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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
血闘

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83/86

82:剣士と剣窮者と吸血鬼


 ひとでごった返していた三階からの階段を、研究所の揺れでうずくまった人間の背や手すりを足場にして無理やりに登り切り。

 この揺れならば非常階段から逃げているだろうと思い向かったところ、顔に血が散っているディアへと剣が振り下ろされそうになっているのを認めた。

 瞬間、ジョンは弾けるように飛び出していた。

 インバネスの裾から出した左腕の、肘内のストラップを噛みしめる。

 首を回してチェーンを引き切り始動。

 疑似神経回路を雷電が駆け巡り、背中のアクチュエータを介して右腕も動き出す。

 エルバスの振り下ろしの軌道を見切る。

 左前腕を掲げて――追いかけるように右掌を、うごめかした。

 すでにの騎士団長は、ジョンが駆け込んでくるのを目の端で捉えている。

 それでも人間は、周辺視野を動くものまで細かく把握できない。視野が一〇〇度前後あろうとも、その視野の端に関してはそこにいる人間が指を何本立てているかでさえ、正確に当てるのは難しいものだ。

 故にジョンの構えまでは捉えていない。


「……――ぐゥッッ!!」


 叫びを上げつつ受け止める。

 重い。身体の芯にまで響き、体勢が崩れそうな苛烈な勢い。

剣窮者グランドマスター》の、斬鉄の剣である。

 だが。

 ジョンは、受け止めていた。

 腕を切断されることなく、止め切っていた。


「……ほぅ」


 エルバスがわずか、感嘆したような声をあげる。

 彼の称賛らしき声の対象となったのは……ジョンの防御。

 左前腕と右掌で、エルバスの剣を同時に二か所、かち上げていた。


「斬鉄の技は、同時に二つの物体を切ることはできない。……そうだろう、ペイル卿!」


 言って、ジョンは振り払う。エルバスも掌での刃へのつかみを警戒してか素早く剣を引き後退、下段に構え直している。

 気づいたきっかけは、ずっと考えていたあのときのこと。腕を断ち切られたあの瞬間。

 二条の光が走ったのを見たと――そう思ったら、両腕が身体を離れていた。

 つまりエルバスは二度、剣を振るっている。

 左右の腕をそれぞれ落とすのだから当たり前といえばそうだが、あのとき動揺していたジョンは構えも崩れていた。一度の斬撃の軌道上にて両腕を斬り伏せることも、できないではなかったはずなのだ。


