78:潜伏者と協力者と共闘者
泣きやむまで、しばし時間を要した。
ジョンは、ロコの過去を知らない。
このちいさな身体にどれほどの辛い経験を背負い、あの強さを手にするまでに至ったかを知らない。
だが察するに、これだけの涙を溜め込むほどの。惨いなにかが、彼女の身へ降りかかっていたのだと思われた。
その過去をどうにかしてやることはジョンにはできない。
けれど、このように。傍にいて支えてやるくらいは、この先もできるのではないかと思う……。
ややあって落ち着いたロコは、顔を上げると鼻をすすった。
「……取り乱しました、すみません」
「気にするな」
「気にします」
「なら、どうする」
「忘れてもらいたいですね」
「手段は」
「こう、ゴツっと」
「《鉄槌》はやめろ」
「そうですね。腕で防がれた場合は、また不調にするかもしれませんし」
軽口を叩き合い。少しだけ、前のようにやり取りができた気がした。
実際には、両者とも内面が大きく変化している。完全に前のような気楽なやり取りをすることは、もう無理だろう。互いの深い目的まで知ってしまっているし、その目的に進むことはなにがあっても変わりないことも知っている。
二人とも、復讐への道をひた走る。
なにも変わりない。
……けれど、ひとつだけ肩の荷が下りたような。気持ちに楽な部分が生まれているのは、たしかだった。
同じ目的を抱える者がいる。
ひとりではないと信じられる。
ただひとつだけでも、それは確たる『未来』だった。
+
鉄枷付きの隠れ家へ戻った二人は、枷の嵌められた手を挙げるジェイコブとジャクリーンに迎えられた。
室内にはさらにひとり、人間が増えている。それはサイドを刈り上げた特徴的な金髪の下で細い目を光らせる男で、いかにも下等区画の人間然とした継ぎだらけのボトムスと肘と袖口がおおいに汚れたジャケットを羽織っている。
そして腰かけた椅子の下にのぞく右足は、きしりと金物の音を立てた。駆動鎧装だ。あいにく、ジョン自身は知識がないので型式などはわからないが。
「よぉ。お二人さん」
「ブルケット様」
男の声掛けにロコが反応を示した。どうやら顔見知りらしい。
ブルケット……どこかで聞き覚えがある気がしたが、ジョンは思い出せなかった。剣の修練を積んでいた頃に聞いた名だったろうか? ちがう気がする。
少し固まっていたのを敏感に察してか、ブルケットはからから笑いながら席を立ってジョンに近づいた。
「上からの逃亡劇はしっかりやりおおせたみてェだなァ、ジョン・スミスとやら」
「俺を知っているのか」
「おいおい。迎賓館までエドワーズを送ってやったのは誰を隠そうこの俺だよ。……ま、あいつがレフトの旦那に頼んでお前の脱走を手引きしてるってとこは知らねェふりして協力したから、アレだがよ」
「協力……」
という言葉に、ジョンは感づいた。
ディア曰く、予定では舟に乗って下等区画まで降りてから。潜伏先まで道を案内する協力者がいるとのことだった。
ジョンの眼前で足を止めたブルケットは、軽薄そうな笑みを浮かべながらジョンと視線を交わす。
「本来なら、この隠れ家を通り過ぎた向こうの分岐でお前たちを拾う手はずだったんだがね。迎賓館送り届けてからレフトの旦那引き連れて急いでこっち降りてきて、下層民然とした恰好で待ってたってのに。いつまで経ってもお前ら来る気配がねェからよ。ここらを根城にしてる鉄枷付きに訊いたら、案の定だ」
「……鉄枷付きと組んでおり、レフト卿とも面識があり、ディアとも繋がっているのか?」
「ははは。俺ァちィとばかし複雑な立場なもんでね」
ジョンの問いかけに、はぐらかすように答える。
