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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第三章 祭日
33/86

33:酔漢と楽団と約束


 飲み続けてはや三軒目。

 二軒目で早くも財布の中身をごっそりすり減らしたゴブレットはコソコソと退散していき、その後もジョンたちは四人で飲み続けた。

 続きつづいて四軒目へ。

 頭の高さにずいぶんと差のあるでこぼこコンビ、ルーとラキアンは身長差を気にもせず肩を組んでえへらえへら笑いながらジョンとロコを先導していく。

 どんどんと下等区画の奥へ奥へ、貧民窟とほど近いところに進んでいるが大丈夫なのだろうか。


「おいルー、ラキアン」

「あぁ? んだよぉ~ジョン。まだ飲み足りないって? わかってるわかってる。僕ぁすべてわかってんだ」

「一言もいっていない。酔漢のお前にはなにひとつわかっていない」

「ジョンはいくら飲んでも表情がさっぱり変わらないね。ああこれはまだ心を開いていないにちがいない。私たちに対してなにか警戒心でも抱いているのだろう」

「そのぐだぐだぶりのどこになにを警戒すればいい?」

「言ったね。ならば構えたまえよジョン。私の剣がきみにとって大したことのないものかどうか確かめてみるといい……おや? 私の剣は?」

「ルー~……僕の杖が、長ぁぁい……」

「あれ? 剣? どこ?」

「地面、遠~い~……あたま、重ぉい~……」


 かっつんかっつんと金物の鞘頭を地面に突きつつ歩くラキアンの手にはルーのレイピアが。

 右片手正眼でレイピアを構えようとしたルーの手にはラキアンの仕込み杖が。

 さっきの店を出たときにはすでに入れ替わっていたのだが、互いにまるで気づいていなかったらしい。

 呆れた酔っ払いぶりに、ジョンは嘆息した。


「そろそろ帰るか」

「え、ジョンさま。まさかこんな状態のおふたりを置いて帰るとおっしゃるのですか」

「その通りだが」


 至極当然のこととして返答すると、ロコは頬を膨らませて「思いやりが足りないのではありませんか?」とぼやいた。

 ……調子づいたラキアンとルーが自分たちの財布の中身を忘却したかのように「おごるおごる。のめのめ」と勧めてくる酒を一切断らず、ついにはさっきの店で金を使い果たすまでにおごらせた女がなにを言うのか……とジョンは思ったが、面倒くさかったので指摘しなかった。


「奴らに思いやりや慈悲をかけるなら、とにかく不味くて臭い酒を一杯目に飲ませてやるべきだったな。その一日、アルコールを見るのも嫌になるような」

「まずいお酒、ですか」

「ああ。貧民窟までいくとな。前夜の夕飯に出たあとゆっくりと傷んだ麦粥オートミールに出来損ないのチーズと濁り切った酢と仕事の失敗の記憶とを混ぜたかのような、酸味と臭みばかりが際立つ醸造酒が平気で振舞われるのだ」

「うう、聞いているだけでかなしい気持ちになるお味ですね……」

「人生を捨てた奴だけがわかる味だ」


 ジョンは言いつつ、味を思い出して、吐き気を催した。

 それはとある月の末日近く、俸給が入る少し前。

 どうにも金欠だがどうしても酒を飲みたいというラキアンに連れられて行った先の貧民窟パブで飲んだその一杯の記憶による吐き気だ。

 詩才のあるルーは前述の麦粥からはじまる表現を成したのだが、学のないラキアンはそれはそれは単純に「羊の小便みてぇな味と泡立ち」と最悪の表現を繰り出し、それを耳に入れたパブのマスターと取っ組み合いの末に名誉ある出入り禁止となった。


「とはいえ、そんな味の酒すらいまのあいつらは口にできまい。なにせ金がないのだから」

「それなのに放っておくのですか?」

「ついていけば金をせびられる」


 堂々と言えば、ロコは二人の方をちらりとのぞいた。

 ラキアンはかっくんかくんと頭を前後させながらレイピアをついて歩いており、ルーはうつろな目で右片手正眼に杖を構えた姿勢のままふらららっと横歩きして壁にもたれている。

