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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
血闘

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77/86

76:再会と経路と地下水路の行方


《羽根足》はそのまま資料として置いていってくれるようで、ディアは室外に出たジルコニアを見送るためについていった。

 外に出れば当然盗聴などは心配なくなるのだが、けれど今度はどこにクリュウやヴィクターの手の者がいるかわからない。結局室内にいるとき同様に当たり障りのない、駆動鎧装研究についての話題に終始して、応接室から門への通路に出た。


「それじゃあ」

「ええ。お時間とって《羽根足》を見てくれて、ありがとう」

「いや、さすがに大企業であるアルマニヤの人間を追い返せるほどDC研究所も強気にはなれないからね……」

「あらそうなの。それなら私、家に感謝しなくちゃね。人生で三度目だわ」


 指折り数えながらジルコニアはそんなことを言う。

 アルマニヤの令嬢として、彼女もいろいろと積んできたところがあるのだろう。立場や地位に縛られるというのはディアも経験あることなので、わずかに同意を示すようにゆっくりと首を縦に振った。

 そんな様を見て、ジルコニアは目を細める。


「でもあなたはやっぱり、すごいひとね。エドワーズさん」

「……私が?」


 思わず素で返すと、ジルコニアは大きくうなずく。


そうなる(・・・・)とわかっていて籠の鳥になるのは、きっと私には無理よ。でもあなたは自ら選んだ」

「……ああ」


 そんなことか、と思いながらディアは頬を掻く。

 だって、当たり前のことにすぎない。ディアにとってジョンは――ジョンにとってディアは。どちらかだけが(・・・・・・・)しあわせになるなんて(・・・・・・・・・・)ありえない(・・・・・)

