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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
暗闘

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31/86

31:激戦と修繕と悄然


 高速突撃がジョンを襲い来る。今度は両脚揃えての跳躍だ。

 先立ってロコは突撃に対し首折りを敢行してみせたが、あれは片足の発条開放だったため突撃の威力が落ちていたこと・バランスを欠いて威力の方向を逃がしやすかったことで成しえた荒業だ。

 両脚揃えての発条開放は、軽々に触れればこちらが落とされる。


 ――だが。


 ジョンはもうこれを何度も見た。

 身を沈める初動から放たれるまでの秒間に、どれほどの速度で、どれだけの角度で突っ込んでくるか、すべてが現れている。

 結局のところ機械の動作である。タイミングは一定なのだ。

 であれば。


「討てる」


 ガキンと跳ねる音を、

 右手へスライドして寸前でかわしたジョンの足音が上書きした。

 飛び掛かる姿勢のまま中空へ浮くガルデン。

 その脇腹めがけて、ジョンは突き押すように左の膝蹴りを食らわせた。


「ごが――ああああぁぁあぁああああああ!」


 横からの一撃でガルデンが悲鳴をあげ、身が折れ曲がる。

 彼は途端に脚部からバシュンと蒸気を噴き、両足を振るった。膝蹴りで曲げられた身体をそのままに、空中を泳ぐかのような動きで両脚をばたつかせた。

 これで勢いをつけジョンの間合いを脱する。水面をごろごろと跳ね転がって着地し、横向きの回転を腰の遣いようで縦方向に変換しバック転、構えなおす。

 低い姿勢だ。

 前に出した左膝も、後ろに伸ばした右膝も軽く曲げて、力を蓄えている。

 が、

 もう高速突撃はさせない。

 蹴られ投げられ体勢を崩したときの蒸気噴射――


「その飛距離も、見切った」


 素早くステップインして間合いを潰し、ジョンは前に出ていた左膝に右足底を叩きつける。外側から内側へと向けて踏むことで膝頭の方向を変えさせ、発条開放や蒸気噴射での直撃を食らわないようにした。

 高速突撃は潰した。

 焦りをのぞかせたガルデンは、赤き目を見開いて声と呼ぶにはあまりにもその枠を逸脱した絶叫とともに、

 後ろに引いていた右脚からガキンと音を響かせた。

 ぞぐんと空気を斬り裂いて迫る爪先。

 低く屈んだ無理な姿勢からでも、左膝を真正面へ向けられていなくとも、関係ない。発条開放の力のみでガルデンは前蹴りを振り抜く。先の一撃への返礼がごとく、左脇腹を打ち貫く軌道。

