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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
血闘

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81/86

80:それぞれの戦いと戦車と駆動鎧装


 好んで引きこもるのと強制されて引きこもるのでは、ストレスが段違いなのだとディアは感じた。

 彼女は研究にかかりきりになって部屋から出ないこと、それどころか睡眠や食事をおろそかにすることだってしょっちゅうだったが。現在のように『他者からの強制によって』居場所を定められるというのは経験が無く、それがひどく窮屈なのだと思い知った。


「……ふう」


 浅く息をこぼしつつ、作業台の上でつくっていた品――人操作型実働機械マニピュレータを小型化した有線タイプ――をためつすがめつした。

 両手に握る銃把に似たコントローラは親指・人差し指・中指の部位にそれぞれスイッチを搭載。内部にはジャイロスコープを仕込んであり、握った状態で傾けた際角度と角速度を検出する。

 グリップエンドから伸びる黒い被膜でおおわれたコードは疑似神経回路が通されており、雷電エレキテルを流すと接続先にある駆動鎧装や機械に直接指示を与える。その動作指示においては各スイッチのオンオフとコントローラの傾きを組み合わせることで、多様な選択肢を実現させた。


「あとは」


 繋ぐだけか、と考えながら――口に出すと盗聴用の蓄音機に気取られる――彼女はコントローラを置いて手の甲で目をこすった。

 すでに、三日が経過。

 ジョンと別れてから四日目に入っていた。

 ――脱獄手引きと逃亡幇助、ならびに自身の逃亡未遂。それらについて下されたひとまずの裁定は、この通りDC研究所五階にある自室への幽閉である。

 外に出ることを許されず、食事も扉越しに与えられるのみ。シャワーと手洗いは室内にあったため外に出る必要がなく、ディアはひとりで過ごすことを強いられた。

 訪ねてくる者もなく、ひとり孤独に時間を潰していた。

 そんな夜半。

 零時半を回った頃。

 パッ、と出入口の開閉ランプが緑に点灯し、来客を告げた。目を向けると、白衣をまとった人影が入ってくる。


「やあ……なんだ。とくにひどい目には遭ってないね。もっとも、きみが生まれつきそう(・・)でなければ、いまごろ足を落とされていただろうけど」


 一言目からご挨拶なことを言い、彼は許可を取ることもなく図々しく部屋に入る。

 くしゃりとした淡いグレージュの先端だけ、オリーブの色味を宿した頭髪。鳶色の瞳の目頭とまなじりに切れた傷跡を持つ男――吸血鬼、スレイド・ドレイクス。


「元気そうだね」


 唐突に部屋にやってきた彼はそんなことを言いながらディアの作業台に片手をついた。

 ため息をつきながら彼を睨みあげ、車椅子を動かして真正面から向き合う。


「なにしに来たの」

「今日の最終実験を前に、知己の顔をあらために来ただけだよ」


 にやりと笑い、スレイドはディアの顔をうかがっていた。

 ついにやってきた、今日。

 培養した大量の微細生物を投与することで、スレイドは現象回帰型へ変異する。

 ……ドルナクでの研究の結果、吸血鬼になりにくい者となりやすい者のちがいは脳における『オド濃度』という数値のちがいが原因であり、それは感情をつかさどる部位のはたらきで増減することがわかっていた。

 つまり急速分裂型に覚醒した者はこのオド濃度が高く、吸血鬼化そのものに適性がある存在だと言える。故に今回の最終実験にも、《血盟》所属の吸血鬼のうちで古株であり急速分裂型としての経験が豊富なスレイドが割り当てられることになっていた。


「いよいよだ。そしてあいつが僕を殺す機会は、永久に失われる」


 愉快そうにスレイドは言う。

 一応まだジョンの身の上は「行方不明につき捜索中」となっているはずだが、こいつは必ず生きているとそう信じている。……皮肉なことに。その一点だけは、ディアと同じだった。気持ちが重なっていることに不快感を覚え、膝の上でぎゅっと拳を握った。

 まばたきをせず視界のすべてを視認のうちに置く吸血鬼は、目ざとくこの動作を見つけてさらに口を開く。


「さて、あいつは脱獄してしまったけど……一度くらいは機会をあげるのもいいかもしれないね? もちろん、あいつが僕の質問に答えてくれたらの話だけど」

「……殺しに行く気?」

「そんなに圧を強めないでくれよ。まあ、術後の気分次第さ。僕が現象回帰型になって、あいつとかその他の人間にも殺されないって実感がわいたら、なにもしない。でも逆に、現象回帰型になってさえ僕が『だれかに殺されるかもしれない』という恐怖から逃げきれなかったら」


