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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第四章 会合

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49:予定と帰らぬ場所と分帰路


 柔軟運動を終えてソファに腰かけていたジョンは、ロコと他愛ないやりとりをしてからふんと鼻を鳴らした。

 気遣われたことは、感づいていた。

 わざわざオムレツなど用意したのは、ジョンの好物だと知っているからだろう。

 しかし悪い気はしなかった。

 以前にジルコニアを追って下水道を歩いていた際にも、彼女から駆動鎧装のことを気遣われた一件があったが、そのときと同じだった。

 このシスターからの気遣いに、ジョンは自然体でいることができた。

 両腕を失って以来他人からの同情や憐憫にあまりにも過敏になり、ことあるごとに攻撃性を剥き出しに周囲へ噛みついていたというのに。

 このシスターの応対には、苛立ちなどを抱えずに接することができた。


「……ふん」


 テーブルに置いた新聞を読む彼女から目を逸らし、ジョンは居間の中に目をやる。

 端々に、ジョンの物ではない品が転がっている。

 いつの間にか増えていたそれらを見るでもなく見て、彼は考えにふけった。

 ……気遣いをされる程度には、気分が落ち込んでいる。

 直接のとどめはロコが刺したとはいえ。かつてその剣腕にあこがれたアブスン・ブリュードを蹴り、穿ち、殺意で以て相対した感覚はたしかに身体に残っている。

 その相手が、唾棄すべき吸血鬼に自らその身を堕としめた事実も。ジョンの心を激しく揺さぶっていた。


 だが。

 それでもだ。

 そんなこと(・・・・・)で感傷に浸っている場合ではない。

 アブスンが言い遺した情報が、あまりにもジョンにとっては衝撃だった。

 彼が《急速分裂型》吸血鬼として、『自ら』覚醒したこと。

 その手段を彼が《血盟アライアンス》に属す人間から聞いたこと。

 それが、名をスレイド・ドレイクスと名乗ったこと。


 ……仇敵へ繋がる情報が、ここに来て転がり込んだ。腕を失くし、鍛え直し、この三年追い続けて、けれど尻尾すらつかめなかった奴の名が、ドルナクにはびこる都市伝説である《血盟》と共に現れた。

 もちろん《血盟》とスレイドを名乗っただけの嘘吐きである可能性は残る。

 だがそれらにメリットはない。追手がかかった際のかく乱にはなるかもしれないが、それならばもっと実在する組織を名乗るなど、手はいくらでもあるだろう。

 加えて吸血鬼は自己の名の再認ができないために、偽名を使えないという性質を持つ。他人から呼ばれた際に、偽名だと本名よりもさらに認識からの反応が遅れるため周囲に疑われる可能性が上がるのだ。


