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6:儀礼と水葬と第八騎士隊


「満ちよ、祈りよ、天に見よ――」


 朗々とした祈りの言葉が響く。

 まだ入隊して七日とは思えないほどロコはこの仕事になじんでいるように思われた。

 ここへ来る前の経歴として書類に記載されていた『教会孤児院での務め』などではこういう血なまぐさい仕事には親しみを持てないとジョンは思ったが……そこはあの近接格闘の手腕といい、なにかしら荒事にも触れていたのだろうと推測できる。

 そして腕がわかればジョンにとっては十分で、あえて詮索するつもりはない。


「繋がりは解け、軛は落ち、いまあなたは天に昇る――」


 陰鬱で陰惨なこの貧民窟に、そこだけ光が差したようにロコはたたずむ。

 屈みこんだ彼女は、ジョンに背を向けたまま聖書のページを手繰り葬儀礼を進めてゆく。

 腰から抜いた慈悲の短剣に記名し――まあ当然相手の名がわからないため「ジョン・スミス」と記されていた――遺体の胸元へ置いて、聖水で洗い流すことで彼の者の現世での生の終わりを告げる。

 時折道を通るならず者共もとくにちょっかいを出してくることはない。話しかけるのも躊躇われるくらい、その場は神聖な図として完成していたのだ。

 やがて儀礼が終わり、ロコは聖書を閉じたぱたんという音で締めくくる。


「終わりです」

「ご苦労」

「いえ。……あとは、援護部隊の方々が来るのですよね?」

「第八、第九の騎士隊だ。奴らは埋葬が主な業務の部署なのだ」

「ふむ。わたくしたち第七までが実際的なこうした戦闘の部署だとは聞いておりましたが……すると、第十騎士隊は?」

「装備の発注や整備、騎士団所属員の書類代行や昇級査定などを行う内向きの部署だ。俺たちは総務と呼ぶ」

「なるほど」


 うなずき、ロコは立ち上がる。

 それからちょっとだけ遺体に目をやって、ふむとうなる。


「そういえばこの街に来てまだお墓を見ておりませんが。どちらへ埋葬されるのです?」

「埋葬というか、水葬が主だ」

「……え。流すのです?」

「そうだぞ、川へ流す。お前も見ているだろう、山肌から流れるプルトン川だ」


 草木一本生えておらず、冷たい岩肌を晒して沈黙するばかりの眠れる巨尖、《火の山》。

 その裾野へ広がる蒸気都市ドルナクには山間より三本の河川が流れ込んでいるが、そのうちもっとも太く広く、すべての区画を縦に貫く川がプルトンである。

 いまも彼方の霧とスモッグの中、山の傾斜の高き方へ見えている、巨大階差機関とその下に広がる豪壮な街並み。それらを頂く大断崖。

 その上層から滝のように――落差は五十メートルほどと聞く――ひたすら落ちる灰色の流れがある。

 それがプルトン川であった。

 川はゆるく蛇行しながら下等区画、産業区画、貧民窟と順に抜けていき、最果ての最終処理場でわずかばかりの浄化を受けてからナデュラ帝国随一の運河に合流している。先は海だ。


「あそこへ流す。土葬にするのは、確たる名がある者だけだ」

「まだ死なず生きず(ミディアンズ)に堕ちていない生者のみ、と」

「その通りだ。……まあ金がなく墓所に入れない者も、川に流れるがな」


『名のある者』とはつまり皮肉の一種である。

 しかし、名。真名。

 これを持たない者は土葬にしても意味がない。

 なにしろ墓碑に刻むものが、ないのだから。


「だれでもない者はだれでもないままに消えゆくのだ」


 ありふれた誰か(ジョン・スミス)の名を持つ男はそう語った。


 ――吸血鬼の不死性とはつまり、『名を持たず』『だれでもない』ことに起因する。

 吸血行動によって牙を打ち込まれ同族と化した者は、ほどなくして自身の名を忘れてしまう。

 名を呼ばれれば自分のことだと理解できるし、自身の名を記すこと読むこともできる……が、ただひたすらに『自己の存在と結びつけられない』『自分がそれだとわからない』。そういう奇妙な感覚に苛まれるのだ。

