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腐食の刃  作者: 南天
2章
18/18

18話 急襲(下)



 暗い夜道をとぼとぼと歩く。

 人気のない、通りから外れた道は痛いほどの静寂に包まれ、真っ黒な泥に包まれている気分だ。


 不快というわけでも、気味が悪いというわけでもない。何せ自らも本来夜の住人であり、アウトローであったのだから。


 少し前に、暖かい光のもとに転がり込んだばかり。

 これまでの暗くじめっとした生活は一新され、まったく新しい世界に――あるいはかつて自分がいたのであろう優しい世界に住むようになった。

 だから、この暗闇が懐かしい。

 そしてもう、違和感を覚えるようになってしまったようだ。


 なんとなく感慨気分になる。

 人のいない世界はかつては心地よいものだった。煩わしい視線もなく、〝怯える〟必要もない。自身にとっての楽園であり、ホームグラウンドだったはず。

 それが今では〝物悲しい〟とまで思ってしまうのだ。


 肌寒さがそうさせるのだろうか。

 秋や冬は『人肌が恋しい』と言うらしい。

 だからこの感情は寒さのせいなのかもしれない。


 そう、有り余る時間に麻痺してしまった頭でぼんやりと考える。

 終わりが見えない道筋では、これくらいしか暇の潰し方がないのだ。



 〝終電を逃す〟。

 昔、ドラマか何かで見たシチュエーション。

 自身の恩人の家でだったか。今になっては古めかしいブラウン管のテレビでくたびれたスーツ姿の男性が途方に暮れる姿を見た覚えがある。

 記憶の向こう、そして画面の向こうの落胆した姿が、どうしようもなく今の自分と重なった。


 更に言えば、道に迷ってもいた。

 当然だ、土地勘のない場所で地図もなしに歩いていたのだから。




 金のよろず屋からの帰り道。

 梓田駅で乗り換えるはずの電車はもう朝まで動かないらしい。普段から交通機関なんてものを使っていなかったため終電なんて把握していなかったゆえの悲劇だ。

 駅前のロータリーにはタクシーも止まってはいた。しかしそんなものを利用する気にはならず、ユキは歩いて帰ることを選んだ。


 歩いて帰れば日も昇ってしまうだろう距離もしかし、身体能力任せの強行軍であれば白む前には帰れるだろう。そう踏んでのことだった。

 根拠のない自信と、遠出することの少なかったゆえの楽観視。


 迷うのも時間の問題だったわけだ。



 ***



 深夜とはいえ、まったく人がいないわけではない。夜のうちに商品の搬入を行う業者、残業帰りのサラリーマン。ジョギングに勤しむ人や、深夜にこそ元気になるアウトロー。


 それらの視線に晒されないよう、人気のない通りから外れた道をこそこそと歩いていると嗅ぎなれた臭いがかすかに香る。

 方向は、少なくとも逆方向ではない。

 視線を向けた先は暗い夜空の中でさらに黒く浮かび上がる背の高い複数のシルエット。

 天頂にピカピカと赤い光が瞬き、ちょうど良い目印となる。


 無意識に、もはや反射に近いほどにそちらに足が向く。今の自分は金に困窮しているわけではない。そう理解しているのだが、長年染みついた習慣と、このひと月一度も狩りに出なかったゆえの鬱憤。そして道に迷っていたという焦燥感がそれを肯定した。


