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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
終章 牢獄

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66/86

65:過ぎし日と策略と謀略


 一ヶ月がまたたく間に過ぎ去る。

 大主教暗殺未遂などという大事が起きたことも、少しずつひとの記憶から薄れはじめていた。

 左鎖骨を砕かれていたイェディン・ガーヴァイス大主教は療養を終え、果学研究学会の面々も一部を残して都へ戻った。

 サミットに際しての街の喧騒もすっかりなりをひそめ、ドルナクにはまた元の蒸気と煤にまみれた忙しないだけの時間が流れはじめている。

 なにもかもが、元の通り。


 ……ただ、

 そこに二人、居たはずの人間が居なくなっている。


 ジョン・スミス。

 第七騎士隊に所属していた騎士団員は、アシュレイ・ドリーという大主教御付きの護衛役に対する殺人未遂で逮捕拘留の立場になった。その後正式な裁判を待っている最中で、いまも囚われているという。

 ロコ・トァン。

 偽名を使って潜り込んでいた彼女は、イブンズ・ドラブロによる治療のあと完治を待たずに病院から姿を消した。彼女も大主教への殺人未遂の容疑がかかっているため警察が行方を追っていたが、上等区画の地下水路に逃亡の痕跡を残したあと完全に蒸発している。一説では水路に落下したと見られているそうだ。


「……ふう」


 第七騎士隊隊室。

 最奥に位置する隊長机で送空管の伝書を読んだゴブレット・ニュートンは、手にしていた情報屋からの定期連絡を灰皿の上で燃やした。

 変わらず、進展はない。

 ロコの行方はわからず、ジョンは面会もかなわない。

 ディアは口を閉ざして語らず、なにひとつわからないままだ。

 あの日。

 サミットの横で、なにかが起きていたはずなのに。


「……まずそれを、確かめなければならないのか」


 ひとりごちたゴブレットは、まだ燃え燻ぶっていた伝書の焔で煙草に火を点ける。

 煙をくゆらせながら、額に手を添える。

 サミット。場所は上等区画の閉鎖空間。

 突然にかけられた、二人への殺人容疑。


 繋げるとどうにも、きな臭くて仕方がない。踏み込み過ぎれば手痛い返しを食らうことが予想される、深く大きな闇が横たわっているように感じる。

 薄暗い部屋の中でそう考えて、ゴブレットはランタンの光に揺れる書類の山の影絵を見やった。


 ……影。

 ……暗闇。


 そういえば飲み屋で耳にしたバカ話に、こんなものがあった。

 巨大な茄子の夢を見た、と語る男に「どれくらいの大きさだ」と問い手が身振りを交えて訊ねていくが、いくら大きく表現しても男は首を縦に振らない。

 しびれを切らした問い手が「なら教えてくれ、どんな大きさだ」と言うと、男はにやりとして「そうさな、アレは言うなれば……暗闇にヘタをつけたような……」などと答える話だ。

