする。彼女は大金が必要なのだ。
T.E.1498年の都市国家ジュラでは、竜族の狩猟やその死骸の採掘が産業の主流である。一攫千金を狙い、多くの冒険者や盗賊が砂漠地帯をうろついている。既にこの地域の竜は狩りつくされ、代わりに双毒蠍の縄張りになった。竜に比べると旨味は遥かに劣るので、わざわざ危険を冒して侵入する者はほとんどいない。
だからこそ彼女はこの地域を探索している。運が良ければ、はぐれ竜か竜の死骸を独り占めできるからだ。
――そしてもっと運が良ければ、呪いの宿主が見つかるかもしれない。
「南西の方角から強い風……嵐が近いな」
リトッチは生まれ持った才能《風詠み》を持っていた。風の流れを知覚し、天気の予測や効率の良い飛行ルートを選択することができるのだ。
彼女は捜索範囲を広げるため高度を上げた。次第に地面から離れ、より遠くまで見渡せるようになる。
「――ありゃ人族か? まさかアタシと同じ考えの奴がいるなんてな」
数百メートル先に、スティンガーに囲まれた人間がいることに気づく。蜥蜴族でも、ハイエナのように現れる盗賊でもない。
「あれじゃ、食べられておしまいだ」
空へ逃げるわけでもなく、魔術式も展開しないということは、彼は魔術士ではないということだ。リトッチより若く見える少年が、あれだけの数のモンスターを相手に生き残れるとは思えない。
「仕方無いな!」
彼女の決断は迅速だった。加速して一気にモンスターの上空まで飛翔すると、旋回しながら炎魔術を発動する。リトッチの掌に、いくつもの火球が生み出された。彼女は炎の形を自在に変化させる技能《炎操作》を開花させている。例えば火球を細長く伸ばして槍状にすることで、貫通力を向上させることができるのだ。
「《炎槍》!」
その手から放たれた炎の槍が、何本もスティンガーに突き刺さる。モンスターは脳内を焼かれて痙攣した。間髪入れずに《炎槍》を連射し、次々とモンスターを撃退する。ある個体はなすすべもなく死に、ある個体は炎を消すために必死に砂中へと逃走する。
リトッチが攻撃を止めて少年の前へ降り立つ頃には、周囲に動くモンスターはいなくなっていた。
◆◇◆◇◆◇
空飛ぶ箒に乗った少女が、炎の魔術でスティンガーを駆逐していた。
あれが女神が言っていた魔術なのか。素直にかっこいい。見た目は少女ながらも、その凛々しい立ち振る舞いに僕は興奮を抑えきれなかった。
「うおおお! あれが魔術士ですか! かっけえー!」
『《火球》は中級魔術ですが、炎を操って威力を上げていますね』
「また魔術を使った! 羨ましいなー!」
勝手にはしゃいでいると、魔術士がゆっくりと高度をさげて僕らの目の前に降り立った。女神を除くと異世界人とは初めての遭遇だ。彼女にとっても地球人は初めてかもしれない。
少女がゴーグルを外して真っ直ぐ僕を見る。僕の興奮は最高潮に達していて、緊張した面持ちで突っ立ていた。対して彼女は僕を警戒しているようで、距離を開けたまま言葉を発する。
「お前、怪我はないか?」
この言語は知っている。【ネアデル語】だ。勉強しておいて良かった。
「大丈夫です。助けてくださってありがとうございました!」
僕は頭を思いっきり下げて礼を述べた。
「……調子狂うな。まあいいや、お前とアタシでスティンガーを討伐したよな。好きにしていいのは半分ずつで良いか?」
「は、はい。お任せします」
こういう場合の慣習が分からない。彼女の言う通りにしよう。助けてくれただけでなく、獲物も半分ずつにしてくれるなんてきっといい人だ。かっこいいなあ。
しかしその考えはすぐに打ち砕かれた。
「じゃ、次はお前の命を助けた代金だ。有り金全部くれ」
「えっ」
「悪いけど急いでいるんだよ。ほら早く出す!」
「は、はい」
骨死体から拾ったリュックを漁り、僅かなお金を渡す。どうも魔術士は切羽詰まっている様子だ。言われたとおりにしたが、彼女はまだ満足してくれなかった。
「全然足りないな。……お前が腰に下げてる剣でチャラにしてやるぜ。文句あるか?」
「あ、あります。この剣は渡せません」
「ふーん。命を助けた恩人に対して、お前はそういう態度を取るわけか」
女神モモとはまた違った形でぐいぐい押してくる。でも剣を渡すわけにはいかない。言い淀んでいると、女神モモが助け舟を出してきた。
『大人しく聞いていれば、また随分と生意気な小娘ですね。恥を知りなさい』
「へえ、会話できる魔剣……か? それなりに価値がつきそうだな」
『私は魔剣ではありません。女神です』
「あー、そういう設定なわけ?」
『設定ではありません!』
ふたりともヒートアップして大丈夫だろうか。喧嘩にならないと良いけど。
「女神だっていうのなら、そっちは勇者か?」
「あっそうです。僕は勇者のマ……」
「嘘つけ」
秒で看破された。なんでだ!? 彼女はクスクス笑っている。
「アタシはニセ勇者ご一行様の、命の恩人ってわけだ。何か祝福してくれよ」
『いいえ、貴方は命の恩人ではありません。彼を舐めないでください。あの状況でも、ひとりでスティンガーを全滅させられました』
彼女の自信満々なセリフに、ちょっと気恥ずかしくなる。
少女は黙った。ため息をついた後、僕らを睨みつける。その表情を見て気づいた。彼女は強硬手段に出る気だ。
「《炎槍》!」
彼女が両手を突き出し、次々と炎の槍を放つ。僕は咄嗟に身体を捻って躱し、転がりながら叫んだ。
「止めてください! 僕らが戦う理由はありません!」
「アタシにはある!」
どうしてこうなったんだろう。……彼女はきっとたくさんのお金が必要なのだ。それもすぐに。魔術士は攻撃の手を緩めず、僕に炎の槍を放ち続けている。ぎりぎりで躱しながら、どうすれば良いか考える。
女神モモなら何と言うだろうか?