 ただ、そういう関係というだけなのだから。


「……あの芸術といっていい《銀の腕(アガートラーム)》を与えたところから察するに、あなたは。彼のために、そうしたのでしょう」


 名を聞かれるとまずいと思ってか、明言はせずにジルコニアはジョンのことに触れる。

 言われてふと、ディアは思い出す。

 ジルコニアの身内だった、アルマニヤ重工社長補佐のガルデン・ヒューイット。彼を激戦の末に手にかけたジョンは、腕の修繕の折にディアへこう話した。

 おそらくジルコニアはガルデンを止めたかったが、身内であるがゆえ殺せなかったのだろう、と。


「……あなたが協力してくれるのは、あいつに恩を返そうと思ってのこと?」


 訊いてから、しまったと思いディアは視線を外す。

 さすがに踏み込み過ぎた。どうも研究所内で孤立無縁の状況にあったことで、無自覚のうち気持ち的に弱くなっているらしかった。

 ついすがるように訊いてしまったことへのばつの悪さを感じて撤回しようとしたが、その前にジルコニアは、目を逸らしたディアの前に屈みこんだ。


「そうね。自分ではどうにもできなかったことを、代わりにやってもらったことになるから。どうしても、返しておきたいのかもしれないわ」


 泣きそうな顔で、笑う。

 後悔してきた者の顔だった。

 それでも進まなければと、前を向いた者の顔だった。


「……選ばなかったこと、選べなかったこと。それが残るってやっぱり、自分の人生を生きられなくなること、なのよね。だから、彼にそうなってほしくない。それが動機よ」


 ちきき、と歯車を稼働させる音と共に立ち上がる。


「すべて片が付くまでは、しばらくここに滞在するわ。またお話聞かせて、我が麗しの《蒸姫》」


 独特の稼働音を響かせながら、彼女は去っていった。

 ディアは去り行く背中に、我知らぬうちに頭を下げていた。


        +


 石壁に向けて素足の蹴りを叩き込む。

 がん、がツん、と狭い牢獄に鈍い音が響く。

 ジョンの足裏の角質は数年に及ぶ鍛錬でとうの昔に硬く変質しており、この程度ならば痛むどころか擦り傷を負うことすらない。

 前蹴り、後ろ蹴り。小指の付け根からかかとまでの部位で叩き込む横蹴り。

 壁から離れ、虚空へ放つ回し蹴り。繋いで、後ろ回し蹴り。

 何度かその動作を繰り返したあとで、しばし左半身に構えたまま立ち尽くす。


 じり、とにじるように左足を進め。

 右足の中段回し蹴り――からの、変化。

 腰を入れ、後ろ蹴りのように相手に完全に背を向ける。こうすることで天を向いたかかとを、素早い足の引き戻しにより相手の顎の真下から打ち上げる。

 あの列車での戦いでアブスンが見せたフェイントの蹴り技。腕が無く磨けるものが足技しかなかったジョンは、長い投獄の間にこれを完全にものにしていた。

 長い。

 長い、期間だった。

 今日で、五十六日目……。


「ジョン・スミス」


 いつもの、気のいい監視役の男がやってくる。

 ジョンは壁に吊るしたタオルに身を押し付けるようにして汗をぬぐうと、彼の方を見やった。


「ああ」

「……め、面会、だ」


 しかし監視役の男は、常の軽い口調を見失って硬い表情だった。

 それも、そのはず。

 彼は背後から首元に、長剣を突きつけられていた。わずかでも動けば頸動脈を傷つける位置で、剣の主はつかず離れず相手の反撃を許さない距離を保つ。剣の間合いに非常に慣れた態度だった。


「な、なあ、ジョン。ジョン・スミス! お、お前からも言ってやってくれ……」


 がちがちと歯の根を鳴らしながら、監視役の男はすがるようにジョンへ言う。


「お前も知ってるだろ? 俺は、単なる監視なんだ。お、お前に異常があるとか、脱獄を試みてる場合に連絡をするだけの役割で。か、鍵を持ってないどころか、ここの鍵を、見たこともないんだって!」

「ああ」

「知ってるだろ?! なら説明してやってくれ! こいつら、お前の脱獄を手引きしようってんだろうけど、そんなの無理だって教えてやってくれ! この柵がなにで出来てるかわかってんだろ?! 複層錬金術式合金だぞ!」

「もちろん、知っている」


 ジョンはうなずく。

 監視役の男は「だろっ! だったらっ――」と言って一歩を踏み出した。

 その瞬間、

 剣の切っ先が翻る。

 剣の主が長剣の刃、その側面でゴインと男のこめかみを打ち付け気絶させた。踏み出した足がへなっと力を失い、男はぐにゃりと崩れ落ちる。

 これを冷静に見据えながら、剣の主は檻の前に立った。


「……そうだ、知っているぞ」


 ジョンは剣の主を見上げ、話しかける。


「俺は、この柵が複層錬金術式合金だと知っている。力業で破るのは、千年かかっても無理だと知っている」

「そうかい」


 ジョンが繰り返した言葉に、剣の主は短く応じる。

 そしておもむろに長剣を、右上段に構えた。

 ――インヘル流、活火の型(ボルカノ)

 これを見たジョンは、ここへ投獄されてはじめて、腹の底から苦笑が沸くのを感じた。


「――は。やれるのか、お前に」

「やるさ、やってやるともさ。……というかだな、ここまで来てそれすら出来ないでは、本当にただ破獄幇助で捕まりに来ただけの阿呆になってしまうだろう。そんなこともわからないとはやはり貴様は頭がよろしくないな、狂犬(・・)

「相変わらず口ばかり達者だな。お前が動かして鍛えるべきは、頬の肉ではなく腕と足の肉だろう。そんなこともわからんようではまた、いつものように呼ぶ(・・・・・・・・・)しかなくなるぞ」