しかし、察するに。
ロコの話では彼女の大主教暗殺の折に、研究所内でとあるデータを回収することを同時に遂行する人員がいるとのことだった。
いまのDC研究所から奪い取ることに意味のあるデータと言うと……吸血鬼研究か、あるいは軍事用研究品のデータか。とはいえ鉄枷付きやレフト卿とも交流がある点から見て、産業スパイなどではないのだろう。
「都の果学研究学会の上層で、奪った研究成果を用いて派閥争いなどする立場か?」
「……お前、友達少ねェだろう」
「多ければなにか意味があるのか」
推測は中らずと言えども遠からずだったようで、ブルケットは不満そうに眉をひそめていた。
ともあれ切り替えることにしたのか、ジョンとロコに椅子を勧めて自分はこつこつと狭い部屋を歩き回りながら喋る。
「だがこれは必要なことなんだぜ? この襲撃が終われば、DC研究所にはさまざまな機関の目と圧力が向く。ここは到底表沙汰にできんような研究もされていたようだしなァ、データを回収しておかにゃ闇に消されちまう可能性だってある。――わかるだろ? 貴重な資料が消失するかもしれねェんだ。そのために密命を受け、俺は動いてる」
「そうか」
「……あのよ。お前、興味なさすぎねェか。一応この国の裏の話なんだぜ」
「深く知ってもどうこうする気がないのでな」
「あ、このひといつもこういう感じなのであまり気にせず」
ロコがフォローでもするかのように口を挟む。自分が悪いと言われているようで、今度はジョンが不満そうな顔をして見せる番になった。
ブルケットは半目だったが、仕切り直して鉄枷付きの後ろに回る。二人の椅子の背もたれに左右の手をがっと置いて前傾に姿勢を崩しながら、机を挟んだ向かいのジョンとロコをにらんだ。
「まぁ、俺のことァいい。とにもかくにも局面は大詰めだ。しかしこの場にエドワーズがいねェってことは」
「……あいつは、俺たちを逃がすため単身残った」
「だろうな。そうなるわな」
言って嘆息する。彼の両脇に控える鉄枷付きも、二人してなんとも言えない顔をした。
この反応の意味するところはなんだ、とジョンが疑問に思っていると、ロコが周囲を見回して不思議そうな顔をした。
「そういえば、今日の打ち合わせはアークエの方、いらっしゃらないのですか?」
ブルケットと鉄枷付き合わせて三名がさらに渋い顔をした。現状についての核心部分を突いたらしい。抜けた顔をしてロコは時折こういうことをする。
「まさにその、アークエの連中の話なんだがねぇ……」
ジェイコブが髭を撫でつつ机に片肘をついた。隣でジャクリーンも両肘をつき、頭痛でもあるかのように額を押さえている。
答え合わせとして、ジャクリーンが声をあげた。
「……出現した《血盟》に殺られたわ。いままでのように潜伏を基本とするんじゃない、障害となるものをすべて排除する動きだねアレは」
「え……」
絶句するロコを後目に、ブルケットは親指の爪を噛んでから言う。
「上等区画襲撃に必要だった人員がほぼ潰されちまった。連絡役とも繋ぎが取れねェ以上ヘタな手は打てんもんでね、正直焦ってる」
「研究所内の潜伏工作員は、さすがに場所が場所だし多少監視が厳しくなった程度なんだがさ。下等区画にいたあたしたちの手の者は、もうさっぱりよ」
ブルケットとジャクリーンが言い、こんこんと机を叩く。
じろりとジョンを見据え、ブルケットは下水の上流方面を指さした。
「当初の計画ならお前の脱獄と離脱もまず問題なくスムーズにいくはずだったんだ。それがダメになっちまったってとこから察するに、お前らがエドワーズを置いてこなきゃなんなかったのも《血盟》の追撃が元だろ」
