77:ロコ・トァンとローナ・ガーヴァイスと名も無き者
ローナ・ガーヴァイスは、天上の神を信じていない女だった。
けれど彼女は聖職者の役割を求められた。……自ら目的のために得た立場である以上、それは仕方のないことであったが……元より腹芸をこなしてきたわけでもなく、むしろ信仰を中心に置くアークエの村落に暮らしてきた彼女だ。
役割を求められておいて『神などいない』と邪教のように振る舞うのは、少し難しかった。要するに嘘がつけなかったわけだ。
だから、彼女は『神』の意味するところを変えた。
世の人々、ラクアを信仰する人間たちが言うかみさまを天上の存在と置き。
自分が『神』と口にするときは、それとはちがうものを指そう、と。
高く、高く置く、己にとって指針となるもの。
それを神と呼ぼうと。そう決めた。
故に彼と――ジョン・スミスを名乗る男と暮らす間に、神と口にすることも幾度かあったが。
彼女の中で、神については虚言を口にしていない。『神』と彼女が口にするとき、それはいつも彼女の定義の中での神だったのだ。
「……ジェーン。もうすぐだよ」
地下水路の縁を歩きながら、かつての友の名をつぶやく。
己が父と呼んだ男により、ローナの身代わりとして殺されてしまった少女。
彼女に詫びるため、彼女に胸を張れるようにするため、ローナは生きてきた。生きることにしていた。だからこの生き方をまるごと宿せるように、『神』を定義した。
ローナはロコ・トァンと列車で会話したときにも、そのことについて触れている。
『かみさまってなんだと思う?』
ロコ・トァンの問いかけに、ローナは己の胸を指し示した。
天にも地にもどこにもおらず、いるとしたら、ここに。
自分の中に。
自分の――理想像として。かくあるべしと定めた、少し先の自分のなりたい姿として。
ローナは己の『神』をそのように定義していた。
だからそこから外れた振る舞いはすまいと決めた。矜持であると同時に戒めである強固な鎖として、己にそれを、その生き方をこそ課した。自分を律し罰し、ただ目的のために最適化した存在であろうと肚に決め込み息をした。
それは、短剣を磨き抜くように。
己自身を、ひとつの短剣と捉えるように。
「あの男を、刺せますように」
腰に提げた慈悲の短剣の柄に手を当て、ローナは祈りをささげた。
大主教再訪まで残り四日。鉄枷付きとの戦闘訓練もかなりの数こなし、すでにローナは状態をピークに持ってきている。身体の動きは完全に復調した。あとはメンタルだけだ。
今度こそ。
仕留める。
あのときのようには……ならない。
肚に括り、意識を研ぎ澄ます。もう次に戦うときには、迷わない。惑わない。なにがなんでも討ち果たしてみせる。盾のようにだれかを突き出されても、頓着することなく進んでみせる。
考えながら歩いていた足を止め、流れの激しい水路を見やる。己の身体をぎゅっと抱いて、はぁぁ、と短い吐息を漏らした。
あのときのように。
腹を刺され倒れかかった自分を受け止めてくれたジョンのように。
もう、ローナの背を支えてくれるひとは、いないのだから。
ここからは独りで進み果てるしか、ないのだから。
騙り偽り生きてきた自分には、相応の末路だ。
……そんなことを考えて、きびすを返した。そろそろ戻って昼の食事の支度と、四日後の突入についての打ち合わせをせねばならない。
一歩、二歩、三歩。
四歩目まで来たところで、ローナは背後に「ざばん」と大きな水音を聴いた。
ゴミが流れに跳ねたか? あるいはなにかが落ちたか?
それとも、人か?
