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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
襲劇

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65/86

64:■■■と剣と復讐


        #


 状況が、ジョンにはまるでわからない。

 ただ、ロコは大主教を指さして「父」と呼んだ。

 彼もそれを否定はしなかった。

 加えて、あの目の色……よくよく見れば面立ちにも、どこかロコと共通した部分がある。

 ではまさか、本当に?

 ロコが、ヴィタ教ラクア派大主教のイェディン・ガーヴァイスの娘だというのか?

 だが……ロコは、その父を殺そうとしている。

 なぜだ?

 アブスンとのやりとりの際に口にしていたことから察するに、ロコはかつてアークエ派だったとのことだ。あの特殊な体術も、アークエにおいて身に付けたものと思われる。あの、人間相手ならばあまりにも殺傷力の高い体術を、だ。


 ……もしや。

 過去形ではなく、現在もアークエだった?

 ロコはそこから大主教に送り込まれた、凶手だったというのか?

 わからない。

 なにも、わからない。


 ジョンはそのように、現状がわからないため動けなかった。

 ロコは、深手のために動けなかった。

 大主教は、動く必要がなかった。ひとまず、待っていれば第一騎士隊と警察が来る。大主教はそれで保護されるのだ。


 ロコは……しかし、ロコは。

 ジョンは、床に転がっているマスクの男を見やる。

 男は首をロコに刺されたことで明らかに致命傷だ。仮にここが大病院の真ん中であったとしても助からない傷だ。

 つまり、ロコが、殺してしまった。

 警察に囚われれば殺人で起訴される。加えて言うなら大主教に対しても傷害、殺人未遂の罪を犯している。

 この場を離れたらそれきり二度と、会うことはないかもしれない。


「お嬢……お前は……」


 ジョンは、なんと声をかけたものか迷い、口をつぐんだ。

 ロコの瞳は燃えている。

 到底立ち上がることすらできないような深手を負ってなお、大主教に向ける目にはわずかのかげりも見られない。

 鎖で絡めても首に枷をはめても、なお立ち上がって進んでゆきそうな気迫があった、

 ……ジョンは。

 そこではじめて、目にした。

 自分以外の人間が、強い意志で以て、他者を害することを決め込んでいる様を。

 はじめて目の当たりにした。

 そのこともまた、彼の動きを押しとどめてしまっていた。


 ……――膠着状態がつづく。

 もうこのまま時が止まってしまうのではないかと危ぶむほど、つづく。

 けれどそんな沈黙を破ったのは、

 ひどく緩慢で、かつ間の抜けた音だった。


「……っ、がぶっ、ごぼ、ご、ほ」


 ぐぼぐぼ、と狭い管の中を液体がさかのぼるような音がした。

 いや事実、そうなっていたのか。

 床に臥せっていた鳥頭マスクが、びくりと痙攣している。

 音の出どころは、彼のつけているマスクから伸びる嘴のようなパーツ。外気をろ過するための部位で、どうやらそこに血が詰まったことで彼は咳き込んでいるようだった。 


 ……いや。

 なぜ、咳き込んでいる?