 なにより、アブスンの語ったスレイドの姿。

 無表情で、瞳孔の開き切ったような瞳。目頭とまなじりに切れたような痕がある、まばたきをほとんどしない男。……あまりにも、当てはまりすぎている。

 ぎし、と駆動鎧装が軋んだ。

 両のまなこから血を流し、両手に剣を携え立ち尽くしていた奴の姿が脳裏に浮かぶ。

 倒れ伏した同流の仲間たちを踏みにじるように、負った傷を再生していくスレイド。

 ジョンの生身の腕が、奴の振るった剣の向こう側へ消えたあの瞬間を思い出す。

 何度となく夢に見た。きっと今晩だって見るのだろう。

 幻肢痛は夢でも現でもジョンをさいなむ。


 追わねばならない。

 なにに代えても。

 奴を、殺さなくてはならない。その一心で生きてきた。

 とはいえ、所在はわからないのだ。まずは、手にした細い糸を手繰り寄せるところからはじめなければ。


「……今日の仕事だが」


 口を開いたジョンに、新聞をめくる手を止めたロコが顔を向けてくる。


「かねてより伝えていた通り、俺はディアとサミットに出て護衛兼《銀の腕(アガートラーム)》の実稼働モデルケースを務める」

「ええ。承知しておりますよ。……楽団の演奏会もなくなってしまいましたし、ね」


 少し残念そうにロコは言った。ジョンは閉口する。

 もう、あのグラス・アルモニカの演奏を聴くことは、永久にないのだ。

 斬り捨てるというのはそういうことだ。あまりにも単純で、重たい真実。

 だとしても、ジョンは吸血鬼であれば滅する他に選択肢など持たない。


「そうだな。アブスンは死んだ」


 あえて己に言い聞かせるように、ジョンは断じた。


「故にそれで終わりだ。俺たちは生きている。次のことを考え、はじめるだけだ」

「……そうですね」

「お前は今日、警邏に戻るのだったな」


 わずかにロコの瞳が揺れる。

 気になるようなことを言った気がしなかったので、ジョンは加えて「ちがったか?」と問うた。ロコは「いいえその通りです」と返した。


「産業区画方面のローテーションですね。まだわたくしたち第七への信用が戻っていないのか、はたまたいまさら変更をかけるのが面倒なのか」

「両方だろう。ともあれ、お前は下での仕事となるわけだが……もし遭遇できたなら、イブンズに言伝を頼みたい」

「イブンズ様にですか?」

「そうだ。昨日の一件、アブスンの語った情報。《血盟》がこのドルナクに存在する可能性がかなり高まったことと、その中にアークエ派や、スレイド・ドレイクスが属する可能性が出てきたこと。双方を伝えておいてくれ」

「了解しました。その、イブンズ様はスレイド何某なにがしと、ジョンさまの関係については……」

「知っている。というより、この《銀の腕》を装着するまでの手術や世話はイブンズと奴の関わる医院でおこなったのだ。かつてのスレイドとも……顔見知りでは、ある」


 故に、《夜風の団(ナイトインゲイル)》で見かけるようなことがあればすぐに連絡が来る手筈になっている。

 いまのところは、目撃証言ひとつ得られたことはないが。それはこれまでアークエ派の人間がほとんど見つかることなくドルナクに潜伏できていたことを思うと、あり得ない話でもない。

 情報を得る手段はいくらもあるが、同様に情報を消失させる手段だっていくらでもある。


「アークエ派についても、もしイブンズ様がなにかつかんでおられるようなら聞いておいた方がよろしいですか? 《血盟》に繋がる情報になるかもしれませんし」


 膝の上に手を揃え、ロコはジョンをまっすぐに見て言った。

 彼女の口からアークエの名が出たことで、少々面食らう。

 その事実に、ジョンもまた彼女に気を遣っていたのだと自身で気づいた。

 もういまはアークエに属しておらず、どころか現在は神など信じないと言い白紙の聖書を持ち歩くような状態だが。

 かつての同胞にあたるのであろう彼らの話題は、ロコにとってセンシティブなものではないかと、少し案じた。


「……お前は、聞きづらくはないのか。そんなこと」

「え? ああ……かつて属したから、ですか?」

「ああ。どのような経緯で入信し、どのように抜け……いまや神も信じないまでに至っているのかは知らんが。思うところがあってもおかしくはないだろう」

「特別、なにも思いはしませんよ」


 色の無い声で彼女は言った。

 どこまでも平坦に、本当になんの感慨もない様子だった。


「アークエ派がどのような末路を辿ったのか。あるいはこれから辿るのか。それは、『歴史』というものです。わたくしが介入するものではありません。だから、別段なにも。どのような話を聞いても思うところはないでしょう」


 そっと、腰の聖書をひと撫でする。


「わたくしが関わるのは個人です。あくまでも、個の人なのです。だれであろうと思想の前に『ひと』があるのですよ。わたくしの聖書には、そう書いてあります」

「……お前の聖書が、ものを言うのか」


 連行されるまで所持していた彼女の聖書が白紙であることを知るジョンは、遠回しにそう指摘した。いま手にした聖書はアブスンからの預かり物のため中身がどうかはわからないが……。

 ロコはその意が届いているのかいないのか、曖昧な笑みを浮かべてやり過ごした。


「書いていない言葉だとしても書き足せばよろしいでしょう」

「破戒にも程がある」

「戒律などひとつ破ればふたつもみっつも同じことです」

「とんでもないことを言いだしたな……」

「それでも残るものが、そのひとにとっての本当の信仰なのでしょう」


 ふ、とやわらかに笑んで、彼女は結んだ。

 彼女にとっては、破戒さえもなんでもないことなのだろう。望むのは宗教に殉じることや教義に尽くすことではない。それくらいは、付き合ううちにジョンも理解していた。


「さて、そろそろお仕事の時間ですね」


 話を閉じ、新聞を閉じ。ロコは立ち上がる。

 椅子の背にかけていたケープを羽織り、両手の白手套をぎゅぎゅっとはめ直した。ジョンも、ソファにひっかけていたインバネスの襟元を噛んで持ち上げ、首をひねって肩回りにふわりとかぶせる。磁石の釦が前を留めた。


