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腐食の刃  作者: 南天
1章
8/18

8話 兆候



「それで、逃げ出してきたわけだ」

「……」


 はあ、と女性は大きなため息を吐く。

 女性――レリアは深く腰かけていたアンティーク調の回転椅子から体を起こし、澄んだ藍色の瞳で目の前の客を見つめる。

 机の上で手を組み、その上に顎を乗せる。

 逃がさんとばかりにじっとりと、どことなく半目で。

 そんな顔に穴が開きそうな視線を受けて、客――ユキはふいっと顔を逸らした。


 適当な木箱に腰掛け、落ち着かない様子で足をプラプラとさせている。足にはいまだ包帯が巻かれている。しかしそれは適切な処置とはまるで言えない有様で、とりあえずぐるぐる巻きにしただけといった様子。

 恰好はすでに病衣ではない。

 サイズの合わないすり切れたカーキのコートと、下はもう秋だというのに半袖の白シャツ。首回りがダルダルに伸び、全体も皺だらけ。グレーのスラックスは丈が合わないのか裾がかなり折り上げられている。

 靴の代わりに履いているのは茶色のスリッパ。病室を抜け出したそのままだった。



 先の異次元体との戦闘、および〝拉致〟の弊害でユキはいろいろと入用になっていた。

 武器も、服も、そしてエーテル心炉を保存するガラス瓶やそれらを入れるナップザックまでも一気に失った。

 特に武器とガラス瓶がなくては狩りもできない。なんとか隠れ家に戻ってきてからまず最初にやらなければならなかったのはそれらの補充だった。


 もともとの目的は買い物でも狩りでもなく水の補充。

 そのため財布を隠れ家に置いてきていたのが唯一の救いか。



 利用するのは当然行きつけの金のよろず屋。

 店主との付き合いは長く、色々と融通してもらえるのはこの店だけだ。

 しかし、その分こうして世間話に付き合わされる――というよりも小言を言われることも多かった。

 ユキもユキで、恩人である彼女の言葉だけは簡単に聞き流せない。

 今も、お説教じみたそれを甘んじて受けいれていた。


 異能者として成長して以降だいぶ機会も減っていたのだが、今日は長くなりそうだと彼は内心でげんなりとしていた。



「悪い条件じゃなかったんだろう?」


 彼女にはすでに長ったらしい名前の、政府公認の組織とやらに〝軟禁〟されたという経緯は話してあった。というよりも半ば無理やりに聞き出されていた。

 そしてそれに対する反応が、『よく逃げおおせてきたな』ではなく『なんでふいにしてしまったんだ』と、ユキにとってまったく予想外のものだった。


「そういう問題じゃない」

 不貞腐れた口調を隠そうともせずに答える。

 それを見ていたレリアの口元はどこか仕方ない、といった風に崩された。


 レリアの口から小さなため息が零れる。

 その頃には、じとっとした視線も途切れていた。


「せっかくの社会復帰のチャンスだったじゃないか。給料が出るんだろ? 爪はじきにされた私たちにとってこれ以上ない待遇だと思うがな」

 ピンと、机の上のボールペンを指で軽くはじきながら彼女は言う。

 ペンはころころと転がり、振り子付きの置時計にぶつかることで止まった。

「だったらレリアがあいつらに協力してやりゃいいじゃないか」

「私はすでに今の状態で満足している。稼ぐツテもあるしな」

「俺だってそうだ」

 鼻を鳴らす彼に、レリアはまた呆れた視線を向ける。


「空き家に忍び込んでいるくせに」

 

