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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
血闘

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79:打ち合わせと戦支度と血戦前夜


「……共闘か。互いの事情が許し、必要とする限りにおいて、ってことだわな」


 ブルケットが慎重に言葉を選ぶ素振りを見せながら、言う。

 人と人の間に立って仕事をしてきたことがうかがえる表情だった。利害や交渉が発生することにおいては、何事も簡単には判断を下さない真剣さが伝わってくる。

 とはいえゴブレットの方には裏などないので、大して構えることもなく彼に対峙しつづけていた。


「ああ。少なくとも上に行って妹弟子を奪還するまでは、な。そしてきみらとロコ君が目的を達する道中が俺の道と重なるなら、その間に限っては協力を惜しまない」

「そう言ってもらえるのは正直ありがてェよ。が、俺たちゃ軽々に動けるわけでもねェ」


 口ごもり、ブルケットは計算をめぐらしているような顔をした。さまざまな事情と状況を勘案して、なんとか下手したてに出ずに事態を収められないかと考えている。

 ……だが結局は、この場で見栄を張ったり誤魔化したりすることに意義を感じられなかったのだろう。

 観念した様子で肩を落とし、つぶやく。


「あいにくとな。上に行こうにもこっちの、人数の問題がな……」

「足りないのかい」

「上への襲撃と下からの陽動、加えて俺たちの指示役との対応。どれについても人手が足んねェんだ。本来なら襲撃にはそこのシスターの嬢ちゃんに鉄枷付き、俺、アークエの戦車乗りの五名を定員にして行くつもりだったが」

「我々が研究所内の露払いや先導役として向かうと、下の手が足りなくなる。潜伏している残りの人員との連携及び騒乱のあとの退路確保ができなくなるのだよ」

「どうにもなんないのね、こればっかりは。あたしらは、単独で動いてるわけじゃないからさ」


 ジェイコブとジャクリーンがそれぞれ言う。

 きしきし、と金物の擦れる音がした。おそらくはブルケットが貧乏ゆすりをしている音だ。


「せめて研究所の内部についてある程度知識のある人間がいりゃァな……、そいつを、鉄枷付きの代役として立てるんだがね」


 ブルケットが頭を抱えて背を丸める。

 対照的に、ゴブレットは椅子の背もたれに体重を預けてぎい、と背伸びした。

 流し目でジョンの方を見る。顎でしゃくるように、頭を抱えた男を指す。

 ……ああ、これはそういう流れか。

 理解したジョンはつぶやいた。


「俺ならば研究所の内部構造もある程度把握している」


 ディアに付いて先日中を見てきたところだ。……まぁ、深部のところまで歩いたわけではないが、そこはいま黙っておいた方がいいだろうと思った。

 ブルケットが顔を上げる前に、ロコも賛同するように口添えする。


「わたくしとの連携も、一番うまくできますしね」

「互いに間合いが測りやすいからな」

「そうなんです? 短剣と素手でだいぶちがうと思いますが」

「そうした得物のリーチではなく……なんだ。俺が来ると思ったところに、お前は居る」


 だから扱いやすい、と率直な感想を述べると、ロコは一瞬呆気にとられ、次いでまんざらでもなさそうな顔をした。そのような顔をさせることを言ったつもりはなかったので、ジョンは閉口した。

 眼前に腰かけていたブルケットは、半目になりながらジョンたちとゴブレットを交互に見、最後に確認するようにゴブレットの方を見ながら「これでいけってか?」と声を発さず口の動きだけで言ってのけた。

 応じて、クラバットの喉元を正しながらゴブレットは「これだ」とやはり声を発さず言った。

 鉄枷付きは、二人顔を見合わせてから、けらりと笑った。


        +


 上へ乗り込むのはジョン、ロコ、ゴブレット、ブルケットの四名に決まる。

 そこからは残された日数を、それぞれ目的に沿ったかたちで消費していった。

 まずは隠れ家をあとにすることになり、負傷から熱も出ているベルデュはイブンズのいる拠点へ預けることとなった。抗生物質も手に入り破傷風の心配はなさそうだが、まだ油断はできないとのことで彼女は目を光らせている。

