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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
密会

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70:商人と蒸姫と吸血鬼


「一ヶ月で少しはここの在り方にも慣れたかね?」


 クリュウはそう言って、ディアの前を歩いた。とくに車椅子を押すつもりはないらしいし、ディア自身も押してもらうつもりはない。

 キイキイと車輪を両手で押しながら、二歩先を行く彼の背を追うように進む。


「なにを『慣れ』と呼ぶのかにもよるでしょうけれど。ひとまずは業務に支障ありません」

「ふむ。罪悪感が薄れてきたり周囲の人間が間抜けに見えたりということには、陥っていないかね」

「なにが訊きたいんですか?」

「いやなに。そうした適応力が高すぎる人間ほど、信用が置けないというだけのことだよ。どこにでもすいすいと馴染んでしまうのは、言ってしまえば芯がないことに他ならないのでね。そういう輩は大抵、簡単に翻意し我々に牙剥く結果を残していらっしゃる」


 揶揄するように言って、クリュウは長身の肩越しにディアを顧みた。


「きみがそうはならないことを祈るばかりだ」

「……裏切りはしませんよ。私にとって最も大事なものが、あなたがたの手中にある限りは」

「こわい、こわい」


 まるで恐れていない様子で、クリュウは肩をすくめた。

 その双肩にのしかかるあらゆるものを気にしない様子で、彼は常に飄々としている。

 ジェイムソンインダストリアル。ドルナクがこの《火の山》へ拓かれた三十年前から存在し、鉄鋼業を主としてのし上がってきたひとつの巨大カンパニー。

 創始者にして代表取締役であるこのクリュウ・ロゼンバッハという歳重ねた男は、成り上がりの身でありながらもドルナクにおいては貴族より発言権を持つ。この街の中枢に深く食い込んだ人物で、その周囲には常に権力と暴力の陰がちらついていた。


 すべては、果学アカデミク研究学会オブジエンドの学会長ことヴィクター・トリビアという老翁とのつながりが為せるものだったのだ。

 そして彼らは、このドルナクを含むナデュラ帝国が今後進んでいく道筋に、吸血鬼研究で加担しようとしている。

 強力な軍事兵器として、吸血鬼を利用することで。


「まあ、吸血鬼の研究は大詰めなのでね。きみの設計した人操作型実働機械マニピュレータと先ほどのブルケットが生み出した《一番槍ソニックグレイブ》と、多脚型蒸砲戦車と……前線での運用理論をうまく作り上げれば、ナデュラはいま以上の国力を得ることができる」

「吸血鬼を、前線に送り込むんですか」

「もちろん。《再生者リジェネレータ》の運用は細心の注意を払い、いまのうちから『そうした存在への忌避』や『運用に際しての倫理規定』といったもののクリアーに当たらねばならないがね。都に御坐おわすお偉方が安心して使えるように、このドルナクで完成させる」

「外でも死なない吸血鬼が、完成すると?」

「おやおや。果学研究学会の才媛ともあろう者が先の会議を聞き漏らしていたのかね? ……実験はすでに最終段階、だ。二十五日後に大主教もお目見えする、その場において培養に成功した微細生物ウイルス群をサンプルの吸血鬼へ投与し、全身の変異を促す。いま確認されている中でもっとも強力な《再生者》へと作り変える」


 こつこつと革靴の足音を立てながら、クリュウは述べあげる。


「すなわち、人工の《現象回帰型》誕生だ」

「……!」

「ずいぶん、かかったがね。ようやくRHウイルスの培養が安定し、リンキン・H・グランドが鉱山で現象回帰と成り果てたときの状況を再現できるようになった」


 果学は。

 過学と禍学を経て果学となる。

 そして科学であれば、再現性がある。

 このクリュウとヴィクターと、ディアの知らない水面下で動いていた数多の学者により……いま、ついに、吸血鬼という存在は人間の手中に収まろうとしていた。

 地獄の蓋が、開こうとしている。


「ともあれ」


 ディアの前でぱんと手を打ち鳴らし、クリュウは角を曲がる。そこはエレベーターホールへ繋がる場で、いまは閉ざされた扉の向こうでは巨大な鉄籠が昇降するゴウンゴウンという低い音が鳴り響いていた。

