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悔打ちのジョン・スミス  作者: 留龍隆
第一章 邂逅
3/86

3:詰所と隊長とお守り役


 落下の浮遊感における、あの下腹部にだけピンポイントでクる感じは、いったいどういう生理の働きによるものなのだろう。

 そんなことを思いながらジョンはダストシュートを滑り降り、すたんと着地した。

 降りた先にあるのは、上下左右に煉瓦を敷き詰められた、地下街へつながる細い道である。

 右手には錆びたぼろぼろの看板が掲げられており、『汝、尻に一撃もらいたくなきゃ早く前へ進め』とある。

 実際に一度痛撃をもらったことのあるジョンは素直にこれに従い、数歩前へ出た。


「大事ないか」

「お……おしりが……というか、ひといなかったからよかったものの……すかーとが……」


 先に降りて(落ちて、だろうか)いたロコは、ぺたんとへたりこんだ姿勢で尾てい骨の辺りを撫でつつ、逆の手ではスカートのすそを引っ張っていた。

 きっ、とこちらを睨みあげ、彼女は猛烈な勢いで抗議する。


「け、蹴り落とすことはないじゃありませんか! 身体も危ないですし女子的にも危ないですしもうけちのつけどころしかありません!」

「行くぞ」

「無視ですか! へたりこんでるのに!」

「あいにく俺は貸せる手がない」


 すたすたと歩き出したジョンのあとに追いすがり、ロコはぶうぶうとしばらく文句を垂れた。

 さて。

 地下道はしばらく進むと石板とブロックを敷設した道に変わり、反響する足音がわずかに高くなる。

 十字路にたどり着いたところで天井は高く、煉瓦をアーチ状に組んだものとなり。道幅も広がりを見せ人通りが増加した。一気に、通路から生活臭の漂う空間へと変貌する。

 地上の歓楽街などとはまた異なる、ひとの住む街がそこにあった。

 右手には丸テーブルをいくつも並べた間を給仕が走り回る、パブに似たスペース。左手には得物の整備や販売を生業とする鍛冶屋。少し離れて休息をとれる宿。

 通りを奥までのぞけば、じつに多様な露店や施設が並んでおり見ていて飽きない。


「店が多くて気になるのはわかっているが、今日はひとまずこちらへ来い」

「え、わ」


 完全に興味をもっていかれていたロコのふくらはぎを軽くすねで叩き、ジョンは先へ進ませる。

 十字路をまっすぐに歩み、生活臭と喧騒に背を向ける。

 そうすると次第空気は張りつめていく。先にあった階段を降りると湿度と温度がわずかずつ下がって、道行くひとの顔にも油断がなくなっていく。

 行きかう人々の様子は色々だが、みなどこか力が滲んでいる。

 肩に力が入って、必要以上にいかり肩になっているとか。

 目元に力みがあって、絶えず周囲を見張っているとか。

 足に力がこもって、動きに硬さがあるとか。

 そんないかにも虚勢いっぱいの者もあれば、背筋に力が宿り堂々としている者、逆に一切の力が感じられずつかみどころない者もいる。実にさまざまである。

 ただ誰にも共通するのは、ジョンを見ると少し苦い顔つきになることだ。ジョン自身は気にせずいるものの。


「なんだかここはずいぶんと、ぴりぴりした場所ですね」ロコが小声でささやく。

「先ほどまでの通りはあくまで、騎士団員の保養や休息を目的として作られた場所だからな」

「保養ですか?」

「すねに傷持ち、腕っぷしに任せる以外のことがなにもできないからと騎士団員になった者もいる。そういう連中は地上うえの店ではもうくつろげないからだ」