 蹴りの間合いで仕留めると、その意を示した。おそらくはジョンの右手が放った凶威の一撃を恐れてのこと。

 ジョンは、

 これに応じて、


「――《杭打ち》」


 歯を食いしばり、左腕に残る一撃を起動させた。

 指先から手首までの各部関節を瞬時にロック。

 腕の最奥に秘めたる核が熱を放ち、蒸気圧をチャージ。

 雷電が特別な経路を辿り限界駆動設定を呼び起こす。

 腰を切り、肩を回し、曲げていた左腕を強く強く伸ばし――

 肘から解放した蒸気圧で、貫手を繰り出す。

 ジョンとガルデンの間に、銅鑼を大剣で切り伏せたような破滅的な轟きが生まれた。

 二人を中心にさざなみが広がった。水路の壁と天井を瞬時に折り返して音は何度も何度も往復する。


 あとに。

 ばしゃんとガルデンが背から倒れる音がつづいた。

 もう、彼は立ち上がれない。

 右足はその足首から先を、ジョンの杭打ちによって吹き飛ばされていた。


「……くっ、」


 左腕を引いたジョンのうめきが繋がる。

 指先はどれも、めちゃくちゃな方向に折れ内部の機構を晒していた。隙間から蒸気がぼ、ぼ、と漏れ出し、腕はその機能を失ったのかぶらんと身体の横に下がる。

 ガルデンは。

 ジョンの有り様を見て、ぎんと目を光らせた。

 まだ蹴りの間合いだ。

 まだ彼には、左足が残っている。

 撃鉄の落ちる音がした。


 ぎゃりんと金属音がつづいた。


「これでっ――」


 それはジョンの前に躍り出たロコが、短剣による《裁き手》で発条開放の回し蹴りを逸らした音だった。

 蹴りの勢いが空転し、ガルデンはうつぶせになる。

 ロコは短剣をくるりと逆手に持ち直し、ガルデンの背に乗ると身を沈め、


「――終わりですッ!!」


 左の肩甲骨の際から肋骨を避けるよう刃を斜めに立て、心臓へ短剣を振り下ろした。

 同時に首筋を右足底で踏みつけて頚椎を砕き、再生の伝達を行えないようにする。

 ガルデンはもがいた。横向いた顔を水面から出し、汚水を飲んであえぎながらごぼごぼと声にならぬ声を吐く。

 血が水面にじくじくと広がっていく。ガルデンの顔が白くなっていく。

 やがて、もがく首の動きを停滞させていき、

 彼の瞳は赤さを失った。


「か……みよ……」


 枯れ木を絞り上げるような渇きを感じさせる声が、跳ねる水音より弱く漏れる。


「いま…………みもと……へ……」


 その言葉は、ロコの顔をひきつらせた。

 ジョンは口を閉じたまま嘆息し、痛みが走り始めた腕の稼働を、ようやく止めた。

 水路には、水の流れる音だけが沈殿した。



 しばしそうして黙りこくっていたが、ロコが先に、立ち上がって声を発する。


「ジョンさま」

「ああ」


 振り返った彼女は、下唇を噛んでいる。あまり見たことのない、険しい顔つきだった。

 それでも相手がヴィタ教徒だったことを慮ってか、静かに葬送の宣言をした。


「再銑礼を行います」

「任せる」


 刀身を背から抜き取り、ロコは丁寧に表面の血をぬぐう。

 柄頭に仕込んだ墨壷からインクを滲ませ、刃にガルデンの名を記した。

 ロコは短剣を一度鞘に戻すと遺体を仰向けに返し、胸元で両手を組み合わせると開いたままだった彼のまぶたをそっと下ろした。

 それから、短剣を胸へ寝かせる。

 ジョンは見守るだけだった。

 ロコはジョンに背を向けて、腰に提げていた聖書を取り出す。

 葬送の句は、静かに詠みあげられた。


「満ちよ 祈りよ 天を見よ――」


 いつもと同じ、敬虔な祈り。

 けれどどこかに、震えが混じっているような……気がした。

 それでも朗々と水路に響く声。

 呼び寄せられたわけではないのだろうが、背後にぱしゃり、ぱしゃ、とぎこちない足音が近づいてきていた。

 ジルコニアが、特徴的なフォルムの駆動鎧装を軋ませつつ、壁に手をついて歩いてきている。


「……終わったの」


 確認するように、ささやく。

 無言で、ジョンは顎で示した。水の流れに横たわるガルデンと、胸に置かれた短剣。

 これを見て取って、ジルコニアは深くため息を漏らし、ずるずるとその場にへたりこんだ。


「負けたのね。ガルデンと……《羽根足》は」


 ジョンはうなずく。

 ロコは祈りを止めない。


「結局、私は殺せなかった……止められなかったわね」


 自嘲するようにぼやき、ジルコニアはうなだれた。

 戦いは終わり、死者は送られる。

 その名に負いし生は完結する。

 あとは、残された者たちがつづけるしかない。


        +


「おかえり」


 解析機関にパンチカードを通し、開いたドアを抜けてすぐ。

 ジョンは緋毛氈を敷き詰められた部屋の奥、ローテーブルに新聞を広げていたディアに声をかけられた。

 カードを口にくわえていたためしばし応じることができず、もごもごと襟元のジッパー部へカードをしまってから。ジョンは「再会までの期間が最短記録を更新したな」と返した。


「ふふ。姫はうれしいけど」


 にっこり笑ってディアは新聞を閉じる。蒸気路線事故の死者について、いまだ身元確認がつづいているとの記事がちらりとのぞいた。

 華奢で短い両腕を使い、きいきいと車椅子の車輪を回す彼女は、いつも通りオーバーオールに白衣を合わせた衣裳であった。少し長めに垂らした前髪の隙間から、赤みを帯びた黒曜石の瞳でジョンを見つめる。