 どう見ても正常ではない。

 さすがに思うところあったか、ロコは困った顔でジョンを見た。


「えーと。これは。どうしたものですかね」

「せっかくゴブレットにたかることでほとんど身銭を切らずに済んだのだ。今日はこのまま帰って眠りたい俺の気持ちは間違っているか?」

「まあ……そのお気持ちはよくわかりますが……しかしいくらなんでも、お財布の中身もなくなったお二人を放っていくのは」

「危険か」

「ちがいますか?」

「いや、ちがわない」


 と返したところで、ちょうど事態は急展開を迎えた。


「おうコラ、だれに断って往来歩いてる」と野太い声がジョンの背後から聞こえてきた。


 振り向けば、よろよろ歩いていたラキアンがなにやら向こうからやってきたならず者風の男にぶつかってしまったらしく。

 頭二つは身長の高いその男から、詰め寄られ恫喝されるかたちとなっていた。男はすでにナイフを抜いており、ラキアンの喉元に突きつけている。


「ほらやっぱり危険ですよ」


 ロコがぎゅっと白手套をはめ直しながら言う。

 ジョンはその姿勢にみなぎった気迫を見て、戦意を感じ取った。


「加勢するつもりか」

「ほかのなんだとお思いで? ああ、心配はいりません、今日はわたくしそれほど飲んでいませんから」


 彼女の言う『それほど』の量を今日の一軒目から頭の中で数えようとして、ジョンは途中で気持ち悪くなってきたのでやめておいた。


「まあ、止めるのを止めはせんが」

「では行ってまいります」

「ただ、つく相手を間違えるなよ」

「だからそれほど酔っていないと言っていますのに」

「そうか。だがお前の駆ける方向が、やはり間違っていると見えたから指摘している」


 ジョンが淡々と言えば、駆けだしたロコは足を止めて「?」と疑問符を浮かべた表情。

 すぐに、言葉の意味は理解することとなるだろうが。念のためにジョンは答えておいた。


「つくならあのならず者の方に味方しろ」

「はい?」

「得物の勝手がちがう程度で、ラキアンの剣腕はたいして鈍らん」


 言い終えたのを見計らったかのように、ばきんと痛々しい音がした。

 ラキアンが鞘に納めたままのレイピアを左逆手でぶん回し、大男の顎を真下から打ち抜いたのだった。

 ついで右逆手にレイピアを抜き放、とうとして、やっと己の普段持つ仕込みステッキでないことに気づいたらしい。長い剣身を途中までしか抜けず、つっかかってしまう。目をぱちくりさせ首をかしげる。


「あり。僕の仕込み杖(ギミックソード)は?」

「こっ、の、ガキ!」

「ああ、まあいいや。あとで探そ」


 男がナイフを振るうより遅く動きはじめ、

 男のナイフが届く前に攻撃を終える。

 ぱちんと鞘に納めた剣、その鞘頭で男の鳩尾を正確に突きこむ。

 息が詰まり停滞した男の動きを意にもせず、つづけて左逆手の鞘で右腋下、右側頭部と小突き回して最後はまた鳩尾を突いた。

 ぐらぁと倒れ込んだ男は泡を噴いていた。


「加勢、間に合わなかったな」ジョンが皮肉るように言えばロコは引いた表情で返す。

「泥酔しているとは到底思えない動きなのですが……」

「それくらいの腕がなければ騎士団など務まらん」

「おそろしい……」


 前後不覚の状態でよろめくラキアンは、ふわぁとあくびを漏らしてその横を過ぎる。

 彼は壁にもたれてうつらうつらしているルーの肩に手を回し、またのろのろと貧民窟方面へ歩き出した。


「ほらぁルーよ。次の店いくぞ次の店ぇぃ」

「剣……剣は……まあいいかとりあえずこの杖で。しかしこの杖妙に握りやすくて扱うに良いよラキアンさん」

「杖ぇ? 杖かぁ~。そういや僕ぁ新しいステッキ買おうと思ってんだけどさぁ」

「前の店と同じところかい」

「そうそう~」

「たしかこの道の先にあったはずだね店は。この時間だが……まだお酒は置いているかな」

「おいしいんだよなぁあそこの杖は……じゃなかった酒は。ルーはどう思うよ?」

「この杖はじつに握りやすくて良いねぇ」

「だろぉ~。おいしいんだよなぁあそこの酒はぁ」

「良いものだねぇこれはじつに」


 いつの間にやら完全に会話が崩壊していた。

 お互いに自分の世界の中で独り言をぶつけあっているだけだ。


「帰るぞお嬢」

「あ、はい」


 人間のかたちをしたアルコール摂取器二名を治安の悪い路地へ残し、ジョンとロコは帰路についた。

 背後からは時折ひとがぶつかり合う音や胃の中身をぶちまける音が聞こえていたが、努めて無視して家路を急いだ。


        #


 三階の自室は、ドアを閉めると途端に外の冷たい風が遮られ、静かになった。


「ただいまです」


 だれが返すわけでもないのに、ロコは暗い室内に声をかけてからパンプスを脱いで入っていく。ジョンはブーツを足から外すと滅菌水で満たした水盆に素足を浸し、軽くぬぐってから廊下を歩いた。

