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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
式典

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59/86

58:礼服と礼装と開幕


 垂れ落ちるしずくの音が反響する。

 すえた臭いの充満する下水道の中を、分厚いマントを二重にまとったロコが歩いていた。

 侵入口に選んだのは、かつてジョンと共にガルデンを追って忍び込んだ場所だ。あの一件以降、死角の多い路地は危険が多いとして人気ひとけがなくなっていたので身を隠しての行動にはうってつけだったのだ。


 マンホールから差し込む淡い光の筋を見やって、ロコは足を止める。

 筋はまっすぐに天から振り下ろされた槍のごとく、地面に刺さっている。懐から出した懐中時計で時刻を確かめるとちょうど正午だった。

 蒸気式昇降機を使った時点では警察や騎士団に声をかけられることもなかったが、時間的に見てもうここからは『第七騎士隊配属の聖職者ロコ・トァン』としてこの街で行動することはできなくなっているだろう。


「……まあ。下水にまで追っ手がかかる可能性はさすがに薄いと思いますけど」


 ぼやいて、口許と髪をきつく覆ったフードをさらに強く締める。

 目的地まではあとわずか。地図を見なくとも、彼女には道のりが手に取るようにわかる。

 そうなるまで、幾度となく下調べをしてシミュレーションを重ねたからだ。

「昇降機の景色が好きだから」との虚言でジョンから借り受けた通行証で深夜に上等区画へ出向き、何度も何度も道を調べた。

 下水の配置、見取り図と首っ引きになって、通行可能な経路を探索した。

 ――結果が、これだ。


「着きましたか」


 ゆるく風が吹いてくる。これまでの道で感じていた、顔に不快を覚えさせるだけの生ぬるく臭い風ではない。

 外からの風だ。

 眼前には、あのガルデンと戦ったときのような、けれどあのときよりも格段に広い貯水槽がある。取水口もがばりと広く、雨が降れば横長なこの空間へ滝のように水が注ぐのだろうことを予感させるつくりだった。

 ここは上等区画でもっとも標高の高い場所。

 雨天時にドルナクが水浸しにならないよう迎賓館の裏に設けられた、排水施設だった。

 歩きながらマントを脱ぎ捨て、外の風を浴びながらロコはすん、と鼻を鳴らす。全身を覆ってなるべく臭気がつかないようにしていたが、それでも限度はある。彼女は懐から小さな香水入れを二つ、取り出した。

 経路の下調べのときに衣服を持ち帰った際、臭いが残っていると感じた箇所へ吹きかける。中身は純度の高いアルコールと滅菌水。交互に吹きかけてはハンカチでぬぐうようにして臭気を消し去り、ハンカチを捨てる。


 やがて貯水槽の端にたどり着き、彼女は白手套をはめ直しながら、壁に打ち付けられた梯子に足をかける。

 ステップは老朽化していないか少し心配だったが、ぱらぱらと赤錆びを散らしながらもなんとかロコの体重を受け止めてくれた。

 槽は深さにして二十メートル以上ある。途中で踏み外せば無事では済まない高さだが、下も上も見ないようひたすら次のステップだけに集中して、なんとかのぼっていく。

 地面に右手がかかったときには、さすがにほっとした。

 両手でぐいっと身体を持ち上げ、左足、右足と地面に下ろす。

 なにもない土地が周囲に広がっていた。


《火の山》。

 草木も生えぬ不毛の地。

 地下の石炭と鉱石がなければ、だれもが見向きもしなかったであろう土地だ。スモッグと雲が混ぜ合わさったような薄暗い大気が常に辺りを取り巻いていて、荒涼たる風景には灰色と茶色しか無い。

 逆の方を向くと、先の風景から一転。文明の明かりと整然とした街並みが、色とりどりの光を放ってそこに広がっている。斜面を削り均した土地に生える上等区画。左手奥の方にはプロジットとDC研究所を望む。

 そしてもっとも手前に見えているのが、目的地の迎賓館だった。

 裏手であるこちらは山肌からの鉄砲水を避けるべく、城壁のごとく堅牢な塀に囲まれた神殿の威容を誇る。

 もちろん塀は侵入を阻む壁としても機能するため、ロコにとっては憎い存在でもある。


「しばらくはここで待機、ですかね」


 大主教の式典への登場は十五時。その寸前まで沐浴と瞑想をおこなうことは調査済みだが、浴場が位置的に入りづらく、また正午すぎの現在はサミット開始のために賓客・護衛の移動が活発になっていることと判じられるためだ。

