44:捜索と問答と蒸気裂弾
楽器の持ち込みの際に壊れやすいことを強調し、下等区画を通る蒸気式昇降機までの往路ではやたらと道中の路面や道幅を気にしていたアブスン。
あげくに、ジョンに下等区画の案内まで願い出た、彼。
これが指し示すものは……設置の『下調べ』だろう。
思い至ったジョンは《笑い蓋》へ向かう。
だが、その前に連絡せねばならない部署がある。
上位騎士隊と警察だ。この二者は昇降機から降りてすぐの広場に、大抵ひとりは常駐している。駆けつけたジョンは、まず騎士と思しき男に「騎士団に連絡を入れろ」と詰め寄った。
「なんだ、急に……」
「電信ですぐに報せろ。険難の道が崩されたのは、賓客のルートを昇降機に変更するためだ。すぐに明日の賓客を通す道筋を確認して、設置された蒸気裂弾を発見しろ」
「なにを言っているのかわからん」
「このままではまずいことになる、と言っている」
「その情報源はどこだ。状況がそうだと判断できる根拠は。なにも無しに要求だけされてもこちらだって通すわけにはいかんよ」
なだめるような語調で騎士の男は言った。当然と言えば当然のことである。しかし翌朝の賓客移動までにことを終えなくてはならない以上、あまりにもいまは時間がなかった。
「なにかトラブルでありますか? 喧嘩ならよそでやってくれないと」
言いながら近づいてきた警官がひとり。ジョンはこちらにも詰め寄った。
「メスカル楽団のメンバーと荷物をすぐに確保しろ」
「はぁ?」
「急がねばならんのだ。むしろもう、手遅れかもしれんが……」
「あの、きみですね。ちょっと」
警官の男は制帽を正しながらジョンの肩を叩き、広場から離れた方へ歩き出した。
後ろでは騎士の男がまだなんとも言えない顔をしていたが、申し訳なさそうな顔で呼ぶ警官にひとまずひとまず追従する。
昇降口から半円形に石敷きでかたどられた広場から外れ、大通りの裏手へ。
あのジルコニアと遭遇した路地に近いところまで来ると、警官は口を開く。
「きみ、なんだかすごい剣幕ですからたぶんなにかあったんでしょうけど……楽団も賓客の一部なわけですから、あのような往来でいますぐ確保しろ! はないでしょう」
「……ああ、そういう配慮か」
「実際、なにがあったんです?」
「起きた事柄はいくつかあるが、これから起こる事柄がもっともまずい。明日の昇降の際――おそらくは大主教を狙ったテロが起きる」
「テロ!?」
「ああ。そのための下準備はすでに完了している可能性が高い」
足を止めたジョンは警官をじろりと見やる。
警官はいま耳にした言葉がどのような恐ろしい事態を引き起こすのか、と途方に暮れた顔をしていた。
「下準備、と言いますと」
「そうだな。たとえるなら」
考え込む素振りでジョンは正面の警官から視線を外した。
ほんのわずかな緩みを、見せつけた。
すると哀れっぽく表情をつくっていた警官は――瞬時に顔つきを凶悪なものに変じると、腰の警棒を抜いた。
だがジョンの蹴りの方が速かった。抜こうとした手首を回し蹴りで打ち払い、逆の足での前蹴りで鳩尾を穿つ。
かは、と前のめりになったところで、膝蹴りを側頭部に叩き込んで眠らせた。
「……たとえるなら。警官の中にも内通者がいる可能性を、考えていた」
苦々しい顔でジョンはつぶやく。
二件の騎士殺し。それは単なる殺害ではなかった。
おそらくは荷の安全な受け渡しも兼ねた、策略。
現場に残されていたのは偶然でもなければ、あそこに『隠していた』わけでもなく。
警察によって封鎖され押収されたあとで、内通者の警官が持ち去り、受け渡すことを想定されていたのだ。
一件目、駅での殺人も。部品を埋めるなどなんらかの行動を取り、それを騎士が見とがめるように仕向けた。殺され、現場が閉じた空間になれば、逆に言えばそれ以上そこは変化しない場となる。安全圏だ。
そして、壊れやすくまた数の多いパーツを多数この街へ運び込んだ方法は……
「くそ」
歩き出したジョンは来た道を引き返し、昇降機へ至る。
内通者がどこにいるかわからない中、単独で警察へ申し出をしても通るかはわからない。それどころか現状では騎士団への訴えすらうまく伝わるかどうか。
切迫した状況を思い、嘆息して。
夜のドルナクを眺めながら大舞台の縁へ行くと、横合いから声をかけられた。
「浮かない顔をしておりますなぁ、第七のジョン・スミス殿」
ふっと顔を上げると、ひどく薄気味悪い人相が目に入る。