 向かうと決めた以上、迷うことはない。自然と足は駆けだした。

 闇の中を疾駆する。無人の道路を蹴り、電柱を足場にし、時には建物の屋上すらも飛び跳ねる。


 一度目標を定めてしまえば、一度駆け出してしまえば、もう止まらない。

 風を切って進む小さな体は瞬く間に長い道のりを縮めていく。

 衆目に晒されるよりも早く。厚いコートをはためかせて。



 十分と経たずにとうとうユキはその地を踏んだ。これまで歩いていた住宅地を抜け、まだ光の灯っていた繁華街も駆け抜け。二、三駅先のオフィス街へと。


 しかし、景色が背の高いビルに塗り替えられたあたりで生憎とあの甘い匂いは澄んだ夜空へと消えていた。

 久しぶりの狩りも結局はお預けとなってしまったみたいだ。

 高揚感も鳴りを潜める。代わりに虚しさばかりが胸にくすぶる。


 ユキは駆けるのをやめ、小さく嘆息しながら再びとぼとぼと歩き始めた。やたらめったらに走りはしたが、方向は間違っていないはずと目指すのはやはりまっすぐ先。

 ここらで働く人はもうほとんど帰ったのか。

 あるいは泊まり込みなのか。歩く人がほとんどいないというのも都合がよかった。



 走ったためか熱のこもった体。夜空の風を受け涼を取りながら歩けばしかし何やら妙な感覚が体に走る。

 独特なにおいでもない。しかし体に訴えかけるような威圧感。

 覚えのある感覚。

 それに思わず眉根を寄せる。

 それも仕方のないことだろう。その感覚はユキに面倒な記憶しか残していない。


 その感覚は戦意を滾らせた異能者の存在。

 狩りの余韻というわけでもなさそうだ。明らかに〝今から〟と高ぶっている。

 異次元体との戦闘は済んでいる。ならば横取りにでも入るつもりなのか。そう考え感覚を辿ると、場所はやはり目と鼻の先。今いるのビル群の中だった。

 直後に響く破壊音。

 エーテルの高まりが小さく肌を打つ。戦闘が始まったようだ。



 それを合図に、ユキは再び駆けだした。

 面倒くさくないといえば嘘になる。

 しかしこれまでならさっさと踵を返していた異能者同士の諍いも、対策局に所属してしまった以上見過ごすわけにはいかないだろう。

 休むことと学ぶことばかりを押し付けられていた彼は異次元体を倒せとも、異能者を保護しろとも直接命じられたわけではない。しかし知った人たちが何をしているかくらいは把握していた。

 もう随分前になる、龍堂寺との会話でも彼らが何をしているのかも聞いていた。


 彼が動く理由は義務感とは少し違う。

 何もしないことが受け入れがたいだけ。


 そう〝嘯いて〟ユキは走った。



 本心は瞬き一つしない表情の下に隠されたまま。


 何より、人のために生きてみようと思ったのだ。

 何より、仲間として受け入れてほしかったのだ。

 何より、もう一度人間に戻りたかったのだ。


 その本心に気づいていたのかはわからない。

 気づいていて隠していたのかもしれない。

 なんにせよ彼のその行動は功を奏した。


 わずか百メートルもない暗闇の先。眠りに落ち切らない街の中で三人の異能者が対峙しているのを目に映した。

 周囲にはほかにも何人かいるようだが、姿はない。さらに言えばよそから続々と人が集まっているように思える。野次馬か、警察か。

 どちらにせよ時間をかければ面倒ごとは避けられない。


 更に大きく踏み込んだところで、ユキは目を疑った。

 対峙していた三人のうち二人は見知った顔だったのだ。黒いスーツ姿の二人は彼の同僚。

 一人は局内で見かけた程度だが、もう一人は何度か言葉を交わしたこともある。


 その彼らは、今まさに理不尽な暴力に晒されようとしていた。

 彼らの実力をある程度把握していたユキは踏み込む足にさらに力を入れる。爆発的に速度を増した体は一気に距離を詰めた。


 二人と向かい合う一人の男。

 こぶしを振り上げたそいつは力強いエーテルの波動と、何より純粋な殺意を辺りに散らしている。横取りなどではない。あれは戦闘狂の類だと、ユキはこれまでの経験から一瞬で看破する。


