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腐食の刃  作者: 南天
1章
7/18

7話 反抗



 パラパラとめくっていただけの本を閉じる。

 ベッド脇の簡易なテーブルへとそれを置くと、テーブルごと奥へと押しやった。

 キャスター付きのテーブルはからからと音を鳴らしながら壁際に寄せられる。

 壁にぴったりとくっつき、小さな衝撃で載っていた冊子が揺れる。


 目が覚めてから用意されたテーブルは、すでに物の置き場がほとんどない。

 上に積まれているのは大半が何らかの書物だ。

 今目を通していたような総括的先進人類特別対策機構のパンフレットや、小中学生向けの教材。とても見ていて楽しいと思えるものではない。


 そして一番多かったのが文庫本の類だった。

 わざわざ買ってきたのか、明らかに新品のそれはしかし暇を持て余しているであろう少年を思いやって持ってこられたものでは決してない。

 ジャンルも偏っている、というより完全に一種類だけ。

 平積みの、一番下部で机の肥やしになっているもの。

 背表紙には『真説柳生列伝』と、かろうじてユキでも読める漢字の羅列が見て取れる。



 用意したのは当然のごとく矢柳千陰だった。

 この一冊以外も、たいていがタイトルに『柳生』の文字が入っている。


 ユキが彼女の先祖のことを知らないと言ってしまってからというもの毎日のごとく足されていく時代小説。漢字が難しくて読めないというと、国語辞典まで持ってきた。


 いくつかはすでにキャビネットへと収納されているのだが、ここに軟禁されてから早一週間――眠っていた期間を合わせると九日間――、そろそろネタが切れないのかと密かに考えていたが、ユキの想像と反してよほど有名だったらしい、毎度毎度違う作家のしかし主人公は変わらない小説が追加される。


 読む気にもならないそれを置いて行かれてもただただ邪魔なだけだった。



 ***



 この一週間、ユキはほとんど病室から出ることがなかった。

 足を怪我しているため仕方ないといえば仕方ないのだが、たとえ施設内であってもどうも余計な散策は禁止されているきらいがあった。

 目が覚めてからというもの部屋の外には常に監視のためか誰かが立ち、部屋の外へ行くときは大体が誰かが付き添う。

 車いすに乗せられ、浴場や検査室などに行くときなどがそうだった。トイレだけは病室内にもある。しかし部屋の位置関係から外へつながる窓なんてない。



 付き添うのは医師やら看護師やらだったが、毎回異能者による監視もある。

 同じ人物とは限らず、交代で監視しているようだった。

 千陰以外にも本当に協力している異能者がいるのだと、これにはユキも少しばかり関心を示した。

 同時に、確かにこの程度ならば使える駒を欲しがるのもわかる、とも。


 彼らの持つ異能がどういうものかまではわからないが、実戦ではせいぜいが壁か囮になるのが関の山。

 驕りではない。純粋な考察だった。

 鉢合わせた同業者にあっさり殺される側、あるいは異次元体の腹に簡単に収まってしまうような連中と同じ雰囲気。


 こいつらにも金が払われているのかと、少しばかり嫉妬を覚えるくらいだった。



 なんにせよ、脱走を心配されてのことだろうが窮屈なこと極まりなかった。自然ストレスはたまっていき、どこか申し訳なさそうな顔を浮かべる職員らしき人物たちにも悪感情が募っていく。


 採血やら問診やらも多く、よくわからない機械につながれることもあって、気分はまるで実験動物のようであった。



 この扱いに、トップであろう龍堂寺に一言文句でも言ってやろうとずっと腹に溜めてきたというのに、当の彼は姿すら見せない。

 千陰いわくそのうち顔を出すだろうとのことだったが、いまだユキのもとに訪れることはなかった。

 以前会ったときに「一人で生きていける」と啖呵を切った以上、顔を合わせるのは憂鬱ではあったのだが、こういった形で焦らされるとはさしもの擦れた少年にも思いもよらないことだった。


 話を聞くにどうも本局やら行政機関とやらと行ったり来たりで忙しいとのことで、なかなか職場にも顔を出せない状況らしい。

 学校帰りなのだろう、学生鞄と文庫本の入ったレジ袋を提げてやってくる千陰の話から組み立てられた情報だ。


 おかげでこの施設、この組織については千陰や川島らから聞くこととなり、懇切丁寧な川島の説明と、千陰に投げてよこされたパンフレットからおおよそ把握できていた。



 簡潔にまとめると隣接次元発生事象、つまり異次元体によって生み出された異空間、およびその主である異次元体の排除を目的とした組織で、次いでエーテル技術の研究のため同系列の組織へとエーテル心炉の提供を行っているとのことだった。


