13話 終幕
エーテルの極光を全身から振りまきながら、吹き抜けの上階からそれは流星のように落ちてきた。
赤銅に尾を引く二振りの刃と――双眸。
無造作に振るわれた刃は左の巨腕、その根本、多関節のそれの肩付近を切りつけた。
異質な異次元体のもつ異常なまでの抵抗力と、毒々しい刃から伝わる腐食による浸食力が一瞬の攻防を見せ、そしてついに浸食力が勝った。
僅かばかりだった腐食が一瞬にして広がりを見せ、細い根本付近を容易く覆いつくした。
そうなれば後はもう抵抗の甲斐もない。
筋も骨も侵し尽くし、腐食により脆くなった腕は自重によって脱落する。
流星はそのまま着地もままならず、瓦礫に覆われた地面を転がるようにして距離をとった。
荒々しい突起によって繊維が裂け、パーカーはズタボロとなる。皮膚にも亀裂が走り、赤い血が垂れていた。
しかしそれに構うこともなく、彼――ユキはまるで獣のように姿勢を低く、立ち上がった。
悍ましい異形に向けて牙をむき、手にした二刀を突きつけるようにして構える。
しかし、彼の健闘もそこまでだ。
突きつけた二刀はもはや完全に錆に覆われ、今にも崩れ落ちるといったところだった。
度重なる酷使、常より膨れ上がったエーテルの奔流に晒され続け、極めつけが相手の抵抗力を上回るための高出力。
限界を迎えたそれはもはや使い物にならない。
赤銅の双眸がそれを睨み、大きく舌打ちをした。
「――仕方ないな、これを貸してやる」
ユキの数メートル右にいた黒髪の女性――千陰は腰に差したもう一本の刀、無銘の打刀を抜き、そしてあろうことか抜き身のままユキに向けて投げつけた。
「うわっ」
剥き出しの本能、獣のように鋭くなっていた思考は思わぬ横やりで一気に霧散した。
素っ頓狂な声すらも上げて、彼は慌てて刀の柄を掴んだ。
今気づいたとばかりにユキは首を横に振り、丸くなった目で彼女の姿を収めた。
「いきなり何すんだ!」
「何って、それ、もう使えないんだろう」
刀を掴むために離した手。
地に落ちた二振りのマチェットは、衝撃からか刃が既に砕け散っていた。
苦い顔でそれを認め、ユキは小さく礼を言う。
「……ありがと」
「何、気にするな」
どこかで一度行ったかのようなやり取りだ。
「だからって、こんな物騒なもん投げんなよ」
「すまんすまん」
ふくれっ面のユキを、彼女は軽く笑い飛ばした。
緊迫した戦場に似つかわしくない和やかさだった。
しかしそれも向こうには関係ない。
背を晒していた異次元体が鈍重な動きで振り向く。しかしそれは圧倒的な威圧感を振りまき、より濃密になった殺気を全方位に散らしていた。
千切れ飛んだ左腕からは白い骨と赤い肉が覗き、どくどくと脈動する。
脈動に合わせて、断ち切られた血管からは赤い血が噴き出て、地を血で染める。
そして、まるで時間を巻き戻すかのように骨が徐々に伸びはじめ、それに巻き付くようにして脈打つ筋肉が膨れ始めた。
緩やかな回復。
今すぐ腕が生える、なんてことはない。
しかし先に千陰が切り払った肋骨の触手は既に生えそろっている。
正面に向き直った異次元体。
相対する二人は対照的な顔つきだった。
千陰は平然と、一方でユキはまるで化け物を見るような顔つきだった。
「……なんだこいつ。本当に異次元体か?」
溢れる真っ赤な血。
既存生命からかけ離れた異常な体躯。
殺意を露わにする、生命じみた反応。
そのどれもが……どこか――を想起させた。
「なんだっていいだろう。敵なら殺す。世のため、人のために、な!」
怒気をまき散らし、筋だけになった舌を垂らしながらうねらせる異次元体の眼前に、大太刀を構えた千陰が躍り出る。
尋常でない力で地を蹴り、瓦礫を捲り上げながら飛び出した彼女に対して、鈍重な巨腕では到底対応できない。
異次元体は二本の鋏――溶け落ちた片方も無理やりに使用し、その矮躯を断ち切らんとする。