 辺りに飛び散った血液量は相当なものだったし、その出血がつづいていればとっくに息はないはずだ。

 床に広がっている血だまりだって――と、そこまで思い至ってジョンは己が目の節穴さに歯噛みする。

 血が。

 広がっていない。


「お前…………は、」

「――あああ、息がしづらい。もうこんなもの、とても被ってはいられないよ」


 若々しい声だった。

 少年の趣を残した響きが、マスクの中から転がり落ちる。

 男は、後頭部に両手を伸ばした。

 後ろで縛っていた革紐を解き、頭部にぴったりと密着させていたラバースキンをはがしてマスクを落とし、羽化する翅のように髪を顕す。

 全体は淡いグレージュで、毛先にオリーブを思わせる色味が宿る。

 くしゃりと降りた髪の奥から、高い鼻梁が突き出す。苛立ったように下唇を軽く噛んだ口許。唇は血色が悪く、かさつく。男は無造作に前髪を掻き上げた。

 鳶色の瞳孔細い瞳が。

 猜疑心の強そうな半目で周囲を睥睨する。

 そして、その目は。


 まなじり(・・・・)と、目頭(・・)に。

 鋭く刃で切りつけたような傷跡(・・)があり、赤く色づいていまにも裂けそうになっていた。


 目が合った。

 ジョンの心臓の奥で嫌な動悸が起きる。

 次いで、両腕がずきりと痛んだ。

 まるで駆動鎧装との接合部に心臓がついたかのごとく、そこに拍動があると感じられてならない。悪夢を見て目覚めたときのように、早鐘打つ拍動がそこにあった。




 脳裏に。

 一瞬の間にすべてがよぎった。

 出会い。共にあり。笑い。

 ディアがいて。三人で共に過ごし。ゴブレットがいて。

 互い腕を高め合い。

 彼の決意を信じ。

 共に都を出て。

 ドルナクに着き。腕を高めつづけ。騎士になって。

 騎士になって。

 騎士になって。

 騎士で、あって。

 騎士で、あれたはずなのに。

 剣に、生きたはずなのに。

 剣に、死ねたはずなのに。

 剣が、剣が、

 刃が、刃が、

 打ち合い、叩き合い、圧し合い、弾き合い、斬り合い、斬り合い、斬り合い斬り合い斬り合い斬り合い斬り合い斬り合い斬り合い斬り合って、

 斬り、

 結んで、

 右腕が。

 落ちて。

 刃の向こうに。

 吹き飛んでいって。

 ■■■は、均衡を失って倒れ、

 目頭とまなじりの切れた、血涙流す瞳と、見合い、

 仰向けに倒れこんだ■■■の上に覆いかぶさるように、奴の双剣が構えられ、

 ■■■は。

 喪失に。

 恐怖した。


『         』


 言った。

 自分が言うはずがないと思っていたことを。

 自らの口で。

 言った。


『……はは、いまさらそれ? 無理だよ、■■■。だってさ――』


 ――僕はきみが、とても憎いんだ。

 そう、言った。

 奴が。

 血に染まる目を閉じ。

 両手の剣を見せつけるようにして。

 ■■■の左腕の上に。

 断頭台のごとく。

 掲げて。


『   !!!!』


 ■■■の叫びを断つように、

 振り下ろした。

 刃の向こうに、

 左腕が消えた。


 すべて     

      が

          終わった。




「………………――――ッス、レ、ェェエエエエエエイドォォオオオオオオッッッッ!!!!」


 胸元に抱えていたものを置き去りに立ち上がり踏み込み、左肘内に仕込まれたストラップを噛み千切らんばかりに歯で引き、両腕に火を入れた。

 両腕の拍動が増幅される。

 どるんと唸りを上げ、殺意を以て起動する。

 思考よりも早く感情がほとばしり疑似神経回路を走り回る。

 低く身を屈めたまま疾走した■■■――――だった者は。

 ジョン・スミスは。

 引き絞った弓から放たれた矢のごとく、目元の切れた男――スレイド・ドレイクスに向けて突っ込んだ。


「……なんだよ。突然に大声あげてさ。ああ、僕を呼んでるのか」


 自分の名への認識が希薄なスレイドは、変わらず下唇を噛んだままゆるりと立ち上がる。

 とっくのとうに、首の傷は治っていた。当然だ。

 奴は、急速分裂型吸血鬼なのだから。

 先のサミット会場で《捩止め》を受け流した術理も、そういうことだったのだ。

 あのときジョンが考えた手は……『受ける瞬間に関節を外す』という回避法だ。威力が伝達しきる前に肘なり肩なりを脱臼させれば、いかな蹴りの威力も通り切らない。


 しかし人間の身でそれをおこなうのはリスクが高い。故に、たかだか模擬戦でそこまでするのか? との疑念があったのだが――吸血鬼ならば合点がいく。いかな自壊も自傷も、大した問題ではないからだ。

 戦い方が双剣の勢法に似通っていたのも道理である。スレイドはジョンと同じ、タルカス流にて双剣の扱いを学んでいた身だ。

 さらに言えば、『崩し』がなく双剣の機にそぐわない戦法だったことも。吸血鬼故の回復力を頼みにした後手を得意とするようになっていたなら、当たり前のこと。


「僕を、殺す気か? ■■■」

「そのっ、名で、呼ぶなァァあああああッッ!!」


 無防備に進み出るスレイド。その首筋めがけて、関節をロックした右の貫手を突きこむ。

 スレイドは前進を止めなかった。

 勢いついた貫手を――首で受けて(・・・・・)それからやっと動く(・・・・・・・・・)