落ちくぼんだ眼窩にぎょろりとうごめく灰色の目。刈りあげた頭部と肉付きの悪い頬のせいで、骸骨を思わせるシルエット。
詰襟の裾長上衣を着込んだ第三騎士隊隊長、ロイ=ブレーベンが腰のところに手を組んだ姿勢で立っていた。
「またぞろ第七の内部で、なにかございましたかな?」
悪気のかけらもなさそうな声音で、探るような目つきで、騎士団随一の交渉役は言う。
ゴブレットは彼を苦手としていたが、じつのところジョンも得意な相手ではない。常に腹の内でさまざまに策謀を巡らせているであろう古兵だ。
なんというか、その策謀巡らす性質には彼個人としての我のようなものが薄く感じられて、それがどうにも居心地悪くさせるのだった。
「いや……とくには」
「左様ですか。昨日のロコ・トァン殿の件に引き続きなにかあったのかと勘繰――失礼、心配してしまいましたよ。ところで、進展はありましたかな? ロコ殿の潔白を証明できるような」
「それも、とくには」
「おおっと、残念至極ですなぁ。まあ、もしなにかあれば是非に御一報くだされ。暇ではありませんが私も対外折衝役として、きちりと教会との対応はさせていただきますので」
嫌味な物言いで、ロイはにやにやしている。
ため息のひとつも吐きたくなるが、またそれでねちねちと言われるのも面倒だった。無視して、ジョンはあさっての方を向く。場を離れたくはあったが、あからさまに嫌って逃げたのを察されるとそれもまた面倒を招きそうに思った。
……しかし。
ゴブレットを追って修練場までわざわざ来たことといい、現在こうしてジョンの横に居ることといい。神出鬼没な人物だ。本当は暇なのか、と思わなくもない。
だが実務の上では非常に有能で、事実騎士団の政治面はそのほとんどをこの男が買って出るのだという。同時に喧嘩であるとか恨みであるとかそういうものも大量に買っているそうだが、なんにせよ暇ではない人物のはずだ。
――暇では、ない。
そんな人物がわざわざぶらつく理由を、考えた。……基本的な彼の行動理念は『騎士団のために』そこに集中している。
であるならば、いまここに居ること、修練場に来たこと、それらも暇つぶしではなく明確な理由ありきのことだ。
ちらりと横を盗み見る。
ロイは眼下に広がるドルナクの夜景、スモッグに覆われて輪郭のぼやけた街並みを眺めつつ、おもむろに懐から出した煙草に火を点けていた。
「このドルナクでは見かけませんが、蜥蜴が私は好きでしてなぁ」
「……はぁ」
「ちょろちょろとしていて飼育するとじつに愛らしい。ここから彼方の山岳地帯にはめずらしい種類のものもいるそうで、興味をそそりますなあ」
いきなり飼育する生き物の話をはじめたロイは、ぱかぱかと煙を噴き上げながらぼやく。
「ところで蜥蜴は自切と言いましてな、外敵から身を守るための囮として尻尾を自ら斬り捨てる能力を持っているものがあります。ご存じない?」
「知識としては、知っている」
「結構結構。まぁアレも、自切したあとまた尾が生えるものとそのままのものとがいるそうですが。どちらにせよ涙ぐましい進化の努力でございますな」
「……はぁ」
「そこも含めて、愛らしく思うのですよ。っと、」
ふかしていた煙草が根元のあたりまでじりじりと焼ける。ロイは残った吸い口近くをじっと眺めると、ジョンに向かってひらひらと掲げてみせてから、大断崖を流れ落ちるプルトン川に向かって投げ捨てる。
「ま、必要に応じ捨てる部分というのは、往々にして現れるものですな。……ふふふふふふ」
粘っこく笑い、ロイは大舞台の端を囲う鉄柵に肘を置く。
そこまで言われて。
やっと、ロイの意図するところがわかった。
……第七騎士隊が、蜥蜴の尻尾なのだ。
ロコを速やかに捕えた理由。わざわざゴブレットを衆人の前であのようにねちねちやり込めた理由。どのようにしてかジョンの所在を知り、こちらにも接触してきた理由。
初動素早く容疑者を捕縛している、内部の部署にもしっかりと調べをかけている、とのことを内外に示すためのものだったのだ。
いま、サミット会期が近づき賓客も多く来訪、ぴりぴりとしているドルナクで。騎士団も警護を務めていた場所で事件が起きて、解決のための初動が遅くなるというのはあまりにも外聞が悪い。
だからこそ、騎士団内部と教会との接点に位置し、責任の所在がいまいち不明瞭なシスターであるロコを連行したのだ。
