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8:返り血と勘違いと連れ込み宿


「ふっっざけないでくださいよ!」


 ジョンはロコに怒鳴られる。

 彼女は真っ赤だった。

 ……いや、べつだん感情の揺れによって頬が紅潮しているというだけではなく。

 艶やかなアッシュブロンドの髪よりぽたりぽたり、血のしずくを垂らして黒のローブまでぐっしょりと湿らせているのだ。


「すごい血ですよなんですこれ!」

「……、」

「黙ってないでなんとか仰ってくださいな!」

「……すまん」

「謝るだけですか!」

「以後このようなことがなきよう、善処する」

「政治屋みたいですね!」

「いや、いまのは会議中のゴブレットの真似だ」

「なにふざけてるんですかこんな時に!」

「……すまん」


 こんなに元気なのだ、もちろん彼女の血ではない。

 といって、彼女がジョンをぶっ刺して返り血を浴びたわけでもない。

 要は第三者、

 というか吸血鬼の血である。


「……しかしだな」


 ぜえはあと息を切らしてようやく言葉が止まったロコに、ため息をつきつつジョンは語り掛けた。

 彼は足元に視線をやって、彼女の目を誘導する。

 そこには先ほどロコを後ろから抱え締めつけ、「この娘の命が惜しぐばぁッ」と、人質に取る台詞を言いかけたところでジョンに頚椎をぶち抜かれた吸血鬼が転がっている。

 ジョンはその致命傷によって血を被らせてしまったロコと目を合わせて、眉をしなだれさせた。


「膠着状態というのは一番まずい。なぜならあの化け物どもには無制限な体力と回復力がある。それを踏まえて訊くがお嬢、速攻以外に手立てが考え付くか?」

「それは……」

「危険に晒したことと血を被せたこと、ふざけているように見えたことについては謝る。しかし、俺は俺なりに状況に応じて最善と思える行動を採っているのだ」

「ですが」

「この街は危険でない場所と時間の方がはるかに少ない。故の騎士団だ、故の組織だ。それは上役に指示判断を一極化して、速度と責任を集約するためのものだ」


 朗々と言い聞かせる。

 今度はロコの方が黙り、うつむいてしまった。

 言い過ぎたか? と思いながらその顔をうかがおうとする。

 すると勢いよく彼女の後頭部がせりあがって、がばりと顔を上向けた。鼻っ面が危ういところであったが、のけぞって回避したジョンである。


「……わたくしが、奴の体勢を崩すまで待ってくれてもよかったではありませんか?!」

「そちらの方が勝算高しとの根拠はあるのか?」

「奴はジョンさまに意識を奪われて姿勢と重心が崩れておりました。わたくしが投げを打つ猶予は十分にあったのです。それにジョンさまの駆動鎧装による技……《杭打ち》でしたか? あれは弾数が限られているのでしょう。節約できるときは節約すべきでは? それこそ、ここは危険な街なのですから」

「ふむ」


 聞き終えて、ジョンは膝丈インバネスの襟深くに口許をうずめ、考え込んだ。

 ロコの論は理にかなっている。

 たしかにジョンの《杭打ち》は左右に一発ずつ装填した蒸気圧縮機コンプレッサーを使うことでようやく打てる技だ。日に計二発の切り札。無駄打ちはできない。その通りだ。

 しかし、だからと言って素直にその指摘を聞く気になるかというとそうでもない。


「その案については今後、一考しよう」

「またそういう物言いですかどうしてですか!」

「さてな」


 ジョンははぐらかしてすたすたと歩いた。

 後ろからはぎゃんぎゃんとなおも叫びつづけているロコの声が聞こえていたが、ジョンは努めて無視する。

 理にかなっていたところで、勝算があったところで、ジョンはロコの動きまで策に組み込んで動こうとは思わない。

 戦いでも、それ以外でも。だれかに頼るつもりはないのだ。

 が、そんなことを直接に伝えたところで関係にひびを入れるだけだろう。

 故の無言。ジョンは腰の剣を鳴らしてやってきたベルデュと擦れ違い、彼を横目に見ながら歓楽街へ足を向けた。


「ちょっと、話は終わってな……ジョンさま? どちらへ向かっているのです?」

「歓楽街だ。少し休憩しようかとな」

「好き放題ですねもう!」


 そんなことを言われても疲れたのだから仕方ない。今日も短時間稼働で済んだものの、戦闘で蒸気稼働を用いたことでまだ熱を持っている腕のせいで頬と二の腕を伝う汗を感じながら、ジョンは鼻を鳴らした。

 ひとしきり大声を出して少し落ち着いたのかはたまた疲れたのか、とりあえずちょっと沈静化した様子のロコは大きく肩を落としてから、とぼとぼとジョンの後ろをついてきた。


「はあ……して、どこのお店で休憩ですか?」

「さて、どこにしたものか」


 ジョンは今後の予定を立てる。少し休んで食事でもとれたなら、このところ倒した吸血鬼の数がかさんできているので、そろそろ自身で討伐数申告をしようと思っていた。

 となれば騎士団詰所へ向かう必要がある。


 だが、血まみれで目立つロコを伴うのはさすがによろしくない。


「ふむ。ならば《宿》を使うとするか。ついてこい」


 結論付けたジョンの言葉に、ロコははてなと眉を曲げる。


「宿?」

「ああ」


 次いで宿の名を口にしようとするが、はてどんな名だったか、と詰まるジョン。いつも裏口から入っているため、そういえばその宿の名をちゃんと目にしたことがないのだった。

 仕方がないので宿の種類だけでも述べておくとする。


連れ込み宿(モーテル)だ」

「もー……え?」

「俺はあとでいい。先にシャワーを浴びていろ」

「しゃ……しゃっ、休憩って……まさかあなたっ、なんっ、なっ、」

「……あとの方がいいのか? 物好きな」


 と、そこで正面からばたばたばたと音を立てて蒸機動二輪が走ってくる。

 太い車輪でトルクを地に伝えるフォルム。前輪と後輪が四:三ほどの比率で作られており座席部の後ろに大型の六角柱エンジンを搭載した、ジェイムソンインダストリアルの新モデルだ。