 そしてその実力も。


 最後の一蹴り。

 アスファルトを砕くほどの勢いで飛び出した彼は、そのまま大男に向けて突撃した。


 手傷を負った様子の男は興奮に飲まれているのか、気づきもしない。


 そして、砲弾のごとき威力を持った膝蹴りが炸裂した。


 ずしりと重い感覚が足に広がる。

 おかしなことに、随分と重い。

 しかしこれまでの加速を余すことなく乗せた蹴りは男を吹き飛ばすに十分だった。


 短く、そして野太い悲鳴を残して転がっていくそれにユキは目もくれない。

 それ以上に気にすべきことが合った。



「お前、何でここにいんだよっ」

 助けに入った相手にそう問われ、そういえば自分は無断で寮を抜け出していたということを思い出したのだ。

 ひとまず、何かを答えなければいけない。

 焦った頭の中、口を飛び出したのはありのままの事実。


「……終電逃した」

「はあ!?」


 思わずそっぽを向いた。



 ***



「なんだ、いるじゃねえか面白そうなのが」

 派手に弾き飛ばされた大男が瓦礫の山からのそりと立ち上がる。

 男は口から垂れた一筋の赤を鱗に覆われた腕で拭うと楽し気にこぼした。


 それに対してどうするの、とユキは視線を霧原と平江に向けると、彼らもどうも対処に困っているらしい。罰が悪そうに顔をしかめていた。

 当然といえば当然だろう。保護するにしては相手は我が強すぎる。他者を傷つけることに一切の迷いなど持たないバトルマニアなど、おとなしく従うわけがない。


 かつてのユキと同じく、異能者にはただでさえ国、ひいては人間社会に不信も不満も持っているものが多いのだ。

 抵抗は必至。

 相手に力があるのなら、こちらも実力行使でいくしかない。それをできるだけの力が、彼らにはない。



「心炉ならあげるからさ。どっかいってよ」

 だからこそそう告げる。面倒だから他所に行けと。

「あ? いらねえよそんなもん」

「まあ、そうだよね」

 肩にかけていた鞄、着ていたダッフルコートを後ろに放り投げると、平江が慌ててキャッチする。

 コートの下から現れたのはショルダーホルスターに収められた銀の二振り。

 仕方ないとユキは懐から刃を抜く。まさかこんな早くに使うことになるとは。それも異能者相手に。

 そう若干うんざりしながら白銀の刃を煌めかせると、相手も笑みを濃くする。


 戦意が高まる様子を見て肩をすくませる。


 異能者と戦ったことは過去何度もあった。

 だいたいが武器を壊せば引いていく。己が可愛いからだ。

 しかしそうでないものもたまにいる。

 目の前の男のように、戦うことに価値を見出したタイプ。


「おいユキ、どうするつもりだ」

 やや声を低くして霧原が問う。

「まあ、殺しはしないよ。腕の一本や二本は貰うかもしれないけど」

 そう振り向きもせず返せば、沈黙だけが返ってきた。


「随分、余裕そうに言うじゃねえか」

 蹴り飛ばされた後だというのにゆうゆうと歩く様にはダメージをまるで感じさせない。

 耐久にはそれなりに自信があるようだ。

「まあいいさ。お前は結構やるみたいだからな。ちっこいくせに」

「うっさいな。足ももぐぞ」

「悪い悪い。別にけなしてるわけじゃあないさ」

 ――随分楽しそうに笑うものだ。

 胡乱げな目で睨み付けたところで気にした様子もない。


 十メートルもいかない距離にまで男は歩くと、そのまま腰を落とし、右腕を引く。

 戦闘態勢に入った。


「吠えるのは構わないけどな」


「――まずは俺の体に傷をつけてから言いな!」


 地を弾き飛ばして男が飛び出した。

 向かうのは当然自身のもと。

 わずか一歩で距離を詰め、大気を破裂させながら頑強なこぶしを突き出した。


 だが、遅い。


 大振りの腕を掻い潜って腹に向けて白刃を這わす。

 しかしそれは鱗に覆われた左腕によって庇われた。ギャリギャリと耳障りな音をたてて刃先が滑る。

 火花が散って、わずかな焦げ臭さが広がった。


「おいおいその程度かぁっ!?」

 にんまりと口を歪め、叫ぶ。

 片足を軸に男は半回転し、交差したばかりのユキに向けて蹴りを放った。


 勢い任せのそれにを難なくかわすと、ユキは再び刃を振るった。

 赤銅には程遠い、薄っすらとだけ赤が差した刃を。

 狙うのは次発に向けて引かれつつある右腕。

 右のこぶし。

 その指先。


 ――殺すのはダメって言われてるし。


 言葉の脅しは当然通用しない。

 そして面倒なことに――相手は無手だ。


 ユキにとって相性のいいタイプ、いや、よすぎるタイプだった。

 殺すのに容易く、脅すのに難い。


 ――めんどくさいなあもうっ!