抜剣しながらざっと振り向けば、そこには――水路からたったいま這い出て来て、うずくまる黒い影。大きなシルエットは、ずぶ濡れのゴミ袋を思わせた。
いや、ちがう。二人分の影が重なっているため、そう見えるだけだ。屈んだまま身体を大きく上下させて、汚水のしずくをぽたぽたとしたたらせながら石造りの地面へ手をついていた。
「……っがほ、ごほっ、ごほえほ……」
咳き込みながら、影の片割れが立ち上がる。
ぶしゅう、
と、蒸気が上がる。
鈍い耀きが、ローナが腰に下げていたランタンからの光を返す。
ずるりと。
長身で大柄な男の襟首をつかみ、こちらへ一歩踏み出してくるその腕。
白く蒸気噴き上げる、駆動鎧装。
「……かはっ……おい、しっかりしろ。ベルデュ……」
「ぐ……」
どるん、と低いうなりを最後に腕は稼働を停止する。断続的に噴き上がっていた蒸気が止み、ぶらんと両腕は身体の脇へ垂れた。
彼によって引っ張り上げられた長身の男――ベルデュ・ラベラルはまだ這いつくばったままだが、ひとまず息も意識もあるようでぜえぜえと喘いでいる。
この様を見てやっと人心地ついたか、駆動鎧装の男は背を壁にもたせかけ、ずるりと尻を地面につけた。
がしゃんと駆動鎧装が音を立てる。
それから彼は――やっと、この場の光源がローナの提げるランタンにあると気づいたようで、まぶしそうにこちらを見た。
見慣れた、あまり人相の良くない顔。
「……お嬢?」
なるべくその存在について考えないようにしていた、彼。
ローナに近すぎた、ローナが情を移してしまった、彼。
ジョン・スミスがそこにいた。
+
「弾は貫通していたのでね、傷は塞いだ。雨で増水していたとはいえ汚水の流れに傷口を浸したのは少し気がかりだがねぇ……ま、抗生物質を手配しよう。それでも破傷風になったら、そのときはお手上げだが」
小部屋の方に寝かせたベルデュの右肩の傷口を縫い、安静にさせてきた眼鏡の男……ドルナク随一のフィクサーでありとうに居なくなったと思われていた鉄枷付きの片割れことジェイコブは言った。
居間のようなつくりの隣室で着替えを借りて待っていたジョンは、伝えられた情報について呑み込み、「治療、感謝する」と告げた。結局のところ、自分とディアをかばって撃たれた傷だ。どうしても気に病んでしまう。
「なぁに、請求はあとに回すだけさ」
とジェイコブはなんでもない風に言って、くわえ煙草で部屋をあとにする。鎖に繋がったその妻・ジャクリーンも火を移してもらいながらあとを追い、「話の片が付いたら呼んでちょうだい」と平べったい顔に下手なウインクを載せて言い残していった。
ともあれ。
施術が終わるまでの間ジョンは、ロコ――という名は騙りだったと、投獄中に新聞で知ることとなったこの女。
イェディン大主教の娘、ローナ・ガーヴァイスとして世に生を受けた女と、横に並んでいた。
あの日、あの部屋で謎を残して別れて今日まで。
互いにずいぶんと、ひどい日々を過ごしていたようだった。
はぁ、とジョンは嘆息する。
自分とベルデュを庇い、単身残ったディアの状況を思えば、心臓が冷たい手に握られたように身がすくむ。おそらくは利用価値のある人材ゆえに殺されるなどはないだろうが……少なくとも、これまでよりもさらに厳しい監視下に置かれ、自由の一切が許されない状態となっているだろう。
救い出さねば、ならない。
加えて上等区画へ向かうのなら……研究所へ乗り込むのなら、ふたたび《血盟》と戦闘になる可能性はかなり高いだろう。
そうなればそこで、スレイドとの決着をつけることになるかもしれない。
はぁ、ともう一度嘆息する。
状況は全体的に芳しくなかった。
「それにしてもジョンさま……投獄されていたのは知ってましたが、そこから逃げ出していたとは。しかも《血盟》に撃たれたとは……本当なんですか」
ぼそりと彼女に問われる。ああ、と返してジョンは応じた。
「事実だ。ディアが身を挺して庇ってくれたおかげで、逃れることができた」
「それで、下水を流れてきたと。よく助かりましたね」