 でも彼はそうしなかった。

 ならばそれは斬鉄の際の手の内の工夫や身体運用が、ひとつ目の対象物を斬り伏せた際に崩れてしまうからではないか、と思った。

 そしていままた。

 ディアの左脚の駆動鎧装が切断されているのを見つけて、激昂の中で走りながらもジョンは確信した。

 やはりひとつずつ、斬らねばならなかったのだと。

 つまり斬鉄は――相手の剣身に同時に二か所斬らせようとする・あるいはこちらから先に同時に二か所へ触れることにより無効化できる。

 ジョンの問いかけに、エルバスは静かにうなずいた。


「正答だ、ジョン・スミス。少しは、使えるようになったか」

「自分で使えるようになったなどとほざくこと以上の驕りはない」

「正道だ。……貴君は腕を失い剣士として終わったが、気位だけならばいまだ剣士の域を保ちつづけていたようだ」


 エルバスは中段、切っ先越しにこちらを見据える構えに移行する。

 右半身、左足は爪先を外へ開いている。腰を落として剣先をわずかに揺らし、ひとところに留まることなく絶えず機と気とを回す。

 重い。

 存在が重さをまとっている。

 まるで付け入る隙が、無い。

 呼吸ひとつの間にこちらの命を摘み取るであろう剣。

 相対するだけでも気力を消耗し、プレッシャーに押し負ければはらが浮き足が居付いて途端に命は彼の者の剣に吸い寄せられ、断たれる。

 明確に死の未来を予見しながらも、ジョンはディアを守るため引くわけにはいかなかった。

 そこにスレイドが居ることさえ、気づいていながらも無視していた。

 歯が砕けるまで食いしばってもなお足りないほどの憎悪を、懸命に押し殺して。いまは――いまだけは、ディアの安全を確保することが最優先だった。

 視認してしまえば、きっと感情を抑えられなくなる。

 だからジョンはスレイドを視界にすら収めず、ただディアに声をかけた。


「ディア、生きてこの場を離れるぞ」

「でも、きみ、こんな状況で、」

「どんな状況であってもだ」


 ジョン自身が一番よく理解している。ほかの人間はともかく、エルバスひとりが居るだけでこの場はほとんど詰んでいる。

 だが、だからと言って諦めることはできない。

 ジョンにとってそれは掲げた矜持だ。


「ペイル卿。ここは退かせてもらう」

「させると思っているのか」

「覚悟を告げただけだ。そちらの思惑は知らん」

「……ふん。先だっての大主教への襲撃といい、今日は厄日と見える」


 ぼそりと言うエルバスの言葉に、ロコの襲撃がすでにはじまっていることを悟る。この場に大主教がいないのは、そういうことか。すでに道を別れてしまった彼女の現状を思い、ジョンは唾を飲んだ。

 背にディアをかばったまま、じり、と動く。

 現状のジョンたちに活路が唯一あるとすれば……先ほど通り抜けてきたエレベーターホールだ。

 いま昇降機の動きは停止している。だが鉄籠は地下階層で停止しているため、ワイヤーは五階からそこまで一直線に伸びているのだ。

 ならばディアを抱えたままワイヤーを《銀の腕》でつかみ、滑り降りる。金属の義手かつ精密な操作が可能な駆動鎧装だからこそ、可能な一手だ。

 問題があるとすれば……単純に、そこまで逃げのびることをこの騎士団長が許しはしないだろうということのみ。

 口先の交渉か、なんらかの条件提示か。

 いずれかの方法で、時間を稼がなくては――


「――なんだよ。なんで僕を、無視しているんだ?」


 考え込んでいる最中に、静かな声が場を制した。

 それでもジョンは視線をそちらに向けない。エルバスは無駄な動きを許してくれるような相手ではないからだ。

 けれどその事実がますます癪に障ったかのように、声の主は語気を荒げていく。


「……無視すべきは、ディアの方だろう? 騎士団長の方だろう? なんで僕の方を無視しているんだ……僕はいま、やっぱりお前が僕を殺しに来たんだと思って、心の底から震えてたっていうのに。なんで殺しに来ないんだ?」


 左方の視界の端でがりがりと、グレージュの先端にオリーブの色味を宿した髪を掻く。

 スレイドは。

 かつてスレイド・ドレイクスを名乗っていた吸血鬼は。

 不可解だという思いを苛立ちに変換した声で、ジョンに向かって呼びかけていた。けれど次第、その声音はぶつぶつと、己に向けたような閉じた声になっていった。


「イラつくなぁ。どうして僕から気を逸らしているんだか。わからないな……僕よりも騎士団長が危険だから、というのはわかるけど……それにしたってなぁ」

「スレイド・ドレイクス」


 言葉をまき散らしつづけるスレイドへ、エルバスが名を呼ぶ。

 当然自己の名称への認識が消え失せているスレイドは、視線を向けられてさえいないので呼ばれていることに気づけない。周囲の人間の反応からそれと推測できるまで三秒ほどかけて、やっと「はい?」と応じた。


