37:馬車と同乗者と剣啼
「いや、お待たせしてしまいすまなかったね。なにしろ我々は大所帯で、かつ荷が多いものだから大変なのだよ」
棺のような楽器箱を提げたまま肩をすくめるアブスン。
その背後には、箱、箱、箱。サイズは彼が持つような小型のものから、大人の男を納めても余るようなものまでさまざまだが、デザインは皆同一である。
すべてがグラス・アルモニカやその他楽団で使用する楽器を運搬するためのものだ。
「荷の検めは終わったか」
ジョンは問う。
サミットの会期が近づくこんな折なので、常よりも外からの持ち込み物品について検査が厳しくなっているのだ。
アブスンたちの楽器については問題なかった様子で、彼はひらひらと検査完了の用紙をジョンに見せつけた。
「ああ、ああ。とはいえ楽器は数が多い上に壊れやすいものなのでね。向こうさんもどこをどう検査すればいいかわかりにくいようで、実に申し訳なかったが。ともあれこれで問題はあるまいよ――おい、お前たち! 荷運びだ!」
後ろの箱の山に向かってアブスンがよく通る声で叫ぶ。これを合図に、控えていた楽団員と思しき人々がぞろぞろと集まり、楽器を運び出していく。
ロータリーに待機させていた馬車列の方へ歩み、彼らは次々と荷を積み込んでいく。端の方に目を向けると先ほどの第五騎士隊の連中がこちらを見ており、すでに遺体は移動されていた。
上役と思しきあの中年の男が、くわえ煙草でまたジョンの方へ寄ってきて言う。
「目撃者への聞き込みは駅長室で続いとる。お前らはあとから来たから直接には関係ないが、ひとまずの報告だ。あとは第五で引き受ける」
「そうか」
「我々は警邏に戻るとするが。そっちはどうだ」
「今朝がたローテーションの変更があってな。俺たちは連中の警護だ」
ジョンが顎でしゃくるように馬車に乗っていく人々を示すと、中年の男はわずかにまぶたを持ち上げた。
「警護とはな。うらやましいもんだよ、血の臭いが少なそうな仕事で」
嫌味ではなく純粋な感想だとうかがわせる温度の声で、彼はくわえていた煙草の先端を上向けて笑った。これにもそうか、と、けれどあまりぶっきらぼうに聞こえないように返して、ジョンは己の業務へ戻った。
楽団の荷は多く、手伝えるものなら手伝いたいと思わせる光景だがあいにくと使える腕が無い。となると必然、警護のために見張るだけというのがジョンの仕事となった。ロコはちょこちょこと運んでいいものかどうか訊いて回って動いており、楽団の人々もその態度に親しみをもって返事しているのがうかがえた。
他の馬車へ乗るべく一列に並んだ速記者の人々は、この大規模な引っ越しのような光景を窓から眺めて不思議そうにしている。
ジョンは彼らに「これから大断崖をのぼる昇降機へ向かう。この荷積みで出発が遅れるように感じるかもしれないが、いずれにせよそこでは定時ごとの便しかない故いま行っても少しあとで行っても変わらん」と告げておいた。
「しかしずいぶんな大所帯と大荷物ですが、昇降機に全員乗れるのでしょうか」
ちょっと手伝いをしてきたために額に汗にじませ、長いアッシュブロンドの髪を払いつつ、ロコが言う。
「おそらく十三時の便なら全員移動できるはずだ。下等区画や産業区画からの荷揚げは朝から十二時までの便で済ませることが多い」
「なるほど」
「速記者たちも業務はサミット当日からで、今日は予定もなくさほど急ぎではないのだしな。ゆるりと行けばいいだろう」
速記者の集団はアブスンたち楽団の人間のような大荷物は持っておらず、せいぜいがタイプライターを携帯しているかどうかだ。彼ら自身にも急ぐ気はないらしく、列の中で談笑しているのが見える。
と、呼び止められている者がある。話しかけているのは、制服を着用していることからして駅の人間だ。
「……なにかあったか」
ジョンが近づきながら右の駆動鎧装に刻んだ騎士団の刻印を見せると、駅員の男はボウラーハットを取って会釈しつつ返した。
「タグですよ、タグ。こちらの方が持つタイプライターのボックス、検査タグが付いていなかったので」
「え」駅員の言葉に速記者は固まる。
「持ち込む際に、なにか言われなかったのですか? あなた」
「いや、なにも。出立の際にも手荷物の持ち込みには検査とタグは要らない、とうかがったのですが……」
しどろもどろになる速記者に詰め寄り、駅員はちょいちょいとボックスを指さした。
「バッグなどの、すぐに中身を確認できるものはいいんですがね。ボックスタイプの鞄は一応中を検めることになっております。拝見しても?」
「はぁ、そういうことなら」
「では少々」
とりあえず列が止まっていたので、ロコが後ろの人間たちを先に進ませる。