 ぐじりと中指薬指人差し指が刺さった時点(・・・・・・)から左に腰を切るよう動いて、派手に出血しながら身をよじる。

 首の皮に巻き込ませて相手の手を引っ張り、その先の動きを縛ることを――最初から想定に入れて動いている。


「無理だよ、■■■。お前に僕は殺せない」


 口の端から血を流して言いつつ、右の拳を脇腹めがけて打ち込んでくる。受けの動作からの反撃は流麗。

 左肘を下げてこれをガードするジョン。スレイドの右拳は合金製の装甲に衝突し、めきめきとひしゃげた。「へえ?」と少し感心したような、小ばかにしたような反応を漏らして奴は後ずさる。

 その間にもう拳も、首も、回復していた。

 ぶごぼごと内側から盛り上がる肉が傷を押し縮め、何事もなかったかのようにまた歩みくる。

 ジョンが拳闘の構えを取り、左の拳を放つ。スレイドは、まばたきせずにこれを顔面で受けた。頬骨を砕いた。高熱の駆動鎧装に触れて皮膚がじり、と焼ける。


「痛いな」


 スレイドはそのまま左腕をつかむ。みきり、と異様なほど力強く引き寄せられた。――自壊を無視して無茶な怪力を発揮している!


「お返しだよ」


 まだ右頬の肉盛り上がる最中の顔が迫る。

 振りかぶって、スレイドは頭突きを叩き込んできた。ジョンは顎を引いて額で受けるが、ごずん、と重く延髄にまで響く痛みにがは、と息を漏らす。

 だがタダでは起きない。


「ん?」


 スレイドが反応する。密着したのを逃さず、ジョンは右の親指でへそを抉り抜いていた。

 指先でかき混ぜるように腹膜に爪を立て、駆動鎧装の出力を上げる。


「おおおおおおおおお!!」


 残る四指を皮膚に突き立てると、ぎぢ、と親指にかかる負荷が強まる。

 その負荷が一定値を超えたところで、びぢぢぢぢッ、と厚手の布地を裂くように腹部の皮膚を一部引きちぎった。


「いっ、っづづ、」


 血がこぼれ、さすがに痛むのか顔をゆがめるスレイド。左腕も離される。

 それでもなおまばたきはせず、前屈みの態勢でジョンを睨みつづけている。

 三年ぶりの再会だ。思うところあってのことだろう。

 そう考えながらジョンは左腕を振るい、顎先を狙う。これには素早く対応し、右肩を上げるようにしてガードする。脳震盪で意識を奪われると回復が使えないことを熟知している。