 ナデュラ帝国最高峰の頭脳が集う果学アカデミク・研究学会オブ・ジ・エンドという団体は生物的な吸血鬼研究の傍ら、形而上的な吸血鬼論を冗談半分に述べている。


『とどのつまり、彼らはだれでもない。

 名を持たないとは、この世の理から識別されないということ。

 彼らは彼らを彼ら自身でしか認識できない。

 もはや、ひとではない。

 ひとの似姿をとった現象と化している。

 度し難く殺しがたい。

 彼らの身はすでに名を持たぬ幽体スペクターだ。

 その身の在り様は彼らの意識こそが定める。

 ……故の不死性。故の再生力。

 彼らが己の身について意識し思考するとき、それは現実のものとなる。

 傷は消失し病は消去され身体は万全の状態へ戻る。

 ……故の死なず。故の生きず。そういうものだ』


 死生彷徨う半端者(ミディアンズ)


「不死の肉体を得るため、奴らはひととしての尊厳を担保するものを捨てているのだ」


 個人であること。個であると識別させるもの。

 これを捨て去ることで彼らは、吸血鬼という種族以外の分類カテゴライズと果てある命としての矜持プライドを捨てたのだとジョンは思っていた。


「故に名もなきままに川へ流れる。道理だ」

「……そうなのですか。わたくしがいた町では、無名無縁の者を埋めるための共同墓所がありましたが」

「そこはそこだ。ここはここだ」


 ドルナクは都市として成立した折から今日まで、常に街全体の拡張がつづいている。

 結果、初期計画から形態と枠組みが大きく逸脱して区画も一定しないことが多く、生産や利潤に結びつかない土地を空ける余裕がないのだ。


「土地よりも心に余裕がないように見受けられます」

「……かもしれん」

「むむ。宗教とは本来的に、そうした場にこそ要されるものだと思うのです。心の安寧、ひと息つく場所……墓所や教会は世俗のせわしなさと隔絶された境にあるべき場だと……」

「悪いがそこのあたりの宗教論は俺では語りあうことができない」

「あ、無宗教でしたっけ」

「そうだ」

「大変ですね」


 皮肉でも嫌味でもない顔でロコは言う。

 言葉の意図するところはわからなかったが、聖職者なのに宗教をないがしろにしている者に寛容である、との意思は伝わった。

 めずらしい人間だとジョンは思った。大抵、宗教者というのは宗教を絶対視していてそこに逆らう意を示すと微妙な顔をするものだったから。


「別段、大変ということはない。俺は神のいない世界であってほしい、と思っているだけだ」

「その思考からしてすでに論を広げて語り合えそうに思えますが……まあやめておきますね」

「そうしておけ。『宗論はどちら勝っても神の恥』と言うしな」

「……ジョンさま、本当はなにかしら宗教を信じておられたのでは? 宗教論を戦わせた経験でもなければ、なかなか使いませんよその言い回し」

「俺が信じたことがあるのは自身の力量と親友の決意くらいだ」

「ご、ご友人いらっしゃったんですか!」


 今日一番で反応に困る言葉に対してジョンはスルーという対人折衝技能を用いることにした。


「これで本日の俺たちの業務は終わりだ。帰るぞ」

「あれ、無視。というかちょっと、帰るのですか?」

「給金分は働いた。あとは援護部隊の仕事と言っただろう」


 インバネスの裾を返し、ジョンは吸血鬼の亡骸を離れて歩き出す。

 今回騎士団から下った指示は『貧民窟に潜伏している吸血鬼を処分せよ』というものだった。

 こういう場合、騎士隊は目撃情報を足で調べ・多角的に捜査して裏付けをとり・これと見定めた相手について他部署と連携して素行を調べ上げ・疑いが濃厚になったなら連行する。