 途中までは冗談めかしていたが、次第、言葉の終わりに近づくにつれ、スレイドは本当に恐怖に見舞われたのか震えを催した。

 そのときだけは、ディアの目に映る彼があの頃――ジョンと共に並んで剣を振るっていた頃のスレイドと、重なって見えた。

 けれど一瞬の幻影はディアのまばたきの間に消え失せ、スレイドは吸血鬼としての面相を露わにしていた。土気色の肌の中、傷跡のせいでいままさに血に染まったかのようにも見える赤い瞳を、まるで閉じることなく現実を直視しつづける。

 狂気じみた視線で世界をにらみつづけ、スレイドは口の端をゆがめた。


「殺す。絶対に殺す。積み上げたすべてを失う絶望を味わってさえなお挑んでくるなんて、そんな奴は怖すぎるからね。僕の安心と安寧のために殺し尽くして終わらせるよ」


 ぱっ、とおぞましい笑みを咲かせてスレイドはディアを見下ろした。

 ……かつて■■■とディアとスレイドは、友だった。偶然から都の中で出会い、引きこもって研究ばかりしていたことから彼女は『姫君』などと呼びからかわれながら、一緒によく行動していた。

 ドルナクへ来てからもそれは変わらず。

 そのままずっと、同じように日々がつづくと思っていた。

 でもスレイドは■■■の信頼を裏切り、流派の仲間を皆殺しにして■■■の両腕を奪った。

 その瞬間に、ディアの中でこの男との友情は終わった。

 けれどいま、この笑みを見てディアは確信する。

 こいつの方も同じく、とうにディアに見切りを付けていたのだと。


 ……いや……、

 正直に言おう。

 ディアの方からのスレイドへの気持ちも、スレイドからのディアへの気持ちも、元よりそれほど強固なものではなかったのだ。


「……死ね。死んでよ、スレイド」


 思わず彼女があげた怨嗟の声に、スレイドは動じない。なんの感情も抱いていない相手からの言葉など、そんなものだろう。ディアだってこの男に罵られようとなんの痛痒も感じない。

 それでも言わずには、いられなかった。なによりも大事な彼を殺すとの宣言に、動かないわけにはいかなかった。

 スレイドは瞳孔開いた瞳でディアを注視したまま、ふっと鼻で笑って一歩引く。


「ま、すべてはあと数時間で決まる。僕が死ぬようかみさまに祈るより、あの男に逃げろと言う方がいくらか建設的だと思うけどね」


 ちらりと、彼は作業台の上にあった日程表に目を向ける。

 そこには計画の変更について詳細が記されていた。

 変更点は、最終実験の時間。


「あと六時間弱、か。年甲斐もなく興奮で眠れなくなりそうだよ」


 対外的に発表している時刻は、ブラフだ。

 本当の実験予定時刻は大主教が研究所へ到着してすぐ、六時半となっていた。テロや潜伏犯を警戒しての、ごくごく中枢に近い者だけに知らされた繰り上がり変更。


「じつに、楽しみだ」


 スレイドは部屋を出ていくべく扉を開ける。

 ディアは膝の上で握っていた拳をほどき、作業台の上にあった駆動鎧装のカバーをひっつかんで彼の後頭部へ投げつけた。

 扉の向こうでスレイドはひゅ、っと首をうごめかしてかわし、カバーは廊下の壁にガンと当たって跳ね返った。同時に向こうからひゃ、と声がする。

 聞き覚えのある声だと思ったら、そこに居たのは長い栗色の髪に疲労の色濃い顔を化粧でごまかした、ディアより年かさの女――果学研究学会の頃の友人グレア・ルインだった。


 白衣姿でなにか研究品の運搬中だったのか、台車に載せた大きなものを押している。

 どうやら小型の階差機関のようだったが……細かいところまでは見えない。ディアが「ごめん」と声をかけると「……いえ、お気になさらず」と言って背を丸め、また台車をぎりぎりと力いっぱい押していた。

 同時に部屋の見張り役である男たちがずかずかと入ってきて「ものを投げるな、勝手な行動をとるな!」と叱責を加えて去っていったときには、もうスレイドもグレアもいなくなっている。