「いまの貴君の役割は実験対象者であり機密存在であり、同時に可能な限り無駄なくヴィクター様以下上層の人間を守護することにあるはずだ。余分な口を、叩くな」


 エルバスが声音だけで威圧する。

 するとスレイドは苛立ちを募らせていた声を少しずつ平坦なものへ戻していき、エルバスの要請に応じる返答を成す。


「あーあー、はいはい……わかったよ、わかりましたよ、わかったともさ。僕は僕のすべきことを、だろ」

「そうだ。あまりこちらを煩わせるな。気位だけとはいえ、剣士と認める者(・・・・・・・)を相手取っている。いまは貴君やよそに気を回すつもりはない」


《剣窮者》に剣士と認められるとは、ひとつのほまれと言っていいだろう。腕を失ってからその評価を得る、というのが皮肉ではあるが。

 ともかくも、こう宣言した以上エルバスには油断も慢心も一切ないし生まれもしないと見た方がいい。ジョンは絶えず警戒を切らさず、対峙する騎士団長の全身を見やる。

 どうせ初動はない。予備動作も皆無。始動から終息までの間に速度の変化はなく、すなわち「変化」「起こり」を捉える方法は絶無。

 それでも相手が動くのなら。どこかにはあるはずの気の振れ――エルバスの『攻の意識』の先読みに、ジョンは集中を研ぎ澄ます。

 ところが。


「剣士、剣士、また剣士(・・)、か」


 ひどく冷めた声が、場を乱す。

 かつ、とリノリウムの床に一歩が踏みしめられる音がする。


「まだそういう、腹立たしい言葉を聞かなきゃいけないのか……苛立たしいな」


 スレイドが、その足に力を載せてこちらへと近づいている。

 エルバスはため息をつくことすらなく、けれど今度は明確に落胆や憤りを示した気配を発した。


「……スレイド・ドレイクス。二度言わせるな。貴君の成すべきを成せ」


 耳にした者に重圧を感じさせる、巌のごとき音の震え。

 相手の心胆に逆らうことの愚かさを刻むこの声を前に、スレイドは「あは」と乾いた笑い声をあげるが、語尾の震えは声に宿るエルバスの力を身体の隅々まで思い知った者のそれだった。

 だというのに、

 奴はまた一歩、進む。


「……ああ、こわいな。こわくてたまらないよ、騎士団長。思えば僕は、騎士団に属そうとする前、このドルナクに来たときからあなたの伝説を聞いていて……そのときからずっと、あなたは畏敬の対象だったんだ」


 言いつつも、おそれ知らずに踏み出していく。

 とうとうジョンの有効視野にまで食い込んできて、表情がわかるようになってくる。引きつった笑みで、まばたきをせず、両手になにか提げている。

 この異常な様子に、ヴィクターやクリュウ、周囲にいたお偉方が壁際まで退いた。


「なにを考えている、スレイド・ドレイクス」


 エルバスが短く問うた。

 スレイドは静かに言葉を紡ぐ。


「すべきことさ。僕のすべきこと。あなたのおっしゃる通り、自分の成すべきことを考えてるよ」

「それが我が剣の間合いに踏み込もうとする愚行か?」


 地面の埃ですら浮かず転がる程度の、微かな風が吹く。

 それがエルバスの転身によって起きたものだとは、歩法が完全に終息してからでなければ認識が追いつかない。

 こちらから九十度身を逸らし、左半身で柄持つ両手を右胸元に引き付け、切っ先で天を指す。タルカス流でならば捧げの手(コンセクレイト)と呼ばれる構えだ……もっとも、エルバスの流派はペイル家にのみ代々継がれてきた秘剣であるという。似た構えでも術理がちがう可能性は高い。

 ジョンから見て左手、非常階段方面から歩いてきたスレイドを向いたエルバスは、その厳格さに凝り固まった面相の中、すべてを切り裂くような視線で奴を射すくめる。

 スレイドは怖気を感じている様は見せてもたじろいだりうろたえたりはしなかった。

 ただ、その瞳に、濁り切って淀み切った暗き光を宿している。


「愚行、かな。そうかもしれない。でもどうせ、やらなきゃいけないことなんだ」


 ぶつぶつと、言い聞かせるように。

 おそらくは己に向けて言いながら、スレイドは両手に細長いものを持っていた。

 それは形状からしてディアの、破壊された《羽根足》から拾い上げたのだろう装甲破片だった。どちらも全長で三十センチほど、握り込んで使えばリーチは二十センチほどしかない。

 こんな、得物とも言えないものを手に、スレイドは引きつった表情のままつづけた。


「だって僕はね。あなたを殺すべき(・・・・・・・・)なんだ」


 凶気の笑みで唇を痙攣させ、スレイドはかつてジョンと共に剣を学んでいたころ多用した構えを見せる。

 右半身。右手の内は順手。肘を前に突き出して破片握る拳頭を後方へ向け、かざした破片で首筋への斬道を、拳で右こめかみをガードしている。左は……ジョンからでは手の内が順手か逆手かはわからないが、コートの陰に隠すように中段、脇腹のあたりに構えているようだった。