 異能者の保護は基本的に他局の仕事らしいが、局長が勝手にやっているとか。

 ユキが千陰と出会ったように、異空間内での接触というのも少なくないため他局からも半ば黙認状態らしい。



 これらを説明されて、正直なところ少しも興味のわかない組織だということだけがわかった。


 所属しているだけげ給料と住居が提供されるというのは基本アウトローな異能者にとって魅力的な待遇ではあるのだが、損得よりも感情が優先されるユキにとっては嫉妬はすれどもイエスとは到底答えられない。



 ある程度自由に動けるほどになった今、もはやここにいる必要もなくなった。

 あの髭の男に文句を言うために今の状況に甘んじていたが、来ないなら待っている必要もない。



 包帯の下はすでに剥き出しの肉状態ではない。薄皮が広がり、この分だともう三日と待たずに完治もするだろう。

 検査や包帯を変える度に担当医らしい川島が驚いていたのを覚えている。

 そして無茶なことをしていないかと問われたのも覚えている。

 まともに取り合うことはなかったが。


 険しい顔を見るたびに、彼は自分にちゃんと向き合ってくれる人間なのだと、まざまざと思い知らされるようで、あまりいい気分ではなかった。

 それがどういった感情からくるものなのかはおおよそ見当もついていたが、だからこそ早くここから出るべきだと長年培ってきた生き方が声高に叫ぶ。


 治療だけ世話になって出ていくというのは、ほんの少し胸がちくちくとしないでもなかったが、もともと無理やり連れてこられたのだからと理論で武装する。

 実験動物のような扱いを受けたという不満もそれを後押しすれば、罪悪感はすぐに白旗を上げた。



 パンフレットにはこの建物の位置も載っていた。ユキが隠れ家にしている地域より南、都心寄り。異能者になる以前にも一人で来たことがないような地域。

 電車か車かで移動するのが妥当な距離だったが、適当に北に走ればそのうち知った場所に出るだろうという楽観的思考で、ユキは脱走の算段を立て始めた。


 決行するなら止める者のいない時間帯がいいだろう。邪魔になりそうなのは、今のところ千陰くらいのものだった。彼女は昼間は学校に行っているはずなので、夜より日中のほうがいいだろうと考える。