「鉄枷付きから聞いた話では、下水を流れてきたのはお前も同じだろう。しかも、お前は腹に風穴をもらった状態だった」
「そこは、イブンズ様の施術がよほどしっかりしていたようで。なんとか助かった次第です。でもわたくしより、ジョンさまの方が大変でしたでしょう」
「なにがだ」
「あなたは泳げなかったはずでは?」
「そこは、あいつが俺の首元をつかんで浮上させてくれたのでな。水面に出たあとは腕を稼働させ、なんとか水路のへりをつかんで二人まとめて引っ張り上げた」
駆動鎧装の高出力があって成し得た荒業である。でなければもっと下層に流されて、より厄介なことになっていたにちがいない。なにせこの水路の行き着く先は最終処分場で、そこまで到達すればゴミと共に八つ裂きの運命が待つ。
「お互い、苦労したようですね」
「本当にな。……早く、上に。ディアを助けに行かねばならん」
言い合って、沈黙が落ちる。
いろいろと話したいことはあったはずなのだが。言葉が出て来なくて、ジョンはわずかに身を揺らして姿勢を直すだけに留める。
さまざまなことを伏せて、ジョンと共にあった彼女。お嬢と呼んできた相手。
思えば彼女についてなにも知らなかった。獄中で生活する中で何度となくそのことを考え、次に会えたら抱えていた事情について訊ねよう、同じように復讐者の境遇にあった自分のことをどう思っていたか訊ねよう……そんなことを考えていた。
でも結局、ジョンが口を開いたとき。
「……なんにせよ。無事で、なによりだな。お嬢」
こぼれ出たのは、彼女を案じたそんな言葉だけだった。
ずいぶん久しぶりに会うのにまったくそんな気がしない彼女に、言おうと思えたのはそんな当たり前でありきたりのことだった。不思議な気がしたが、ジョンはなぜか、ひどく落ち着いている自分に気づく。
状況は良くないのに。問題は山積しているのに。
ロコ・トァンを名乗っていた彼女の無事を知り、ひとまず安心していた。
彼の言葉を耳にした彼女は少し顔をこわばらせて、うつむいた。
「まあ、無事ではありますが。正直……」
言いかけて口を結び、机の上に置いていた聖書を撫でる。それは彼女が普段持ち歩く非ざる道の書――白紙の聖書ではなく、鉄枷付きの二人が普段使っている持ち物らしい。
机の上から手を下ろした彼女は、膝の上に両手を揃えるとしばらく固まった。
なにか考えあぐねる数瞬。ややあって、組んだ手の指を時折からめ替えながら、彼女はつづけた。
「……もう、会うことはないものと思っておりました」
「それは……そうだな」
状況が状況なら、互いに抱える事情もまた事情。そう考えても当然であろう。
けれど数奇な運命の巡り合わせか、こうして再び相まみえることになった。
彼女はそれをどう感じているのか。思い、気になり、ジョンはわずかばかり様子をうかがう。
青金石の瞳と目が合った。
「……もう、会わない方が良いものと。そう思っておりました」
微かにまぶたを下ろした瞳で、ジョンに向かって曖昧な笑みを浮かべた。
そのままゆっくりと、机に手をついて立ち上がり。
彼女は部屋の出入に用いている隠し扉を指さした。
「ジョンさま。少し、歩きませんか。ここは閉鎖的で、気が滅入るのです」
先の言葉には、衝撃を受けたが。
ジョンに否やはなかった。
+
インバネスは落としてしまったため、ジョンは外套を借りて袖に腕を通さず羽織った。
歩いた先に広がっていたのは、金網を頭上に張り巡らした広いスペースだった。ゴミや落ち葉やその他のものが引っかかる網の隙間から、点々と外の明かりが差しこんでいる。たぶん下等区画の街中に設けられた大きめの排水槽だ。
こつこつと歩んできた彼女は足を止めると、ゴミの隙間から注ぐ光の帯が当たる壁際で、そっと背をもたせかけた。差す光の角度からして、たぶんいまは昼を回って十四時頃だろう。寒期の風は、広い空間を過ぎ抜けてびょお、と高い音を立てている。
アッシュブロンドの長い髪を掻いて、青金石の瞳をしばたかせると、彼女はじっとジョンを見た。
「あと四日で、上に行きます。再訪する大主教を仕留めるために」