 痛いところを突かれたと、ユキは声もなく呻く。

 そっぽを向いていた彼が気付けることではなかったが、レリアの顔には意地悪い笑みが浮かんでいた。

「ろくに風呂にも入ってないだろう」

「……」

「栄養だって取れてないから、チビだしな」

「……まだ成長期が来てないだけだ」

「13でそれだと、かなり小さいほうだぞ? 同年代の女子にも負けてるんじゃないか?」

「うっさい」

 つんと尖らせていた口はひくひくと歪み、肩も心なしか震えていた。

 ひそかなコンプレックスをこれでもかとばかりに突かれる。

 ユキにとってのレリアという女性は、恩人であると同時に天敵でもあるのだ。




「聞いた限りじゃ、お人よしの集団といった感じだが……何か嫌なことでもされたのか?」

「モルモット扱いだ。何回も注射されるし、変な機械に通されるし」

 彼が思い浮かべるのは日に何度も行われる採血と、何か筒状の機械に通されたりする意図が不明な身体検査。


 後者はいわゆるMRIやCTといった全身をくまなくチェックする機器。

 エーテルを検知できる機器は――人に向けて使っていいものはいまだ開発されていない。

 そのため検体検査が基本となる。

 ゆえに、ユキが受けた採血以外の検査は実際のところ一般的な生理機能検査、言ってしまえば健康診断でしかなかった。


「なるほど、お前に病院はまだ早かったか」

 それを知ってか、レリアはくっくっと声を堪えるようにして笑う。

 理由はわからないが、しかし馬鹿にされているということにだけはしっかりと伝わり、ユキは彼女を睨み付ける。

 それがまたおかしかったのか彼女はとうとう声を上げて笑った。

 細められていた目には涙すら浮かべ、そしてはうっすらと青い光が漏れていた。


 むくれた顔で待つこと一分弱。

 ようやく笑いの収まった様子のレリアに声をかけようとした。

 しかし、それよりも先に彼女が口を開いた。

 目尻を拭いながら、まだ口元を面白そうに歪めて。そして、どこかかわいいものを見るような声で。


「そんなに悪いことをするような奴らに見えたか?」


 そう問われて、開きかけていた口を噤む。

 彼女に言おうとしたことも、今や頭の奥底に押し込められた。


 目が覚めてからの一週間の出来事を思い出す。いや、自身を助けた、千陰との出会いからのことを思い起こす。

 千陰や、川島。その他の看護師や、監視という名目であったが多少の会話もあった同類のはずの異能者。


 誰もかれも、ユキに対して冷たい態度をとるものはいなかった。研究者の類は積極的に仲良くなろう、といった態度ではなかったが、それでもかつて彼を迫害したような連中とはまた違った。

 


