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腐食の刃  作者: 南天
2章
14/18

14話 静穏



 握る手に力が入らない。

 これほど重く感じたのは、いつ以来か。


 立ち向かう体力は残っていない。気力もとっくの昔に折れてしまっていた。

 今の彼には、もはや小さく呻くくらいしかできない。


 対峙するだけで激しい頭の痛みに襲われ、思わず額に手をついてしまう。

 ひんやりとした指が火照った頭を少しばかり冷静にさせた。


 彼――ユキは今珍しいほどの苦戦を強いられていた。


 異能者の戦闘は基本短期決戦。

 しかし今向き合うのはそれも不可能なほどの強敵。彼の脳裏には既に〝撤退〟の二文字が浮かび始めていた。

 いや、今にも逃げ出してしまいたい。

 そうだ、逃げてしまおう。


 カタン、と、妙に耳に残る甲高い音。

 静かな空間ではそれはよく響いた。


 それはゴングだ。

 開幕の合図が轟くや否や、一瞬の躊躇いもなく彼は実行に移る。

 策も何もない、身体能力頼みの愚直な逃走に。


 ユキは脇目も振らず逃走を開始する。風を切るほどの早業だ、当然のごとく追撃はない。

 しかし、彼の鼓膜は静止の声だけは捉えていた。もっとも、聞く気はなかったが。


 柔らかな床の上を走る。

 敵に背すらも向け、ひたすらに出口を目指す、ともすればわざわざ弱点を晒しているようなもの。

 しかしそれも、異能者の持つ一般人とは隔絶された身体能力を遺憾なく発揮することで確実な戦線離脱を可能とするのだ。

 異能者としてベテランの域に入る彼に追いつけるものなど、そうはいない。


 秒と掛からずに彼は出口へとたどり着く。

 何せ狭い戦場だ、出口が彼の側にあったのも幸いだった。


 速さも、そして陣取りにおいても彼が有利だった。


 ――だが、運だけは味方をしてくれなかった。


 超越的な動体視力は、無情にも〝それ〟が現れるのをまるでコマ送りのように映していた。

 まずい。そう思った時にはすでに遅い。

 走り出した脚は、今更ブレーキをかけたところで止まらない。狭い戦場が今度は仇となった。

 加えて今の彼は丸腰。自ら肉食獣の口の中へ飛び込んでいくようなものであった。

 悪あがきとばかりに急制動をかけた足が地を滑る。僅かばかりに焦げたような立ち上る。

 それでもやはり、止まることはない。


 彼はせめとばかりに、来る衝撃に備えて目を瞑った。



「――んっ!!」

 柔らかい何かが彼の頭を押さえた。

 頭から突っ込む形になったが、体全体をツタのように絡めとられてしまえば備えていた衝撃なんてものも碌にない。

 しかしそれは、相手のほうが上手であるということであり、脱出も不可能であろうことを示していた。


「なんだ、セクハラか? いや、お前くらいの年だとまだギリギリイタズラの範囲か?」


 ユキを捕えたのはスライド式のドアを開けて入ってきた、制服姿の女性だった。タイミングよく――ユキにとってはタイミング悪く――彼女が入ってきたことで彼の逃走を防ぐに至ったのだ。


 かさり、と彼女が手に持っていたビニール袋が揺れる。重い何かの入ったそれは、抱き留められるような形になっていたユキの腰を軽く打った。


「ナイスタイミング! 千陰ちゃん!」

 元気と愛嬌が多分に含まれた声が室内に響いた。

 胸元に収まったつむじを見下していた女性――千陰はその声に視線を上げると、片手をあげてサムズアップの形をとらせていた女性が目に入った。

「うん? どういう状況なんだ?」


 千陰は、彼女に向けられたサムズアップの意図を図りかねていた。

 しかし、何となくそうするのがいいのだろうと悟ってもいた彼女は、腕の中でもぞもぞと動くユキを離すことはない。


「いやあ、ユキ君が急に逃げ出してさあ。私びっくりしちゃった」


 向かい合っていた女性――弥永藍美は苦笑しながらそう答えた。

 やや低めの身長と、童顔で、愛嬌のあるぱっちりとした顔。髪は染めたのだろう、赤みのさした金髪――ほぼオレンジといっていい――をベリーショートにしている。

 スーツとタイトスカートを身にまとうことでなんとか大人っぽさを出しているつもりらしいが、彼女の性格も相まって、局内では年下であるはずの千陰よりも子供っぽく見られていた。


