2話 既知と未知
金のよろず屋。
とある繁華街の奥の奥。
きらびやかなネオン光すらも届かない薄暗い路地裏。古びたテナントビルの裏側に入口を持ち、表からは壁に仕切られて入れない。
鉄扉の内側は蛍光灯に照らされた手狭な空間で、いつのものかわからない映画宣伝のポスターがずらりと張り付けられた壁と申し訳程度の観葉植物、そして下りの階段だけがぽつんと存在する。
さらに地下に下ると、薄暗い、どこにも通じていない廊下に出る。
天井の二本の蛍光灯はいつ頃からか役目を果たさなくなり、代わりにランタンのようなものが一つ、壁に掛けられている。
そばには木製の扉。
アンティーク調で、真鍮のレバーハンドルが備えられ、小さな明かり窓は花を想起させるウィンドウグリルで装飾されている。
10畳ほどの、そこそこの広さがあるはずの店内だが、雑多に陳列された商品で実際以上に狭く感じる。
配置もずいぶん適当で、カウンターすらない。
代わりに木製の簡素な事務机が正面奥に置かれ、背後には閉ざされた扉が見える。倉庫や、また生活スペースにでもつながっているのだろう。
多少埃っぽい室内は天井から吊るされたいくつかの裸電球によって照らされ、傷んだ木目の床や打ちっぱなしのコンクリートの壁を橙色に染めていた。
入口から事務机までは型落ちの生活雑貨、期限の幾分切れた食料品などが並ぶ陳列棚に占拠され、歩くのもままならない。
開封済み、未開封問わずに木箱も積み上げられ、蓋の空いたものからは衣服だろうか、しわくちゃの布がちらりと覗いている。
一際異様なのは入口から見て左手奥。
この店の異質さを凝縮したようなスペース。
そこにはデザインの揃わない傘立てのような入れ物が並べられ、中にはむき出しの刀剣類が雑に収められていた。
中でも刃渡りの短いものは――意図はしていないだろうがまるで戦利品のように壁に掛けられ、あるいは吊るされている。
ユキの持つような軍用マチェットも同じように紐で垂らされていた。
もともと屋号なんてなかった知る人ぞ知る隠れ家のような店。扱うものも特殊で、それゆえ訪れるのも一般の人間では決してない。
店主の気質からわざわざ客を集めようなんて気もなければ、訪れた時に別の客と出くわすことなんてそうそうない。
商売っ気がなく、そもそも開業の届け出が役所に出されているのかも怪しい店。
しかし、誰が呼び始めたのか、いつのまにか『金のよろず屋』の名で定着していた。
由来は若い女店主であるレリアの豊かな金髪から。束ねることなく無造作に腰まで垂らされたそれはしかし上品さを損なわない。
「――純度は低め、エーテルの生成量は……なかなかなものだが。まあ、これなら買取価格は3万がいいところだな」
薄暗く、手狭な室内。
寒がりらしい店主の意向で、既に暖房が入り室内は温かい。
そんな中、物でごったにかえった事務机に肘を立て、受け取ったガラス瓶を眺めているのが店主のレリアだ。
ガラス瓶を眺めるその目は宝石のように澄み、薄っすらと青く光って見える。
彼女もまた、異能者だった。
ワイシャツから除く白い手がガラス瓶を机に置く頃には、瞳の輝きも無くなっていた。
それでもなお惹かれるような、先ほどより少しばかり深い、藍色の瞳が残った。
「安くない?」
「これでも少しおまけしてるんだぞ? 不満があるなら余所に行きな」
客――ユキは不満を口にするも、目線を合わせることすらなく一蹴された。
鑑定の邪魔だと少しばかり寄せていた赤と黒のチェックのストールを直す彼女は、にべもない様子。
あいにく彼には他のブローカーのつてがない。交渉術に覚えがあるわけでもなければ、提示された値段で了承するしかなかった。
しぶしぶといった様子の少年に、レリアは薄く笑みを浮かべる。
温かみが感じられるわけでもなく、かといって冷たいわけでもない。
人付き合いの経験が少ないユキでは、何度見てもそれにどんな感情が込められているのかさっぱり見当がつかなかった。
彼女はレトロなレジスターから30枚の紙幣を取り出して、よれよれのそれを手渡す。報酬を千円札で受け取るのはまだ幼い彼の年齢を考慮してのことだ。
そろそろ中学生くらいに見られるほどには成長したが、まだまだあどけなさは残る。
そんな少年が万札を持っていたら、いらぬ疑いをかけられるようなことがあるかもしれないからだ。
「いつも思うんだけどさ」
