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28:動機と事件と被害者


「……なにを言っているのかしら?」


 こめかみを押さえながら、ジルコニアはじろりと横目でこちらをにらむ。

 奥行ある廊下の中で、彼女の周囲だけ熱気ほとばしるような錯覚を生じさせる、そんな目で。


「あいつが、ガルデンが。死んだと?」

「早合点するな。俺の言葉にはまだつづきがある――この街で目撃の証言が極端に少ないというのはな、妙なのだ」


 応じるジョンは真っ向から視線を返した。


「警察、銀霊騎士団、夜風の団。いくつもの組織が重なり合って周囲を見張っている。この監視の中を潜り抜けて、人間ひとりを攫うのは難しい。ということは見知らぬ者に攫われての失踪の線は薄い。しかし、一番身近で誘拐や監禁といった犯行が容易と思われる秘書と護衛からも、なにも情報を得られていないのだろう?」


 ジルコニアは下唇を噛んだ。表情から、肯定の意を見て取る。

 もし秘書と護衛がなにか隠していたとしたら、いまごろドルナクの警察に詰め寄られ洗いざらい白状しているはずだ。

 そうでない現状からわかるのは、つまりその二人が本当になにもつかんでいないということ。

 またひとつ、『なにもつかめていない』ことがわかる。


「ここまでなにもつかめない状況。そこから導き出される答えは」


 ジョンは足を踏み出し、爪先だけをあげてとんとんと床の絨毯を叩いた。


「だれにもなにも告げず自分で。『自分の足で消えた』のだと考えるのが道理だ」


 故に、秘書と護衛が警察の追及になにも漏らすことがなかったのは必然。

 なぜなら彼らはなにも知らなかったからだ。


「……ガルデンさまは、亡くなってはいないのですか?」ロコが口を挟む。

「お前も教会でガルデン・ヒューイットの葬送が行われていないことは確認したのだろう。奴は死んでいない」

「でもいまジョンさま、この世にいないのではないか、って」

「ああ。言ったな。その言葉の前に――ガルデン・ヒューイット『という人間は(・・・・・・)』と付けたが」


 はっと、息を呑む音がした。

 ロコからも、ジルコニアからも。

 いやな推測が当たったことに嘆息して、ジョンはそれでも語りをつづける。


「なぜなんの痕跡も残さずガルデンが消えたのか。なぜ礼拝に顔を出さなかったのか。そこから、答えが導き出された……ヴィタ教では個として、名のある物として(・・・・・・・・)の生を貴ぶ」


 吸血鬼。

 名を失いし者。

 死生彷徨う半端者(ミディアンズ)

 それはヴィタの教義の対極に位置する者。


「ガルデンは、吸血鬼化したのだな」


 だから教会の礼拝に訪れることができなかった。

 だからだれにも告げずに消えるしかなかった。

 非ざる道に、堕したが故。

 非道の吸血鬼と、化したが為。


「で、ではジョンさま。ジルコニアさまの、探してほしいという依頼はなんだったのですか?」

「おそらくこいつは一度ガルデンに接触できたのだろう。そこで奴の吸血鬼化という現状を知り、その後逃げられた。だから捜索を依頼した」

「どうして逃げられたのです」

「殺そうとしたからではないか?」

「え……」

「どうなのだ、ジルコニア」


 ジョンの確認の言葉にジルコニアは答えない。

 だがその反応こそがなにより雄弁だ。ジョンは、ジルコニアへと距離を詰めていく。


「秘書にも護衛にも黙って自ら姿をくらまし、潜んでいたガルデン。だが吸血鬼化を解く術は現在のところ存在しない。吸血鬼である以上、このドルナクを出ることもかなわない。その事実のもとにお前は、お前と重工の上層部は、どんな判断を下した……?」


