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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第三章 祭日

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34/86

34:カーニバルと巡回と診断料


 サミットの会期はこの寒乾季(冬の下期)における最後の三日間。

 ヴィタ教の精霊祭の時節と重なるように仕向けたのは、来訪するという教会の最高位・イェディン大主教に配慮してのことでは、と噂されている。今回の選定で次の大主教を選ぶので、在位中としては最後の訪問になるからだ、と。

 大主教のほかにも、招かれる賓客は多い。

 果学アカデミク研究学会オブジエンドからは、微小生物学の権威タリスカ・ストーミィ。神が数字で世界を作ったと語る熱心な信徒にして数学者のグレア・ルイン。先鋭的すぎる人体工学理論を立てる問題児ブルケット・マルズ。そして学会の長にして人類の至宝とも謳われるブレインヴィクター・トリビア。

 貴族層からは国の政治の中枢に食い込む革新派モレ・グラッティ公。ロシュフォール公。穏健派筆頭・女王の伺い役(ごますり)ケント・ハイネ。


 ほかにも国の要職が多数、集結する。

 蒸気都市ドルナクの立役者であるジェイムソンインダストリアルの社長であるクリュウ・ロゼンバッハ、ドルナク市長ルゴー・ドメイシーの両名がこれら賓客ゲストの接待を行う予定だ。

 またサミット前の三日間は、都市全体で四日にわたるカーニバルを行う運びとなっている。


 ――本日はその、カーニバルの初日。

 下等区画では露店が立ち並び、雷電エレキテルを無駄にふんだんに用いた電飾が下がり……祭りの様相を呈していた。


「警邏もより、面倒になったな」

「ですね」


 人でごった返す街路を歩きながら、ジョンは後ろについてくるロコにぼやいていた。

 寒風吹きすさぶ寒乾季だというのに、密集した人々の熱で通りがぽかぽかしているのではと感じるほどだ。実際には、街全体で様々な蒸気機関をフルに稼働させていることによる排気熱が原因なのだろうが……。