 ちなみにその際。ドルナク最悪のフィクサーこと鉄枷付きが絡んでいたことには、イブンズもさすがにいい顔をしなかったが。


「――すべてが片付いたときにあんたたちのことも片付けてやるから覚悟しておきな罪人ども……!」


 と言って一旦は場を預けることにした。

 なんといっても、地上の状況が状況だったのだ。

《血盟》による侵攻・粛清は広範囲に及んでおり、死者も負傷者も相当数出ている。イブンズがこれを見過ごしておけるはずもなく、現状彼女は治療にあたるので手一杯だったのだ。

 鉄枷付きはそんな彼女の敵意あふれる物言いに半笑いで応じ、なにも言わずジョンたちを引き連れ拠点のある下等区画をあとにした。


 ……地下にもぐったり地上のビルディングスを飛び回るように動いたりして。

 たどり着いたのは、洪煙の排出口から入りこむ産業区画のはずれ。

 スレイドらも身に帯びていた大気濾過用の鳥頭マスクを外し、その緑のレンズからのぞく視界を取り払って見た先にあったのは、あの急速分裂型の剣士とやりあったアルマニヤのプラント近くだった。

 相も変わらず、ゆるやかに地の底へ向けて傾斜のついた扇状の土地の表面に、ブリキづくりの工場やプラントが並ぶ。這い回る太い蒸気圧パイプや運搬用の架線貨車ケーブルカーが目について、ガス灯の明かりに赤銅色の表面が耀くさまはぬめる血管のグロテスクさを想起させて目に痛い。

 ともあれ、そのプラントのうちの一部。

 廃棄された精錬所の脇にあったルレー製作所の三階建て倉庫が、搬入された戦車の隠し場所となっていた。

 ジョン、ロコ、ゴブレット、ブルケット、鉄枷付きの六名はここへもぐりこむ。生活のスペースは最低限確保されており、外部とも産業区画内専用の電信を間に噛ませて連絡は取れるようになっていた。


「リミットは今日から四日目の深夜三時だ。山肌を進むにゃ片道三時間かかるんでな、どんなに遅くともそこで上に向かわにゃならねェ。大主教の来訪が朝六時ごろらしいもんでな」


 天井の高い倉庫の中、ジョンたちの前に鎮座する高さ三メートル縦横幅十メートル近いシルエットに、ブルケットは近づいていく。

 かけられていた灰色の布をバッと取り払った下にあったのは――多脚型蒸砲戦車。

 蜘蛛を思わせるフォルムで胴体部から八つの鋼の脚が伸び、先端部は五角形の頂点それぞれに猛禽の爪を思わせる可動式スパイクが存在を主張している。横でゴブレットが「あれで踏まれると人間なんざ主要な臓器根こそぎなんだ」と嫌な話をつぶやいた。

 胴体部の下には話にあった可変式無限軌道が備え付けられており、脚をたわめて低い姿勢を取るとこの補助を用いて進めるようになるらしい。

 乗り込み口はその履帯の間からのぼるようになっており、中のスペースは五人まで搭乗可能だという。

 胴体部の前面・側面には上下左右に向きを変える蒸機銃が触覚のように生え、上部には主砲である圧縮蒸気砲カノンが、本体後部から前方へと突き出す蠍の尾のごときフォルムを見せつけていた。

 ひとしきりこの威容を眺めていたジョンたちとはちがいゴブレットは一瞥しただけで、あとはブルケットに近づき本体の操作マニュアルと整備部品表・各部位の点検確認項目一覧など受け取りながら予定を詰めていく。


「計画では警備人員を分散させるために、下から陽動部隊を送り込むとのことだったかな」

「おう。地下水路から上に向かうと見せかける奴らと、蒸気式昇降機付近でゴネる奴らと、険難の道を無人車輌で突破させる奴らと。三方向から圧力をかけて、迎賓館方向――つまり研究所からすると裏手のとこを、なるべく手薄にする。そこに、突撃をカマす」

「研究所内での潜伏工作員の行動開始は、何時か決まってるのかい」

「朝六時半だ。完全に内部の者が寝静まってるタイミングじゃなく、研究員も起き上がってて中に混乱を生むことができるときを狙うぜ。そんで上に到着後はその二人を下ろしたあと、この機体で警戒線周囲を攪乱する。圧縮蒸気砲でプロジットあたり狙いながら動きゃァ、無視はできんだろ」

