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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
式典

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55:才媛とプロジットと迎賓館


 DC研究所の表門から外へ出たジョンとディアは、彼方から走りきた蒸用車スチームライドが後部に突き出した八連排気筒より白く蒸気を噴き上げているのを見た。

 車室キャビンと運転席が別れたつくりのそれは、かつて街を埋めた辻馬車から馬を外した代わりに華美な装飾を施したような代物だ。黒光りするボディは汽車を思わせる合金製で、細部のレリーフや車体の前方に施されたエンブレムが高級感を引き立てる。

 そういえば以前にディアから、彼女の研究チームの草案として出した『流線形のボディに窓と車輪をつけた新デザイン』の蒸用車の図を見せてもらったことを思い出す。

 滑らかなフォルムは空気の抵抗を弱めるとのことで「これならもっと速度が出せるのです!」とチームの人間はかなり意気込んでいたようだが……結局は「売れないから」と上に没を出されたという話だった。


 いわく、権威には逆らえない、とのこと。


 産業時代がいかに進んでも、いまだ貴族と彼らの格式がはばを利かせるこの国においては、『格式を貶める』ようなものはひどく嫌がられるのだ。ゆえに蒸用車の形状は従来の馬車を思わせる車室キャビン仕様が基本となっている。

 その点でいうと蒸気動二輪オウトモビルなどは権威もなにもないまったく新しい乗り物のため、各社様々なフォルムとデザインを試していて新鮮ではある。


「はぁ、めんどくさい。馬車は好きじゃないよ」


 歩道に近づいて停車した蒸用車の前へ自身の車椅子をきいきいと進めながらディアはぼやく。


「これは馬車ではないが」

「一緒でしょ。権威に媚びた車室仕様の古臭ぁいデザイン」


 どうやらジョンと同じことを考えていたらしい。

 言わんとしていることはわかるので、たしかにな、と彼は返した。ディアは口をとがらせてつぶやく。


「蒸気動二輪なんかは、こないだいいデザイン見たよ。サイドカーっていうらしいけど、本体の横にカートみたいなのを接続してあって。義足のひととか姫みたいなのでも乗り降りしやすくなってるの」

「ほう。それは新しいな」

「でしょ。そういうのだったら、姫もこういうこと(・・・・・・)しなくて済むんだけどね……」


 車椅子を止めたディアは、「ん」と言ってジョンに向かって両手を挙げてみせる。

 応じて、彼は身を屈めた。

 ディアの顔の横に頭を差し出すようにすると、彼女が首に腕を回してしがみつく。


「はい、いいよ」

「わかった。しっかりつかんでいろ」


 曲げていた腰を戻せば、ちょうど前掛けエプロンのようにぶら下がったディア。

 ドレスの裾を踏まないように注意しながら、ジョンはステップを一段、二段と踏んで車室へと上がった。

 シートの前でまた腰を曲げ、ディアを下ろす。青いドレスの裾が流れ落ちる。彼女がゆっくりと、前腕から手のひら、指先まででジョンの首筋を撫でるように、回していた腕を解いた。


「ありがと」

「気にするな」


 こういう手間があるために、ディアは蒸用車を好まないのだろう。

 一度ステップを降りて外に出たジョンは、足を駆使してぱっぱと車椅子を折りたたむ。あとは身を屈め背もたれ部にあたる厚手布のところを噛みしめて、一気に持ち上げ車室に運び入れた。

 腕を失くしてから、足と共に鍛え上げたのが顎の力だ。いまもジョンの部屋の隅には、タオルの端に結び付けた鉄アレイがブドウのように房となって垂れたものが吊るされている。

 唖然としてその運ぶ様を見ていた御者に、ジョンは車室の小窓から「待たせた。出してくれ」と声をかける。口ひげを生やした初老の御者は我に返り、「ああ、はい」と言ってギアを入れた。

 と。


「お待ちに、なって!」


 ばたばたと走る音が近づいてきたので、ジョンはそちらを見る。

 DC研究所の表門、先ほどジョンたちも通り抜けたところからやかましい足音が迫る。

 ワインレッドのドレス姿で、長い栗色の髪を振り乱した女性だった。背丈はジョンより少し低い程度。ドレスの裾を持ち上げて、ぜえはあ言いながら頭を上下させて必死の様子だ。