 なんにせよドルナクにこれほどの人間がいて、またこれほどまでに人間が集まってくるのか、とジョンは驚嘆していた。


「一応、蒸気路線の駅にて手荷物の検査をおこない。上層へ向かう者にもプルトン川の注ぐ元(エレベータ)で身分証確認をしているそうだが」

「その気になれば武具を持ち込む手立てなどいくらでもあるでしょうね」

「だな。しかし俺たちが気にするべきは、そちらよりもむしろいまこの場所だ」

「ひとが……多すぎますね」


 ささやきがジョンの耳朶を打つと同時。

 通りから一本入ったところで、くぐもった声が発せられたのをジョンは察した。


「ん……このスポット(・・・・)に居たか」


 ぐるんと九十度足を傾け、進路を変える。後ろで歩調を乱したロコが、あわててついてくるのを足音に感じる。

 だが人波に撒かれるほどでは、ない。ジョンはすっかりこの街に慣れてきている彼女に背を任せ、一気に人の気配が薄れる通りへ踏み込んだ。

 人が多い。からこその、暴挙。

 インバネスの隙間から片腕をのぞかせ、肘内のストラップを露出させながらジョンはかつかつとくぐもった声の発声元へ歩む。

 薄暗い路地の角を曲がり。

 突き出されたステッキを、後ろ足に重心を移すことで回避して戦闘態勢に入った。

 眼前には、倒れ伏した女がひとり。血を吸われているほか、着衣に乱れも見える。

 囲むのは男が三名。

 どいつも目を血走らせ、赤く染め、顔色は土気色で牙を剥く。

 ジョンはストラップを噛みしめ、両腕から蒸気を吐いた。


「やれやれ。テロリストも厄介だがお前らも厄介だ。どこから湧いてくるというのだ、これほどの数で」

「ケハッ、蟲扱いはやめてほしいもんだなァ義手の兄ちゃん!」


 ふてぶてしい態度でハットを指先で弾き飛ばし、白っぽいスリーピースに身を包んだ男が攻め込んでくる。

 他二名もそれぞれにナイフを抜き、襲ってきた。

 ジョンは冷静にこれを見据えて身を低く屈める。

 突撃の姿勢。あるいは低く薙ぎ払う蹴りの姿勢。

 どちらでもあり、どちらでもない。

 正解は。


「――あまり調子づかないでください!」


 この狭い通路でロコが飛び出してくるときの邪魔にならないように、だった。

 ったたんと軽い足踏みで屈んだジョンの背を足場に路地の上空へ舞う。ロコの持つ慈悲の短剣が閃いた。

 ひとりを蹴り倒して、身を沈め着地するモーションを利して首筋深くへ逆手の短剣を叩き込む。

 もうひとりがナイフを振りかざしたときにはすでに右中段、順手半身に構えなおしており、相手の刃に切っ先がからみついていた。

 手首のスナップと二の腕のねじりによって相手の刀身に巻き付いたようにさえ見える秘剣・《裁き手》が炸裂し、構え方が悪かったのか吸血鬼は腕の回転に負けて横倒しになった。

 瞬間に右のあばらの弱い箇所へ爪先で蹴り入れ、身を縮めてガードが下がった隙を見計らい。つづけざまの鳩尾への踏み下ろしで動きを止める。

 呼吸ができなくなったところで、くるんと逆手に持ち替えた。

 身を沈めつつの刺突を、五連。

 相手のナイフを奪いつつの連撃は、肝臓・臍・頸動脈・股間・及び大腿の動脈を的確に貫き大出血を起こさせた。吸血鬼の特性上ショック死は起こさないまでも、急激な出血は血圧の低下を招き意識を遠のかせる。


