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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
式典

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58/86

57:絡み酒と歓談と聖潔室


 タリスカ、クリュウ、ヴィクター。

 本日のサミット・式典においては相当な地位にいる重要人物であろう彼ら。

 もちろんこの大広間に集うほかの人々もけっして身分の低い者ではないのだが、だからといって格という部分ではやはり、一段劣ると言わざるを得ない。

 ヴィクターを囲むようなかたちで学会の人間たちの会話は進んでいき、周囲からはひとの影が遠のく。どうやら彼ら三名もディアに対しては挨拶に来ただけのようで、そこからは三名での話し合いがひたすらにつづいた。


「コナーのやつは来てるんだろうねぇ?」

「……解剖生理の彼か。来ておるぞ、いまは聖潔室クリーンルームの方に控えている」

「あっそ。例のウィルスについての研究における、脳関門と受容器レセプタの変化についてなんだがさ、」

「ここで軽軽けいけいに話すことではないだろう、タリスカよ。午後の出番まで軽口は慎んでおきたまえ」

「ああ、その話と言えばご老公……我々の鉱山なのだが」

「クリュウ。お前も慎め。期を見誤るなど経営者としてあってはならぬことだろう」

「これは失礼。お目こぼし願いたいところだよ。しかしもういいのではないかね? 本日はドルナクにとって、ひいてはそこに関わりつづけてきたわが社にとって、記念すべき足跡が刻まれる日なのだから」

「お前たちが発展に寄与してきたことは私も認めるところだが、程度と分別はわきまえよ。慌てる者は足下を見られる、というのは商売人であれ研究者であれ共通の認識であると思っていたが」

「そのように返されると我々も言葉を失うばかりだが……」

「やりこめられてやんの。ざまあないね、クリュウ」

「おいおい。先達の慧眼には素直に従うだけのことだよ」


 気安い様子で、三名はしばし歓談していた。

 だがヴィクターはやはり膝が悪いようで、ややあってわずかに顔をしかめる。

 するとディアは手近なところにいた給仕を呼びつけるとスツールを近くの壁際へ移動させ、ヴィクターにそちらを示して勧めた。


「会長。あちらに」

「椅子か?」

「ええ。目下にもかかわらず私が着座したままというのは心苦しいもので……どうかおかけいただけたならと、そう存じます」

「……語りが上手くなったな、オブシディアン」


 相変わらず笑うことはないが気を悪くしてもいない様子で、ヴィクターは片手をあげてディアに「感謝しよう」と言うとそちらへゆっくり歩んでいった。

 クリュウは彼の背を見送ってからディアの方を向き、「ありがとう。レディ」と言った。彼女は微笑を浮かべて会釈する。


「……これも、立場上の駆け引きか?」


 ジョンが問うと、ディアは「単なる気遣いだよ」と真顔で返してきた。そういうものか、と理解しておくことにする。

 その後ヴィクターを外してタリスカとクリュウがしばし、サミットとは無関係の事柄を雑談しはじめる。会場の食事のことや、出迎えたあとの聖潔室についてだ。


「ドルナクは空気が悪い故、外の人間には辛かろう」「会長も聖潔室から出ないようだねぇ、咳き込んでいるし」「私も迎賓館住まい故に下に出たときは辛く感じておるからなぁ」「二階に籠りきりかい」「いやいや。遠出の用事がいつも立て込んでいるのでほとんど帰ってこないのだがね……」


 などなど。

 さて、ジョンも大して空気に馴染めているわけではなかったので、そこからは彼らを視界より切る。

 頭上、シャンデリアの下がる天井の方を見てディアに確認を取った。


「ディア。聖潔室クリーンルームは、広間の向こうにあるゲスト用通路から入れるのだったな」

「そうだね。姫たちが入ってきた一般客の通用口とはべつに専用通路があるよ。たぶん東側の方、開くと気圧差が生じるから近く通ればわかるかもね」

「そうか。……しかし、先にDC研究所のあの珍妙なつくりを経験したのが功を奏したな」

「なんで?」

「車中から見た外観と実際に見た内部との比較で、大まかに構造を把握できそうだ」

「あー、なるほど」


 どこになにがあるか、までは一瞥しただけでは判然としないが。『ここにはスペースがあるべき』ということがなんとなくわかるだけでも歩く助けになる。

 距離感と配置の把握。それによりジョンは、《聖潔室》を発見したいと思っていた。

 それは名の通り、『外気を遮断し清潔な大気を維持した一室』を指す――迎賓館やDC研究所の一部に設置された、ドルナクの劣悪な空気環境に耐えられない『外からの人間のための』スペースだ。