 眼前までやってくると車を止めて手を伸ばし、インバネスの隙間からつかみ出した左腕の駆動鎧装を観察しはじめる。


「右腕は動くの?」

「いまのところはな。だが時折、出力が落ちているように感じる」

「雷電制御の部位からノイズでも入ってるのかな。とりあえず、そこ座って。手首から先と、前腕内部の疑似神経回路までは交換になるから」

「すまんな。大がかりな手入れになって」

「大丈夫だいじょうぶ。今回は時間もたっぷりもらえるし」

「三十分ではないのか」

「それじゃあ腕は直せない」

「ふむ」

「って言い張って、二時間もらった」

「……そんなことが許されるのか?」

「まあ普段だと、DC研究所ラボにおけるきみの印象って最悪だからまず無理なんだけど」


 ローテーブル近くのソファを勧めながらディアはそんなことを言った。

 ディアのいまの立場は囚われの身とはいえ『技術長』であるという。これはDC研究所内が複数部署に枝分かれしており単純な指揮系統や上下関係で図れないとはいえ、上から数えて五番目くらいには相当する地位らしい。

 ゆえに面会は三十分。

 延長は利かず、しかも終わりが近づくと時間厳守させるべく所員が迎えに来るほど過密なスケジュールで生きている。

 そこへ無理やり食い込んでくるジョンのことを、DC研究所がよく思っているはずもない。

 どころか、研究第一の所員らはディアに雑事を行わせるジョンが早く吸血鬼戦で敗けることを祈ってさえいると、風の噂に聞いた。


「だというのに今回に限って、延長してもらえたのか」

「どころか、通行資格もあとから払い込みで返還されるよ」

「……俺の葬儀費用だとかそのような名目ではあるまいな」

「あははは。べつにきみを始末するとかじゃなくてね。《銀の腕》を完全に壊しちゃったのが、よかったんだよ」


 ソファに腰かけて肘置きに左腕を載せながら、ジョンは不思議に思って表情が固まる。

 傍へやってきたディアは車椅子の車輪をロックすると、身を乗り出して左手を検める。ガルデンの蹴りとぶつかりあい、激しく損傷した指先を見つめた。

 真剣な目つきで、ついた傷や破損の激しい部位とそうでない部位の差をメモに取り始める。


「やっぱり向こうも複層錬金術式合金クワレウィタイトか……送空管で騎士団から送られてきた報告書の通りなら、駆動鎧装の足と杭打ちで衝突したんだよね?」

「発条開放の蹴りとな」

「通常稼働の蹴りよりそっちと蒸気噴射の方が威力は高い、と。うーん。角度にもよるんだろうけど、外装への衝撃は手首まででほとんど抑えられてるね。ただ手根骨に相当する部位もひび入ってるから、そこに繋がってる結線とかも問題ありそう。改善策は次の会議で提出かな……」


 ぶつぶつとひとりごちて、「あとは中身を見なきゃ」と締める。

 腕の分解を目の当たりにしたくないジョンは、「はじめるなら先に声をかけろ」と言う。ディアはすっと我に返った様子で、鎖骨にかかる一束に結った己の三つ編みを後ろへ流しつつごめんと口にした。


「もちろん突然に腕外したりはしないよ」

「さすがにそこは信頼しているが。で、結局なんなのだ。腕を壊したにもかかわらずDC研究所がなんのお咎めもなく、二時間も修理に充ててくれる理由というのは」

「ああ、相手があのアルマニヤ重工の最新試作機だったからだよ」


羽根足スティルツ》。

 発条開放と蒸気噴射を搭載し、かつ運動性能発揮時のほかは《銀の腕》に並ぶ小型化を実現している、高機動脚部型駆動鎧装。

 ジルコニアたちアルマニヤ重工が開発したというあの機械を相手取ったことが――となると。


「データの収集が目的か」

「正解。サミット近づいてるからね。最後の一押しというか、相手のデータを知った上で発表に臨めるならこれに勝ることないもの……とりあえず複層錬金術式合金クワレウィタイト同士で高威力の衝突が起きた際のダメージはこんなもの、と」

