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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第四章 会合

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51:蒸姫と私室と衣裳替え


 道を大通りから逸れて、住宅街から数本またいだところに来ると生活の匂いは一気に薄れる。

 無機質に整えられ無感情に設えられた鉄と混凝土コンクリートの城が眼前に現れ、右を見ても左を見てもその城壁の威容は途切れることなく彼方までつづく。

 見上げれば、尖塔ひとつ。

 今日も今日とて内部でカラムとクランクシャフトと制御ピンなどが複雑に絡み合って回転しつづける巨大階差機関は、蒸気の白煙にシルエットを濁らせながらその活動をつづけていた。

 八本の金の柱で支えられそれぞれの辺をガラスの障壁で覆ったプロジットの機構は、遥か見下ろす産業区画の生産に関するすべてを担う。人員の配置具合から材料の増減推移のパターンより見る発注のタイミングから工場内における物品の減価償却のあれこれまで――あらゆる数値を精密な計算によって予測し、最も効率的な手法で運営させている。

 その、数字の王国の真下。

 DC研究所においてなにをさておいても重視される数字はというと、時間であった。


「午前九時丁度。通行証も拝見いたしました。奥へどうぞ」


 いつもと同じ、守衛の対応。

 予定してここを訪問するとき、遅くても早くてもこの連中は通してはくれない。いや、さすがに遅かった分には多少奥の間のディアとのやりとりを挟めば通れないわけではないのだが。単純に手間だし、にらまれる。

 通行証のパンチカードを噛んで受け取り、インバネスの襟元のジッパーを開けて差しておく。物資搬入にも用いるため幅と高さのある、廊下のような薄暗い通路を歩き。ジョンはやがて視界に現れた応接室への扉に向き合った。

 壁の解析機関アナライザにカードを通して、解除のランプが点灯すると襟元にカードを戻して閉じた。

 奥行のある部屋は緋毛氈が敷き詰められ、排熱暖房でしっかりと温められている。

 定位置になっているローテーブルとセットのソファを見やる。とくに人影はなく、ぐるりと見回しても彼女の姿はない。

 ふわりとした感触の床へ足を踏み出してソファに向かうと、同じタイミングで奥のメイプルの扉が開いた。


「あ。そっちも来たところ?」

「そうだな。いいタイミングだった」


 きいきいと車輪が回る音が近づく。

 彼女にかけられていた首輪を外した職員のひとりが、軽く会釈して離れていくのが見えた。


「さて、さて。一日半ぶりだね。再会の最短記録かな?」

「かもしれんな」

「腕と身体は大丈夫? あの《剣啼》と斬り合ったって聞いたけど」

「鉄剣で装甲に切り込まれた。あとはふくらはぎとこめかみを少し切られたが、さほど問題はない」

「や、腕の方はそれ問題ないかわかんないからね」


 軽合金製の車椅子を駆って現れたディアが、ジョンに向かって苦笑した。

 稼働には支障ない、と前置きした上でジョンは腕のストラップを噛んで機関をうごめかす。彼女はジョンにいつものような拳闘の動きをおこなわせ、その間動作と音をつぶさに観察していた。

 車椅子のひじ掛けから取り出す計器類を手首の回路に繋いだり、アブスンの剣に切り込みを入れられた装甲部から内部を点検したり――十分ほどで診断を終えた彼女は、用意していたらしい予備の装甲と交換してからぽんと手を叩いた。


「とりあえず問題なし。でも不調感じたらすぐ言ってよ、今日の場で動かなくなるとかはさすがに姫も勘弁してほしいから」

「ああ、わかった」

「ならばよろしい」


 一束の三つ編みに結って下ろした量感のある金髪を払い、長めに整えた前髪の奥から赤みを帯びた黒曜石の瞳でこちらを見る。起伏の無い身体は、普段とちがいオーバーオールではなくワンピースをまとっていた。

 スグリ色のそれは前開きの構造で、裾までボタンの列がつづいている。ふわりと軽い質感で彼女の身体を包んでおり、レース飾りのついた袖口からはちょこんと指先だけがのぞいた。