 途中で水場に置かれた大きな四角い箱状の洗蒸機スチームクリーナーにインバネスや衣類を叩き込み。

 居間にたどり着くと、左端に位置する炊事場に近づいた。ロコはほかほかと湯気を立てるタオルで顔や髪をぬぐっていたが、もう慣れているのでジョンに「拭きますか」と問うてくることはない。

 ジョンは赤い栓を噛みひねって蒸気熱で温められた湯を出し、水盆になみなみと張ったあとでくわえてきたタオルを落とす。洗面台へ押し付けるようにして雑に絞り、くわえたまま駆動鎧装の腕やボトムスの表面を払って街中でついた煤を落とす。

 人心地ついてから、ジョンは部屋の奥にでんと構えたソファ(兼彼の寝床)に腰を下ろした。

 酩酊はずいぶんと抜けて、視界に揺れもなくなっている。

 壁にかけられた歯車機構をのぞかせる時計は、夜中の二時を指していた。


「明日は昼から業務、か」

「また警邏のお仕事ですね」

「明日は上等区画だ。十三時の昇降機便に間に合うように家を出なくてはな」


 頭の中に予定表をめくりながら言えば、ロコは実際に予定を書き込んでいるのであろう手帳を取り出しメモを刻んでいる。

 その手帳も書いているフリだけでじつは白紙じゃあるまいな、と嫌な予想が口をついて出そうになったが、本当にその通りであったなら怖いのでやめておいた。


「サミットまでもう二週間もないのですよね」


 ふっと書き込むのをやめて顔を上げたロコが言う。

 その言葉に呼応するように、ジョンはゆがみを帯びた窓の外を見やった。

 賓客も訪れる上等区画は言わずもがな、この下等区画でさえも少しばかりサミットという祭りに向けていろいろな準備が進められている。普段ならばもったいないからと明かりを最小限にとどめているこの時間帯に、街のともしびが途絶えていないのがその証拠だ。

 洪煙の経路でない通りでは、ヴィタ教の精霊祭と重なる時節なので異装の行列(パレエド)が歩いたり露店が出たり、歓楽街の中心部にある広場でもさまざまな催しが予定されるという。


「こうした催しに合わせ、いよいよきな臭い連中も出てくる時期だ。明日からは一層気を引き締めねばな」

「まったくです。でも少しくらいは、余暇をもうけても許されますかね?」

「多少はな」


 ルーとラキアンのように羽目を忘れて好き放題するのでなければ。

 というジョンの意思は言わずとも伝わったようで、顔は笑っていたがロコは「わかっておりますとも」というあいだ目の奥は笑っていなかった。


「しかし、なにか用でもあるのかお嬢。ヴィタ教の精霊祭か」

「いえわたくしは精霊にもさほど興味はないので。予定しているのは、これです」


 手帳の間から取り出したのは、チケットだった。

 しばしいぶかしげにこれを眺めていたジョンだが、やがて彼はその内容に気づく。


「……それは」


 メスカル楽団の演奏会のチケットだ。

 長をつとめるアブスン・メスカルがまとめる音楽隊である。

 主要な楽器となるのがグラス・アルモニカという特殊な代物であり、その極めて独特な音色は聴くものをひきつけて離さない。


「来るのか、ドルナクへ」

「ええ、サミットの初日に。上等区画の迎賓館で演奏会だそうですよ」


 旅一座である彼らの興行は非常に人気があり、転々と各地を回るツアーを追う熱心なファンもいるとのことだ。いまやナデュラ全土で話題もちきりの音楽家たちの集団である。


「どこから手に入れた」

「この間の一件で上等区画のホテルに出向いたとお話ししましたでしょう? その際に守衛の方より『もらったものの余っていたし、ランタンを返してくれたお礼に』といただいたのです」


