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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
密会

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73:検屍と証明と遠方からの助け


 下等区画、路地裏にて。

 腹痛薬に似た青臭さを漂わせる粉末の薬包を落とした男が、怒りの形相で対面する者をにらんでいる。

 ふう、ふっ、と荒い息遣いで相手に威嚇しており、ついにその感情は、決壊した。


「……おおおおおおおおお!」


 叫びを上げつつ、相手に突進する男。その面相は土気色で、目は血走り、犬歯がむき出しになっている。

 完全に本性を現した吸血鬼だ。

 しかもその手には剣。周りに転がっている被害者――騎士団所属の人間を攻撃して奪い取った、正式装備の複層錬金術式合金製だ。

 構えは右上段。顔の横に剣の鍔がくるように両手で保持。

 腰を低く落として、運足は一歩一歩が大きくも小さくも変幻自在。


「ああ。インヘル流の活火の型(ボルカノ)からの《陽炎ヒーテイズ》か」


 冷静に技を見切り、男の相対する者――第七騎士隊所属の騎士ブルーム・L・ガルシア――人呼んで《人狼ルーガルー》のルーは、刺突剣レイピアを右片手中段で真半身になって構えた。

 こちらは腰を落とさず、足の間も肩幅より開かない。高い上背はしゃんと天に伸びているが、肘も軽く曲げていることと相まって、全体の印象としては小さくまとまった姿勢だ。

 けれどいくらまとまった姿勢に見えても、隠しようがない。

 線の細い、ともすれば服装と相まって女性と見まごうばかりの身の内に蓄えられた……、あまりにも強い『剣気』は。


「さあ来たまえよ吸血鬼。痛みに耐える覚悟があるのならだけれどね」

「なっ、めんじゃ、ねぇぇええええッッ!」


 吸血鬼の男は、細身の刺突剣など一撃のもとに叩き折らんばかりの勢いで以て、間合いへ駆けこんでいく。

 斜め掛けに剣が動いた。狙いは刺突剣の中ほど。得物を弾き落としてから必死の剣へ繋げるつもりの流れ。

 ――だが男の剣は虚空を斬った。

 確実に当たると判じた位置に手ごたえがなかったことで、男の表情が驚愕に彩られる。

 同時に、血しぶき。

 右前腕の内側を深く抉り切られ、な、とうめきを上げる。


「ぼさっとしていてはそこで終わりだよきみ」


 ルーが呼びかける。

 が、それも聞こえていたのかどうなのか。

 腕からの血しぶきで視界が塗りつぶされ、『回復させるべき位置』を皮膚感覚だけで察知するしかなくなったこの段で。

 吸血鬼の男はへそに突き立てられた激痛によってほかの部位の痛みを知覚できなくなった。


「あ、」


 膝が崩れる。

 いろいろな部位からの痛覚信号が脳を占拠するが、どれがどこのものかわからない。それほど多くの部位へ、瞬時に斬撃を食らっていた。


「ラキアンさん」

「わぁってんよ」


 最後に聞こえた呼びかけのあとに。

 男はぞぐん、と自らの頭部に沈み込んだ刃から伝わる震えを音として聞いて、意識を断絶させた。


        +


「ふう。わりに、強ぇ奴だったな」


 右逆手に構えた仕込み杖(ギミックソード)の刃。この片刃の剣の峰に前腕を沿わせるかたちで、ちょうど肘から飛び出したように見える剣先を体幹の力で以て体当たりのように打ち付ける技。