「逃げたって……どんなスパルタ教育をしていたんだ」

「違うよ!? ただ今日の授業のおさらいの小テストをやらせてたってだけだよ!?」

「休憩なしはきつい」

 ようやく頭だけ脱出に成功したユキがそう告げると、千陰の視線も胡乱げなものへと変わる。

「さっきしたばっかりじゃん!? まだ20分もたってないよ!?」

 あらぬ疑いを掛けられて慌てて反論するも、じとりとした視線はまるで変わらない。

 まさかこちらに矛が向くとは思っていなかったのか、焦りに焦った彼女は弁明の限りを尽くす。

 一分も二分も続こうかというそれに千陰は小さく吹き出し、ようやく彼女の奮闘も終わった。


 ユキには拳骨が落とされた。



 ***



「もう、勘弁してよ千陰ちゃん……」

「弥永がまた愉快なことになっていると思って、ついな」

 誤解の解けた弥永はほっとした顔でテーブルに突っ伏していた。芯が抜けてしまったようにべっちゃりと。柔らかそうな頬が潰れ、少しばかり話しづらそうでもある。


 それを面白そうに眺める千陰もまた、彼女と向かい合うようにして腰を下ろしていた。




 クリーンな白の壁。一面の壁には腰高窓が二つあり、穏やかなオレンジ色の光を取り込んでいる。

 柔らかなグレーのタイルカーペットに二人掛けの長机が四つ、対面型に並べられており、ホワイトボードも備えられている。

 少人数向けに作られたのだろう、広さはそれほどでもない。


 『第三小会議室』それが今彼らのいる部屋だ。異次元体対策局本棟の中の一室で、普段はあまり使われないそこも、最近はユキの学習部屋として頻繁に利用されていた。


 現に今なおユキが机に噛り付く、というよりも噛り付かせられている。

 手に握るのはシャープペンシルと消しゴム。

 そして目の前に広げられているのは社会科の小テスト。市販のものではなく自作らしい、ところどころにうまいようなそうでもないような、緩いキャラクターが散りばめられている。


 異次元体相手ならば大立ち回りも演じて見せる彼も、今はこのぺらぺらのA4の紙一枚相手に大苦戦中だった。




 ユキが隣接次元発生事象対策局、通称異次元体対策局に所属してから早一か月。

 彼に待っていたのはめくるめく異次元体との戦闘……ではなく勉強漬けの日々だった。


 教鞭を執るのは人当たりのいい弥永。本来なら手隙のものが交代で、という話だったのだが、それも彼女が立候補することで今の形に収まっていた。


「それで、順調なのか? 相当な世間知らずと聞いていたが」

「うーん……地頭はいいほうだとは思うんだけどねえ。やっぱり暗記系の科目が苦手みたい」

 二人は今も社会の問題用紙に四苦八苦している少年へと視線を向ける。

 視線に気づいてふっと顔を上げるが、不機嫌そうに鼻を鳴らしてまた視線を落とした。

 ペンは一向に進んでいない。


「なら数学――いや、算数か。算数や理科はまあまあということか」

「そうだねー。解き方さえ覚えちゃえば結構先のほうまで行けてる感じかな」

 うーん、と顎に指を当てる。ここ最近の成果に思考をはせれば、ユキの暫定的な成績が浮かんでくる。


「国語もちょっとあれだけど、案外英語はいけてるみたいなんだよねー。それこそ中学生レベルの内容でもいける感じ」

「教え方がうまいのではないか?」

「そんなこと……あるかなあ」

 おだてるように千陰が言えば、面白いほど簡単にのせられる。テレテレと頬を掻いた。


「やっぱり問題は社会かな? 特に歴史。まあこれは知識不足ってだけで勉強していけば大丈夫だと思うけどね」

「ほう、歴史か。それならここにいいものがある」

 いいことを聞いたとばかりに目を輝かせた。

 千陰は長机の上に置いてあったビニール袋の中を漁る。取り出したのは一冊の文庫本。

 その表紙を見て、弥永は思わず口端を引き攣らせた。


「ほ、ほんと好きだね。それ系」

「当然だ。武士の家系に生まれたならば、な」

「でもね? 歴史っていっても戦国時代も江戸時代もそうそう深く掘り下げないからね? どちらかというと大きな事件とか、改革とか、そうでなくてももっとこう、歴史を牽引したような有名人を扱うわけで……」