 まあ今回は調査の段階で現行犯目撃となったため、このような荒事になったわけだが。


「確保ないし処分と、儀礼までが俺たちの管轄だ」

「でも……その部隊という方々が来るまでは待って、引継ぎをした方がいいのではありませんか?」

「面倒なのだ。金になるわけでもなし」


 言えばむっとした顔になるロコ。一言余計だったかと判じながらも、言いたいことはつい口にしてしまう損な性分である。

 だがそんな問答が遅れを招いたため、結局ジョンは援護部隊と遭遇する羽目になった。運が悪い。


「おや。吸血鬼の傍に血に飢えた獣がいると思えば、貴様かい。ジョン・スミス」


 鼻を鳴らして通りの向こうから現れたのはいかにも高慢そうな優男である。

 またよりによって、とジョンは舌打ちしたい気分になった。


「……ベルデュ」


 名を呼ぶと、彼は高い鼻をひくっとうごめかして皮肉気に片頬をゆがめた。

 肩まで伸ばした黄銅色の髪を中央で分け、神経質そうに肩をすくめて顎を引いた姿勢。一メートル八十はあろう上背だが、その姿勢がためにジョンと大して目線の高さは変わらない。

 細い身体を詰襟の黒い上衣でまとい、異様に長い脚には膝まであるブーツ。腰には騎士団支給の装備である、複層錬金術式合金クワレウィタイトを用いた十字鍔長剣を提げている。

 ベルデュ・ラベラル。

 第八騎士隊に所属する騎士団員のひとりである。


「ふん。今回の一件にからむ部署の資料を拝見したところ貴様の名を見たように思っていたが……ああ不幸だ。なんたる不幸かな、ここにいるということはどうやら私の見間違いではなかったらしい」

