43:部品と蒸姫と気づき
しばらくして一旦解放されることになったジョンは、先ほど拾っておいた部品を警官に渡した。「勝手に拾われては……まあその手なら指紋はつかんか」と言いつつ警官はこれを調べに回した。
それから一路、ジョンは詰所の方へ移動した。ひとまずこういう一件があったと、真犯人らしき人物についてゴブレットに話しておくつもりだった。
ダストシュートを抜けて降り立ち、会議場へ向かおうとする。と、左手にある騎士団員用のパブから声がかかった。
さすがに休みでない日に詰所近くでは酒をひかえているようで、レモネードをあおりながら、ゴブレットが席についていた。
「どうした、ジョン。アブスン氏と飲んでいるはずじゃなかったかい」
「その用は終わった。それよりゴブレット、また騎士殺しだ」
「……吸血鬼戦によるものでなく?」
「一件目と同じだ。心臓をひと突きにされている。……俺が現場に遭遇したのだが、取り逃がした。すまん」
「お前で取り逃がすんじゃほかの奴でも大体は無理だったろう。しかし、逃げ切るとは相当な使い手だねそいつ」
「……短剣術だ。お嬢の奴と、同じ技を使う女だった」
つぶやくと、ゴブレットはぽかんとして、それから頭を掻きつつジョンを呼び寄せた。
隣の席に座らせると、額を近づけるようにしてひそひそと言う。
「同じ技、だなんてことがロイあたりにでも知れると余計疑いを招く」
「……それもそうか」
「それにしても、どういう状況なんだ。騎士そのものになにか恨みを持った者の犯行か? だがそういうのだったら《夜風の団》あたりが感づくだろうし」
「過激派、かもしれん」
「過激派?」
「アークエだ。犯人は俺が現着したとき、葬送を行っていたのだが……聖書が、白紙の《非ざる道の書》だった」
「それは、また……」
ゴブレットは黙り込んだ。
アークエ派。
ヴィタ教であることには変わりないが二百年ほど前に大本から分派し、いま広く信仰を集めているラクア派とは異なる教義を掲げる宗派である。
分派の理由は聖書解釈において聖者・アズを「神の考えを読み解くべく遣わされた人間」としたのがラクア派。「神の代理人として天より来たりし者」としたのがアークエ派だ。
このちがいによってかつて泥沼の宗教紛争を巻き起こし、以降アークエ派は一部の地域や民族のうちで密やかに信仰されるのみとなった。
だがそれを快く思わない過激派が、アークエの内部に生まれた。
それは徹底抗戦を仕掛けてくる派閥として、いまも各地で騒ぎを起こしている。とくに信仰のちがう者、無神論を掲げる者に対しては救われぬ者との見方をし、攻撃的な態度を取ることもままある。
「……まあ、向こうからすれば先に仕掛けて民衆を騙しているのがラクア派だ、というような考えなのかもしれないが。どうあれひとを殺すようなことはあってはならないだろうに」
考え込んだ様子でレモネードを傾けるゴブレットに、ジョンは言う。
「奴からすればラクア派で大部分を占めるこの街自体が恨みの対象、となるのだろうか」
「さてそのあたりはどうなのかな。ともあれ、宗教がからんだ事態であれば教会にも協力をあおぐべきか。ロコ君が捕まっていることもあるし」
「そういえば犯人は、己の短剣術を《聖者の御技》と呼んでいた。これはなにか知らんか」
「聖者の……? いや、聞いたことがないな。教会も信心深い信徒にだけ明かす秘儀、秘技というものがあるだろうし、それに属すものじゃないかな」
「そういうものか」
「俺たちは無信心な無神論者だからね。秘奥には立ち入れないさ。剣だってそうだろ?」
「まあ、そうだが」
「しかし教会関係者が容疑者か。またロイの奴が交渉事に乗り出しそうな気配がしてきたよ」
ぶつくさ言いながらゴブレットは腰を上げかけて、そこでああ、となにか思い出した様子で腰を下ろす。懐から紙片を取り出して、折り目を広げた。
