54:素性と第七と行動指針
正午ごろ。
サミットと式典の開催によってあわただしくなっている騎士団詰所会議用広間の脇にある、薄暗い第七騎士隊の執務室にて。
ランタンの薄明かりに照らされたゴブレット・ニュートンは頭を抱えていた。
「……こんなことがあるとはなぁ」
つぶやきは新聞の記事と、騎士団上層部から送空管で送られてきたお達しの二つに向いたものだ。
どちらも第七騎士隊所属の聖職者、ロコ・トァンに関するものである。
いや、ロコ・トァンに関するものではあるが……はたしてそれを彼女の話だと言っていいものか、いまとなっては迷うところなのだが。
――机に広げた新聞記事には、数か月前の蒸気路線事故の死者で身元が判明した者の名が列挙されている。
そこにたしかに、ロコ・トァンの名が記載されていた。これを発見したらしい騎士団上層部は身元に疑いの出た彼女を見つけ次第拘束するようゴブレットや騎士団所属員に厳命し、彼女の所持する身分証のパンチカード利用にもプロジットを通じて制限をかけた。
とはいえ午前の間は自由の身だった上、朝に仕事の受領のため詰所に来なかったことからも彼女がいま自らの置かれている状況を正確に把握しているのは明らかだ。すでに最果て駅から姿を消したか、あるいは……身分を騙ってまでやろうとしていたことがあるなら、それを実行に移していてもおかしくはない。
「つまり、成り済ましだった、ってことかよ?」
デスクの下をくぐり抜けてきたラキアンが、ランタンで煙草に火を点けながら言う。横で腕組みして壁に背をもたせかけたルーは目を伏せたまま「そういうことだろうね」とうなずいた。
ゴブレットはデスクの上で組んだ手に顎を載せ、彼ら二名に目だけ向けながら言う。
「上が記事を見つけてすぐに新聞社に問い合わせたようだ。詳しく訊いたところ、蒸気路線事故で横転した車輌の中から見つかった遺体のうちひとつの――かなり頭部損傷が激しかったようだが――下顎の歯列が残っていたので、念のため検死した者が型を保存していたとか」
「それに合う者がいたということかな?」
ルーが問い、ゴブレットはうなずく。
「ああ。時間はかかったが地方の歯科医で治療痕に合致するカルテが見つかったそうだ」
「それが、孤児院の出で、儀礼執行権の件で騎士団付き聖職者として呼ばれた……本物のシスター・ロコだったってぇわけかよ。まぁよく演じられたもんだな」
「身分や出自は最初に俺が受け取った騎士団への提出書類に記載されていたからね。あれを見れば、彼女の出身地や育ちを知らない者ばかりのドルナクでなら、当人のように振舞うのはワケないことだったんだよ。そもそも外見特徴はよく似ていたようだからなぁ」
「しかしなぜあのシスターは成り済ましなどしたのだろうね」
ルーの問いかけで、三人の間に沈黙が落ちる。
成り済まし。
とはいっても、彼女は聖職者としての職務を完全にこなしていた。
儀礼の手順、聖書の知識、日々の礼拝、戒律に至るまで。ありとあらゆる面で、それこそ今日この局面に至るまで一切疑われることがないほど完璧なシスターとして振る舞うことができていた。
つまり元々聖職者として経験の下地があったとしか考えられない。
「……アークエか?」ラキアンが紫煙を吐きつつ言った。
「成り済まして入り込む目的と聖職者としての振る舞いに精通していた由縁は、たしかにそれなら説明できるのだろうね」ルーはうなずいた。
アークエ。つい昨日までこのドルナクを騒がせていた、ヴィタ教の分派した過激派。
そこに彼女が属していたというのなら、死したシスターに成り済ましてここへ入り、騎士団というある種特権のある組織に潜り込んでいろいろ調べを進めていたとしてもおかしくはない。
「だがそれは、ないだろう」
ゴブレットはかぶりを振る。
ラキアンとルーも同意するように目を伏せた。
もし、彼女がアークエだったなら。
それならばあのとき、だれも気付いていなかった蒸気裂弾の所在についてあたりをつけたことや、アブスン・狂信者の二名と交戦したことが不可解だ。
奴らの仲間であり目的をそちらに同じくしていたのなら、黙ってあのままアブスンらと逃亡し、蒸気裂弾を炸裂させていればそれでよかったはず。
「そうしなかったということは、アークエではないということだ」
「だわな。悪い、思いつきで変なこと言った」