 もちろん一部とは言っても、賓客や重要人物を招く場所だ。一室のみをそういったつくりにしているわけではない。漏れ聞こえた会話から察するに、迎賓館の二階より上にあるスペースはフロアすべてが聖潔室となっているようだ。

 つまり大主教もそこにいる。

 ならば、その護衛に当たるという、アブスンに接触したアークエの手の者……スレイドらしき人物も、そこにいるのかもしれない。


「サミット自体の会議場も上の聖潔室だったな」

「一応ね。でも区画は宿泊とかの生活用とこうした催事用とに分かれてるから」

「確実に大主教のいる場所にたどり着けるかはわからないか」

「姫も詳しくは内部構造知らないからあれだけど、同じ階層でも特定の階段しか通じてないとかはありうるかな。それにきみは平民だから」

「サミットの会場はともかくも、生活区画へは通さないようにされているだろうな」

「うん。研究所の対応と似た感じになるだろうね。グレア姉とかタリスカおばさんとかみたいな気安い対応はしてくれないよ」


 いつの間にやら入ってきて、クリュウ・タリスカ両名との会話にいそしんでいたグレアの姿を横目に見ながらディアは口の端を歪める。


「あのひとたちは貴族層の中でも格式とか気にしないタイプだから」

「……貴族だったのか」

「うん? そうだよ。タリスカおばさんは業績昇位プロモーションで地位を賜ったタイプ。グレア姉は家柄、まぁ分家筋だから立場強くないけどね。……でも上の空間にいるのは、そういうひとだけじゃないから。平民とは同じ空気も吸いたくないって連中もいる」

「……それでも、な」

「わかってるよ。私のことは気にしなくていいから、好きに探してきて」


 にこっと笑い、彼女はひらひらと手を振る。

 従者――という呼び方はいささか時代遅れだが、今日のジョンはそれに近い立場だ。

 従者の不始末は、主人の不始末。聖潔室への侵入は罪というほどのことではないが、とはいえ周囲にいい顔をされない行いであるにはちがいない。今日の参加者からのディアの心証は悪くなるだろう。

 そう理解していてなお、ディアはジョンに彼の望み通り振る舞うことをこそ、望む。噛みしめた奥歯に強く力を込めること一秒、ジョンは一言だけ「悪いな」と謝意を示した。ディアはうれしそうにジョンの左手を取り、手首から指先までゆるやかにひと撫でする。


「いいよ。けどまあ、向こうさんに要らない不安を抱かせることもないだろうから、可能な限り隠れてね。ていうかきみならバレないように入って抜けてくるくらいできるでしょ?」

「たしかに吸血鬼捜索のため、一通り身を隠して行動する術は叩き込まれているがな」

「ならいいじゃない。無関係なひとたちはうまくやり過ごして、そして見つけたなら、殺せばいいよ」


 撫でて離した手をジョンの前に掲げ、微笑みを絶やさないディアは淡々と言ってのける。

 ジョンはなにも言えず固まって、息をひとつ吐いてから「ああ」と答えた。

 ガちゃりと腕が、身の震えで軋む。

 スレイドに突き立てるべく磨いてきた力を思い、もうひとつ息を吐く。


「きみたち、大主教に会いたいのかね?」


 と、そこでふいにクリュウがこちらの話に割り込んできた。話していた内容が内容なので、聞かれていたことにジョンは少し焦りを覚える。

 けれど彼は細かい部分は聞いていなかったようで、単に好意から確認してくれただけらしい。ふむとうなって天井を見つめ、聖潔室の生活区画の方でも向いているのか建物の奥へ視線を投げていた。


「式典にいらっしゃったあとは直接に目にすることもないであろうしね。この空き時間にお会いできればと考えるのはごく自然なことだ……とはいえ儀を前に沐浴と瞑想をなされる筈だから、いま私室にはいないがね」