 それはルーの相棒であるブラッキアン・ビスカ――通称を《不運バッドラック》、ラキアンと呼ばれることを好む人物――が、小柄さを利して至近で多用する技法だった。

 脳天に切り込んでいた剣を引き、ラキアンは血と脳漿をぬぐい杖に刃を納める。


「しかしルーよ、コイツの剣技、どっかで見たことなかったか?」

「インヘル流だよラキアンさん。騎士団でも学んでいる者は多いからね、修練場ででも見たのではないかな」

「ああー。言われてみりゃあの右上段構え。アレだ、ジョンの奴によく突っかかってた水葬部隊の奴が使ってたわ」

「ベルデュ・ラベラルだったかな。そういえばこの頃私もよく修練場で見かけるよ。なにやら鉄兜ヘルム相手に熱心に打ち込み稽古をしていたような」

「……ジョンがいなくなっちまったから、突っかかる相手がいなくて辛ぇのかもな」

「じつにあり得そうな推論だね」


 ルーも腰の鞘に刺突剣を納めた。

 吸血鬼の男は左の頸動脈からも血を流していたが、いまはもうその血の流れも止まりかけている。

 彼の学んだ剣、ナトリス流刺突剣術は相手の攻撃をかわしざまの引き切り(・・・・)をこそ重視する。いまも同じく、男の突進を後ろに引いてかわしながら大腿部の内側付け根・右腋下・左頸動脈と流れるように引き切り、最後にへそを突いて腹膜への刺激でほかの部位の痛みを感じにくく、再生をおこないづらいようにした。

 とはいえそれも、相手が《急速分裂型》であれば確実な対処法とは言えない。

 なのでいつも彼はラキアンとコンビになり、彼が失血で吸血鬼の動きを止めてからラキアンが仕留めるという戦法を採っていた。


「にしても、相変わらずの剣筋だなルーよ」

「一応これには私の半生がこもっているからね」

「はン。でなきゃ、ああまで切っ先のコントロールが精密なもんにゃならねぇわな」

「いや、たぶんラキアンさんが思っているよりも動きとしてはすごいものではないよ。デスクに座ったままでは届かない位置にあるものを、剣とか棒の先端でこづいて引き寄せるようなことをするだろう? あれを切っ先でやるイメージさ」

「ずいぶんと日常的な動作で例えてくれやがるな……」

「わかりやすく教えて即効性のある鍛錬が好まれる時代なのさ」

「いいなぁ。僕ぁ必要に駆られて身につけただけだからよ。即効性のある技、学んでみたかったぜ」


 言いつつ、ラキアンは吸血鬼の男の亡骸を横たえてやって、静かに手を組み目を閉じた。

 これでも敬虔なヴィタ教ラクア派の信徒なので、戦ったあとの相手への礼儀はしっかりしている。

 どうしても「死ねばそれまで」と思ってしまう無宗教なルーとしては、このあたりはよくわからない感覚だ。けれどわからなくとも彼らは友であったし、わからなくとも共に仕事するに支障はなかった。


「さて」


 ルーはこつ、と底の高いブーツを鳴らし、歩き出す。路地の奥で吸血鬼の男――阿片の売人――が落とした薬包を拾い上げ、わずかに鼻先にかざして香りを確かめる。

 質は、悪くない。阿片窟でも上客に出すレベルのものだろう。燃やして吸えば蕩ける安堵の粘液に浸るがごとき心地よさを得られるに相違ない。

 だがこんな質のものはここしばらく出回っていなかった。と言ってこの男がこっそりと隠していたとも考えづらい。なぜならこの男の目撃情報はこの一ヶ月ほどという長期にわたっており、『自分がキマらなくなったから売る』という吸血鬼の行動を見るに質のいいものは早めに処分すると思われるからだ。


「最近手に入れたものかな……?」


 ルートが気になるところだが。この数日裏を取っていた限りでは、男の接触する範囲に怪しい人物はいなかった。となるとこの男も末端の末端で、ブツと金銭のやり取りは別の人間を仲介していたか。

 しかし現在のドルナクに、そうした細かな接触人員・売り子・仲介人員といった人間の連携を管理できる者がいただろうか? サミット前までのさばっていたフィクサー、鉄枷付き(ジャック)ならばそれも可能だったろうが……。


