45:盲点と推測とチェックメイト
とはいえ、蒸気裂弾が見つかっておらず危険な状況であることは変わりない。ロコという人手が増えたのなら、捜索範囲を広げるべきだ。
「ひとまず、現在までに俺たちが探した場所以外のところへ行くべきだ」
「となるとこの辺と産業区画付近と歓楽街は除いて……あとどこだ?」
「貧民窟は仕掛けても仕方のない場所だけれど当人が潜伏している可能性はあるだろうね。もう一度そちらから当たってみるかい」
三人で顔を突き合わせて話し合う。
横でこれを聞いていたロコは、ふむふむうなずきながらなにやらメモを取り出した。
ちらりとジョンが見やると、おそらくは拘置所から出て来てすぐにまとめたのだろういくつかの情報について記されていた。
乱雑に殴り書きされた文字と、彼女の顔とを見比べる。心なし、常よりも目の下にくまが濃い。
「……お嬢」
「はい?」
「手は借りたいが、あまり無理はするな。容疑者扱いで拘留されていたのだ。相当に疲労が溜まっているはずだ」
「え? ああー……はは。まあ平気ですよ。ちゃんと三食出ましたし」
メモをすすっとジョンの視界から隠しつつ、彼女は言う。
大丈夫と言うのならばこれ以上は言うまい。そうか、と返してジョンはロコを三人の輪に入れた。
「さっさと見つけ出さねば、な」
「はん。ロコちゃんが復帰してやっとおめーも調子出てきたな」
「なんのことだ」
自分の左手に入ったロコを見つめて、ラキアンはにししと笑った。
「いや? 僕らがだいたい二人でつるんで動いてんのと同じで、おめーもロコちゃんと連れ立ってんのが普通になってきたからよ。こうしてロコちゃんが横に居ると、しっくりきた感じに見えるぜジョン。なんか安定したって言うか」
「……そんなことは、ない」
実際には妙な安心感を覚えていたことを伏せて、ジョンはそっぽを向いた。ほんとかー? と言いながら嫌な笑みを浮かべるラキアンを努めて無視していると、「あまりラキアンさんも遊ばない。本題に戻ろうよ」と手を打ち鳴らしたルーが諫めた。
「蒸気裂弾の設置場所は足で探した限り見つからなかった。となると視界にすぐに入るような低い位置にはないのではないかと私は思うよ」
「高所にあるっつーのか?」
「破裂した際の殺傷効果範囲に下の道が入ればそれも十分に考えられるはずさ。だから視界に入らなかった箇所を探していくことを提案するよ」
「となると、家屋の二階や屋根上などか。どうやって運ぶのだ、エンジンのような重量物を」
「そこを突かれるとつらいところであるけどね。しかし他に探すべきところがあるかい、ジョン」
「たとえばまだ運搬中、ということは考えられんか」
「……設置じゃなく、賓客が到着してから近づけるってのか? 無理だろ。おめーがロイの野郎に頼んだ内容を聞くに、楽団と楽器――っつーか楽器箱か、とにかくこれの動きは騎士団で封じたわけだ。じゃあ同様に大きな箱とか偽装して運べそうなもんは往来で呼び止めるようにするだろ」
「それもそうか」
「車自体は下等区画のロンサ川付近でエンジン部を取り外して捨てられていたそうだよ。外してからでは車を動かすことはできないのだから、すでにそこから蒸気裂弾を作成して移動したことになるね」
「外したあと、別に盗んだもう一台の車でいまも運んでいる――とは考えられんか」
「そもそも下等区画じゃ蒸気動二輪も蒸用車もめずらしいもんだって忘れてねーか、ジョン。すぐに目立ってとっ捕まるっての」
それもそうだった。蒸機化の象徴たるそれらは、ある程度富裕な人間でなければ所持も難しい高級品なのである。
さてそうなるとやはり数十キロの鉄塊たるエンジンを、どのように運んだかという話になる。
またも振り出しに戻った。いかに考えても、運搬手段がわからない。その一点によって悩みこんで、焦りばかりが溜め込まれていった。
そこでふいに。
ロコが片手を挙げて発言した。
「すいません、まずわたくし、お聞きした情報と実際の現状とを摺り合わせしたいのですがよろしいですか?」
「ちなみにお前は情報をだれから聞いた?」
「警察の方と、途中で遭遇したベルデュ様ですね」
「……向こうの息がかかってるかもしれん奴と、酔っぱらってだいぶ使い物にならん奴か」
「ちっとばかし信用度に欠けてんな」「じつに怪しいと言わざるを得ないね」
いつもろくでもない酔っぱらい方をしている二名の言葉は無視して、ジョンはロコにうながした。
「お前の知る概要を語れ」