少々かじかんだ指でぺらぺらと枚数を数えながら、ユキが口を開く。
「なんだ」
「そのエーテル心炉って何に使うの」
「ああ」と、小さく息を零しながら、レリアは頬杖をついた。
「残念ながら私も何に使うのかまでは、詳しくは知らないな。私はただ、これを欲しがる誰かに適正な値段で売り払うだけだよ」
ガラス瓶を指でなぞりながらそう答える。
もはや動くことのない、しかしうっすらと緑色に発光するそれに照らされる指は、細く、そして陶器のように艶やかだ。
絶対嘘だ。
ユキは内心で毒づいた。
得体の知らないものを取り扱う、というよりもリスクの高い選択をするタイプではないということは、内面を推し量るのを得意としない彼でも十分以上に理解していた。
同時に、こういったごまかしをするときは絶対に譲らないということもまた、知っていた。
「適正、ね」
少し含みを持ったように相槌を打つ。
何を基準に、と思わないこともないのだ。
特に他のブローカーを知らない彼にとっては、目の前の腹のうちの読めない女性を無理やりにでも信用するしかないのだ。
「なんだ、まだ私の目利きに不満でもあるのか?」
「別に」
挑発的な笑みを浮かべる彼女に、素っ気なく答えた。
彼女とはそれなりの付き合いだった。
出会ったのは、小学校に通うようになってから3年ほどたった頃。
不運にも異能が発現してしまったユキは、子供の知恵ではそれを隠し通すことなど当然できず、親からも見放され、結果〝社会から追われる〟ことになった。
彼が生まれる前から、社会はそういう風になっていた。
そして、一人で生きていく術なんて当然知らず、人の目の届かない薄暗い路地裏で雨風をしのいでいるところを、偶然に彼女に拾われたのだ。
まだ若かった彼女だが、当時から既に店を開いていた。最も今よりさらに規模は小さく、これほど店内もごちゃごちゃしていなかったが。
なんにせよ、ユキは偶然彼女の店の前で蹲っていたのだ。
一緒に暮らす、なんてことはなかったが、泥臭い生き方と、そして異能者としての金の稼ぎ方だけは彼女から教わった。
ゆえに、ユキはそれなり以上に彼女を信頼していた。母替わりとまでは言わないが、年の離れた姉くらいには慕っていたかもしれない。
だからこそ、こうやって時折口をとがらせてしまうのだろうか。
30枚ぴったりだった紙幣を安物の財布に仕舞うと、彼女と目を合わせることなくそっぽを向いた。
ちょうど目に入ったのは蓋の空いた木箱だった。外国語の記されたテープが剥がされることなく残っているそれからは、布切れがちょこんとはみ出している。どこぞの企業から仕入れた輸入品の衣類だろう。
「何か買ってくか? 一般人より頑丈とはいえ、そろそろその恰好だと寒いだろう。今なら安くしておくぞ」
「いいよ。この前毛布拾ったし」
「拾ったって、どこでだ」
いらぬ失言だったと、思わずばつが悪そうに顔をしかめる。
呆れたような視線が横顔に突き刺さる中、ユキはもごもごと「ゴミ捨て場」と呟いた。
盛大なため息が彼の耳を打った。
「お前もいい加減、まともな拠点を持ったほうがいいぞ? いつまで野良猫みたいな生活を続けるつもりだ?」
中学生やそこらのユキにはなかなか厳しいように聞こえるが、実際浮浪者じみた生活をしていては安寧など程遠い。
今日だって、温かい部屋へと思いをはせてしまったくらいだ。
彼ら異能者にとって安全な拠点の確保はかなり優先されるべきことだった。
「そ、それより、もっと大きい容器頂戴よ。今のやつだとでかいやつじゃ入らないからさ」
「今回みたいな、生成量だけは一級品なやつなんてそうそういないがな」
追及されてはたまらないと無理やりに話題を変える。
じっとりとした視線がようやく外れ、安堵したユキはようやく正面へと向き直る。
ちょうど、レリアが立ち上がったところだった。後ろ向きになった彼女の長い髪がふわりと揺れる。鼻を突くような毒香とはまた違った、柔らかな甘い香りがうっすらと漂った。
彼女はエーテル心炉の入ったガラス瓶を持って背後の壁際のサイドボード、その上に置かれた古めかしい革張りのトランクケースの1つを開けた。
中は同じようなガラス瓶がいくつも入っている。当然、中身入りで。
トランクを開けたことで、橙色に照らされた店内に薄緑の蛍光色の光が混じった。
ガラス瓶一つならまだしも、それが8つも並べばそれなりの光量にもなる。