「悪かったな、俺が来ていて」

「いや来るのは構わない。構わないともさ。しかし――、死んでくれていないとは何事だ貴様? その面を私の前に出すなと何度となく告げているのになぁ、ひどい話だ」

「あいにくと何度聞いても従う気になれないのでな。恨むのならひと一人言葉で動かすことすらできない自分の無能を恨め」

「相変わらず御門違い見当違いも甚だしいなぁ貴様は。戯れに畜生に人語で命じてみて失敗するのは無能かい?」

「結果の見えている無駄な行為を繰り返すのはやはり、無能と言わざるを得んのではないか」


 明らかに小ばかにした口調でベルデュは言い、ジョンもこれに言葉で突き返す。

 ……まあこうなるのが目に見えていたので、なるべく早くここを離れたかったのだ。

 ちらとロコの方をうかがえば、ひどくやりづらそうな顔をしている。


「……あの、この方は」

「第八騎士隊の無能だ」


 つい流れで貶し言葉を付けて紹介してしまう。

 するとまたベルデュは鼻をひくつかせ、「どうも、そこの畜生よりは有能な無能です」と口にした。

 これに対してジョンの表情筋はなにか働きを見せたようだ。顔はロコの方を向いていたのだが、彼女がジョンを見てひっ、と引いたようなうめきをあげている。


「……ずいぶんと、仲がよろしくないようで……」

「色々あってな」

「で、でも騎士団の仕事は、きちんとこなすのですよね?」


 ベルデュの方へ向き直りながら、頼み込むようにロコは言う。

 彼もさすがに特に罪もないロコに対して悪口雑言に出るつもりはないらしく、短いため息のあとに「仕事は仕事さ」とぼやいた。


「ご苦労だったな。あとは私たち第八騎士隊が請け負うとしよう」

「狩ったのは俺だ。その旨の記載は誤るな、でないと給金が下がる」

「心配せずともこのように無作法な始末の仕方は貴様しかいないよ」


 抉り抜かれ捩じり切られた吸血鬼の頸部に目を落とし、ベルデュは左手で己の腰のものに触れている。

 自分ならばもっとうまくやれる、とでも言いたいのだろう。


「無様であろうと結果は結果だ」


 言い残して歩みを再開し、ジョンはベルデュの横をすり抜けようとする。

 だがそこで、彼は頬を吊り上げながらぼそりと、挑発してきた。


「ふ。まるで食いちぎったあとのような傷口だなぁ――ええ? 『狂犬マッドドッグ』」


 さすがに看過できない言葉であった。

 瞬間、ジョンの右足が動いた。

 地面から放たれた矢のように鋭い前蹴りがベルデュを襲う。

 ドシンと深く重い音を立て、蹴りがベルデュの腹部を押す。

 すでに柄をつかみかけていた右手の甲ごと、靴底で踏んで動きを止めていた。


「……騎士の誉れたる剣を蹴るかい、畜生めが」

「畜生の『お手』程度で怒るな無能」


 ベルデュの左手が鞘引く。

 左足を大きく引いて腰を切り、剣から鞘を抜いた。両刃長剣の煌きがスモッグけぶる貧民窟に放たれる。

 素早く右足を引いてジョンがのけぞると、横薙ぎ一閃が胸元をかすめた。

 たたたんとバックステップを踏み、後ろに投げた重心を戻しつつジョンは向き合った。彼我の間合いは五歩といったところ。

 振り抜いたベルデュは剣の柄に左手を添え、切っ先を天に向け直すと己の顔の右横に鍔元を配する。

 左足を前に出し、腰を低く落として足幅は肩幅より広い。


活火の型(ボルカノ)だな」


 以前は剣を下段に構える溶岩の型(ラーバ)を多用していたのを思い出し、ジョンは言う。

 ベルデュは剣先を揺らして左手の指のかかりを確かめながら、応じる。


「使い分けさ。お前の流派とちがい、インヘル流剣術は火のごとき変幻自在さを骨子とする」


 言い終えるや否や低く地を蹴り出す。

 左の踵へ引き付けるように右足を進め、追いつくと同時に左足を伸ばして飛ぶ。

 訪れる着地と同時の斬り下ろしは重く、また間合いは予想以上に広かろう。

 嫌な間合いを取らせてしまったと内心で自分を責めながら、ジョンは左足を踏み込んで右に身体を旋回させた。

 向けた背中越しにベルデュの攻意がびりびりと伝わってくる。それでも焦らず、回転の力を利し、ジョンはギリギリで彼の剣筋に向き合った。

 交錯、

 衝撃、

 硬直。

 ずざんと硬い音を立てて、ベルデュの剣は地面に叩き込まれた。

 ジョンは無傷で立ち尽くす。いや、インバネスに一筋の切れ目は入れられたか。

 しかし身体に傷はない。

 後ろ回転肘(バックスピンエルボー)の要領で銀の右腕を上方に向かって振るい、剣の側面に叩きつけることで軌道を逸らしたのだ。

 またこの回転運動の最中に肘内のストラップを噛んでおくことで、回転に載せて自然と蒸気稼働も始動できている。

 右半身で拳闘の構えを取り、ジョンはベルデュを、ベルデュはジョンを睨みつけた。

 白く蒸気吐く右腕を突きつけ、ジョンは降伏を迫る。


「この間合いとその姿勢では俺の方が速いぞ」

「……ちぃ……」


 ベルデュは剣を手放し、静かに三歩退いた。

 悔しさに顔をゆがめ、やりきれない顔で目を逸らす。

 が。

 その目に最後に宿っていたのは、憐れみに似た色であった。

 正直、斬りかかってきたことよりもそちらの方にジョンは苛立った。


「これで十六戦全勝だ。いい加減諦めてはどうだ」

「さてね。どうするか決めるのは、決めてしまうのは、もう少し先の私だろうさ」


 地面に突き立っていた剣をつかんでジョンが放ると、ベルデュは回転する刃の柄を正確に見切ってつかみとり納剣した。

 それから屈みこみ、何事もなかったかのように遺体の損傷や現場状況の確認をはじめる。二、三点ジョンの方にもどういう追撃の結果こうなったか、先に襲われていたという被害者はどこかなどを聞いて、調書にまとめはじめる。

 ジョンは完全に切り替えた感じのベルデュを置いて、そそくさとロコに声をかけた。蒸気を無駄にしたと思いながら、がしゅんと腕の稼働を終える。


「行くぞ」


 呆気にとられていたロコは、声かけにはっとする。


「あの、いまの、なんだったのですか……?」

「なんだとはなにがだ」

「さっきまでのやりとりが嘘みたいに、普通に仕事に戻ってらっしゃいますが……」

「俺が知るものか」


 ベルデュ・ラベラル。

 援護部隊の第八騎士隊所属のくせ剣術の腕に異様にこだわり、顔を合わせれば挑発のあとに仕掛けてくる面倒な男である。

 しかし一度決着がつけば再戦まではおとなしく仕事に当たる。まったく理解の範疇にいない男であった。


「騎士団は変なひとしかいないのですか?」

「先日の第三の奴を思い浮かべているのなら否定はできないな」

「いえ、ジョンさまもだいぶ面妖な人物かと」

「馬鹿な」


 ロコの訴えを冗句だと思い、ジョンは二人で帰路についた。


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