「上についたあとのジョンとロコ君の侵入経路は?」

「また貯水槽のとこの地下水路からだ。研究所も一応、下で繋がってンだよ。もちろん非常時には隔壁を下ろすようになっちまってるようだが、そこはうちの工作員が作動しないよう妨害する」

「内と外から向こうさんの動きを縛るというわけだね」

「そーいうこと。とはいえ戦闘力のある人員が残ってねェもんでね、荒事になりそうな地下水路のメンバーに困ってんだが……――」


 打ち合わせは深いところまで至る。

 着々と、準備は進む。


        +


 六人の間で行動のすり合わせが終わったあとは、当日まで各自で動くこととなった。

 鉄枷付きは方々への連絡と、すべてを終えたあとのドルナク外への逃走経路を確保すべく忙しく出入りし。ゴブレットは単独で見知らぬ機体を扱うという難事を成すべくほぼ戦車から離れないで整備・調整に明け暮れ。ブルケットもその補助をしながら研究所へ踏み込む経路確認や陽動の人員配置を並行してこなす。

 ジョンとロコは、当日の動きを話し合った。

 研究所内、大主教の居室としてあてがわれる予定の場所の確認。そこまでの距離と当日の混乱状況を考えた場合の到達時間。それらから考えられる大主教の逃走経路。通路や扉を解除するマスターパンチカードの確保。考えられる護衛の配置。

 護衛――まずまちがいなく、ここにも《血盟》が配置されるだろう。


「……最終実験に向かうスレイドは、いないだろうがな」

「なにかおっしゃいました?」

「いや、なにも」


 ブルケットに訊ねたところ、大主教立ち合いのもと最終実験は午前九時を予定しているという。

 つまりまだ突入時点では奴が現象回帰型になっていることはない。……とはいえ今回の作戦はあくまでもディアの救出と大主教暗殺が第一で、スレイドを討ち倒すことは二の次だ。無論出会えば戦闘になるもやむなしだが、ブルケットらの協力を得て動けている現状、第一目的を履き違えることはしてはならない。

 窮屈な話ではあるが。そこは共闘関係となった以上、果たされるべき契約だ。


「この警備資料の写しによると、上位騎士隊も各ポイントの警備につくようですね」


 ロコが机の上に書面を放り出しながら言う。ジョンもその紙に目を落とした。


「配置まではわからんか。しかし、局面が局面だ。重要な地点にはペイル卿がいると考えた方がいいだろう」

「あの、騎士団長様ですか」

「……そうだ」


 ジョンのぶら下がる両腕が軋む。

 エルバス・ペイル。

 銀の残光だけを視界に閃かせ、一瞬のうちにジョンの両腕を断ち切ったあの剣技。

 もし彼が立ちふさがるのなら……それは相当な脅威になるだろう。

 ロコもあの場で彼の剣技を見ている。彼の慮外の業が脳裏によぎったか、少し青い顔をしていた。


「これまで見た剣士の中ではアブスン様が、もっとも極まった腕前でした。でもあの騎士団長様ほど……逸脱(・・)した腕ではなかったです」

「ふん。アブスンにしても《剣啼》と呼ばれた頃ならば、ペイル卿に並んだかもわからんがな。俺たちと交戦したときの奴はすでに音楽のために剣を手放し、随分衰えていた……ともあれ、ペイル卿は難敵だ。なにせ、王より賜りし唯一無二の称号持ちだからな」

