75:破獄の準備と手筈と協力者
現象回帰型の最終実験まで、残り十四日。サミットから四十六日目。
「では本日の会議は終了だ。各員持ち場へ」
ヴィクターからの指示で、薄暗い会議室の中ではぞろぞろと立ち上がる影が多数。
ディアは自身が先に出ると車椅子のために手間取るので、しばし会議場にそのまま残っていた。
机の上の資料には、『多脚型蒸砲戦車五機の運用試験における上等区画への搬入』『全身駆動鎧装・一番槍の耐用実験ならびに研究所地下へ搬入時の諸注意』などと記載されている。
実験、と名がつくものには吸血鬼を用いるというこの場における暗黙のルールが、ディアにもやっと理解できてきた。
この国は、どんどん軍拡に進んでいる。
防衛力強化のためなどという建前を押し出しながらその実、他国侵略を目的とした素地が計画立案にあるのは明らかだ。
それは、だれかが高らかに宣言するのではなく。
さながらパレットの絵具へ色を混ぜ込んでいくように。「そのような方向にも向けられる」うっすらとした意図を多数の人間がわずかずつ投入し、だんだんと周囲の認識を変えていくものだろう。
赤に青を少しずつ混ぜ、いろいろな人々に「いま、紫ですか?」と訊く。もしも紫に嫌悪を示す者が多ければ、またほかの色を混ぜて方向性を変えていく。そういうことの積み重ねの先に、他国侵略という目標が掲げられている。
……色を混ぜすぎてなにもかも台無しの『黒』に染まらなければいいが。
「ふう」
考えても仕方がない。国の趨勢などディアにはどうにもできないのだ。
いま考えるべきは――ジョン。彼を牢から出すことだ。
人気が無くなった会議室をあとにして自分の研究室へ戻ろうとしたディアは、廊下で資料を見つめているブルケットに会った。
彼はにやっと笑って片手を挙げ、資料を丸めるとポケットに押し込んだ。
「今日は捨てないんですか」
ディアが言えば、彼はぽんぽんと資料を掌で叩く。
「必要な資料は捨てねェさ。俺の仕事もいろいろなんでね」
「そうですか」
「だいぶ会議にゃ慣れてきたみてェだな。いいことか悪いことか、微妙なとこだが」
言いつつ、ブルケットはディアの車椅子に歩調を合わせてついてくる。ディアも前に話したときに彼が悪い人間ではないと判じていたため、とくに突き放すこともなくこれに応じた。
「そういや雑談だが、エドワーズ。お前は研究所に住んでるクチだったかね?」
「はい。わざわざ居住する場と研究の場を分ける必要性を感じないので」
「おお、ストイックだな……俺ァ日常生活と研究生活でメリハリ付けて頭の使いどころ変えるのが、いい発想の源だと思ってるタイプなんだがね。まァでも家がないならそれはそれでいいか」
「持ち家があるとなにか?」
「いやね、ここんとこ物騒だろ。上等区画だってのに先日も毒殺騒ぎ、あったろが」
その言葉に、ディアは車輪の持ち手をつかむ指へ力がこもるのを感じる。
努めて変な態度を出さないようにしたが、内心では先日のスレイドとの会話――もう十日ほど前だ――が頭をよぎる。
毒入りの酒をヒップフラスコに納めており、これから暗殺へ出向くとの意思を言葉に載せたスレイド。実際あれから一夜明けて、上等区画の貴族が一名毒殺されるという非常事態が起きていた。
現場には、毒入りのグラスが二つ。
どちらにも毒が混入されており、そしてどちらも……口を付けて飲んだ形跡があったという。
スレイドだ、とディアは直感した。吸血鬼である奴ならば、毒を口にしても即座に死ぬことはない。同じものを口にして相手を安心させ、確実に葬る。そのような暗殺が可能なはずだ。
考えをめぐらす彼女の横で、ブルケットは飄々とした態度でつづける。
「だから持ち家あると、きっとここよりは警備薄いだろうしな。お前がそういうのに巻き込まれる可能性も、ないわけじゃねェだろ? おっさんとしちゃ少し気になったわけだ」
「それは、お気遣いどうも」
「いやいや。にしても、どうもきな臭いよなァここんとこ。ほかにも蒸用車の盗難が数件あったみてェだし……サミットが終わって警戒態勢が緩んだってことかね。再来週は大主教サマが来るってんだから、そこはしっかりしといてほしいところだが」
「大主教様、って……あなた、ヴィタの信者なのですか?」
「ん? あァいや。とくにそういうのはないがね。まあ、なんとなくだ、うん」
手を振り、白衣のポケットに突っ込む。細い目つきで廊下の向こうを見据えながら、ブルケットはなんとも言えない顔をしていた。
そんな彼に、ふと思いついてディアは言う。
「ときにブルケットさん」
「おう、なんだ」
「頼みごとをしても、構いませんか。大したことじゃないんですけど」
「前置きされるとなんか怪しく聞こえるなァ。内容によるけど、言ってみ」
「本当に大したことじゃないんです。十日後、個人的にレフト卿と迎賓館にてお会いする約束がありまして――」