「吸血鬼なのは間違いない。俺の仲間が投擲したナイフで与えた傷も瞬時に回復したからな」
「やはりか……くそッ、もう最終段階に入ったからって、ここまで温存してきた《血盟》を大盤振る舞いしてやがる。正直この隠れ家も危ういかもしれんぜ」
「捜索は地下にも及んでいるのか」
「たぶんな。さっきもうろついてる不審な奴が居たから、回避してここまで来たんだ」
事態は急を要するらしい。いよいよ、クリュウやその他上の人間たちもなりふり構わぬ手段に出始めたということだ。
ブルケットは脇にいた鉄枷付きの二人を小突き、揺さぶるようにして訊く。
「なァ鉄枷付き、例の場所へのルートは用意してあんだよな?」
「隠れ家なのでね。当然いざというときの道は確保してあるよ」
「セーフハウスはほかにもあるから、そこをいくつか経由しつつ逃げるのがいいかしらね」
「……だそうだ。つーわけでここの人間は脱出。急がねェと《血盟》に嗅ぎ付けら――――」
言いかけたところで、がぢゃ、と湿り軋んだ音が出入用の隠し扉より聞こえる。
瞬時に声をひそめたブルケットは、苦虫を嚙み潰したような顔で振り返る。
扉からはまだ断続的に、がちゃ、ごぢゃ、と音がしている。先ほど外から戻るときにロコがやっているのを見たが、防犯のためにこの扉は特殊な鍵がないと外からも内からも開かないようになっているようだった。
普通ならそれで一旦は諦めそうなものだが……この扉向こうの主は、しつこいようだった。
ドアを押し引きする音につづけて、かちゃ、キシン、となにやら高い音もしはじめている。
「細工を破ろうとしているねぇ……」
腰を浮かせたジェイコブが言った。
ジャクリーンは背後にあった棚を横にずらして、脱出経路であろう小さな扉の鍵を解除しはじめていた。
ブルケットは顔を引きつらせ、わたわたとしている。
ジョンはロコと一瞬顔を見合わせた。
次の瞬間、
細工を突破したのか、扉を開けて部屋に入ろうとする人影。
「――――――――、」
二人、声もなく動きを合わせた。
肘内のストラップを噛んでジョンは駆動鎧装を起動した。
ロコは鞘を払って腰から短剣を抜いた。
左へ駆けたジョンの右拳が侵入者の顔面を襲い、
右から滑り込んだロコが突き出した短剣で相手の腕の軌道を牽制しつつ左手で膝を抱え放り投げんとする。
襲撃に遭った人物は慌てのけぞり、一歩の後退でこのどちらをも避けた。身のこなしはそれなりのようだ。
しかし、追撃。
ジョンの拳。
ロコの鉄槌。
両方が侵入者の、喉元と心臓に突きつけられ――――
「待った止まれよお前たちっ!」
声をかけられて動きを止める。
どこかで聞いたような――くたびれた、声だった。
突き出していた攻撃の手をすうっと二人が引くと、はぁぁ、と深く息を吐いて侵入者は長身を屈めた。
青みがかったオールバックの髪。細かな皺の刻まれた目元。
洒落たクラバットをドット柄のシャツの襟元に巻いた、どこか芝居がかったようにも見えるその風体。
「ああ、もう。驚いたぞ……警戒してるのは結構だけどね、相手を少しは見るとかしておくれよな……ジョン、ロコ君」
「……ゴブレット?」「ゴブレット様?」
「やっと気づいてくれたかい。ああ、心臓に悪い」
長身を屈めながら室内に入ってきたのは、二人の上司だった彼。
第七騎士隊所属の騎士隊長ゴブレット・ニュートンそのひとだった。
彼は手首をぷらぷらさせながら長い指先よりチャリン、と針金とヤスリとペンチを落とし、ストレッチするようにうんと伸びをしてからぐきぐきと首を鳴らした。
「でも警戒するのはいいけど、警備そのものはずいぶん杜撰だったな。開けるのに三十秒で十分だったぞ。鍵開けは二分以上耐えられる構造でなきゃ、錠前師の技を齧った奴なら諦めないものだよ。覚えておくといい」