「ラキアンさんが思いつきで動くのはいまにはじまったことではないから気にしないよ」
「それはそれで傷つく物言いだなおい……」
「ついでに言うと、午前に彼女と思しき人物がカフェでアークエの残党を殴り倒している。店員が通報して捕まえたあとでわかったことだけどね。そこだけ見ても彼女がアークエというのは考えづらいんだよな」
「隊長さんよ、そういう情報はもっと早めに言ってくれよな! 僕ぁ真面目ぶった顔で完全に見当違いを口にしてたことになんだろがよ!」
「賭け事でも推理でもラキアンさんが見当違いのところを指さないことなんて一度だってなかったのだからいつも通りだよ」
「しみじみ言うんじゃねえよルー!」
口許から煙草を吹き落としながら叫ぶラキアン。しれっとした顔で肩をすくめるルー。
普段の調子を取り戻した二人を見てなんとなくこわばりが解けたゴブレットは、デスクから肘を下ろして目頭を揉んだ。
「まあつまるところ、俺たちにとってはなにも変わらないね」
のんびりと告げて、ゴブレットは椅子の上で長い脚を組んだ。
「あの子は俺たちと共に戦ってきた。たまに酒を酌み交わした。あの子は俺たちの仕事を助けてくれていたし、蒸気裂弾のときは命を救ってくれたというべきだろう」
素性はよく、知らないが。
目的がなにかは知らないが。
それでも、彼女の人柄は知っている。
「では、もし見つけても俺たちは即時拘束とはしない。第七の方針はこれでいいかな? お前たち」
「もちろん。ゴブレットさんの仰せのままでいいとも」
「どういう事情だったのか、聞きてぇところだけどな。まあそこはロコちゃんの人生に関わる重要事項か。……ん? ロコちゃんでいいのか? 呼び方どうしよう」
間の抜けたことを言っているラキアンを前に、ゴブレットは苦笑した。
「なんでもいいだろう。あとから考えよう」
「あーそれもそうだな」
「それよりも、だ……お前たち、そんなことを考えるよりも先に、やるべきことがあるんじゃないのかい」
ゴブレットが肘置きに頬杖ついて彼らを見やる。ラキアンは二本目の煙草に火を点けながら首をかしげた。ルーは言われたことがなにか自覚しているらしく首をすくめた。
ランタンのゆらゆらした灯りのもとには。
血まみれになっている二人の影が揺れている。
「……急に呼び戻されたので恰好を整える暇がなかったのだよゴブレットさん。私も可能ならばこのようなみっともない姿を晒すつもりはなかった、着替えるつもりはあったのさ」
「おめーは戦い方からしてどうしてもそうなっちまうもんな、ルーよ」
《人狼》などというあだ名の由来である彼の戦法を揶揄しながら、ラキアンはひひひと笑った。そんな彼もなかなかにひどい血まみれなのだが。
「それだけの出血を浴びたということは、吸血鬼戦か?」
ゴブレットは訊ねる。人間相手ならば、よほどの剣客が相手でない限りこの二名ならある程度の手傷を負わせて投降をうながすだけの力量があるからだ。
つまり返り血がひどくなるほどの出血量を負わせたというのは、相手が『ある程度』の傷で止まらない者だということになる。
ラキアンは二本目の煙草を口にくわえてはふぅと煙を漏らし、デスクに立てかけていた仕込み杖をぽんぽんと叩いた。
「おうよ。産業区画と貧民窟の間、川沿いの橋の下でな。どうやらあの鉄枷付きが遁走かましたあとからイキがってたらしいヤクの売人が居てよ」
鉄枷付き。
それはドルナクの闇の中で暗躍していた、フィクサーだ。
阿片など違法薬物の売買や後ろ暗い仕事に手を染め、時折彼のイブンズ・ドラブロの逆鱗に触れては営業先を潰されるなどして……それでも時間をかけてはまた手足を増やして復活、何度となく金稼ぎのために街に現れた大悪党である。
サミットを控えて警備も厳しくなるなか、しょっぴかれるのを懸念してか手足たる部下を皆殺しにしてしばらく前に姿を消した。
ただ、その後街の治安が良くなったかというと……まあ残念なことに、元締めがいなくなったせいで場をわきまえない小悪党が跋扈する面倒が起きた。
今回ラキアンたちが遭ったのも、そうした小悪党のひとりだろう。
「吸血鬼の売人か。厄介な」
「人間時代から買う側で、どこかで吸血鬼化したと見受けられたけれどね。あまり売りさばき方に慣れたところがなかった……ああ、そういえばこれは雑談なのだけれど。妙なことがひとつあったのでご報告しておくよ」