状況証拠から疑いがあるのは当然として、ひとまずの進展を外にアピール。半ば教会預かりの身という点により、騎士団へのそしりを緩和した。加えてこの行動で時間を稼ぎ、ジョンたちにも証拠集めに動く猶予を与えた。
先日嫌味たらしく述べていた台詞も、この考えを下地にすれば伝えたいことが見えてくる。
どこまでもこの男は、騎士団の損得のみで動いているのだ、と。
「私はですな、ジョン殿。何度も生えてくる尾っぽの方が、好ましいと思いますよ」
口をひん曲げて笑う男の真意は、ある程度まで読み取れた。
ではここから、己はどう動くべきか。
目を閉じ思案し、数秒でまた目を開く。
まだロイは笑ったまま、先ほどまでと同じ姿勢を取っていた。
「……二件目の騎士殺しのことは、すでに耳に入っているかと思うが」
「聞き及んでおりますとも。手口も同一、かつ犯人はまだ逃走中だとか」
「一件目の騎士殺しと合わせて、大きな事件の気配がする。このことについて、提案を聞いてくれるか。第三騎士隊ロイ隊長」
「ふふん? とりあえず、話してみてください」
飄々とした態度の彼はまだ、値踏みする段階の目をしていた。
ひとつ息を吸い、ジョンは言う。
「警察内部の罪人を挙げるのと、教会に恩を売るのと。これらを達成できる可能性があれば、あんたは動くか」
ロイはしばしきょとんとして、次いでにやりと笑った。
「お話をどうぞ。この舞台が地に降り立つまでなら、うかがいましょう」
+
ジョンが己の推論を述べ終える。
アークエ派信者の騎士殺し。
部品のやり取り。
楽器箱を用いた部品の持ち込み。
険難の道を崩落させることによる移動ルートの変更。
これらをして成るのであろう、大主教――彼らの怨敵、ラクア派の首魁――を殺害するという目的のテロ。ロイは常の饒舌もどこへやら、静かに耳を傾けていた。
やがて、ごうん、と大舞台が白い蒸気に包まれながら降り立ち、ジョンたちはそれぞれ向かうべき場を分ける。
楽団と楽器の調査、警察機構への調査。アブスンと真犯人の捜索、および警護ローテーションを変えての蒸気裂弾設置個所の捜索については、ロイが掛け合ってくれることとなった。
「警察への圧力掛けのタイミングと教会への働きかけのタイミング、これで売れる恩の質と量が変わりますので」
しれっとそんなことを言い、これまでもこういう手管で騎士団に有利な条件をいろいろと引き出してきたのだろうな、と思わせた。
「ああ、あと一点。すでに貴方が警察へ渡したという部品は、持ち出されているでしょうな。ですのでこちらは押収品管理の部門でアヤシイ人間がいないか当たってきますので」
「もう、持ち出されたと? なぜ確証が」
「下等区画で先ほど、蒸用車の盗難があったのでございますよ。上等区画でも同じように蒸用車の盗難事件があったと報告に上がっております。……蒸気裂弾の仕組みは私も前線にいた頃ある程度把握してますがねぇ、有効な威力を発揮できる大量の蒸気発生機構はやはり大型になるのですよ。要は、貴方がおっしゃるような『楽器箱に納めて偽装する』という手でも、持ち込みは難しいのですな」
「……つまり」
「蒸用車のエンジン部を用いるのでございましょうよ。険難の道を崩落させたのは、それそのものも目的だったのでしょうが、実際の威力と時限式機能の試験だったと考えられますなぁ」
すらすらとジョンの推論の補強をしながら、ロイは大舞台の出入口へ向かっていき後ろ手を振って去る。
「それでは、あとは現場の人間が足で頑張って見つけてくださいますな? 私は詰所の方で指示を出しますのでこれにて」
ふっと人込みが前にあふれた、と思った次の瞬間には姿を消していた。
本当に神出鬼没だ、と思いながら、ジョンも己の目的地を目指して走った。
《笑い蓋》。
数時間前にアブスンと別れたその店へ、駆け続けた。
「ふぁ……アブスン氏なら、上等区画へ戻ると行って出て行ったが」
酒気に淀んだ三白眼でこちらを見るベルデュは、血相を変えて戻ってきたジョンに疑問符を浮かべたような顔をした。
腕があれば襟首をつかんでやるところだが、そういうわけにもいかないジョンは額を押し付けるようにして詰め寄る。
「いつだ」
「なんだ貴様、近いぞ……ああーと、店主、いつだったか? ……一時間前? たしかにそれくらいだったな」
「一時間か。遅すぎたな」
「話し足りないことでもあったのかね」
「聞きたいことも話したいこともある」
言い捨てて、ジョンはまた表に飛び出した。
どこだ。
どこにいる?