「……日本の歴史に興味が出れば、成績も上がるだろう。その一助にでもなればと」

「それにしては内容が難しすぎるかなーって」

「心配いらない、今回は勧善懲悪ものだ」

「いやそういう意味じゃなくて」

 自信あり、と胸を張る千陰を相手にどうしたものかと言葉を濁し続ける弥永。


「うっさい! 集中できない」

 それも外野、ある意味で張本人の一喝で霧散した。

「うああ! ご、ごめんね!?」

 いろいろと痺れを切らしたユキは解答用紙を突き出す。

 空欄が目立つが、これ以上はいくら考えても解けないみたいだった。

 弥永はそれを受け取り、さっそく採点を始める。

「教え方はともかく、生徒に舐められているようじゃ教師への道も遠そうだな」

「千陰ちゃんも一緒に騒いでたくせに……」

「騒いではいないぞ、別に」


「何、ヤナガって先生になりたいの?」

 一方で千陰の言葉に興味を持ったのか、ユキは今まで尖らせていた口を弥永のほうへ向けた。


「……うーん。なりたい、というよりも……なりたかった、かな?」

 向けられたほうは、曖昧な笑みでそう答えた。肩を落として。どんな思いが込められているのか、小さく吐息も漏らして。

「そう」

 向けたほうは、目を細くして短く答えるだけだった。



「今からだって、目指してもいいんじゃないか? こいつみたいなやつも多いんだ。そいつら向けにでも」

 そのやり取りを見ているだけだった千陰は、そう口にした。

「でもねー、先生になるには教員免許が必要だからねー」

 それに、彼女のどこか煮え切らない否定が返ってくる。困ったように頭を掻く彼女の顔は、どことなく寂しげだった。


「どうせ法に守られなかった存在なんだ、こっちだけ律儀に守ってやる必要もあるまい」

「そうはいかないよ。そんな〝やられたからやり返す〟な方法じゃいつまでたっても何も解決しない。やっぱり、異能者の子も、普通の子と一緒に学校に通えるような社会にすることが一番必要なことなんだよ」


「じゃあ、学校で授業を受けているわけじゃない俺は何なの? 勉強なんてやらなくていいんじゃない?」

 めんどくさいし、とボソッと続ける。

「いや、一応フリースクールみたいな扱いにしてもらってるから、認定試験さえ受かれば卒業扱いになるから大丈夫。大事大事!」

 ちぇっ、とユキはそっぽを向いた。


「なんだ、そのフリースクールとやらなら免許もいらないのか」

「えっ」

 弥永は不意を突かれたように目を丸くした。

「そういうことだろう? 何せ免許を持たないお前が〝不登校〟のこいつに教えているんだ」

「いや、まあそうなんだけど……」

「なら、別にいいじゃないか。先生をやったって。正式な教育機関でなくとも」

「うっ」

「それともなんだ? 自信がないのか? 教師として正しいことを教える自信が」

 表情の乏しい彼女は大体いつも真顔だ。今も、例に漏れない。からかっているのか、蔑んでいるのか、それとも真剣に諭しているのか。あるいはそれら全部なのか。


「……だって中退だし」

 少しばかり沈黙していた彼女はようやく口を開いた。

 そして、今度は弥永がむくれる番だった。

 頬を膨らませて明後日のほうを向く。

 彼女はちょうど二年前、不運にも異能に目覚めてしまったことで通っていた大学を中退することになった。通っていたのは私立の教育学部だった。


「なんか今日の千陰ちゃん意地悪!」

 半ばからかわれているのを自覚しつつも、彼女はそれに本気で怒ることもない。ある意味彼女が大人である部分だ。


「そんなことないぞ、決して。そうだユキ、今日から弥永のことを〝先生〟って呼んでやったらどうだ? 世話になっているんだから」

 それが彼女の自信にもつながる。

 そう、それとなく水を向けてやったのだが、


「えー」

 ユキは嫌そうに顔を顰めた。


 ちょっとばかり期待していた弥永はがっくりと肩を落とした。

 子供の素直なリアクションに割と本気で凹んでしまうのは、彼女の子供っぽい部分だった。



 ***



「おや、ユキ君のところに行っていたのかい?」

「……そういうそちらは、また検査か」

「まあね」


 第三小会議室を後にした千陰はその後彼女ら実働班に与えられた待機室へと向かっていた。休むためではなく、待機室――その隣の更衣室には彼女の刀も置いてある。それを取りに行くのだ。