 双剣の勢法。

 タルカス流・棺担ぎ(フューネラル)。前に突き出した右肘は囮であり、相手の打ちかかりに乗じて右半身を引いて転身回避、同時に振り下ろした右剣で相手の切返しの斬道を塞ぎながら左足を半歩踏み込み左剣で首を掻き切る型である。


「本当は下に降りてから隙を狙って襲うつもりだったけど、こうなったら仕方ないや。先にそいつを殺されても困るしね」

「正気を保てなくなったか、吸血鬼。現象回帰型と化した影響か?」


 エルバスが何気なく言ったことに、ジョンは驚愕した。

 現象回帰型だと? なぜそんなことになっている。

 最終実験は、九時からではなかったか?

 思いつつスレイドの方を見れば。

 奴はジョンが首を動かしたのを視野の端に捉えていたか、にやりと笑ってみせた。


「僕は正気だよ。現象回帰型になったってなにも変わっちゃいない。でもやらなきゃいけないんだ。そういう、指示(・・)をもらってる」


 だから、と言ってスレイドは前に出した右爪先をにじる。

 彼我の間境まで残り五センチ。削り合う間合いが、気迫が、エルバスとスレイドの構える得物の先端へ徐々に重みを宿していく。

 引き合うように。

 混じりあうように、

 互いに力を感じさせていく。


「僕はあんたを殺し、■■■を殺し、このドルナクから出るよ。もう《血盟》だのなんだのと縛られるのはうんざりしたんだ。僕はもう少し自由なところへ行く」


 ただひたすらな、一方的な思いを告げて。


「死んでくれ、騎士団長」

たわけが」


 二人が、激突した。

 それは一瞬の、殺し合いで終わる。


        +


 捨て鉢な雰囲気に見えて実態はそうではない、とエルバスは分析していた。

 スレイドの立つ位置は間合いのギリギリ外である。

 つまりエルバスの剣先十センチ、すなわち最も切れ味を発揮できる部位が頭部・頸部には当たらないように控えている。

 と言ってこちらが欲張ってそれら急所を狙おうと深く踏み込めば、再生力にものを言わせて死なない程度にわざと傷を受け、こちらの動きを殺しにかかることがうかがえた。吸血鬼の特性を生かしつつ、剣士としての読みも備えている……。

 故に技は重ね斬り――連撃で、反撃の芽を潰し切る方向に決まる。


 エルバスが選択したのはペイル流奥伝・祈位(ブレス)。右足を左斜め前に進め行き違うかたちで左上方から斜め掛けに斬り下ろし、右半身の相手の右腕を断ち切る技だ。この場合はスレイドの構えからして、掲げられた前腕を切り裂くことになる。

 斬り捨てたら即座に連撃だ。腕を落とされたスレイドの次手は十中八九、腰だめに構えた左腕による最短距離の刺突。これの軌道上に、今度は右上方から斜め掛けの斬撃によって左腕を切断し同時に左鎖骨から肺腑までを斬り下ろす。

 その際、スレイドの腰だめの構えが深いことから察するに、刺突を繰り出すモーション中に自身の身体を傷つけ装甲破片に血を載せたことによる目つぶしが入ることが予想される。刺突の勢いで振り撒かれた血液でエルバスの視界を塗りつぶし、次手選択を阻もうとの策だ。

 これを防ぐべく彼は最初から片目を閉じておく。眼球に血が入ればすぐにスイッチ、無事な目を開いて状況に応じる。

 刺突の左手も潰されればもう文字通りスレイドに手はない。

 つづけて繰り出すなら近接の体術、身体の保護本能を外した自壊で筋力限界を超え威力を高めた膝蹴りだ。が、これは剣を振り下ろしたときの柄を蹴りの位置までズラせば防げる。