「言っていろ。貴様には二度と、あの呼び方はさせん」


 宣言し、剣を構えた男は天まで芯の通った立ち方を見せた。

 これまで幾度となく彼と対峙してきたジョンだが……このような立ち方を見たのは、初めてのことだった。

 長身に力がみなぎり、威圧感が高まる。

 剣尖に重みが宿ったようにさえ感じられる。

 腕から先に構えられた長剣が、手の延長としか見えない。

 一体。

 剣と身が、

 一体となっている。


「……前回別れたときの約束を、覚えているか――――ジョン・スミスッッ!!」


 しリッ、

 と空気が裂ける音がした。

 呼吸の練り、

 体の沈身、

 後ろ足の蹴り出し、

 腰から肩への連動、

 腕の伸張、

 手の内の利かせ。

 すべてが、同じ拍子で繰り出された。


 ――ふツ、

 と軽い音が、空気の断裂とほぼ同時に続いた。


 ……一拍遅れて。

 鍵部分を断ち切られた(・・・・・・)扉が、ぎぎぃ、と開いた。


「……あったな、そんな約束が」


 ジョンは鼻に息を通すように一音だけ笑い、牢の外に出た。

 黄土色の髪を神経質そうに中央で分けた長身の男が、いつもの面にちょっとだけ、愉快そうな色を載せてジョンを見下ろしていた。


「『アブスンから聞いた剣についての貴重な話は、いずれ私の剣で見せる』――だったか?」

「そうだ、そうだともさ」

「……よく、理解した。お前が奴から、なにを学んだのか」


 ちらりとジョンは彼の掌に目を落とす。

 それはさながら、ジョンの足裏と同じように。徹底的に痛めつけられ擦り切れ破れてなお刻み続けた、鍛錬の痕を残していた。

 正直、この男に大した剣才は無いと思っていた。

 だがそれは己の侮りだったのだと、ジョンはいまはっきりと理解していた。

 現にこの男は、最大でも五十六日。たったそれだけの期間で、言葉の上で教えられただけのアブスンの技を――複層錬金術式合金すら切り伏せる斬撃を、ものにしていたのだ。


「二度とお前を無能(・・)とは呼ぶまい……ベルデュ」


 ジョンの言葉に、ベルデュは相好を崩した。



「それでジョン・スミス。お前の監視役のローテーションは五十分区切りで『監視役の状況確認』があるので間違いないな?」

「ああ。時折抜き打ちで確認に来ることはあるが、それでもたっぷり二十分はある」


 ベルデュの手引きで地下牢獄を脱したジョンは、周囲を見回す。

 室内の明るさには慣れるまでしばし時間がかかったが、そこは……迎賓館の一階、生活区画内だ。

 どこかと思えばジョンが通路に両脚を突っ張って賓客を股下にやり過ごした、あの階段の踊り場である。壁に偽装されていたここが地下への入り口だったのだ。

 急いで階段を駆け上がり、ベルデュが開いた扉に滑り込む。

 そこはあのときの大主教居室よりは狭いが、それでも十二分に広さを保つ一室だった。

 奥の応接机近くに、ジョンは見慣れた人物の姿を認める。


「ディア」

「――っ! よかった、無事で!」


 車椅子を走らせてぶつかってきたディアを胸板で受け止める。首っ玉へかじりつくように抱きついた彼女の体温と匂いを間近に感じて、ようやくジョンは冷たい地下牢を出たことを実感した。


「手間をかけたな」

「ううん、いいの……それより、そうだ。早く腕付けなきゃ」

「ああ。――二十分以内で付けられるか?」

「余裕。十分でいける」


 さすがの返答を成す《蒸姫》は、ジョンの胸元から顔をあげるとにこりと笑った。

 車椅子の前にひざまずいて彼女を座面に下ろし、ジョンは横に来たベルデュによっていつもの袖のないシャツをかぶせてもらう。「久方ぶりに新しい衣服に袖を通すな」とぼやけば、ベルデュは「貴様は通す腕がないがね」とお株を奪うようなことを言った。

 次いでソファに腰かけながら、部屋を見渡してジョンは言う。


「して、この部屋はどうやって確保したのだ」

「ブラウン・レフト卿の助力だ。第七の隊長がイブンズ医師に働きかけ、彼女と繋がりのあったレフト卿が脱獄に手を貸してくれたんだよ。いまは下の階で人払いをしてくれている」

