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39:気がかりと手がかりと不在証明


 重要参考人。

 ジョンもいま耳にした言葉が頭で理解しきれず、進み出て思わず問い返していた。


「……待て。なんだと?」

「言葉の通りです、ジョン・スミス。今回の一件について見解など話をうかがうべく、我々は彼女を連れてくるようにと仰せつかっているのですよ」

「どういうことだ?」


 重ねる問いに、食い下がることを予感してか。騎士はふうと嘆息するとジョンの前で手帳を取り出し、めくった。


「第五騎士隊のサルバトレ氏と容疑者が争っている様が確認されたのは、本日の朝八時半。死因は短剣で心臓を貫かれたことによる失血性ショック死。目撃者は歓楽街から帰宅中だったモスコ・マルス嬢。サルバトレ氏が容疑者に話しかけていたところ彼が抜剣して斬りかかり、それを瞬時に防ぎながら心臓をひと突きに仕留めたと。その後、目撃されていると知らずにか、遺体を停めてあった馬車の傍らに隠した。とのことです」

「……それで、そいつを連れて行く流れになるのか?」

「シスター・ロコは騎士団所属だが騎士のように正式なものでないため、出退勤の記録義務がない。代わりに朝は教会へ出向くことがほとんどとのことだったのですが、本日に限っては……出かけておられないようですね」


 ジョンは後ろのロコを顧みる。彼女はあー、と口の端をひきつらせながら、「本日は寝坊しておりまして教会には……」と言い訳にならないことを口にした。

 騎士団詰所と教会。朝向かう場所はお互いにまったく別のところなので、ジョンもロコも基本的に起きてから互いが在宅しているかの確認もしない。急ぎの任でもなければ今日のように業務の上で合流し、それから仕事に移る。

 よって、ジョンもロコが朝の間なにをしていたか――彼女の自己申告のほかに、確かめる術はないのだ。


「目撃者の話では容疑者は黒いローブをまとった小柄な人物だったとのことです。そして、胸部の傷ですが……貫かれた衣服にはほつれ(・・・)が。皮膚にはめりこむような刺し傷が。それぞれあったとのことで」