 三年。

 その期間に、吸血鬼としての戦い方を学んでいる。これまで相対してきた吸血鬼とはそこがちがう。

 けれどジョンもまた、三年かけて吸血鬼との戦い方を身に刻みつけてきた。


「どれだけの血を吸って生き長らえたかは知らんが……それも、今日までだ。お前を、殺すッ!!」


 両腕の出力を上げ、より激しく肩より蒸気を発する。引き戻しの動作を加速させるよう稼働内容に変更を加える。

 左からはじまるラッシュを、踏み込みと同時に叩き込む算段だ。いかな再生回復、いかな自壊の戦法があっても、殴れば居付く。動きは固まる。

 連打で動きを止めれば、殺し切れる。


「危ないな。まったく、なにも変わらない男だよお前は」


 スレイドは鼻で笑うように言い、口の端をゆがめた。


「なにも見えちゃいない――お前は、わかってないよ。だからダメなんだ」


 す、と一歩引く。

 いまさら逃げるつもりか、と追い足を速めるジョン。

 しかしそのとき、横から追いすがり向けられる白刃に気づいた。


「っ!」


 とっさに腕を掲げて身を護る。

 振りかざされた剣が合金の腕と競り合い、バヂィンと弾き合った。

 向こうの剣にも刃こぼれした様子はない。複層錬金術式合金クワレウィタイト――騎士団の装備だ。

 なぜ騎士団の……と思いながら見やり、

 そして気づく。


「……ロイ=ブレーベン……」

「ええ、私ですよ。第七のジョン・スミス殿」


 骸骨に皮膚を張り付けたように肉も毛も薄い面相の、第三騎士隊隊長がそこにいた。

 ロングソードを、剣先下げた愚者の構えで携えている。

 口調は常のものと変わらなかったが、表情は硬く張りつめて、視線はジョンの隙をうかがっている。

 攻撃の意思しか感じられない。


「なぜ俺に――くっ?!」


 つづいて、もうひとり。

 ふいに現れてジョンを襲う者がある。

 反応できたのは、スレイドを前に極限まで研ぎ澄まされた感覚あってのことだった。


 それでも防御は完全とはいかなかった。


 掲げた右腕に亀裂が入る。ジョンは唖然とした。

 前腕中ほどまで切り込まれたことで、ブシュゥゥと蒸気があふれる。破滅的な音が腕伝いに体内に響き指先が動かなくなったことを悟る。

 アブスンのときのように装甲だけでなく、一撃の内に完全に破壊されている……!

 白い蒸気の向こうで、銀の腕を切り裂いた人物の影が揺れる。

 ジョンは稼働停止に追い込まれた右腕をぶら下げながら、接敵に備え左半身になった。

 しかし。


「片腕が無くなった時点で剣士は終わりだ。そのことを貴君は、誰よりもよくわかっているはずだろう」


 言葉の終わりに、

 刃が突きつけられていた。


 たとえるならそれは這い寄る闇。

 日暮れ時、気づかぬうちに室内が闇に満ちていたときのような前触れの無さ。

 動いてきたというより、気づけばそこに居たという恐怖。

 ひたりと喉皮一枚のところで停止した刃の先に、そんな恐るべき剣を成し得た人間が立つ。

 礼装だろう、燕尾服テールコートに身を包んで、高い背をしゃんと正し姿勢は不動。

 細く見えるが身の内に蓄えた熱量はすさまじいものだと――剣をやっている者だけがわかる体つきだった。折り重ね打ち鍛えた鋼を思わせる、徹底的に苦行と荒行を叩き込まれた肉体だ。

 発達した両肩から連なる、太く頑丈な首。鋭い顎と輪郭には厳格な表情が宿る。白と黒がまだらに入り混じる髪は後ろに向けて撫でつけられており、苦渋と苦悶を思わせるような額の皺を浮き立たせている。

 厚ぼったいまぶたの下、視界のすべてを切り裂きそうな鋭い瞳が、ジョンを見据える。


「エルバス・ペイル……!」

「卿を付けてもらおうか、第七の」


 注文ひとつ、それで彼は刃をわずか押し込んだ。首に冷たさと熱さが同居する。

 ペイル卿。

 銀霊騎士団第一騎士隊隊長にして騎士団長を務める、かつてこのドルナク周辺を所領としていた本物の貴族の生き残り。サーの名で呼ばれる一族の老翁。

 だが。

 だがそんな肩書はどうでもいいことだ。

 真に恐れるべきは肩書ではなく……彼の成した偉業の中の異業。


『単独での現象回帰型吸血鬼の討滅』。


 その一点に尽きる。

 切断した腕が空中に浮いている間に癒着・再生をおこなうとまで言われた現象回帰。はじまりの吸血鬼。

 十六年前にこのドルナクに出現し蒸気都市を恐怖に追い込んだその存在を、この老人は単独で切り伏せた。

 その晩も杭弾銃パイルガンで幾多の銃撃を食らい、それでもなお平然とわらって幾多の人間を食い散らかしていた吸血鬼を……近くのパブの壁にかけてあった鉄剣を片手に、ほふった。