「装備者が吸血鬼で、限界駆動での反動をものともしないことも考慮しておけよ」

「わかってる、わかってますとも。でもそれを差し引いても、相当に高性能な品を作り上げてきたね。できるなら回収して研究したかった」

「さすがに無理だろう、四肢を遺体からもぎ取るなど。いくら吸血鬼といっても人権がないわけではない」

「生存権は無視されるのにね……でも今回はなかなかにまずい相手だったんじゃない。結局、感染被害者数は?」

「二人だけ発症した。処分されて、いまは遺族がアルマニヤと騎士団に抗議の真っ最中だ」


 また、《夜風の団》に人員が増えるだろう。ジョンはちいさくため息をつく。

 あの一件が終わり――ジルコニア・アルマニヤは、感染者隠匿の罪により拘留された。彼女自身は吸血鬼性が発現することもなく、その後は取り調べに対して淡々と語ったという。

 行方不明になったガルデンの仕事の引継ぎと、彼の捜索のためにドルナクへ来たこと。

 探し出したガルデンが吸血鬼に襲われて殺し返したのち、吸血鬼化したと語ったこと。

 吸血鬼化により彼がもうドルナクの外へは出られないと知り、上に指示を仰いだこと。

 父親を含む上層部からの電信連絡により、ガルデンを切り捨てるよう命じられたこと。

 死角からの不意打ちしたが高速再生され失敗、殺害できず逃がしたこと。

 そして再びの捜索の間、当局に「ガルデンの吸血鬼化」という知られたくない真実をつかまれていないか調べるためジョンたちに依頼したこと。

 すべてを語り終えた彼女は、いまは黙りこくって拘置所にいる。

 最後に一言だけ、「殺せなかった」と言い残して。


「……なんで『殺せなかった』、なんだろうね?」


 修理がはじまったので目をつぶったジョンに、ディアは世間話を振るように言った。

 まぶたの裏の闇を見つめながら、ジョンは一度口を開きかけ、閉じる。カちゃ、かチゃ、とパーツをいじる音が沈黙を埋めた。

 けれど結局は、言おうとしたことを舌にのせる。


「奴とガルデンがどのような関係かはわからんが。身内であるゆえに……殺したかったが、殺せなかった。殺そうと思ったが、だれかに殺してほしかった。そんなところじゃないか」

「ふうん?」

「そも、俺たちに依頼したことも若干の矛盾を孕んでいる。ジルコニアはガルデンの吸血鬼化を知られているか調べるため依頼したと言ったそうだが、『知られていたらそこで終わり』のことを調べさせる必要はほぼないだろう」

「そだね。知られてたらあっという間に騎士団内で周知されて、大々的に捜索されるもの」

「つまり、だれかに殺してほしかったのだ」

「なら自分でも探してたのは?」

「会社に属す者の立場として、だ」

「ああ。私人としての本心と別でってことね。わかる」


 私情のすべてを賭けて囚われの身となったディアに言われると閉口せざるを得ない。

 どんな顔で言っているのか。ジョンがどう考えると思って口にしているのか。気にはなったが、腕の分解中に目を開けることはできないので確かめる術はなかった。


「顔を合わせてきた身内を切り捨てるのは、正常な精神ではできまい」


 ぼやきが思わず出た。

 極めて平静に己がそう言ったのを認めて、ジョンは自嘲気味に声を出さず笑った。

 きっとジョンは正常ではない。

 自身でそうあることを、求めたがためだ。

 ディアは、目を閉じているジョンにわかるようにだろう、声に出して笑う。


「大丈夫だよ」


 ゆっくりと、しみ込ませるような語調で彼女は言う。

 少しだけ作業の手を止めて、やわらかに言う。


「正常でなくたって、普通でなくたって。きみはきみであるだけでいいよ。そこにそう在ってくれるだけで、私はしあわせ」


 そうか、とも。ふむ、とも。相槌すら打てない。

 そのままでいいと言われても、その好意に甘えていいとは、あまり思えなかったからだ。

 ただただ無言の間がわずかにあって、ディアはふふふと機嫌よさそうに笑うとまた作業に戻った。ジョンはこのまま寝たふりをしようか迷った。

 こういったあれこれにとらわれる辺り、まだまだ正常なのだろうか。

 そんなことを考えながらジョンは、まだ百分以上もある面会を無言で居続けるのも嫌だったので、結局自分から話題を振った。

 取りとめの無い雑談に、ディアはよく笑った。


        +


 部分的に新調された腕をぶら下げながらDC研究所を出たジョンは、日が傾きかけた通りを抜けて昇降機の方へ向かう。

 狭い道を抜けるとき、どこかにまた吸血鬼でも潜んでやしないかと、意識を配ることは忘れない。

 そういえば下層の吸血鬼がこちらに出現した件については、まだ解決しないままだった。対策を講じるよう騎士団に申告すべきか、と頭の隅で考えつつジョンはガス灯が点き始めた道を行く。