「そういえばめずらしいな、ディア。お前が作業着以外を着るなど」

「ま、さすがに今日はね。普段の服だと、油とか汚れが多いから。このあとドレスに着替えるときに困っちゃう」

「ああ。そういう理由か」

「ほかになんだと思ったの?」

「そういう気分のときもあるか、と思っただけだ」


 ジョンは女の服装に関する知見を持たないが、ラキアンとルーを伴って酒を飲んだときに「女の子の服装にゃ注意払えよ。ありゃ戦装束だからな」「そうだとも。女性服は季節や場合によって変化の幅が多岐にわたる。敏感に察して言葉をかけなくてはいけないよ」と言っていたのを思い出す。

 ……ルーの言説に関しては彼の服装についてもなにか言わなければいけないのか? との疑問を抱かされたものだが。


「まあ、気分と言えば気分だけどね」


 ディアは答え、ふふっと眠たげな猫のような目で笑い、衣服の裾をつまみ持ち上げる。

 脚の膝から先を持たない彼女なので、少々持ち上げたところで肌の露出が増えるとかそういうことはない。


「ね、可愛い?」

「そういった観点はよくわからん。だが……、まあ。サイズが合っていて、色味がお前の髪や目の色にそぐうものだとは、わかる」

「一般にはそれ、『似合う』って言うんだよ」

「ああ、それだ」


 出てこなかった言葉をディアの方から教えてもらい、ジョンは手があればぽんと打っただろうと思った。

 ディアは苦笑気味に「そんなに使わない言葉かなこれ?」と言っていた。


「ま、いいや。出てこなかったってことは、しまわれてたってことで。きみがだれかを褒めたこともないってわけだものね」

「そうだな。身なりなど小綺麗か小汚いか、動きやすそうか否かくらいしか見ていないからな」

「それ前半はゴブ兄とか第七のメンバー見るときで、後半は敵と向き合ったときの評価でしょ」

「お見通しか」

「長い付き合いだもの。そう、だれよりもね」


 にこにこして、彼女は手を伸ばす。

 インバネスの隙間から指先を挿し込んで、かちゃりと《銀の腕》をつかんだ。


「じゃあそろそろ行きましょうか。打ち合わせと、お着替えと」

「……わかった」


 手を引かれるままに一歩前に出る。

 車椅子を反転させたディアは、押してほしいとせがんだ。

 腕が使えないジョンは腹で彼女の後頭部を、踏み出す足の腿で背中を押すようなかたちになるが、ディアはつかんだジョンの腕を引っ張ったり押しとどめたりして速度を調整し、器用に前進した。

 メイプルの扉を出ると、いつも通る通路とはちがう廊下に出る。部屋に引き続き緋毛氈の敷かれた廊下は柔らかなガス灯の明かりが点き、クリーム色の壁には調度として絵画やレリーフが鑑賞できるようになっていた。


「こっちこっち」

「左か」


 ディアの指示に従い押せば、からからと車輪は回る。

 緩やかに弧を描く廊下が遠くまでつづき、歩く道すがら横を見れば時たま扉がある。ひとの気配はないが、これらもジョンが使っているような『研究所の人間と下層民との応接室』への扉なのだろう。


「廊下変な感じでしょ? 曲がってるし、応接室の扉も等間隔じゃないし」

「たしかにな。ひとによっては気分が悪くなりそうだ」

「ふふ。それが目的らしいからねぇ」

「……察した。距離感覚を、失わせるための細工か」

「せーかい。さすがだね」

「建築構造まで警戒仕様なのか、ここは……」


 応接室は平民と接する場だ。

 万が一そうした下層民がこちらの廊下側まで出てきても、距離感覚を歪ませておけば研究所内の構造や空間の把握を妨害できる。

 要は忍び込んだ者が出にくく、中の情報を持ち出しにくいようになっているのだろう。


「まあ、わからなくもないがな。秘奥は触れにくくするか、不用意に触れる者を逃さず始末するのが一番だ」

「剣術の話?」

「ひとと人の争いが苛烈だった時代の話だが、な」


 さすがに現代でそこまでの乱暴を働く流派は聞いたことがない。

 そのまましばらく進むと、ディアがジョンの腕を引いて制止をかけた。

 押しやる身を留めると、右手の扉を彼女が開ける。

 先は天井の高いホールになっており、ごうんごうんと重たげな金属の揺れる音が響いている。

 高い柵の向こうで昇降機エレベータによる鉄の籠が上へ下へとうごめいていた。柵の間に三つ存在する赤茶けた扉の前まで進み、ディアが壁のボタンに手を伸ばす。指を離すとボタンは赤く不気味に耀き、呼び出しに応じた籠がガラガラギリギリと鎖やワイヤーを伸ばす音と共に降りてくる。