 先日のように狩りに出ている時ならまだしも、そうでない場合は邪魔をされる可能性が高い。本人の意思というよりも、組織に所属するものとして。

 彼女は自身に対して別に執着なんてものはないだろうと、ユキは考えていた。同時に〝誰かのために〟なんて義務感も薄いのでは、と。


 しかし仕事となれば話は別のはず。

 脱走したことが知れ渡ると、近場の寮で暮らしているらしい彼女も出張ってくる。

 万全の状態ならまだしも、完治していない、そして丸腰の状態では分が悪い。

 避けられるなら避けるべきだ。


 日中では病衣のままというのがネックとなるが、そこは仕方ないだろう。どこかに身を隠す、あるいは人目のある場所を避けるだけ。

 脱走の際適当に衣服をかっぱらうのでもいい。

 白衣やスーツが多そうだが、上着くらいどこかにあるだろう。

 施設内はほとんど見て回れなかったため、どこにどんな部屋があるかはわからない。

 最悪そこらへんを歩いている誰かの身ぐるみをはぐことになりそうだ。

 幸い今は10月末。

 ジャケットやコートを着こんでいるものが何人もいる。




 リモコンで電気を消して、布団に潜り込む。

 一定の温度に保たれた室内では、薄い掛布団だけでも寒さを感じない。

 柔らかな枕へと頭を押し付ける。

 ゆっくりと沈み込み、丁度いい高さで止まる。この柔らかさを堪能するのも今日で最後だ。


 日中を寝て過ごし、夕方以降に活動するという生活サイクルも、すっかり治ってしまっていた。

 眠気はそれほどないが、じきに眠りに落ちるだろう。



 窓もない部屋。

 当然月明りも入らない。

 扉の明り取りから廊下の光が入ってくるくらいだ。

 暗闇に閉ざされると、ここに連れてこられてから顔を見合わせ、会話をした人たちのことが、自然と思い出される。


 不覚にも名残惜しいという感情が胸にふっと寄ってくる。

 それを無視するように、強く目をつむった。



 ***



 包帯の巻かれた足をスリッパに通す。

 体重を預けたくらいでは、血が滲むようなことはない。

 手に握るのはベッドのフェンスを千切って作ったピックのようなもの。

 中は空洞。

 パイプの先をねじったようなものだ。


 材質は一応金属らしかったが、非常に脆い。

 自身のエーテルを流し込んだらすぐに崩れてしまうだろうと、ユキは考えていた。


 しかし、脅しで使うには申し分ない。


 パタパタと音を立て、扉まで歩く。

 そばにいるのは一人だけと気配でわかっている。監視の一人だ。

 なんの躊躇もなくレバーハンドルを引く。

 鍵もないそれは何の抵抗もなくに開いた。


 外は廊下。

 薄緑色のリノリウムと、若干クリーム色の壁。

 廊下も外に面しているわけではないようで、窓の一つもない。代わりに扉が等間隔に並んでいるが、人の気配はない。

 中が同じ病室なのだろうと簡単に予測できる。利用者が今は自分一人だけとも把握していた。


 事前の察知通り周囲には一人しかいない。

 すでに何度か顔を合わせ、名前も覚えてしまったスーツ姿の男だけ。


 二十台前半、あるいは手前といったところの優男。保護した少年をあまり刺激しないようにとの理由の人選だったが、それは悪手でしかなかった。


 彼は少しばかり驚いた表情を浮かべ、そしてすぐに柔らかなものへと変える。


「どうかしたかい? おなかが減ったとか――」

 目線を合わせるために、わざわざ中腰にまでなった彼はしかし最後まで言い切る前に言葉を引っ込めざるを得なかった。


 ユキは彼の胸に垂らされたネクタイをひっつかみ、そして彼の体を壁に叩き付けた。

 大きな音の立たぬよう、しかし衝撃はしっかりと伝わるように。

 さすがにこの程度で気絶はしないのか、激しく咳き込み、そして何が起こったのかと目を回す彼に――彼の目に向けてピックを突き出す。

 別に刺しはしない。

 脅すだけ。


「ひっ!」


 それでも気の弱いらしい彼には効果てき面だった。

 赤銅色に染まった瞳に映るのは情けない声をあげ、顔を青ざめさせる男の姿。


 怯えた表情に罪悪感を覚えないわけではない。

 だいぶ絆されてしまったのか、それとも今まで狩場で相手にしたことのないタイプだったからか。それは判別がつかない。

 もやもやとした、晴れがたい感情が内に広がる。それでも、顔に出さずには済んだ。


「……悪いけど、気絶だけさせる方法なんて知らない。死にたくなかったらそこでじっとしてて。それだけでいいから」


 冷たくそう言い放ち、頷くこともできない彼からついでとばかりに上着を剥ぎ取る。

 サイズが合わずぶかぶかなスーツだが、ないよりはましだ。

 病衣にスーツは見た目としては不審極まりなかったが。


 なんのアクションの見せない彼に対して振り返ることもなくその場を後にした。


 出だしは好調。

 しかしユキの顔はどことなく曇っていた。



 ***



 悠々と歩く彼の後ろにはしかし何人もの人間が倒れている。遠巻きに見ているものも多かった。


 倒れているのが止めようとした異能者たち。 見ているだけなのは、多くはここの職員たち。


 取り押さえようと向かってきた者たちは、少し威圧すればそれだけで足を止めるものも多かった。それでも止まらなかったのは少しは実戦経験があったものたちなのだろうか。

 エーテルで強化された膂力でもって抑え込もうと迫ってきたが、ユキが軽く腕を振るえば簡単に沈む。

 呆気なく倒れる彼らに対して侮蔑よりも憐みのような感情ばかりが浮かんだ。

 おかげで胸のもやもやは増す一方だった。


 一般職員たち、少しでも関わり合いを持ってしまった彼らの目が強い怯えを滲ませていたこともそれに拍車をかけていた。



 自分から仕掛けたこと。

 しかし、対処のしようがない、焦りに似たに何かが胸に渦巻き、なぜか心臓が早鐘を打つ。


 取り返しのつかないことをしてしまったような感覚。

 捨てられたのではなく、自分から居場所を壊してしまったかのような、後悔のようなもの。

 もはや不機嫌――というよりもどこか苦し気な表情を隠すこともできていなかった。




 思いのほか早く人が集まった。

 最初にのした男が連絡を入れたのか、それとも別の理由からか、それはユキにはわからないことだ。

 実際のところは単に監視カメラに映っていたというだけのことだが、そこまで頭は回っていなかった。

 というより、監視カメラというものに対して深い理解も持っていなかったのだ。


 おかげで、思った以上の人数の異能者と相対することになった。ほとんどが雑兵と言っていい弱さだった。

 しかし、これだけの数の異能者が、同類であるはずの彼らが一般人に手を貸している、そして受け入れられているということを知りひどい動揺を誘った。



 もはや向かって来る者もおらず、足を止めさせるものもいない。


 死屍累々の廊下から少しばかり歩いて、ようやく窓のある場所までたどり着いた。


 検査や入浴などでユキが部屋の外に出るとき、車いすを押す職員たちはいつも窓のないルートをわざわざ選んでいるようだった。だからそれとは反対のほうへと進んでみたのだが、どうやらあたりだったようだ。