 腕くらいは、といったもののどこまでやっていいのかいまだ判断がつかない。

 だからまず指くらいで様子を見よう、そう考えた。


 しかし予想と違えて、振るわれた刃に向けて、男はこぶしを放つのではなく防御を取った。

 刃を受け止めることを選んだのだ。

 先の交差でユキの刃は届かないと踏んだのだろう。大きく広げられた手のひらが刃を食い止めた。


「あ」

「あ?」


 硬いい者同士が擦れる、耳障りな音。

 一瞬だけそれが響いて、あとは間抜けな声が二つ。


 刃は手のひらを、固い鱗を浅く切り裂いた。

 わずかといえエーテルの込められた刃は先と比べて切れ味が高い――エーテルの守りに対して歯向かう力を持っていた。

 ゆえに、堅強な守りを破ってしまった。


 その結果に二人して目を丸くする。

 片方はまさかといった具合に。

 片方はやってしまったといった具合に。

 しかし動きを止めるわけではない。刃を握りつぶされる前にユキは腕を引き、さらに後ろに下がる。

 一方で大男は違和感を放つ腕をかばいながら、やはり一歩下がった。


「ほう。これがお前の」

 手のひらに広がる赤茶けた錆。

 腐食した鱗がぽろぽろと剥がれ落ちる。わずかに流しこまれたエーテルが錆を徐々に広げていく。

 肉にまで届いたのか、男の右手はぎしりと音を立てる。肉が崩れ、骨すらもむき出しになっていく。

 しかし、浸食はそこで止まった。

 込めたエーテルが少ないのがよかったのか、相手の抵抗力がそれなりだったからか。


 とはいえ指を切り飛ばす程度のつもりだったそれは右手をまるきり使い物にならなくさせてしまった。


「……まだやる?」

「当然っ!」

 これで怯めば、わずかに期待したのだがそううまくはいかないらしい。


「そら! 次はもっとかてえぞ!」

 左腕を引き絞り、男は吠えた。

 半身に隠されたそれは先ほどよりわずかに膨張しているように見える。盛り上がっているのは更に分厚くなった鱗によるものだろう。

 これまでが滑らかな蛇の鱗とすると今は、


「トカゲかよ」

 蜥蜴、それもごつごつとした分厚い鱗を持つような。

「ははっ格好いいだろう?」

「ぜんぜん」

「そいつぁ残念。じゃあ死ねっ」


 狂気的な笑みを顔に張り付け、それを突き出す。

 繰り出された直突き。ブレのない一撃が最短距離で突き進む。

 ごつごつとし、人間のそれからかけ離れ、爬虫類じみた人外の腕。骨格すらも変えたのか、長さも増したそれがユキへと迫った。


 摩擦で大気がじわりと焦げる。

 空気の抵抗を押しつぶして進む腕に対してユキは前進を選んだ。小さい体を折りたたみ、屈んだまま走る。

 勢いのついた腕は方向転換が効かない。

 あっさりとユキの侵入を許してしまう。

 防御にとまわされた右腕を無視して男の横をすり抜け、ついでとばかりに軸足を蹴りつけた。

 しかし相手もさるもの、その程度ではバランスも崩しやしない。


「もういっちょう!」

 意趣返しとばかりに、横をすり抜けたユキに対して蹴られた足で蹴り返す。

 白刃でそれを受け流すと、火花を散らして刃が削れていく。

 ズボンばかりが切り裂かれ、覗いた足はやはり鱗に覆われていた。


 軸足を変え、さらなる蹴撃。

 横薙ぎのそれを体をそらしてかわし、片足立ちの相手に対して赤い刃を向ける。


「おっと、そいつはもう食らわねえよ」

 繰り出されるのは振り切って、いまだ硬直した左ではなく、右。

 使い物にならなくなったはずのそれは左同様大きく盛り上がっている。覆う鱗で傷すらも塞いだようだ。