 またもひとりになった部屋の中、ディアはため息をつくばかりだった。

 作り終えたばかりだった人操作型実働機械のコントローラを手の内に納め……祈るように己の額に押し当てた。


「■■■……私のことは気にしないで、どうか……」


 だれにも聞こえない言葉を、だれにも聞こえないように願いながら、言う。


        +


 予定通り三時に、戦車は倉庫を出ることとなった。

 と言ってもそのまま区画内を走らせるわけにもいかない。ちゃんと迎えの大型車両がやってきて、荷台に積み込むかたちで運搬する。

 ジョンたちはすでに戦車の中に搭乗した状態でこの積載作業も抜け、あとは運ばれる間の振動に身をゆだねるばかりだった。

 荷台にはカバーをかぶせているので、当然外も見えない。狭くて圧迫感のひどい車内は、装甲に護られているというよりも装甲に押し込められているような感覚が強かった。まるで棺だ、とはさすがに縁起悪くて言わないが。


「目的地にすんのは貧民窟も抜けた先、火の山のふもとだ、およそあと二十分で着く」


 砲撃手席に腰かけたブルケットが言い、操縦席にいるゴブレットがうなずく。ジョンとロコはそれぞれ装填手、車長の席に腰かけているがもちろんそれらの役を担うわけではない。あくまでも待機場所がないからというだけだ。

 ブルケットは最終確認の伝達をつづける。どうも動き出せば排気音と振動によって車内はかなりうるさくなるので、会話での意思疎通は大声を張り上げる必要が生じるらしい。極力声量は温存、そのためいま話しておく、というわけだ。いざというときに声がかすれて対処が遅れたでは話にならない。


「そこから斜面を登攀とうはんする。六時までにゃつく予定だ。その直前から下等区画周辺では潜伏させてた連中を動かす」

「蒸気式昇降機と険難の道と……あとは、地下水路でしたね」

「昇降機はデモを起こすのみ、険難の道は装甲を付けた無人車輌を突撃させ牽制するのみ、と聞いたが。地下水路はどうなる? 官憲や騎士団だけでなく《血盟》も多い以上、あそこはなんらかの戦闘を避け得んぞ」

「そこは手を打ってあるよ」


 ジョンの問いには、ゴブレットが答えた。操縦席から後ろ手に、懐から出した紙片を渡してくる。ロコが受け取り、ジョンの前にかざした。

 そこには見慣れた筆跡が二種類。

 どちらも一言だけ。「こちらは任せなよ」「終わったら酒おごれ」と記してあった。


「……ルー、ラキアン」

「え、それお二人の字なのです?」

「ああ」


 ロコに答えつつ、ジョンは感慨深く思った。ゴブレットはさらに加えて、胸元から出したメモ帳を読みつつ最終の人員配置を告げる。


「あとは第八騎士隊もだね。隊長のやつは以前の件で斡旋されたポストを守りたくてまるで動く気がなかったけれど、一般の騎士たちは全員向かってくれている。もともと水葬部隊として彼らは水路に詳しくもあるし戦闘力もあるから、うってつけだ」

「第八が?」

「これはベルデュ君の人望だよ」


 奴からこのドルナクの現状が伝わったことで、第八の同僚たちが動く気になったということらしい。

 ……思えば、あの急速分裂型との戦いでもそうだったか。そうジョンは回想する。あのときも、ベルデュを庇って二人の同僚騎士は自然と前に出た。

 そしてその二名の死を胸に、ベルデュは懸命な鍛錬をつづけていた。ついにはアブスンから伝授された斬鉄の技すら、ものにするまでに。

 その、実直さ。ひたむきさ。

 おそらくはそれが、周りの人間を動かした。


「戦闘が可能な人員はかなり《血盟》に削られたからな。こうやって追加人員をくれて、感謝しかねェよ、お前らには」


 ブルケットは短くまとめ、それから腕を伸ばし外を見るための反射式スコープを引き下ろす。


「これで手筈は整った。あとは下からの動きで陽動し、俺らが裏から回り込むぜ。とはいえ、裏手にもある程度の兵は割いてあンだろうな。あいにく俺たちゃ随伴歩兵タンクデサント無しなモンで索敵能力はかなり低いんでね、電撃作戦しかねェ」

「長引くとまずいのだったな」

「あァ。長期戦になりゃ、間違いなく向こうは対戦車蒸撃砲バズーカを用意してくる。警備の通常装備にゃ当然入ってねェから、それが出る前に戦線を散らしてケリつけておきてェ。あとは逃げ回りながら牽制すんのが俺と、」

「俺の役割だね」


 戦車乗りとして、ブルケットとゴブレットの二人は声を連ねた。

 とはいえ砲撃手もなく二人きりだ。ゴブレットは操縦で手一杯、ブルケットも指示だしで手一杯になるのは目に見えている。とにかく生き残りを目標とした戦いになるのが感じ取れた。


