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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
襲劇

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62/86

61:短剣と致命傷とその者の名


 ナイフ突き立てるロコ。

 マスクの輪郭を血に濡らした男。

 法衣をまとう中老の男。

 三者並んだ部屋に踏み込んだジョンは、数瞬呆気にとられた。

 ……やっとのことで絞り出したのは、よく見知った彼女への声。


「お嬢」


 その声に彼女は、わずかに身をぴくりとさせた。

 入口の方にいたジョンを、顧みる。

 マスクの男から噴き出した鮮血を浴びた横顔で、悲痛そうな面持ちで、ジョンを見る。

 青金石ラズライトの目が揺れて、躊躇いがちに伏せられた。


「……見られていい姿では、なかったですね」


 一言、それだけを口にした。

 次いで。

 はあ、はあ、と息を荒げながらナイフより手を離した。

 マスクの男が膝を屈して倒れ、血があふれる喉元を手で押さえる。だがジョンはもうそちらは目に入らない。

 ロコは、ふらふらと後退していた。

 挙動がおかしい。あの体術の名手が、軸を失ったかのように均衡のとれていない動きをしている。

 原因は――――


 はたはたと落ちる雫と、

 白いショースを伝い落ちるしたたりとが、示していた。


 血が。


 ロコの身体からどんどんと流れ落ちている。

 とうとう足をもつれさせ、彼女は仰向けに倒れそうになった。尻をついてどうとへたりこみ、「うううっ」と痛ましい悲鳴を上げる。

 左の脇腹に、光るものが見えた。

 短剣だ。慈悲の短剣が、腹部に突き立てられている。


「お嬢!」

「お嬢……、か。随分とまた仰々しき名で呼称されているのですね、この娘は」


 叫ぶジョンにかけられる低い声。

 声の主は、部屋の最奥にいた。

 悠然と立ち尽くす――法衣の男。

 枝毛多い青灰色の前髪の奥に銀縁の眼鏡をかけ、照明がレンズに反射して目の色はうかがえない。その眼鏡は、つるから伸びた細い鎖を首裏へ伸ばしている。

 鎖かかる位置の後ろ髪は刈り上げており、サイドバングのみを胸元まで長く伸ばした髪型は一見ひどくアンバランス。だが細面な男には、不思議とよく似合っていた。

 白皙はくせきの頬には太く深い皺が幾数本も刻まれている。けれどそのどれもが穏やかな表情を縁取るもののため、年配者特有の威圧感はほとんどない。ひげもなく、眉もしなだれて長く整い、風貌には親しみやすさがあった。

 純白の法衣アルバをゆったりと着こなした様は冷静さと落ち着きがうかがえ、柔和な面立ちには常に凪いだ湖面のような、音の無い心地が表出しているように映る。


 その風体は、要人ということもあり情報として聞き及んでいた。

 そしてここがだれの居室か明らかなる以上、彼の正体はまずまちがいなくヴィタ教最高位の聖職者――大主教、イェディン・ガーヴァイスだ。

 ロコは大主教に向けて、血がにじみそうなほど鋭く視線を飛ばしている。


「大、主教……」


 かなりの深手であるにもかかわらず、彼女は歯を食いしばって痛みに耐え、目の前にいる相手へまだ戦意を向けつづけている。

 ゆっくりと、床から上がる右手。

 構えられた短剣の切っ先が、

 大主教を狙っていた。


「ここで……あなたを、仕留めなければ(・・・・・・・)


 決定的な言葉を告げて。

 ロコは命を、狙っていた。


「わたくし、の、生涯は……無為なものに、なる……!」


 それは憎悪と呼ぶには悲哀に満ちて。

 殺意と呼ぶには純粋に過ぎて。

 ひどく切ない響きを伴う、独白であった。

 大主教はこれを受けても表情にひびひとつ入らない。ただ、微笑みを浮かべるばかりだった。


 ……状況は読めない。

 なぜ大主教の居室にロコがいて、彼を殺そうとしているのか?