「えっと、モモ様――」
『勇者として決断するのは貴方です、人の子よ』
迷いのない声。いつもなら『ああしなさい、こうしなさい』というのに。
もしかしたら、僕は試されているのかもしれない。僕が勇者として振る舞えるのか。この状況をどう切り抜けるのか。
屋根裏部屋で少女が泣いていた時の光景が、フラッシュバックする。目の前の魔術士も大きな悩みを抱えているとしたら。
僕は――
◆◇◆◇◆◇
「(威嚇はこの程度で良いな)」
元より殺すつもりは無いので、リトッチは魔術の発動を止めた。しかし勇者を名乗る少年は、立ち上がると真っ直ぐリトッチを見つめた。動じた様子もなく言葉を放つ。
「――僕は貴方とは戦いたくありません。むしろ力になりたいんです。もっと別の方法があるはずです」
「(……馬鹿正直で、お人よしな奴だ。勇者を名乗るだけはあるな)」
リトッチの心が少しだけ揺れた。その迷いを振り払うように、地面や空中に魔術式を展開する。魔術式は魔術の威力を大幅に向上させるのだ。
「あるかもしれない。でも私にはこれしか思いつかない。お前はどうだ?」
「わかりません。だから事情を話して下さい。どうすれば良いか、一緒に考えます」
まだ世界の残酷さを経験していないような、甘っちょろい言葉だ。純粋な心はヒビが入ると脆い。いずれ壁にぶち当たって粉々に砕けてしまうかもしれない。
――いっそこの場でアタシが壊してやろうか。
そう思いながらリトッチは少年を見つめ返し……すぐに自身が間違っていることを直感した。彼の瞳の奥に、かつての師匠と同じ何かを見たからだ。
リトッチの師匠は、偉大な魔導師……「本物の勇者」だった。
彼女は、儚く散る運命にあった幼いリトッチを救い出した。そして魔術を教えてくれた。師匠はこの世界の美しさと残酷さを嫌というほど理解していた。この世界で我を通す難しさを知っていて、それでもなお自分を曲げない頭の固い女だった。
この少年は師匠に似ている。それを証明するかのように、少年が言葉を続けた。それは、彼女の知っている本物の勇者とそっくりのセリフだった。
「僕は貴方の力になると決めました。だから事情を話してくれないなら……力づくでも、聞き出します!」
リトッチは昔を思い出して眩暈がした。師匠とこうやって何度も喧嘩をして、その度に仲直りしていたからだ。3年前に師匠と別れてからはずっと一人で生きていて、こうして真剣に私を見てくれる奴なんていなかった。
――感傷に浸ってる場合じゃないなと、自分の心に言い聞かせて息を吐く。
リトッチは本物の勇者を知っているが故に、少年がニセ勇者だと看破できた。しかしそれとは無関係に、彼と本気でぶつかりたくなった。
そのために全力を出そう。こいつならきっと受け止めてくれる気がする。
「……お前がアタシに勝てたら、事情を話してもいいぜ。アタシが勝ったら剣を頂くからな、勇者様?」
リトッチは箒を持ち、その穂を少年に向けた。箒を軸に魔術式がいくつも展開する。正真正銘の全力を出すつもりだ。自然と笑みが浮かぶ。少年も笑みを浮かべていた。お互いに絶対に相手をうちかまして自分を貫こうという、不敵の笑みだ。
「勝負だ、このお人よし!」
「はい、このわからずや!」
少年が勢いよく剣を鞘から抜いて構える。それが戦いの合図だった――
◆◇◆◇◆◇
女神モモはふたりの戦いを静かに見守るつもりだった。相手は経験を積んでいるであろう魔術士。この戦いはマタタビ君にとって良い経験になる。
しかしマタタビ君が剣を抜いた後は、お互いに構えたまま動く気配がない。女神モモは痺れを切らして魔術士に声をかけた。
『おや、先ほどの威勢はどこへいったのですか。早くかかってきなさい』
彼女は口をもにょもにょとさせながら、申し訳なさそうに口を開く。
「……ちょっといいか? アタシには剣が折れているように見えるけど、気のせいじゃないな?」
マタタビ君も申し訳なさそうに答える。
「……気のせいじゃありません」
「じゃあ、その剣売れないな」
「はい、そう思います」
「……」
「……」
『……? それがどうかしましたか?』
双方とも顔を真っ赤にして目をそらしている。
『まさか、この短期間で恋愛感情が!?』
「違います!」
「ちげえよ!」
ふたりは戦う理由を失っていた。
◆◇◆◇◆◇
この後、女神モモはふたりを煽って勝負を続行させようとしたが、マタタビは「空気を読んでください」と冷めた返事をした。
魔術士は「お前は金にならない」と酷い言葉を投げてきた。
女神モモの憤慨を尻目に、魔術士が「スティンガーの素材の剥ぎ取り方を教えようか?」とマタタビに話しかけ、彼もまた「あっはい。ありがとうございます」とあっさり承諾する。
こうしてふたりの喧嘩は、うやむやに終わってしまった。