 スレイドもそこまでは理解しているはずだ。

 故に最後の手段は――噛みつき(バイティング)。膝を叩き込む際の飛び上がりで上体が近づいたのを利し、吸血鬼らしい技で首を狙う。

 けれどそうはさせない。エルバスは一瞬早く右手を柄から離し、横薙ぎの肘打ちでこめかみを穿つ。

 近間で昏倒させる一撃。意識奪われれば急速分裂だろうが現象回帰だろうが同じこと。再生能力も使えず、あとは両腕切断と鎖骨から肺腑まで斬り下ろした致命傷で失血死だ。


 ……――エルバスは分析から生じた仮定未来の想像より現在へ帰還する。

 洞察力と観察力から導き出される、未来予知じみた攻防の組み立て。

 外したことは一度もない。

 その結果が彼に《剣窮者》の地位をもたらしていた。

 いまもまた、想定とまったく同じ映像が現実に現れていく。

 切断される右腕。

 自傷により血しぶきで狙う目つぶし。

 切断される左腕と鎖骨から肺腑まで斬られる胴体――


 ――しかし。


 こつ、ずぶぶ、と鎖骨を断ち割り進む剣の行く先に。

 窮極まで集中したことで悪夢のように遅く映る視界の中で。

 エルバスは、己が付けたのではない、己の想定にない、スレイドの傷を見つけた。

 それは目つぶしのため左手の破片で付けた自傷……などという、なまやさしいものではない。


 腹部を横一文字に断ち割る、致命的な傷だった。


「なっ……、」


 エルバスの驚愕に。

 スレイドが笑う。

 凄絶に、笑う。

 この期に及んでまだ唇は痙攣して震え、怖気を感じ恐れをなしているのを全身で表しながら。

 しかし、最悪の、殺しの一手を、放っていた。

 切断された左腕――その手が握る装甲破片により切り裂かれた腹から、すくい上げられていた()が。

 頭上を過ぎ、エルバスの首裏に引っかかる。

 ご丁寧にも抉り出すようにひねりを加えていたらしく、一重に首へ巻き付くようにされていた。

 左右から交差した腸が、ギリりとエルバスの首元を這う。


「死、ね」


 傷ついた肺腑からひゅるると音を漏らす声で。

 血まみれの吸血鬼はわらう。

 現象回帰――超高速の再生がはじまる。

 切り落とされた両腕は空に浮き傷口から離れているため癒着はできない。けれど胴体部は――時が戻るように再生していく。

 剣が肺腑に突き刺さったまま鎖骨と肉と皮膚が繋がり出血は貫通している部位から滴るもののみとなる。

 スレイドが自ら断ち割った腹部の傷が――再生をはじめる。

 ビュルんとエルバスの首に巻き付いた腸があるべき場所へ戻ろうとする。

 腕のないスレイドに引き寄せられ、密着し、彼の肩の上に顎が乗る。


「かっ、はッ、」


 絞め上げられていく。

 外そうにも臓物の表面はぬめり滑って指をかけることもできない。

 剣はスレイドが己の身に埋めて取り返せないようにしている。切断は無理だ。


「――――ッ、」


 エルバスは口を開き、すぐ真横にあるスレイドの頸動脈に噛みつこうとした。出血多量で意識を落とせば再生も止まり、このふざけた絞殺から抜け出ることができる。

 けれど吸血鬼は読んでいた。

 一瞬早く、エルバスより先に噛みつきを終える。

 橙色を帯びた鮮血が噴き上がった。

 首を絞められたことで感じていた心臓の拍動が、みるみるうちに耳から遠ざかるのを感じた。


 エルバス・ペイルは。

《剣窮者》は。

 こんな、剣の立ち合いと呼ぶのもはばかられる殺し合いの中で、絶命した。


        +


 スレイドが床に転がった腕に傷口を向けると、磁石が引き合うようにくっついた。

 一秒とかからず癒着・再生を終えている。そして肺腑から剣を抜き取り、自分の腸を死んだエルバスの首から外すと、立ち上がりながら腸より手を離す。

 発条の巻き尺のように、ぎゅる、びちん、と臓腑はあるべき位置へ戻って傷口もファスナーを閉じるがごとく塞がる。肺腑に空いた穴はシャツが重なって見えないが、呼吸音に異常がないという事実からすでに再生しているのがわかる。