 息を整え、腰に提げた短剣と聖書の位置を調整。左手で抜けるようベルトに差した、先ほどの男から奪ったナイフの位置も確認する。

 ふうと息を吐き、片手で胸の前に十字を切った。

 ロコは、天上の神を信じていない。

 けれど神がまったく存在していないとも思っていない。

 彼女の中に、神はいる。

 その意思と決意を表明するために、ここまでやってきた。


 ロコ・トァンを身元不明の死体(ジェーン・ドゥ)に変え、

 名無しの女(ジェーン・ドゥ)の己をロコ・トァンに変え、


 今日この場所までやってきた。

 大主教と、対峙するため。

 己の運命と、対決するため。

 今日この日をこそ待ちわびていた。


「……、」


 風が吹いている。

 あとわずかで、すべてが終わる。

 式典の開始まで、あと三時間弱。


        +


 二階の聖潔室への出入口はすぐに見つかったが、やはり生活区画内は動きづらかった。常に貴族層の人間が歩き回っているので下等区画の平民であるジョンは身を隠す必要に駆られることが多く、遅々として進まない。

 それでも根気強く奥へ奥へ進んだ結果、なんとか大主教の居室と思しき領域までやってきた。


「ここか」


 大主教だからと言って、極端に大きな部屋をとっているわけではないらしい。もちろんつくりは豪奢で立派なものだが、さほど周囲の部屋とちがいはない。

 さっそくドアレバーを押し下げながら扉に体重をかけるが、開く様子はなかった。施錠されているということは、やはりまだ浴場にいるのだろう。

 大規模な水回りとなると、厨房なども存在する一階にあって然るべきだ。ジョンは頭の中に建物の構造を思い浮かべて、階段の位置を探る。

 ひとの視線と気配の間をすり抜けて、見つけた細い階段を下る。と、上に向かう足音が近づいてくるのを耳にして足を止めた。

 だが来た道にも先ほどひとが曲がってくるのを捉えていた。戻るわけにはいかない。


「ちっ」


 考え込むのは一秒に留め、ジョンは片足を振り上げ壁に靴底を押し付ける。

 ざっ、とほとんど音を立てずに手すりを蹴り上がり、上に飛んだ。細く狭い階段だったため、両脚を広げ左右の壁に突っ張ることで姿勢を維持する。

 息を殺しているうち、自分の股下を身なりのいい男が通り過ぎていく。平民の股下を知らぬ間にくぐらせたな、と思いながらジョンは足を閉じ、静かに段差へ着地した。

 階段をおりると広い廊下に出た。

 ディアたちといた大広間からはだいぶ離れた位置になる。ジョンは素早く左右を見渡して、進むべき場所を見定めた。

 見据える先に、教会の礼服をまとった男を二名、認める。

 ひとりは腰に慈悲の短剣。もうひとりは儀礼杖――の一種としてつくられたメイス。

 刃物を携帯できない聖職者でありながら、なんらかの戦闘が起きることを想定している装備。護衛役として控えていることがわかる二人組であった。

 となれば、先にいる人物がだれなのかも自ずと明らかだ。


「……だが、聖職者の沐浴ならば浴場内には護衛も控えまい」


 血の穢れを連想させるものは清めの場には持ち込まないし、儀式や式典前の沐浴は聖書における聖者の最期を模したもののため他者の手を借りない――と、前にラキアンから訊いたことを思い出す。