「あれ、そうなんですか」


 ディアが問い返す。彼は懐中時計で時刻を確かめつつぼやいた。


「お戻りになるのは十四時ごろだよ。その後は登壇ギリギリまで在室しておるはずさ。なにせ式典の会場までは距離もさして無いし、なによりドルナク(ここ)は大主教が呼吸なさるには少々空気が淀んでいらっしゃる」


 ハハハと笑い、クリュウの炉のような眼が弧を描く。

 戻るのが十四時。となると、護衛役も沐浴の場にいるか。

 浴場ならばそれなりの広さが必要だろう。ジョンはこの屋敷の中でどの辺りなら水回りと広さを両立できるものかと考えはじめていた。

 だがクリュウが近づいてきたので思考を中断する。

 彼は、目元に若干困った風な色を載せていた。


「あー……ところできみたち? 彼女(・・)と知己の間柄だとうかがったのだが、この語り口をどうにかする術を知ってはおらんかね」

「彼女?」

「先ほどから少し話がだね。まぁ。長いというか」


 言いながら彼が耳を掻いていると、後ろから伸びてきた手ががしっと肩をつかむ。

 驚いたジョンたちが見やると、なにやらぶつぶつ言いながら暗い表情をした女――グレアが、そこに立ち尽くしていた。


「……プロジット。そう、プロジットですわ。ジョンさんが先生の御名前をご存じだったから私てっきり、皆様も私と同じ考えをお持ちだと判じておりましたのに……どなたも皆、二号機……十四年前に据えられた、あの見栄えだけの鉄屑と硝子滓とを捩じり固めた柱を、称賛されるのです」


 すわった目でクリュウをにらみ、ほかの人々にも目を向ける。

 それはジョンがダウンタウンのパブでいつも目にしていたのと同じ顔つきだった。

 つまりはラキアン、ルーといった酔っ払いが最後にたどり着いてしまう顔。


「飲んでるの、グレア姉」ディアが問えばタリスカが頭を掻いた。

「アタシは止めたんだがね。どうもここで、初号機の悪口を聴いちまったみたいでねぇ」

「皆様、先生の偉業をなんだとお思いなのかしら! 十六年前に現象回帰型だかなんだか、吸血鬼という人類の敵が現れてもなお、このドルナクと産業の発展を支えた初号機をぉ、あっさり切り捨ててぇ」

「あーいや。あっさりではなかったのだがね。我々も初号機には大変世話になったし惜しいと思っていたのだよ、傑作だと思っていた。苦渋の決断で、二号機の製造へ着手しておったのだよ」

「口ではなんとでも言えますでしょうよ、ええ!」


 なんとかクリュウが執りなそうとしていたが、グレアはすっかり聞く耳を持たないようだった。

 しかしジェイムソンインダストリアルなどという大企業を率いている身で、口先だけでも初号機のことを褒められるのはすごいことだなとジョンは思う。実際に当時の現場に立ち会った身ではないが、唐突なエラーによるプロジットの停止はドルナクの産業すべてに大打撃を与えたはずなのだ。