こんな深夜であれば列車は出ていない。まだドルナクを出て逃げてはいない。
テロの成就まで見届けるのであれば、潜んで待ち伏せるはずだ。
「どこにいる……」
走り、探し、いくつもの通りを抜けて。
カーニバルがやっと終わりを迎えた下等区画と貧民窟も、人気は薄くなる一方だった。探せるだけの場所を探して情報を共有し、ジョンと騎士団はどこまでも深く網を張っていく。
そこまで必死に探しても、アブスンの姿は見つからなかった。
+
――――夜明けが近づく。
まだ、蒸気裂弾もアブスンも発見されていない。
「……車のエンジン使ってんだ。そうそう、隠しきれるサイズじゃぁねーはずだよな」
駆けずり回っていたラキアンと駅前で出くわし、彼が捜索していた歓楽街方面の成果――といってもなにも見つかっていないが――報告を聞きつつ、ジョンは切らした息を整えて無言でうなずく。
「だが主要なルートは調べた、のだろう? まさか、往来で地面に埋める、なんて時間はないはずだし」
そう語り汗をぬぐうルーは産業区画近辺からアブスンと犯人の行方を調べていたが、やはりこちらも見つかっていない。
時間ばかりが消費されていき、焦りばかりが募っていく。
裂弾を設置するとしたなら、駅から蒸気式昇降機までの間だろう。賓客が昇降機まで乗る予定だった車の中・車体の下・および駅構内や線路。そして下等区画を突っ切るルートに至るまで調べは済んでいる。
探していない場所などもはや見当もつかない。と、そこで三人が息をついていたところ、ぼーっと汽笛が鳴った。
階段を上がった出入口からのぞくと、早朝発の汽車がしゅんしゅんと黒煙を噴き上げて、車体の下からは蒸気を吐いていた。出発の準備をしているのだ。
「そろそろ五時半だ。六時ごろにゃ、賓客も到着しはじめるんだろ?」
懐中時計を取り出して眺めつつ、ラキアンがぼやく。
いよいよ時間はなくなってきた。
蒸用車からエンジン部を取り出し、加工して、設置して……そこまでこなすには向こうも時間が必要なはずだった。まさか、まだ設置できずにうろついているのか。それともこちらの予想を上回るような場所に設置しているのか。
手詰まりになってきた。どうにもならない現状に、己に、歯がゆさだけが増していく。
ここからどこを探しに行けばいいかも思いつかず、三人が揃って黙りこくった。
そこへ。
「――すみません、遅れました!」
いつものように。
軽く駆けてくる足音が、近づいた。
ジョンは顔を上げて、声の方を見る。
ちょうど日がのぼりはじめたところだったようで、朝もやとスモッグが霞ませる景色の彼方に、彼女のシルエットが浮かんだ。
「……お前」
見やった先に居たのは、アッシュブロンドのうねる髪をなびかせ、青金色の瞳を輝かせる少女。
ずいぶん久しぶりに会うような気がした、ロコ・トァンがそこにいた。
「なにやら状況が動いたらしく、警察の方からひとまず放免と言われまして……ある程度いまなにをしているのかもうかがっております。遅ればせながらわたくしも捜索に加わりますね」
「……ああ」
膝に手をついて息を整える彼女を見て。
なぜだか。なにも状況は良くなっていないのに、ジョンはわずかに安堵している自分に気づいた。