 第三騎士隊の男たちはまた、ロコの慈悲の短剣に目を落とす。

 ほつれ。めりこむような刺し傷。

 ……刃のついていない得物であるが故の傷だと、そう言いたいのだ。


「また、ここのところ深夜に貴女が出歩いていたとの情報も入っています」

「深夜?」


 そういえば。

 先だってイブンズのところで診断を受けた際、ロコについてかの女傑は「ジョンよりも寝不足のようだ」とのことを口にしていたが。


「貴方、同じ部屋にお暮らしになっているのにご存じないのですか?」

「同じ部屋ではない。ちゃんと寝床は別室をあてがっている」

「そういう意味では……まあ、とにかく。ご存じないのですね」

「お嬢、お前どこへ行っていたのだ」


 騎士の男が頭を掻きつつ話を切ったところで、ジョンは訊ねる。

 ロコはとくに含みも躊躇も感じられない顔で、「いえ、ここのところ疲れすぎて眠れず、夜中に少し散歩していただけなのですよ……」とつぶやいた。

 間の悪いときに間の悪いことをしていやがる。ジョンかラキアンの不運が伝染ったのか、と嘆きたくなった。


「ご同行願えますね。まずは警察の方へ」

「……まだ参考人、なのだな? 決定的な証拠はないのだろう」

「そうです。シスター・ロコは短剣遣いということもありますし、犯人の用いた技術について見解をお聞かせいただくのが主目的なのですよ」

「……、」


 そう言われても、素直について行かせる気にはならない。

 ことが吸血鬼の関わらない案件である以上、この先は警察の管轄になる。まるで見当はずれというわけではないが、この男の言っていることは半ば憶測だと思った方がいい。

 ある程度――、数字にするなら六割から七割。ロコのことを犯人だと疑った上で、警察が動いていると考えるべきだ。


「ちっ」


 面倒事に巻き込まれたものだ、と思いながらジョンは食い下がるのをやめる。


「ではご同行を」


 有無を言わさぬ語調で、騎士は言った。

 ジョンはなにも言わない。ロコもため息交じりにうなずいた。


「すみません。ちょっと、行ってまいります」


 ぺこりとジョンに頭を下げて。

 第三騎士隊に囲まれながら、ロコはその場を去っていった。


        +


 落ち着かない気分だった。

 詰所に戻り、警護の終了を報告して。また翌日からの警邏ローテーションについて、ざっくりとした時間とスポット配置をもらい、帰路に着き。

 自宅のドアレバーを膝で押して室内に入り、滅菌水を張った水盆でブーツを脱いだ足を洗って、インバネスを脱ぎ捨て洗蒸機スチームクリーナーへ叩き込み。

 蛇口を噛みひねって出した温水で顔を洗って、吊るしたタオルでぬぐい。定位置である居間のソファに腰を下ろして、ジョンはしばらく天井を見上げた。


 やがて日が陰り室内を暗くし、寒々しい空気が満ちる。

 暖房もつけていなかったと気づいたジョンは身震いして、部屋の片隅にある蒸気排熱利用の暖房を点けた。ほどなくして、床面と壁面内部に通されたパイプに蒸気の熱が通い、室温を上げる。

 壁に張り付いた灯りのスイッチを肩で押して点け、またソファに戻った。

 片足をソファの下にあるスペースに差し込み、ブリキの缶にしまっていた干し肉を取り出す。蓋を足の親指の爪先で器用に開け、中身をテーブルの皿の上に振り落とした。

 テーブルの上に屈みこみ、もくもくと食べる。

 食べ終えると今度は豆の缶詰を取り出し、また足の指で缶切りを用いてこじあけ、同様にして食す。

 べつに味など気にもしない、いつも通りの生活。


「……ふん」


 なのに、味気なく感じた。そわそわして気もそぞろだ。

 ほんの二、三か月前までと同じ状態に戻っただけだというのに。騒がしい人間がひとりいなくなるだけで、ずいぶんと部屋が広く感じられた。

 気分を変えようと思い、ジョンは左肘の内側に備え付けられた革のストラップを噛む。首をひねって蒸気機関を作動させ、駆動鎧装を動かした。

 手早く衣服を脱ぎ、またこれも洗蒸機に放り込む。その先のバスルームに入ると水を浴び、頭から爪先まで身体を洗った。

 己で動かしているにもかかわらず、駆動鎧装の指先で自分の身に触れるのはいつでも違和感があった。他人に触れられ他人に洗われているような気がする。だからジョンは基本的に……稼働限界のせいもあるが……湯あみが極端に短かった。

 タオルで身体をぬぐい、頭を拭く。

 その途中で腕に熱さを感じた。すぐに腕の回路を切って焼けないようにするが、自分で少し驚く。稼働限界ぎりぎりまでバスルームにいることなど、ほとんどなかったことだ。


「……気が散っているのか」


 口にしてみるとそんな気がしたし、口にしたことで余計にそんな気分が強まった気がした。

 常ならぬ自分に苛立ちのようなものを覚えて、ジョンはすぐに横になることにした。

 ソファの上でなかなか寝付くことができず、しばらく身じろぎしつづけた。


「あ」


 それからふっと思い至り、がばっと身を起こす。

 いつも見ていた、ロコの姿が脳裏をよぎっていた。

 あの女がいつも持ち歩いていた聖書。

 非ざる道の、書。

 どのページも漂白したように真っさらで、なにひとつ神の教えが記されていない聖書。

 どういう経緯で手に入れたかはわからないが。なぜか彼女はあんな……宗教の対立派閥が儀式に使ったり、呪いに用いたりするような、聖職者の道を選ぶなら所持しているのも大罪とみなされるようなものを持っていた。