 ディアの前で開いた扉へ手招くように進み入ったクリュウは、にやにやしながらボタンを押して二階へと鉄籠を下ろす。


「きみもこのドルナクの成り立ちとシステムを、ようやく知った。今後はそれを理解した上で、DC研究所および果学研究学会に有利となるよう動いてくれたまえ」

「……具体的には」

「今日のような会議への出席も求められるが、あとは出資者へのあいさつ回りも含まれる。わかるだろう?」

「なにがですか」

「若き才媛でありDC研究所においては五指に入る地位を持つきみが、頭を下げることの価値だよ」

「そういうことですか」


 くだらないご機嫌取りだ。

 他者を自分の下位に、劣位に置きたくて仕方がない人間たちに、惨めな媚びを売って出資を渋らせることがないように動けと。そういうことを言いたいらしい。

 だが。

 そんな指示を出しながらもクリュウの顔には、嗜虐的なところは欠片も見当たらなかった。

 微笑みを浮かべてはいるものの悪意はない。ただ当然のこととして、ディアにそうしたあいさつ回りをしろと。そう言っている。


 商人の思考が為せる業だ。

 ……彼らは基本的に飢えている。自身が『得をした』とは、純利益が上がった一瞬にしか考えない。その一瞬を除けば彼らの頭の中にあるのは『損をした』『もっと稼げたはずだ』この二通りしかない。

 だがそれ故に、目先の不利益や感情の上下動をあまり意に介さないところがある。

 ご機嫌取りなどその最たる例だ。基本的に彼らは、自分が相手より上位であり優位であると理解している。だから下げる頭は軽く、その腹の内は見通せない。頭を下げている間も次の商談とその次の商談だけが、腹の中を渦巻いているのだ。

 鉄籠が止まった。

 二階。

 DC研究所の表玄関口に繋がる階層である。

 開いた扉を押しとどめるようにしてディアに先へ進むよう促すクリュウに従い、彼女はキイキイと外へ出た。また先導して歩き出すクリュウに追いつきすぎないよう、距離を保って進む。


「なに、ご機嫌取りだけだ。心配はしなくとも良いと私が保証しよう。それにきみに向かってもらうのは上等区画でも良識派穏健派で通っているブラウン・レフト卿だ。来週訪問してもらうよ」

「ブラウン……ああ、名前は知っています」

「いろいろな公共事業などにも出資している名士の顔が印象深くていらっしゃるようだね。だが彼は愛国主義者であり、国粋主義者だ。ナデュラが万国大戦の折併呑した周辺地域については良い印象を抱いていないとのこと。くれぐれも発言の際にはその点、留意したまえ」

「ナデュラの帝国人民を上に置いた論調にしろと?」

「平たく言えばそういうことだ。なに、信頼関係を築いてくれればよいのだよ」


 難しいことを言う。そも、ディアなどこのDC研究所の中でも信頼関係を築いた相手はひとりもいないのだ。

 どこまでいっても。

 周囲のすべては、利用するための踏み台でしかなかった。

 ジョン・スミスに――■■■に腕を与えて、彼の復讐を助けるための道具でしかなかった。

 ……内心でのこうした思いが表情に出ていたのだろうか。クリュウは進む廊下の途中で足を止めてこちらをじいっと見つめている。


「だれも彼も信じられない、かね?」

「そうですね」

「持ちつ持たれつだ、《蒸姫プリンセス》。最後に相手と別れるとき、自分が『持たれつ』の側にいればそれでいい――と、互いがそう考え出し抜こうとしている関係。表面上の凪」