「姫の部屋は五階」

「何階まであるんだ」

「あー。じつを言うとそこも微妙な細工がしてあるんだよ。上は八階までなんだけど、停止するのは三と二分の一階とか変なところもあるから」

「お前、移動で苦労していそうだな」

「それなりに。階段と併用しないと行けない場所で会議とかやめてほしいよね……」


 俯瞰と側面と、両方の地図から階段と昇降機の位置を把握しないとまともに移動もできないようなつくりになっているらしい。

 なるほど言われて見れば、扉の上部にある階数表示計には『2F』と書いてあった。とくに階段をのぼった覚えもないのに。


「方向音痴が来たら野垂れ死ぬな」

「きみのいまの相棒さんとか?」

「それについて話したことがあったか」


 ロコを最初に騎士団詰所に案内した際、彼女は道に迷ってたどり着けずにいたと語った。

 その話を、ガルデン戦で左腕を破壊され修繕するとき、時間つぶしに話していたのだった。


「いまは大丈夫そうなの。きみ、こっち来ちゃってるけど」

「この四か月で慣れたか、いまはドルナクをひとりで歩き回っても支障はないな。元から、それほど迷うような奴には見えなかったが」

「ふうん……。っと、きたきた」


 車椅子を押し、開いた扉の向こうへ入り込む。ディアが五階のボタンを押すと、またガラガラギリギリと天井の方で鎖やシックワイヤーを巻き取る音が響いた。

 側面が格子状になっているゴンドラは横を見ればほかのゴンドラの上下運動が見え、端に寄って下を見れば真っ暗な闇の中へ降りていく様ものぞける。ひゅううと吹き込んでくる冷たい風が、闇の深さを思わせた。


「地下階もあるのか」

「あるよ。機密だから何階までか教えられないけど」

「下水道にでも繋がっているか?」

「どうかなぁ。でももしそうだったら、きみとあの《羽根足スティルツ》との戦いのときにもっと大騒ぎになったと思うよ。伝ってこっちに来るかも、って」

「それは容易に想像がつくな」

「ここの連中は研究第一、保身が第二だから」


 雑談を交わすうち、階数表示針が到着を示す。ちん、と硬い金物を弾いた音がして、扉がするすると開いた。

 下階と同じつくりのホールを出ると、今度はさほど装飾も警戒もないまっすぐな白い廊下に出る。床も敷物はなく、車輪の回る音にタイヤの接地するきゅりきゅりという音が混じった。

 向こうの方の壁際に、赤いランプが点いている場所がある。


「ほら、あそこ。進んで進んで」

「わかった」


 身体で押していくと、白い扉があった。

 ランプの下にはカードの差込口があり、ワンピースの胸ポケットを探ったディアは取り出したパンチカードをここに呑み込ませた。

 ぱつぱちぱちぱつぱち、と確認の音が廊下に響き、ランプの光が青に変わる。普通の扉で言うドアノブの位置にあった大振りな歯車が、ダイヤルを合わせるよう自動回転して奥へ引っ込んだ。

 扉の向こうに入ると、ガス灯の明かりが壁際と天井と至るところへ灯る。


「はい、ごくろうさま。ようこそ我が私室へ。てきとうに机の向こうで座ってて」

「……おいディア」

「なぁに?」

「どこが机だ?」

「? 目の前だけど」

「……ああ。なるほど」


 言われて目を落としたのは、紙束の山。

 扉から入ってまず最初に目にする位置に、ジョンの胸元くらいまで積み重なった書類の山脈がそびえ――視線を下げていくと、それらを支える地盤として軋みを上げている机が目に入った。