 厄介者を、排除しようとしたのではないか。

 歩みを止めないジョンと彼女の距離は、刺しあえる距離にまで縮まる。ジルコニアは蒼白な顔でジョンを睨み、ステッキに置いた手が震える。


「そういえば先日の産業区画プラントでの一件も、吸血鬼が潜んでいたのはお前たちアルマニヤ重工の内部だったな」

「……、」

「これ以上の不祥事、不穏な噂を重ねるわけにはいかないと、そう思ったか」


 不祥事を、隠さんが為。

 不安の芽を潰す為。

 それならばアルマニヤが彼女のような凄腕を送り込むことにも筋道が通る。


「ガルデンもお前も難儀だな。同情する。しかし」


 動機は関係ない。事情は知ったことではない。

 大事なのは彼女がどう動いたかだ。


「ジルコニア・アルマニヤ――吸血鬼化を隠匿するのはこの街において許されざることだ」


 断じて、ジョンが反応をうかがえば。

 ジルコニアは意外にもひるんだ様子もなく。

 瞳の色を消し、表情を薄め。

 じつに無味乾燥な顔つきで、ジョンの指摘を的外れであるかのように振舞った。


「でも実際に、吸血鬼化したのを見たものはいないんでしょう?」


 ひょうひょうとした態度でそらとぼけて、かくかくと肩を揺らす。


「私も見ていないし、そもそもそんなことになったとは思っていない。私は、隠匿なんてしていない。ガルデンが行方不明になったから、探しに来ただけよ」


 ただ――、と言葉を切って、彼女はステッキを身体の正面で地に突きジョンの方を向いた。

 わずかに匂わせたのは、表情の変化。

 目を伏せジョンの足元を見る彼女は、うつむき加減のまま言い放つ。

 声音は、顔を見るまでもないほど、

 歪んだ笑みに満ち満ちていた。


「……ただ、もしも……。あなたが吸血鬼化したあいつを見つけたら。斬り捨てた上で黙っていてくれるなら、それなりの見返りは――」

「ふざけるな」


 喉元までこみ上げたものを一言に抑え込み、ジョンは詰めた。

 額を押しつけ、圧して屈させるように、ジルコニアに感情をほとばしらせた。彼女はぐっと息を呑み、目を丸くした。


「ふざけるなよ、ジルコニア・アルマニヤ。お前とお前の社が不祥事を隠すために、どれだけの人間を危険に晒したと思っているのだ」

「な、……なによ。吸血鬼は感染するっていうけど……」

「けど、なんだ。お前たちは吸血鬼を甘く見過ぎだ。そも、ガルデンの目撃情報がないということは――この十日を、ほとんど人目につかないようにしていたということになる」


 ぎり、と歯を軋ませた。

 まずいことになっているかもしれない。

 吸血鬼はその再生力と引き換えに人血を摂取しなければ我を保つこともできない生物だ。それがおそらくは、十日以上も。

 人間でいうならば絶食の状態で、この街のどこかに潜んでいるとしたのなら。


「奴は、いつ暴れ出してもおかしくはな――    」



 ジジジジジ、

 ジジ。



 ジョンの声にかぶさるように、スピーカーノイズが撒き散らされた。

 思わず窓の外を見やる。

 通りでは不安そうに、街灯の下に突き出したスピーカーの編み目を見つめるひとたちがいた。

 やがて音の響きはノイズから徐々に像を明確にしていき、最後にはきちんとした音の並びとなる。


「ジジジジ……ジジ……じじ上等区画のみみみなさんへをを報せです じ上等区画のみみなさんへを報せです 現時刻をもってハーパー通りを封鎖しますす 吸血鬼が出現しましたたた 繰り返しますす じじ上等区画のみなさんへへをを報せですす 上等区画のみなさんへへお報せです げ現時刻をもってハーパー通りを……――」


 状況はいよいよ切迫していた。

 ジルコニアはぎり、と歯を食いしばる。

 やがて、どうするのかと見ていたら――


「くそっ!」


 はちきれるゴムのように俊敏に窓へ近づき、格子の枠を上にスライドさせると隙間から外へ飛び出した。

 わずかに間をおいて、がちャキンと駆動鎧装がショックを吸収する音。次いで駆け出していく足音。


「ち、」

「行きましょうジョンさま!」


 舌打ちしかけたジョンのインバネスを引っ張り、ロコが昇降機へ元来た道を戻る。切り替えの早い女であった。

 飛び込めば、ごんごんと低い音を立て降下する鉄の箱。ジョンはもどかしく思いながら、天井付近に据え付けられた階数表示針の動きが早まることを願った。

 ロコは横で腰の聖書と慈悲の短剣の位置を正しており、既製品より短く裁断したローブの裾を払って、白いショースに包まれた足を屈伸させている。走る準備は万端らしい。


「ハーパー通りはどちらですか?」

「俺たちが歩いてきた通りから東へ一本脇に逸れたところだ。DC研究所の方向に近いが……潜んでいたとすれば、これから逃げ込むとすれば。そこから地下に広がる下水道だろう」