 ゴブレットは煙の流れゆく天井を見つめて、頭の後ろで手を組んだ。


「いや……まさか、な」


 深く大きな闇が横たわるのではなく、

 この街自体が、闇。

 そんな妄想を、しかし一笑に付すことはできなくて。

 ゴブレットは眉間にしわを寄せ、口許から離した煙草を押し消した。


        #


           #


 十六年前。

 ドルナク、迎賓館にて。


「……私も吸血鬼被害が深刻化しているとの、事情は理解している」


 ひとりの男が、重々しく口を開いた。

 顔を上げ、周囲の人間を睥睨する。

 くわっと見開いた眼光で、その場の全員を射抜いた。


「だが。だがそれでも! いま、市長として鉱山を閉めるわけには、いかない……!」


 就任したばかりだった市長、ルゴー・ドメイシー。

 彼は苦渋の決断だ、という顔をつくってみせて、そう言った。

 会議室に列席するその他の人間。ドルナクの立役者である人間たちも、同じように苦しいと言いたげな表情をつくってその決定にうなずく。

 そう、つくった(・・・・)……顔である。

 表向き、建前としては『苦しい決断だった』ということにするための演技でしかない。

 それがドルナク市議会、ひいては都の上層部――国の執政にまで関わる人間たちの下した判断であった。


 ――ある日鉱山から出現した化け物。

 工夫こうふのひとりであった男、リンキン・H・グランド……だったモノ。

 彼は人間の生き血をすすり、いくら傷つけても状態が回帰したかのように傷を再生する、最悪の吸血鬼と化した。

 ドルナクでは彼の出現以降、治安が悪化の一途をたどっている。杭弾銃パイルガンで撃とうと剣や槍で突き刺そうと平然と向かってくる化け物が、夜な夜な人間を襲うべく徘徊していたのだ。否が応でもそうなる。

 しかも奴の被害に遭った中で無事だった者にも、まるで感染したかのように同様の……リンキンよりは再生力の低い……吸血鬼と化す症状持つ者が現れた。どころか、吸血鬼の数は少しずつ増しており、いまや被害に遭って(・・・・・・)いなかった者(・・・・・・)の中からも現れる始末だ。


 先日やっとリンキンは討伐されたが、吸血鬼の増加はその後も止まるきざしがない。

 このままではドルナクから、まともな人間がいなくなる可能性すらある。

 そこまで理解していてなお――だれもドルナクの鉱山を閉めることは考えていなかった。

 なぜならここの生産は、ドルナクを擁するナデュラ帝国にとってさえ重要な産業のかなめである。ここの停滞はすなわちナデュラの歩みに影響を与えるものであり、どうあっても回避しなければならないのだ。


「……ということは、だ」


 そこに、口を開く者がある。

 会議室の入り口近く、身分としてはそこまで高くない位置に腰かけた男であった。

 燃えるような赤髪が、撫でつけられていてなおとげとげしく跳ね上がる。黄金とも琥珀ともつかない色合いの美しい目をしており、笑うと人好きのする白い歯列がこぼれる偉丈夫だった。

 彼は耳目を十分に自分へ引き付ける間を置いて、口を開く。


「『この状況に対して有効な手段は特にないが、民には尊い犠牲となってもらって我々世代が甘い汁を吸い尽くし逃げ切るそのときまで、変わらぬ平穏を保とうよ』――同席のお歴々は、こう仰るという次第かね?」


 クリュウ・ロゼンバッハは明らかに揶揄する意図でそう言った。

 ルゴー含む周囲の人間は当然いきり立ち、図星をさされた者特有の情けない口調でクリュウを非難した。

 涼しい顔でこれを受け流した彼は突如として立ち上がると、周囲の人間をにらんでつづけた。


「民は血だ。流出してしまえば街が死ぬ。その存在を守らねばなるまいよ」

「若造が! 口で言うのは容易いが、どう実現するというのだ!」

「安心を与えればよろしい」


 にやりと笑ってクリュウは断言し、会議場の真ん中へゆっくりと歩み出た。


「皆様はリンキン・H・グランドを討伐した男をご存知かな?」

「……話には聞いている。火の山の一部も所領としていたサー、エルバス・ペイルだろう」


 この会議の一か月ほど前、街のパブを訪れたエルバスは交戦中だった警察を捨て置き単身、鉄剣を片手に躍り出て一瞬のうちに《現象回帰型》とのちに呼ばれることになる吸血鬼との戦いにケリをつけた。

 その後の調べに対して彼は「傷が大きければわずかながら再生に時間が掛かっていた。つまり、広範囲に渡って傷を付けられる剣刃で深く斬れば、吸血鬼は死にます。首や心臓が狙いとしては正しい」などとひどく雑な報告書を都に送っている。

 ともかくも、化け物を殺す方法は見つかったのだ。

 それを指して、クリュウは言う。


「私は、彼のやり方を模倣した組織をつくって頂こうと。そう提案している」

「組織……だと?」

「ええ。現状、吸血鬼戦は警察に対応頂いているが。彼らにも通常の業務があり、常に化け物対策に動いてもらうのは難しい。そも、国の組織である警察が『民だった者』を傷つけているのも印象が悪い。民は国に護られているとの安心がなければ、反旗を翻すものだよ」