 ステップの元まで来て足を止めた彼女は、しばし車体に手をついて息を整えた。肩にかかるボレロの襟を正し、胸元のコサージュが取れかけていたのを直す。

 やっと上げた顔は、疲労の色濃い目元と頬を化粧でごまかしたような面相だった。乱れていた栗色の髪を手櫛で右側へ撫でつけ、はぁあと息漏らし手を差し出してくる。ジョンは怪訝な顔をした。


「なんだ、その手は」

「え……レディファーストというものをご存じないのかしら?」

「知らん」

「女性には優しくなさいという、ありがたい教えですわ」

「そうか」

「……そうか、と口にしつつき貴方はなぜ私に手を貸してくれないのでしょう? 相乗りはお嫌なのかしら?」

「貸す手がない。乗りたければ好きにしろ、だがのぼりたければ自分でのぼれ」


 身体の横で銀の腕を揺らすと、女はステップを踏んで上がり込みながら少しだけ目を見開いた。


「あら。これはまたこんなところでお目にかかるとは思いませんでしたわ。《銀の腕(アガートラーム)》ではありませんこと? それも初期の」


 以前も一目で同じことを見抜いた奴がいたな、とジョンはジルコニアのことを思い返した。

 面倒に思い、「そうだ」と適当に返しながらジョンはシートに腰かける。ビロウドの張られた深く沈み込む座席だった。再度小窓から御者に声をかけ、車はゆっくりと動きだす。

 女はディアの隣に腰かけた。車椅子を載せているためスペースはかなりギリギリなのだが、無理に詰めて足を組む。

 ディアと顔を合わせて、女はああ、と納得した顔をする。


「やっぱり。あの腕があるということは、貴女がいて当然ですわよね、オブシディアン」

「だれが相乗りしてきたかと思えば……ひさしぶり、グレア姉。元気だった?」

「幸いにもここのところは研究も落ち着いておりますので。して、こちらの殿方は腕を装着しているということは貴女の研究発表の」

「うん。実稼働状態のモデルとして一緒に来てもらうひと」


 親しげに言葉を交わす。なんだ顔見知りか? とジョンが顎でしゃくるように女を示すと、ディアが片手をそちらに向けながら彼女の名を述べた。


「グレア・ルイン。果学アカデミク研究学会オブジエンドでたまに顔を合わせてたひと。私より十こ歳上だよ」


 一人称を改めつつディアは言う。ジョンはそうか、と言って会釈した。

 グレアも頭を下げ、また髪を撫でつける。枝毛の多い髪束が肩の後ろに流れた。


「俺はジョン。ジョン・スミスだ」

「……本名かおうかがいしてもよろしいのかしら?」

「偽名だ。本名は名乗らないことにしている」


 言葉を切り、背もたれに体重を預ける。グレアは「変わった御方ですわね」とディアにひそひそ話しかけていた。

 これに「そんなに変でもないよ」と返してから、ディアはジョンに説明する。


「グレア姉はざっくり言えば駆動鎧装製作における機械工学と関数論の方面でいろいろお世話になったの」

「ざっくりが過ぎるのではありませんこと」

「でも細かい分野のこと話してもわからないだろうし……ああ、階差機関デファレンスエンジンの製作と研究に携わってるって言えばいいか。プロジットと同じね」

「私ではまだあの領域に達することはできておりません故、それはそれで評価が過ぎますわね」

「難しいなぁ」


 会話のテンポを調整しながら、彼女らはくすりと笑っていた。

 昔馴染みの知己として、結構親しかったことがうかがえた。ディアは研究に取りつかれた女ではあるが、DC研究所においてはやはり自分の好きなテーマに没頭できないことや周囲の目を気にする生活ということもあり、ここまで親しくだれかと話をする姿を見たことは無かった。