 なぜ彼女に慈悲の短剣――ロコが己の短剣を握っている以上、十中八九大主教のものだろう――が刺さっているのか?

 なぜマスクの男は大主教をかばったのか?

 なぜ大主教はこの刃傷沙汰に平然としているのか?

 ……疑問は尽きない。


 だが大主教がこつりと一歩を踏み出した瞬間に、ジョンの指針は決まる。


「動くな」


 一喝し、ジョンは大主教を睨む。

 彼は解せないという顔で、やんわりとジョンに訊ねた。


「それはその娘への言葉であろうか。あるいは制止うながす意図の発露ですかな? この、私への」

「両方だ。お嬢、まずお前は傷を悪化させないために動くな。大主教、御身は得物もなく無手の状態でこの女の間合いに入るな。手負いであろうとこの女の剣筋は人間相手には十二分な危険足り得る」


 なにが起こっているかはわからないが。

 ジョンは、状況をこれ以上動かしたくなかった。すでにかなり切迫した局面に至っている。この上二人の接近を許せば、どちらかがどちらかを殺す可能性がある。

 ロコに死んでほしくはないし、大主教を殺させたくもなかった。


「状況を固定させてくれ」


 このままなにも起こらないようにしてほしい。

 こいねがうようなジョンの物言いに、大主教はゆっくりと表情を和らげた。

 それから、踏み出した一歩を引いた。


「双方の身の安全を確保せんがため、か……であれば従うことに否やはない。宣言しましょう、いまこのときより私は不動を保つと」

「そうしていただけると助かる」


 そのように口にしつつも、ジョンはいまいち大主教を信用しきれないためこの場を去りはしなかった。あまりにも落ち着き払った態度が、非人間的な感情の揺れの無さを思わせたのだ。

 医者を呼びに行く数瞬の間に殺し合いが再開されないとも限らない。第一騎士隊が到着し、大主教とロコが無事引き離されるまでは、ジョンもここを離れられない。

 ジョンはひとまずロコに駆け寄ってひざまずき、へたりこんだ彼女の背中に胸を貸して支えた。

 短剣は彼女の細い腹部にかなり深く沈み込んでいる。だがそれゆえに抜けにくくなっており、いまはまだ致命的な出血を押さえている。


「医者を呼ぶまで耐えろ。意識を保て」

「……ジョン。さま……」


 肩越しにこちらを顧みながら、彼女はぼうっとした視線をさまよわせる。


「だめ、です……あいつを、仕留め、なければ……」


 熱に浮かされてうわ言をぼやいているかのような口調だった。

 けれど、視線がさまよっていても、口調がぼやけていても。

 表情と瞳の奥に宿る意思は、いまここで生まれただけの薄っぺらなものには見えなかった。

 固く、難い物事をおこなおうとの気概がうかがえる。


 それはジョンの中にある意思と、どこか通ずるところがある。

 長く、永い月日をかけて打ち鍛えてきたような――


「父を」


 暗い、意思が。


「わたくしが」


 ひどくはっきりとした発音で、


「殺さなきゃ……」


 哀切な揺らぎを孕んで、放たれた。

 ジョンは…………

 反応、できなかった。

 己をよく知る人物だと思っていた。

 己がよく知る人物だと思っていた。

 けれどそれは、相手の中に自分と似たものを感じて、鏡を見ているような気分の表れに過ぎなかったのではないか。

 あくまで自分の虚像を見ていただけではないのか。そう、思えた。


 彼女の視線の先を見る。

 大主教が立ち尽くしている。

 彼と視線がぶつかる。

 銀縁の眼鏡の奥と向き合う。

 開かれたまなざしは――――青金石(・・・)

 見覚えのある色が、ジョンをまっすぐに射抜いていた。


        #


 さすがにロコも、下調べをしていない道のりには難儀した。建物の外観構造からおおまかな部屋配置の予想を立ててはいたものの、迎賓館の内部はこうした急襲などに備えてか非常に入り組んだ構造になっていたのだ。