「はい。要はその……アークエ派の人間と思しき真犯人が第五騎士隊の方を殺害しており、警察の中にも手の者がいて、楽器箱の中身に扮して蒸気裂弾という兵器の部品を持ち込んでいた……これでよろしいですね?」
「ああ。加えて蒸用車が盗難されており、そのエンジンの蒸気発生機構が蒸気裂弾の核になっていると」
「そのように推測されたのですよね?」
いやに『推測』という言葉を強調しながらロコは言う。だがまあ、その通りなので、ジョンはうなずいておいた。
するとロコはひとり得心いった様子でぱたんとメモを閉じる。
青金色の瞳が、深く濃く耀く。
「幸いに、と言うべきなのかどうかわかりませんが。わたくしは拘留されていたおかげで情報が遮断されていたので、この一件を『蒸気を用いた兵器が設置され、危ない』という漠然とした噂のかたちでうかがっておりました」
静かに語り出し、彼女は言う。
どこに焦点を絞った話なのかわからず、ジョンたちは反応できない。
それを踏まえた上で、ロコは語る。
「ですから、『蒸用車のエンジンを用いてつくられた』との話を聞く前にですね……わたくしの頭の中では、ほかのものを使って蒸気裂弾をつくった光景が想像されたのです」
「ほかのもの?」
「ここにはあるじゃないですか。賓客が必ず通る場に設置することができて、蒸用車と同じく蒸気発生機構を備えていて、しかも蒸用車よりもよほど大量の蒸気を発生させて高い出力を得られるものが」
振り返るロコ。つられて三人もそちらを見る。
赤煉瓦づくりの駅舎。
堂々と構えたその建築物を、ロコは見据えている。
その出入口から奥には――ホームに長く伸びて、いままさに稼働せんと蒸気を貯め、余分を吐き。燃え上がる石炭が生み出す排気を中空に振りまく黒鉄の軌道機械がある。
黒光りする角張った車体。つまりは汽車が、存在している。
「……まさか」
「車の動力機を移動させるのは難しい。ならば、最初から設置されている動力機を蒸気裂弾と化してしまえばいい。……おそらくですが、まだだれも列車は確認されてませんよね? 蒸用車のエンジンという推測にこだわってましたから」
たしかに。先入観から、ジョンたちもそちらには一切手をつけていなかった。
蒸気発生機構として蒸用車のそれよりもはるかに大型、大容量となる汽車の蒸気機関部。これを蒸気裂弾の核として用いれば、なるほど威力は相当のものとなるだろう。なにせ、蒸用車のエンジン部を用いたレベルでも山道を一部崩落させるのだ。
広く堅牢な駅舎であっても、賓客と大主教ごと吹き飛ばすことができるかもしれない。
すぐに、ジョンは走り出した。あとにロコとルーとラキアンもつづく。
「となると、だ。俺が思うにおそらく、川の近くに乗り捨てられていたというのも」
「ドルナクの河川は濁りきっていて、底が見えませんから」
「沈めてしまえばエンジン部は二度と見つからず、まるでそこから運びだしたように映るのだね」
「そんで車を強く印象付けておいて、本命を狙ったってことだわな」
出入口につづく階段を駆け上がり、六列のホームが並ぶ駅舎内部へ。
手前から数えて四列、AからDの乗降ホームにはいま現在汽車が止まっていない。五列目のE、しゅうと黒煙と蒸気を噴き上げている列車は、時刻表を見た限り五時三十五分発だ。すでに動き出している。
その向こう。
六列目のFのホームに、蒸気を吹くこともなくただしんと停止している汽車があった。
沈黙を保っているが故の不穏さ、不気味さ。そのようなものを感じさせる。
「定刻通り五列目の奴が出発して遮蔽物がなくなりゃ、アレがこの駅舎内全体に衝撃をバラ撒くってわけか!」
「させるか」
ラキアンの叫びに短く応じ、ジョンは速度を上げる。
左手に客車の最後尾を望み、徐々に先頭車両へ。長いホームをひた走る。
右手の五列目、Eの乗降ホームを発車している列車の人々は、走る車窓から見えるジョンたちの様子に何事かという視線を向けているようだった。
奇異の目、好奇の視線を受けながら、ジョンは走った。
やがてホームの端近くに来て、車両に乗り込もうとしたところ――――
「ああ……ああ。来るのならきみではないかという予感はしていたのだよ、ジョン・スミス君」
――こつり、こつ。
足音を鳴らして、タラップを降りてくる。
滑らかな、艶を消した編み上げのブーツは白いボトムスの裾を飲み込んでいる。長い脚を辿っていくと、上衣には駅舎の人間が身に付ける、群青の地に深緑の詰襟を立てたジャケットを着こんでいた。怪しまれず忍び込むための変装なのだろう。