「忘れるところだった。お前にディアから送空管で呼び出しがあったよ」
「あいつから?」
「時間があいたら来てほしいとのことだ。サミット会期中の護衛兼モデルケースとして出るんだろ? その打ち合せだとさ」
「ああ。明後日のことだしな……そろそろ話はせねばならんか」
忘れていたわけではないが、ばたばたとしていてあまり細かい話もできていなかった。
思ってパブの時計を見ると、時刻は二十二時過ぎ。二十三時の便であれば、おそらく上層に行ける。
加えて、ひとつ訊きたいこともあった。先ほど現場に落ちていた部品のことを思う。
「少し、行ってくる。明日も警邏があるからな、早い方がいいだろう」
「どうせディアは深夜まで研究しているだろうしね。行ってくるといいよ。俺の方もアークエのシスターという線でまた調べておく」
手を振るゴブレットに見送られ、ジョンはまた夜の街へ出る。
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蒸気式昇降機は少し混雑していた。険難の道が崩れたことで、蒸用車で戻ることができない貴族層も乗らねばならないからだろう。
「おい、四等客車より狭いぞ。ここまで詰めねばならんのか」
先頭の方からは胴間声で我鳴る男。それに便乗して騒ぐ者がわらわらと湧いており、昇降係は苦労と疲労を顔に滲ませていた。
どうも険難の道を蒸用車で往復していた貴族らしい。車の中などこの大舞台でひとりが使えるスペースと比べてさらに狭いはずだがな、と思わなくもないが、そこは理屈ではないのだろう。
「一時間少々も坂をのぼるのと比べれば、乗っている時間も短いんだが」
ジョンはぼやいた。険難の道を通る場合は大断崖に沿って走って、一度はこのドルナクのスモッグの範囲外にまで出る。それほど非常に大回りな道なのである。
「申し訳ございませんが、詰めて御乗りいただけますように……」
係がなだめてはいたものの、貴族は止まらない。また時間を食いそうだ、と思いながらジョンは周囲に視線を巡らした。どうも貴族がそこまで乗ってきたのか、車が放置されている。
険難の道が復旧するまではこういう騒ぎも頻発するかもしれない。明日以降の上層への賓客警護もここを使うという話だった。
賓客たちは、物分かりのいい人間だといいが。
――こうして平行線のまま言い合いはやまず、結局二十三時回は貴族層のみの便と平民のみの便に分けられ、予想よりも時間がかかった。
風吹き荒れる大舞台から降り立ち、寒さに襟を立てたジョンはDC研究所を目指す。金の柱と硝子の障壁に覆われた八角柱のプロジット二号機が天高くそびえたつ、その根元へ。
通行証を守衛に示し、解析機関に通す。
「通行資格は払うのか」
「今回は研究所の業務による呼び出しのため結構とのことです」
さすがにほっとした。壊れたわけでもないのにここで金を取られては、今後の吸血鬼戦に差し支える。
広い廊下にブーツの底を鳴らして歩き、やがて右手に見えた応接用の部屋へ。解析機関にパンチカードを通し、認証が出ると中へ入った。
赤い絨毯が敷き詰められた室内は外とちがって蒸気排熱の暖房が効いており、ジョンは自然とインバネスの前を開いた。
手前のローテーブルとソファ、その奥にあるチェスト。
排熱暖房で茶器を温めていた様子の彼女が、軽合金製の車椅子を回転させてくるりとこちらを向く。
三つ編みにして、鎖骨の上に流した量感のある金髪。長めに整えた前髪の向こうから、赤みを帯びた黒曜石に似た瞳がこちらを見る。途端ににまっと頬を緩ませた。
黒いチューブトップと濃紺のオーバーオール、上着に白衣を着用した小さな身体が、車椅子の上で跳ねるように感情を露わにした。