 崩さないように少し慎重に、肩幅を縮こまらせながらジョンはこれを回り込み、彼方に見えたベッドの方を目指す。その周辺だけは、資料なのだろう本が積まれていたが少なくとも崩す心配は少ない。車椅子で動く彼女なので動線だけは確保できているようだ。


「部屋自体はけっして狭くなかろうに」


 ジョンはひとりごちる。彼のアパートの居間二つ分にはなるだろうスペースだ。

 けれどあまりにもごちゃごちゃと物と本にあふれていて、いまなどジョンはだれかの足を踏んづけたと思ってぎょっとした。

 よく見れば人肌に近づけたデザインの駆動鎧装、そのレプリカだった。げんなりする。


「お前、ゴブレットと本当は血縁があるんじゃないだろうな……」

「あるわけないでしょ」


 彼女がゴブレットを兄と付けて呼ぶのは、単に在野時代に在籍した工房でディアが妹弟子に位置したためだ。

 が、この惨状は第七の騎士隊室を思わせる。あまりにも、似通い過ぎていた。あと酒瓶が転がって煙草のにおいが漂っていれば、奥でゴブレットが寝ていると確信したにちがいない。


「研究職の人間はそのうち半分がこういう、片付けられない奴だよ。これはもう創世の頃から決まってることなの」


 開き直った発言で、ディアはジョンの後ろをついてきた。

 彼は振り向いて問う。


「ならばもう半分はどういう奴だ」

「資料の山に埋まって死んだ奴」

「……せめて資料本の種類くらいは分けたらどうだ。分野も著者もまるでばらばらのものが一か所にまとめられているぞ」

「果学は過学と禍学を経て果学となる。学びはね、どこでなにがどう結び付くかわからないものだよ。プロジットを手掛けたのガージェリー・ウィールーンズは機械工学の本で語ってた運動方程式について哲学方面の著書でも触れててね、それが同時期の数学者であるトマスの著書に影響与えてる部分があって」


 よくわからないが当人にとっては関連書籍であるらしい。そうか、と流してジョンはスルーする。

 やっと足を止めたのはベッドの前で、さすがに寝床の上には彼女も本や資料を置いていなかった。

 ほっとしてため息をつきながら、ジョンはインバネスの襟元を噛んで前のボタンを開き、首を振るって肩から下ろす。


「……で、だ。サミットは二時からだったな」


 そろそろ打ち合わせすべきかと思い予定について確認すると、ジョンの後ろで車輪を止めたディアはうんとうなずく。


「うん。きみには前も話した通り、デモンストレーションとして精密動作の実演をやってもらうよ。投げた卵でも割らずに正確につかめるとか、格闘術に関しても問題なく動けるとか。そういうところ」

「格闘、とはいうがその組手の相手はだれになる」

「所長の方でそういったものに造詣の深いひとを呼んでる。体格も同程度で勝負としては悪くないものになるだろう、って。ただ、向こうは火傷とかしないように厚手のグローブとか装備してもらうけど」

「過動限界までやるのか?」

「まさか。そんなことさせるようだったら私が全力で止めてる」


 ベッドサイドのチェストに置いていた、先日も目を通した進行プログラムを手に取るディア。各参加企業、団体の名称と研究タイトル、そのさわりについてと発表順だけが記された紙片だ。


「三番目になるから、実際にきみに登場してもらうのは十三時くらいでいいんだけどね。でも会食とかもろもろの事前打ち合わせがあるから、十一時には迎賓館に会場入り」

「思ったよりも日程は長いな」

「ふふふ。久しぶりだね、こんなに一緒に居るの」


 うれしそうにディアは言う。


「……そうだな」


 目を逸らしながらジョンは応じた。

 それこそ彼女と長時間を共に過ごした最後の記憶は……三年前。この《銀の腕》を授けられる前、両腕を失う大怪我により自棄と絶望の極みにあった頃だ。

 友も流派も腕も失くしたジョンの、気が触れたような荒れようにも。

 彼女は静かに耐えて、傍らに在りつづけてくれた。だからこそありがたさと申し訳なさが、いつもジョンの中に同居する。


「じゃ、これ今日の服。自分で着れる?」

「俺に訊くことでは、ないだろう」


 差し出された衣裳を前に身を揺すり、かちゃりと腕を鳴らす。

 この腕の性能をだれより把握しているのは、ほかでもないこの《蒸姫プリンセス》オブシディアン・ケイト・エドワーズだ。

 照れたように頬を掻くディアは、「まあそうだね」とだけ言って衣裳をベッドに置き、一度部屋を出て行った。

 ジョンは肘内より伸びる革製のストラップを噛み、首をひねって駆動鎧装を稼働させる。どるんと火が入った腕は即座に動き出し、彼の着ていたシャツをつかんで引っ張り、放り投げる。