なぜそんな技能を、と不審がる目を向けつつ、ジョンは拍子抜けして腕の稼働を止めた。
ロコも短剣を鞘に納め、むずがゆいような顔でゴブレットを見上げている。
ブルケットは隠し扉から逃げようとしていた姿勢だが、ゆっくりと顔を上げて交互にジョンたちとゴブレットを見やる。
「え……あの、そいつ、さっき俺がその辺で見かけた奴なんだがよ……知り合い、なのか?」
「ああ」
「一応、元上司です」
「つまりいまの関係性としては……少し年の離れた友人、というところかな」
おどけて見せて、ゴブレットは肩をすくめた。
呆気にとられた鉄枷付きとブルケットを無視してつかつかと歩み寄ると、勝手に椅子を引いて腰かける。
にやっと笑いながら、組んだ両手をテーブルに置いて顔の陰影を強めるような姿勢をとった。
「どれ、ここからは俺も一枚かませてもらおう」
+
イブンズと繋がり、またジルコニアを介してディアとも連絡を取っていたゴブレットはジョンの脱獄計画を把握していたのだという。
とはいえ騎士団所属の立場が邪魔をして、また上位騎士隊からの圧力もあって表立っては動けず。ラキアン・ルーと交替で計略を進め、いずれ下等区画に降りてきたジョンに連絡を取る予定だったらしい。
その過程でこうして地下水路を確認して、たまたまブルケットの姿や通行の痕跡を発見したのが現状、というわけだった。
「そうか……ディアは、上か」
あらかたこちらの事情を伝えたところ、ゴブレットは天井を眺め、彼方の妹弟子に思いをはせるようにそう言った。
ジョンは自分の不甲斐なさが原因だと思い、謝罪の言葉を口にした。
「すまない。助力を得ておきながら、俺はあいつと離れてしまった」
「仕方がないよ、ジョン。あいつが選んだことだろう。……助けに、行かねばならないね」
その身柄の安否がわからない現状に対する不安を必死に押し殺した、哀切な響きの伴う決意の言葉で彼は唇を噛む。
と、かぶりを振って気持ちを切り替えたのか、傍らにいたロコに目を向け穏やかな声音で接した。問題は問題として、ゴブレットは現状を受け止めて前に進む男だった。
「ジョンのことはさておき、ロコ君のことも捜索していたんだがね……まさかこんなところにいるとは。無事で、よかったよ」
「ご心配とご迷惑をおかけしました、ゴブレット様」
「いやいや、構うことはないよ。大体、あのイブンズ先生でも完全には叩き潰せなかった鉄枷付きの元にいたのでは見つからないのも無理はないのだしな……」
とはいえ見つけるのが遅れてごめんよ、と言いながらゴブレットは頭を下げる。
ロコは、いいえとんでもない、と首を振りながら彼に応じ――それから、気になっていた様子でひとつだけ訊ねる。
「まだ、わたくしをロコと呼んでくださるのですか?」
「ん、とりあえずは。慣れてしまったからね、俺たちも。もちろんきみがほかの呼び方がいいなら、いまからでもニックネームを付けるけれど」
「いえ、大丈夫です……そのままで。ロコと、お呼びください」
いろいろな感情が入り混じった様子で、ロコははにかんだ。
ゴブレットは片眉を上げながら「そうかい?」と言い、ひとまずは名についてそのように収める。
ささいなことのようで、彼女にとっては大きなことだったのだろう。表情に滲むわずかだがたしかな喜の感情に触れて、ジョンはふ、と鼻腔に息を通す微かな笑いをあげた。
そこからは、鉄枷付きとブルケットがどのような関係性でロコと共にいたのかが語られた。