言えば、ブルケットは怪訝な顔をする。都出身の彼は、王族にも近い出自で変わり者と評判だったレフト卿のことをある程度存じているのだろう。
だがさすがに知るまい。
いまレフト卿が、ディアに協力し……ジョンの破獄に手を貸そうとしているなどとは。
きっかけは単純で、ついこの間のことだ。
クリュウに言われるがまま出資者としての顔を持つレフト卿のところを訪ねたとき、向こうから切り出されたのである。
元よりレフト卿がイブンズ・ドラブロ……ジョンの命を救い彼に駆動鎧装を与える際に協力してくれた女傑と、《夜風の団》パトロンとして繋がりがあることは知っていた。とはいえまさか彼女を通じてジョンの救出に助力すると申し出てくれるとは、思ってもみなかった。
だが、イブンズのことは信頼できる。
彼女は一度かかわりを持った患者は絶対に投げないし、その完治までなんらかのかたちで寄り添いつづける。
そして彼女はジョンの傷について――治らない、と。そう言った女だ。
だから、信頼できる。
考えから覚めて、ディアはブルケットへつづけた。
「――そのために、車椅子を載せられる蒸用車を門前に回してもらえませんか」
「ふうん? なんで自分で呼ばないんだ?」
「私、技術長の立場があり階級こそ上の方ですけど。……年齢がこんななので」
両手を広げて、肩をすくめて見せた。ブルケットはそれで理解したようで、「あー」と苦笑を漏らしている。
要するに、若年で出世したディアへの組織内での嫉妬である。研究所にとっても有力なパトロンであるブラウン・レフトと個人的な付き合いができたなど、ほかの研究員たちからしたら面白くない話だ。
車を回す際は理由と時刻を申告する必要が生じるので、ディアが先日の訪問でなにかしらの関係性を築いたとの勘繰りはすぐに広がる。
「なので、ブルケットさんに『迎賓館行きの用事で私を連れてく』との用向きで配車手続きをお願いしたいんです」
「まァ、俺ァもともと招聘客だからあすこに行くのもとくに不自然ねェしな」
「でしょう」
「手間っちゃ手間だが……」
「そこはほら。この間、無理をするなと言ってくれたじゃないですか。私も、あまり無理をして敵を増やしたくないんです」
揚げ足を取るような物言いだが、真剣なまなざしで言う。
ブルケットは真っ向から視線を受けて、口の端を曲げた。
「言質取られた感じだな。うまい言い回しに免じて、今日のところは受けてやるよ」
「ありがとうございます。あと、乗る人がほかにも一名いるんですが。そこは構いませんか」
「ん、だれが乗る?」
「騎士団の方です」
研究者であるディアと騎士とのつながりが見えないからか、ブルケットは不思議そうな顔をした。すぐにディアは言葉を継ぐ。
「ここのところ上等区画も物騒だと言ってましたけど、十日前に吸血鬼騒ぎがあったでしょう」
「あー。たしか高級住宅街、レフト卿の屋敷の近くで」
「それです。その際に私、少し巻き込まれまして。巡回していた第八騎士隊――水葬部隊と呼ばれる、葬儀礼の手順を踏まえるための部隊に所属する方に助けられたんです。どうもその方にも、レフト卿がご用事あるようで」
「ははァ、そういうことなら否やはねェが。そんじゃ乗るのは三人だな、了解。車一台回してもらっとくよ」
「ありがとうございます」
移動の足が整って、ひとまず安心した。
あとは、ほかの算段を整える。
八階から自室のある五階へ向かうため、ディアは昇降機に乗り込む。鉄籠の中でブルケットは二階、つまり研究所の通用口へ繋がる階を押した。
「お出かけですか」
「戦車の搬入の件でな。ちと下に」
「いま上等区画、遅い時間だと取り締まり厳しくなりますから。早めに戻る方がいいですよ」
「忠告痛み入るよ、蒸姫」
五階で扉が開いたので、ディアは車輪を回して降りる。ブルケットは閉じ行く扉の向こうで片手を振り、「まあ頑張れや」と言い残して去っていった。
きいきいと、車輪を回す。
薄暗い廊下を進んでいくと、壁面に灯るぼんやりとした赤いランプの脇に、立ち尽くす人影がある。
近づくうちに姿を認めたディアは、懐から室内に入るためのパンチカードを取り出しながら相手に声をかけた。
「こんにちは。……アルマニヤさん」
「ええ、ご機嫌ようエドワーズさん」
細長い包みを持っていた彼女は――猫の足を模したような駆動鎧装《跳妖精》を装備した、ジルコニア・アルマニヤ。
このドルナクの産業区画にも巨大なプラントを持ち、駆動鎧装研究などでも様々な成果を持つアルマニヤ重工の令嬢であり……いつぞやジョンとロコにより解決された吸血鬼事件の、ある意味で元凶ともなった存在である。
彼女のせいでジョンは渡らなくともよい危険な橋を足場にすることになった。その辺りを考えると複雑なため、どうにもサミットで遭遇した際もつっけんどんな態度を取らざるを得なかったのだが……