光の源、醜い肉の塊さえ見えなければなかなかに幻想的な光景になるだろう。
ガラス瓶をトランクに収めて蓋を閉める。
すると淡い緑色も消え去った。鍵もしっかりとかけられ、おまけとばかりに新たに南京錠まで嵌める。
「大きい容器といってもなあ。このサイズが一番収まりがいいし、わざわざ同じものに揃えているんだが」
トランクから手を離し、今度はサイドボードの扉を開ける。中には先ほど渡したガラス瓶と同じものがたくさん並んでいる。
ユキのように金のよろず屋で換金するものは、だいたいそこに収められたビンを受け取っている。
一見なんの変哲もないガラス瓶。
しかし、あれでなければエーテル心炉からエーテルが、そしてあの毒香が漏れ出してしまう。そんな不用心をさらしていれば、町中で横取り狙いの同業者に襲われる羽目になる。
それどころか、異空間にさえぎられていないのだ、一般の人々もその毒香を浴びることになる。
無意識だろうとテロ行為に等しく、正義感にあふれた異能者に目をつけられるだろう。
最悪〝討伐対象〟にまでなってしまう。
ゆえに、ビンがなければ狩りもできない。
たとえ持っていても、空き瓶でなければ意味もない。小さいエーテル心炉ならば複数押し込めるが、基本的に一つにつき一瓶。
あふれるようであれば、せっかく狩った獲物とはいえ、むざむざ放置するしかない。
誰かが持っていくか、自然消滅するか、それはわからない。
どちらにせよ、空きがなければやっぱり安心して狩りはできないということだ。
以前自作を視野に入れて、そのビンがどういう仕組みなのかを尋ねてみたこともあったが、教えては貰えなかった。
レリアが棚やらチェストやらを開け閉めしている間、ユキは陳列棚のほうへと目を向ける。
ここに置いてあるものはたいていが期限切れの商品、いわゆる廃棄品だ。どこから仕入れてくるのか、スーパーやコンビニで売っていそうな菓子パンから袋菓子までが乱雑に並べられている。さすがに生鮮食品や冷凍品は置いていない。
まだユキが小さかったころのことだが、食玩すらも置いてあるのに驚いて思わず手に取ってしまい、レリアにからかわれるなんてこともあった。
それからというもの、時折食品に交じって、これでもかとばかりに目立つ位置に食玩が並ぶことが目に見えて増えた。
ウエハースとおまけのカード付のそれからそっと目をそらし、50%引きのあんぱんを手に取る。何もここで半額扱いというわけではない。
期限は4日ほど過ぎていた。
似たような菓子パンをいくつかと、やはり期限切れの缶詰をまとめて手に取る。
それらを机の上に並べていると、いつの間にか扉の奥にまで探しに行っていたらしいレリアが帰ってきた。
「やっぱり、サイズは今のやつしかなかったよ。昔はたしかあったんだけどね。規格を揃えたときに捨ててしまったかもしれないな。ま、タマのでかいやつに当たらないことを祈るんだな」
「サービスがなってない」
「趣味の店だからね、いいのさ」
ふふんと笑ったあと、彼女は机の上に置かれた商品にさっと目を通す。
はたから見れば何の変化もない彼女の顔。
しかし、ユキには微細な雰囲気の変化がわかった。彼女が小言をいう時の表情だ。
長い付き合いの中で覚えてしまった数少ない、そしてろくでもない発見の一つだった。
「これだけでいいのか?」
「うん」
「大きくなれなさそうだなあ」
「うるさい」
「やっぱり食事はバランスよくとらないとな。特にたんぱく質は大事だぞ? ちゃんと摂っているか?」
腕を組み、えらく胸を強調していう彼女はどことなくにやけ顔だ。付き合いが短くてもわかるだろう、完全にからかう時の顔であった。
「大物でも狩れたらステーキでも食べに行くさ」
「そう。ああ、これくらいなら五百円でいいよ」
手を差し出す彼女に、先ほどしまったばかりの財布から千円札を一枚取り出す。用意よく手にしていた五百円玉との交換だった。
期限切れの商品とは言え、ここで売っている食品はたいていが数十円とから百円程度の値段がつけられている。もちろん、子供相手というおまけもあったが。
一度社会からはじき出されてしまった異能者は通常の手段では金を稼ぐことができない。
それこそ異能者であることをうまく一生隠し通すか、ユキのように異次元体からとれるエーテル心炉を換金するか。
最悪非合法な職についたり、犯罪に手を出さなければ一銭も得ることができない。