「あと、アルマニヤさんも助けてくれたよ」


 ソファの横にやってきて、《銀の腕(アガートラーム)》を用意しながらディアが言う。まさかここで出てくると思っていなかった人名に、ジョンは首をかしげた。


「……あの女が?」

「うん。きみが解決した事件のときに、思うところあったみたいで……とにかく。いろんなひとの助けがあって、やっと今日ここにたどり着けた」


 がちゃり、と両腕がジョンの脇に置かれる。

 懐かしい鈍い耀き。騎士甲冑を思わせる無骨なフォルム。腕を失ってからの年月を共に過ごしてきたのと同型の品が、再び彼の元へ戻ってきた。

 右腕から、腕の取り付け工程をはじめる。肉残る二の腕に繋げる際、ディアは心配そうな顔で一瞬こちらを見つめた。

 けれど五十六日もの間両腕が無い状態を過ごしていたため、いまさら声掛けも要らない。「はじめてくれ」と自分から告げて、ディアの施術をうながした。彼女はこくりとうなずき、疑似神経回路の接続からはじめる。

 はたで施術完了を待つベルデュは、腰に納めた剣の柄頭に左手の指をとんとんとせわしなく打ち付けながら、右手ではなにやら図面を見つめている。難しい顔をしていた。


「ベルデュ、それはなんだ」


 声をかけると彼は近づき、ひらりと図面をローテーブルに置いた。

 複雑な分岐と合流の繰り返しでかたちづくられた迷路と、横に今後の流れが書いてある。


「地下水路の図面だそうだよ、ジョン・スミス。この迎賓館裏手にある、水害避けの貯水槽から地下へ降りて逃亡する経路を示しているのさ」

「地下か。それこそ、ガルデンとジルコニアの事件のときに潜ったな」

「私も水葬部隊として上等区画で動く際必要なのでね、ある程度は把握している。ただ現状が、ね」

「逃亡の障りになることでもあるのか?」

「警備ローテーションが変わっている。サミットのとき、下等区画で貴様らもよく口出しされただろう?」


 言われて思い出す。あのときジョンたち騎士隊も、ずいぶん警備のルート・ローテーションに突発的な変更を加えられた。


「面倒な、本当に七面倒くさいことに。四日後に大主教再訪も控えているのでね……上の連中からのお達しで、『下等区画に通ずる場も巡回せよ』との命が回っている様子なのだよ」

「地下水路にも警備がいる、と?」

蒸気式昇降機エレベータ険難の道(スティープヒル)を除けば直接に下から上へ抜けられる唯一の経路だからね。まあ、切り立った岩肌と急斜面誇る火の山を駆け抜けてくるのなら話は別だが」

「……地下水路に潜む奴らを倒さねばならんか」

「それも殺さずに、だね。相手は吸血鬼ではなく人間なのだから」


 言ってベルデュは剣を抜くと、両刃の片側に指を滑らせた。そちら側は刃を潰しているようで、彼が逃走中の戦闘も想定していることを匂わせた。


「やれるのか、お前は」

「インヘル流は場所を選ばない自在さが売りなのだよ」


 そういうことではなく気構えを訊いたつもりだったのだが。まあ、ここまで来てしまっている以上訊ねるのも無粋というものか。

 ジョンは黙って「……恩に着る」と口にした。ベルデュは乾いた笑い声をあげ、「貴様から『恩に着る』などと聞く日が来るとは長生きしてみるものだね」と言った。

 そうした具合に現状の確認をつづけるうち、宣言通りに十分足らずでディアは腕を装着し終えた。額の汗をぬぐい、防水カバーボードと装甲を取り付けていた工具を車椅子の肘置き下にある収納へしまいこんだ。