「……無理はするなよ」

「当たり前だろ? 俺は帰ってくるお前と妹弟子を迎えてやらなくちゃならないんだ。おちおち、こんなところで死んではいられないさ」


 にやりと笑い、ゴブレットは姿勢を正す。

 表情こそ余裕を見せているがそのじつ、視線は車内のチェックに余念がない。狭い倉庫内である程度基本の動きを訓練しただけで、山岳地帯の走行は初となるのだから無理もない話だ。それでも焦りを見せないのが、地獄の前線への従軍経験というものなのかとジョンは思った。

 そうして、残る計画の流れを確認した後は各々で集中を高めていく。

 ブルケットは最後の確認なのだろう、書面を眺めて。ゴブレットは操縦席に深く腰掛けもたれ。ロコは腹の前に持ってきた聖書を撫でて。ジョンは、薄く目を閉じ気持ちを落ち着かせるに留めた。


 ――運搬していた車が停まったところで、目を開く。

 ゴブレットが大きく伸びをして、片手でハンドルを握っていた。


「そんじゃまぁ……」


 クラッチを踏み込み、レバーを倒してギアを入れる。

 がぎょん、と大きな音が車体下部から響き、じりじりじりじりと蒸気機関に熱が回りチャージされた蒸気の膨れる音が大きくなっていく。震えが座席下から尾てい骨を揺らし、ジョンが右肩で触れていた車内の壁面もぶるぶると振動しはじめたのでさっと身を引いた。


「……行こうか」


 動力を繋いで滑らかな始動。

 がろん、ギュらッ、と荷台を履帯が噛む音がして、低い姿勢で戦車は走りはじめた。山肌の岩場に達するまではこれで行くらしい。

 身体が傾ぎ、荷台から斜めに渡された大地への渡し鉄板を降りたのがわかる。着地は思ったほどの衝撃もなく、そこからはキュラキュラキュラと履帯の回る音と背面後部からの低く轟く蒸気排出音だけがジョンの身の内を叩いていた。

 反射式スコープで外をのぞいていたブルケットが「進路良し、平地なので最大速度!」と叫べばゴブレットがギアレバーを操作する。ぐんと加速し、壁面の震えがより大きくなった。

 巨大な鋼の蜘蛛が、たわめた脚を持ち上げ浮かせた状態でドルナク近郊の荒野を疾走している。

 身体に感じる圧力は、速度に乗ってきてかかる負荷――ではないだろう。これは重さと硬さによる単純にして明快な大破壊力の中に居るという事実への、圧迫感だ。

 ……正直こんな暴力の権化の傍を、蒸用車での並走ないし生身で装甲に張り付くことで索敵役を担う随伴歩兵タンクデサントというのはずいぶん気の触れた兵の運用だ、と思わざるを得ない。


 だがそれが、それこそが戦場の狂気という奴なのだろう。


「……火の山、近づいたぞ! 距離残り四〇〇! 速度落として多脚前進に切り替え!」

「あいよ!」


 ブルケットの指示にゴブレットが応じ、ギアを数段落とした。速度が低下しそれが一定になったタイミングで、ハンドル左脇にあったグリップをつかんで押し下げる。

 どどゥ、とわずかにタイミングをずらしながら車体が左右に二度傾いた。頭が揺さぶられる。

 そこからは履帯の回る音ではなく、たとえるなら重たい土嚢を連続して落としているような。そんな、叩きつける足音がいくつも連なっていった。身体への振動も足音に合わせた小刻みなものへと変わる。


「多脚前進切り替わった!」

「速度維持だ! 山肌まで残り一〇〇! 前方傾斜は――八度! 可動重心機ムーブメントをCに入れろ!」

「あいよ!」


 ハンドル右脇のもうひとつのグリップを、トップにあるボタンを押し込みながら押し上げた。かちんかちんかちん、と三段階にわたって歯車が回る音がする。

 次いで、身体が後ろに引かれた。座席背もたれに押し付けられる。

 斜面を登り出したのだ。足音も土嚢を落とすというより砂利道を槌で叩きこむような破滅的なものへ変わる。だがジョンたちの背後にある可動重心機が上下左右に振れて、踏み出すごとに生じる重心バランスの崩れを補正しているらしく大きな揺れは発生しない。