「そうでもなかったみたいだな」

 暖かい青い瞳。

 穏やかな表情で彼女は言った。


「裏で何考えてるなんか、わかったもんじゃない」

 顔を俯かせ、そう憶測で突き放すのが精いっぱいだった。

「それに――」

 自身は彼らを傷つけた。

 その時の、彼らの表情は。ユキを見る目は、強い恐怖の色を浮かべていた。

 何か取り返しのつかないことをしてしまったのだと、ユキは漠然と思っていた。

 もやもやとした、晴らしようのない霧が心を覆っていく。

 冷たくて、じめじめしていて、ちょっぴり痛い。


「後悔するくらいなら、やらなきゃよかったのに」

 レリアはやれやれと首を振る。

 深く息をつくと、心なしかちっちゃくなった少年へと向き直る。

 背が丸められ、俯き、しかしどんな表情をしているかくらいは彼女にはわかっていた。

「ユキ、嫌われるのが怖いか?」

「……」

「まあ、怖いんだろうな。でもまあ、子供のやったことだ。そう気にしていないと思うがな」


「なにせ実際以上にガキだし」

「うっさい」

 不貞腐れた返事に、レリアはまた声を殺して笑った。


「気にするなら謝ってくればいい。きっと許してもらえるよ」

 諭すような言葉。

 少しして、ユキがぽつりぽつりと零す。

「……殴った」

「そうか」

「脅した」

「そうか」

「あと、窓割った」

「そうか」

 ユキは一度、口を噤む。

 それを急かすようなこともしない。


「……それでも?」

「ああ」


 ふっと、ユキは顔を上げる。

 視線の先には目を閉じて、しかしかすかに口元を緩めた彼女がいた。


 それを見て、安心感が胸に広まった。

 冷たい霧を押しのけて。

 晴れ晴れとした気分にはまだ至らない。それでも、少しばかり心の中に日が差した。





「それで、足はもういいのか?」

 閉じていた目を開いて、彼女はそう問うた。

 藍色の視線は素人仕事の包帯に向かう。

 ――応急手当の仕方も教えるべきだったか。

 そんなことを考えながら。


「治った」

 視線の意味を知ってか知らずか、ユキは包帯をほどく。時折ひっかかりながらも、次第に肌が露わになっていく。

 溶け落ちていた皮膚はすでに再生し、膝下にはつるつるとした肌が覗く。薄っすらと赤みが残るくらいで、痛々しさはもうない。

 包帯はもう手当というより、なかば靴下代わりに使用していただけだった。


「そうか。で、何が必要なんだ?」

 レリアはそれを認めてから、回転椅子を横に向ける。

 ゆっくりと腰を上げる。

 長い金髪がふわりと揺れた。


 ここから先はもういつものやり取りだ。


「靴と服。それと鞄と瓶」

 ユキもパタンと音を立てて木箱から降りる。

 そして、スリッパの先を揺らしながらそう答えた。


「服と鞄は適当に選んでおけ。それと、足のサイズ、何センチだったっけ?」

「……25」

「23だな」

「……なんで聞いたんだよ」

 彼のほうを向くこともなく、レリアは背後の扉を開ける。靴は表には出していなかった。

 ここで靴を買っていくような連中は、ファッションよりも頑丈さ重視で選ぶ。そのため基本的に長持ちするのだ。おかげで靴を買い求める客はそうそうおらず、普段は別室の倉庫にしまってある。


 レリアは彼に合ったサイズの靴を取りに行く。しかし彼女が扉の奥へと消える前に、ユキはもう一つの注文を口にする。

「それと、頑丈で長い武器」

 レリアはピタリと足を止めた。扉の向こうから首だけ出して客を見る。


「値段、張るけど」

「どれくらい」

「使い捨てにしないなら、十万はかたいな」

 妙な沈黙が流れる。

 どちらも真顔。

 じっと視線が交わる。

「……やっぱりいつもの」

「はいはい」

 レリアは今度こそ扉の奥に消えた。

 室内にはユキだけが残される。


「……ケチ」


「聞こえてるぞ」

 そんな言葉が耳に届いた。



 ***



「最近はどうも、この手の連中が多いな」


 目の前の異次元体を打刀で真っ二つに切り裂きながら、千陰は無感動に呟いた。

 言ったはいいものの、実際のところはどうでもいいとばかりに。


 下半身と泣き別れになった上半身、いまだ蠢くそれに彼女は近づく。固いブーツの底がカツリカツリと音を立てる。一切のブレのないそれは彼女が一切の疲弊をしていないことを示していた。


