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9:義手と触れ合いと急速分裂型


 ぎしりと、鉄の義手が鳴る。

 インバネスを椅子の背にひっかけてベッドに腰かけていたジョンは、袖のないシャツの肩から延びる己の肉、二の腕の中ほどからつづく銀色の義手を見やる。

 左腕の《杭打ち》を使ったためこちらだけ少しぶら下がる感触がちがう、気がする。稼働のための疑似神経はあれど、感覚神経が通っているわけではないので妙な話だが。たしかにちがう気がするのだ。


「ふん……」


 蒸気稼働がなければ不動の鉄塊。

 戦闘か用足しのときくらいしか動かさない道具だが、しかし己の腕だ。そう、思いたい。

 複雑な感慨を持ちながら見つめ、やがて背後でシャワー室の扉を開ける音がしたので視線を切る。

 振り向けば扉の隙間から、廊下を探る白い腕が見えた。バスケットに入れてジョンが置いておいた着替えをつかむと、ひゅっと中に引っ込む。

 ごそごそと衣服を身に付ける音しばし、ロコは普段より裾丈の長い――先ほどジョンが買ってきた――修道服風の黒いワンピースに袖を通し、出てきた。くせのあるアッシュブロンドは腰までうねり、すでに乾いている。


「服、どうも」

「三ルコルだ。帰ったら寄こせ」

「う。微妙にお高い。あのー、もともと汚したのはジョンさまですし、せめて折半にはできませんか?」

「……仕方がないな」


 いかにも譲歩した風に見せるジョンだが、じつは職務上の装備汚損として届けると華美な服装でなければ騎士団経費で落ちる。

 あとから三ルコルも申請しておこう、と領収書を手元に残している抜け目ない男であった。


「そういえば出ていく前になにか注文していたようですが」

「先に食べてはいないぞ」

「ですか」


 ちょっとうれしそうに顔をほころばせるロコ。壁際のドレッサー前には冷めかけの羊肉ソテーが並んでおり、白パンとエードも添えてある。

 いそいそと近づいてスツールに腰かけ、食事に手を伸ばしかける。と、そこでジョンの方を向き、ベッドに広がるあるものに目を落とした。


「その紙束は?」

「事件資料だ。近辺近日の吸血鬼事件について。先ほど討伐した奴がほかの事件とどのような関連をしていたか、調べようとな」

「へえ……それにしても、多いのですね」

「なにがだ」

「吸血鬼の被害件数です」


 祈りを捧げてからエードのマグを両手で抱え持ち、彼女はベッドに広げた資料へ目を通していた。

 区画ごとでの発生件数などを割り出してまとめた報告書には、下等区画だけで先週三十一件の吸血鬼騒動があったことを伝えている。


「この程度普通だが」資料を尻に敷かぬようベッドに腰かけ、ジョンは返す。

「普通、なのですか。これほど多くのひとが傷つけられたり、命を落としたりすることが」


 義憤というほど傲慢な感情ではないのだろうが、どこか悲し気に憤り気味に。やるせない表情でロコは両手を組む。

 もうすっかり慣れてしまったジョンにとっては「三十一」というものがただの数字にしか見えないのだが、まだこの街に慣れぬロコにとってはきちんとひとの命の数に見えているのだ。


「元々ここはすこぶる治安が悪い。お前がどういうところから来たかは知らんが、少なくともここよりはマシだったのだろ」

「それは、まあ。葬儀礼と埋葬に関わることを除けば、恒常的にひとの生死に触れるというほどではありませんでした」


 その割には、血みどろの戦いを繰り広げるジョンや吸血鬼を見てもびっくりするだけで引いたり気絶したりはしない。妙な肝の据わりようだな、と思いながら、しかしジョンは特に来歴を問うことなくつづける。


「それはよかったな。この街では先般も述べた通り、葬儀も埋葬もろくなものではない」

「水葬それそのものを悪く言うつもりはありませんが、たしかにあの川に流されるというのは」

「ろくなものではない。そうだ。だがこの街の実情はそうした対応を避けえない。治安の維持も最低限しかできず、結果多くの人間が傷ついている」

「吸血鬼のせいですよね」

「半分正解だが、本質には至らない。正解は金だ」


 お金の話題になり、ロコの眉間がぴくりと動く。まあ聞け、と制してジョンは言う。


「この土地は金を生む。偉大なる躍進の痕跡グランドコークスバレーと呼ばれ、石炭および鉄鉱石・希少な金属類を大量産出してこの錬金術と蒸気機関とが幅をきかせる大産業時代にナデュラ帝国の国力を高めた」


