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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第三章 祭日

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35/86

35:診断と圧搾固形食糧と買い食い


 通りから一本入った路地。

 二人が通された先は見世物小屋を思わせる簡素なテントで、入り口をめくって入ると中には所せましと医療機器が並び、動力である蒸気を噴き上げてしゅんしゅんと動きを止めずにいた。


「さぁさぁそんなところに突っ立っていたもんじゃないよさっさとこっちに来なすぐに来な早く来な!」


 イブンズに急かされて、仕方なくジョンはバンバン叩いてすすめられたスツールに腰かける。ロコもこわごわとその横に腰を下ろしていた。

 正面にざっとひざまずいたイブンズはジョンの眼球を見て舌を見て脈拍を測り、背を向けさせると心音と体温を測って「あーと声を出してから深く呼吸しろ」と言いながら胸に耳を当てた。どうやら呼吸音を調べているらしい。

 それで、ふむと一息いれた。


「呼吸は問題なし肺病みはないな。睡眠が不足していると言っていたが日中に三十分でいいから横になって仮眠をとれそれだけでずいぶん変わる。食事は一日に二度は摂れているか? どうせまた豆の缶詰と干し肉と硬パンだろう栄養素が足りず口内炎になりかけているぞ!」

「新鮮なものを買いに行き口に入れる時間がないのだ」

「そんなきみに圧搾固形食糧ミクスドブロック! 必須栄養素をこれでもかと詰め込んで圧搾した人類の英知の結晶にして時短の極みにある優良食品!」


 いつもイブンズ自身が携帯している、油紙包みのぎとぎとしたビスケットみたいな謎の食料バーを取り出して言う。

 うんざりした顔でジョンはぼやいた。


「どうせ金を取るのだろう」

「後払いで構わん! まずは一か月分試してみて体調の変化をレポートしてくれたまえ」

「しかも面倒事極まるな」

「なあにレポートと言っても遭遇時にこちらから訊ねるだけだ! 訊く内容も寝起きの調子がどうなったとか排便が固形で定期的になったかとかその程度のことだよ! これに協力してくれれば料金を通常の一本六スードからなんと三スードに減額だひと月分でも九十スードと非常にお買い得だぞ!」

「……安くはある、な」

「名無しの少年の自宅は存じていることだしな受注すれば明日にでも自宅へ届けさせよう! 運搬業者が近所で養鶏を営んでおるのでなぁなんなら卵を十個ほど付けてもいい。卵は完全栄養食だ火を通せばたんぱく室の吸収率が九割を見込める優良な食べ物故」

「……ふむ」

「もともと名無しの少年は大食漢でもなかろう! 豆缶一個とこれを入れ替えた食事にするだけで体調についてはずいぶん問題が解決するはずだよ、いまのこのときに不調でパフォーマンスが落ちるのはまずかろ?」


 多レンズの眼鏡をずり上げながら、イブンズはふふんと笑う。

 ジョンは頭の中でスードとルコルをぱちぱちと移動させ、月の貯蓄の増減を計算に入れて思案した。

 買い置きしている豆缶は、まだまだ保存がきく。扱う問屋も少し買いに来なくなった程度でジョンの顔を忘れるとは思えない。


「大して豆缶と変わらん値段で、運搬も頼める、か」


 そして卵もついてくる。とは、口にはしなかったが。

 イブンズはらんらんと目を耀かせた。


「そうだ! 相手がきみなら二度払いの翌月翌々月支払いでもいい」

「……ふむ」


 悪くは、ない。

 悪くはないのだ、が。

 ただジョンの一存で決めるのはどうなのか、とふいによぎった。


「お嬢」


 横のロコを向く。


「はい?」

「一応、お前の食生活にもかかわることだ。俺はサミット会期中から終わって落ち着くまでの一か月分ならば、悪くはないと思うが」


 決めろ、と選択を迫る。

 えええ、と引いたような顔でおとがいに手を当て考え込むロコ。

 だが悩むのは数秒で、すぐにポンと手を打った。


「商品の価値はよくわかりましたし、とても良いものだとは思いますが」

「ふむ」「おお!」

「ところでこれ――お味は?」


 はたとイブンズの動きが止まった。

 はっとしてジョンがその顔をにらむと、多レンズの眼鏡をずり下ろして視線の動きを隠した。

 だが確実にいま彼女の視線はあさっての方を向いてジョンから逃げた。


「……お前」

「あー、ところで次は血液検査なのだがー、名無しの少年は左の二の腕から採取してもよかったかね」

「普段からぼりぼりぼりぼりアレばかり食べているのを見てきたが、お前どういうことだ」

「まあ……一本やるから試してみて、先ほどの商談はそれから考えてくれたまえよ。まあなんだ食の好みというのはひとそれぞれであるからして。私は利便性ばかりを追求してしまったがなるほど在野の人々というのはそれだけで成り立っているのではないというのを失念していたのはなんとも否めない部分であるがしかしだからと言って」「よっと」「あ」