「……ともあれ、きみたち。きみたちよ。知己ならば収めてはくれまいか? 私もこのまま引き止められているのは、いささか辛いものがね……」


 ぎゃんぎゃんとわめくグレアにひっつかれながら、クリュウは懇願してきた。

 ジョンはディアとちらり、視線を交わす。ディアは「しょうがないね」と言いながら車椅子を前に進め、なんとかグレアを引き離してなだめはじめた。

 クリュウは苦笑しながら二歩半グレアから離れ、「学者の中に譲れない線があるというのは、どうも職人と近いところを感じるな」などとぼやいていた。


「それにしても、助かった。ええと、きみは……」

「ジョン・スミスだ。オブシディアン・ケイト・エドワーズの護衛兼モデルケースを務めるべく参上した」

「ふむ……つまりそれが《銀の腕(アガートラーム)》かね。実物を目にするのは初めてだよ」


 じろりと、ジョンの腕に目をやる。

 その目に、ディアが《跳妖精スプリンガン》に向けていたような作り手としての視線の熱量は感じない。

 単一の品としてではなく、ただただジョンとセットでの――言ってしまえば実際に運用する人間の様子を観察している、という印象の目だった。

 商品として値踏みするような目だ。


「すまない、不躾だったかね」


 目を見ていたのに気づいた様子でクリュウは言う。ジョンは首を振った。


「いや。とくには」

「ああ、そう硬くならないでくれるかね。構えずともよい。きみの友に窮地を救ってもらった身なのだから、むしろ私の方が気を遣うべきであろうよ」


 素っ気ないジョンの言葉に緊張していると思ったのか、クリュウは親し気に声をかけてきた。

 同情や憐憫や恐怖の対象として見られるよりはだいぶマシだ、と思っていたジョンはさほど気にしていなかったのだが、構えるなと言われたので「そうか」と普段通りに返す。

 クリュウはなおもじいっと銀の腕を見つめて、細部に至るまで眺めてからうんとひとつうなずく。


高価たかい品だ、これは。部品をつくるための部品をつくるための部品……という流れがかなりあっただろうことがうかがえる」


 その通りだった。

 そのためにこそ、ディアはDC研究所に入ったのだから。個人の工房ではとうていまかなうことのできない特殊な部品、素材、加工……発想と設計にどれほど卓抜したものがあっても、ひとりではどうすることもできなかったそれら。

 ディアは己に足りないものを埋めてジョンの腕を製作する、そのためだけに籠の鳥となったのだから。


「そういえばきみ、護衛を務めるのなら、ある程度戦える身ということかね」

「騎士団に所属している」

「おお、吸血鬼狩りか」


 より興味深そうに、クリュウは腕を見つめた。

 その目にわずか、憐憫が混じる。

 む、と顔をしかめるジョンだが、クリュウはこれに気づいた様子はなかった。


「辛い仕事であろうに」

「特別、そう感じたことはないが」

「そうかね? 血にまみれ、ひとを殺害せしめる仕事が辛くないと?」

「ひとではない。吸血鬼だ」

「ふむ。ひとではない……か」


 ジョンの返しに、クリュウは押し黙って考えこんだ顔をする。

 その仕草、悩ましいという面持ちに、ジョンは既視感を抱いた。


「ヴィタを、信奉している身か」


 ガルデンやアブスンの様を思い出し、問いかける。クリュウはああ、と首肯して、首元にかかる細いチェーンに繋がった聖者の最後を模した飾りをぶら下げた。


「なぜ、わかったのだね」

「以前にも同じようなことを言った者がいた。そいつも、ヴィタの信徒だったのだ」

「なるほど……まぁ、仕方のないことだよ。生命を貴び慈しむのが教えとして浸透しておる。吸血鬼に成り果てたとしても命は命と、そう見てしまうのでな」

「俺にはひとに仇成す化け物としか映らんがな」

「そうかね。だがもし、もしも、自らの心に違和を感じることがあったのならば。そのときはいまの道を離れることをお勧めする」

「違和、とはなんだ」

「自らの中で道に背いていると感じておったのなら、それが違和だ。……もちろん騎士として生き、守ることはひとにとって必要なことであろう。だが『ひと』の中にはきみ自身も含まれておる。きみがきみを守るため、得物を捨てる。それもまた道だよ」


 言っていることの筋道は、ジョンにもわかった。

 ガルデンも言っていた。『きみの魂は、必ず傷ついている』と。

 たしかに騎士団には、吸血鬼化した知人を切り捨てた罪悪感で辞す者のほか、単純に人型の者を切り捨てることへのストレスで心的外傷を患い辞めていった者も多い。

 そういうことを、クリュウも口にしているのだろう。


「……それで止まれる段階はとうに過ぎている」


 ぼそりと、ジョンは返した。小さく「失礼する」とつづけて、場をあとにする。ディアに目配せして、聖潔室を探しに行くことを告げた。

 彼女はグレアの相手をしながら口の動きだけで「いってきて」と言った。かつかつと、ジョンは大広間を離れていく。


 ――いまさら、『自分を守る』も無いものだ。

 なにせ得物をつかむ手を失ってなお、脚技がある、義腕があると次の手にすがりついたのだ。

 もう行き着くところまで行き着かなければ息つくこともできない。

 もっと前に。たとえば腕を失った直後にヴィタの教えに出会っていれば、ちがう道もあったのだろう。得物を永遠に足下へ置き、義腕の手は胸の前で組むだけのものになっていたのかもしれない。

 だがそうはならなかった。アブスンがどこまでも剣を、想いを捨てられなかったように。


「巡り合わせ、だな……」


 ほかに言いようもなく、ジョンはぼやく。

 銀の腕が身体の脇で軋んだ。



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