「さあ山道だ! 尻が痛んでしょうがねェから、適度に姿勢は変えろよ!」


 車内満たすやかましい稼働音にかき消されないようブルケットが叫び、ジョンたちも身構える。

 いよいよ大詰めだ。

 山岳地帯の踏破が、いまはじまった。


        +


 他方、下等区画。

 上へ向かうための蒸気式昇降機にて。


「――納得できないわね! なぜ上等区画に行けないというの!」

「ですから、本日は賓客がいますので……」

「なによ、私は賓客ではないと言うの?」

「そういうわけではないのですが」

「煮え切らない態度ね! ちょっと昨晩は下でのお酒が過ぎて、上に戻り損ねただけだって言うのに! あなた所属は? 直接そちらの部署の上に連絡取らせてもらうわ」

「それは、ちょっと」

「嫌なんでしょう? それはそうよね! 相手が私なのだもの!」


 仕事であったり、家庭であったり。ともかくも上へ移動の必要がある人間たちを集め、先頭に立って交渉という名の言いがかりをつづける女がそこに居た。

 ハットの下でつややかな茶の髪を肩口で切りそろえ、毛皮のコートに身を包み。

 裾からのぞく脚は鋼の肌を張りつめた、猫の足を模したような駆動鎧装。

 カツっ、と手にしたステッキを地面に打ち鳴らしながら、彼女――ジルコニア・アルマニヤは叫ぶ。


「責任者を出しなさい! でないと私たちはここから引くつもりなんてないわ!」


 がやがやとした不平不満の衆を集めてぶつけながら、彼女はできるだけ騒ぎを大きくするべく動いていた。


        +


 他方、険難の道(スティープヒル)

 上等区画へ下道で向かう唯一の経路を、前面に装甲を張り付け強化した無人車輌を、まっすぐ突撃させている奴らがいた。


「そらそら、いくら杭弾銃パイルガンで撃っても蒸気機関部を破壊しない限り止まらないよ」

「撃ち漏らせば轢かれるのはあんたたちの方さ!」


 鉄枷付き率いる都の否戦派に飼われた人間たちが、まっすぐな坂道を通じてひたすらに車を突っ込ませていく。防衛すべく配置された騎士団や官憲の警備員たちは杭弾銃で対応しているが、タイヤ廻りに被弾しないよう厚みを持たせた鉄板でコーティングした車輌はめったなことでは止まらない。

 さて、とはいえいくらまっすぐな険難の道でも、なんの操作もなく走らせて直進するはずもない。この道には凹凸もありそもそも砂の質も悪く、足周りを取られやすいのだ。

 ではなにを以て、安定した走行を確立しているのか。


 答えは彼らの手の内にあった。


 銃把に似たグリップに、親指・人差し指・中指の位置へスイッチが配されている。

 グリップエンドから黒い被膜に覆われたコードが、長く長く伸びている。ドラムリールがカラカラと回転して、車輌が進むにつれて残りの長さが減っていく。

 人操作型実働機械。有線タイプの試作型――ディアの研究品だが、同会議に出席していたブルケットより情報を横流しされてゴブレットと彼が戦車整備の合間に作り上げた、一品である。

 これがハンドル部やクラッチ、アクセルに接続されており遠距離からの操作を可能としていた。無線型こそDC研究所においても今後の課題だったが、有線型については現行の技術だけで充分に作成できるものだったのだ。


「ねぇねぇ、もうちょっと右じゃないの、あなた」

「おやそうかねぇ、お前」

「ちょっとあたしにも貸してみなさいよ」

「いや、面白くなってきたところなのだよ」

「面白がってんじゃないよこんなときに」


 鉄枷付きの二人は言い合いをしながら車輌を走らせる。

 いよいよ車輌は坂の果てへ近づき、これは止めるのは無理だと、警備にいた連中があわてて逃げ出す。

 そしてタイヤは、無人になった坂の頂を踏みしめた。


「ではさよなら」

「ばーい」


 二人が言いつつグリップのスイッチを押し込むと。

 車輌の後部に積み込んでいた蒸気裂弾スチームバーストが瞬時にはじけ、車体パーツを殺傷力ある破片と化して辺り一帯へまき散らした。遠く坂の上で蒸気と土煙とが噴き上がり、燃える車体が天まで火の粉を散らしていた。

 鉄枷付きは枷で繋がれたそれぞれの手を打ち合わせ、次なる突撃車輌の準備にかかる。


        +


 他方、地下水路。

 ジョンやロコが流されてきた箇所を含むいくつかの放水路みちは、傾斜が激しく水量に押されるという難点をのぞけば昇降機・険難の道以外で唯一上等区画に迫れる地点だ。

 そこからの急襲ならば、上には相当な驚愕と威圧を与えることができる。

 ……だが当然。

 その可能性を、向こうも考えていないわけがなく。


「ま、敵に当たるのは覚悟してたけどよ。三つの路からそれぞれアタックしかけたってのに……、一番のハズレくじ引くとは僕ぁ思ってなかったよ」

「こればかりは仕方がないね。目標をいくらか下方修正するしかないよ」

「どれくらいを目標にしとくかね」

「そうだね。生き残り、にしておくとしようかな」


 流れる水路を左脇に見据える、幅広な石造りの通路の上。ラキアンとルーは並んで得物を抜き、相手に向き合う。

 進行方向を塞ぐのは二名。


 ひとり目は、だらしなく伸びたダークブロンドの癖毛を一束にして腰まで垂らした、眉薄く人相の悪い大男。カーキ色のトレンチコートに身を包んだ身体は上背も目方もルーよりありそうだ。