 斬ったあとに述べたのは、たった一言。


「――意識すれば回復するというなら、意識される前に切ればいいだろう」


 彼は暴論を己が身で体現し、現象回帰型吸血鬼リンキン・H・グランドはその晩、細切れにされた。

 その異業をして、エルバスは後年騎士団設立の際、騎士団長に任命された。貴族である彼は閉じかけた人生の最後に訪れた新たな任を喜んで拝命し、現在に至る。

 そう。

 本物の、貴族だ。

 故に彼は迷わない。

 故に彼は考えない。

 拝命した任をつつがなく滞りなく成すのみ。

 つまり彼がここに現れ、刃を抜いているのなら。それはすでに場に切り札(ジョーカー)が出されていることに他ならない。

 降りるか死ぬか。

 いや……降りはない。それはどうせ、ジョンにとって死だ。


「……なぜ俺に剣を向ける」

「大主教の居室でこれ以上の騒ぎを起こすこと、まかりならん」

「馬鹿な。そこにいるのが何者なのか、気づいていないのか」


 ジョンがなじるように言えば、エルバスもロイも怪訝な顔をした。どうやら両名とも、スレイドの正体には気づいていないらしい。

 ならばとジョンは、宣言する。


「そいつは、吸血鬼(・・・)だ。急速分裂型――名を、」

「アシュレイ・ドリー」


 そこに割り込んで、聞いたこともない名前が語られる。

 だれかと思えば、部屋の最奥にいた男。

 大主教イェディン・ガーヴァイスが、にこやかな表情のままにそう口にしていた。


「アシュレイ君です。彼の名は。お調べいただけばぐに解るでしょう」


 そんな虚言を。

 平然と、口にしていた。

 呆然と、ジョンは問いを繰り出す。


「……なにを言っているのだ、大主教?」

「言葉通り。そこの青年は、アシュレイ・ドリーという。親しい人間は真ん中を取って『スレイド』と呼ぶことも有るようですが」

「ちがう。ちがうぞ。こいつは、スレイド・ドレイクス……俺の腕を、」

「おおこれはまた。大主教は、大惨事に見舞われていらっしゃるようだね」


 再び遮られる発言。

 今度はこの場にいなかった人物だ。振り返れば、扉の方からつかつかと入ってくる――クリュウ・ロゼンバッハとヴィクター・トリビアの姿があった。

 ステッキをついて歩くヴィクターを補助するように手を貸しながらやってきたクリュウは、手でひさしをつくって室内を睥睨し、おどけ混じりに言う。


「真昼の凶行だ。それも……流血沙汰とは」


 クリュウが見るのは、スレイドがこぼした血と、鮮血を浴びたロコだ。へたりこんだまま息遣い荒くうつむいたロコは、もはや意識も朦朧としているのかクリュウの言葉にも反応を見せない。


「だが、大したことではあるまいて」


 進み出てきたヴィクターが、垂れた頬肉で口の端隠された唇を開き、重々しく語る。

 曲がった腰でゆっくりと歩んできた彼は、血を流していたスレイドを見るとふん、と鼻を鳴らした。


「護衛の任は果たしたようだな……アシュレイ、いや『スレイド』」

「……まあ一応はね」


 ネクタイを締めるような動きで首を撫でながら、不愉快そうに口を曲げてスレイドは応じる。

 まるで既知の間柄のように。

 ヴィクターと、言葉をかわす。

 そのヴィクターは目配せでクリュウとやり取りしており、

 クリュウは大主教に向かって「災難だったが、まあなんとかなっただろう?」と笑う。大主教も穏やかな顔で「おかげさまで」などと返している。


 なんだ。

 なんだ、これは。

 これでは、まるで――


「さて……では騎士団の御二方に、あとはお任せするという事で宜しいのでしょうか? そこの、私を殺害に及ばんとした少女と……そこの、我が護衛(・・)に手をかけんとした青年の、処遇と処罰(・・)を」