 とにかく儲かり続ける時代。

 ドルナクがいまのように拓かれた三十年前、ここは出稼ぎの人間が居座り金を生み金を落とし都市部がさらに発展、それが仕事を生み金を生み――と、理想的な金回りをしていた。


「だから鉱山開発より十四年が経過したころ吸血鬼が現れたとて、いまさら危険を恐れて鉱山を閉じるなどできなかった」


 当時は頸部切断、心臓大破壊という現在よく知られる吸血鬼の殺害条件も見つかっておらず、一体の吸血鬼により相当数の人間が殺された。

 なにせ連中は頭部を穿たれても脳幹がやられない限りは大抵再生を可能とするほどであり、しかも当時の人間にとって強力な武器と言えば杭弾銃パイルガンだったためだ。

 この武器は一発当たりの攻撃範囲が狭く、蒸気機関を用いる都合上大型化するため取り回しづらく、バレル数イコール装弾数であるため重く、攻撃回数も限られる。

 負傷部位が内臓だろうと眼球だろうと筋肉だろうと『損傷範囲の大きさ』だけが問題点となる吸血鬼にとっては、これはさほど恐れるべき武器ではなかった。『回復せよ』との意識さえできれば即座に再生に移れる彼らにとって、思考の源たる血液を瞬時に閉ざす心臓や頸動脈、意識を伝達する頸部以外は多少傷ついても問題ない。

 故に被害は多数にのぼった。


「あまりに多く死んだ。そして最初の吸血鬼が出現してから二年後、ようやく対策が取られた。ご存知、騎士団の登場だ」

「ずいぶんかかりましたね」

「噛まれれば吸血鬼となる。その理屈がわかったところで、まだ罪もない昨日まで人間だった者を処分することに国民の反発が予想されたからだ。故、騎士団は国に誹りが向かぬよう、軍部とも警察とも切り離された機関となっている。その構造のため設立に時間を要した」


 騎士団の上位隊に貴族が多く含まれるのも、この辺りの事情からである。元より近辺領主の身分だった家系など、反発が向きにくい層が選ばれ配属されている。

 さてその後、対吸血鬼戦の心得は少しずつ蓄積され――『攻撃範囲が広く』『携帯性が高く』『折れなければ幾度も攻撃できる』――剣や槍といった近接武器が復権した。

 まるで騎士の時代に逆戻りしたような笑えない状況。

 皮肉るように、対吸血鬼の治安維持組織には《銀霊騎士団シルヴァ・オーダー》と名付けられた。


「とにかく金、金、金だ。金を欲するがため国はドルナクを閉ざすことなく、金を欲するがため人々は危険なこの街に集い、金を欲するがため吸血する化け物殺しに手を染める――俺のように」

「なにをどうしたら、もっと安全な街になって、平和になるのでしょうね」

「わからん。だから考え続けろ」


 この街の人々が安心を得るには、時間をかけて吸血鬼を全滅させる法を探すほかない。

 多くの取りこぼしがある欠陥組織に見えても、その法が見つかるまで騎士団はやはり、必要なのだ。ジョンはそう割り切っていた。

 話しているうちにちょうどよく冷めた頃合いだと思い、ジョンはベッドサイドのバッフェに置かれた皿に顔を向けた。

 運ばれてきた羊肉のソテーは湯気がおさまり香りだけを残している。ジョンはロコに背を向けると、上からかけられたブラウンソースを舌先で舐めとって、次いで肉の端を食んだ。下あごを前後させて口の奥に送り込み、音も立てずもくもくと味わう。


「ジョンさまは」

「ふぁんだ」

「そんなにお金が必要なのですか?」


 背後からの問いに、振り返らず返す。


「金がなくては生きてはいけない。道理だ」

「それは、そうですけども」

「そして俺は戦ってあの連中を打ち倒すくらいしか、できることがない。人生に対して打つ手がない。だから戦うそれだけだ」


 肉を嚥下し、一息いれる。横に置いてあった銅のマグの縁を噛みしめ、首を上向けてぬるくなったエードを喉に流しいれた。


「吸血鬼が、お嫌いですか?」


 さしはさまれた疑問に、少し動きが止まる。

 マグを置いてから、問い返した。


「なぜそう思った」

「否定しないのですね」

「否定しない。当然だ、人間の命を食い物にする輩だぞ」

「それも、そうなのですけども……なんというかジョンさま、普段は淡白ですが。吸血鬼との戦いのときや彼らについて語るときだけは……少し、感情が露わになっている気がしまして」