 故に、と人差し指を立て声をひそめる。クリュウは演説のやり方をよく心得ていた。


「警察に不満を向けられないよう、逸らした矛先を受け止めて頂くための組織をつくる。仮にこれを《騎士団》とでも名付けようかね。……剣刃を武器に民を護り、そして民からの『なぜ私の家族を殺した』などという面倒極まる不満をぶつけられる係だ」

「それで護っているとアピールし、安心させるというのか……?」

「それだけでは足りないとご自身で理解しておられるのでは? 人間に安心を与える最たるものは、価値の固定保持を担い時を越えてなお自身の存在を確立しつづけるモノ――金だよ」

「金……」

「『吸血鬼化の予防・治療の研究は進行しているが、まだ追いついていないために一時的な対策として騎士団を設立、皆さまの安全を護る』これが前提。次に吸血鬼を恐れるというデメリットを上回るだけの給金(・・)を提示する。我々、ジェイムソンインダストリアルが先陣を切ろう」


 クリュウは近くにいた貴族の席に置かれていた会議資料を手に取ると、裏面の余白へさらさらと万年筆を躍らせた。

 大きく書かれていたのは数字だ。いまのドルナク工夫の平均給与の約五倍に相当する金額。

 これを掲げつつ、彼は述べ上げた。


「ドルナクは最果ての地だ。どうせここで使える金など限られている。余る金は出稼ぎの人間の手によって、地方や都に再分配されるわけだ。このまま閉山寸前まで人間を減らすよりよほど良い在り方だと思うがね?」

「し、しかし」

「幸い吸血鬼はドルナクの外に出ると死ぬ。つまりは吸血鬼をどこかへ持ち出す恐れもないのだ。あとは金で釣りさえしておけばまず人足は絶えない。人間、自分が運悪く死ぬことになるだなどとは死ぬ寸前まで思わないものだからな」


 きっと私も含めて。

 とは、小声で言うに留めて。


「……どうだろうか? 代案があればお聞かせ願いたいが」


 クリュウはそのように述べた。

 結果は、

 否決。




 ……だが数日してから『クリュウの案ではない』というかたちでほぼ同じ内容の提案が再提出され、これは市議会で受け入れられた。

 なんということはない。

 まだ年若く立場の低いクリュウの言に従うことができなかったという、単なるメンツの話である。


「まあ、どうでもいいがね」


 提案さえ受諾されればクリュウはそれでよかった。ジェイムソンインダストリアルの支払う給与額が提案時とちがい――おそらくは嫌がらせで――十倍になっていても、構わなかった。

 DC研究所を訪ね、応接室で紅茶を飲みつつ待っていた彼は奥にあるオーク製のドアが開く音で目を向ける。

 かつ、とステッキを床につきながら歩いてくるのは、血管の浮いた禿頭からたるんだ頬の肉が垂れ落ちる面相。片目は義眼、片目にモノクルをかけた老翁、ヴィクター・トリビア。


「……首尾は上々か」

「もちろんだとも」

「ではこれで、ようやく着手できるのだな」

「ああ。ご老公が待ち望んでおられた――不死の兵の研究だ」


 にやりと笑い、クリュウは彼方にある火の山を思った。



 クリュウは市議会でひとつ、ウソを口にしていた。

 吸血鬼化の予防・治療の研究が、進行中であるということだ。

 吸血鬼研究は進めているものの、それは予防や治療についてのものではない。すでに彼らは予防については結論を出していたからだ。

 吸血鬼化の原因は、微細生物ウイルス――ごくごく小さく、都で大量の雷電エレキテルを使用してやっと稼働する超高分解能顕微鏡を用いてしか発見できない、脳髄に巣くった生物だ。