 要は、彼女がまだ自由で平和だった頃の知己なのだろう。そう思うとジョンは少し、胸が痛む。


「今日は私の他、タリスカおば様とブルケット氏、ヴィクター会長がいらっしゃいますよ」

「聞いた聞いた。その辺りも懐かしい顔ぶれだね。でも、グレア姉はなんでこっちに? 駅に迎えが行ったと思うんだけど」

「研究者として、二号機を一度拝見しておこうと思いましたの」

「ああ……なるほど」


 ディアは納得のうちに、どこかさっと引いたような顔つきでそれ以上踏み込まなかった。

 階差機関の研究者ということならば、このドルナクのすべてを回しているプロジットを見るのは当然のことだろうに。

 なにか気にかかることでもあったのか、と半目でジョンは彼女を見やった。ディアは「いや、なんでも」と言いたげな苦笑いを浮かべる。

 けれどグレアはディアがなにか言うまでもなく、ひとりで燃え上がっていた。


「――ひどく、残念な話ですわ。あの二号機にはやはりガージェリー先生の息吹を感じません」


 声音を震わせ、彼女はドレスの裾をつかんで皺を寄せた。

 深緑の瞳に、火が灯っている。


「ガージェリー……初号機の製作者だったか」


 記憶を頼りにつぶやけば、ディアがあわてて口許に人差し指を立てる。

 だが遅かった。グレアが目を耀かせてジョンを向く。


「ご存じなのかしら先生を? オブシディアンは貴方が学に疎いと先ほど口にしましたけれど?」

「名を知っているだけだ。ドルナクに住んでいれば自然と耳に入る」

「ああ。先生の御名前はたとえその偉業の形跡しか残っておらずとも、その地に響きつづけていらっしゃるのですわね」


 なんとも感じ入った様子で天井を仰ぐグレアだった。

 この様子もなんとなく、《銀の腕》を眺めていたときのジルコニアを連想させた。技術者、ものつくりの人間というのはみなこういうものなのだろうか? ディアとゴブレット以外にそういった人物と親しく接した記憶の無いジョンにはわからない。

 しばし忘我していた様子のグレアははっとして、次いで顔を曇らせる。


「……でもそれゆえに、一層不満は募りますわね」


 ジョンもディアもとくに相槌を打たなかったが、グレアはひとりで滔々(とうとう)とまくしたてる。


「二号機。あのデザイン性重視の尖塔はなんなのです? 私が十歳の頃にここへ来訪して眺め、その威容に圧倒されたあの日の初号機とは似ても似つかない……回路には無駄の多いつくりで周囲の環境入力の部分にも余計な演算の手間がかかる仕様で内部のカラムとシャフトを交換する際の着脱機構も位置がおかしなことになっているではありませんか。なぜこのような暴挙が許されているのかまるで理解できませんわ」


 語るほどに前屈していき、こめかみに手を当てる。よほど腹に据えかねているらしく、ディア同様に病的な白さを誇る皮膚の下には青筋が浮いているようだ。


「噂には聞いておりましたし、だからこそ恐ろしくておぞましくて今日こんにちまで見まいとしていたのですが……こうまでひどい代物に成り下がっているとは憤懣やるかたないと言わざるを得ません。当時の製造責任者には一言文句をつけなくては。ああ先生。お可哀相な先生。無能な大衆に才人の偉業が理解されるのはどうしてこうも遠いのかしら」


 いよいよ目頭を押さえ始めた。

 なんとなく、ジョンにも彼女が現在のプロジットを唾棄すべき作品と認識していること、そして先代である初号機の設計製造にかかわったガージェリー・ウィールーンズという学者に心酔していることはわかった。

 ……なので、黙っておいた。

 世間一般ではプロジット初号機について『十四年前にエラーを吐き、街全体に一切の仕事を与えないように計算結果を出した』との稼働不良によって廃棄に至った欠陥品――との見方が成されているのだが、この様子ではそんなこと絶対に口にできない。


「ガージェリー先生は今回のサミットについても憂いていらっしゃったわ」

「え、ガージェリーさんと連絡取ってるの?」

「もちろんです。師と仰ぐひととの連絡を絶つ必要など、この世の果てまで探ったところで見当たらないのではなくて?」

「でもあのひと、果学研究学会を追放になってたし。よく連絡ついたね、グレア姉」

「戦後に暇をしていた軍事探偵を私的に雇いましたの」

「なるほどね」


 そのような国の中枢相手に仕事をしていた人間となぜパイプがあるのかとか、その依頼にどれだけの私財を投じたのかとか、思わずそう訊きたくなるようなことを口にするグレアだがディアは平然とこれを流す。

 ……学会所属の人間は人脈と資産の桁がちがうのだろうな、と赤貧にあえぐ身のジョンは半目にならざるを得ない。


「先生はフィーディーのはずれで隠遁されていましたわ。私はいまも通いで教えを受けているかたちです。あ、オブシディアン。言うまでもないとは存じますが」

「大丈夫、学会には告げ口しないよ」

「さすがは私のお友達です」


 ひらひらと振られたディアの手を取り、熱っぽく語る。ディアも照れ臭そうに、笑みを返していた。

 その後はジョンにはまったく理解できない研究内容についての会話が長くつづき、彼はしばし閉口したまま窓の外を眺めていた。今日のサミットの間もいまと同じように、遠くを見据えて過ごすことが多くなる予感がした。