「今日は、帰りは遅くなるが。お前はどうする」

「そうですね」


 小首をかしげ、彼女は少し考えている。

 だがその目は上や横でなく下に向いていた。こういうとき彼女はすでに決め込んでいて、考えるふりをしているだけだということも、この付き合いの中でジョンは知っていた。

 あえて指摘はしないが。


「まあ、てきとうに。どこかで食べてまいります」

「そうか。俺もおそらく上で食べてくる」

「いい食事でしょう?」

「護衛だ。毒見をさせられるかもしれん」

「ディア様の、ですか。わたくしあの方には一度しか会ったことはありませんが……あのご様子ですときっと。ジョンさまの口許までせっせとフォークを運んで食べさせようとしますよ」


 たしかに、来賓のいるような場での会食で普段のジョンのような犬食いは許されない。

 となるとディアがそのように動く可能性は否めなかった。冗談じゃない、とジョンはかぶりを振る。その様を見てロコはけらけら笑った。

 ジョンはブーツを履き、ロコはパンプスを履き。二人は玄関から外へ出た。

 鍵を噛んで回して襟元のジッパーに納め、かんかんと鳥かごのような鉄柵に覆われた螺旋階段を降りていく。

 彼方の朝焼けは、もう街を漂い出したスモッグに遮られてうすらぼやけたものとなっていた。


「ジョンさまは上では、《血盟》についてお調べになる予定なのです?」

「一応はな。アブスンが宿泊していた宿から足取りを追うのと……あと一件、話を聞いておきたい奴に会ってくる」

「なにか詳しい情報のあてでも」

「大した話は聞けんかもしれないがな。なにしろ、アブスンと話したときにはひどく酔っていた無能だ」


 ジョンに同じくアブスンにあこがれた剣士、ベルデュ・ラベラルはいまごろ大断崖を昇降機使わず越える際に通る坂《険難の道(スティープヒル)》の土砂運搬に従事しているはずだった。

 上等区画に行くのだから、ついでに奴にもなにかアブスンがこぼしていなかったかを訊ねるつもりだった。……もしかすると、酒席のその場に。スレイドも、同席していたかもしれないのだから。

 ぎしりと歯の根を軋ませる。

 すべきことは多いが、ジョンにとってはスレイドを追うことこそなにより優先する事項だ。もしもベルデュから決定的な情報を訊き出せたなら、ジョンは間違いなくすべてを投げ出して追跡に全力を注ぐ。


「倒さなければ、進めない。ですか」


 大断崖を遠くに見据えつつ道を歩むジョンに、ロコは知ったようなことを言った。

 だが他の者が口にすれば気に障るであろう言葉も、不思議と不快感はない。

 なぜだろう。なぜかはわからないが……ジョンはその戸惑いを心中に沈めて、歩速を乱すこともなく返した。


「どうだかな。ただ俺はいま、俺が奴を、奴ら(吸血鬼)を滅ぼす杭だと。こう在る(・・・・)と己を定義した」


 そこから先のことは、わからない。

 だからただ、進むしかない。進まなければ、倒せない。

 正直に言えば、ロコはしばし黙っていた。

 それからずうっと、無言のまま歩き。

 道にひとが増え始め、出勤や、あるいは夜の仕事で帰る者たちにとりまかれながら、蒸気式昇降機の近くまでやってきて。ふいに耳打ちするように彼女は言って、ジョンの横を追い抜き去っていった。


「――生き方は、変えられませんよね」


 いつか聞いた言葉だった。

 アブスンも、最期にはそう吐いた言葉だった。

 変えられない。変わらない。根幹に根差したものはそのままで、故にこそアブスンはあの末路を自ら選んだ。

 ジョンは。どうなるのだろうか。


「っと、ここまでですね。わたくしは教会で礼拝をしてから詰所の方へ向かいますので」

「ああ」


 いつもの道だ。下等区画の中にある教会へとつづく緩い坂。

 出退勤の義務があり解析機関アナライザに通すパンチカードで行動の記録を付けられている騎士団と彼女は、朝礼の場がちがう。

 分岐の先へと身を躍らせ、ロコはちいさく短くジョンに一礼した。


「では」

「ああ」

「さよなら」


 すたすたと、腰のあたりに後ろ手を組んで彼女は歩いていく。

 ジョンも昇降機の方へ足を向け、視界からアッシュブロンドの後ろ姿が消えるまで見送ることもない。

 見上げる大断崖は、今日もスモッグにけぶっていた。

 ロコの好きな高所の景色も見えまいな、と思ってジョンは歩みを再開した。


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