あわよくば首を切り落とそうと意気込んでいた千陰だが、さすがにそれを放っておくわけにもいかず、振り上げた刃を下から迫る鋏に向けて振るう。
蒼雷が弾け、金属のぶつかり合う激しい音がまき散らされる。
一拍遅れて迫る腕。
横なぎに振るわれるそれは瓦礫を巻き上げながら彼女に向かう。
拍手の様に叩き潰すことは不可能になったが、それでも人外の膂力で叩かれれば異能者であっても内臓破裂程度では済まない。
刃も振るい、そして空中に滞空していてはそれを防ぐのもほぼ不可能。
しかし彼女はまるで気にしない。
むしろ前方の触手のほうを警戒していた。
何せ今の彼女は、一人ではないのだから。
「――ちょっとは気にしろよ」
向き直ったことで、異次元体の残った右腕はユキの側にあった。
千陰に向けて振るわれたそれは、ユキのことなどまるで眼中にない。だからこそ、ただ巻き込まれるのを気を付けるだけでいいのだ。
大きく広げられた掌。その指先が届くか届かないかというあたりまで彼は飛び込み、いつもより長い刃を、巨大な指に添わせる。
鋭く高められたエーテルが固い甲殻を薄く切り裂き、あとは添えているだけで刃が食い込んでいく。
一瞬のラグもなく腐食がわずかに広がる。
その体構造を劣化させ、刃の通り道を瞬時に作りだす。
甲殻の中に隠された肉、その繊維がぶちぶちと裂け、あるいはぼろぼろと零れていく。
鮮血が噴出し、刃を汚す。
赤銅と深紅が混じる。
腕が通り過ぎるのに合わせてユキはさらに深く前に踏み込む。圧倒的な暴力の波に体も、そして刃も軋み、支える地面に亀裂を走らせながらも彼は踏み込んだ。
途方もない圧力に打刀はがたがたと茎から抜けそうになる。長い刀身は今にも折れそうだ。
飛礫が体を打つのは歯を食いしばって耐えるだけ。
彼はただ吹き飛ばされないこと、そして刃を持っていかれないことだけに心血を注ぐ。
かみ砕かんばかりに歯を食いしばり、鋭く細められた眼光は毒々しい赤に光る。
とうとう切り口は中指から巨大な掌まで続き、そして、刃渡り二尺以上もある刃ですら足りないほどの剛腕すらも食み始める。
極限を何度も超えて高められた彼の心臓の炉。純粋で、そして圧の高い未知のエネルギーは煌めく刃に一心に注がれた。
莫大なエーテルが傷口から送り込まれる。
異形自身の膂力をもって深く切り裂かれた腕は、抵抗すらも許さぬまま〝腐食の刃〟に侵されていく。
ブチブチと、ミチミチと、筋肉も、血管も骨すらも問わず切り裂いていく。
表面からではなく、内側から直接腐食に侵される。それはほんのわずかな浸食であっても、振るわれた腕の勢いによって連鎖的に奥へ、奥へと錆が広がっていく。
強固なはずの筋肉。しかし劣化し、脆くなったそれはたやすく上下に裂かれていく。
人外の膂力、その勢いすらも利用して、彼はとうとうもう一方の巨腕すらも粉砕した。
真っ二つに分かれた右腕は根元から崩れ落ち、勢いのついていたそれは錆に崩れながら宙に舞った。
絶叫が大気を震わせた。
「ハハッ見事だなっ!」
その中でも彼女は楽し気に哄笑を上げる。
涼やかな青はしかし燃え上がる炎の様に迸らせ、見開かれた眼光はかの化け物を睨む。
振り下ろしていた刃を持ち上げ、彼女の体を貫かんと伸ばされた二十四本の触手をまとめて横薙ぎに叩き切る。
巨腕という最大の懸念から解放された彼女はほぼ全力にエーテルを練り上げ、長大な刃に蓄えていた。
刀身から逃げ出すことも許さぬほどに濃密に蓄えた蒼雷。
それを纏った長き刃は触手を〝消し飛ばした〟。頑強な筋肉、堅固な外殻、そして高密度のエーテル耐性。そのどれをも溶かしつくすほどの極光。
稲光が放たれ、触手だけでなく突き出した顔、うつむき気味の上体、その背と肩回りをも舐め尽くす。
閃光が世界を白く染め上げた。
耳すらも不能にするほどの轟音を伴い、体を打つ衝撃は触覚すらも封じる。