その間、地面に置いたボックスを開錠して駅員は中身を検めていた。どう見ても普通のタイプライターで、とくに怪しい部分はない。
すぐにまた施錠しなおし、「結構です。お呼び止め失礼しました。これタグです」と速記者にタグを渡して去っていった。速記者は釈然としない顔で、「制度は統一しておいてくれればいいのに」とぶつくさ言いながら馬車の客車へ乗り込む。
「厳重な警備、だな」
「万が一が万が一にも起きないように、との警戒なのでしょう」
その様を見ながら、列の整理を終えたロコがジョンに言う。
警戒、と反芻しながら、ジョンはちらりとロコの手に目をやった。
「それも、どこまで意味があるのだかな……たとえば、素手でも十全な戦闘能力を持つ者であれば、いくら武器の持ち込みを警戒してもさしたる意味がない」
「おっしゃる通りですね」
「お前など手ぶらでも好き放題に戦えるだろう」
「いえさすがに相手によりますよ」
完全に否定しきらないところに、自身の腕に対するある程度の自負がうかがえた。
……そうこうするうちに速記者たちも、楽団も、荷と人員の積み込みを終えたようだった。
「いや、いや。手間をおかけしたものだ。これにて我が楽団のメンバーは全員揃ったのだよ。それでは速記者の方々のついでで構わないから、ここからの道中警護をお願いしたく……えーと……そういえば、名前は?」
「ジョンだ。ジョン・スミス」
「わたくしはロコ・トァンと申します」
「ふむ。了解したよジョン君、ロコ君。ではこのアブスン・ブリュード・メスカル。楽団の長としてきみたちに目的地までの案内と警護をお願いする」
うやうやしくも右腕を胸に引きつけて一礼したアブスンは、にこりと笑みを浮かべて目元にかかった髪を払った。
「ああ。こちらこそ」
礼を返し、ジョンはロコに目配せした。
「速記者の方は、放っておいても問題はなさそうだな。先ほど止められたのを除けばなにか手続きにも迷ったところはない」
「そうですね」
「逆に楽団の方は荷も多く、いろいろと手間取りそうだ」
「たしかに」
「故、先導する馬車は荷下ろしで時間のかかる楽団の客車としよう」
「まあ道理ですかね」
「というわけでそちらに俺たちは同乗するぞ。ついてこい」
「……あの、ジョンさま?」
指示に対して、ロコは挙手して遮った。ジョンは片眉を上げながら、顎でしゃくって発言をうながす。
「なんだ」
「なんだか妙に、乗り気な感じではありませんか?」
「乗る気に決まっているだろう。警護だからとて馬車の外を追走するわけではない」
「いえそうではなく。乗り気です乗り気。さっきからいやに饒舌ですし、アブスン様からのいまの依頼、業務外と言っていい出来事のはずなのにお金を取ろうともしませんし」
「金などもらえるか。むしろ先の鎮魂の演奏に俺やお前が金を払うべきなのだ」
「うええええ。その反応、もうなんだかちょっと怖いです。ジョンさま、失礼ながら。あなた本当にジョンさまですよね?」
この女は俺をなんだと思っているのだろう、とジョンは半目で見据えた。その視線になにを感じたのかはわからないが、ロコは妙に納得した顔で「あ、うん。ジョンさまですね」とうなずいた。
それから二人してアブスンの向かった、馬車列の先頭にある客車を目指す。鞭を執る御者はトップハットを軽くつまんでジョンたち騎士団の人間に会釈し、「上等区画の宿まで案内を仰せつかっております」と身の上を明かして手元の扉開閉スイッチを押した。
開かれたドアの奥で、蒼を帯びた白髪が光る。先に載っていたアブスンが片手をあげた。
「……それにしてもジョンさまが、そこまでアブスン様に関心を持っていらっしゃるとは」
「まあ、最初に興味を抱いた理由は、音楽そのものではなかったがな」
「と言いますと?」
「アブスンの来歴、過去に興味があったのだ」
「……ああ、なるほど。ジョンさまらしいことで」
しらーっとした目になったのを見るに、ロコはアブスンの正体、そして彼にジョンが興味を抱いた理由を察したらしい。
「気づいていたか」
「先ほど祈りのあとに握手しましたからね、わたくし」
「ああ……そういえばルーのときも手を見ただけで見抜いていたな、お前は」
車内で掲げられていた、アブスンの手。
その指の付け根には、こぶのように盛り上がったまめの痕がある。
演奏の際はなめらかに飛び回るその長い指は、しかし手のひら側から見ると指の節に太さがある。掌も小指の付け根から手首にかけて、掌紋が擦り切れている部分がある。
長きにわたる、鍛錬の証だ。