 そう口にしたところで、二人は扉の前にたどり着いていた。

 重いオーク材の扉を肩で押し開くと、ぬるい風が吹く奥行きのある広間に出る。

 そこは各所の燭台と釣り下がるガス灯シャンデリアからの柔らかな光がぼうと影を揺らめかせる、薄暗い空間であった。

 正面奥には杭と木槌を模した騎士団の図象が巨大なオブジェとして鎮座しており、そこへつづく赤絨毯の上には楕円形の大卓がでんと存在を主張する。


「ようこそ《銀霊騎士団》詰所へ。ここが会議場で、そこからそれぞれの隊の部屋へ分かれる」


 ジョンは広間の両側を顎でしゃくって見せる。

 両側にはそれぞれ五つずつ、計十のドアが並んでいる。ジョンはそのうち左側の手前から二番目のドアに近づいていった。

 足を振り上げ靴底でノッカーを蹴り叩き。かつッと鳴らせば、本来はノブがあるべき位置にあった手のひら大の歯車がぎりりと左へ半回転、中からカチリと噛み合う音がした。

 ドアを足で押し開けると、中は会議場よりさらに薄暗い。


「暗いお部屋ですね」

「気を付けろ。そこら中に書類と資料の山がある。崩せば日がな一日ここで整理の仕事になるぞ」


 おっかなびっくり入ってきていたロコに忠言すると、彼女は慌てて肩を縮こまらせジョンの歩いたあとをぴったり違わず進むように気を付けはじめた。

 ジョンの腰ほどの高さまで積まれた紙の山の谷間を縫うように歩く。ぼんやりと輪郭しか見えない部屋の中を奥まで進む。

 と、進路が机にふさがれた。

 その机の上は、書籍と酒瓶が積みに積まれてジョンの背丈ほどに達してしまっているのだ。それらの隙間からは、ぼんやりとしたランタンの明かりが漏れ出している。

 嘆息しつつ机の下を潜り抜けて、部屋の最奥に位置するそのデスク――隊長席に、ジョンは声をかける。


「おい。寝ているのか」

「…………ん。ああ、ジョンか……いま何時だい?」

「会議場の柱時計では昼の三時を回ったところだ」

「……そりゃぁずいぶん眠ってしまったな。身体が軽くてすっきりしているわけだよ」


 まったくすっきりしている様子が感じられない、くたびれ果てた間延び声がした。

 大きな背もたれを備えた椅子へめりこむように長身を納め、タイトなボトムスに包んだ細い脚をデスクの上に載せていた男が身を起こす。

 白地に黒のドット模様をあしらったシャツにクラバットを巻いた洒落男。

 青みを帯びた髪をすべて後ろに撫でつけて整髪料で固め、細い面立ちの印象をさらに細く研いだように見せている。ひげはなく、眉も短く整っている。

 まぶたが厚ぼったく眠たげな目をしぱしぱさせて、男はひっかき傷のように細かで数の多い眼尻の皺をうごめかした。


「とりあえず、おはよう……。というかこんな時間に来たのなら、お前も遅刻というわけかい、ジョン?」

「お前と一緒にするな、ゴブレット。俺は朝八時にきちりとこちらへ寄った上で外回りへ出たにすぎない」

「八時……なるほど、入れ違いだったな。俺は九時ごろここに戻ってきた次第でね」

「……また酒か」アルコールの臭いを感じて、ジョンは眉をひそめる。

「市井の情報収集と言っていただきたい」


 うそぶく男はへらへらと笑った。


「……あの、こちらは?」


 机の下を這ってやっと出てきたロコは、膝の埃を払いながら問う。

 ジョンはああ、とこれを受けて、上げた爪先で指すようにしながら紹介した。


「第七騎士隊隊長、ゴブレット・ニュートンだ」


 名を示されたゴブレットはそこでロコに気づいたらしく、デスクから長い足を下ろすと大きく伸びをしつつ「どうも、ニュートンです」と笑みに親しみを込めていた。