「まあ、可能性だけで推論を立てていても仕方がないというものだね」


 後頭部でひとまとめにしている長い黒髪を手櫛で梳いて、ルーは腕組みしてその場をあとにする。


「ラキアンさん。この場は任せても構わないかい」

「もちろんいいけどよ。どうすんだ」

「隊長から言われていたろう? イブンズ医師に協力するようにと」

「んぁ。そういやそうか。狙ってたわけじゃねぇけど、コイツはあのひとに頼まれてた通りの御遺体だな」

「そういうことだよ」


 祈りを終えて一服しはじめていたラキアンに声をかけてから、スカートの裾を翻してルーは電信のある近場の飲み屋へ向かう。

 ゴブレットからの指示で、そういう運びになっていた。『もし吸血鬼の死体が出たら、開頭して調べたいことがあるため一度呼んでくれ』と。

 下等区画の人間は金も名もないため、墓に入ることはない。つまり吸血鬼の遺体は再銑礼が終われば直接川へ水葬となってしまうので、詳しく調べることができないのだ。

 故に第八、第九の水葬部隊や聖職者を呼んで遺体が片付けられる前に。

 イブンズによる検屍をおこなう。らしい。


        +


「結論から言おうゴブレット・ニュートン。やはり吸血鬼は微細生物ウイルスにより脳を侵されたものであった。血中に流れても脳を目指しそこに巣くい、Disease of Cerebralを発生させる」


 ルー、ラキアンが仕留めた吸血鬼をイブンズに調べさせてから三日後。

 サミットからは三十六日が経過したこの日、第七騎士隊の部屋を訪れたイブンズは沈鬱な面持ちでそう告げた。


「……(Disease)(of)変容(Cerebral)?」

「そういうことになるな。解剖し大脳辺縁系を中心に脳髄を調べたところ阿片を摂取しても快楽を感じない原因及び『名の失認』についても理解できた」

「失認というと、吸血鬼が名を呼ばれても自分のものと思えないアレか」

「ああ。症状から想定していたとおり、聴覚性失認や言語障害の患者にも見られる左の上側頭回から中側頭回あたりにかけての損傷に近い状態があると判明した。つまりは言語中枢に問題が生じておる」

「それが、微細生物によって成されたものだということかい。イブンズ先生」

「おそらくはな……そら恐ろしい話だがね。群れ成す生物を取り込んだ結果まるでその生物の一部とされるかのように個を薄められているとは」

「俺としてはそんなものに罹患した連中を《血盟》なんて名付けて扱ってる人間の方も、十分怖いと思うよ」


 苦々しげにぼやくゴブレットの前で、イブンズも同意するかのように黙り込んだ。

 だがこれで、イブンズの推論は証明された。

 このドルナクには吸血病を発症させる微細生物が蔓延しており、ドルナク上層部や騎士団上層部、研究所といった人間たちはそれを承知で人々に情報を伏せている、と。


「で、先生。治療法はどうだろう」

「難しいな……どうもこの微細生物はドルナクのスモッグ中など同種の微細生物が浮遊する環境下でなければ生き延びることが出来んらしい」

「スモッグって……そうか、産業区画の洪煙か!」

「その通りさゴブレット・ニュートン。洪煙中の成分や生物を確認したところやはり同種の微細生物が大量に検出された。吸血鬼がドルナクを出ると死亡するのは変異させられた脳が継続して微細生物を取り込むことができない場合に起きると考えられる。吸血鬼への変異自体は……微細生物が脳に巣くう部位から察するに感情や情動が関係するのはほぼ確定だろう。長くドルナクにいる者ばかりが成るわけではないところから察するにな」

「すると血液を求めるのも、成分として身体に必要なのではなく……吸血行動により得られる周囲・相手の反応による自身の感情・情動の変化とそれに伴う脳髄への影響、あとは微細生物を送り込んでの生息域拡大を必要としてのものか?」

「いいぞ鋭くなってきたではないか! 吸血鬼が妙に好戦的な者が多いことなどもその辺りから理由が付けられるやもしれん。そして……そんな吸血鬼が組織する《血盟》に属すスレイド・ドレイクス。これを追っとった名無しの少年が消えた」