「……よし、完了。アクチュエータは特に損傷もなかったし、これでばっちり」

「ああ。感謝する」


 す、っと立ち上がる。

 慣れた重みが左右にぶら下がり、二の腕と肩の筋肉が張るのを感じた。

 動くには、支障ない。蹴りも通常通りに打てそうだ。


「俺の靴とインバネスはあるか」

「そっちの椅子に」


 ディアに示された先を見れば、足になじんだブーツが置かれ、いつもの膝丈インバネスが引っかけられていた。

 足をブーツに納め、椅子の後ろから屈む。襟の後ろを噛んで持ち上げ、首を回して肩にまとわせた。

 磁石でできた釦が首元と胸の前でばちん、バチンと留め、いつもの恰好が仕上がる。


「やはりこれを着ているほうが落ち着くな」

「……あんな石造りの寒い牢の中、よく半裸に裸足で生活できたものだよ貴様」

「貧民窟にいた時期もあるからな。寒さには慣れているだけだ」


 平然と返し、ジョンは扉の方を見据える。

 ベルデュは肩をすくめて応じ、ディアも車椅子の上で身を乗り出すようにした。


「では……そろそろか」


 ジョンが声をかけ、ディアの前で屈みこんだ。

 いかにディアがDC研究所の技術長であっても、脱獄幇助だつごくほうじょまで成したのではもう立場の護りはあるまい。そしてジョンにとってディアは、ディアにとってジョンは――互いに、互いの人質足りえる。

 そうある以上、もうここからは離れることなどない。


「共に、行くぞ。ここまでしてくれたお前を、俺はなんとしても守る」

「……うん」


 彼女はうれしそうに両腕を伸ばす。ジョンが背を向けると、インバネスをめくりあげて襟元に首を通し、おぶさるかたちになった。

 あとはベルデュが持参していたベルトで二人の胴回りを結び付け、振り落とされないよう離れないようにした。


「これでいいな。ならば来い、ジョン・スミス。下等区画へ逃げきるまで私が先導する。最初に貯水槽を降りる際に梯子がつづくのでね、腕を使えるように準備だけはしておいてもらおう」

「了解した。……ディア、少し熱がこもるが」

「大丈夫。平気」


 力強い言葉にそうか、と返して。

 三人は静かに開いた扉から、外へ踏み出した。


        +


 図面に記載されていた計画の流れとしては、このまま地下水路を経由してディア、イブンズ、ベルデュといったこの脱獄に加担した人間全員が下等区画の拠点へ逃げ込む予定だという。

 ちなみにジルコニアは伝令役として働いたのみで、かつ大企業令嬢という立場からまず追撃を食らわないとのことでそのまま上等区画に居座ることになっている。

 レフト卿も都出身の王族関係者である点でかなり手出しをされにくいが、直接的に逃亡幇助をしてしまっているのでやはり、逃げて下等区画で落ち合うこととなっていた。彼の場合身柄の拘束に時間がかかればそれだけで『上』から警察や騎士団への圧力がかかり、捜査精度が相当に落ちるのだという。

 よって、危険なのは身分的にも立場的にもバックがなにもないジョン、ディア、イブンズ、ベルデュ。この四名だ。


「拠点というのはどこにある」

「もうひとり協力者(・・・)がいるようでね。その人物が落ち合う地点から案内してくれるとのことだよ。イブンズ医師はすでにそこに逃げ込んでいるとのことだ」

「そうか」


 段階を挟むことで情報漏洩を防いでいるのだな、と考えながらジョンは走る。

 上等区画の地下。前々日の雨の影響でまだかなり流れが速い、水路脇。生活排水のすえた臭いと激流の水面に浮き沈みするゴミに並走しながら、ベルデュを先頭に走っていた。

 頭上一メートルほどの位置まで黒ずみ、粘り気のある汚れがこびりついた壁面を見やるとここが排水時に相当な高さまで汚水に埋まることが予想される。まだいまはこのように広く幅のある空間を駆けているが、図面で見た限りでは先の道で頭の高さギリギリの通路も使うようだった。


「ディア、大丈夫か」

「大丈夫。むしろきみに負担かけてて、ごめんね」

「大して重くはない」


 ディアは走るときの重心移動にうまく付き合ってくれているようで、思ったよりもジョンは楽に動くことができていた。車椅子の乗りこなしで身につけた技法だろうか、と頭の隅に考える。