 しかしその途中、ばったりと見知った顔と鉢合わせた。

 川島だ。

 異次元体との戦闘で生傷の絶えない局員の健康維持、そして管理を預かる一人。


 当の川島は検査のため、ユキを直接呼びにいくつもりだった。館内放送でも、あるいは人を使うというのでもよかったのだが、ユキとの交流をできるだけ図りたいと思っている彼はこうしてよく自分から出向いていた。

 診察の準備は部下に任せてある。



「ところで――いつになったらあいつを出すんだ?」

「……異次元体の討伐にかい?」

「当然」

 川島は困ったような笑みを浮かべた。

 ユキの前線への投入。それは局長の指示もあったが、何より彼の〝ドクターストップ〟によって今まで見送られていた。


「左腕ももう治っているんだろう。包帯はまだ巻いているようだったが」

 先の異次元体との戦闘で、ユキは左腕を骨折していた。しかしそれも、異能者の驚異的な再生力を前では大したケガではない。


「手が足りてないと嘆くなら、子供だろうが何だろうが使うべきだと思うがな。特にあれはほかの連中よりよっぽど使える」

「そう、かもしれないね」

「推測じゃない。事実だ。あまり出し渋っていると、そのうち鈍るぞ」

「そんなことがあるのかい?」

「まあ、身体能力の低下はそれほどはないだろうが、少なくとも勘は鈍る」

「そうか」

 彼は一度目を瞑る。何かを考える風ではなく、しかし言葉を選んでいるような。


「僕はね、彼はこのまま戦場に出ないほうがいいと思うんだ」

「――何?」

 鋭い視線が彼を射抜く。しかし、あらかじめ予想していたのだろう。一瞬怯みこそしたが、動揺するようなことはない。

 ノンフレームの眼鏡を掛け直すような仕草で、彼は手で表情を隠した。


「それは、あれが子供だからか?」

「それもある」

「も、か。なら、本当の理由とやらはどうなんだ」


 彼は少しばかり口ごもる。言うべきか、言わざるべきかと逡巡し、そしてゆっくりと口を開いた。


「前回の梓田駅での事件以降、彼の体はかなり疲弊していたんだ」

「だろうな。あれだけ高密度の毒香に長時間晒されていれば回復にはかなりの時間がかかるだろう」

「それもある。でも、どちらかというと彼の肉体は彼自身のエーテルによって疲弊していたんだよ」

「……毒香に耐えるため、過剰にエーテルを生成していたのだろう。しかし、その限界を超えることこそが私たち異能者が強くなる道だ。筋トレと何も変わらない」


 エーテルの過剰使用、あるいは限界突破。

 異能者は体内の心臓にあたる位置にエーテル心炉を持つ。その炉は使えば使うほどに一度に生成できるエーテルの量が増え、同時に体が耐えられる量、濃度も増えていく。

 特に異空間という毒香に満たされた世界では異次元体と戦うための異能の行使、そして異次元体由来の毒性の強いエーテルに対する防御、そのどちらもが求められる。

 死ななければそれだけ強くなれる。もっとも効率のいい手段だ。


 実際、長年異空間での異次元体狩りを続けている異能者はそうでないものと比べて頭一つどころか二つも三つも抜け出た力を持つ。


「確かに、そうかもしれない。でも彼の場合は少し事情が違うんだ」

「何?」

 手で隠された下。彼の表情がどことなく険しいものとなった気がした。


「彼のエーテルの性質はほかのみんなのと違って……そうだね、簡単にいえば毒性が強いんだ。エーテルは確かに過剰使用によっては体を傷つける。でも彼の場合はもっと別のメカニズムをもって悪影響を与えているみたいなんだ」