 意識を、塞ぐ。

 つまりは回復を、妨げる。

 このように停止した瞬間に心臓を一突き。吸血鬼を地面に縫い留め、ロコは立ち上がる。

 そのときにはジョンの方も終わっていた。

 振りかざされたステッキを掻い潜り、貫手の一撃。喉をつかみ潰して、腕を鋭く振るい血を払うところだった。


「ふん。腕は大したことがなかった。が、徒党を組んでいるのがいけ好かんな」

「彼らは元々この辺りを根城にしていたごろつきグループの三人なので、吸血鬼化したあともつるんでいたというのは容易に想像できます」


 前日にこの一帯の情報を叩き込んでいたのか、顔つきを見ながらロコは語った。


「どのような経緯で吸血鬼化したかはわかりませんが」

「ともあれ、《血盟》ではないようだな」

「それ元々噂、伝説の類ですよね?」

「火の無いところに煙は立たん。水無きところにタービンは回らん。俺は可能性は疑いつつ常に業務を成すまでだ」

「業務……業務ですか」


 少しだけ嫌味っぽくつぶやいたロコに、けれどジョンは「そうだ」と返した。

 ほかに言葉など持たない。

 いくら彼が……その、ロコと約束した演奏会の件をキャンセルする羽目になり、貸しを作っていたとしても、だ。

 先日のあの、アブスンの演奏会の件。

 あれほど頼み込んだ翌日だというのに、ジョンはディアからの依頼を受けるべく断らざるを得なかった。そのときのロコの顔は――なんというか、あまり思い出したくはない。


「俺は業務が最優先だ。悪いが……」

「はいはい。わかってますよ。そもそもべつに、お願いされたからチケットを御譲りしようかと話しただけですし」

「ほかに誘うあてはないのか」

「元々売り払うつもりでしたからそうしますよ。お知り合い、と呼べるのはあとラキアン様とルー様とゴブレット様しかいませんし」

「あいつらは……まあ、ラキアンとゴブレットは論外としてルーであれば楽しめると思うが」

「あのひとと歩くとわたくし、自分の女性性を周囲に疑われるのではと思うのでヤです」


 ぷいと顔を背けつつ、懐から再銑礼の用意を取り出しているロコは言う。


「それほどか?」

「それほどです。ジョンさまは慣れ過ぎてしまったのでしょう」


 女性らしい恰好と仕草を突き詰めている、というのは、ジョンも身のこなしを見るのが専門なので理解はしている。

 しかし同じ性別の人間から見てもそれほどの着こなしになっているというのは、ちょっと聞いて驚きの話であった。

 ロコはいつも通りに儀式の準備を済ませると、深呼吸して手首を一度回した。


「ご趣味であれほどの衣裳術を身に付けるとは、大した御方ですよねルー様も」

「好きこそものの上手なれとは言うがな」

「女の身としては嫉妬する部分もありますよ。好きでなくとも、身だしなみについては殿方よりも気を遣わねばならないのが女ですから。とくにそういう公の場では」


 不機嫌ではないが少しとげのある語調で言い、ロコは詠唱をはじめた。

 ……演奏会の件、気にしていないと口にしてはいるが、様子としては引きずっていると見えてならない。

 意図せぬところで予定が重なってしまったことが原因とはいえ、このような状況になったのは不本意で。ジョンはため息をついていた。


         +


 人通りが多くなったことで、サミット会期中にもかかわらずドルナクの街はものものしい部分を強めたままカーニバルに至っていた。

 ひとが多ければ吸血鬼にとっては食料が多いということだ。

 加えて多すぎる人込みは、多少人間が減ったところで周囲に気づかせないカモフラージュとしても機能する。

 さて、そうなると……第一から第四の騎士隊は賓客の多い上層を守っている。残りの隊で下等区画を守らねばならない。

 手は、当然回らないわけだ。

 ゆえにジョンたちに課せられたのは、事後の動きを極限まで素早く効率化するための――スポット警備だった。


「定時連絡だ。お嬢、そこのモーテルから詰所へ吸血鬼討伐の伝信を送れ。三分で次のところへ移動する」

「はい」


 わざと手薄な箇所をつくり、そこにおびき寄せられた吸血鬼を叩く。

 もちろん建前としては「全体の警邏中に見つけた者を叩く」という名目になっているが……任を受けている騎士団員も、守られるべき市民も、このシステムがどういうものかはある程度知り、納得している。

 あらかじめ決められたスポットを重点的に回り、ほかを顧みない。

 これが、納得していて、運用されている。


「納得と理解はちがうのだろうがな……」


 だれも己を守ってはくれない状況・環境について本当に思いを馳せるものなどその経験を胸に秘める奴だけだ。

 ジョンは思いつつ、両腕を軋ませて通りを眺めた。

 ひと。ひと。人。人。

 いったいこの群れのどこに吸血鬼が潜むのだろう。考えるのはそればかりだった。


「ふん」


 鼻を鳴らして片目を閉じる。

 サミットの初日。ディアに呼ばれた警護とモデルケースとしての仕事では、吸血鬼との戦闘はないだろう。中に招かれる人間はしっかりと身の上と所持品を検められ、人間であると認められた者ばかりのはずだ。

 だが上層でも、どこかには吸血鬼が潜む。

 ガルデンの事件がいい例だ。

 どこにでも奴らは湧いて出る。

 どこかでだれかを、食っている。


「ふん……」「おおなんだいやに顔色の悪い男がいるなと思ったら! 名無し腕無しの少年ではないかね!」


 物思いにふけっていたらすべてを断ち切るような息吹ブロウが鼓膜を叩いた。

 きーんとした耳鳴りが過ぎるのを待っていると、ずかずかと通りの向こうから歩いてくる影がある。女にしては長身で、ぼろい白衣と薄汚れた白っぽいトップス、パンツを身に付けた女。

 両肩には互い違いになるようカンバス地の斜め掛けカバンを提げており、背には巨大なバックパック。

 前髪も掻き上げひっつめにして、広く出た額には眼前からずり上げたのだろう多レンズの眼鏡。真鍮のフレームで赤赤と、彼女のトレードマークとして輝く。

 イブンズ・ドラブロがにやにやしていた。


「元気にしていたか元気そうだな腕を木っ端みじんにしたと聞いていたが。顔つき脈拍呼吸ともに正常! 少し睡眠時間を削っている様子と水分の足りなさが気にかかるが」

「睡眠については警邏が忙しい故仕方がない。水分も同じ理由と……あとは元より俺は手洗いの回数を少なくせねばならない身だ」


 なにしろジョンはズボンを下ろすにも蒸気稼働を要する。よってなるべく腕の使用時間を短くするために、水分だとか手洗いに行く要因になるものは最低限で済ませることが多いのだ。