 手にしているのは片刃のサーベルで、右半身中段にこちらへ切っ先突きつけている。左手には手甲ガントレットを装備し、突き出した右手から拳二個分ほど後ろにて開手で配置していた。相手の攻撃を払いのけることと、近距離で剣身半ばをつかんでのハーフソードや組打ち術を思わせる構えである。


 そしてもうひとりは熾火色のなめらかな髪をセミロングに整えた、感情の薄い顔をした女だ。こちらはルーとラキアンの間ほどの背丈で、黒のタートルネックに合わせた緋色のショートジャケットを胸下でアジャストベルトにより固定した恰好が、体型のメリハリを際立たせていた。

 白手套をはめた両手で彼女の身の丈ほどの長さがある十字槍クロススピアを持ち、左半身にて切っ先を下段に向けていた。黒いスラックスに包まれた両脚の幅は狭く、いまは転換などを気にしていないのか両脚とも爪先はこちらへ向いている。


「彼がスタリチナ流・月の構え(ムーンリット)……それと彼女がルミノフ流・盛り上げの手(ハープーン)だったかな」

「ほほう。流派と技の名までわかってんのか。で、対処法は?」

「そんなものがあれば彼らはあの地位(・・・・)にいないよ」

「……だよな」


 ため息をつきながら、ルーとラキアンもそれぞれ構える。

 ルーは右半身中段、真半身を向き。足幅を狭く取り前進・後退の幅を大きく取れるナトリス流・蜂峰ホーネットの型。

 ラキアンはいつもの我流で、仕込み杖(ギミックソード)を地面と水平に、相手には柄頭しか見えないように構え。柄を右逆手につかみ低く前傾に構えた変形の抜き打ち型で迫る。

 互いに得物を構えたことで、剣気が場に乱れ飛んだ。

 吹きすさぶ突風を思わせる威圧感に、我知らずルーは引いてしまいそうになる。が、ここで二人が引くと先ほど後方へ逃がしたほかの陽動班や残り二つの経路に行った者が危ない。できるだけここで引き付けて、時間を遣わせなくてはならない……。


 とはいえ、それは非常な難事だった。

 向き合う二名――その手に携えられし刃には、杭と槌を模した騎士団の刻印が彫刻されている。ぎらつく剣身の耀きは、複層錬金術式合金であることをうかがわせる。

 そう、この二人は。


 剛剣と謳われた第二騎士隊隊長ネイディ・トルソゥ。

 華槍と謳われた第四騎士隊隊長アモウ・ボールディング。


 騎士団内の腕前では《剣窮者グランドマスター》エルバス・ペイルの次に来ると言われる、恐るべき使い手たちだった。……まさか地下にこの重要な駒を配置しているとは、二人も思いもよらなかった。