「ならば、熱くはないか」


 梯子は相当に高さがあったため稼働時間が伸び、少々駆動鎧装も熱をもったため訊ねておく。横目に見やった彼女はわずかに汗をかいてはいたが、「平気」と気丈な振る舞いを見せた。

 ならばもう、なにも言うまい。

 ここまで覚悟を決めて共に進むと決めた人間に、これ以上を問うのは侮辱だ。



 ――――しばらく進み、腕の熱も抜けてくる。

 するとベルデュが足を止め、じっと行き先を見据えた。


「この先の三叉路を右に行って、緩やかな下りの終端に来たら、水路を越えて反対側で左折。さらに向こうで警備の動きがあるので、一〇時二〇分の巡回を止まってやり過ごしてから右折……その先に舟が在る、ということだったかな? 蒸姫」

「うん。そうだよ」

「承知した、承知したとも。……あとはこのまま戦闘にならないことを祈ろう」


 道を確認して片手を振り、ベルデュは先を進む。

 周囲の気配に神経をすり減らしながらの歩みは、思った以上に体力と気力を使った。

 進んだ距離で言えば貯水槽に降りてここまでの三十分で、体感およそ一キロ程度。だが警備の範囲に入ってからの十五分では、そのうち二百メートル程度しか進めていない。

 時間的に、もう迎賓館の監視役が見つかってしまったのだろう。遠くからでもわかるほど、目視した警備の者の顔つきはぴりぴりとした空気を孕んでいた。警戒の伝令が為されているのは間違いない。

 いざとなれば、戦うしかない。

 狭い通路の上で蹴りを駆使することを想定しつつ、ジョンはベルデュの長身の背中をつかず離れずの距離で歩んだ。

 宣言通りに三叉路を下り、坂の終端。

 幅の狭い水路を飛び越えて、頭上数センチが天井という狭い道を、肩幅縮こまらせるように抜けて……

 脱出用の舟が隠してあるとの位置まで残りわずかとなった。

 しかしその先で、うろつく人影をジョンたちは認めた。


「……警備か」

「そのようだね」


 声をひそめて確認し合う。

 道から出た先、右折した向こうは左へ大きく曲がっていく幅十メートルほどの水路になっており、進行方向に男たちが三名立ち尽くしていた。

 けれど気を抜いている様子でない。なにやらひそやかに話し合い、立ち姿も両足へきちりと等分に重心を配したもの。腰の警棒をすでに抜いており、こちらが近づけば即座に攻撃してくる気構えが見受けられた。


「殺す気ならば刃物だろうから、まだ痛めつけて捕えようとの警戒レベルだろうかね」

「俺とお前は殺すもやむなしと思われているだろうがな」

「ちがいない。ああ、ちがいないね」


 嫌な予想を話し合いながら、ジョンとベルデュは歩んでいく。

 ことここに至っては、強行突破しかない。すう、と息を吸い込んで距離を詰めていき、向こうが反撃に移る前に片を付ける。

 腰から抜剣したベルデュは剣を天高くつきつけた活火の型(ボルカノ)にて間合いを詰める。腰を落とした姿勢で一歩一歩の幅を自在に変化させることで接近のタイミングを相手に悟らせない、インヘル流の技《陽炎ヒーテイズ》を使っていた。

 前進の勢いを載せた縦切りは防ごうと掲げた男の警棒ごと鎖骨にめり込み、動きを止めた。まずひとり。

 次に駆け出してきたひとりが、倒した男の影から左の前蹴りでベルデュを狙う。


「させるか」


 一拍前に飛び出したジョンが割り込む。蹴りが最大の威力を持って伸びきる前に、脇腹の辺りで威力を殺しながら受け止めた。

 同時に右足を、相手の左足の外から回すように絡めた。

 相手の膝上に、自分のくるぶしをあてがうようなかたちだ。慌てて男は蹴り足を引こうとしたがもう遅い。ジョンが体を相手の方へ押し込み、受け止めた足裏を脇腹の位置に、かかとを足の付け根の上に固定したまま身を沈める。