「ふん。身上相談カウンセリングでもさせる気か。懺悔室のようなことを」

「一応シスターですので」


 振り向くと、普段とちがって裾丈の長いワンピースに身を包んだ彼女がこちらを見つめている。

 スツールの上で背筋を正し、膝の上に行儀よく両手を備えていた。青金石ラズライトの瞳で真剣に、ジョンの中まで見通そうとしているように映る。

 だがべつにジョンはいま困っているわけではない。


 そう、いまは、困っていない。


 過去にずうっと繋がりつづけているような気がする両の義手が一瞬、重みを増したように感じた。無言のうち立ち上がって歩き出し、彼女の横を通り過ぎると姿見の横に立った。

 椅子の背にひっかけてあったインバネスの襟首を噛み、首を振り回して己の肩にかけた。


「あいにくといまは悩みがないのが悩みだ。食事を終えたら行くぞ、休憩も済んだ」

「はぁい。……あ」

「なんだ」

「いえ、ちょっと」


 スツールに腰かけたまま、ロコは、前が開いていたインバネスの隙間を見た。

 そこにすっと手を差し込み、

 ジョンの駆動鎧装の掌をつかんだ。


「手首の関節に、布切れが――」「触るな」


 ぶんと腰を切って彼女の手を振りほどく。


「え?」

「要らん。触るな」


 短く言いつけると、困惑の色のあとになんとも弱弱しい顔を見せて「すみません」と謝った。

 さすがに悪いことをしたように思い、ジョンはばつの悪い顔をしながらロコになるだけ気を使った語調で言葉を継ぐ。


「……べつに謝る必要はない。ただ、あまり触れられたくはないのだ」

「そう、ですか。気を付けます」


 しゅんとうなだれた彼女は手にした布切れ、吸血鬼の衣服の襟だったのだろう物体をくずかごに落とすと、ジョンと目を合わせないようにしながら食事を済ませた。

 その間、ジョンは己の腕に目を落とす。

 腕。己の腕。そう思いたい代物。

 だが触れられても肌の熱ひとつ伝わらない。こう感じる瞬間に、ジョンはなんとなく世間と己との間にある断絶について思う。

 これしかない。これを使った生き方しかない。

 お前には吸血鬼殺しのほか、できることはない。

 そんな風に言われているような冷たい感触がある。


「……ふん」


 鼻を鳴らして取り留めもない妄想を蹴散らし、ジョンは姿見の裏の降下口に身を投げ出した。



        +



 そうしてたどり着いた先、騎士団詰所にて。

 煉瓦の通りを抜け地下への階段をくだり、会議場へつづく大きなオークの扉を開けようとしたところ――ジョンはバタンと出入り口を開いて出てきたゴブレットに遭遇した。

 ほの青い髪をすべて後ろへ撫でつけ、眼尻に細かい皺を寄せた彼は、常よりもよほど疲弊を貯めた様子でジョンを見る。

 その視線すら疲れていて、相手がジョンであることに気づくまでにだいぶ時間を要した。


「……ああ、ジョンかい」

「どうした、ゴブレット」


 後ろに並ぶロコともども問いを投げかけると、彼はいやいやとかぶりを振りながら手に持っていた書類を後ろ手に隠した。

 だがその内容を隠すつもりはないようで、あいた片手で額を押さえながらぼやく。


「まいったものだよ。どうやら奴が出現したらしい」

「奴とは」

「決まっている」


 細く目を見開いて、ジョンに視線を合わせながら彼は言う。


「高階位吸血鬼だ。《急速分裂》型――ここからは、普段上等区画を担当している第一から第四および下等区画担当の第五から第七まで、戦闘用の部隊はすべて奴の討伐に駆り出される」


 ぞろぞろとつづいて出てきたほかの騎士隊隊長に見られつつ、ジョンはだれよりも重くその言葉の意味を受け止めていた。


 急速分裂型。


 それは斬る傍から損傷欠落部位を己に都合よく再構築し、あらゆる手段を以てしても討滅が難しいとされる吸血鬼。

 二の腕の中ほどに感じる熱を意思で必死に押さえ込みながら、ジョンはゴブレットに半歩詰め寄った。


「標的の外見は」

「……不明だ。しかしそいつは工場の従業員だったという、つまり長くここに居たということでお前の狙う相手(・・・・・・・)では、」

「そうか」


 返答で行動を選択しなおすつもりはなかった。

 瞬間に踵を返して走りだす。

 背後ではゴブレットが待て、と大声を張り上げていたが知ったことではない。

 奴だ。

 ()と思しき吸血鬼が、このドルナクで息をしている。

 可能性が薄いとしても――


「逃すものか――」


 ずき、ずきりと痛む両の義手の付け根を思いながら、ジョンは駆ける。

 その背後にいたはずのロコの存在さえ忘れて、ただただ。


 彼は駆けた。


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