 ほぅ、とパイプと排気筒に覆われたその姿に目を奪われたが、轢かれてはかなわない。ジョンは少し横に寄って道幅を向こうに譲る。

 運転手である青年はソフト帽のブリムをつまんで軽く持ち上げ通り過ぎた。


「……ん」


 そこで、足を止めていたロコにジョンから肩を寄せるかたちになっていることに気づく。

 しかしなぜ止まっているのか。危ないではないか。

 ひょっとして血を浴びて気分が悪くなってきたのか? そう思い、またぞろ顔をのぞきこもうとするジョン。


「…………ぅなーっ!」

「なんだ」


 不意を衝く頭突きをまたもスウェーバックで回避する。

 しかしロコはそれで気が済まなかったのか、ぶんぶんと両の掌底を振り回して距離を詰めてきた。ぱっと見は駄々っ子のそれだが、近接格闘に長じている彼女のソレはちょっと冗談ではすまない。下手に受けると崩されて投げられる。

 錯乱するな、と言いながらジョンは逃げた。ばたばたばた、と蒸機動二輪よりひどい勢いの音を立てながらロコは追ってきた。

 どこからその激しい音が出ているのか聞きたかったが、鬼気迫る彼女により迫る危機から逃れる方が先決だった。



 結局そのまま逃げ込んだ連れ込み宿(モーテル)に追うかたちでロコも入ってきて、階段を三段飛ばしにして三階の個室に駆け込んだところでジョンは彼女に追いつかれた。

 少し汗をかいたジョンが狭い部屋の奥に背をつけて振り返ると、ロコが後ろ手にばたんと扉を閉めるところだった。


「ま、待て」

「ま、待ちません」


 荒く息を切らすロコは一歩ずつこちらに近寄る。

 相変わらず血まみれなので、世にも恐ろしい構図である。


「待つのだ。なにを焦っている。とりあえず、シャワーを浴びろ……」

「まだ言いますか!」

「だが、そんな恰好で居続けるのか。宿を汚すつもりか?」


 こう言うと、はたとロコは動きを止める。

 一応神に仕える身ゆえか、基本的には良識と良心の申し子である。他人への迷惑に彼女は敏感であった。


「……それは、多少思うところありますが」

「だろう。ならば早く湯を浴びてこい。ここならばローブを洗蒸機スチームクリーナーへ放り込んでいる間の着替えもある」

「きがえ、って……こんなところですから、どうせ妙な衣裳でしょう?!」

「妙とはどういうものだ」

「きっと特殊な制服とか特殊な嗜好に寄り添った……い、いや。いやいや。これ以上、わたくしの口からは申し上げることかないません! 神の道に背く行いです!」


 走ったせいか赤い顔で、ぶんぶんと首を横に振る。よくわからないと思いながら、しかし正直に言えばこじれさせると判じたジョンは「そうか」とだけ返しておいた。


「ならばできるだけまともな服を用意しよう。俺が外で買ってくる」

「ジョンさまが?」

「金はあとで払え」

「わぁ、そこはいつも通りきっちりしてますね……で、でもその普通の服に替えたあとは、」

「? なんのためにここへ来たと思っているのだ」

「なんのためって……言えるわけが……」

「……俺の言いつけを守って騎士団所属であることをつぶやかないようにするのはいい心がけだが、ことここにおいては別段気にする必要はないぞ」


 首をかしげながらジョンは言い、つかつかとロコに歩み寄る。びくっとして彼女は身をすくめた。

 その彼女から半歩ほどの位置まで近づいて――ジョンはくるっと九十度横を向き、壁に設置してあった大きな姿見の角を爪先で小突いてずらした。

 ごろんと音がして大鏡は横にスライド、ぽっかりと開けた下降口が露わになる。

 へ、とつぶやいたきり、ロコも隠し出入り口と同じようにぽっかりと口を開けっ放しにした。


「なにせここも、騎士団詰所への入り口なのだ」

「……へ」

「だからここへ行くぞと言ったのだ」

「……え」

「裏口からの受付は騎士団関係者間での符牒だ。運営母体はなにも知らないが、ここには多くの関係者が紛れ込んで働いている。頼めば食事も出るしな、少し休んだら……おい、どうしたお嬢」

「なんでもありませんっ!」


 ひどく憤慨した様子で、彼女はばたばたとシャワー室へ走り去っていった。

 さっぱりわからないと思いながら、ジョンは壁に突き出した真鍮の音伝管にひとまず「支払いは第七騎士隊持ちでなにか食事を頼む」とささやいた。

 それからシャワーの水音がし始める前に、彼女が嫌がらないようなデザインの服を買いに行くことにした。



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