だからだろう、彼女はここで初めて不覚を取った。
「ガッ!?」
真っ白な世界の中、何かが彼女の体を打ち払った。
巨腕ではない。
溶け落ちた鋏でもない。
触手も舌も、薙ぎ払ったばかりだ。
では何だ。
それは尾だ。
光の収まりゆく中、弾き飛ばされる彼女が目にしたのはいつの間にか回復したのか、初めの半ばほどの長さになった尾だった。
激しく体を打たれ、内臓を傷つけたのか腑の底から鉄臭い液体がせり上がる。
それを飲み下すこともかなわずに、吐き出した。
僅かばかりにスーツを汚すも、ほとんどが宙を舞った。何せ彼女は尋常でない勢いで跳ね飛ばされていたのだから。
「チカゲっ!?」
瓦礫を巻き上げながら彼女は地下街の奥へと消えていく。
それを思わず視線で追うも、すでにユキの視界の外だった。
ユキはゆっくりと、下手人へと振り返る。
睨みつけた相手は既に満身相違だった。
両の巨腕は根元から落ち、鉄の鋏は高熱で溶け落ちている。
何よりひどいのはその上体。
首が消し飛び、肩が抉れ、溶け落ちた甲殻と皮膚からはどくどくと脈打つ肺腑と心臓が覗く。
しかしさすがは最高峰の異空間の主ゆえか、体すべてが消し飛ぶようなことはなく、何よりすでに再生が始まってすらいる。
そして逞しい六脚と、尾の一本がいまだに健在で、ただそれだけでもあらゆる生命を殺しつくすほどの存在感を持つ。
そう、それはまだ生きていた。
がむしゃらな動きで暴れ回ってはいるものの、頭を消し飛ばされたというのにそれはなお動き、そしてかつてのムカデとは違い、消えていく様子もない。
当然だ。
かの怪物のコア、エーテルの心炉がまだ残っているのだから。
露出した胸部。
その内側で脈打つそれは、彼が今まで見てきた球体器官とはまるで違う。
太い血管がいくつも繋がれ、やや楕円のそれは脈打つたびに千切れた数本の血管から尋常でないほどの鮮血をまき散らす。異常発達した人の頭程あるそれは、どす黒い表面を拍動の度に伸縮する。
怖気を走らせるほどに醜悪なそれはしかし、まったくの見覚えがないわけではない。
その姿はまさに遠い日に、教科書や理科室の人体模型で見た――人間の心臓。その面影を残す。
ユキはそれを、ただただ睨む。
巨体はそれだけでも脅威だ。
やみくもに動き回るだけで六脚が地を踏み、その体重をもって粉砕する。
地は亀裂が入るだけでは済まない。
積み上げた瓦礫を粉砕し、さらに量産し、そしてやはり粉砕する。
方向性もあったものではないかのものの進路はいつかはこちらに、あるいは彼女の方へと向かうだろう。
別に、それを行うのに恐れなんてない。
もう、何度か経験もしたことだ。
しかし、人のために戦うのだと決めたばかりの、生まれたばかりの決意だけが、小さく悲鳴を上げていた。
先の一撃で限界だったのだろう。
錆にまみれた刃は半ばから折れている。
これはもう、使い物にならない。
無銘の打刀を投げ捨て、彼は腰に隠していた最後の一振りを抜く。
小さな、小さなサバイバルナイフ。
鉛色のそれにエーテルが通い、白銀を取り戻す。
エーテルの高まりを感じたか、がむしゃらに暴れるだけだったそれが、こちらを向いた。
ほぼ完全に回復した尾が揺れ、地を薙ぎ、飛礫をまき散らす。
多脚は轟音を上げながら地を砕き、巨体とは思えぬほどの速度で迫る。
明確に、まっすぐに、彼に向けて。
ユキは怯まない。
絞られていた目は見開かれ、赤銅の双眸がそれをただの〝敵〟と捉えていた。
「っおぉおぉおおおおおおおお!!」
地を蹴り、負けず劣らずの爆音を轟かせ、まるで砲弾のように彼は飛びかかる。
それに合わせて振るわれた、鞭のようにしなる尾。彼は身をよじり、それでも避け切れないと悟ると、ナイフを握らない左手で受け流した。
皮膚が弾け、筋肉が裂ける。骨が潰れる音が内側から響いた。
――それがどうしたっ!