 すい、と長い腕を伸ばして彼は扉を開ける。研究所の通用口から一直線に来れる場所。

 ジョンとよく面会していた、応接室への扉だった。


「それが、信頼関係というものだ」


 開け放った扉の向こう、室内にいた人物に目をやっている。

 クリュウはその人物と自分の関係になぞらえて、いまの発言を成したような気がした。

 応接室の中。ソファに腰かけた人物に、ディアは視線を向ける。

 ――淡いグレージュの、くしゃりとした髪。

 毛先にオリーブのような色味を宿し、振り向いた横顔は高い鼻梁が整った面立ちを認識させる。

 だがあまりにも壮絶に傷跡残す目頭とまなじりが、全体の印象を破滅的なものとしていた。

 青白い顔をした彼は、下唇を噛んだ――いつものくせだ――表情で立ち上がり、瞳孔細い鳶色の瞳でディアを見下ろす。

 息が詰まり、身がこわばった。


「スレイド……」


 彼は自分の名を認識できず、少し沈黙を保ってから、おそらくは経験則で呼ばれたことを悟ったのだろう。「ああ」と少年のような声をあげて、白衣を引っかけてあったソファの背もたれに腰を下ろした。

 立て角襟(スタンドカラー)のシャツにウエストコートをまとったフォーマルな恰好で、応接用のローテーブルには鳥頭マスクが載っている。おそらくは白衣と合わせて、産業区画やそれに類する人間に扮して日常を過ごしているのだろう。

 ……彼の生存、およびジョンとの交戦についてはクリュウたちから聞き及んでいた。

 それでも実際に目にすると、心臓を揉みしだかれているような嫌な感じがいつまで経っても治まらない。


「我々の協力者、《血盟アライアンス》所属のアシュレイ・ドリー……と名乗らせている。本名は語るまでもないかね」


 クリュウは昼のメニューを告げるかのような気安さでそう述べた。

 ディアはばっと彼に視線を合わせ、動揺から口にした。


「なぜ、いま私と彼を会わせたんですか」

「きみの経歴とのジョン・スミス君……もとい、■■■・■■■■■■君の過去についても調べはついている。この青年、スレイド・ドレイクスを倒すために《銀の腕》を手に入れ騎士団としての業務に励み、きみがそのバックアップにあたっていたとね」

「それは、」

「つまり、信頼の話だ」


 遮るように言い、クリュウはぽんとディアの肩に手を置くと外に出ていく。


「持ちつ持たれつ。きみにはこの国の暗部に今後も関わっていってもらう。そのためには、早い段階で《血盟》の深くにいる彼とも交流していただいた方がいいと思ったのでね」

「……こいつを殺させはしない、という宣言ですね」

「まあ、はなから殺すのは無理だとは思っておるが」


 扉を閉じつつ、隙間よりこちらを見て。


「念のため、だ。それと、きみとジョン・スミス君の処遇だが。当然『信頼関係』によってはいまよりも自由の利く場へ移すことは可能だ。望むならきみと彼が共に暮らすことも、できるかもしれないよ――それでは」

「ま、待って! スレイドじゃなく、彼に、ジョンに会わせてくれるんじゃっ」

「案ずることはないよ、道案内は私ではなく彼に任せてある。悪いがこれでも多忙の身なのでね、お話の時間はここまでとさせていただきたい」


 それでは、と。

 今度こそ外と内とを断絶した。柔らかな絨毯を踏みしめてクリュウが去っていくのがわかる。

 一方的に投げつけるだけ投げつけて、けれど警告の意味だけはたっぷりと含ませて。

 クリュウは、ひいてはその背後にあるドルナクの闇は、ディアに従うことを強いていた。


「……とりあえずそんなところにいないでこっちに来なよ。座ってはいるのだから、べつにきみは疲れないだろうけど」


 ソファに再び腰を下ろしていたスレイドは、紅茶のカップを掲げながらディアに言った。

 いまさら。

 いまさらになってこの男と、テーブルを挟んで向き合うつもりなど、なかったが。

 それでもやむを得ない。ジョンの所在を知るのが彼ならば、どれほど嫌でも同じ席について言葉を交わさなくてはならなかった。

 キイキイ、車輪を回してローテーブルのサイドにつく。すっかり紅茶は冷めているように見えたが、スレイドは気にも留めないでポットからカップへ注ぐ。

 二人分のカップがあるということは、突然決まったことではなく最初からディアの案内はスレイドに任じられていたということだ。


「僕も多忙とは言えないまでも、暇じゃないんだけどね」


 弁明するように言って、ソーサーをディアの前に滑らせる。

 受け取って、ぬるくなった紅茶で彼女は唇を湿らせた。


「疑いもせずに口にしてくれる程度には、まだ僕を信頼してくれていると思っていいのかな?」


 カップをソーサーに置くまでに、スレイドは自身のカップの水面を揺らしながらそんなことを言った。

 一瞬も動きを止めることなくカシャンとカップを置いたディアは、キッと彼をにらみつけてつづける。


「お前を信頼したわけじゃない。状況から判断して、お前はあの男とドルナクの暗部に従ってなんとか生きている。そうある以上利用価値のある私に手を出すことはないって判断しただけだよ」