会わない方が……、と口にしたことについては触れず、彼女はこそりとそう告げた。
定められた期限。奇しくもそれは、ジョンが数えつづけた日数でもある。
現象回帰型へ至る最終実験。これを過ぎればスレイドはいまよりもさらに手の付けられない存在と化す。
仮にそうなっても、ジョンは挑まねばならないのだが。
「お前が大主教の元へ赴くことになったのは、お前の出自が故か?」
「ええ。もともとは鉄枷付きのお二人が、暗殺の任を請け負っていたのですけどね」
彼女は語る。
鉄枷付きへの依頼人は不明であるが、『上』という言い方をしていたことなどから政教分離を推し進めようという国の上層部派閥だとの見方だった。
そしてドルナクへ潜伏し機をうかがう内、鉄枷付きは流されてきたお嬢を拾った。裏でアークエ信者とも繋がりを持ち情報共有を成していた彼らは状況や大主教襲撃の報から彼女が「ローナ・ガーヴァイス」であることを知り、その殺意を利用しようとの向きになったのだという。
単なる暗殺稼業として自分たちが殺しに回るよりも。
大主教が実の娘によって怨恨から殺害される方が、センセーショナルだと考えたのだ。
――故に利害の一致から、彼らはお嬢を治療し快復後は錆び落としの鍛錬にも付き合った。痛み止めを使用すればほぼ、完治に近い動きもできるようになったらしい。
そうなればあとは乗り込むだけだった。協力者の手を借りて上に向かい、研究所内に潜伏している工作員の手引きで奥へ侵入・大主教の暗殺――それから、ある研究データの奪取を目論んでいるという。これは上に潜り込んでいるまた別の人間が行うそうだが。
とにかくも、状況はすでにギリギリのところに来ているらしい。
うつむいて地面を見つめる彼女は、現状の説明を終えると。身体の前で組んだ両手にぐっと力を込めた。
「今度こそ、わたくしの手で殺します……実父を。倒さなければ、わたくしは前に進めない」
過去に繋がれつづけた物言いで、彼女は視線に力を入れた。
「……そうか」
たった一言、それだけ返してジョンはうなずく。
彼女は彼の対応を見て、ふ、っと乾いた笑みを漏らす。
「訊かないのですね」
「なにをだ」
「わたくしが、実父を殺そうとする理由を」
「訊いてほしいなら訊くが」
ジョンは訊ね、彼女から一人分の隙間を空けた場所に、同じように背をもたせかけた。
それから一拍の間を置いて、ん、とやり取りの既視感に気づく。
「前にもお前、こんな会話をさせなかったか」
ぼやくように言い放って。
同時にジョンは、自分が先ほど彼女の事情や素性、ジョン・スミスについてどう思っていたかを訊ねようとして、結局それをしなかったことを思い出す。
なぜ、と考え――すぐに答えは出た。
じつに、単純なことだった。得心いったうなずきを、外套の立てた襟元に隠す。
横目で見やると。
彼女は、片手で顔を覆っていた。
隙間から細く絞り出すように息を吐き、そのままずるずると壁に沿って地面に尻を下ろす。頭をがしがしと掻いてアッシュブロンドの髪を乱し、膝を抱え込んでちいさく縮こまった。
「……そう、でしたね。あなたは、前もそう言った。自戒なのだと、そう言いました」
最初に組んで、急速分裂型の剣士を葬ったあとのことだ。彼女が自身の技についてなにも問わないジョンに対し「訊ねないのですね」と言い、ジョンは「訊いてほしいなら訊いてやる」と返した。
べつに、知っても知らなくても。ジョンの平穏は保たれていたから。
「そうだな。自戒、というだけだった……そこは訊かなくとも、俺の平穏には関係がなかった」
ジョンの返しに、彼女はうめく。
ローブの膝にくぐもった声を吸い込ませ、しばし黙って広いこの空間の彼方を見つづける。
やがて発したのは、ここまでの流れからはずいぶんと飛んだ話題への言及だった。
「騙していて、ごめんなさい」
ひっそりとした自罰のように、
遠い隔たりを飛び越えるように、
彼女は言う。
ジョンは黙る。
「ロコ・トァンでもなければローナ・ガーヴァイスであることも失った、友の名ジェーン・ドゥを騙る誰でもない誰かが、わたくしです」