「やほー来てくれたー。……ふふ、うれし」
ディアはからからと車輪を回転させ、こちらに寄ってくる。ジョンの方からも近づいて、彼女の前で足を止めた。
「夜分に悪いな」
「ぜんぜん? いつ来てくれてもいいよ、きみなら。それに姫はむしろいまの時間から本格的に活動するし……ねっ」
うずうずした様子でしゃべっていると思ったら、車輪をロックしてぴょんと飛び上がった。
膝から下がないというのに、腕の振りと背筋力と腿までの力だけでよくこれだけ跳べるものだとジョンは感心する。
腕を首筋に回してぶらんとぶら下がり、胸元に顔を押し付けたディアは本当に小さな顔でこちらを見上げる。にまにまにま、と嬉しそうに笑った。
「今日は肌着つけてるから、安心」
「……そうか」
「きみも、今日はひとりだね?」
「前回もひとりだったろう」
「でもあのとき、上層来るとこまではあの子と一緒だったでしょ? まあべつにいいんだけど」
そのことを話した記憶はないのだが、ジョンの方もまあいいだろうと流しておく。
「あいつはいま、少々厄介なことになっていてな。警察に拘留されている」
「ああー、聞いてるよ。だって上等区画で捕まったんだものね」
「奴が殺したわけではないと思うがな。状況証拠によるものだ」
「大変だねどうも。とりあえず、お茶淹れながらお話、しよ」
ばたばたするので、屈んで車椅子に下ろしてやった。からからと車輪を回してチェストのところに戻り、ディアは茶器とティーポットをトレイに載せて戻ってくる。
「お茶、ブランデーは入れる?」
「今日は酒を二杯飲んでいる。要らん」
「そ。じゃあ姫はちょっともらおうかな」
ジョンの吸熱マグと、自身のカップに紅茶を注ぐ。上からごく少量、ブランデーを入れたディアはローテーブルにこれを置いた。ジョンはソファに腰かけ、テーブルの端に車椅子を止めた彼女をはす向かいに見やる。
がじりとマグを噛み、紅茶を飲んだ。ほどよいぬるさで、胃の奥が温まる。ディアも静かにカップの取っ手へ指を添え、こくりと細い喉で嚥下した。
「ふう……さて。サミットの方は当日の昼二時から具体的な発表になるから、準備とかもろもろ含めて午前の九時くらいにここに集まれるといいかな」
「了解した」
「服装はこっちで用意するからね。体型は変わってないでしょ?」
「脚はどうだろうな。少し太くなっているかもしれん」
「ん、そっかそっか。ちょっと仕立屋に修正入れとく。あと発表の流れとかだけど、書類見てもらってもいい?」
「見てもわからんかもしれんぞ」
「内容までは覚えなくていいよ。どのタイミングで前に出るか、とかそういうのだよ。……なんかごめんね、ちょっと見世物みたいで」
「構わん。そうしたテストケースとしての存在感を出しておかねば、俺にこの腕を貸し出しているお前の立場では示しがつかんのだろう」
「だねぇ。技術長なんて立場があっても、まだまだ縛りが多いや」
しょうがないけど、と言いながらディアはテーブルに書類を並べていく。
開発発表を行う機関、製作所、会社の名前が並び、その順番と内容のさわりだけが記された書面だ。やはり部外者に閲覧できる部分は限られるのか、黒塗りにされた部分も多い。
ルレー製作所、『多脚型駆動鎧装技術の転用による荒地走破用・蒸砲戦車』。カルヴァー工業『超臨界圧ボイラー使用における熱伝達効率向上に際してのフィーディー式排熱サイクル機構の運用について』。
その次にくるのがディアたちDC研究所の『精密動作型腕部駆動鎧装の実稼働データによる人操作型実働機械開発機構』なる研究発表だ。
ちらりと視界の端にアルマニヤの《羽根足》発表の文章も見えたが、とくに言うこともないので触れないでおく。
「実際の腕の動きとかを、ここで前に出て実演してもらう感じ」
「どういう動作だ」