それに加え、ジョンが握手を求められて応じることかなわなかった際に、インバネスの中にあるため悟ることはできないはずの駆動鎧装の存在を瞬時に察した――おそらくは立ち姿の微妙な重心移動の差を見切った――洞察力。
「アブスンは民間の護衛会社《護剣団》のトップに居た男だ。その卓抜した剣技により、かつては《剣啼》と呼ばれていたほどの、な」
+
四十人切り。
言葉にすればそれだけだが、簡単に成しえることではない。
だが目の前に居るその男は、たしかにこれを成した。
「十年前、ナデュラ西都のフィーディーにて発生した武装勢力による立てこもり。これにいち早く対応し、単身で四十人を薙ぎ倒し人質を救ったのがアブスン・ブリュードという男だ」
「あれ、メスカルという名はなんなのです?」
「それはメスカル楽団を継ぐ者が名乗ることになっているだけなのでね。私の本名はアブスン・ブリュード。ここまでなのだよ」
道の悪さでごとごとと揺れる馬車の中。
ロコと並んで腰かけ、アブスンと向かい合ったジョンは彼の偉業についてロコに語っていた。
――向かい合った敵を、一の剣戟のみで打ち破る。
その際の、擦れ合う剣と剣の奏でる音がまるで啼いているかのようだ、との評から、ついた異名が《剣啼》。
名は広く知れ渡り、幼かったジョン――まだジョンとは名乗っていなかったころだ――も、すでに剣を手にした身であったがためアブスンにあこがれた。
しかし彼は突如として剣の舞台から姿を消し、八年ほど剣士としての名は現れず。
次に姿を見せたときには楽団の座長としての名を戴いていた。
「多くの剣士が不可解に思った。俺もその一人だった。だがとある公演の際に、近くだったので聴く機会があってな。そこで耳にした音楽に、俺は魅せられた」
あれほどの剣腕を持ちながら、なぜ音楽に走った? そう思っていたジョンだが、一聴しただけで納得させられた。
おそらくは剣にかけるのと同等以上の熱量で以て研鑽を積んだのであろう、卓抜した技がそこにあった。
ジョン自身の音楽への造詣は、けっして深くない。
それでも、ひとつの技を突き詰めて鍛えてきたが故か、磨かれた技には同質の熱を感じとることがある。
アブスンには、それがあった。彼の演奏姿には達人の構えに通ずる、静かな熱を秘めた美しさが纏われていた。
以来ジョンにとってアブスンという男と彼の奏でる音楽は、憧憬の対象として長く心のひとかどを占めてきたのだ。
「お会いできて、光栄だ」
正面に腰かける偉大な人物に、ジョンは目礼した。アブスンは気さくな笑みを浮かべ、膝の上で両手を組んだ。
「そう言っていただけると嬉しいものだね」
「剣士としての尊敬から始まったものだが、なんと言えばいいのか……演奏についてもすばらしく感じるが、それだけではなく」
回らない舌にもどかしい思いを抱えながら、ジョンは伝えたいことを頭に浮かべた。
「その、人としての尊敬だと、思う。うまくは言えないが」
「いや、いや。そこまで持ち上げてもらうほどの者ではあるまいに」
「そんなことはない」
「そうかい? ありがとう」
くつくつとアブスンは笑い、ジョンはなんと言えば気の利いた返しになるかわからず押し黙る。
ふっと横を見ると、ロコがまたなんとも言えない目でジョンを見ていた。
「なんだ」
「本当にジョンさまらしからぬジョンさまだなぁと」
「どういう意味だ」
「ジョンさまでもひとに敬意を表すとか、あるんですね」
「表すべき相手ならば表す。当然のことだ」
「あ、普段接している方々にはそうすべきでないとお思いなのですね……」
「仕方がないだろう」
「仕方がないって」
「ならお前は第七の連中に敬意を持てるか?」
ロコが若干引いたような顔になる。仕方がないことだ。
なにせ普段彼女とジョンが接する人間はゴブレットだのルーだのラキアンだの、年上ではあっても尊敬すべきか? と問われたら否と言わざるを得ない連中ばかりなのだから。
「……ははは、調和がとれているね!」
ぼそぼそとロコと会話していたところ、これを聞いていたアブスンが笑みを絶やさぬままに評してきた。
「調和?」ロコが問い返すとアブスンは笑みを強めた。
「きみたち二人が、さ。話すリズムが心地よい。距離感と言葉の心情とがちょうど重なるような感じがする。まるでちがう印象を受ける二人だというのに、不思議なものだね」
ジョンとロコを交互に見ながら、彼はそう評する。
二人は顔を見合わせ、なんとも答えに窮した。
「調和がとれている、」
「とは到底思えないが」
疑問を素直に口にすると、二人の言葉がちょうど重なった。
アブスンに言われた通りになってしまったようで釈然としない。そんな二人の顔を見て、また彼は一層笑みを強めるのだった。