 エーテル心炉の位置は頭部の中だと当たりをつけていた。

 心炉を取り出すため、彼女は獲物の頭部に刀を突きだす。


 異次元体はとどめとなるそれを首を振って回避しようとする。結果大きな複眼に刺さり、じゅくりと水っぽい手ごたえとやや色の濃い液体が泡を噴きながらこぼれ出た。

 ぎちぎちと大小の顎を、四本の髭を怒らせるだけで悲鳴は上げない。

 しかし、まるで黒目のような黒い点――偽瞳孔が睨むかのようにまっすぐと彼女を射抜いていた。


 それに対して、千陰はまるで些末事とばかりに何の関心も見せない。

 次いで面倒だと複眼から刃を抜き、先に首を落とした。


 ごろりと灰色の地面を大きな頭が転がる。

 一矢報いるとばかりに、捕食者然とした恐ろしい口を彼女に向けるが、生憎届くこともない。


 既に彼の武器である大きな鎌も根本から叩き切られている。抵抗の手段はもはやない。

 いまだ事切れない異次元体。しかし身じろぎ一つできないただの頭では己が命を奪われるのを待つことしかできない。


 ぎちぎちと蠢く口器など気にも留めず、千陰は異次元体の頭部に淡々と刃を突き刺し、くるりと回す。

 ぶちぶちと繊維を断ち切る感触が伝わり、切り口からは薄緑色の液体がどろりと零れる。


 三角の頭の中心部、複眼の間、ちょうど単眼が三つ並んだ辺りがきれいにくりぬかれる。

 穴の開いた頭部に手を突っ込み、緑色に輝く肉の塊を取り出した。

 粘つく液体に構うことなく胸に抱え、自由になった片手で彼女はウエストポーチから保存容器を取り出す。ワンタッチで蓋は開き、抱えていたそれを中に詰める。

 テニスボール大のそれは容器越しでも眩く発光する。毒々しい緑の蛍光色。かなり質が高かった。



 起点を失った異空間は崩壊を始める。

 広い範囲まで広がっていた灰色の世界は徐々に色を取り戻し、元の形に戻っていく。


 場所は住宅街の一角。

 その中で二車線の道路がちょうど交わる十字路。

 周囲はいくつかの集合住宅を除いて他は背の低い戸建て住宅ばかり。似た形のものが多い。

 いわゆる分譲地だ。

 色を取り戻した後でも見分けがつかないくらいに差異がなく、そこに住む人の個性も何一つ感じない。

 一見景観が整っていてきれいに見えるが、千陰には味気ないとしか思えなかった。



 濡れた刃を一払いし、懐紙を取り出して刃を拭う。

 人や動物を切るのと比べて簡単に汚れが落ちる。

 白刃は一拭きで元の煌めきを取り戻した。


 今回の狩りで使ったのは無銘の刀。安物――彼女にとってはだが――で、すぐに代えのきく一振り。

 蒼雷渡のような一点物と違い、割と雑に扱われ気味のそれも最近はずいぶんと物持ちがよかった。



 異次元体との戦闘では、基本的に通常の動物を切った時のような血脂を浴びるようなことは少ない。

 そもそも異次元体の肉体はエーテル由来のもの。それこそ細胞レベルまで作りこまれた体をしていない限りは、どれだけ血を流そうが脂を流そうがそれはただのエーテルに過ぎない。

 異空間の消滅とともにほとんどが消えていく。


 ゆえに生き物を切り、放っておくと錆びてしまう刀だが、彼ら相手ではそれもあまり当てはまらないのだ。

 もっとも、例外もあるが。


 既存生命の形をとることの多い異次元体だが、高等な生物を模す、再現度が高くなるほどにエーテルの質が高く――あるいはエーテルの質が高いほどそういった傾向を持つのか――、異空間の崩壊後も血糊として残ることが多い。そうなれば戦闘後の手入れも面倒で、すぐに納刀してしまえば鞘の中が酷い有様になる。

 異空間が消えた後。人前で入念な刀の手入れなどするわけにはいかず、千陰はこれまで結構な数の刀を駄目にしていた。



 実のところ今回の相手は強力なほうであった。しかし、哺乳類や爬虫類を模したものと比べ、最近の相手はやけに節くれだった体つきをしているものが多い。

 突飛な身体構造をしていないからこそ、その弱点がまるわかりで、肉も、そして外殻も薄いそこを切ってしまえば余計に刀を汚すことなく片が付く。強いて上げるなら心炉の摘出で汚れるくらいか。