 男は刃を受けるのではなく、その腹を叩く。

 脆くなっていた刃。そうでなくとも剛腕によるチョップは力強い。赤いきらめきを残してマチェットの刀身は半ばから折れてしまった。


 それに目を細めながら、ユキは男から距離をとる。

「あーあ。買ったばかりなのに」

「そいつは悪かった」

 悪びれもせずに呵々と笑う。

 ジト目で眺めながら懐からもう一本を抜く。


 二本めの白刃。それは赤銅に燃えていた。


「本気ってわけか。面白い。面白いなあおい」



「――だから、つまらねえマネはすんなよ?」

 背後を振り向かず男は呟いた。

 どすのきいた声。獣の唸りにも等しい。

 向けられたのは、第三者。

 彼の背後、そしてユキの正面には一丁の拳銃を構えた男の姿があった。


「もともと俺の相手だったろ。ほっとくなんてひでえじゃねえか」

「帰りてえっていってたじゃねえか。いいぜ? しっぽ巻いて逃げ帰っても。こいつとやってるほうが楽しいからな」

「……そうはいかねえよ。ガキ一人残して逃げれっかよ」


「ガキじゃない」

「いやお前そこは黙ってろよ」



 ***



 内心で冷や汗をかきながらも、霧原は拳銃を下ろさない。

 なけなしの覚悟がそれを許さなかった。


 自身では届きえない攻防を繰り広げる二人に対してしかし彼は混ざることを選んだ。

 平江は下がらせていた。他の四人と合わせて、野次馬対策にあたらせる心算だ。

 そのおかげかいまだ闖入者はいない。


「お前ももういいだろう。このままだと最悪死ぬぞ」

 ユキの一撃は間違いなく男に届く。一方で男の攻撃はいまだ掠りもしていない。

「別に、それでも構わねえけどなあ」


 ――これだから戦闘狂は!


 霧原は内心歯噛みした。

 どちらかが倒れるまで、この戦いに落としどころはないのだ。

 それに、あの男が連続殺人の犯人――仮定だが――である以上……生かしておくのは得策ではない。

 だからといってまだ13の子供に殺しをさせるわけにはいかず、それでいて霧原では力が及ばない。


「こっちが困るんだよ。俺たちは〝殺すための集まり〟じゃねえ」

「そりゃそっちの都合だろ。なら、俺たちは殺すための集まりだ。どうだ、相容れないなあ。ならやっぱやりあうしかねえだろう」

「適当言ってんじゃねえぞ。てめえみたいなのが何人もいて――」

 そこまで言って、舌が痺れるような感覚に襲われた。またしても押井との会話を思い出してしまったのだ。


「……いんのか? てめえには仲間が」

 押し殺した声で問う。心なしかグリップを握る手が汗で滑る気がした。


「あ? あー。仲間、仲間ねえ」


 緊迫した自身とは裏腹に、男はどうしたものかと頬をかく。

 予想とは違った反応に面を食らうが、どうも〝怪しい〟。想像以上に根の深い事件にぶちあたったかもしれない。

 先と違った意味で背に冷たいものが走った。


「仲良しこよしってわけじゃあないがな」

 男は、曖昧にではあったが肯定した。

「……目的はなんだよ」

「あ? んなもん特にねーよ。せっかくだから楽しもうってだけさ」

「すっごい迷惑」

 呵々と笑う男と、不平を口にするだけのユキ。その両者に対して戦慄しながらも霧原は頭を冷やそうとする。

 そして、もっと情報を引き出そうと。

「お前もお仲間も、最近の殺人事件に関わってんのか」

「どのこと言ってんのかわかんねーけど、まあ腕試しに異能者は殺して回ってんな。こっちも何人か死んだけどな」


 ――よく喋る。そこだけは救いどころか?