 生活区画奥深くへの進攻は時間がかかり、賓客の居室近くへ行き着いたときにはすでにかなりの時間を浪費していた。

 もう、なりふり構ってはいられない。

 護衛なのであろう人々が通路を遮っているのを見て、ロコは息をふたつ。

 それで覚悟を決めた。

 すっ、と、常の歩みのままに堂々と、もっとも近くにいた男へ迫る。

 彼は不思議そうな顔でジャケットの襟元を正し、慇懃な態度でロコの前まで進み出た。


「失礼、シスターのお嬢さん。きみは、」

「すみません」


 彼は穏便に近づいてきたが、捕まればそのまま弾き出されることはわかりきっている。

 そうある以上、相手には申し訳ないがロコは止まるわけにはいかない。

 ひゅんと振るった両腕で相手の動きを固める。足を払い投げるまでに要した時間は指を弾くより短いいとまだ。

 ぐるんとその場で回転して肩から落ちた男が悲鳴を上げる前に、ロコは頸部を絞めて音もなく意識を奪った。

 ずる、ずる、と引きずった男を物陰に隠し、なに食わぬ顔で進む。次なる者を下す。さらに進む。


 四人排除したところで見つかり、警戒態勢が敷かれた。

 通路の前後から、護衛の者たちが殺到する。

 今度は最初から手に手に得物を構えていた。至近で振るうための節棍棒ブラックジャック合金警棒バトン絡取棒スナグス

 突き出されるそれらを前に、ロコも得物を抜いた。

 腰に差していた慈悲の短剣を右手に取った。ふつりと糸が切れた操り人形のような脱力で膝を抜き、沈み込む動きで懐に潜り込む。


「うぉ、速――」「遅いです」


 あわて乱れた振り下ろしに、斜め下方から巻き付くような剣筋で短剣の刃が絡む。

 振るった節棍棒の重みに耐えかねたかのごとく、男の上体が傾いだ。

 ロコの剣技《裁き手》によって己のスイングの軌道を逸らされつつ力を加算され、操作しきれない力に振り回されたのだ。

 勢いあまって地面を叩こうとしたかのようにも映る姿をさらして――無防備にこうべを垂れた男は、追撃の左拳槌《鉄槌》により後頭部を殴られ昏倒した。

 つづいての特殊警棒の男も。絡取棒の男も。同様の動きで倒される。


「ば、かな……まったく、同じ、動きで……!?」

「それが術というものですよ」


 拳槌を食らって倒れ伏していく男のつぶやきに、ロコはそう返した。

 たしかに一連の流れはほとんど同じ動きにしか見えまい。おまけにいまさっき、自分の仲間を倒した動きだ。それにしてやられるというのはたしかに不思議なものだろう。

 だがそれを可能にするのが術だ。

 間合いと呼吸を読んで「相手を自分が必勝する位置・タイミングに誘導していく」ことこそが、術だ。武術だ。

 ……故に。

 次に現れた二人組は、ロコの必勝の位置を外れて立っていたことからも、強者であるのが明らかだった。


「得物は慈悲の短剣……聖職者(同族)かね?」


 ロコと同じく刃引きされた、助からぬ者を(慈悲故に)苦しませぬための(命絶つ)短剣を持ち、右片手中段にこちらへ突き出す。使い手は純黒の祭服カソックを身に纏い、細い目でこちらをねめつける背の高い中年の男だった。


「それにしてはずいぶん、荒々しいと思うがね」


 嘲弄するような口調で、もうひとりが並び立つ。儀礼杖を模したメイスを下段に構えており、長い柄の中ほどに左手を添えていた。こちらも先の男と同程度の背丈を有していたが、体型は重心低く、腹部から太腿にかけて肉が厚い。