 参考人とはいえ、所持品も検められるだろう。

 あんなものを所持していたことが知れれば、どうなってしまうのか。


「………………いや、」


 そんなのは、これまで過ごした月日の間もずっと同じことだった。

 見つかれば危うい品だというのは理解していた。それでもジョンはなにも言わなかった。

 どうでもよかったからだ。

 その、はずだった。

 だというのにいまジョンは、いつまで経っても眠ることもできない。


「……くそ」


 落ち着かない気分だった。

 なぜこんなにも落ち着かないのか。

 どうして眠れず、心臓のあたりにいやな重さがあるのか。

 しばらくして。

 柱時計が鐘を二回鳴らしたところで気づく。

 なんということはない。

 心配して、いたのだ。

 ジョンはロコが彼女の立場に対して不利なものを持っていたことでさらに疑いを深め、戻ってこれなくなるのではないかと危惧していた。

 そんなことを他人に対して考えたのは、はじめてのことだった。


「…………、」


 調子の狂いを感じる。

 常ならぬ自分の態度に、苛立ちを覚える。

 考えても詮無いことだと知りながら、その後もジョンは考え事をつづけて浅い眠りのうちに寝がえりを繰り返した。




 朝になり、寝不足気味な頭を振りながらソファから身を起こすジョンは、部屋をノックする音で目覚めていた。

 寒々しい玄関まで歩いてドアを膝で押し開けると、作業着に身を包んだ男が一人。

 片手に箱を、もう片方の手には封書を持っている。


「どうも、配達です。イブンズ・ドラブロ様より」

「……ああ」


 そういえばそのような手配をしていたなと思い出した。


「えっと、宛名はジョン・スミス様となっていますが……」

「間違っていない。いまはそう名乗っているだけだ」

「あ、そうですか」


 封書の表面に記された、ジョンのかつての名。本名、疾病の経歴なども含め騎士団のデータベースに個人情報が登録されているので、そのデータと比較したかたちでイブンズが送ってきたためだろう。どのようにデータベースに接続しているのかは不明だが。

 ジョンは男を玄関口まで入れる。「そこに置いておけ」と指示する。


「ではこちら、中身は健康診断の書類と、箱の方が卵です。お気を付けを」

「承知した。……とはいえ、奴がいないのではな」


 ロコがいなければ、調理もできない。かなり器用に足を使いこなせるジョンだが、さすがに卵を割るとか料理をできるほどではなかった。

 あのとき健康診断を受けていたときには、こんな風にロコが不在になるとは思ってもみなかったのだ。

 イブンズ。

 あの女傑のことを思い出し、ジョンは思案する。


「……ときに、お前」

「はい?」


 配達の男を呼び止めて、ジョンはつぶやいた。


「その封書はイブンズのところから持ってきたのだったな。奴は――まだ、健康診断とやらの場所にいるのか?」


 ふ、とあくびをかみ殺しつつ言う。

 また睡眠不足の件について言われるかもしれないな、と思った。


        +


「どうしたんだい名無しの少年! 寝ぼけたような面してやってきてなにか健康診断の結果に不安でもあったかね!」


 下等区画の目抜き通りから一本入ったところにあった簡素なテントの奥に居たイブンズは、蒸気稼働の医療機器の奥からひょこりと顔をのぞかせた。

 いつもの多レンズの眼鏡を下ろしており、なにか書類に目を通していたらしい。近づいて機器のそばに立つと、キャスター付きの椅子に腰を下ろしたままでがらがらとイブンズはやってきた。


「それとも圧搾固形食糧の定期購入に、」「診断結果にはさほど気になるところはない。そのゲテモノ食品を購入するつもりもない」


 ばっさりと会話を切り捨てると、気にした様子もなくイブンズは手元の書面に目を移して「ふーんそうかい」とだけ返してきた。

 ぺらぺらと数枚めくっている辺り、ジョンの診断結果を探しているようだ。やがて行き当たったのか、人差し指で数値やグラフを示しながら確認を済ませていく。


「そうだろうねアヤシイところは特になかった! 肝機能腎機能糖代謝などもとくに問題なし、せいぜいオド濃度が少々低い程度か」

「……なにが低いと?」


 聞きなれない単語にとりあえず訊ねる。イブンズは大仰に肩をすくめた。


「オド濃度だよきみ! 血中を流れるとある物質数種の総合的な数値の変動をグラフ化して出しているものだ」

「低いとなにか問題があるのか」

「いやとくにはないよ。こいつは脳の感情をつかさどる部位が活性化した際に大きく変動する数値というだけなのでね。――要は、きみが冷ややかな奴だということを示しているにすぎない!」