蒼を帯びた白い髪は結い縛った上で平たい制帽の中へまとめていた様子で、帽子を脱ぎ払いつつ首を振ると肩に流れた。
前髪もすべて掻き上げてひっつめにしていたようで、額に大きな掌を這わせながら、彼は細い面立ちの中で黒く暗い瞳を開く。
――射抜かれる。
視線がす、っとジョンの脳天から首筋と心臓とを通っていったのが、わかった。
思わず足を止める。まだ間合いは十メートル以上、客車全長の半分ほどの距離が空いていたが、それでもなお近づけないと感じさせた。
彼の手には得物もないというのに。急所を視線でなぞるのみで、明確に死を予感させたのだ。
ロコ、ルー、ラキアンも同じ感覚を抱いたようで、後ろからは怯み、唾をのんだ気配がした。
「……アブ、スン」
「いかにも。私がアブスン・ブリュード・メスカル」
呼びかけたジョンに応じ、アブスンは額を覆っていた掌をどけた。
皮肉ったような、けれどにこやかな笑みで、
ジョンたちと対峙する。
「ラクアの者どもに誅殺下すべく動いてきた、アークエの信奉者さ」
なにひとつとして己を偽らぬ目が、ジョンを貫いた。
憧れた剣士。その強さで以てひとを助け、剣啼とまで呼称され、けれど己の信ずる道がために剣ではなく音楽に道を変えた者。
そんな存在が、敵として向き合っている。
周囲に混沌と惨劇を振りまく存在として、変わり果てた姿を晒している。
覚悟はしていた。真相に行き当たったとき、目の前に立ちふさがることは覚悟していた。
それでもジョンは、自身の中に生まれた大きな動揺を隠しきれない。
「……本当に、アークエの一員、なのだな」
「ああ。私はそのために動き、今日のような大願成就のために生きて来た」
ざり、と移動し、緩やかにアブスンはジョンたちとの距離を詰めようとする。
背後でラキアンとルーが抜剣した音がした。
「自供しやがったな。罪状はいろいろだが……ひとまず、止めるぜ」
「得物が無いところに仕掛ける非礼を詫びておくよ」
「いや、いや。なぁに、構わないさ」
余裕を崩さずアブスンは言う。
いかな剣啼とて、得物もなくここまで優位を保った顔をできるものか? ジョンは怪訝に思った。
疑問にこたえるかのように、彼はするりと、片手を挙げる。
そこになにかが握られているわけではなかったが、ジョンたちの視線は縫い留められた。
その一瞬で、十分だった。
「――――異教徒どもッッ!」
高い声と共にずるリと這い出る。
客車の狭い窓枠から、小柄な黒ローブをまとった影がまろび出る。
フードが脱げ落ち、刈りあげた短い頭髪をさらしながら、ぎんと光る双眸でルーとラキアンを捉えていた。
だぼついたローブの中からきらめく慈悲の短剣が抜き放たれた。
「慈悲のっ、」「避けろお嬢!」
肩で突き押してロコの位置をずらす。ジョンたち四人の中央に落ちて来た襲撃犯は、剣風と化して周囲を薙ぐ。ラキアンとルーは防ぎ、ジョンはのけぞりかわした。
冷静に、ラキアンとルーが突きを放つ。
黒ローブが翻る。
ゆたりと落ちた布の向こうにはすでに彼女の姿はなく、例の、獣のごとく低く這い走る動きで汽車へと近づいていた。
とうにアブスンの姿もない。見れば、加速している客車のタラップに瞬時に飛び乗ったらしくすでにかなりの距離を稼いでいる。
二人の突きを避けて離脱した襲撃犯も、同様に汽車へ。窓枠に飛びついて地面を蹴り、蛇を思わせる柔軟さで滑り込む。内部から悲鳴があがった。
「く、そっ!」
逃がすわけにはいかない。ジョンも駆け出し、目の前に来た客車を見つめて駆動鎧装を稼働させた。
「おいジョン――」「お前たちは蒸気裂弾をなんとかしろ!」
背後に叫び、ストラップを千切らんばかりに首を振り抜く。腕から蒸気が噴き出した。
もうかなり列車の速度が上がっている。つかむ箇所を誤れば腕は逸らされる。
極限の集中で、貫手を放つように鋭く手を伸ばした。
がちん。
弾かれる。
もう一度。
逆の、左の手を伸ばす。
指先が乗降口の脇に据え付けられた把手にかすめた。
そのままつかみ取れば、ぐいんと肩に衝撃が走る。とっさに地面を蹴って、車体に張り付いた。右手を貫手にしてブリキの装甲に差し込む。
ブシゥと左腕が蒸気を吐いた。出力を上げる。身体を徐々に引き上げてはいくが、爪先がまだホームをこすりつづけている。
視線の先、ホームの端には柵が据え付けられており、このまま走行すればジョンの身体が直撃する。
「く、――」