 つまり護衛役はいま視界内にいる彼らのみ。

 スレイドでは、ない。

 それとも三人目としてどこかに控えているのか……考え込むが答えは出なかった。答えとして奴自身が現れることもない。

 あまりうろうろしすぎると見つかって厄介なことになる懸念もあった。そっと場を離れたジョンは、来た道を戻っていく。


「あるいはあの二名がアークエに属しており奴と繋がっている……とも、考えづらいな」


 さすがにラクアの最上位に位置する大主教の身辺警護役だ。あの二名はそれなりの出自があり、さまざまな検査や試験を突破してその地位にいるのだろう。

 スレイドがいるとしたら、式典の際にドルナク側が用意した警備人員の中へ紛れ込んでいる、と考えるのが自然だ。

 やはり、実際に式典の時間になるまで奴と思しき者を見つけ出すのは難しそうだ。


 ――大広間へ戻ったジョンはディアと目を合わせてすぐ、小さく首を横に振った。残念そうに眉をしなだれさせて、彼女は手招きする。


「そろそろ、サミットの方に移動だよ」

「ああ」

「登壇が終わったら、そのまま会場を辞して式典に向かっていいから。場所はわかってるよね?」

「迎賓館を出て南、上等区画の水路庭園だろう」


 庭園とは名ばかりで、地質の悪さから植物はほとんど生えておらずもっぱら水路に流れる鉱泉水を眺めることになる場所だ。

 そこの奥にある講堂で、大主教から市民へのお声がけが予定されている。

 そこで、見つけられれば。今度こそ――そう考えつつ、ジョンは不動の腕の軋みを感じた。


「……だがまずは、サミットをつつがなくこなそう」

「だね。それじゃ」

「了解だ」


 彼女の後ろに回り、車椅子を身体で押す。

 移動をはじめた人々の流れに乗って、聖潔室の二階へ。先ほどジョンが入り込んだ生活区画への経路とはちがい、昇降機エレベータで上がっていくスペースに会場はあった。

 重く気密性を保持している扉を、開閉役の男が二名で引き開ける。

 扉の向こうにはまた扉。二重構造になっており、ジョンたちが入ると後ろで扉が閉められた。同時に左右の壁面から風が吹き込む。外気の汚れを持ち込まないための措置だろう。


 やっと開いた扉の先、天井の高い一室はひたすらに横長で、滑らかな毛並みの絨毯を敷き詰めた床が彼方までつづく。

 部屋の南北で向かい合わせになるよう、長机がずらりと並んだ。北側がディアたちのように発表をおこなう研究職の席で、向かい合うのは発表を聞く側――資金援助をおこなう資産家の貴族層や研究所の上位層になっているようだ。まあディアもDC研究所における立場は技術長という、上から数えて五番目に位置する人物ではあるのだが。

 北側は、ちょうど部屋の中央付近の壁に白い幕が張られていた。

 少し離れた幕の正面には小さなチェストのような台が安置され、上に匣状はこじょうの機械が載せられている。


活動写真機シネマトグラフか?」

「ううん、動く写真じゃないね。あれは幻灯機ファンタスマだよ」


 研究発表の際の図示などを映すためのもの、らしい。あの白い幕の前で発表がおこなわれるようだった。

 会場が開かれ、入ってきた人々が続々と席についていく。

 途端に、下の大広間で歓談していたときのような空気が薄らいでいく。

 つくり笑いと最低限の挨拶のみが行き交い、ぴりぴりとした雰囲気が漂いはじめた。


 ジョンは、かつてまだ剣を振るっていた頃に似た空気を感じたことを思い出す。昇格試験や他流との交流試合では、いつもこのような空気が流れていた。

 腕を競い相手を出し抜き、己を鍛え高めて成果を出す。

 まったく同じことだ。

 ここもまた、分野はちがえど戦場なのであろう。

 椅子要らずなので設置してあった椅子をどけて席に着いた知己を見やり、思う。彼女もまた、戦っているのだと。

 見られていることに気づいたディアは、ジョンを見上げてはにかんだ。

 どう返したものかわからず、「常のように振る舞え」と、アドバイスにも励ましにもなっていないことを口にした。


「――――まもなく、開会となります。参加者各位の席に各団体の資料はお配りしておりますが、書類不備がある方はお申し出ください。注意事項としましては――」


 開始が迫り、進行役の声が飛ぶ。

 先ほど見た果学研究学会の面々も、それぞれの席についていた。クリュウとヴィクターは南側、プレゼンを受ける方へ。グレアとタリスカ、それと駆動鎧装の右足の男――ブルケットだったか。彼女らは北側、ディアと同じ発表者だ。

 そして、ディアの左隣へ迫る者がある。

 ちき、ちき、と独特の稼働音が近づく。


「……どうも、だわ」


 肩口で切り揃えた髪を揺らしながら、丈の短いドレスで脚部――猫科を思わせる関節構造の駆動鎧装を晒した女が腰かける。

 ジルコニア・アルマニヤ。

 駆動鎧装技術の発表で本日は来訪したのだろう、アルマニヤ重工の社長令嬢にして……先日ジョンとはガルデンを原因とした吸血鬼事件の際に遭遇した女だ。


「……ああ」


 思うところは多々あるが、場所が場所だ。反応を返すに留めて、ジョンはディアの後ろから微動だにしない。

 ディアも立場として一旦は「アルマニヤの方ですね。DC研究所のオブシディアン・ケイト・エドワーズです」と挨拶はするがそれ以上の声かけはしない。脚には注意を惹かれているようだが、突っ込んで話をすることはない。

 ジルコニアの方も……かつてあれほどジョンの腕に興味を示し、その製作者である《蒸姫プリンセス》への憧憬を語ったにもかかわらず、無口だった。手元のDC研究所の資料とディアの両手に目を走らせることはあったが、それだけ。


 ……進行役の注意事項の声が朗々と響く。

 会場の柱時計が、開始時刻へ迫っていく。

 やることが定まっているジョンはもう、あとはときを待つばかり。

 そこへ、奇妙な風体の者が扉を抜けてくる。

 白衣と、鳥頭マスクを帯びた立ち姿。伸びる金属の嘴に似た大気濾過部フィルターは常の産業区画職員などのそれとはちがい、胸元までは届かず顎先を覆う程度。

 その男は、つかつかと南側に歩むとヴィクター、クリュウの席へ近づいた。マスク越しなので読唇することもできずなにを話しているかはわからないが――そのまま、彼らの後ろに控えた。

 しかし、多少風体が妙でも職員であろうことがわかりきった風貌でかつこの場で最上位に位置するであろう二名と口を利いていたことから、周囲のだれもなにも言わない。ジョンもさほど気にしないことにして、そのまま立ち尽くした。


「それでは――技術サミットを開始いたします」


 静かな立ち上がりで集いはうごめきはじめる。

 

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