 そう思ったのも束の間。

「なら――」

「あーあー。つまんねえお喋りはやめにしようぜ」

 男は、とうとう振り向いた。

 朱色の瞳が、彼を射すくめる。


「混ざりてえなら入れてやる。まとめてあいてしてやんよ!」


 牙をむいて男は体を翻す。

 ユキに背を向け、強靭な足が地を蹴った。


「ちっ」

 再び自身に迫る死に対し、霧原は引き金を引くことで抗う。二発、三発と放たれた弾丸はしかしより頑強になった腕で容易く弾かれる。

「そんなおもちゃじゃ殺せねえつっただろうがっ」

「くっそが!」

 人体比の崩れた剛腕でフックが放たれる。

 転がるようにしてそれを回避する。辛うじて逃れた一撃だが、追撃に備えることはできない。


「お前の相手は、こっち!」

 だが、情けないが今は新たな相棒が一人いる。

 完全な死角から飛び蹴りが放たれた。

 超速の右半回転。風切り音を蹴撃は容赦なく頭蓋に叩き付けられる。

 しかし、奇襲に残されていた腕がそれをいなした。


「あっぶねえなあ!」

「おとなしく食らっとけ!」

 滞空したままの二度目の蹴り。

 それを受けて男は改めてユキに向き直る。

「やっぱお前とだな! ほっときゃ本当に死にかねねえ!」

「死ねっ!」

「お前がなっ!」


 秒に満たない睨み合いののち、二人は再度交差する。

 霧原は体勢を整え拳銃を構えるも、あまりにも近距離で絡み合う二人に対して引き金を引くことはできない。


 大きく舌打ちをし、ちらと後ろへと視線を向ける。視線の先にあるのは一つのビル。三十メートルはあろうかという高さの、ところどころに罅の入った建物。


 僅かばかりの逡巡。

 それを無理やり抑え込み、彼は駆け出した。



 ***



 少年と大男。

 どちらが有利かなんて考えるまでもなさそうな組み合わせ。しかしその実押しているのは少年の方だった。


 蹴りと殴打。繰り広げられる変則的なインファイト。

 どうしても大振りにならざるをえない大男の〝重量級〟の一撃と、小回りの利く少年の〝重量級〟の連撃。

 そして速さも重さも持ち合わせた格闘の嵐に混じる一撃必死の赤銅の刃。


 刃を折られるようなへまは二度もしない。

 相手の硬直を狙って執拗に突き出される刃にさしものバトルマニアも冷や汗を流さざるを得なかった。


 それでも、その笑みは獰猛に吊り上がっていくばかり。


「やっぱりなあ! こうじゃないとなあ!! 