 要は、虫の形を模したものが多かったのだ。

 ずんぐりとしたタイプであれば話は別だが、頭部・胸部・腹部ときれいに分かれているものはその境目を切れば勝負は決まる。巨体になった分狙いやすくもあった。


「しかし今回も上物か。ここのところどうかしてるな」

 ぽつりと独り言ちながら、音もなく刀を鞘に納める。


 彼女が今まで相対していたのは乗用車ほどの大きさの、蟷螂によく似た異次元体だった。


 よく似た、というのも不格好というわけでなくどちらかというと過剰進化の節があった。

 既存生命の明確な形を持ったうえで、更に進化した個体。

 長く生きたか、質のいい餌を食べたのか、それとも何かもっと別の手段で成長したか。

 先日の大ムカデに比べれば粗製に過ぎないが、それでも異次元体としてかなり強力な部類。

 これらの手合いが近頃は頻繁に出現していた。


「それを簡単に切って捨てるお前もお前だよ」

 佇む彼女へ、背後から声がかかる。

「切ってくれと言わんばかりの細さだろう」

「その分かてえだろ」

「あの程度ならば造作もない。特に関節は硬ければ意味がないしな」

「鎌の速さが――」

「見切ってしまえばなんの問題もない」

「……」


 千陰が背後を振り返ると、そこにいたのは大きな楽器ケースを背負ったやせ型の男。

 どことなくげんなりとした様子だった。

 男は千陰とそれほど年は離れていないが、それでも幾らか上。

 やや軽めの茶髪のマッシュヘアはワックスで丁寧に整えられている。


 彼女の同僚で、同じく一線級に分類される実働班の一人。

 しかし施設出身であり、狩りの経験も多いとは決して言えなかった。

 そのためか同じ一線級扱いでも実力にはかなりの隔たりがある。また得物も狙撃銃の類なためか、こと戦術観念に関してはあまり反りが合わない。


 それに対して男も思うところがないわけでもないが、どうにもならないことだと匙を投げていた。

 何よりも力を第一に考える彼女にとって、真に並び立てる者はウチにはいないのだ、と。


「霧原、ほかに出現報告は?」

「今ので最後だよ。他は押井と赤峰、それと一般部隊でリンチにしたってよ」


「何人か死んだみたいだがな」と、霧原と呼ばれた男は苦々しげに続けた。


 矢柳千陰、霧原哲士、押井守康、赤峰慶の四名が現在の隣接次元発生事象対策局、通称異次元体対策局の最精鋭。

 単独で〝狩り〟を行っても生還できるとお墨付きをもらった者たち。


「なんだ、あいつらも出してたのか」

 彼の呟きをまるで気にした風もなく、彼女は予想外だとばかりに声をあげた。〝あいつら〟というのは一般部隊のこと。それなりの数の異能者が在籍する異次元体対策局だが、まともに戦力として数えられるものは少ない。

 訓練ばかりを長く積み、たまに狩りを行う際も群れて行う。いわば雑兵。彼女にとってはその程度の認識だった。


 狩りをこなし経験を積めばまたその認識も変わるのだろうが、彼女が局に所属してからできた同輩、先輩、後輩。その中で積極的に戦闘に当たってなお生き残ったのは彼女を除いてたったの〝三人〟。