 地面に尻をしたたかに打ち付けると同時、ごりゅんとくるぶしの辺りから破壊の音が感じ取れた。膝関節、十字じん帯を切った感覚である。蹴り足潰しの関節技だった。


「ベルデュ!」

「わかっている!」


 残るひとりに躍りかかるベルデュ。

 長剣を再び天高く構え、防ぐなどできない威力の一閃を放つ。先の男が受け損ねたことにおびえていたのだろう男は、あえなく同じ傷をもらってうずくまった。

 邪魔な人間は消えた。あとは舟の隠し場所まで行くだけ。

 ベルデュは警戒を保って剣を構えたまま、顎でしゃくるように先へ行くことをうながした。


「走れジョン、――ッ!」


 途端にベルデュはジョンの後ろを見て苦い顔をする。

 すぐさま横を抜けようとしたところのジョンに、肩で突き押すようにぶつかった。

 なにをする、と思ったときには「ガシュン」と蒸気の排出音。

 次いで飛び散る赤。

 ぬるい液が顔にしぶきとして降りかかる。


「ベルデュ!」

「ベルデュさん?!」

「掠っただけだ、速く走れ!」


 右肩から出血しながら、ベルデュは叫ぶ。

 後方には杭弾銃パイルガンを構える者たちがばたばたと現れていた。二人、三人、四人五人六人七人――


「お、多過ぎない?」

「地下水路の警備にこれほど割くものか……?!」

「ああ、まったく。どこの手の者だろうね――くそぉっ!」


 ベルデュが懐に手をやり、鞘から抜いたナイフを投げつける。

 近づこうとしていた杭弾銃の男の大腿部にドズっ、と突き刺さり動きを一瞬止めた。これで周りの奴らの動きに硬直が出れば……と思ったのだろうが。

 負傷したはずの男は、まるで意に介さない顔つきでナイフを引き抜いた。

 相当な深手のはずだが、杭弾銃を構えたまま猛然と駆けてくる。そこには痛みを気にした様子もなければ出血に足を取られる気配もない。

 そもそも。

 ナイフの根本近くまで突き立ったはずの傷口から。

 ほとんど、血が出ていない(・・・・・・・)


「吸、血鬼、」

「《血盟アライアンス》だ!」


 ジョンが叫び、足元の警棒を蹴り上げる。喉元に叩き込まれたことで呼吸が乱れ、さすがに相手の足が止まった。

 この隙に距離を空け、曲がり角へ駆けこむ。

 ああ――しくじった。

 装備品の明らかなちがい、投入された人数の多さ、手傷をものともしない回復力。

 間違いない。あれはクリュウたちの指示で動く《血盟》だ。

 スレイドも居たのか? ……いや、居たところで現状では仕留めにいく前にこちらが討たれる。

 最悪の状況だった。


「……高をくくっていた。ここまではしないだろう、などと」

「まったく現実というやつは、いつもままならないものだね」


 毒づきあい、ジョンとベルデュは駆ける。その間も背後からは蒸気排出の音が響き、都度壁面に弾痕が刻まれていく。

 なんとか次の曲がり角に逃げおおせたところで、ジョンとベルデュは舟を見つけた。

 普通に歩いていれば薄暗さや足を滑らせたくない心理の働きでまず確認しない場所、つまり頭上に。事前に運び込まれた小さな舟が、吊るされていた。

 わかりづらいが細いテグスが伸びており、手を伸ばせば届く位置に打ち込まれたフックに繋がっていた。アレを切れば舟が落ちてくる。

 けれど、いま乗りこんでもいい的にしかならない。


「ここまで来て!」


 ベルデュはうめいた。

《血盟》の足音は徐々に近づいている。

 狭い通路という地の利を生かして挑んでも、奇襲もできない状態で何人倒せるか。よしんば数人倒せても、その先ディアを守りながら戦うのは相当の難事となる。


「……オブシディアン・ケイト・エドワーズ技術長」


 悩み、歯噛みしているジョンたちのいる場所へ、低い恫喝どうかつするような声がかかる。

 曲がり角の向こうで足を止めたらしい《血盟》たちの影が、彼らの持っていたランタンの光によって長くこちらの方へ伸びている。

 恫喝する声は、言った。


「投獄されていた人物の脱獄ならびに逃亡の幇助、自身の職務放棄と脱走。どちらも重罪ではあるものの、いまはまだ『あの御方』たちの温情により、あなたには助かる道があります」