「称号? あだ名ですか」

「いや。アブスンのように単に市井でついた異名としてではない。正式な称号だ」


 成し得た功績と辺境伯としての人徳と。

 二点を以て、彼はそれを得た。

 与えられしあざなを――《剣窮者グランドマスター》という。

 ナデュラ帝国の歴史で現在までわずか四名しか名乗ることを許されていない、剣士の頂に達したとだれからも認められた者だけの称号。

 そんな彼がいるとしたら、


「実験室最奥。現象回帰型を生み出そうという目論見の実行される場になるだろう」

「なぜです?」

「もしも現象回帰型が暴走した際に、確実に倒せる人材だからだ」


 ああ、とロコは納得する。


「つまりわたくしが狙う八階の大主教居室付近にはいない、と」

「そうなるだろうな」


 同時にジョンは仇に近づけないわけだが。そこは、どうにもならない。

 何事も天秤にかけていくしかないのだ。ジョンにとってスレイドへの復讐は過去からの重い憎悪によるものだが、ディアへの情はそれを上回る。

 DC研究所自体がブルケットらの企みによって沈んだ場合、技術長の立場で加担してきたディアの身柄も危うい。自らのすべてを賭して尽くしてくれた彼女を犠牲にして、ジョンは復讐を優先するわけにはいかなかった。

 故に奪還し、鉄枷付きたちが確保する逃走経路によってドルナクの外まで逃げ切ってもらわなくてはならない。

 考え込みながら図面を見やる。


「ディアの居場所は……あいつの居室(五階)だろうからな。最上階(八階)の大主教居室や最奥実験室からは遠いか」

「ほかの場へ囚われているということはないですか?」

「研究をさせるため捕えたのだから、おそらくそれはない。奴の部屋の資料をすべて移す手間を考えれば幽閉して見張りを置くなどで対処するだろう。もともとあの足では逃げられんしな」

「そんなに資料の山があるのですか」

「ゴブレットとディアが、血筋でなく師弟関係のうちでの兄妹だというのが信じられん程度には、な」


 第七騎士隊の部屋のすさまじさを思い返したか、ロコは半目で「それはおそろしい……」とぼやいた。書類の雪崩に埋まった経験のあるやつはやはりあの部屋にいい印象を持てないらしい。

 ともかくも、場所はそれで確定だろう。居所を移すとしても非常時で昇降機が動かなければ、階段でディアを運ぶしかなくなり道筋は限定される。


「お前の大主教居室へのルートは、部分的に火災用隔壁の操作で工作員が増援の到着を妨害してくれるのだったな」

「ええ。ですから動き出しが早ければ早いほど楽になります。……ルートとしてはわたくし、五階部分への階段とべつのところを通りますので……四階以降は二手に分かれるもよろしいかと」


 図面を指でなぞりながら、ロコはちらりと視線だけ上げてジョンを見る。

 つまり五階以降は、ロコ単独での突破になるということだ。内部工作員の働きによって護衛の動きや人の流れはある程度操作されるようだが、それでも単身で向かうことにはさまざまなリスクが伴う。

 そうわかっていて、問うてきたのだ。

 だからジョンも、確認する言葉だけ返す。


「いいのか」

「これはわたくしが自身に課した成すべきことですから。ジョンさまも、ジョンさまの成すべきことをしてください」


 にこりと笑みを浮かべ、ロコは言う。

 ジョンはただ、「ああ」と提案を受けた。

 二人は。

 それだけで済む間柄だった。


        +


 日々はまたたく間に過ぎる。

 鉄枷付きによる逃走経路確保も、ゴブレットによる戦車の調整も、ブルケットによる陽動の指揮も、すべてが短い時間の中に積み上げられていった。

 電信により伝わってくる研究所の情報も日々修正が加えられ、都度ジョンとロコは突入に関しての経路や行動パターンを、ブルケットも交えて幾通りも立案し頭に叩き込んだ。実地で確認できていない以上、場所についても状況についても想像で補うしかないのだ。

 このように、すべてがギリギリの綱渡りである。

 全員が神経をすり減らし、ことに注力しつづけた。

 そうして、四日目になった直後――零時過ぎ。


「…………終わった……」


 ゴブレットとブルケットはそう言って、戦車の脇で眠りについた。

 鉄枷付きたちもその姿を見やり、ぼろぼろのざまで倒れるように眠る。

 ジョンとロコも疲弊していたがさすがに、外で内で動きつづけていた彼らほどではない。四人に毛布をかけてやり、突入時刻である三時に備えることにした。ロコが時限式で発条ばねが弾けて金属音を響かせる目覚まし用の時計を用意し、時間に遅れないようセットしてから離れる。