 それは火の山で、長く眠っていた存在だったのだろう。


 ――リンキン・H・グランドという吸血鬼の出現から間もなく。

 彼が掘削していた鉱路を辿ったクリュウは、そこの縦穴の底で明らかに致死量の血痕を発見していた。

 おそらくは滑落して叩きつけられてのもの。尖った岩の先で、全身を引き裂かれるようなダメージを負ったのだろうと想像させる血痕だった。

 しかし彼はそこで得たのだ。

 不死かと思わせるほどの再生力。化け物じみた回復力。

 それはすべて、ここで得た。


 鉱山の奥底で掘り出されるまで眠っていた、目には見えないほど細かな生物の群れを吸い込み。身体の中でさまよい、脳髄に行ったそれらが……脳に変容を起こした。

 体組織の自在な再生を行う能力の付与。

 同時に、主体が微細生物群に移ったことを示すかのような『自己の名の認識障害』。

 つまりはこの鉱山に存在し、気流に乗って流れ出している微細生物ウイルスさえ取り込まなければ吸血病は発現しない。すでにそのように、予防策は完成していたのだ。

 その上で彼らはサンプル数を確保するためこの事実を隠匿すると決めた。

 すべては、


「軍事利用か……あれほどの生命力を持った生物が歩兵として完成すれば、あるいは再生力の一端でも手中に納めることができれば。それはこの国にさらなる力を呼び込むだろうね」

「……近く起こるであろう万国大戦ワールドウォーには間に合うまいが、我々はその先を見据えておかねばならぬ……ぐ、ごほ」


 ヴィクターは咳で発言を止めつつ、クリュウの正面に腰かけて紅茶に手を伸ばした。

 氷砂糖をひとつつまんでかじりながら、クリュウは彼に向けて話をつづける。


「ただ、研究の独占手段についてはどうするかね? ほかの研究機関でも細々とではあるが吸血鬼の遺体を調べる動きが出ているよ」

「ラクアの大主教へ話をつけている。遺体の腑分けについて忌避する風潮を作り出すような言説の流布を、ラクアから行えばよかろうとのことだ」

「なるほど、さすがはご老公。老い先短いから行動が早い」

「ぬかしておれ」

「ふふん。……しかし大主教、いまアークエの過激派とやり合っている最中では? そうした裏の動きを向こうに悟られる恐れはないのかね」

「その点もすでに手は打っているとのことだ。なんでも、探られても支障のない()を用意して、そちらにアークエの注意を引かせるとのことだ」

「腹……ああ、妾腹めかけばらか」

「左様。そうした醜聞は切り札故に敵も使いどころを慎重に考える。証拠を固めてからでなければ軽軽に使えない以上、相手の動きを縛ることに繋がると考えておるようだな」

「相変わらず策謀に長けていらっしゃる。謀略ひとつで死ぬまで大主教の座に居座っていそうな御仁だ」

「じつにな」


 面白くもなさそうにヴィクターは言い、紅茶のカップをソーサーに置いた。

 モノクルの位置を整えながら、クリュウがカバンから取り出そうとしている書類に目を落としていた。


「で、だ。ご老公、まずは実地で吸血鬼のサンプルが欲しいとのことだったろう」

「数は多ければ多いほど、な」

「ふうん……ならば生け捕りといくかね。工夫こうふの中に吸血鬼が出れば、事故死したことにしていくらか拾ってくるのは大丈夫だろう。家族の身柄を人質にでも取れば逆らわないようにもできる」

「吸血鬼延命のため用いる血の確保は、貧民窟か」

「もちろん。あとは連帯責任の制度で縛るとするよ。ひとりでも実情を密告すればほかの人間にも罰則を科す仕組みだ」

「組織立ったものとして扱うわけか。……ならば名でもつけるか?」

「そうだな。ただ日常会話にも紛れ込ませることができるよう、組織名は特殊じゃない方がよいのだろう。となると――」


 クリュウはぼやき、しばし天井を見つめて。

 ヴィクターに目を戻し、指を打ち鳴らした。


          #


        #


「これが、《血盟アライアンス》のはじまりさ」


 牢の外。

 ベッドに腰かけたジョンを前に、一席ぶっていた男が椅子の上で前傾する。

 この街の――ドルナクという闇を物語った男は、膝の上に頬杖ついて不快そうな笑みを浮かべた。


 まなじりと目頭に切れたような痕の残る男。

 アシュレイ・ドリーを名乗る男……スレイド・ドレイクス。

 ジョンの仇敵は、散歩でもしに来たかのような気軽さで牢を訪れていた。



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