 ここまでの護衛とはちがう雰囲気を感じ、すぐにロコは身を翻した。

 同時に左手にナイフを抜き取り、右手は中段に左手は上段に構える。


「……ええ。わたくし、少々荒いですよ」


 短剣の切っ先越しに二名をにらみ、ロコはしぅぅ、と歯の隙間から息を吐いて肚を据える。

 おそらくこの二人は武僧兵。

 聖職の領域では血の穢れや争いを想起させる一般的な得物を使用できないため、このような得物の扱いに長けることとなった教会要職の人物専用の護衛だ。

 先ほどまでのような戦い方では、倒せないだろう。


「ですから、あなたがた。どうか、御覚悟を」


 ロコは二人に向けて言った。

 よく似た表情で、どちらもが「なに?」と眉をひそめた。

 ロコはそれを聞かなかったかのように淡々と、己の意図するところを告げる。


「加減は、できません。気絶へ持ち込むまでに、手足のいずれかに二度とまともな機能を取り戻せない損傷を負わせます」


 この言葉への相手の反応は待たなかった。

 弁明でなく宣言でしかない言葉は、届いたことさえ認識する必要はない。

 床を蹴り出したロコが前に出る。

 二名も得物を突き出してくる。

 裁きと捌きの衝突。


 ――計、

 五合ごごう

 わずかそれだけ。


 しかし重く激しい打ち合いが、あった。

 短剣が落ちる。

 祭服の男の短剣だ。

 メイスはかち上げられて天井に刺さっていたが、これもほどなく床に落下した。


「――――――――っは、ぁ」


 短く吐息を漏らしたロコの足元に屈し、それぞれ肘と膝を逆の方向に曲げられた二人。刺し技は使わなかったので死んではいないが、二度とまともに戦うことはできまい。

 ロコは休むことなく奥へ進んだ。

 両手に刃をつかんだ双剣の構えを崩さず、シンプルかつ豪奢な扉へ向かう。

 扉が近づくにつれ歩速は上がる。

 知らず己の中ではやる気持ちがあることに、御しきれない思いの揺れを感じてなお気が急く。

 扉を蹴り開け、短剣を振るい牽制しながら室内へ踏み込み、すぐに扉を閉める。

 高い天井に向かって、四隅から装飾の施された柱が伸びる。広く、大きな部屋だった。

 天蓋付きのベッドを右手に、左手奥には来客用の応接机とソファが鎮座し、なおも踊り回れるほどのスペースが有り余る。

 そして、目的の人物は応接用のソファに腰かけていた。

 彼は。

 瞑目していた双眸を、うっすらと開く。

 眼鏡の奥にのぞくのは、己が宿すのと同じ――青金石の色彩。


「おや」


 彼は。

 ロコの目を見て、ほがらかな笑みを浮かべた。


「随分と荒々しい訪問だ。して、如何成されました? そうも怒り荒ぶる心持では、休まることがないでしょう……君よ」


 単なる訪問者を見るかのように。

 懺悔に訪れる民衆を見るかのように。

 ロコの正体にまるで気づいていないかのように、彼は言う。いや、実際気づいていないのか。

 彼の中には差別が無い。区別が無い。

 だれをも等しく見、特別を見出さず、ただその様を受け入れ、己が信奉する教義を説くのみ。

 恐れも怯みもしないこの男の様に、ロコはなにひとつ変わらない――、と知る。

 かつて己と己の命運を掌中で振り回したこの男は。

 あの日からなにひとつ変わらず、今日もこうして地位とひとの上に立っているのだ、と。


「……休むことなど、死んでからいくらでもできるでしょう」


 皮肉げな口調で返す。

 この数か月でジョンからいくらか伝染ったのかもしれないな、と思いながら。

 両手に構えた切っ先を向け、ロコは――ロコ・トァンと名乗ってきた彼女は、宣言する。


「ローナ・ガーヴァイス」


 切っ先越しに見据えた先にたたずむ男に、己の名を叩きつける。


「あなたの眼前にいる、怒り荒ぶる者の名。あなたがかつて手にかけようとした者の名です」


 己の出自を、叩きつける。


「わたくしはあなたに、語りたいことがある……ヴィタ教大主教、イェディン・ガーヴァイス!」


 そして対峙が、はじまる。


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