 嵌め殺しの窓。格子のようなものはついていない。あったところでさして問題ないのだが。

 人一人抜け出すには十分の大きさのそれを叩き割る。

 これまでで一番大きな音が鳴った。


 外は二、三階の高さのようだが、なんの問題もない。窓の桟に足をかける。

 びゅうびゅうと冷たい風が体を打った。

 風が強く、空は灰色の雲が覆っている。

 寒々しい景色だった。



 少しばかり息切れをして、駆け足で近づいてくる音が聞こえる。

 聞きなれてしまった声で名前を呼ばれていた気がした。


 それに気づかないフリをして、冷たい世界へユキは体を投げ出した。



 ***



「遅かったか」

 険しい顔をした大男が一人、ガラス張りのエントランスを歩いている。

「申し訳ありません。監視をもっと強くするべきでした」

 隣を歩くのはスーツをしっかりと着込み、アンダーリムの眼鏡をかけたやや痩せ顔の男。

 隣接次元発生事象対策局の副局長、鶴田弘道という男だった。

 手にファイルを持ち、男に対して頭を下げている。


「いや、君の責任ではないよ。長く空けすぎた、私の責任だ」

 そう答えるのは、今しがた出先の厚生労働省から帰還した局長、龍堂寺であった。


 彼は局長室までの道を歩きながら、先の出来事の詳細な報告を受けていた。

 時刻はすでに21時を回っている。

 ユキが脱走してからゆうに半日近く経過していた。


「それに、いくら監視を強めたところできっと止められなかっただろう」

 龍堂寺の言葉に、鶴田は当局に所属する実働班の被った被害へと思考をはせる。

 実働班といっても、ほとんどが二線級だった。しかし、実のところ矢柳千陰などの一部を除いてほとんど一線級と大差ない。異次元体対策局という割に、所属する異能者の質は著しく低かった。


 局に勤めているのは異次元体、および他の異能者との実戦経験などほとんどないものが大半であった。そして、今回ことに当たったものの中には、実力者同伴とはいえ戦闘経験を重ねてきたものもいた。

 それでも子供一人に呆気なくあしらわれた。

 それほど、世の異能者たちと差があったのだ。


「対象の脅威度を見誤ったと」

「いや」

 龍堂寺は片手をあげてそれを否定する。

「時期尚早、それと遅かったんだよ……後者は、私の到着がね」

「では、時期尚早というのは」


 龍堂寺は一度深く吐息をこぼし、大きな手で目頭を押さえる。

「もっと段階を踏んで、人に慣らしていくべきだったんだよ」

「まるで犬猫のような言い草ですね」


 龍堂寺は力なく笑った。

「実際、似たようなものなのかもしれない。ネグレクトや……いじめなんかともまた違う。家族にまで捨てられて、周りのすべてが敵になってしまったわけだからね。社会から見捨てられた異能者たちは、まあ捨て猫や捨て犬のようなものなのかもしれない。自分たちを捨てた家族を――人間を恨んで、そして恐れている。特にあの子は、自我だってきちんと形成される前に異能が発現してしまった。大人になってから異能者になった者たちとはわけが違う。自己、そして社会に対する価値観はまだ形成途中の段階で大きく歪められてしまった。だから他人、特に力で劣るはずの普通の人たちを極端に恐れるようになってしまったんだろう」


「しかし彼は負傷していたわけで、治療を受けさせないわけにはいきませんでした」

「そうだ。それは何も間違っていない」

 エレベーターホールまで来た彼らは、そこで少し足を止める。

 三つあるエレベーターはすべて五階以上に止まっていたようだ。

 一階まで下りてくるまでにはまだ少し時間がある。


「捜索のほうはどうなっているかな」

「関係各所の協力のもと行われていますが、芳しくはありません。おそらくはもうかなり遠くまで逃げたものと」

「そうか」


 シンプルな電子音の後、右奥の扉が開く。

 二人はそこへ足を運び、七階のボタンを押す。一瞬の浮遊感のあと、それは淀みなく上へと昇る。途中の階に止まることなくそれは目的の階にまでたどり着いた。


 鶴田はちらりと腕時計に目をやる。

「そろそろ引き揚げの時間です。明日以降の捜索はいかがなされますか」

「……成果は出ないだろうな」

「ならば捜索を打ち切るということで」


 フロアへと降りたち、再び歩き出す。

 タイルカーペットが敷かれ、足音も柔らかなものとなる。

 照明は他の階の煌々としたものと比べ、どこか落ち着いた暖色となっている。


「相変わらず、淡々としているねえ」

「性分ですので。それにあまり長い時間、そして多くの労力をたった一人のために注ぐわけにはいきませんから。そもそも異能者保護は我々の管轄ではありません」

「お役人だねえ」

 