 血まみれのスレイドはふうと息を吐くと、口周りに付いていたエルバスの血を嘗めた。


「懸念がひとつ消えたよ。指示をこなせたし、現象回帰型になってなお怖いと思っていた相手を、殺すことができた」

「す、スレイド……お前は、なにを」


 ヴィクターが震えを催した指でエルバスの死体を示しながら言う。

 スレイドは振り向きざま、申し訳なさそうな声で返した。


「訳があってね、ヴィクター翁。僕はあんたの下にいないんだ――だいぶ前から」

「っ! やめ、」


 ジョンが初動の気配を察して止めようとするがもう遅い。口許を片手でぬぐいながら、スレイドが手にした剣を振るう。

 ごぼ、とヴィクターが血を吐いた。

 首が前半分、切り裂かれている。


「  、 っ 、」

「悪いね、もう用済みなんだ。《血盟》も。DC研究所も。そして学会の老害であるあなたも……もっとも、最後のはどういう意味かよくわからないんだけどね? 雇い主にそう言われただけだし」


 かちゃん、とモノクルが落ちる。ステッキが倒れ、小さな体が崩れ落ちる。

 ヴィクター・トリビアが事切れた。

 傍らに立っていたクリュウとDCのトップたちが、亡骸を見て一歩引く。その、ヴィクターだった死体とスレイドを交互に見て、クリュウはなにかに気づいたのかつぶやいた。


「……雇い主……それに指示(・・)。そうか、そういうことかね。きみは、果学研究学会の派閥争いに加担して……!」

「まぁ、そんなところだね。向こうの連中の方が、いまより僕に自由と安心をくれるって持ち掛けてきたからさ」


 右手に携えた剣を肩に担ぐようにしながら、スレイドは気のない風にぼやく。主義などはなく、ただ自分に利するところに近づくといった態度であった。

 ひたすらに。

 息を繋ぐために、こうしたと言いたげであった。


「さっき騎士団長が言った通り、いまや僕自身がこのドルナクとDC研究所の機密存在だ。……なら僕そのものが研究データとして、安定剤を持って逃げてくればいいって。向こうが提案してくれたんだよ。でも騎士団長が最終実験の警備に配置されたものだから、こればかりは焦ったね。いずれどこかでは出し抜いて殺さなきゃ逃げられないって、それだけ考えて今日まで過ごしてきた」


 ほんと、殺せてよかったよ。

 と震え混じりに言う。

 ――データ――逃げる――果学研究学会の派閥争い。

 そういうことか、とジョンは気づく。

 ロコがブルケットから聞きジョンへ話した「データを回収する人員」とは……ほかならぬ、スレイドだったのだ。

 もちろんロコが知っていればそうと伝えてくれただろうから、これはひとえにブルケットが秘匿していたと見た方がいい。そういえば彼は自分を複雑な立場だと言っていた上、ディアとも繋がっていたようだがその関わりは手助け程度に留めているとうかがえた。

 スレイド、ディア、ジョンの関係を把握していたからだとすれば、つじつまは合う。

 ことここに至っては、いまさらというところだが。


「これで僕を止められる奴はもういない。……ひとりを除いてはね」


 視線をこちらに向ける。目頭とまなじり切れた双眸は赤く染まり、肌も土気色に。吸血鬼としての風貌露わに、ジョンへ向き合っていた。


「そうだ、お前だけだ。……でも、戦うのなら。お前は僕に、答えを言わなきゃいけないよ」


 牢獄の中で問いかけられた言葉。

 スレイドが、■■■を超えられないと思いながらも強さを求めつづけた理由。

 ■■■の腕を奪うに留めて殺さなかった理由。


「さあ、答えてくれ。答えてみせろよ■■■・■■■■■■。きみ(・・)に対し僕がどう憎みお前(・・)に対して僕がどう恨んでいるか、答えるんだよ――――答えろ!!」


 絶叫し、スレイドはジョンに解答を迫る。

 ジョンは。

 ■■■・■■■■■■だった男は。

 深く過去まで思いめぐらして、それから向きなおる。

 かつて友と呼んだ男に。かつてその決意を信じた男に。

 いまや吸血鬼と堕した、その男に。


「……お前は、剣士が嫌いで。吸血鬼と化してしまった男だ」


 告げる。

 かつての友に。

 推し量ってきた、ジョンの考えを。


「そしてお前は、俺に――――――――」



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