「先に内部機構についての発表があるから、ほらこれ……これとかを並べて説明するんだよ。それが終わったとこで前に出てもらって、姫が投げた卵をつかむのと組み手をするのお願い」
言いながらディアは車椅子のひじ掛け部分をぱかりと開けて、内部の収納スペースからジョンの駆動鎧装内部に使われているらしい――自分のことだが、分解しているところを見ることはできないため伝聞調だ――パーツを取り出し、いくつか並べた。
そのうちひとつに、ジョンは目を留めた。
「……似ている」
「え、わかるの? きみ、自分の内部機構知らないじゃない」
「俺の腕の中は知らん。そうではなく……先ほど、似た部品を見た。手のひら大で、金属管がからまったような形状だ」
ピストンとバルブがいくつか付属した、金管楽器のような謎の管のかたまり。隠されたかのように現場に落ちていて、警官に渡したあの部品を思い起こさせた。一応これについても訊ねるつもりで来たので、手間が省けたかたちだ。
するとディアは顔をくもらせ、なんとも言い難い表情をしてみせた。
「それ、管の中が赤褐色だった?」
「暗がりだったが、おそらくそうだな」
「錆止めのコーティングがされてる……蒸気管だ。あのさ、それって……」
ディアはしばらくの間書類の裏面に万年筆を走らせ、金属管が複雑に絡まり合った形状を描く。
バルブとピストンの位置が同じかまではさすがにわからないが、その個数はおおよそ同じと見えた。
「これ?」
「そうだな。ほぼ同じだ」
「……うーん。それが、その、なんだっけ。騎士殺しの現場である路地に、落ちてたんだ?」
「そういうことだ」
「…………うーぅん。あんまりよくない情報かも」
万年筆をしまったディアは腕組みして、形のいい眉根を寄せた。
この女をしてこういう表情にさせるような道具というのはなんなのか。気になったジョンは問う。
「どういう品なのだ、これは」
「蒸気兵装の一部。戦時にも前線で使われてた武器だよ」
手を伸ばして部品のひとつを取ったディアは、それをぐっと両掌で包み込み、ばーん、と言いながら手を広げ、テーブルの上に部品を落とした。ぶつかりあった部品同士が、ばらばらと散る。
散ったさまを見つめながら、ディアは静かに告げた。
「《蒸気裂弾》。内部に蒸気を溜め込んで爆破する、って代物。これはその溜め込むための機構に接続する重要な部分だね」
「爆発……」
「もちろん単体じゃどうにもならないけど。必要なパーツ多いからいまのドルナクに運びこむのは難儀するし、パーツ自体壊れやすいの多いし。組み上げて時限式にするなら何度か試してみないとたぶん感覚つかめないし、サイズも大きめだから設置できるとこ限られ……ってどうしたの。急に立ち上がって」
「……いや……」
並べられたディアの言葉に、直感が働く。
嫌な、予感がした。
いままで並んできた事柄が、すべて繋がりつつあるような。そんな気がした。
騎士殺し。目撃者は犯人と騎士が言い合いしていたと述べた。
険難の道の崩落。
明日の賓客のルート変更。
騎士殺しの犯人と思しき奴が起こした二件目。その現場に残された部品。
蒸用車の盗難。
蒸気裂弾の存在。
必要なパーツ。
「…………まさか」
予感が想像の中に輪郭をかたどっていく。
考えたくない事態が、しかしそうとしか考えられないように現れ、胸をざわつかせる。
「ディア」
「ん、なに?」
「すまない。出直す」
「……なんか思いついたんだ。いいよ、行ってきて。サミットのことはまたあとで」
「ああ」
きびすを返し、インバネスの前を留める。
ちらりとかえりみると、ディアはわずかに寂しそうに口の端を揺らしながら、笑みをつくっていた。
悪いな、という気持ちが強いが、けれどいまは急がねばならない。
「下へ」
下等区画へ。
《笑い蓋》を目指し、ジョンは駆け出した。