 大主教が、締めくくりのように言う。

 エルバスとロイは、黙ってうなずいた。

 ロイがロコを。エルバスがジョンを。

 それぞれ、連れていこうとする。

 ジョンは慌て、先の進言を繰り返した。


「ま……待てッ! ペイル卿、ロイ隊長、俺が先ほど述べたことを忘れたのか!?」

「あの青年が、吸血鬼だという話か」

「そうだ!」


 ジョンが叫ぶと、エルバスはクリュウ、ヴィクター、大主教に目を向ける。

 彼らは表情こそ三者三様だったが、全員が「この場を流せ」との意思を示す表情をしていた。

 エルバスは黙って、首を振る。


「証拠がない。現に御三方はあのように振る舞ってお出でだ」

「だがッ、」

「くどいぞ第七の」


 エルバスはジョンの胸を突いて放した。

 次いで。


 銀の閃光が二条、走った。


 剣が、エルバスの腰の鞘に叩き込まれる。


「お前は、お前たちは、見てはならないもの(・・・・・・・・・)を見た」


 ジョンは前に出ようとする。

 しかし、うまく歩けずにつんのめった。

 重心が。

 身体の均衡が、うまくとれない。

 ごどん、と重たい音が二つ重なって聞こえた。


「吸血鬼が、大主教の御傍に仕えるなど。そんな事実はない。お前たちは、なにも――見てはいない」


 床に。

 転がっていたのは、ジョンの両腕だった。

 共に三年の月日を過ごしてきた《銀の腕》が。

 エルバスの剣によって断ち切られ、落ちている。


 ――――あのときと、同じように。


 スレイドに切り落とされ、

 すべての喪失に絶望した、あの日のように。


「あっ、あ……ぁ……ああああああああああああああ       」


 声が枯れる。

 意識が途絶えていく。

 なにもかもが、

 切れて、

 落ちた。


        +


 夜を廻り、時刻は二十時過ぎ。騎士団詰所。


「っおい……なんやらウワサでは、僕らにも伝わってきてたけどよ。マジでそんな書状が、来てんのかっ!」

「仰る通りです」


 第十騎士隊――騎士団員が『総務』と呼ぶ、内外の事務仕事を一手に請け負う騎士隊の人間が、第七の隊室にやってきて書類を置いていた。

 食ってかかるのはラキアンだが、彼の様子もどこ吹く風で第十の男は無表情に書類を読み上げる。


「本日付けで第七騎士隊付きの聖職者ロコ・トァンおよび騎士団員ジョン・スミス……もとい、本名を、」


 淡々と述べあげる第十の男の前で、碧眼を研ぎ澄ましたラキアンが机をブッ叩いて発言を遮る。


「本名がどうだとかはどーでもいいんだよッ! 僕が訊いてんのぁその先だ! なんで……あいつらが、除名処分(・・・・)なんてことになってやがんだ?!」

「上からの通達です。詳細はこちらに」


 言われて、ラキアンは男から書類をひったくる。

 それをざっと一読して、すぐにまた机に叩きつけた。


「なんだよこれ……『迎賓館における大主教襲撃の実行犯として逮捕』……? さっきっから伝わってきてたウワサまんまじゃねぇか! あいつらがンなことわざわざするかよ!!」

「私に言われましても」

「お前にゃ言ってねえんだよッ!」

「ラキアンさん。落ち着きなよ」


 壁に背をもたせかけて話の推移を聞いていたルーがたしなめる。ラキアンは、足元にあった埃だらけの書類の山を一部蹴り崩し、苛立ちを隠しもせず部屋の奥に消えていった。

 後ろ姿を見送ってから、ルーは壁より背を離して頭を下げる。


「……すまないねどうも気が立っているようだ」

「いえ。仕事ですのでさほど気にしません」

「ちなみに伝令が来たのはいつだい?」

「夕刻、十八時頃だったかと」

「ありがとう」


 ルーが申し訳なさそうな顔をつくって見送ると、第十の男は無表情を保ったまま一礼して去っていった。

 そのまま彼は薄暗い第七の隊室の中で考え込む。


「正午過ぎにシスターロコの手配がかかりパンチカードの使用にロックがおこなわれた。それからほとんど間をおかず十八時には総務に除名通達が来た。……私も、彼らが大主教襲撃だなんて凶行に及ぶとは思えないことからして」


 すすけた天井を見上げ、ルーはぼやく。


「上で起きたなんらかの『異常事態』を彼らが知り、隠蔽のため囚われた……かな?」


 それから部屋の奥、書類の溜まったデスクの下をくぐって隊長机のところへ行く。

 ラキアンがいらいらと煙草に火をつけて床に座り込んでいた。自分でもいまの態度がなっていなかったとの思いはあるようで、表情に気まずさが滲んでいる。あとで謝罪に向かうならついていってあげようと、ルーは思った。


