0. プロローグ
ある日、祖父が唐突に尋ねた。
「ときに夢人よ。お主、異世界転移とやらを知っておるかの?」
「……よく小説や漫画の冒頭で始まるアレだよね」
異世界転移から始まる冒険譚の出だしは大抵こうだ。異世界側の神様や住人が、魔法でこちら側の世界の住人を召喚する。言ってしまえば次元を股に掛けた誘拐だ。
「お主、そういうのに興味あるじゃろ。なにせ旅が大好きじゃからな」
目の前にいるじっちゃんは、スーツ姿にサングラスを掛けたお洒落な格好だ。ただし白髪の生え際がかなり後退している。齢80歳だから当然か。
「そりゃ、興味がないと言えば嘘になるよ。もし異世界に転移したら気ままに旅をするね」
「じゃろ? 男なら誰でも冒険を夢見るもんじゃ。いやいや、今の時代は女でもそうじゃな」
「どうでもいいから、僕を開放してくれじっちゃん」
拘束イスのベルトをガチャガチャと鳴らして抗議する。
――状況を説明しよう。
僕は木天蓼夢人。どこにでもいる20代前半のサラリーマンだ。小さい頃は旅が大好きで、将来は月旅行を夢見て宇宙飛行士になるつもりだった。しかし夢とは破れるものだ。宇宙飛行士選抜試験は落第し、凡人の立場に甘んじて日々を生きている。毎日が仕事で忙しくて、旅行なんて考えたこともなかった。
対して祖父は凡人とは程遠い、普通とは縁のない男だ。控えめに言って頭がイカれている。孫の僕を拘束イスに縛り付け、そこから伸びるケーブルを巨大な謎の装置に繋げているんだからな!
「喜べ夢人よ。儂がお主を異世界へ連れて行ってやるでの」
「はっ? 何言ってんだコイツ」
「かぁーっ! 祖父に向かってなんじゃ、その口の利き方は!」
じっちゃんが杖で僕を叩く。いてえよ。
祖父は杖をつきながら研究室を歩き回り、怪しげな装置を点検し始めた。さながら悪の軍団に捕まり洗脳を受けている気分だ。
「い、異世界に連れて行くってどういうこと?」
「良くぞ聞いてくれたでの。儂の理論が正しければ、この【異世界転移装置】でお主を異世界に飛ばすことができるはずじゃ」
「はぁ!?」
本気かよ、この狂った科学者め。
「いい加減、儂らから堂々と異世界に転移すべきとは思わんかの?」
「思いません」
「お主は栄えある被験者第1号じゃ!」
「孫なのに被験者!?」
祖父はちょっと変わった発明家である。「腋で充電するスマホ」「チェレンコフ光を放つチョコ」などの実用性が疑わしい特許をいくつも持ち、「サンタクロースのトナカイの赤い鼻収集学会」に所属している。誰か僕に学会の存在意義を教えてくれ。
「急に異世界だなんて……宇宙人との交信はどうしたの?」
「どーでもええ、返事が一向に帰ってこんからの。今後は奴らから電波を送ってきても無視してやるわい」
「もしや飽きたな?」
彼は常日頃から、やれ宇宙人と交信するだの、やれ地球を真っ二つにするだのとホラを吹いている。発明家ニコラ・テスラの生まれ変わりだと言う人もいるくらいだ。
じっちゃんが僕に大きなヘルメットを被せる。電極が何本も刺さっていて、異様に重くて首が痛い。ヘルメットから鳴る電子音がピコピコとうるさいぞ。
「あの、僕は明日も仕事があるので遠慮したいんだけど」
「かぁー! 仕事がなんじゃい! 旅が大好きじゃった昔の夢人は何処へいった? 今からお主は冒険に旅立つんじゃぞ!」
「これ絶対にあの世への冒険だよ! はーなーせー!」
手首を拘束しているベルトを引きちぎろうとするがビクともしない。その間にも、じっちゃんはパソコンを操作していた。画面に「プログラムを起動しますか?」と表示が出ている。
「ちなみに、装置の原理は聞きたいかの?」
「いいえ」
「簡単に説明するとじゃな、お主の心と体を粒子に分解して――」
「無視かよ。ていうか分解!?」
「データ化したお主を、屋上に取り付けたアンテナから送信し――」
「送信!?」
「宇宙の彼方にあるブラックホールを通って異世界へ行くのじゃ」
「孫をブラックホールに!?」
「カカカッ! 行き過ぎた科学は魔法と変わらないと言うじゃろ? これが成功すれば、儂は稀代の魔法使いとしてその名を歴史に刻み込むじゃろう。そして夢見る若者はみーんな異世界へ行き放題じゃよ」
「やめてよじっちゃん! 少子化が加速するだろ!」
「準備はいいかの?」
「よくないです!」
「それでは起動!」
人の話聞いてねえ。じっちゃんがパソコンのキーボードを叩くと、装置が振動してブウウウウンと唸りをあげる。
次第に部屋全体が揺れ始め、焦げた臭いが漂ってくる。ヘルメットのピコピコ音が、やかんが湯を沸かすような音に変わり始める。
これどう聞いても警告音だ。大方の予想通り、実験は失敗しそうだな。
「じっちゃーん! これ大丈夫? 失敗じゃないの?」
「うーむ、装置のモーターが悲鳴をあげておるわ。システムも何箇所かエラーが発生しておるのー。……じゃが、ここは続行するぞい!」
更に部屋の揺れが激しくなった。地震を思わせるほどの凄い振動だ。必死に椅子の肘を掴んで耐える。いや、これ、やばいよね……!
「今日は中止しよう! また来週があるよ! 次は有給とるから!」
「いいや、お主を異世界へ転移させて儂らの夢を叶えるんじゃ!」
「僕の夢じゃないよ!?」
「動け、動くんじゃ! このオンボロPCめ!」
じっちゃんは杖でパソコンをがんがん叩いた。凄い嫌な予感がした。
「ふう、この手に限るわい」
次の瞬間、装置は大爆発した。
僕は光と爆風に飲まれ、なすすべもなく意識を失い――