ゴブレットは「大主教暗殺」という部分について聞いても、とくに態度を変えることはなかった。ジョンがロコを経由してイブンズに伝えた「スレイドが《血盟》に属す」という情報と、ジョンがサミットの折に大主教の護衛――アシュレイ・ドリーを名乗っていたスレイドと交戦したこと。加えてイブンズが手に入れた《血盟》の背景事情。
これらから判断し、すでに彼も「このドルナクは教会も騎士団も研究所も各企業もすべてが闇に繋がる」との結論を出していたためだ。……もっとも、敬虔なヴィタ教ラクア派信徒であるラキアンは、最初この結論を耳にしたときには少しばかり複雑な顔をしたようだが。
それでも最終的には「どんなにいい信仰でも、信者が間違えることはある。大主教様だって、信者のひとりにすぎない」として自分の中で折り合いをつけたそうだ。
「まあ、そんな第七の中での話はいま置いておくとして」
地上の現状について、ゴブレットから語られる。
「さて。うちのジョンとロコ君をなんとかして離脱させたいところだが……正直、地上はもううろつくには適していないね。至るところで《血盟》による粛清が行われていて、組織だった動きをしている者や裏通りで不審な動きをしている者が次々に潰されているよ。やはり群れになった吸血鬼は恐ろしいと、再認識させられたな」
重々しく語り、ゴブレットは鉄枷付きに話を振る。二人はじゃらンと鎖を鳴らしながら、ゴブレットの視線を受け止めた。
「それでそちらさんは、ここからの離脱の手はあるのかい?」
「一応、経路は確保しているねぇ。なぁ、お前」
「ええ、あなた。一応パターンとして三つはありますとも。……セーフハウスが潰されてなきゃだけどね。それに離脱って言っても、逃げるためじゃなく打って出るためのものになる……」
「打って出る?」
「上等区画襲撃に使うルートなんだよ」
ブルケットがゴブレットの疑問を拾い、ばりばりと頭を掻いた。
「もともとはこっちの仲間と共同で、上を強襲するため落ち合うポイントを設定してあったんだ。鉄枷付きが用意したのァそのためのルートで、この街から逃げるためのモンじゃねェ」
「そもそもこの街は人員の出入りカウントをやりやすくして実験の数値を算出しやすいよう、最果て駅以外に外と繋がるルートがないものでねぇ。我々も外部の協力が無いと脱出できないのだよ」
「そういうわけだから、あたしたち的には相手の懐に飛び込むことになっちゃうわけね」
とてもよく似た弱り顔で煙草をくわえた鉄枷付きは、二人揃って火をともした。
紫煙がゆったりとのぼる狭い室内で、ブルケットのため息が重く響く。
「勝算があるってェんなら、懐に飛び込むのもいいだろうがよ。さっきも話してたがこの計画のために組んでた連中がいま軒並み《血盟》に潰されてやがんだ」
「……地上でやられてたのはそういう奴らを含んでいたのか」
「たぶんな。そういう次第で、そもそも強襲策自体が封じられてンのが現状だ」
「ふぅむ……ブルケットさん、そもそもきみらの言う強襲策とはなんだったんだい?」
ゴブレットが問う。そこはたしかに、ジョンも気になるところだった。
現在は上等区画に向かうにも、蒸気式昇降機は下降だけならともかく上昇については封じられ、地下水路も《血盟》がうごめいている。険難の道だって、長い一本道である以上杭弾銃を持った兵で固められれば突破はまず無理だろう。
つまりほとんどの道が閉じている。かといって火の山の、崩れやすく切り立った断崖や斜面を迂回して登るのは不可能事と言っていい。仮にいまから一流の山屋を集めてチームをつくったところで、残り四日では到底間に合うまい。
そんなジョンたちの視線に、ブルケットは腕組みしたままぶっきらぼうに答えた。