じたばたともがいて、左腕を頭上の窓枠の中に差し込む。
肘まで入ったところでさらに出力を上げ、窓の下方あたりの内装を五指で握り込むようにして固定した。
先の襲撃犯の動きをイメージし、一気に上半身を窓の内へ滑り込ませた。前転するように腰から下も引き込み、ごろんと一転して室内に着地する。
中は一等客車のようで、広い部屋は調度品にあふれている。身なりのいい男と女が、ジョンを見てあぜんとしていた。
「失礼した。俺はこの先に用がある」
身体についた埃を払い、立ち上がって歩く。手を伸ばしてドアノブをつかみ、廊下に出た。
一等客車ということは列車の一番後方に位置する。もう少し早いタイミングで乗りこんだアブスンと襲撃犯は、二輌か三輌前の方だろう。
蒸気を薄く廊下にけぶらせながら、ジョンは先の車輌に走る。扉を開け、いくつかのコンパートメントを抜けて、次の車輌へ。
と、さらに次の車輌へと扉を開けようとした瞬間。扉がひとりでに開いて人影がにゅっと現れたので構えを取って足を止めた。
思わず拳を向けそうになると、相手は両手を掲げてストップする。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……なんだお前か……いや、なぜここにいる」
「ジョンさまがわたくしを押しのけたときにはすでに、アブスン様が乗り込むのが見えましたので。わたくしも急いで飛び乗ったのです。で、窓から見たらジョンさまが三輌うしろに飛びついたのが見えたので、走ってきまして」
右手に慈悲の短剣を提げたロコは、はあと額の汗をぬぐいながら言った。
「先に。となると、黒ローブの奴が乗り込んだのより早いタイミングだったのか」
「ええ。でもあの方はわたくしがここに来るまでに遭遇しませんでした」
「遭遇しなかった?」
アブスン、ロコ、襲撃犯、ジョンの順で列車に飛び込んだのだから、ロコがこちらに走ってきたなら途中で会っていて然るべきだ。
そうならなかったのは――と考えている間に、ごんごんごんごんと頭上の屋根から音がする。
襲撃犯はロコとジョンの挟み撃ちに遭うことを予期して、窓から屋根上に飛び出したのだ。
と、また別の音に気を取られる。
甲高い女の悲鳴が複数、先の車輌から漏れ聞こえていた。
「ちっ」
舌打ちひとつ、ジョンは走る。ロコも後ろからついてくる。
抜けた先には『ラウンジ』と摺りガラスに刻まれた大扉があった。
抜けると、
赤い絨毯を敷き詰められ、バーカウンタと、反対側の壁際のコンソールテーブルの他はとくに物がない空間。大人数がダンスを踊るには手狭だが、談笑して人とひとの間を行き交う程度ならば可能な空間。
そして、
周囲にひとが居なければ、剣を振るう程度はできる空間。
「追いついてきたかね」
アブスンが中央に立ち尽くしている。
どよどよとここに居たのだろう人々が出入口に殺到し、けれど排出しきれずにラウンジの中にあふれている。悲鳴の発生源はこの客連中だ。
その客の内だれかから奪いとったのか、アブスンは仕込みの杖から細身の剣を抜き払って剣身をためつすがめつしていた。
傍らには、またも窓を抜けて降りてきたのだろう襲撃犯。少し煙にさらされたか、煤をぬぐってけほりと咳を吐いた。
「狂信者も挟撃を回避してこちらに来た」
己の傍らで慈悲の短剣を構える小柄な少女を指して、アブスンは狂信者と呼んだ。
向き合ってみると、年のころはロコとあまり変わらない。灰色のチュニックとロングスカートを着込んだ質素な恰好で、胸には聖者の最期を模した首飾りが垂れていた。
熾火色の瞳が爛々と燃え、ジョンとロコを睨んでいる。
「ともあれ……ことここに至っては、追っ手を消すほかないのでね。立ち合おうか、ジョン君」
ぴゅん、と剣を振り下ろし、右片手中段に構える。
圧。
途端に膨れ上がった剣気が、ジョンを貫いて後方の客車まで抜けていく。
生唾をのむ。
いや、飲もうとした。
けれど口の中は乾いていて、むなしく呼気だけが漂った。
口を開こうとする。
なにかを、言おうとした。
けれどなにを言っても空虚になってしまう気がして、ジョンは唇を結ぶ。
「ジョンさま」
傍らのロコが声をかけてくる。
もう止まらない。止まれない。
レールの上を走り出したなら、あとは行き着くところまで行くだけだ。
がたんと車体が揺れる。
アブスンも狂信者も動かない。
張りつめた空気の痛いほどの密度が、ジョンの気持ちを落ち着けていった。