 でも。

 だからといって。


「負けるわけにはいかないから――負けないできちんと帰るとしよう」

「おうよ。目標・生き残り――上等じゃねぇかよ。味方を生かして僕らも生きんぞ」

「ジョンたちにおごらせるタダ酒が私たちを待っているからね」

「そうだそうだ」


 にやっと二人は笑う。

 無言で気迫を発する隊長格に向き合う。

 正直勝てる気はしないが、負ける気もさらさらない。戦い方さえ選ばなければ、どうとでもなると思っていた。

 生き延びるなんて、そんなものだ。

 結構な頻度で地べたを嘗めて生きてきた二人は、だからこそ今日もいつも通り生き汚く、ただ目の前の障害をいなすための戦いを開始した。


         +


 ――六時を迎えた。

 それぞれの戦いが起こっていることを予感しながら、ジョンたちはいよいよ上等区画に踏み込んでいく。

 山肌に鋼の脚を打ち込みながら岩場を駆け上がってきた戦車の内部で、外をスコープ越しにのぞいていたブルケットが声を上げる。


「見えて来たぞッ! 高級住宅地のはずれだ、迎賓館もすぐそこにある! このまま十一時方向へ斜面を下るよう前進、平地に入ったら履帯走行に切り替えろっ!」

「あいよ!」


 操縦を担う二名の息も合ってきた。登ってきた岩場を越え、いよいよ車体は下り始める。見下ろす先に、上等区画が見えているらしかった。ジョンたちには、まだわからないが。


「いよいよですねジョンさま」

「ああ」


 横の座席だったためブルケットほど声を張り上げず、ロコがジョンに話しかけてくる。

 予定通りこのまま迎賓館近くへ乗り込めれば、そこからは貯水槽に降りて先日のように地下水路のルートを辿ってDC研究所へ侵入する運びだ。

 何事もなければいいが……と思いながらジョンは身を硬くする。車体は水平状態を取り戻し、ゴブレットもグリップを押し下げて可動重心機の動作を止めた。

 もうひとつ、左手側グリップを押し上げて、戦車は履帯走行に切り替わる。ゴブレットがグリップから手を放すか否かというタイミングで、ドズっと車体が後部から着地しまたもキュラキュラと走り回る音が響きはじめた。

 どうも多脚で歩く間は変な浮遊感があったので、それがなくなっただけでもジョンはほっとした。傍らのロコも心なし落ち着いたような雰囲気がある。

 そこからは平坦な道をひた走る。事前に調べて道幅が走行可能であると知っていた通りを主として、迎賓館へ向かっていった。

 ここまでと変わりなく、戦車自体の稼働音の他はなにも聞こえてこない。

 静かというわけではないが、慣れた音しかしない。

 どこか拍子抜けだった。


「……妙だ」


 そのブルケットのつぶやきは大きな声ではなかったが、たまたまジョンも同じところに思い至っていたためかしっかりと拾えた。

 砲撃手席にいるブルケットはスコープで外をのぞきながら、口許を強く引き結ぶ。次いで、ぼやく。


「だれもいねェ」

「ひとが、いないのですか?」

「おうよ。街中に少しは警備の人間を配置してると思ったが……だーれもいねェ」


 などと、ロコの問いにブルケットが答え。

 その言葉で、操縦席に居たゴブレットの肩がこわばった。

 ギアレバーに手を伸ばし、速度を下げる。唐突にダウンしたスピードに対応できず、ジョンたちがガクっと前につんのめった。


「お、おぉい操縦手、危ねェだろ!」

「ブルケットさん、周囲の建物の窓辺とかを確認しろ」

「は?」

「いいから早く」


 言われてブルケットはのぞいていたスコープを左右に振り、周囲を見渡したようだった。

 やはりそのときも人影が見当たらなかったらしく、首を傾げかけ――――この動作を見て取った瞬間にゴブレットはクラッチを切りブレーキをかけた。動力が途絶えたことで履帯が地面を強く噛み制動が働く。またもジョンたちはつんのめり、ブルケットは天井から降りるスコープに頭をぶつけた。


「おいテメエ急停止急発進はナシだって、」「衝撃に備えろッッ!!」


 ブルケットの文句を押しつぶしてゴブレットが叫び、


 巨大な音圧が全員の身体を貫いた。


 肺腑の中で空気が固まって、馬鹿みたいに口を開けっぱなしにしたままジョンは硬直した。おそらくはロコもブルケットも。

 動けたのは、事前に予期していたゴブレットだけだった。

 クラッチを踏み込みギアレバーを一速に倒す。

 流れるように左のグリップをつかみ押し下げ多脚を展開する。

 アクセルをベタ踏みに、前方へ車体を叩き込んだ。


「ご、ゴブレっ、」

「スコープ! 前後を確認!」


 有無を言わさず指示を飛ばし、ゴブレットはハンドルを握った。

 鬼気迫る様子に臆したか、言われるがままブルケットは指示に従う。前後を確認し、


「ま、前がっ、進路が、さっきまで二階建てだった屋敷の残骸で塞がれてやがるっ!?」

「前だな!」


 ギアをチェンジ、一速ずつ飛ばしてすぐに最大ギアへ。無茶な挙動と可動重心機も使っていないこととで車体は跳ね、ひどい縦揺れに一気に胃の腑が踊らされる。

 だがそこで二度目の大音圧。

 おそらくは背後からぶち抜いてきた衝撃に、再び息詰まった。


「う、後ろ、が、……もう一軒屋敷がっ、ぶっ壊れてンぞ?!」

蒸気裂弾スチームバーストだ……!」


 声音震わすブルケットに、ゴブレットは冷静に答えた。けれどこの回答に納得できなかったか、彼はさらに声を震わせる。


「ウソだろ?! あれァそんな大それた規模の破壊はできねェだろ! いまの、建ってた屋敷の一階部分がまるごと吹き飛んでたぞ!」

「そういうのができるように作り変えているんだよ! 《大剣(クレイモア)》だ!!」


 その名称で、ジョンは以前ディアから聞いた話を思い出す。

 ――クレイモア。

 通常の蒸気裂弾が全方向にベアリングや破壊物の破片をばらまいての広範囲攻撃であるのに対し、これは圧縮蒸気の放出箇所を一本の線のように絞ることで装甲をもぶち抜く破壊力を出すことに重点を置いた代物だという。