 それから二人、倉庫内につくられた生活用の狭い一室で、間にテーブルを挟んでそれぞれ横になった。

 ジョンは眠れそうになかったが、高ぶりすぎた神経を抑えるため少しだけ目を閉じる。

 かち、こち、と時計の秒針が残り時間を刻む音だけが耳に大きく、ロコの方からは寝息ひとつ聞こえてこない。


 ……、

 …………、

 ………………、


 ――どれほど経ったか。

 それほど経っていないのか。

 わずかだけ鎮まった神経と心音に落ち着きを取り戻しつつあるのは感じたが、同時に今日まで三日間向き合いつづけた事物から意識が逸れたことで、他のことに気が回る。

 ディアの救出……これを成し得たとして。

 スレイドに遭遇できたなら。

 自分はやはり、戦うのだろう。戦って、奴を討ち倒そうとするのだろう。


 しかし。

 奴の投げかけてきた問いが、いまになって気にかかっていた。

 ぶつけられた嫉妬心。剣才について■■■へと抱いていた、スレイドの狂気。

 それを下地にしてけれど目的にはせず、奴は自分が剣を窮めようとした理由と■■■を殺さず腕を奪うに留めた理由とを、問うてきた。

《血盟》に属し生きて。自身を道具として扱われながら生き長らえ。

 奴はなにをしたかったのか? ジョンに対し、なにを思っているのか?

 考えても詮無いことを、考えた。

 ……そのまま、少し首を横に傾ける。腕が動かないジョンはほとんど寝返りを打つことがない。

 闇に慣れた目を、薄く開ける。

 テーブルの脚の向こうで、ロコがちょうどこちらに寝返りを打ったところだった。

 彼女もぱちりと、目を開ける。

 青金石の瞳は、夜の海のように凪いだ輝きを放った。


「……眠れませんね」

「元より体を休めるだけで俺は眠る気はなかったが」

「あ、そうですか。……ねぇ、ジョンさま」


 もぞりと毛布を払って上体だけ起こし、髪を手で梳りながら。彼女はこちらへ向けひたりと片手をついた。


「少し、外に出ませんか。落ち着いて話せるのは、これが最後でしょうし」


 はにかんだ顔で、彼女は言う。

 ジョンは少しだけ逡巡して、傾けていた首を戻した。

 それから身を起こして毛布をはねのけ、膝立ちになって傍らの椅子に首を伸ばす。背もたれにかけたインバネスの襟元を、噛んで持ち上げ己の肩にかぶせた。


「少しだぞ。まだ潜伏の身だ、見つからんようにしろ」


 ジョンの言葉に、ロコは相好を崩した。



 日が落ちたあとの産業区画は日中に比べると音が少ない。

 もちろん夜を徹して研究や開発に励む者もいるのだが、大抵は就業時間に従って規則的に動いている。仕事が終われば作業員も解放だ。ほとんどが区画内に残らない。

 一応ここにも宿泊所や簡易的な酒場などはあるのだが、それも零時を超えれば開いていないためだ。翌朝に酒を残して、事故など起きては困るからだという――もっとも、そんなことは知らぬとばかりに下等区画で羽目を外す者も多いけれど。


 二人は倉庫の外に出ると、ほうと白い息を吐く。寒さ除けにロコも外套を羽織っており、二人の影がガス灯の明かりの下に長く、伸びた。

 倉庫には、その外周に沿うかたちで緩やかに屋上へのぼる階段が外付けされていた。ロコがそちらへ歩き出したので、ジョンも自然とついていく。

 一段一段の幅が広い赤錆びた階段を、かんかんと小気味よい音と共に踏み上がる。

 ぐるり一周するかたちで屋上へたどり着いた。一階部分がかなり天井の高い構造のため、三階建てとはいえ周囲より頭ひとつ高い。思っていたよりも遠くまで見渡せたので、つまり周りからも自分たちが視認できるのだな、と察したジョンは少し身を屈めた。