 その三人すらもやはり彼女に比べて二歩も三歩も劣る。もはや期待もしていなかった。


「それくらい聞いとけよ。連中にももっと経験積ませるって話しだったろうが」

 霧原は呆れた様子で頭をかく。

 内心では仲間の死に何も思っていない彼女に対して、恐怖のような、あるいは怒りのようなものを抱きながら。

 これでもだいぶマシにはなったほうだ、と安堵もしながら。


「いや、さすがに最近の手合いには荷が重いだろう」

 現に、そんなシビアな評価を下しているとはいえ、別に見下しているわけではない。同僚として、同じ人間としてはほぼ対等に見えている。

 しかし、どうしても対等の異能者として見れない。〝庇護対象〟の域から出ていなかった。

 戦えないもの、あるいは異能だけを持った民間人にカテゴライズされ、研究所でデータ収集に専念していてもいいのでは、とすら内心では思っていた。



 ギリギリの世界を独りで駆けずる。限界を超え続け、同類とすらも火花を散らし合う。

 実力者であっても時には無様に敗走し、ベテランであっても時には呆気なく死ぬ。

 そんな実力主義の世界を生き延びたものこそが、彼女にとっての異能者だった。

 それに当てはまるものは彼女の周りにはいない。

 いや、少し前には一人だけいたのだが。



「つうか、お前も少しくらい隠す努力をしろよ。んな物騒なもんぶら下げてたら警察沙汰だぞ?」

「蒼雷渡は持ってきていない。問題ないだろう」

 確かに、身の丈ほどの大太刀を携えていた時よりも幾分マシだ。しかし、一本減ったところで帯刀していることに変わりはない。スーツ姿に日本刀は目立って仕方なかった。


「そういう問題じゃねえよ。お前も偽装ケースくらい貰ってんだろ」

「貰ったな。たしか、管楽器用だったか。かさばって仕方ないだろう、あれ。そもそも刀は腰に差すものだ」

「レザーベルトに吊るしておいて、よく言う」

「こっちのほうが最近のはやりだと聞いたんだが……」


「はやりも何もねーよ」と霧原は首を振った。

 心底その感性がわからないとばかりに睨み付けてもまるで気にした様子がない。

 それ以上は呆れてものも言えなかった。



 知ってか知らずか、千陰は周囲へと視線を向ける。

「それに――ここならば問題もあるまい」

 自身は何も間違っていないとばかりに、平坦な声で告げる。なんの感傷もなく、ただ事実を述べる。


 それに対して、霧原は静かに目を伏せた。




 彼らがいるのは住宅街の真っただ中。

 分譲地だがデザイン性が高く、また一つ一つの家の敷地もそれなりのもの。

 都市部で働く中流層をターゲットにしたのか、落ち着きがあり、また高級志向を薄っすらと漂わせる新興住宅街だった。

 広い芝の庭、タイルの通り道。テラス付きで、天気のいい日には読書やアフタヌーンティーに興じれば、絵にもなるだろう。

 煩わしい電柱も地下に埋められ、代わりにところどころに大きなニレの木がそびえ立つ。


 どことなくアメリカの住宅地を思い起こさせる風景だった。


 しかし、時間は休日の昼間だというのに人の気配がまるでない。閑静な住宅街と銘打たれた地域でももっと、活気はなくとも人のにおいがするものだ。

 それが、一切ない。


 空っ風が吹き抜ける。

 枯れ葉とともに、エーテルの残滓がちらちらと舞った。



 この住宅地は既に死んでいた。


 十年と少し前。

 対策局どころかその大本である総括的先進人類特別対策機構すらできていなかった頃。

 エーテルの研究も異能者の保護もまだ国が主導で行っていた頃のこと。



 とある住宅街で凄惨な事件が起こった。

 一夜のうちに地域の住人のほとんどが殺されたのだ。

 わずかばかりの生き残りも事件のショックからかまともに話ができる状態でなく、真相はいまだ闇の中。犯人も捕まるどころか判明してすらいない。

 世間では大規模な強盗集団による計画的な犯行だったとされ、今でも恐れられ事件のあった地に住もうなんてもの好きは一人もいない。



 しかし実際のところは物取りなんかでは決してない。金品の類には一切手が付けられておらず、今なお、遺品として回収されることもなくそこに残っている。

 奪われたのは被害者の命だけだった。


 その命を奪ったのも、強盗でもテロリストでも快楽殺人鬼の類でもない。


 真実は住民の気付かぬうちに起こった大規模な災厄。

 キロ単位で発生した異空間。

 その主が倒されることなく、最大まで成長してしまったがために起こってしまった悲劇。


 異次元体が作る異空間が現実世界をも浸食し始め、振りまかれた毒香が住民たちを狂わせた。

 彼らは逃げることもかなわずに、〝大量に発生した〟異次元体の腹に収まってしまったのだ。



 そしてその悲劇は異能者たちにとっても同じことだった。あるいは彼らが集まってしまったからこそ悪化したのかもしれない。

 花に誘われる虫のごとく、毒香を嗅ぎ付けた異能者たちは、ひよっこベテランを問わず多くが集まった。

 しかし彼らにとっても予想外だったのは敵の強大さ、敵の量、そして何より彼らの抵抗力を上回るほどの強い毒香だった。


 賢明なものはその場を後にしたが、基本的に生活に余裕のない異能者たちは少しでも稼ぐためにと無茶をし、そして異次元体にとっての上質な餌となった。


 そのおかげで異次元体は強さを増し、主の成長に伴って異空間はより大きくなる。

 そして、最大まで成長したそれが世界を侵し、生命にとって致命的な毒が撒かれ、人間にとって抗うことのできない天敵が世に放たれたのだ。




「そういえば、かつてここを襲ったのも虫型だったか?」

「……確かな。まだウチもなかったし、人づての情報でしかないがな……被害がここだけで済んだってことは、討伐もされたんだろうけど」


 狩られることなく生き残った異次元体がとる選択は二つ。

 一つは現実世界でも活動を続け、異能者、一般人問わずに貪る。この場合は大抵が新たにやってきた異能者に狩られて終わる。

 もう一つは腹を満たしたからか、狡猾な頭脳を持っているのか、再び異次元へと帰っていく。異能者では決して干渉できないそこで餌を消化し、その力をゆっくりと成長させる。


 当時の異次元体が後者の選択をしたのだとしたら、同規模の事件が複数発生していてもおかしくはない。それがないということは、おそらくは何者かに倒されたのだろう。



「相当なツワモノなんだろうな、その勝者は」

 苦々しい表情のままの霧原を尻目に、千陰はフフ、と愉快気に笑った。


 それも収まると、いつまでも佇んでいても仕方ないと歩き出した。

 寒々しい、空虚な住宅街にたった一つのエンジン音が響きはじめた。

 二人が音のほうへ目をやると、黒塗りのバンが排ガスを撒き散らしながら二人のほうへと近づいてくるのが見て取れる。後部座席のウィンドウは透過度の低いスモークフィルムが張られ、中の様子を伺うことはできない。


 迎えが来たようだった。

 歩き始めた足を止め、静かに車の到着を待つ。


 ゆっくりと走るそれに痺れを切らしたわけでもないが、千陰はぽつりと思い付きを口にした。

「もしかしたら、虫型の異次元体は繁殖でもするのかね」

「あ?」

 ちらりと横目で見る。

 どこか遠くを眺めているようだった。

「だとしたら案外、同じことが繰り返されるかもな」

「縁起でもないこと言うんじゃねーよ」


 心底嫌そうな顔をする霧原とは裏腹に、隣に立つ彼女の表情は実に艶然としていた。




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