他のやつは弱くて仕方なかった! 折角〝こんなもん〟貰ったんだから! もっと命がけじゃないと燃えねえよなあ!!」

「なんだよ、雑魚ばかり狩って喜んでたのかよこのいじめっ子が!」

「違いないっ!」


 埒が明かないと、なりふりの構わなくなったラッシュが放たれる。

 直線的な殴打。

 無駄の廃された、しかし威力は損なわない連打はさながらマシンガンのように地を、大気を割く。


 さすがに当たるのはまずいとユキは後退し、男はそれを追いかける。

「おらっ! 逃げんな!」

 面的な拳撃はすり抜けるような回避ができない。タイミングさえつかめればそれも不可能ではないが、わざわざ無茶をする必要もなかたった。


 僅かばかりの隙。

 両の目をきらめかせ、それを見出さんと睨む。

 三十秒ばかり続いた拳打をひらりひらりと、時に横に、時には後ろにかわし続ける。

 そして呼吸のためか、とうとう一拍が挟まれた。


 それを見逃しはしない。


 いまかいまかと力を込められていた右の足。

 しなやかに大地を蹴れば体は矢のように相手へと飛んでいく。

 最小の動きで右に握ったマチェットを横に振るえば、赤銅の切っ先が滑らかに〝裂く〟。


「ッ!!」


 呼吸というどうしようもない間隙を縫った一瞬の交差。


 スッと、剛腕に一筋の線が走った。

 右手の甲から、肘の手前にかけてそれは伸び、男は思わず左手でそれを抑えた。


 痛いわけではない。

 むしろ、感覚がない。

 悍ましい喪失感に見舞われた。哄笑は引っ込み、険しい顔で地を割る勢いで飛び退る。


「……やっちまったなあ」

「警告はしてた。文句は聞かない」

「わーってるよ」


 ぼろぼろと鱗がこそげ落ち、露わになった肉もやはりもとの赤とは比べ物にならないほどにくすんでいる。

 ぱきりぱきりと乾いた音を立て、〝それ〟は容赦なく広がっていく。ぱっくりと開いた傷口を起点に、横に――そして奥に。


 骨の髄にまで到達したそれは、とうとう右腕すべてを犯しつくした。


 握る左手をすり抜けて、ぱらぱらと粉が舞い散る。肩口からずるりとそれは抜け、慌てて掴んだ力でめきりと潰れる。


「まっさか……まるで抵抗できねえとはな」

 自身のエーテルの抵抗。それが容易く破られたことに男は驚愕を隠せなかった。力と、そして何より防御・耐久に優れると自負していた己の力がまるで効かなかったのだ。

 どうしようもない、食らえば逃れられない破滅。

 赤銅に輝く相貌。そして刃。

 目の前にいるのはまるで悪魔だ。


 だからこそ。


「たぁのしいなあ! おい!」


 男は再び哄笑を上げ――



 ***



 引き金を、引く。



 ***



 ――真っ赤な花が咲いた。


 鮮血。

 脳漿。

 眼球。

 肉片。

 骨片。

 破裂するようにそれらは飛び散る。


 残った耳が炸裂音を感知した。だが、知覚には至らない。

 真っ赤に燃え上がった思考は役目を果たさず、本能でそれを庇うばかり。空を裂く破裂音は何度も地に金属の雨を降らす。


 頭を庇った鱗状の腕がそれを遮る。

 火花が散った。

 かたい甲殻すら食い破ろうとそれは減り込むも、届かずに落ちた。


 一発は頭に。

 二発は腕に。

 一発首をかすめ、あとはコンクリートを弾き飛ばした。


 声にならない怒声が喉をつく。

 憤怒の叫びは、相手に届いたか。


 ふらつく足、しかし転ぶことはなく男は後ずさる。距離を取らねば。物陰に隠れねば。

 平時であれば無様と怒るそれ。

 今は本能が強く許容していた。


 数拍の間をおいて再び雨は降り注ぐ。

 欠けたアタマでは思考もかなわず、ただただ後退を続ける。


 胸を撃った。

 血が噴き出る。

 腹を食い破った。

 血が噴き出る。

 足を撃った。

 鱗がはじくも、バランスを損なう。


 やはり倒れはしない。

 消えぬプライドと本能がそれを許さない。

 もう片方の足で地を蹴った。

 圧のかかった体内。損傷部分から鮮血が噴き出す。構うことはない。

 ただただ激情を湛え、睨むこともかなわなくないまま広場から逃げる。


 決着も付けられず、捨て台詞も残せず。


 矛先を引っ込めざるを得ない、暗い炎を内に渦巻かせながら――男は逃げた。



 ***



「――倉山の方へ逃げた。ああ、手傷は負ってる――油断さえしなきゃな」



 呆気ない幕引きの後。

 少し離れて立つ男は通信機に向かって何がしかを報告している。相手は誰だろうか。

 がしがしと頭を掻きながら会話を続ける様を見て、何となく立場が上というか逆らい難い誰かなのだろうかと想像する。


 ――局長? いや、あれなら通信機越し、そして数歩の距離が離れていてもでも十分声が届きそうだ。


 会話を終え、ため息とともに彼は肩を落とす。随分と疲労のたまったような顔だ。目に生気がない。ああいった手合いと出会ってしまったのならば、それも仕方のないことか。

 今でこそ冷静に対処できるようになった自身であったが、確かに昔は動揺もしたし疲れもしたのをよく覚えている。


 それにしても。


「殺す気だったの?」

 問いに反応して、彼は首を動かす。

 深い緑の双眸が気まずげに細められる。

「……まあな」

「怒られるんじゃないの?」

 異能者と出会ってもむやみに殺すな、そう言われていたからこそ自身はあれを殺さなかった。心臓か、あるいは頭を狙えばそれで終わる戦闘もあれだけ長引いたのだ。


「ああ。龍堂寺のおっさんは説教なげえからな。お前はやめとけ」

「ふうん」

 わかっててやったのか。

 何故だろうか。異能者を保護するのも目的の一つ、そう言っていたではないか。


「――どうしようもねえやつもいるもんさ」

 顔に出ていたのか、彼はそう言った。

「知ってる」

「未遂だったら、もっと交渉の余地はあっただろうな」

「俺もやってるよ?」

「……話が通じれば別さ」

 一瞬言葉に詰まる。

 そして、そっと顔を逸らしながら呟いた。


 サイレンと、そして排ガスをまき散らす車の駆動音が遠くに聞こえる。

 そればかりが世界に響き、会話は途切れた。



「お前はせこいって言わねーのな」

 数拍をおいて、彼はぼそりとそう言った。

 なんのことかわからない。

 眉根が寄った。首が自然と傾いた。


「戦闘狂どもはこいつを好まないんでな」

 そう、背負った大きな鞄を指さした。

 ああ、そういうことか。

「一緒にしないでよ。俺は勝てればなんでもいいさ」


 そうかい。

 ようやく彼は笑みをこぼした。自嘲的なような笑みだったが。



「まあ、なんだ」

「なに?」


「助かったよ、ありがとな」


「そう」


 最後はやはり、そっぽを向いた。



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