「つれないね」

「つれる女だとでも思ってたの?」

「いいや。もう僕もきみも十九だ、分別もつくし計算もできる歳だ。つれるだなんて思っちゃいなかったさ」


 ごそり、ソファの背にかけていた白衣を探ってスレイドはヒップフラスコを取り出す。自分の飲んでいたカップの上にこの中身を傾け、「要る?」とディアの方にも差し出してきた。ディアはもちろん、断った。


「ホントに、つれないね。三人で十五になった年に飲んだきり、酒の杯を交わしたこともなかったじゃないか。少しくらい付き合ってくれてもいいだろう?」

「悪いけどそんなに親しくしたくないの」

「飲まないと■■■のところに案内しないよ?」


 クリュウとはちがう、本当に心の底から嫌らしい笑みを浮かべてスレイドはそんなことを言った。

 ディアは躊躇いなくすっと彼の前に自身のソーサーを滑らせた。これを見て、呆気にとられた様子で、スレイドは「変わらないな」と中身を傾けることなくフラスコをしまった。


「そんなに大事かい、あいつが」

「大事だよ。だから、その腕も生き甲斐も拠り所も奪ったお前を、私は許さない」

「……なんだ。結局は自分の復讐のためだったんだ」


 トントン、と交互に己の腕を叩いて示しながら、スレイドは言う。


「ずいぶん献身的にあいつに尽くしてると思ったけど、結局は、そうか。きみは自分のためにあいつに復讐の手段を与えたんだな」

「そうだよ。でもそれだけじゃない。人間はそう単純に『これ』と決めたことだけのために生きてるんじゃない。■■■に頼んだのは私の復讐のためでもあるけど、やっぱり彼自身の復讐を果たしてほしかったからっていうのが大きいんだよ」

「とはいえその想いの、比率によるんじゃないかな? 自分のためなのか他人のためなのかというのは。気持ちなんて数値化できないとはよく言うけどさ。それでもなにを想って決めたかは、後々まで残るもんだよ。少なくとも当人の中にはね」

「じゃ、お前はなにを想って■■■の腕を奪い、タルカス流を滅ぼしたの?」

「……ふふ。ふっふふ、はははは! いや、いいね。その問いはいいよ、姫君(・・)


 スレイドは突然笑い声をあげて、かつて都にいた頃にジョンともどもからかうように己を呼んでいたときの名で、ディアを呼ぶ。

 次いで腹を押さえながらディアを上目遣いに見つめた。

 まばたきを一切しない。

 この部屋にやってきてからずうっと、この男は一切まばたきをしない。そんな作り物じみた瞳に見つめられると、なにもかもを決め込んで腹の内にくくってきたはずのディアでさえ少しぞっとした。


「まさにそれだ。クリティカル。僕が六日前にあいつに投げてきたのは、その問いかけだよ。だから僕は答えるわけにはいかないな。答えたら、きみあいつに伝えちゃうだろ?」

「■■■になにを言ったの」

「さてね。そこはこのあと奴自身に聞くがいいさ。僕はただ、きみの案内役だ。奴にもしばらく会う気はないんだ」

「……そう」

「にしても、この一ヶ月。ずいぶんと身辺整理に気を遣ったみたいだね、姫君」


 ウエストコートのポケットから取り出した手帳で、スレイドはぱらぱらとなにか確認していた。


「下手にココの内情を漏らさないように、徹底的に外部との連絡を遮断している……でもこれ、そうと『振る舞ってみせる』ことで、それ自体をメッセージとしたんだろう?」

「なんのこと言ってるの」

「とぼけなくてもいいだろ、僕だってゴブ兄には世話になっていたんだ。あのひとは急に連絡を絶った相手には様々な方向からアプローチをかけるに決まってると、わかってるさ」