 さて、その奥。

 隊長机に向いたゴブレットが、机の隅に設置された真鍮製の円筒――送空管から出てくる書状を次々に紐解いていた。

 丸まっていたスクロールを開き上から下まで瞬時に読破しては次の紙へ移動する。その間にも送空管は紙を断続的に吐き出しつづけており、おそらくは私用の郵便であることからして相応の金額になりつつあることがうかがえた。

 同時に、それをゴブレットが気にも留めていないということも。


「……くそ。つかみきれない。一体なにが、起きている」

「ゴブレットさん。状況はどうだい」

「わからない。まるでわからないな……ジョンの行方もロコ君の行方もだ。ロコ君は上等区画の市街地で見かけられたのが最後。ジョンは迎賓館で模擬戦をおこなったあと外付け階段へ向かったとのことで、そこから行方知れずになっている」


 ゴブレットはがりがりと頭を掻く。


「どうもその辺りの動向が不明なために、大主教襲撃犯との疑いを晴らしきれない感じだ」

「蒸姫はなんと言っているんだい? 会場で直前まで共に行動していたのだろう」

「あいつは……ダメだな。何度か送っているが返信が無い。まだ研究所に戻っていないのか」


 どうなっている、と言いながらゴブレットも煙草に火をつける。

 ルーも転がり落ちていくスクロールを拾い上げ、一件一件内容を精査する。どうやら送り主は普段からゴブレットが情報筋として利用している飲み屋や知己の人間たちだ。

 各々、自身の居場所で聞こえてきた情報と自身が見た情報をありのまま送ってくれている。


「……長い夜になりそうだね」


 ルーも一本だけラキアンから煙草を失敬し、一服しながら情報を検めはじめた。


        +


「彼は知り過ぎたよ」


 騒ぎがひと段落して戻ってきたクリュウとヴィクターにそう告げられ、ディアは一瞬なんのことかわからなかった。

 しかし、いつになっても戻ってこないジョンと。

 参加者間で徐々に、まことしやかに語られる「大主教襲撃事件」とその主犯についての噂を耳にするうち、どういうことか理解した。


 ――サミットが終了した十九時ごろ。

 ステッキをついて歩き聖潔室クリーンルームの生活区画へ消えようとするクリュウとヴィクターに、ディアは車椅子で追いついた。


「クリュウさん、会長。……彼は……ジョンは、」

「生きておるよ。いまは(・・・)ね……ふふ。自身を護るため得物を捨てていれば、こんなことにはならなかったろうに」


 くっ、と皮肉げに笑い、クリュウはポケットに手を入れた姿勢でディアに向き直った。

 飄々とした態度はなりを潜めている。

 ただただ、そこにあるのは冷徹な顔。利と益とをなによりも重く見、情や人をさえ数として看做す者の顔があった。

 果学研究学会の上層で幾度となく見たのと同じ顔だ。


「まだ現段階で知られては(・・・・・・・・・)困ること(・・・・)に、手をかけようとしておったのでね。()は試験運用中で大主教に付けただけだというのに、醜聞が広まっては困る……というわけで悪いがいまは、ジョン・スミス君は逮捕拘留という体をとって監禁させてもらっている」

現段階(・・・)で知られて困る……?」

「午後の生物分野のサミット、きみも眠っていたわけではなかろうよ?」


 ディアは言われて、想起する。

 DC研究所などの機械開発分野の発表の後、おこなわれたことと言えば。

 タリスカたち生物分野の発表だった。

 今回そこでテーマに掲げられたのは、


「脳関門と受容器レセプタをすり抜ける微細生物ウイルス……それが及ぼす人体の変容……及び前半の部の、戦場での機械技術、駆動鎧装分野と話を結び付けて…………、……ッ!」