「多脚型蒸砲戦車だ。搬入の際に俺らの手の者と共謀して、帳簿の書き換えで運び入れ先の変更をバレねェよう改竄し、産業区画に隠してある」
ジョンははっとした。そういえばサミットの際に、研究発表で語られていた品だ。
天険と名高い山岳地帯をも走破したという走行性能。多脚と無限軌道の組み合わせで進む、新案として提出された兵器。
「DC研究所で山岳地帯用の試乗とテストをおこなうために運ばれてきた奴だ。だがなァ……乗り込むにゃ手が足りねェ。整備と操縦とできる奴が必要だ。俺も補助程度にはできるが本職には遠いからな」
そして本職だった人員は、《血盟》によって亡き者とされたと。そういうことらしい。
ブルケットは沈黙し、しばらくの間鉄枷付きが煙を吐く音だけが室内を満たす。
だがややあって、考え込んでいた様子のゴブレットが顔を上げた。
「その蒸砲戦車、資料はあるか?」
「資料?」
「試乗とテストをやるならなにも用意してないってことはないだろう。説明書とかだよ。……多脚を備えた戦車というと、ルレー製作所のだったかな。なら、ある程度は頭に入ってるが」
「なんだよ。あんた一体、なにやろうってんだよ」
「俺は本職じゃないが戦車に乗れる。少しブランクはあるが……嫌味な隊長と、ルレーの気のいい研究者たちと前線で動かす羽目になった経験が多々ある」
――万国大戦の経験だ。
徴兵に年齢が満たなかったジョンは戦地を知らないが、ゴブレットは前線へ送り込まれたことがあると述べていた。先日の蒸気裂弾の扱いやその他戦時にまつわる兵器の扱いを、実地で一通り修めたのだ。
「ゴブレットお前、戦車も乗れたのか」
ジョンの問いかけに、彼は苦笑しながらうなずく。
「整備も含め必要に駆られて一通り、ね。ルレー製作所は戦時の貢献がもとで地位を上げたような企業だから、基礎部分は変わっていないだろう……新作が山岳踏破のための走行性能重視なら、アカーシー重工の可動重心機と可変式無限軌道あたりを足したか?」
細かな設計部分の名称までは覚えていなかったので、ジョンはブルケットを見やる。表情から察するにゴブレットの推測は当たっていたようで、「なんで知って……機密だぞ」とぼやく。
ゴブレットはやっと人心地ついたと言いたげに、懐から煙草を取り出して一服つけながら応じる。
「俺が送り込まれたのは高低差の激しい岩場がつづくマレイ地方の果てだった。だが敵国の連中が進行してくるのは岩場を下り終わった後の平地でね。要は互いに戦車の性能が、アホみたいに噛み合わなかったのさ」
無限軌道のみで動く敵国車輌は平地での走行性能は高かったが岩場はのぼれず、高仰角射撃もできない。
といってこちらが使用した多脚型は岩場の走破には向くが平地での速度は減衰を避けられず、かつ射撃時も摩擦面の少ない脚先のポイントのみでは「突き立てることができる」地面でなければ安定せず反動に車体を振り回される。
そのために前線ではろくな運用ができず、フィードバックとしてゴブレットとルレー関係の研究者らが送り返した戦闘データの中へ、嫌がらせの不満と共に書いた設計草案があった。
「あっちとこっちのいいとこ取りした設計だ。その蒸砲戦車はたぶん、俺たちがイライラしながら前線で書いた絵図が元だよ」
地獄からの帰還者は。
紫煙をくゆらせながら言った。
「勝算があれば、懐に突っ込むのも手なんだろう? ――俺の妹弟子を救うのと、あんたらの目的を達するのと。やるべきことはすべて上にある……」
にやりと不敵に笑い。
ゴブレットは机に身を乗り出して、鉄枷付きとブルケットに向かって掌を差し出した。
「共闘といこうじゃないか」
最終局面まで、残り四日。