 ロコは目を逸らしながらまくし立てるイブンズにそろりと近づき、胸ポケットに刺さっていた圧搾固形食糧を引き抜いた。

 油脂包みをほどき、端をぼりんとかじる。

 ロコは三度咀嚼して、

 四度目で動きが止まった。

 視線が上に行き、下に行き、真正面を見て止まった。

 震え出し、顔色がすっと青くなる。


「……無理をするな、吐き出せ。イブンズの顔に」

「いえ……食べものぉ、ふぉまつにしゅるわけにわ……」


 格闘の末にロコはこれを飲み下した。

 半分残った圧搾固形食糧は、包みを戻してロコのポケットへしまわれた。捨てないのだな、とジョンは思った。


「して、なにか言いたいことはないのか、イブンズ・ドラブロ」

「……在庫がまだ三十箱残っていてね!」

「開き直るな」

「ううむ。すまん。これは軍の非常用携行食料の試作品でね。あまりおいしいと非常時を待たずに食されてしまうとの懸念から必須栄養素を詰め込んだ上で『おいしさを削ぎ落す』目的の元に製作された品なのだよ……!」


 眼鏡をずり上げて目頭を揉み「まあ食べていたら慣れてきたので私はこの半年昼食はすべてこれだが」と仰天するようなことを述べるイブンズであった。


「しかし軍の、か。そのまずい食料にも、そんな経緯があるとはな」


 きしりと音を立てる己の腕。

 ディアが研究し軍事転用に役立てている《銀の腕(アガートラーム)》のこともそうだが、あらゆる技術はその方向性を戦に向けているな、とジョンは感じる。

 気を取り直したのか肩を二、三度揺すって器具台に向かったイブンズは、採血のための注射器を用意しながらぼやく。


万国大戦ワールドウォーの反省点を各国躍起になって反映させようとしているのが昨今の世界情勢なのだよ」

「戦争か」

「殺し合いだ」


 短くも熱のこもった言葉でイブンズはつぶやいた。

 まだその大戦の頃、ドルナクではなくとある街に住んでいたジョンは十五に満たない齢だったため徴兵されることはなかったが。

 あの大戦で身内や身体を失ったという人は周囲でも相当な数にのぼった。主な戦場となったのはドルナクが在るナデュラ国から二つ隣の国・モレンジだったのだが。それでも被害をかたちとして見たジョンは、戦争をなんだかよくわからない不気味な怪物のように感じていた。


「まぁすぐにまた戦争がはじまるということはなかろうがモレンジと競り合った敵国のグラントなどは先の賠償金で身動き取れなくなっているのは事実だ! 亡命しようと逃げる者も多く中には優秀な技術を持つ者もおる」

「ふん」

「状況というのは刻一刻と変わるものなのだよ名無しの少年。努々忘れぬよう」


 こちらに針を向けて来たので、ジョンはインバネスの前を開いて二の腕をさらす。

 力なく身体の横に垂れる《銀の腕》に触れないように、イブンズは素早く二の腕に針を刺し血を抜いた。


「検査結果は少し待ってくれれば出るがどうだね? きみについては以前も採取しているので階差機関の方で管理している情報と照らし合わせ新しい疾患の有無なども判別は容易だが」