「妙なこと?」
ゴブレットが訊き返すと、ルーはポケットを探り、薬包を取り出した。指先でこれをいじりながら、不思議そうに言う。
「その売人の男、品は阿片だったのだけれど結構な安売りをしていてね」
「……なあ。お前が市場価格を把握している理由は、訊いていいのかい?」
「やあやあそんな顔しないでくれたまえよゴブレットさん。貧民層育ちの嗜みというものだよこれは」
けろりとした顔でのたまう。
もとよりルーにはラキアンとちがい喫煙癖は無いようだが……もしかしてそれは『もう一歩踏み込んだところにいるから』とかじゃないだろうなと白い目にならざるを得ない。
彼は妖艶な笑みを浮かべたままふふふと吐息を漏らし、薬包をランタンの明かりにかざしてつづける。
「まあとにもかくにも……万国大戦後は併呑した辺境地産の微妙な品質のものが多く流通するようになったというのは周知のことだと思うけれど。鉄枷付きは品質管理に結構な手間を割いていたのか、バラつきのない良品の仕入れが多い奴だったのだよ」
「売人を褒めてもらっても俺、立場的になんと返せばいいかわからないぞ……」
「流しとけよ隊長」
ラキアンの合いの手で仕切り直し、つづきをうながす。
ルーは薬包をつまんだまま――中身について問いただすのはやめておきたい――自分のこめかみをとんとんと叩いてみせた。
「それで戦闘に成る前に訊いたみたのさ。なぜこうも安く売っているのか、とね。鉄枷付きの不在が低品質な薬の流通を招いたのかと勘繰ったけれども――吸血鬼の彼が語ったところによると『自分で使ってもあんまりトべなくなったから売る』とのことだったよ」
これも質の悪いものではないね、と言いながら彼は薬包の匂いを嗅いだ。
その様は置いておくとして。
トべなくなった、とは。
「吸血鬼化したら、阿片が効かなくなるということか……?」
「彼の言を信じるならそうなるだろうね。サミットの生物学研究発表では吸血鬼学としてこういった諸々に触れたりすることはないのかな? あるのならサンプルケースとして話しておきたいところであるね」
「もともと吸血鬼自体が大して金にならねえから研究されてないんじゃねぇの?」
「そういえばそうだった……大発見かと思ったのだけれど」
「なにに活かせんだよその知識。ヤク漬けの連中の中からは吸血鬼を探り当てられるって、そんだけじゃねぇか」
「どんな知識でも活用次第さ。いかなるときも知そのものに価値はなく価値をつけるのは時代とそれに付随する物の見方と相場は決まっているのだよラキアンさん」
「よくわかんねぇな……いかなるときも信じられる、かみさまの方に走っちまうよ僕ぁ」
「それはそれでありだと思うけれどね」
理解しているのか突き放しているのか半々なのか、どれともつかない態度でルーは言う。
深く考えているのか浅く捉えているのかそれとも半々なのか、「そうか」とこれまたどれともつかない態度でラキアンは言う。
なんだかわからないが、だいたいいつも第七騎士隊はこんな感じで混沌としていた。
だから、先のゴブレットの進言もふつうに受け入れられた。
いまさら素性不明のシスターがひとり混じったところで、大した変化はないのである。
「それにしても、阿片か……鉄枷付きがいなくなってもまだ流通ルートを完全に潰せてはいないと、イブンズも話していたな」
「隊長、たまにつるんでるよなあの女傑と」
「言わなかったっけか? ロイのあんちきしょうと同じく、あいつとも前線時代の腐れ縁なんだよ。――地元から志願した衛生兵のひとりでね、奴がいた戦場では負傷兵の帰還率がかなり上がった」
もっとも、戦後は表彰や栄誉のすべてをほっぽりだしてフラっと姿を消したので公的な記録にはなにも残っていないのだが。まさかドルナクへやってきて再会するとは、ゴブレットも思ってもみなかった。
「ま、吸血鬼被害を防ぐひとつの手立てにはなるだろう。イブンズにも俺から伝えておくよ、きっとよろこぶ」
「あの方に恩を売れるのはいいことだね。ぜひとも私の功労だと伝えておくれ」
「……いいのか? あの女、そういうのを伝えると使える情報であるかどうか確実性と再現性を判断するため、当時の状況や環境や相手の状態や個人の情報などまで一日中お前に聞き取り調査を行うと思うぞ」
「名前は伏せておいてくれたまえ」
ルーはゴブレットから顔を背けつつそう言った。