「あなた程でもありませんよ。元厚生労働審議官殿」

 苦笑いを浮かべる彼に向って、鶴田からやや鋭い口調で指摘が入った。

「何か棘がないかい? それだと私が天下りしたように聞こえるんだけど」

「ほぼ事実でしょう」

「いや、違うからね? ここも上も退職してから出来たわけだし」

「雛形はそれ以前から出来ていたわけですが」

「それは仕方ないだろう、そもそも私も立ち上げに関わっていたくらいなんだから」

「初めからこのポストに収まるつもりだったと」

「……」


 しばし無言のまま歩き、局長室へとたどり着く。そのまま中へ入り、彼らは応接用の椅子へと、ローテーブルをはさみ向かい合うようにして腰を下ろした。

「やめないかい? この話」

「……まあ、いいでしょう。それで、彼についてはいかがするおつもりで?」


「そりゃあ、何としても保護して見せるさ」

 気勢を取り戻して、彼は言う。


「確かに、飼いならせば貴重な戦力にはなるかもしれません。しかし彼のおかげで何人も怪我人が出たわけですが」


「言い方がきついなあ相変わらず。そんな冷たい人間じゃないくせに」

 ジロリとした視線が、朗らかに笑う男の顔に刺さった。

「なんにせよ、協力の意思はないと思われますが」

「いや、それは違うさ」

「どう違うと?」


「さっきも言ったように彼は――そう、きっと優しくされることが怖かったんだろう」

「……」

「これまで、ほとんど一人で生きてきたようだからね。悪意こそ向けられても、優しくされたことなんてあまりないんだろう。そして急にたくさんの、かつては自分を迫害してきたはずの一般人たちに囲まれて――怖かったんじゃないかな」

 どこか遠い目で――とある秋の夜に出会った少年のことを思い浮かべながら、彼は語った。

 そして、頭の上で腕を組みながら革張りのソファへと背を預けた。

 咎めるような視線を感じたが、それには無視を決め込んだ。


「それに、皆大した怪我ではなかったのだろう?」

「少なくとも、再起不能のものはいません。異能が使われなかったことが大きいでしょう」


「ほらやっぱり。一番の武器を使わなかったってことは、余計な敵対の意思もないってことだ」

「それを使うまでもなかったとも考えられますが」

「それはそれで、耳が痛いね」

 ハハハと、苦笑いを浮かべる。

「訓練のほうを少しきつめに変えましょうか。それとも、もっと実戦を積ませますか?」


 龍堂寺は姿勢を戻し、今度は胸の前で腕を組む。

「異次元体との戦闘――彼らの言うところの狩りをさせるのが一番なんだろうけど……生還率はどの程度だと思う? もちろん、千陰ちゃんのお守りなしで」

 鶴田はしばし考え込む。

 頭に叩き込んでいた諸々の資料を呼び起こして、脳内で簡易な計算をする。

 彼には当然戦闘経験なんてものはない。

 しかし、〝現〟実働班の各種データ、そして〝過去〟の実働班のものと比較する。


「……相手の質にもよりますが、およそ半分は下回るのでは?」

 結果はあまりいいものではなかった。

「……難しいね、本当」

「それを何とかするのが我々の仕事でしょうに」

「知っているさ」

 両者の口から深いため息がこぼれる。

 人の上に立つということはそれだけ預かるものが増えるということ。

 特に彼らが預かるものには命というかけがえのないものが無数に含まれる。一般市民の平和と、職員の安全。そのどちらも守らなければいけないのだ。



「ああ、それと」

 鶴田が何やら手元のファイルから一枚の紙を抜き出した。それを、龍堂寺へと渡す。

「これは?」

「十川道幸の検査結果、それとその所感だそうです」

「担当は、ああ川島君か」

 龍堂寺は資料を適当にめくり、そしてある一部、担当医である川島の見解を目にして手を止めた。


「……難しいねえ、本当」


 『異能の過度な使用は命に関わる危険性あり』

 彼の目はしばらくその一文を捉えて離さなかった。



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