「ジョンさま」


 そこでロコと合流した。

 先日の件でホテルの従業員から借りた(そして破壊した)ランタンを、律儀に返しにいったのだ。ちょうどジョンがディアの下に向かうため通行証を使ったので、ついてきたのである。

 ぱたぱたと近づいてきた彼女はインバネスの腰辺りをじっと見つめ、それから上目にジョンへ問う。


「治りましたか?」

「当然だ。ディアの技にまちがいはない」

「本当にすごい御方なのですね……あんなにぼろぼろになったのに」

「そうだな」


 ジョンの話などからもデータはいろいろ取れたとのことで、サミットの準備に移るらしいディアはまた研究棟へと戻っていった。

 きっとこの結果を反映し、より強力な駆動鎧装を作り上げるのだろう。かつて在野に居た頃も研究に没頭しては「できた」と自分たちに見せに来たことを思い出し、ジョンはなにも変わらない彼女の内面と、変わりすぎてしまった周囲の状況とに思いを馳せる。


「にしてもなんだか、上等区画の雰囲気少し変わりましたかね」


 見回しつつ横を歩いて、ロコが言う。

 ガルデンの一件から数日経過し、少し街路には変化があった。

 具体的には警察の巡回が増え、物陰や隠れる場所などが減り、落ちている物品への警戒がなされている。


「サミットの会期中は賓客も訪れるからな」

「大主教さまとか」

「ああ、そんな話もあったな。故にここからは騎士団も警邏の業務が追加されるだろう」

「納得です。そのために変わってきてるんですねえ」

「違法行為への摘発も厳しくなるからな。ルーとラキアンもしばらくは賭博を控えると言っていたほどだ」


 阿片窟の元締めが逃げたのも息苦しくなってきたからか、と考えながら、ジョンは催事に向けて変わっていくドルナクを思う。


「とはいえ大筋としての俺たちの仕事は変わらん。足で探して裏付けを取り、吸血鬼を探す。大きな業務変化があるのは警察の方だけだ」

「日常通り、というわけですね」

「そうだ」


 変わらない。

 ガルデンの一件のような、大きな出来事があっても。

 それで少しだけ上等区画の人間が外出を控えようとする程度で、大きな流れは変わらない。

 良くも悪くも。


「あ」

「どうした」

「いえ。ちょっと。目に入ったので」


 足を止めたロコは、遠くを見据えている。

 視線の先にあったのは、先日ベルデュが業務で赴いていた教会だった。

 中からは棺が運び出され、今まさに葬儀が執り行われたあとだった。喪服に身を包んだ人々が周囲を囲み、故人を悼んで涙しつつ、ゆっくりと墓地へ歩んでいく。

 先日ガルデンによって感染させられた被害者はすでに葬送を終えているので、それではないのだろうが。

 ひとが、死んでいる。いつかの明日も、かつての昨日も、直面する今日も。

 そしてだれかが祈りを捧げている。だれのためにか、なんのためにか。


「……ガルデンさまは、最期に祈りを捧げましたね」


 ぽそりとつぶやき、ロコは足を止めたまま。

 葬列の行方をじっと見ている。


「『神よ、いま御許へ』と」

「言っていたな」

「すごい、ことですよね」


 歯噛みしたような横顔のロコは葬列を見送りつづける。


「ああも……ああも孤立して、あらゆる物事から断絶されて、吸血鬼などという名の無い存在と化してなお。ひとは、神を求めるのですね」

「他に寄る辺もなくなったからだろう」

「それなら、神に恨み言を吐くのでは? こうなってしまった不運を嘆いて、呪いを口にするでしょう」

「……いまから御許へ恨み言をぶつけにいく、との意だったかもしれんぞ」


 そういうものではないだろう、とは思ったものの、ジョンは冗談を口にした。ロコは、取り合わなかった。

 彼女は腰の後ろで手を組み、葬列が去ったあとの教会へ近づいていく。人気のない教会はなんだか不気味で、閉じた門は威圧感があった。ロコは門につながる幅広の階段を、一段ずつのぼっていく。