 暗にそれ以外の選択をすれば道はない、と示しながら、《血盟》の男は一拍の間をおいてつづける。


「投降してください。助命を乞えばあなたに関しては無傷での連行を約束します」

「……この二人は?」

「まぁ。無傷とはいかないでしょう」


 曖昧な返事だった。

 ジョンが思うにこれは「命だけは取らない」とも聞こえるが、連れ帰る過程でディアへの見せしめとして相当の拷問に遭う可能性もある発言だった。

 要するに。

 ただの、確認だ。

 鼠を捕える前に猫が甚振いたぶるのに近い、趣味の悪い確認作業。上下を相手に認識させる、単なる示威行動。


 ……どうする。

 腕は使える。《杭打ち》も残っている。一人目、二人目を止めることは可能だ。

 けれど三人目以降となれば、こいつらは仲間を貫通させてでもジョンとベルデュを狙い撃つ。数発弾丸を食らおうとまったく問題のない吸血鬼とちがい、一発でも受ければ致命傷になりかねない人間二人を確実に仕留められるなら間違いなくそうする。

 となれば、全員の動きを一瞬、止めなくてはならない。

 どうする。

 どうすれば。


「……どうすれば、いい……!」


 切り抜ける手を考え。考え尽くして。

 焦りに精神を取り巻かれていたジョンは、胴回りに帯びたベルトが緩んだことに気づかなかった。

 ばちん、と磁石の釦が弾けてインバネスが落ちる。

 ふっと、背中が軽くなった。


「……なッ、おい、」


 ディア、と最後まで名を呼ぶことはかなわず。


「大丈夫」


 はかなげな声がして。


「私は――選ぶ(・・)よ。どんなときだって、きみを」


 果敢無はかなくも強い宣言が聞こえて。


 次の瞬間複数の音と展開が、水路と通路を埋め尽くした。


 ――ドバしゃッッ、


 と凄まじい水音が轟き、まず舟が落ちた。


 そのとき膝裏をがくんと押し込まれていたジョンは、ぐらりと崩れて水路に落ちる。まだ舟のしぶきと音とが舞い散る水面に、落ちる。顧みた背後でジョンを押したのは――ベルトを外して地面に降り立ったディアだった。

 次いでベルデュが一瞬のうちに、ディアとジョンに目を走らせた。

 口惜しそうな顔で、そのままジョンの方へ飛び込んだ。ジョンが、駆動鎧装の重みがために泳げないことを知っていたのだ。

 ざぶん、と沈み込んだ水中でベルデュに首筋を捉えられる。

 水流は――――速い。

 耳だけでなく全身に伝わるごうごうとした流れの音は、陸の生き物にとっての根源的な恐怖を呼び起こす。

 しばらく流れた。流されつづけた。頭が上になったり下になったりして、次第に上下左右がよくわからなくなってくる。

 やっとのことで二人浮上し、ぷぁ、と息をした。その脇にヂュン、と弾丸が沈むのが見えた。

 弾丸を避けるべくまた沈む。

 浮かぶ。

 その間隔が短くなる。

 けれど弾丸の音は、だんだんに遠くなる。

 ディアも。

 どんどん遠くなる。


「っ――――く、っくぅ、そっ、……」


 ざぶん、どぶん、と浮き沈みを繰り返して喘ぎながら、ジョンは離れていく彼女を見やる。彼女がいるはずの方向を見やる。


 彼女の言葉が耳によみがえる。


 きみは私のもの。私はきみのもの。


 私のしあわせがきみのしあわせ。


 きみのしあわせは私のしあわせ。


 どちらかだけがしあわせになるなんて、ありえない。


「――――ディア――――ッッッ!!」


 ジョンの叫びは波にのまれ、消えた。


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