彼女は言う。
名も亡き者であることを課せられた彼女は、言う。
「でもわたくしは、最後までそれを言い出せなかった。真実を言うことが復讐を遂げる障りになる、と思ったからではなく。あなたがそうやって、なにも訊かずに傍に居てくれたから……ロコ・トァンという、あなたが信じる像を、崩したくないと思ってしまった」
彼女は言う。
殺しの場を『見られていい姿ではなかった』と評した彼女は、言う。
「わたくしにとってロコ・トァンは。自分がなりたい姿そのものだったから」
彼女は言う。
いまそこにある自分を否定するように彼女は、言う。
「ごめんなさい、ジョンさま。本当のわたくしは……こうです。未来なんて頭にない。私怨によりあの男を殺すことしか考えていない。そのためならどんな手も使う。だれとも繋がることのできない……そういう人間です」
彼女は言う。
孤独の道を自ら選び取り進むのだと述べる彼女は、言う。
「だから、もう会わない方が良いと思っていました。本当はあの日、サミットに向かうため家を出て別れたときに……これでジョンさまやみなさんと築いてきた偽りの関係は終わりだと、そうするべきだと思っていました――なのに、また会ってしまったから」
彼女は。
名前の無い彼女は。
ジョンと同じような場所にいる彼女は。
「だから最後の機会だと思うので、ちゃんと謝っておきます。……申し訳ありませんでした。騙して、偽って、欺いて、ここに居て……本当に、ごめんなさい」
膝を抱えたまま、ひっそりと告げる。震えているようにも見えた。
ちいさな、姿だった。
頼りなくはかなげな姿だった。
年相応の。わずか十五歳の。
ひとりのか弱い人間の、姿。
彼女は偽り欺いて、そこに居た。この国の底に来るしかなかった。
たったひとり。
ひとりきりだと己の肚に決め込んで。
誰でもないと自分を定義して。
名をも失くしてそこに、居た。
……そんな、彼女に。
常に自分の横に並んできた彼女に。
――『ロコ・トァン』に。
ジョンは言う。
「別段、お前がどう振る舞っていたとて、俺は気にはならん」
「……え?」
「見せたいと思って見せた自分が、自分だろう。むしろ、俺がお前に対して危惧していたのは、……」
言葉を切り、ジョンは襟の内で幾度か語りだそうとした。
けれど言葉が、出てこない。もどかしさにジョンは思う。手があれば頭を掻き毟っていただろう、と。
でも無いものは無いのだ。ひとはできることしか、できない。
わずかに身をよじってため息をつき。
踏ん切りをつけた彼は、膝を折って彼女の横に腰を下ろした。
「俺が危惧していたのは。お前のことをなにも知らなかった俺が次にお前と再会したとき……お前が見せる別の面が、俺のことを『疎ましく思いながら接していた』と明かすのではないかという、それだけのことだった」
だから、訊く気がなくなったのだ。
事情も。素性も。それらは結局のところジョンたちと接するに至ったきっかけでしかない。自分についてどう思っていたかだって、訊いて教えてもらえるものとは限らない。それこそ偽りを混ぜて答えるかもしれないのだ。
だから、べつに構わなかった。
実際に再会してみれば、彼女はなにも変わりなく。
依然としてロコ・トァンであり。
お嬢と呼んだ女のままだった。
だから、ジョンはひどく安心したのだ。
自分と同じような場所に居た彼女が、あるがままそう在ったということに。
「お前はお前だ、お嬢」
「……ジョンさま」
「望み理想とした像も含め、お前自身だ」
「…………ジョン、さま……、っ、」
横に座る彼女は抱えていた膝を崩してジョンの肩にすがった。目元を押し当てて、震えを押し殺している。
生身の肉残る肩に、あたたかみが滲む。外套越しに、ロコの重みを感じる。
金網越しに見上げる空は灰色で、二人を取り巻く状況はなにひとつ変わらない。
生き方は変えられない。
いびつに歪んだ在り様は変わらない。
それでも。
ひとりきりではないと、そう信じることくらいは、できそうだった。