「……、」

「でもよほどうまくやらないと当局に見つかる。ゴブ兄からの接触が身辺に届いても、うかつには動かないことだよ。《血盟》もそれに類する人間もそこら中にいる。この街は、さまざまな派閥の人間がそれぞれの思惑の下に動いているんだ。安全を確保するのなら、いましばらくは賓客とか招聘された客としか関わらない方がいい」

「なに、その忠告は」

「べつに。単なる気まぐれ。結果も結論も出尽くしてる仕事ばかりしてるとさ、たいしてなにも変わらないってわかってても水面に石を投げ込むようなことがしたくなるんだ」


 ぱたりと手帳を閉じて、スレイドはしまいこむと立ち上がった。

 無言でいるディアに向かって腰を曲げて見下ろし、ふわりとかぶせるように頭に手を置く。


「残念だけどね。少しの才能なんて、数に勝る凡人たちと真正面からぶつかればおしまいなんだよ、ディア」

「才能に驕ってるように言わないでよ」


 手を払いのけながら言えば、「才能があることは否定しないんだね」と吐き捨てるように返された。ディアは、否定も肯定もせず瞳を見返した。

 スレイドはため息をつき、下唇を噛んだままくしゃくしゃと前髪を掻き上げる。


「……そろそろ、行こう。僕もこのあとまた《血盟》の仕事があるから用事はさっさと済ませたい」

「お前はその《血盟(お山)》の大将、ってわけ?」

「僕は古株だから仕事には融通利く感じになってるけど、基本《血盟》の中に上下関係はないよ。仕事柄、騎士団に斬られて死ぬ奴も多いからさ……三年も生き残ってるとやり方とか指示出しがうまくなって自然と指令役になったりするだけ」

「ずいぶん長く生き残ってきたもんだよね。タルカス流に居た頃には、考えられない」

「だろうね。僕はあそこで、いっとう弱かったから」

「強くなったつもり?」

「まさか。いまも弱いし戦いはこわいよ。でも……だから生き残ってきた。それが僕だ。だから■■■とも本当は戦いたくないと思ってた」

「この前の交戦は」

「仕事だから仕方なかった。次に戦るとしたら、それは仕事じゃないだろうな」


 机の上の鳥頭マスクをかぶり、白衣をまとい。ポケットに手を納めたスレイドは、すたすたと部屋の出入口に向かった。

 机の上には、フラスコから酒を入れたのに結局手をつけなかった紅茶が残っている。

 ディアが車輪を回しながらなんとなくそちらを見ていると、ああ、といま気づいたようにくぐもった声を漏らして、スレイドはぼやいた。


「それ、確実に捨てるように清掃係に伝えておかないとな。意地汚い係の奴が飲んで、死なれてしまうとかなわない」

「は?」

「明日の新聞に貴族が一名死んだと載るだろうけど、あまり気にしないで。そういうのも《血盟ぼくら》の仕事なんだ」


 なんでもないことのようにのんびりと告げて、スレイドは扉を開けて先に出ていく。

 もう一度ディアはカップの方を見て、それから扉の方を見た。すでにスレイドはいない。

 ……本当に毒が入っているのか、確認する術はディアにはない。ディアに嫌がらせがしたくて吐いた虚言にすぎないのかもしれない。

 けれどいま、彼の存在に感じる気味の悪さは、かつて共に過ごしていた頃のスレイド・ドレイクスの中にはなかったものだ。


 三年。

 その間にジョンは腕を鍛え、徒手格闘の戦闘力を手に入れた。吸血鬼との戦いもいくつも潜り抜け、死線をまたいだのは十や二十じゃ足らない。

 だが同じ期間、スレイドもまた似たような……あるいはもっと劣悪な境遇に身を置いていたのかもしれなかった。

 だとすれば、その意思がぶつかり合ったとき。いったいどういう結果が待ち受けるのか。

 考えたくなくて、ディアはかぶりを振った。カップから、目を逸らした。



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