だからこそ、たとえ廃棄品でも格安で提供されるものは金のよろず屋の客にとっての生命線でもあった。
「ん」
受け取った五百円玉は、握られていたからだろう、ほのかに温かかった。
「またくる」
購入した商品と替えのガラス瓶を適当にナップザックに詰め込むと、そのままくるりと背を向ける。
「はいはい。またのご利用をお待ちしております」
幾分投げやりな定型の文句を背に受けて、ユキはごったに返った店内を後にする。
ドアベルが小さく鳴った。
階段を上り、蛍光灯に照らされた小さな空間に出る。
明り取りもない灰色の鉄扉を開ける。
ドアノブはとても冷えていた。
扉の外は真っ暗だ。
路地裏ゆえ、通りの街灯もまったくと言っていいほど届かない。
秋風が吹き、鋭いビル風となって路地裏に入り込んだ。
乾いた空気が喉にへばりつく。がさがさとひりついたような感触に、唾液の塊を飲み込んだ。
外の空気はやけに冷たかった。
***
深夜ともなれば道を歩く人も殆どいない。
残業帰りのサラリーマンだろうか、それとも夜更かしをしている不健康かつ非行者だろうか。
金のよろず屋を後にした直後、繁華街を歩いていたころはまだちらほらと人も見られたが、郊外のほうへ行くにしたがってそれも次第になくなっていった。
車通りもほとんどなく、深夜でも開いているコンビニなんかも近くにはない。
ほぼ無人の世界。
聞こえるのも、時たまそよぐ秋風のほかはいつの間にかアスファルトから地面に変わった、土の上を歩くざりざりとした足音くらい。
静謐で、そしてどこか物寂しい。
そんな中を歩いているユキは、ふと足を止めた。
黄昏るつもりもなければ、靴紐がほどけたわけでもない。
人の温もりが恋しくなったわけでも――ない。
発達した聴覚では、耳を澄ます必要もなかった。
隠そうとも思っていないのだろう、聞こえるのは平然とした息遣い。
ユキが足を止めれば、今までずっと二重に聞こえていた靴の音も同時に止まる。
間違いなく、誰かがつけてきていた。
ある意味最も出会ってはいけない、深夜巡回中の警官とは違う。彼らはすぐに職質、というよりも補導するために駆け寄ってくるからだ。
ゆっくりと背後を振り返る。
そこには街灯もない、ただの闇が広がっていた。
「何か用」
そう、闇に向かって問いかければ、ややあって暗闇から大き目のシルエットが現れる。
夜目は利く。
十メートルと距離が縮まらないうちに、それが顎ヒゲを蓄えた大男だということが分かった。
ユキが問いかけてからは、男は鷹揚とした足取りで歩くようになった。
そして、通常暗闇でも顔が見える程度の距離になると、汚れ一つない茶色い革靴も静止した。
姿を現した男は、がっしりとした体つきに、闇に紛れるような黒色のスーツを着込んでいた。
どことなくがさつそうに見える顔に似合わずネクタイまでもきちんとしめている。
柄だけは、妙に趣味が悪い派手なものだったが。
「なに、こんな時間に子供が一人で出歩いているなんて、危ないと思ってね」
彼は悪びれもなくそういった。
笑みすら浮かべている。
訝しげににらんでも、それは崩れることはない。
無言を貫いていると、彼のほうから再び口を開いた。
「しかし感心しないな。こんな人気もないところに誘い込んでは、助けも呼べないぞ?」
「助けを呼ばれても面倒だから、ここに連れてきたんだよ」
街の中心から離れた場所。
大型のショッピングモールの裏の、やや小高い位置にある広場。
木々に囲まれた公園のような場所で、少しばかりの遊具と大き目の東屋すらもある。
昼間ならば買い物客の憩いの場として人気だが、店のシャッターも固く閉じられた後の深夜ともなれば、誰一人いない。
「ははは、一般の人を巻き込みたくない、か。君もなかなかに優しいな」
ずいぶんと都合のいい解釈をする男に対して、にらみつける目はさらにきつくなる。
わざとらしさを感じない、朗らかに笑う男はあけすけなのか、それともレリア並みに内心を隠すのがうまいのか、ユキには判断がつかなかった。
「……で、何の用」
「うむ、そうだね。子供はもう寝る時間だし、手短に済ますとしよう」
ようやく本題に入るつもりになった男に、少しばかり構える。いつでも〝抜ける〟ように、ジャケットの裏へと手を伸ばす。
「担当直入に言おう。少年、我々の仲間にならないか?」
いい顔で、それも腕を大きく広げて言う男に、ユキは思わず面食らってしまった。