 名前の由来はそのものずばり、傷口が大剣クレイモアで一閃されたかのようにはじけ飛ぶ局所貫徹力の高さにある。

 だがゴブレットの慌てようは、高威力の兵器に晒されている状況を恐れてというだけではなさそうだった。


「……前進方向を塞いで後退したところを狙う時間差攻撃、やり口があの頃(・・・)と同じだ……! と来ればあいつ(・・・)なら次は」


 ハンドルを右に切るゴブレット。車体の浮き具合からして、敷地の塀を乗り越えて移動している。

 そのときまたも、後方から音圧。進行方向の地面にも埋め込まれていたらしい。まっすぐ進んでいれば搭乗口が下にある都合上、内部の人間全員がはじけ飛んでいた可能性は高い。


「お、おい操縦手! ゴブレットッ!」


 スコープをのぞきながらブルケットががなり立てる。

 嫌な予感がしたか、瞬時にゴブレットはギアを落とし履帯走行に切り替える。同時に右の履帯のみレバー操作で逆回転にシフトし、車体を急激に右へ旋回させる。

 そのとき。

 左の側面に鉄の大槌を叩き込むような衝突音があった。もはや先の音圧のダメージが抜けきらないうちで、さっきからの激しい機動も相まって吐き気がこみ上げてくる。

 蒸用車で体当たりを仕掛けられたようなこの音の正体をブルケットは見ていたらしく、大声で指示を飛ばす。


「逃げろゴブレット、多脚にして三時方向に退避だ!」

「なにが来た!」

「あの馬鹿どもやってくれやがった……音速の墓標(ソニックグレイヴ)だ! 搭乗型全身駆動鎧装《一番槍ソニックグレイブ》を、投入してきやがった!」


 ブルケットの叫び声と同時、背面部から突き抜ける体当たりの音。

 これが、その全身駆動鎧装とやらの成せる技だというのか。どの程度のサイズかは知らないが、よほどのパワーがあるのは間違いない……。


「いまぶつかったのは戦車じゃなく、駆動鎧装……搭乗型のだというのかい?」

「あァそうだ! 市街地戦での小回りの利きを重視して、警備に置いたンだろうよ!」

「だ、だが駆動鎧装だろう。こんな戦車と渡り合う出力、あっという間に蒸気過動オーバーヒートを起こして動けなくなるよ」

「んなモン関係ねェんだ! あいつらは……死なねェもの(・・・・・・)を搭乗者にしてんだから!」


 一瞬、場の全員が理解追いつかず硬直した。

 けれど想像がたどり着いたその答えは……あまりにも、あまりにも最悪なものだ。

 ゴブレットは歯噛みして、グリップを握り多脚走行に切り替えた。

 敷地の境目を乗り越え、なんとか少しでも後方からの追撃に時間をかけさせる。向こうが小回り利く機動性に優位を持つなら、こちらは装甲の厚さと踏破性能が強みだ。


「くそ……最悪だ。最悪の戦いだよ」


 言いつつゴブレットはハンドルを左に切る。ブルケットがのぞいていた反射式スコープから入ってくる明かりが弱まったので、おそらく建物と建物の間にある陰を抜けている。

 予定で通ろうとしていた場所からは大きくずれるが、その方角は迎賓館を向いている経路だ。

 彼は汗を頬に垂らしながら背後のジョンたちに声をかけた。


「ジョン、ロコ君。かなり無茶な状況になるが、それでも俺は送り届ける。この駆動鎧装野郎と戦う以上、警戒線の攪乱という当初の目的は果たせそうにないが……」

「仕方あるまい。むしろ、送り届けてもらえるだけ幸いだ」

「すまないな」

「だが、生き残るあてはあるんだろうな」


 ジョンの声掛けに、少しだけゴブレットは気弱そうな笑みを見せた。

 けれどすぐに引っ込めて。

 細かい皺の多い目尻に柔和な印象の笑みを湛えて。余裕そうに、振る舞った。


「なぁに、なんとかするさ」


 ――前線時代の上司(・・)が、敵でもね。

 宣言し、アクセルを踏み込んだ。




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