 高い位置に来たからか、風もそれなりに強い。アッシュブロンドの髪をあそばせて、ロコはかつかつと屋上に据えられた貯水タンクに近づく。

 彼女は上を見て、ぼやいた。


「今日は思ったより見えるのですね、空」

「ん。ああ……ここのところ、洪煙の排出は止まっているしな。スモッグが薄いのだろう」


 サミットのときと同じだ。あのときも、お偉方が到着する前はぼんぼんと噴いていた洪煙が開催期間中に限ってずいぶんと量を減じていた。

 つまりはこれに含まれる微細生物ウイルスを、主賓の人間たちへ向けないための配慮だったのだろう。いまも大主教再訪に向けて減らしているに相違ない。

 そのおかげで、産業区画内の稼働が少ないこの夜間に限ってはドルナクで夜空を拝むことができていた。じつにめずらしいことに。


「夜空など見上げたのは久方ぶりだ」

「ここではまず、空を見る意味があまりないですものね」

「そもそも空を見ることに意味があるか?」

「無意味なことに時間を使える、それ自体に意味があるのかなと」

「適当なことを」

「いいじゃないですか、適当」


 タンクの下部近くに置いてあった椅子に腰かけ、ロコはまたふうっと息を吐く。彼女の足元には、古びた吸い殻がぱらぱらと落ちていた。おそらくこの倉庫の作業が火気厳禁だった時代に作業員たちがここで吸っていた名残だろう。

 ジョンも彼女の傍らに腰を下ろした。

 空は、普段より高く見える。けれど星は、ほとんど見えない。あることがわかっていても見えないときは見えない。

 二人、互いの顔も見ず空を見上げたまま。ぽつりぽつりと言葉を交わした。

 今日までの日々を思うように。噛みしめるように。言葉を、やりとりした。


「いよいよ、今日で終わりますね」

「お前たちの戦いは、一旦終わるのだろうな」

「まぁ、ジョンさまはまだわかりませんものね」

「いまはディアを救うことが先決だ。スレイドについては……明日どうにもできなかったとしても、いずれ必ず、決着をつける」

「大事なことの順番が決まっていて、次があって。いいですね、ジョンさまは」

「……どういう意味だ」

「言葉通りです。わたくしは、終わったら、終わりですから」


 ふう、と息を挟む。

 ロコは目を細める。


「大主教は吸血鬼ではありません。殺せば――殺人罪です」

「……ああ」

「加えてわたくしは、大主教の落胤であるという醜聞を世間に公表しラクアの是非を世に問うため、捕まることまでが計画の内です。そこがわたくしの、終着点」

「…………そうだな」


 深く納得を示すしか無くて、一拍遅れでジョンは相槌を返した。

 わかっていて、あえて触れなかった話題にロコの方から触れたのが、胸の内に重さを残していた。

 そうだ。この一件が終われば、ロコは終わる。

 鉄枷付きが彼女を助け利用することにしたのは、結局のところ彼女の出自がためだ。大主教が生ませた妾腹の子にしてアークエに育てられた娘という、醜聞の塊。これを世間に公表してラクアに打撃を与えるべく、彼女は政治的な理由で計画に選ばれた。