 ……なるべく時間をあけて、大主教の身辺を調べたいものだ。

 そう考えている間も、通りでは大主教が参ずる式典に向かう一般客の列が見える。

『目通り』のためにあそこへアークエが潜んでいたりするのだろうか、と頭の片隅に考えた。



 ――蒸用車は上等区画の間を駆け抜け、次第に緩く坂をのぼる。

 目抜き通りを抜けて、彼方の斜面に構える迎賓館へ近づいていく。

 館は、城壁を巡らした神殿がごとき堅牢にして厳かなつくりを成している。

 これは館の構える《火の山》の斜面に草木が一切生えておらず、雨天の際は雨水を貯めこむ土壌が形成されていないためのものだ。

 地中深くまで根を張るように鉄柱を埋め込んで固定した巨大な屋敷は、建物の背に当たる部位に斜面をくだってきた鉄砲水を受け止め・下水道に流すための貯水槽を作り上げている。

 上等区画において最も高い位置にあるこの屋敷がそうして雨を受け流すつくりをしているからこそ、下の区画が無事でいられると言ってもよいくらいだ。と、以前ディアに聞いた。

 やがて車は屋敷に横づけし、ジョンたちは降りる。グレアが車椅子は運び下ろしてくれたので、今回はディアをぶら下げて降りるだけで済んだ。


「それではオブシディアン、またあとでお会い致しましょう。私は学会のメンバーと合流してから手続きに移りますので」

「うん。またあとで」

「ジョンさんもまた」

「ああ」


 ついでにかけられた言葉に適当に答え、両開きの大扉の向こうに進む彼女の背を目で追う。

 そのとき、特徴的なシルエットがホールの中に見えた。

 猫足を思わせる関節を持った脚部駆動鎧装。丈の短い黒のドレスでその独特なフォルムを惜しみなく晒した立ち姿。

 肩口で切り揃えたブラウンの髪の向こうで端正な面立ちがこちらを向く。ルージュを引いた唇を少しだけ開いてなにごとか口にしようとしたが、結局まごついて、こちらに会釈するに留めた。ジョンはとくにそれに返すこともなくただ目を逸らした。

 ……つい先ほど、グレアの振る舞いに彼女と似たところを感じたばかりで遭遇するとは。

 彼女――ジルコニアが来ることはわかっていたものの、ジョンとしてはべつにいい思い出のある人物ではないので関わりたくないのが正直なところだった。

 と、そこで視線を感じて下を見やると、車椅子の上でのけぞるようにしてジョンの顔を見ているディアと目が合った。


「なんだ」

「だれか知り合いでもいた?」

「知り合い、というほどでもないが。あの脚部を見ればわかるだろう」

「んー……ああ。アルマニヤの。ジルコニア、だっけ。今日は自動重心制御の発表だったかな」


 ディアの目が技術者としてのものに変わり、実稼働する脚部駆動鎧装《跳妖精スプリンガン》を見据えた。

 その視線に向き合い、ジルコニアは再び会釈する。ジョンに対してのものとはまたちがったぎこちなさがあった。これは《蒸姫プリンセス》とまで異名を付けられ、《銀の腕》を作り上げた技師であるディアへの尊敬の念故だろう。

 だがジョンが傍にいるためか、近づいてくることはなかった。そそくさと離れていき、歩くたびに発条を巻き上げる機構の稼働がうかがえた。


 その脚が吸血鬼を屠り、けれどガルデンを葬ることはできなかったのをジョンは思い出す。


 あのときジルコニアがガルデンのことを野放しにしたため、被害が拡大し、襲われた民間人二名が感染し処分されたことも思い出す。


 やはり、いい思い出のない人物だ。


「どうしたの」

「気にするな。進むぞ、背を押す」

「うん。じゃあエスコートよろしく」


 ディアの背もたれ部を腿で、頭の後ろを腹で押すようにジョンは車椅子を進める。

 迎賓館の大扉をくぐりぬけ、ホールに呑まれ、ジョンの背後で扉が閉じた。



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