 思ったよりどうでもいい情報だった。己が白けた目になるのを感じながら、ジョンはイブンズに言う。


「……そんな話はいい。それより、訊きたいことがある」

「シスターのお嬢ちゃんが警察に拘留されていることかね?」


 さすがに耳が早い。肯定の代わりにふん、と鼻を鳴らして、ジョンは口を開く。


現場不在証明アリバイは、ないのだが。俺としてはあの女がひとを殺すようには思えん。俺の業務としても、奴がいないと滞りが出るのでな……」

「助けたい、ということでいいかね?」

「事実を明かしてもらいたいだけだ」

「ふふん。その言いぐさでまあ了解しておくとするかね。金額は五ルコルだよ情報の有用無用にかかわらず」

「構わん」

「毎度。さてさてその時間に第三者がお嬢ちゃんを見かけていればいいわけかね……だが残念ながら名無しの少年と合流した十一時以前の目撃情報はないようだね」


 先ほどまで見ていた、健康診断結果の束ではなくべつの書面の束をデスクの方から取り上げつつイブンズは言う。口の端に万年筆をくわえ、がじがじとかじりつつぼやいた。


「もともと下等区画は労働者の場なのだから皆家を出る時間は早い。八時半前後はすでにだーれもいなくなってて、結果として目撃者もいないと」

「だれもいない、か……このところ、深夜に出歩いているのを見かけられていたようだがそちらの情報は?」

「昨晩は出歩いていないのかとくに見かけた者はいないそうさね。いやまったく間が悪いことこの上ないね一緒に暮らしているとそういう部分も似てくるのかね少年よ!」


 自分が考えた冗句と同じようなことをイブンズが言うので、ジョンはうんざりした気分になった。首を横に振って笑えない、との意を示し、イブンズの書面に目を落とす。


「逆に、その容疑者……黒ローブの人物を見かけた、という奴はいないのか」

「残念ながらいまは精霊祭で死者を模した格好の連中があふれている! 黒ローブなんて恰好が目立ちにくい状態になっているのさこの街は」

「ふむ」


 書面に目を通していく。

 殺人事件についても調べが進んでいるようで、遺体の状況、昨日騎士から聞いた容疑者の外見、その他周辺状況などまで事細かで多数の項目に及んでいる。


「ん」

「なんだね少年」

「騎士、サルバトレとかいう奴についてだが」


 遺体の状況について図で描かれていたのを顎でしゃくるように示す。

 サルバトレは右手のすぐそばに剣を落としていた。

 実際、身に帯びていた鞘も右手で抜く位置にあったと書面には記載されている。

 そして、刺し傷について。

 人体を真上、頭上から見下ろした図で描かれていたそこを、ジョンは見つめた。


「刺突は胸部、右心房を貫いているようだが……刺し込んだ位置から左肩甲骨を目指すよう、斜め下に抜けている」

「それがどうしたのかね」

「お嬢は右利きだ。左でも剣を使えるのを秘匿して……ということも考えられん。あいつは左右の手でまめの位置が異なるからな」


 この一件の容疑者は、サルバトレが抜剣したのに反応して短剣で反撃し、またたきの間に刺殺せしめたという。

 だが右利きのロコが胸部から刺し込んで左斜め下に向かう突きを出すには、手首を返し、手の甲を下に向けた突きで、上から下へ押し込むようにしなくてはならない。

 動作として考えると、少し難しいように思われた。なにせ相手はロコより上背もある。


「右逆手に持った短剣で振り下ろすように刺すならそのような傷にもなるだろうが、相手に先に抜かせてから逆手持ちで対応するのではリーチの差がさらに開く」

「瞬時の反撃は間合い的に無理ってことになるさね」

「ああ」


 それを可能にするような絶技を持っていたというなら興味深いところだが。

 単純に考えてやはり、この殺害はロコがおこなったようには思えなかった。ジョンは確信を持ちながら、襟元のジッパーを噛んで開ける。


「参考にはなった。ひとまず支払っておくぞ」

「はい五ルコルちょうど毎度あり」


 料金を支払い、天幕をインバネスの肩口で押し開こうとする。

 そこでふと聞き忘れたことを思い出し、振り返って問う。


「ついでで訊きたいんだが」

「なんだね?」

「警察署に拘留される際に、お嬢の所持品などについて、なにか問題が起きたりは……していないか?」

「いやなにも私は聞いていないよ。見つかってはまずいものでも携帯していたのかねあのお嬢ちゃん」

「そういうわけではないのだが。そうか。ならいい」


 ひとまずの安堵を覚えて、ジョンは場をあとにする。イブンズはいぶかしげな顔をしていたが、「またなにか情報が入ればお知らせしてあげるよ少年」と声をかけてくれた。



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