 彼女に次も、未来も、ない。

 鉄枷付きが用意している逃走経路は、ロコを除いた計画加担者のためのものだ。

 彼女は、ただひとりここで終着を迎えることになる。


「もともと大陸横断鉄道に乗ったのも『いけるとこまで行ってみよう』との考えだったので。相応の終わり方では、あるのですけどね」


 果ての果て。終点の最果て駅まで来る中途で、彼女の命運は定まった。

 ロコ・トァンと出会い。

 ロコ・トァンと名乗ることになった。

 その旅路の終わりがここだった。彼女はそれに、不満も不安も感じていない。己の成すべきことを成すという、硬い意志があるだけだった。

 殺せなければ人生が無為になるとまで言ったのだ。当然だろう。

 けれど、それでも。


「……だとしても」


 ジョンはロコの語る納得に、一言だけ差し込む。彼女が横で、空から視線を下ろしこちらを向いたのがわかった。

 たとえこれが、彼女が彼女自身で望み、迎える終着であっても。

 この交差を最後に二度と道を同じくすることがないとしても。


「お前が終わるとしても。お前がここに居たことは、俺の記憶に留めておこう。ほかの誰としてでもなく、お前として」


 ぶっきらぼうに答えたジョンが視線を隣に向けると、ロコはさもおかしそうに笑っていた。


「……こないだ言ってくださった言葉と大差ないですね、それ」

「語彙が無くて悪かったな」

「いいえ。悪くなんてありませんとも。何度言われても、いい言葉はいいものです」


 うんうんとうなずき、ロコはまた天を仰ぐ。今度は椅子の座面を両手でつかみ、背もたれにめいっぱい身体を預け、足を投げ出すようにして空へ向き合った。


「だから、これで終わりでも大丈夫です。ありがとうございました、ジョンさま」


 感謝の意を示されて、ジョンは顔を背けた。なぜそうしたか自分でもわからず、しばし硬直する。

 だが、そのうち気づいた。

 他人にまっすぐ好意的な言葉を向けられたのが、本当に久しぶりだったからだ、と。

 相手が自分をどう思っているのかわかったという安心感。すっと胸に溶け込む安堵。それはスレイドに――かつて友と呼んだ男に裏切られて以来、ずっと忘れていた感覚だった。


「俺も」

「?」

「お前には、ほかの誰より感謝している」

「……そ、そうですか」


 自然と出たジョンの謝意に照れた顔を隠すように、ロコは大きくのびをした。その隣で、ジョンはうつむき加減にインバネスの襟元に口をうずめた。

 剣士として半生を過ごし。ひたすらに剣腕を競い合った男によって腕を失い、何者でもなくなって。

 ありふれた誰か(ジョン・スミス)を名乗る誰でもない復讐者と化して。

 あまりにひどい人生だった。失ったものばかり数える日々だった。生涯を賭したものがなくなった生涯をまだつづけるという、虚ろで細り尖った、笑えもしない道のりだった。

 それでもいまは、こう思える。

 たとえいま再び、すべてを失くしても。

 ロコとのつながりだけは、変わらず残るのだろう――と。


「うーん……はぁぁ。さあ、いよいよですね。明日の経路ではわたくし、己の背中を預けますので。ジョンさまも背中はわたくしにお任せください」

「ああ、信頼している」

「……さ、さっきから想定より素直な返事がくるので本当に驚きなのですけれど……ちなみに、その信頼って例えるならどれくらいですか?」

「そうだな。仮に俺が吸血鬼になったなら、お前に斬られて終わりたい程度か」


 頚椎を砕いての確実かつ痛覚も遮断されそうな殺し方を想起して、ジョンは言った。ロコは「重っ……」と言ってから、次第にくすくすとした笑い声をあげて、落ち着いてから目元をぬぐいつつ返してきた。


「あーあ……まあでも、ジョンさまもわたくしも常に抱いている憎悪と殺意が根深いですから。あまり失血がひどいと、たしかに変異しないとも限らないですよね。気を付けなくては」


 わたくし幸い今回は大丈夫でしたが、と言いながらロコは自身の腹部を撫でる。

 考えてみればそうだ。急速分裂型に変異する三つの条件を、先日のロコは満たしかねない状況だった。

 つまりドルナクへの滞在で微細生物を取り込むこと、失血などで死に瀕していること、加えて強い憎悪や殺意の発露があること――――と、ジョンは並べ立て。

 そこで、唐突に、思い至った。


 憎悪。

 殺意。

 死に瀕すること。


 ――――すなわち、失血(・・)


 ……心臓に黒く冷たい血液が流れ込んだような、苦しさがこみ上げる。

 ジョンはインバネスの下からのぞく、己の《銀の腕(アガートラーム)》を見つめた。

 スレイドと、獄中で再会したときの言葉がよみがえる。



『――馬鹿にしていたのは(・・・・・・・・・)そっちだろう(・・・・・・)?――』

『――僕は、弱かったからね――』

『――タルカス流において僕はいっとう弱かった。そんな不便な義手に換装してさえなお剣士と互角以上に戦える、だれかさんとちがってね。そりゃぁ馬鹿にもするだろう(・・・・・・・・・)さ――』



「……ああ」


 理解した。

 理解してしまった。

 そうか。

 お前は、これを。


「俺に対する思いとして、ずっと抱いてきたのか……」


 どこにいるとも知れないスレイドに向けて、ひとりごちる。

 理解に、少しずつ感情が追いついてくる。

 見えなかったものが見えるようになった感覚に、ジョンはただうつむきを深くし、瞑目した。



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