 こともなげにロコは言う。

 が。

 ジョン・スミスは運が悪い男だ。そのような幸運に恵まれたことなど一度もない。

 なんとはなしに歯噛みして、「そうか」とだけ返しておく彼であった。

 ところがこういうことには目ざといのか、ロコは不思議そうな顔をしてジョンをのぞきこむ。


「……なんだか、めずらしいですね?」

「なにがだ」

「ジョンさまが吸血鬼と剣術とお金のこと以外に前のめりになるのを、はじめて見た気がします」


 前のめり、と言われてジョンははじめて、己がソファから身を乗り出していたことに気づいた。

 すすすと姿勢を深くもたれさせるように直しつつ、「そうでもない」と返す。


「そうでもあるでしょう。そんなに、ご興味が?」

「興味など……」


 言いつつも目は引き寄せられており、そんな自分が嫌でジョンは目を閉じた。


「興味など、たいしてない」

「そうですか……ではチケット二枚だったのですが、もう一枚はどこかへ売却しましょうか」

「二枚あるのか」

「ペア用のチケットみたいですね」


 ロコはたははと笑う。

 ジョンは考え込んだ。

 しばらく考え、考え抜いて。


「……、」


 無言で立ち上がるとソファの下へ足を突っ込み、がらんと金物の箱を取り出す。

 天頂に丸いふたを閉められ密されていたその容器を器用に足でこじ開け、中を見せるように蹴ってロコの足元へ滑らせる。


「持っていけ」

「なんです、これ」

「細かい金を貯めていた分だ。市場価格には足りるはずだから、売却するというのなら俺に売れ」

「じょ、ジョンさま」

「虚言を撤回する。俺は、楽団に興味がある。……前回楽団がドルナクを来訪したのはちょうどお前がここへ来る直前でな。そこにあの蒸気路線事故が起こったものだから延期になり、やけになってチケットを売り飛ばしたところその直後に路線が復旧した。故、聴く機会を失ったのだ」


 どうにかして機会を得たいと思っていた。そこへこんな話である。


「頼む、お嬢」


 いつにない真剣さでジョンは願う。

 しばらくあぜんとしていたロコだったが、やがて、彼女ははぁ、とため息とも承諾ともつかない声をあげた。


「ジョンさまにもそれほどお好きなものがあったとは」

「……ああ。理屈も理由も思いつかないが、音楽はな。思い入れがある」

「でしたらお金は結構ですよ。もともとタダで頂いたものですし」


 はい、と二枚のうち一枚を、ジョンの前に差し出した。

 今度はジョンがあぜんとして、ややあって「いいのか」と訊ねた。


「日頃お世話になっておりますし。せっかくですから聴きたいひとが行く方がよろしいでしょう」

「お前、まるで聖職者のようだな……」

「あの、それ褒めているおつもりなのですかね……」


 そう伝わらなかったのだろうか、とジョンはわからない顔をしてみせた。ロコはひきつった頬のひくつきを示して、「ジョンさまらしいですね」とぼやいた。


「恩に着る。その日は午後から休みを取り、夕刻の演奏会に備えよう」

「はい。では二人で……おや、二人きり、ですか……?」

「そうなるだろう」

「あー……なるほど、ええー……」


 ジョンの言葉に、ロコはひどく狼狽した。


        #


 明けて翌日。

 解析機関に通すパンチカードを緩慢な動作と死にそうに青い顔で探しているルーとラキアンの二人を後目に、意気揚々と騎士団詰所へやってきたジョンは機械にカードを通し、いつも通り襟元のジッパーにしまいこんだ。

 そこで第十騎士隊――ジョンたちが総務と呼ぶ、対外折衝などを主な任務とする内部部署だ――の人間が近づいてきて、パンチカードの読み込んだ情報とジョンとを引き比べて確認した。


「ジョン・スミス……でいまは名を通しているのだったな?」

「そうだ。なにか用か」

「第七騎士隊のきみ個人へ依頼だ」

「依頼?」


 背の高い第十騎士隊の男は懐から封書、送空管を通すときによく用いられるそれを取り出し、開封されていた書面をジョンの前に広げ示した。


「依頼者はDC研究所のオブシディアン・ケイト・エドワーズ技術長。時は十一日後のサミット初日。きみに彼女の身辺警護兼最新機器の技術発表におけるモデルケースの仕事が依頼されている」

「……なに?」

「なお依頼とは言うが上の決定故すでに確約された事項だ。遅れたり粗相したりすることのないように」


 封書をしまうと「正式書面は後程第七の部屋へ送る」と通達し男は去っていった。

 残されたジョンは突きつけられた現状を飲み込むのに時間を要し、

 その間に二日酔いに蝕まれた二名に追い越されていった。



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