「……」

 千陰は聞く姿勢のまま動かない。

 相槌の有無を気にすることはない。川島は話をつづけた。

「彼の生成するエーテルは特別浸食力が強い。それも、彼自身のエーテルに対する抵抗力と拮抗してしまうほどに」

「ややこしいな」

「そうだね」

 彼は顔をあげて苦笑した。

 その顔はやはり困ったように崩されている。


「つまり、彼の力は彼にとっても毒なんだ。千陰ちゃんや、ほかの皆の力は限界を超えた使用をしないかぎり自分の体を傷つけるようなことはない。当然だ、そうなるように作られているし、成長しているんだから。そうだね、例えるなら胃液が胃を壊さない、というのと同じかな。胃酸過多にならない限り胃液が異を壊すことはない」

「別に、変な例えをする必要はないよ。そこまで頭の回りが悪いほうではない」

「そうかい? じゃあ、回りくどいのはなしにしよう。彼は異能を使ってはいけない。エーテル心炉を稼働させることも、してはいけない」

「……」


「彼も異能者だ、当然エーテルに対する抵抗力がある。かつてのムカデ型の異次元体の件でそれはわかっている。でも、その抵抗反応はなぜか彼自身のエーテルに対しても働いているんだ。例え軽度の使用であったとしても。まるで外から――異次元体の攻撃を受けてしまった時のようにね。おそらく、彼の異能の特性が関係しているとは思うんだけれど……」


 ユキの異能。彼女はそれを思い起こす。最初に知ったのは龍堂寺玄という男から聞いたとき。彼と初めて遭遇した時は、生憎その力をお目にかかることはなかった。

 彼女が知識としてでなく、実際にそれを見たのは、それこそ先日の梓田駅での事件が初めてだった。


 他者を錆付かせるさせる力。

 腐食を与える力。

 明確な発動条件までは彼女は知らない。しかし、その威力は目の当たりにしていた。

 彼女でも断ち切るのは苦労するほどのエーテル耐性をもち、硬い甲殻に覆われ、そして高密度の筋肉によって構成されたかの異次元体の巨腕を容易く破壊するほどの――ほぼ一撃必殺と言っていい力。

 それが自身の体すらも蝕んでいたとは。


「特にあの梓田駅での事件以降、かなり本来の体構造は劣化していた。君が言う、限界を超えたエーテルの使用によるものだろう。今でこそ少しずつ収まってきてはいるが、それも一時的なもの。再びエーテルを使用すればやっぱり彼は体を傷つけてしまう。今以上にエーテルに対する抵抗力をつけないと、それは収まらないだろう」

「――だが、抵抗力があがるということは生成されるエーテルそのものも増えるということ。いたちごっこになるということか」

「そういうこと。わかってくれたかい?」

「まあ、理屈はな」

 ふう、とどちらともなく肩をすくめる。


「あ、今のはユキ君には内緒だからね?」

「わかってるさ」

 話が終わったとみて、彼女は川島の脇を通り過ぎた。結わいていない、長い髪がふわりと舞う。

「行くのかい?」

 彼女の背に向けて、彼はぽつりと問いかける。

 本来であれば、誰であっても〝そこ〟に行ってほしくはない。彼は常からそう考えている。

 それが仕事であるからこそ、口にはしないが。


「ああ、そろそろ連中も出始める時間だからな」

 時刻は既に17時を回っている。日の短い冬。

 既に外は真っ暗だろう。


「気を付けて」

 振り向くことはない。

 背後に向けて振られる片手だけが、その言葉に応えていた。



 ***



「本来の体構造――か」

 川島はどうも、すべてを語ったわけではないようだ。

 そう、彼女は勘付いていた。そして、彼がぼかしていたことも、少しばかり思い当たるものがないわけでもない。


 ――難儀なものだな、あいつも。


 しかしそうなると、局内で彼女と並び立つようなものはまたいなくなることになってしまう。

 別に、これといって何かがしたいというわけでもない。相棒が欲しいというわけでもないし、訓練の相手が欲しいわけでもない。


 当然、味方同士での〝殺し合い〟がしたいわけでもない。

 しかし、それでも


 ――つまらない、か。


 彼女の心は再び、満たされない何かへと沈み込んでいった。




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