「察しが良くて助かるよ」


 からからと笑いながらクリュウは背を向け去っていく。

 ヴィクターもひとつ鼻を鳴らし、「もう少しお前も都に残っておれば、こちら側だったに相違ないがな……」と惜しむようなことを言い、クリュウと並んでいく。

 ディアはその背に、叫びをぶつけた。


「あなたたちは、吸血鬼(・・・)を……軍事目的で?!」


 問いかけに、彼らは足を止めた。


「ドルナクは、ここで起こっていることは……賓客が聖潔室を出ないのも! 産業区画など一部の従事者がマスクをしているのも! 抜本的な吸血鬼対策が出ないのもすべてっ、」

「皆まで言うのは無粋だよ、《蒸姫プリンセス》」


 論文ではないのだから、とおどけた調子で言いながら、クリュウは肩越しにディアを見る。

 嘲りを浮かべた瞳で、下のまぶたに弧を描かせた。


「そうだとも。ヴィタもDCも学会も騎士団もすべて繋がっている――そしてきみはDCに所属する技師だ。加えて、きみの愛しいご友人は我々の手の内にある」

「従いたまえ。オブシディアン・ケイト・エドワーズ」


 クリュウとヴィクターが続けて言う。

 ディアは激しい胸の痛みを覚えながらも、なにも言えなかった。

 逆らえば、どうなるかわからない。ジョンの身に危険が迫るかもしれない。

 涙をこぼして、うなずきともうつむきとも取れない姿勢を取るしかなかった。そのあいまいさこそが、いま彼女にできる唯一の反抗だった。

 二人は去っていく。

 去り際に、クリュウはぼやく。


「ああ。きみらが属す研究所が冠する『DC』にはいろいろと意味があったのだがね。そのうちのひとつを、教えておこうか?」


 ――Disease of Cerebral.


 脳の病……あるいは。

 脳の変容(・・)


        +


「……――バイタルは? 出血性ショックか? 意識レベルは最悪だが内臓に傷は無いな敗血症および各種感染症に気を付けろ輸血も用意し、ちがう! ロコ・トァンの血液型で用意するんじゃない! この子はロコ・トァンではない!」


 やかましい声に、少しだけ意識が戻った。

 ぼやけた視界の中で見上げると、あの多レンズの眼鏡をかけた女があちこちに指示を飛ばしていた。


「……ああそうだ、だれなのかは結局わかっちゃいないが助ける! さっさとしろぼさっとするなとにかくこの子を回復させろ! それからこの子がどうするかは」


 そのとき一瞬だけ、彼女がローナに目を合わせた。


「この子次第だ」


 そして意識を失った。


        +


 暗い。

 目覚めた部屋は、暗く冷えていた。


「……俺は」


 どうなった。

 ロコは、どうなった?

 自分含めた周囲の人間の安否が気がかりで。ジョンは嫌な胸の疼きがおさまらない。

 とにもかくにも現状を確認しようと起き上がって、途端に身体が横に転がる。

 ひどく、バランスが悪い。

 その原因に気づくまで、しばらく要した。


「……う、おおおお、あ、あああああっ!」


 腕が。

 無い。

 左右どちらも肘から両断されており、あるはずの、あったはずの重みが無い。

 そのためにバランスを欠いていたのだ。


「っあ、ああああああああああああああぁぁ、ああああああ!」


 ベッドから落ちる。転げまわり、うめきを上げ、首を振るって叫んだ。

 這いずって、壁際にいって、背をもたせかける。

 呼吸を落ち着け、目を薄闇に慣らした。

 背を冷たい壁に押し付けて、なんとか立ち上がる。ずりずりと、シャツの背をこすりつけるように、姿勢を正した。

 辺り、見回せば。

 石壁に覆われた部屋だった。ベッドと、洗面台と、便器しかない。

 風が、吹いてきている。

 その方を見れば金属の格子が天地を貫くように、ジョンの前に立ちふさがっていた。

 ……牢。

 独房の中へ、閉じ込められていた。


「……馬鹿な……こんな……、」


 脳裏を、よぎる。

 あの一幕。

 大主教の居室で起こった一幕。

 すべては……

 あの場にいた全員が……

 繋がって、いたということ。


「あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 絶叫する。

 ジョンは絶叫する。

 あの日の■■■と同じように、叫びつづける。

 声枯れるまで。

 喉潰れるまで。

 胸の内に点る復讐の火が消えるまで。


 それは、つまり。

 まだ、終わりを認めはしないということだ。




第四部、完

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