「待ってたの? 時間まで研究所内見ててもよかったのに」
「いえ。そんなわけにもいかないわ。ほら、せっかくあなたに――《蒸姫》とまで呼ばれた技師に、自分の作品を見てもらうのだから」
胸に抱いた細い包みは駆動鎧装だ。おそらく中身はアルマニヤの集大成と言える傑作《羽根足》。サミットでも自動重心制御の機能で以て、かなりの高評価を得ていた逸品だ。
うなずいて、ディアはパンチカードを壁面の差込口へ突っ込む。
かち、キン、と鍵が解除された部屋の中は、今日も今日とて書類や資料の山が車椅子の通るぎりぎりの幅まで積まれており、ジルコニアもおっかなびっくり入ってきた。
作業机に、受け取った細い包みを置きながらディアは会話をつづける。
「先日、急に訪ねてきたときには何事かと思ったけど。まさか、駆動鎧装の出来を見てほしいなんて依頼だとは思わなかった」
「ええ、突然に不躾だとは思ったのだけれど……サミットのときにお会いしてから、ずっとお話をしてみたいと思ってたのよ。この《羽根足》も、その他の駆動鎧装も、研究に携わる中で私は常にあなたの作品を意識していたから」
「持ち上げてもらうのはうれしいけど。姫の評価は、辛口だよ」
「覚悟の上よ」
箱を開け、中に納まっていた一対の駆動鎧装を取り出す。
複層錬金術式合金を用いているにもかかわらず、非常に軽い。余分な蒸気機構などを一切持たず極限の軽さと扱いやすさを追求したというのは、伊達ではないようだ。
触れた感触と重心位置から察するに、複層錬金術式合金も部位を絞って使用している。全体はもっと軽い合金で作成して、ウエイトを削り切った印象だ。
サミットでの発表内容からすると、この足は自動重心制御により装着者の『慣れ』が非常に早いらしい。これまでの駆動鎧装だと平均して二ヶ月から三ヶ月はかかっていた歩行訓練がものの数分で終わるほど、この足は使い手に負担をかけないようになっているという。
……決め手はこれまで蓄積してきた修理実績のデータか、とディアはあたりを付ける。アルマニヤの駆動鎧装はアフターサービスを価格に盛り込んだもので、歩行訓練と修理依頼のシステムを早い段階から確立していた。
おそらくはその二つの作業の中で、パーツの摩耗や故障の多い箇所・歩行訓練時の稼働状態などをデータとして残していたのだ。これを利用して自動で重心移動を補助し、装着者の動きに最適化する仕組みをつくったに相違ない…………
と。
つい本気で、研究者の視線になってしまった。
ディアはごほんと咳払いし、ちらりと横目でジルコニアを見やる。
……あー、という、なんとも言えない表情で彼女はディアを見つめていた。すぐにきりっとした真剣な顔つきに戻ったけれど。明らかに「研究馬鹿だ」という表情だった。
少し気恥ずかしくなって視線を逸らし、また、『表向き』の会話に切り替える。
同時に『本題である』会話を――駆動鎧装の納められた箱の底に仕込んであったメモ書きによる筆談を、開始した。
「雷電制御のパーツ見たいんだけど、カバー外しても発条が弾けたりしない?」
「一層部分までのカバーは問題ないわ。でも雷電制御の奥の機構を確かめるなら二段階のロック解除がいるのよ。手順を踏まないと開かないようになってる」
「ああ、モスコー式の組鍵機構。スライドアタッチメントのタイプ?」
「一手目がスライドで二手目がプッシュよ」
「《跳妖精》と同じだね。わかった」
表向き周りにそうと聞かせるための会話をつづけ――一方で、メモ書きにペンを走らせる。
じつはこの部屋は盗聴されている。鬱陶しいことに部屋に入るときに自動で蓄音機が作動するようになっており、ディアに自由を許さないようになっているのだ。
ずうっと昔、それこそこのDC研究所へ彼女が囚われたときから。理由あってここへ身売りしたようなかたちの彼女が、いつか離反する可能性を上は常に危惧していたのだろう。
……こんなものがなければ先日ジョンを連れ込んだときに、もう少し大胆なおこないをしていたかもしれない。
まあ、それはともかくとして。
『ゴブ兄に連絡は取れてる?』
『あまり近づくと怪しまれるから、イブンズさんと《夜風の団》を通じて受け渡しをしてもらってるわ』
『みんな動ける状態?』
『ひとまずは第七騎士隊のみなさんで、常に一名は手が空くようにしているそうよ』
『じゃあ経路さえわかれば大丈夫だね』
打ち合わせを進め、ディアはさらさらと図を描く。
地下の水路だ。侵入口は迎賓館裏手にある貯水槽。そこから下って、水路を抜け、下等区画へと降りる。
落ち合う場所を決めてバツ印を打ち、ディアはジルコニアに目配せした。
『ゴブ兄たちに言っておいて。水路を舟で下って、ここに行くって』
『でも複層錬金術式合金の檻は、破れるの?』
『手筈はもう整ってる』
ディアは薄く笑い、
最後にメモに付け足した。
『決行は十日後。そこで、ジョンを脱獄させる』