決して勢いは失わない。
飛び出した体は右腕を突き出し、剥き出しの心臓へと突き進む。
極限まで高められたエーテル。
全身から燐光をまき散らし。
三点から赤い尾を引いて。
腐食の刃はついにその心臓を食い破った。
***
「ほら、起きろ」
耳を打つ涼やかな声に、意識が浮上していく。
くっつきたりないと駄々をこねる瞼を説き伏せて、ゆっくりと目を開けた。
真っ黒に戻った目は、色を取り戻した世界と、そして差し出された雪の様に白い手を見つめていた。
ユキは冷たい床の上に大の字で寝転がっていた。瓦礫などもはや見当たらず、冷たく滑らかな大理石のフロアの上で。
それに気づくと、背から急に冷たさが全身に広まる気がした。思わず身震いする。
それがおかしかったのか、手を差し伸べる彼女はくすくすと笑った。
握っていたナイフもいつのまにかどこかに消えていた。左手は折れて使い物にならない。
そのため、空いた右手でそれを握った。
薄っすらと赤色が滲んでいたが、彼女はまるで気にした様子もない。
幸い、乾いたそれは彼女の白い手を汚すこともなかった。
そのことに、少しばかり安堵した。
しかしそれも一瞬にして頭の隅へと追いやられた。
力強く引っ張り起こされ、そしてふらつく体は優しく抱き留められた。
「ほら、いつまで呆けている。シャキッとしろ!」
次いで耳元でそんなことを言われれば、否が応にも目も覚める。
「うっさい」
若干張りのない声で応えれば、ちゃんと自身の足で立ったことを確認してから彼女は少年の体を解放した。
「てか、なんでお前のほうが元気そうなんだよ」
彼女はきょとんとした顔をする。
「なんでって、たかが一回殴られただけだろうに。さすがに真っ二つにされれば死ぬがな、あの程度はちょっと胃のあたりが傷つくだけだ」
彼女――千陰はけろっとした顔でそう答える。軽く腹のあたりをさすってはいるが、たいして痛みもないのだろう。
怪我をしているなんて、口元に軽く残った血の跡と、スーツに若干掛かった血痕、それとせいぜいが破けたスーツくらいからしか伺えない。
どう見ても軽症。
左腕のへし折れたユキのほうがどう見ても重傷だった。
それにげんなりとした顔以外をどう浮かべろというのか。
「まあ、直前に察知していたからな。相手もエーテルの塊だ、それを追えば五感が封じられようと問題ない」
「――わからないでもないけどさ……」
なんだかなあ、と彼は頭を掻き、なんの気なしに周囲を見渡す。
そういえば、と頭にある一つの懸念と疑問が浮かぶ。
ボロボロの恰好の二人――何より長大な刀を携えた千陰がいるというのに、悲鳴も驚愕の声の一つも上がらないのだ。
それとももう騒ぎの起こった後なのか?
目の前の彼女ならば、たとえ自身が理由で大騒ぎになってもまったく動じないだろう、そうやや失礼な方向に思考が飛んでいく。
現状を訝しんで周囲の気配をいまさらながら探ってみるも、十を少し超えたくらいの人数しか感じ取れない。
もしかしたら今は深夜とかなのか?
自分は人も去るくらい遅い時間まで、それだけ長い間眠っていたのか?
だとしても寝ころんだ子供を誰も注意しないのはどういうことか?
今なお感じ取れる気配は何なのか?
さすがに疲れもあったのだろう、考えるだけ深みにはまり、混乱した頭は少し考えればわかりそうなことにまるで気づかず、果てには堂々巡りの様に繰り返し始めた。
何が何だかわからない。そう匙を投げて、思わず天を見上げると、吹き抜けの上階で、ガラスのフェンス、木製の手すりに正面からもたれているスーツ姿の男性と目が合った。
彼はこちらに気づくと、軽く手を上げて、そしてまた目をふいと逸らした。
どことなく、疲れた顔をしていたように見えた。
よく見ると、彼の周り、そしてユキ達の周りにも似たようなスーツ姿の人たちがいた。
人の気配の正体はわかった。
しかしこいつらは誰なのか?