「そちらのシスターさんは……んん? ひょっとして、赴任してくる予定だった子かな?」

「らしいぞ。先ほどそこで拾ってきた」

「予定の日時よりずいぶん到着が遅れたね。先日の蒸気路線事故の影響かい」

「あ、いえ。わたくし、数日ほど道に迷っていた次第で……」

「ああ、騎士団の入り口はわかりにくいから仕方がないよ。無事にたどりつけてなによりだ」

「遅れましたがよろしくお願いいたします隊長さん。ロコ・トァンと申します」


 深く一礼したあと、ロコは懐から取り出した封書をゴブレットに手渡した。

 中身を開けて内容を確認したらしいゴブレットは「たしかに」とこれを受け、ごそごそと机の上を探る。

 紙束とゴミと酒瓶がごそごとがらんと転がり、そのたびに埃舞う。ジョンは顔をしかめ、インバネスの襟元に口許をうずめた。


「あったあった。じゃあこれで、受領しました、と」


 見つけ出した判を割り印として捺し、入っていた書類のうち片方をロコに手渡す。


「あと詳しい手続きはこちらでやっておくのでね、まずはこの街に慣れておいてくれるかな」

「わかりました。これからお世話になります」

「いやなに、こちらこそ。急な仕組みの変更に合わせての要請ですまないね」


 簡易の入隊手続きはこれで終わったらしく、二人は互いに頭を下げあっている。

 ひとまずの落着を見たと判じ、ジョンはまた机の下をくぐって外に出ようとした。


「っと、待ちなよジョン」

「なんだ」


 面倒くさがる様を隠しもせずにゴブレットの方を向く。

 だが向こうも長い付き合いでこういうジョンの所作をよく知っているからか、肩をすくめるだけでさほど意にしない。


「いまの話は聞いていたろう?」

「入隊の手続きが終わったのだろう」

「そうだよ。で、この子はこれから街に慣れてもらわなくちゃならない」

「騎士団で働く以上はそうなるだろうな」

「うん。だからお前には、この子の案内と世話をお願いする」

「……なぜ俺なのだ」

「俺は隊長職で忙しい。ラキアンもルーもいまは別件でかかりきりだ。消去法で、お前しかいないんだよ。それに聖職者である彼女がいた方が仕事はやりやすいはず」

「なぜだ」

「……俺、それについての会議の報告していなかったかい?」

「二日酔いでぐでぐでの状態で紙の資料をいくらか配って二、三述べるのを報告と呼ぶなら、していたな」

「なら資料を読み直しておいてくれ」

「無理だ。その資料、くわえて自分のデスクに持っていこうとしたのだが、うっかり離してしまってこの部屋のどこかに落ちた。つまり二度と見つからん」


 広大な紙の山と沼。どこになにが落ちているかなど、だれにもわからない。

 ゴブレットはそれを聞いてあきらめがついたようで、そうかいそうかいと言って自分で説明をはじめる。


「この度騎士団は隊に一名、聖職者を人員として引き入れることを決定した。それというのも、多発する吸血鬼事件への対処時間削減のためだよ」

「なにか時間の削減になるような助けを得られると?」

「『俺たちでは遺体を動かせない』。忘れたわけではあるまいね?」


 困った顔をしながらゴブレットは言う。ジョンはちらりとロコを見て、先のパブでの一件を思い返す。ああ、と納得した。

 先ほどのロコの祈り。あれは《再銑礼さいせんれい》と呼ばれる儀礼である。

 この国の宗教においては生まれたとき、ひとは名によってその生を個人のものとして定義し、最期までまっとうすることを義務付けられる。またこの際、合金製の短剣にその者の名を彫刻して胸元に置き、教会で祈りを唱える。