 衣裳は、黒のジャケットにシャツとウエストコート。駆動鎧装の腕部径を配慮してか、ジャケットは袖の口がかなり広く取られたものだった。

 白いシャツはおそらく実稼働を見せる際に邪魔になるからだろう、肉残る腕を覆う程度の半袖である。早速腕を通し、前のボタンを留めていく。襟元まで留めて、黒に近いほど濃い群青のネクタイを締めた。

 さらにその上から褐色のウエストコートを着て、これまた裾までしっかりと釦を留めた。あとはボトムスを穿き替え、黒革のベルトを締めてベッドに腰を下ろす。

 ジャケットは着ておくか迷ったが、袖をいくら太く仕立ててもらったとてストラップを出す穴がなければ脱ぎ着できない。ひとまず置いておくことにして、稼働を切った。


「着替えたぞ」

「どれどれ……わ」


 どういう意味の「わ」か知らないが、戻ってきたディアはめずらしいものを見たという顔だった。

 次いで「いいね」と口にしたが、ジョンにはやはり服飾に対する機微がよくわからない。そうか、とだけつぶやき、黙って自分の姿を見るだけだった。

 釦のある衣服を身に付けるのも、三年ぶりのことだった。もちろん腕を使えば着られないこともないが、貫頭衣と比べて面倒なため稼働時間を消費することが嫌だったのだ。


「ところでジャケットはストラップが通せん。どうする」

「え? あ、そっか。なら、ちょっと借りるよ」


 上着を取り上げたディアは、車椅子のひじ掛けに入っている工具を出す。用途不明なものも含む道具の群れを駆使して袖の肘内に穴空け固定し、ジョンの前で広げてみせた。

 それから正面に来て、車椅子のロックをかけた。ベッドに座ったジョンに向かい身を乗り出して、片腕ずつ袖に納める。

 襟元を正し、ストラップを穴から引っ張り出すとひとり納得いったようにうなずいた。

 最後に脚に目を落とし、大腿部をひと撫でする。


「脚、ちょっとキツかった?」

「そうでもない」

「だったら、いいんだけど。……あらためて見ると、体つき変わったね」


 にじり寄って、ディアは少し動きを止める。


「脚はな。腕の分の働きをさせるべく鍛え上げたからだ」

「ううん。ほかの部分も。全体的に、印象変わった」


 ふしぎ。ずっと一緒に居たのにね。

 言いつつディアはジョンの腿に触れ、もう片方の手を脚の間に置いていた。

 長い前髪の間から、朝露浴びた新芽を思わせるまつげが縁取る、潤みを帯びた瞳が見つめる。

 真白い肌はつくりものじみて淀みも濁りもなく、本当に繊細な質感で、喉元など青い血管が透けそうだ。

 つ、と指先が伸びてくる。

 避けずにいると、顔の輪郭を撫でられた。伸びる腕を伝って彼女の顔に視線をやると、微笑みと呼ぶのも合わないような、はかなげでうっすらとした表情で彼女はジョンを見ている。

 それから、頬に触れていた彼女の手が滑り落ち、ベッドを軋ませた。

 車椅子から身を起こし、移し、ディアがジョンの脚の上にまたがる。重心の移動を受け止めるために、彼の身が押し倒された。


「……どうした」

「深い意味はないよ。こないだは途中で帰ったから、埋め合わせ」


 ディアはそっと、ジョンの胸元に手をあてがい、心音を確かめるように耳を押し当てた。薄い胸もシャツ越しにひたりと密着し、視線を下げるとワンピースの襟元から鎖骨がのぞく。

 軽くてちいさな身体が己にのしかかるのをはねのけることも受け入れることもないまま、ジョンはただじっとしていた。



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