「いや、もう警邏に戻る。結果はなにか異常があれば自宅に送ってくれ、なにもなければ放置でいい」


 言いつつジョンはインバネスの襟元におさめた財布を取り出し、診断料を律儀に払った。


「了解したよ名無しの少年。ではつづけてシスターのお嬢ちゃんだが」

「あ、私は注射の方はご勘弁を。痛いの苦手なので」

「ふうん? では少しまけて二スードといこうかね! そこにかけて目と手と胸を差し出したまえよ」



 簡易な検査の結果ロコも「あんた表情でごまかしてるけど名無しの少年より寝てないね!」と言われたほかはとくに異常はない様子で、二人して外に出た。

 だがまだロコは顔色が悪かった。


「……そんなにまずいのか、あれは」

「イブンズ様、よく平気な顔でぼりぼり食べられますねアレ……変な意味で尊敬してしまいそうです」


 苦し気なロコは口許を押さえて通りを歩く。

 あまり悲惨な物言いだったので、ジョンは少し足を止めた。


「まだ若干、次のチェックを要するスポットまでは時間がある。迂回するが、こちらを通るぞ」

「こちらとはどちらで?」

「露店街だ。口直しになにか買い食いでもしておけ。調子が悪いままでついてこられても俺も困る」

「よろしいのですか? 業務中ですのに」

「補給に文句を言うやつがあれば、口にさっきの圧搾固形食糧を詰め込んでやれ」

「良薬は口に苦し、といった感じの味でしたからね……ではお言葉に甘えて」


 角を曲がったジョンについてきて、ロコは二歩後ろをあゆむ。

 雑な天蓋の幕を張り、通りにはいくつもの露店がぎゅっと押し込まれている。先ほど通っていた大通りに比べ道幅も狭く、行きちがうのがやっとといったところだ。

 そこに食べ物と人と古道具のにおいが混じりあい、沈殿していく。

 ぼろ布を敷いた上に寝そべって営業し、並べた雑貨や用途の分からない鉄くずを売る者。

 簡素なテーブルをEの字に並べ、立ち飲みのパブのような景色にしてせかせか営業する者。

 腰丈の高さの棚を机代わりに営業し、棚の中から酒瓶や酒の供を取り出しては給仕する店。

 まだ日は高いが、酒をあおっている者は多い。


「あれ、なんですか? 『電気焼き』って」

「なんということはない。ただ肉を焼いているだけだ」


 巻いた長い鉄片に雷電エレキテルを流して熱を発生させ、直火の代わりとしてフライパンを熱しているに過ぎない。

 ただ名称の物珍しさがあってか、そこそこに繁盛していた。


「食べるか? ここのところ、干したもの以外の肉を口にしていないだろう」

「あ、じゃあお金を」

「いや、いい。俺が出そう」


 襟元のジッパーに口を触れさせる。

 ロコからの反応が返ってこなかったので振り返ると、びっくりした顔で立ち止まっていた。


「……なんだ」

「じょ、ジョンさまが奢ってくださるなんて……と」

「このところろくなものを食わせていないのは、事実だからな。あんなミクスドブロックなぞに齧り付かせてしまうほどに」

「いやあれは興味があって食べただけですが……というか、お気遣いくださっているのですね」


 ジョンは口を開けてなにか言おうとした。

 だがなにを思っていたか、もやもやとしていて言葉にまとまっていなかった。

 気遣い。気遣いだろうか。

 どちらかというと、気にしている……という方が、近い。


「……いや」


 金を支払い、屋台の主に肉を焼くよう頼む。このドルナクでは義手の人間もめずらしくないので、店主はとくになにも言うことなくジョンから財布を受け取り、銅貨を取り出すとじゃらじゃら携帯金庫へ流し込んだ。


「あまり機嫌が悪いままでいられるのは、よくないと思ったまでだ」


 じゅウ、と焼けはじめる分厚いベーコンの切り出し。

 香ばしく甘く脂肪がとろけて、いかにも食欲を誘った。


「……機嫌が悪いというのは、その。それは、わたくしの……まあ、最近の様子ですか」


 背後でロコがぼやいた。

 言ったあとだが、ジョンは「指摘するべきことではなかったか」と少し失言に思い至る。だが言ってしまったことは取り返せないし、実際的にジョンは機嫌がななめになっているロコを良くないと感じていた。

 自分にとって気分が良くない、というのもあったし、ロコ自身にとっても良くないだろう、との思いがあった。


「いや。失言だった。食事ごときでどうにかしよう、というのは浅はかだったな」

「いえ。こちらも、なんとなく約束を破られたことについて根に持ち過ぎていたかな、とは思います」

「……すまない」


 振り返り、一言だけだが、ジョンはしっかりと謝意を示した。

 ロコはジョンの目を見つめ返し。

 ふうとひとつ息を吐いて、てくてくと近寄ってきた。


「かまいませんよ。だれしも、好きなものもあれば、好きでなくてもそれ以上に譲れないものはあるでしょうし」


 店主が木串に刺して渡してきた脂したたるベーコンを、ロコはぱくりと口に入れてうまそうに噛みしめた。


「生き方は、変えられませんよねぇ」


 最後の言葉はたぶん、ジョンに向けてのものではなかった。

 そうだな、ともどうだろうな、とも返さず、ジョンは彼女の言葉をただ聞いた。


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