 これを《銑礼せんれい》という。死ぬときには銑礼に用いた短剣を、遺体と共に埋葬する。


 しかし吸血鬼は――『真の名を持たない』存在である。


 故にその命の終末には、再銑礼で新たに名を与えて葬らねばならないのだ。

 そうしなければ命をまっとうできず、死者の魂は永遠に遺体の近くをうろつく――こうした教義上の理由で、吸血鬼を処分したあとはまず教会関係の聖職者を呼ばねばならない。

 先ほどはロコがそれを代行してくれたので、あとの埋葬を援護部隊に任せることができたのだ。


「たしかに、聖職者がいるとその点は楽になるな」

「教会と騎士団の間には色々な隔絶があってあまり気楽に呼べないからね」

「所属している者がいればその点、呼び出す時間を短縮できると」

「正解。こういう次第で、ロコ君を含む聖職者を十名、こちらにお招きした次第なんだよ」

「よくわかった。ではな」


 再びジョンは机の下に潜り込もうとする。


「まてまてまて」

「なんだ」

「お前こそなんだ。なぜ出ていこうとするんだい?」

「聖職者がなぜ騎士団に来たか、そしてその役目がなにかもわかった。だが俺が面倒を見る必然性がない。俺はひとと組むつもりもひとに頼るつもりも、ない」

「拾ってきたのなら最後まで面倒みなさい」

「犬猫かそいつは。そも拾ってきたなど言葉のあやだ、とにかく俺は厄介はごめんこうむる」

「や、厄介とはなんですか!」


 ここまで黙って聞いていたロコも会話に入ってくる。


「わたくしは使命に殉じるつもりで、少しでも人々に平穏と安寧をと思いこちらへ参上したのです! それを厄介とは、」

「厄介は厄介だ」


 なにか言いかけたのを遮ってばっさり。

 ジョンの物言いに対して、ロコはしきりに口をぱくぱくさせていた。どうも言いたいことが詰まってしまったらしい。ならばちょうどいい、とばかりにジョンは言葉を継ぐ。


「たしかにお嬢、お前がいれば埋葬への各部署への通達や教会への要請といった手間は省けるが……あの有り様では、結局そのうちまた教会に要請を飛ばす日も近い。『死体が二名分だ』とな」

「そんなに早くくたばると思われているのですか!?」

「現にさっきも死にかけていただろうが」

「あれはまさか、こうも早く吸血鬼に遭遇するとは思っていなくて――」

「奴らはどこにでもいる。常にそこにいると考えて動け。攻撃の際は人間相手よりも二手多く技をかけろ、躊躇をするな。自分の次の一手を常に複数考えろ、油断をするな」

「む、むむ……」

「結局のところこの街で言う強さとは試合の強さではない。周囲を見渡して、己が生き延びる箇所を多く見つけられる才覚だ。耳目と嗅覚を研ぎ澄ませ。単純な格闘の腕よりそれがよほど大事だ」

「むー、むむむ……!」


 黙り込むロコ。先ほど金をせびった件ではこちらがやりこめられていたので、少し気が晴れるジョンであった。


「ふん。できないのならやはり、ここを出てどこかの教会でシスターをやれ」

「またそんなことを!」

「本心だからな。何度でも言いたくなる」

「憎まれ口もよくそこまで出てくるものですね! そこまで言われたらこっちももう引きませんよ、いいですよやってみせますよできますともそれくらい!」

「どうだか」

「め、目にもの見せてやりますから!」

「やってみろ」


 売り言葉に買い言葉。応酬の果て、ジョンは皮肉気に鼻を鳴らして口を結んだ。

 湯気のあがりそうな顔をしているロコは、腕組みしてジョンを睨んでいる。ちょっと愉快である。


 ……はてさて、少しずつ彼女の顔から赤みが抜けていった頃。

 ジョンはハタと思い至る。

 なんだか最後、ペースにのせられて変なやりとりになっていなかったか?

 気になって、すっとロコ越しに、椅子に腰かけたゴブレットを見やる。

 彼はにやにやしながら、両手を打ち鳴らした。


「はい。というわけでジョンはロコ君を見守っていてくれるとのことだ」

「……待て。そういう意味合いでは」

「口にしたことには責任を持つものだよジョン。そういうことだロコ君、ジョンから学んでこの街に慣れておくれ」


 にやにやしたままゴブレットがロコに声をかける。

 彼女は彼女でいやそうな顔のままジョンの方を向いた。


「なんですか、その露骨にいやそうな顔は」

「……いや別に」


 互いに似た顔を向け合っていたらしい。

 皮肉交じりに「気が合うな」と言おうか迷うジョンだった。


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[一言] いいいい。こういう小煩い女とつっけんどんな男のバディなんかいくらでも味がするんだからどんどんやってくれ。なんぼでもこい
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