「下水、ですか。……あ、すいません! ランタンを御貸し願えますか!」


 昇降機の扉が開いてすぐ、ボーイに駆け寄って明かりを確保した。

 外へ出ると、困惑の顔つきでハーパー通りへの道を遠巻きに眺める雑踏が目に付く。

 日中の上等区画は白い石畳が照り返す光を、立ち並ぶ煉瓦造りのビルヂングが受けてその影を長く伸ばす。

 見やる先にはひっそりと風が抜けるばかり。アーチを描く煉瓦の門からつづく狭い通りは、この昼日中でも薄暗く湿気た雰囲気だった。


「さっきこちらに脚部駆動鎧装の女が来なかったか」


 ジョンは雑踏の間をすり抜けて近づき、道を封鎖する警察の人間に問うた。

 かっちりとした制帽と肩をいからせる詰め物を成したジャケットが威圧的な警官二名は、ともすれば無礼とも映るジョンの言葉に顔をしかめる。


「すみません警察の方。わたくしたちは騎士団のものです」


 すかさずロコが名乗ったので、ジョンは駆動鎧装に刻んだ騎士団の図象を見せる。身分がわかったので少し態度を軟化させた警察は、「上を」と言って通りの輪郭をかたちづくる建物の外壁、頭上二メートルほどの位置を指さす。

 壁面には、三つ又の槍でこすったように削れた痕が残る。


「跳ねて、飛び越えていった」

「……信じられん運動性能だな」


 単純な駆動鎧装の性能だけではない。先日立ち合った経験からジョンはジルコニアの力量を認めていた。

 と、道の先から、白衣と鳥顔マスクを帯びた人影がどたどた走ってきた。鳩尾まで金属の嘴のような大気濾過部フィルターを伸ばし等間隔に呼吸部の穴をあけた面は、しゅうしゅうと独特の吸気の音を立ててうるさい。

 彼はマスクにはめられた丸い緑のレンズ越しに、警察とジョンたちを睨みあげた。


「患者が通る、そっからどいとれ官憲」

「通りにはまだ野次馬が多いぞ。感染の疑いがある患者なら、そいつの拘束はきちんとできているのだろうな」


 ジョンの問いかけに、男は鳥顔マスクの嘴を上下させた。笑ったのかもしれなかった。


「拘束帯の数が十分になかったでな、少し苦労した。だがまあ、大丈夫だ」

「数が十分でない?」

「患者は全部で六名。野郎手当たり次第に食い散らかしゃぁがった」


 言っているうちに、道の奥から鳥顔の集団が現れる。

 二人一組で抱えるようにして患者を運んでおり、患者には腰の辺りで手首から前腕全体を締める黒革の拘束帯で身動きを封じた者もいれば、ひとまず縄で手首足首を雑に縛られているだけの者もいる。

 男は縄で縛って運んでいた二人組が横を抜ける前に頭をはたき、「手首だけを縛って安心しとるんじゃない! 吸血鬼なら自壊して親指と表皮を犠牲にすれば簡単に抜ける!」と怒鳴って両の前腕部にもぐるぐると縄を巻き直していた。


「これは……」


 慌ただしくハーパー通りを出ていき、やってきた蒸用車スチームライドで搬送されていく人々を見ながらロコはつぶやいた。


「お前は『生きた被害者』を見るのは初めてか」

「噛まれた方々、ということですよね」

「そうだ。噛まれて感染した場合、発症までの潜伏期は四時間前後と言われているが個人差も大きいのでな。ああして拘束し、もしも吸血鬼として覚醒してしまっても無力化できるようにしている」

「無力化」


 反芻するロコに、ジョンは首を横に振る。


「あまり考えるな。噛まれたからとて確実に発症するわけではない、そこも個人差だ。……行くぞ。これ以上の被害は出させん」


 鳥顔たちがやってきた方向へ駆け出す。

 点々と血が散り、暴行の痕跡が落ちている。

 辿り行けば細い路地へと入り込んでいく。広く人通りのありそうな道、工事などで物音の絶えない道――といったものを除いていくと、自然に道は限られた。

 やがて先には下りのスロープが見えて来て、深緑の鉄扉が待ち構える。

『下水道 出入り口 1―W』とナンバーを振られたそこを蹴り開け、ジョンとロコはむわりとからみつく臭いと、冬が近づく地上とはちがってなま温かい空気の肌触りを感じた。

 ランタンに黄燐マッチで火を入れたロコは、右手では短剣を抜いた。闇の中に刃の照り返しがきらめく。


「わたくしが先行します。ジョンさまは駆動鎧装の準備を」

「準備など要らん。俺は常に臨戦態勢だ」

「これは失礼を」


 言いながら、踏み込む。

 かつ、んん……と音が響いた。



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