さらに深まる疑問。
その疑問は、彼が手を引かれて一台の車に乗せられるまで、結局晴れることはなかった。
***
静かに走る車内。
ユキの左手には応急の処置が施されている。
黒塗りのスモークの向こうでは、人の姿がちらほらと見える。
ユキが異空間に入り込む前とは段違いの少なさだった。
普段ならば気になるそれも、今ばかりは頭に入ってこなかった。
「案外素直についてきたな」
「……謝らないと、いけないからなあ」
革張りのシートに並んで腰かけていた二人。
そこで、小さな会話が交わされていた。
彼女の問いに、ユキはぽつりと零した。
それを聞いて、千陰はにこりと相好を崩した。彼女にしては珍しい、柔らかい笑みだった。
「そうか、しかしまあ、その前に怒られるだろうなあ」
ユキは、うっと小さく呻く。
ついでに背も若干丸めて。
「また無茶をしたなっ! てな。あの医者、ぷりぷり怒るぞ、きっと」
それに、少しばかり目を丸くする。そして、ほっと安堵して。
「それは、少し嫌だなあ」
どこか嬉しそうに、ユキは笑った。
***
「……そっか、あの子が。あんな小さな子が終わらせたんだ。千陰ちゃんじゃなくて」
別の車内。そこで、掠れたような声で彼女は呟いた。
彼女のトラウマ、その再来を防いだのは絶対に届かないと思っていた後輩ですらなく、一回りほど年の離れた男の子だった。
「まあ、そうみたいだな」
呟きに答えるのは隣に座る男だ。
シートベルトもせずに、頭の上で腕を組んで、そのまま座席に凭れ掛かっている。
「そうみたいだなって、あなたも間に合わなかったんだ」
「……まあな」
バツが悪いと、彼は顔を逸らした。
「お前もだろ。押井の野郎なんてびりっけつだ。彼女の心配をするのもわかるがよっ」
けっ、と、小さく毒づくのは妙に様になっていた。
それを見て、女性――赤峰は小さく吹き出した。
「――それにしても、よくこんだけの規模で避難させられたもんだな。あのおっさん、なんて嘘ついたんだ」
「嘘って言い方はないでしょう。局長も、いろいろと手をまわしてくれたんだから」
「なんでもいいよ。で、結局何なの」
はあ、と深いため息をこぼす。
呆れたような、しかし安心したような。そんな笑みを浮かべながら。
「行政と防衛省と警視庁……それと報道のほうにも協力を仰いだんだって。なんでも『梓田駅周辺で大量の不発弾が見つかったー』とかいう名目で」
「スケールでけえな。まあ一発じゃせいぜいが数百メートルだもんな……それにしてもあのおっさんやっぱ顔広すぎ」
「こういうときのため、って言ってたわよ?」
「まねできねーわ」
男――霧原はやだやだ、と顔をしかめた。
「なら、やっぱり鶴田さんに頑張ってもらうしかなさそうね」
「何の話だよ」
「いつかの話」
「んだそれ」
***
「消えずに残った、か」
「はい」
薄暗い室内。
物の極限まで省かれた、冷たい床と、冷たい壁に囲まれた部屋。
立ち尽くすのは、スーツ姿の上背のある、顎髭の男。
そして白衣を纏った人物が数人。
「なら、これはやはり――〝異次元体ではない〟と?」
「それはまだ、わかりません。我々がまだ解明できていないエーテルの性質があるのかもしれませんし、霧原君の能力と似たようなものなのかもしれません」
彼らは部屋の中心で、それを見下ろしていた。
指向性の強い照明に照らされた下では、キャスター付きの手術台、それが複数並べられている。
そして、その上に一つの大きな肉塊が載せてある。
大きな、と言っても、部屋を埋めるような巨体ではない。
ガタイのいい顎髭の男性より、更に一回り大きい程度。
しかし、妙に骨ばった体躯。
その上半身だけ。
首から上、両腕は消し飛び、両の肩は溶け落ちている。
赤黒く固まった筋肉、そして若干千切れた肺腑。
肋骨に守られることなく、ぐにゃりとへこんだ胸部の中央には、あるはずのものが無い。
「しかし、暫定的な見解だけを述べると、これは……いえ、〝彼〟は――」
「――人間、元異能者だと、思われます」
沈痛そうな面持ちで、彼はそう告げた。
「このこと、彼らには?」
「あの子にだけは、知らせていません。千陰ちゃんは、もうその場にいたみたいで」
「……そうか」
「千陰ちゃんは……こうは言っては何ですが、覚悟も何もかも、もうできていますから。しかし、ユキ君は……」
白衣の男性、その一人が顔を伏せる。
「……まあ、我々が気落ちしていても仕方ない。それに、彼もそう弱くないはずさ」
元気づけるように、努めて明るい声で男は言う。
「悲しいことに――人の生き死にに関しては特に、ね」
最後の呟きばかりは、トーンを落とさざるを得なかったが。
1章完結