 ふいにジョンは、訊いておくべき機だろうか、と思って、口を開く。


「前に」

「はい?」

「俺が『天上の神など信じていない』と言ったらお前は同意したな」


 確認すると、ロコはこちらを向いた。

 まっすぐにこちらを見る青金石の瞳には、戸惑いはない。しっかりとした声でロコは「はい」と返してくる。

 その腰に提げられた聖書に、彼女の手が伸びる。けれど結局開くことはなく、腕はただ身体の横に下がった。


「ならばなぜシスターなどやっている」

「そう在ることを、必要とされたからでしょうね」

「お前の意思でやっているわけではないのか」

「いいえ。そう在ることで救われるひとがいるのなら、仕事としてジョンさまやみなさんの助けになるのなら、との思いからやっています」


 つまり己の意思はあるが、己の信仰心からではない、と。そう言いたいようだった。


「わたくし、できることは、これくらいしかありませんから。生きたひとのお役に立てるのは良いことです。生きたひとの役に立つものは良いものです。けれど……」


 言葉を切って、うなだれた。

 目には戸惑いが現れている。


「あのときのガルデンさまには、もう宗教というのは、役に立たないものだったはずです」

「……それは」

「宗教は、生きた人間がしあわせになるための道具だと思うのです。社会と繋がり、己の生活をときに縛りときに緩め、言ってしまえば精神を安定させるためのものだと。ですがあのときのガルデンさまは身内に切り捨てられ、孤独に、もはやひとならざる者と化して教義にも反していました」


 どこにもアイデンティティを持てない。

 そのような、状態だった。


「ひとというのはしあわせを求めて生きるのが正常だと、思うのですが。どうしてああいう人々は、最期まで…………」


 唇を噛んで黙り込む。

 彼女は、どこか遠くを見ている。そんな目つきだった。

 ガルデンの一件について話しているのだろうが、おそらくはそれだけではない。これをきっかけにしてなにかを思い出した「だれか」を含めてものを言っている。

 うなだれた彼女が、ひどくちいさく見えた。

 当たり前のことだが、彼女にも色々あったのだろう。

 わずか十五歳であれほどの腕に達さざるを得なかった理由などが――きっと、あるのだ。


「……気にかけてやれ」


 どう言えばいいかわからず、ただそれだけをジョンは口にした。

 ロコが顔を上げるのが目の端に捉えられたが、面と向き合うのが難しくて視線だけ逸らす。


「ひとの死になにか悔むところがあるなら、ほかの人間をその分、気にかけてやれ。それでガルデンが報われるわけではないが、無意味にはならない」

「気にかける、ですか」

「うまく、言えんが。だれかに気にされている、というのは。だれにとっても悪くないもののはずだ」


 ただ受け取れるか、受け取り方をどうすべきかに難しいところがあるだけで。

 行為そのものには、善性があるはずなのだ。


「気にかける、ですか」

「ああ。それこそ――」


 言いながら、ジョンは自分で気づく。

 それこそ。ロコがたびたびジョンを気にかけてくれていたのを――自分は好意的に受け止めることができていたのだ、と。


「――いや、なんでもない」

「……なんですか?」

「なんでもない」


 だが気づいても口に出す気にはなれなかった。ジョンはきびすを返し、通りの方へ戻っていく。

 肩越しにロコを見据え、「帰るぞ」と声をかける。

 彼女は夕闇の向こうでよくわからない顔をしていたが、やがてかぶりを振って、「それも、わたくしを気にかけてくださってのことですか?」と返してきた。

 さっきまでより明るい語調だったので――それは、ロコの方がジョンを気にかけて、のことかもしれなかったが――あえて無視し、彼は歩速を上げる。

 すぐにロコは追いついてきた。

 それから、ジョンは歩幅を少し狭めた。



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