「ふうんそれは大変だ。そうだ少年さいきん病床用に開発された用足し下着の被験者になるかね? 周囲に臭気を漏らさずかつ内面もある程度まで乾燥を保てるよう特殊な吸水素材を仕込んだ逸品でな! 病床以外では戦時中の蒸砲戦車チャリオッツ内で用足しができないときの運用を考慮されているのだよ」

「……いくら乾燥すると言われてもなんとなく嫌だな、それは」

「そうかね? 快適性は保障するのだがまあ無理強いはするまい。必要になれば言いたまえよ!」

「病床につくことがあったら、な」

「では必要に迫られぬことを祈ろう! 祈るだけであればタダなのだから!」


 からから笑うイブンズは相変わらずの大声で、ジョンはため息をついた。

 まあこれほど人だかりのすごい中だと、イブンズの声でも「少し大きい」程度にしか聞こえないのだが。印象の問題という奴で、いつもより小さく聞こえてもいつもの声量が明瞭に頭の中へ響くのだった。


「して、なにをしているイブンズ。移動の阿片窟などはさすがにこのカーニバルではなりを潜めているだろう」

「ああ鉄枷付き(ジャック)の屋台ならばほぼ潰れる寸前まで追い詰めたのでな! もう心配はない。今日はそのような下の下の仕事で来たわけではないぞ!」

「上の上の仕事か?」


 内容をまったく考えもせず、ただ言葉の逆を取って指摘しただけだが、イブンズは眼鏡をかがやかせて「それだよきみ!」と叫ぶ。


「健康診断だ!」

「健康……診断?」

「病が出てから、中毒になってから対処するというのでは遅い遅すぎるもっと早くしろと私は常々思っていた。そこで病に成る前ないし成りかけの状態を発見し未然に防ぐこの行動こそがいま求められるものではないかと! そう考えるに至ったのだよ!」

「未然にか」

「ああそうだ! 病気ではないが病む少し手前や病む条件を揃えている状態のことを大陸では『未病』と呼ぶそうだがこれはいい概念だなと私は思う! もっとも砂山の砂をどこまで取ったら『砂山』でなくなるのかの話と同じくどこまでを未病と呼ぶのかは判断に困るところであるがね」

「生きてることは身体に悪いのだ、そもそもな」

「その通り!」


 皮肉るように言ったジョンの言葉にさえどのような理屈によってか同意を示し、ばんばんと背中を強めに叩いてきた。

 仕事の上で関わる以外ではやはり、この女傑がジョンは苦手だった。


「あれぇ、イブンズ様?」

「おやシスターのお嬢ちゃん! 元気していたかい元気そうだねしかしどこか悪いところはあるかもしれない! 未然に病を防ぐべく診断ひとつしていかないかね」


 戻ってきたロコにも、さっそく声をかけるイブンズであった。

 これになにを思ってかロコは「いいですね。このところ豆と干し肉ばかりで栄養が偏っていたのを感じておりますし」とまたぞろ微妙にジョンを刺すようなことを言いながらとてとて彼女の元に近づいて行った。

 ……思った以上に演奏会の件を根に持たれているのか? 仕事の上ではなんら普段と変わりないだけに、逆にいやな感じがするジョンだった。


「はいきた健康診断! 一名様ごあんなーいお値段たったの三スード!」

「やはり金をとるのか」

「健康より高い買い物はこの世には存在しない! 老いも若きも男も女も健やかさこそがなによりの財産! それを守る保険であるなら大した出費とはとらえるべきでないよ!」


 よく口の回る女である。もっとも、そうでなければ海千山千の経済の猛者が集う上等区画でパトロンを得、このように《夜風の団(ナイトインゲイル)》の活動などできていないのだろうが……。

 ひとまずジョンはため息をもう一つだけ吐いておき、イブンズに連れられていくロコのあとを追うことにした。


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