 イブンズが整理する。

 吸血鬼が意図してドルナク上層部に見逃されていたこと。

《血盟》がドルナクの暗部に関わる実行部隊であった事実。

 迎賓館でのスレイドの目撃情報。

 ジョンの最後の足取りが迎賓館で途絶えていること。

 ――――以上の点を総合して。


「名無しの少年はスレイドひいてはドルナクの暗部である《血盟》の正体に触れたために捕縛されたのだ、と。そう考えるのが自然というものであろうな!」


 膝を打って結論付けるイブンズ。ゴブレットは額を押さえて机にうつむき、視界の端にある送空管を見つめた。

 ディアと連絡が取れなくなったこともまず間違いなく、この一件が関係している。


「……本来ならばそういう暗部に触れた者は消されるのだろうけど、ディアに確実に言うことを聞かせるためジョンを人質として確保したというところか」


 二人が特別な関係性にあるのはジョンに《銀の腕》を与えたこと、度々腕の整備で訪れていることからも研究所には筒抜けだ。

 ただただ――思い合う二人の関係を、利用されたのだ。


「くそっ!」

「まったく若人をうまく利用しようなどとはこの街にはロクな人間がおらんな……ところで時にゴブレット・ニュートン。名無しの少年の目撃情報はその後ほかの場所では一切出ておらんのであったと記憶しているがまちがいないか?」

「え、あ、ああ。迎賓館のサミット会議室から出て行った姿が最後になってるよ」

「よろしい。ならばあの建物のどこかにいる公算が大というわけだ」


 多レンズの真鍮製眼鏡をかけ直し、イブンズは下ろしていた背嚢と肩掛けカバン二つを背負う。きびきびとした動きで外への扉に向かい、ゴブレットに片手を挙げた。


「明日レフト卿に会ってくる故その際に迎賓館に探りを入れられんかと打診してみる。彼の御方なら話も聞いてくれよう」

「……なにからなにまで、済まない」

「適材適所さゴブレット・ニュートン! あんたにはあんたの戦いとすべきことがあるからさっさととっととしっかりおやり!」


 ガチャリと扉を開けると、イブンズは外に待っていた人物を招き入れる。

 あまりにスムーズな動きだったので、ここへ入ってくる際にすでにいた相手を抜かしてきたようだとわかった。……せっかちなひとだとは思っていたが、まさか順番をさえ守らないとは。

 そんなことを思いながら半目でゴブレットが見ていると、イブンズは言う。


「彼女をうまく使えゴブレット。細いが確かに上へつながっている糸だ」

「上へ……?」


 よくわからずに曖昧な返事をしていると、薄暗い部屋に踏み込んできた相手の足元から「チキキキ」と独特の稼働音が響く。

 これでも駆動鎧装技師スチームアームスミスのはしくれだ、音だけでフォルムを見ずともそれがなにかはわかった。

 猫科の動物を模した、スリムなデザイン。

 逆関節に曲がった脚を大胆に太腿までさらし、鋼の肌を張りつめたその外観。

 特異な駆動鎧装に歩みを任せたその女性は、ハットを脱いで片腕に抱えたケープの前に持ってくると、肩口で丁寧に揃えられたライトブラウンの髪を揺らして頭を下げた。


「初めまして」

「ああ。……どちら様かな?」

「……私はジルコニア・アルマニヤ」


 上げられた顔にはなんとも言い難い複雑な感情が宿っていた。

 初対面の相手に人生相談をするかのような。不安と緊張ばかりが多く宿る面持ち。

 けれど、たしかに。

 わずかな期待を込め。また、踏み切る勇気を己に問うているような。そんな顔で。

 最後の最後、意を決した。


「ジョン・スミスとロコ・トァンに、世話になった者よ。二人の身になにか起きたと聞いて、助けになればと思って来たわ」



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